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はい、どうもDMM.comの亀山です。
4T2東京の文次郎です。よろしくお願いします。
さて、今日は考える回ということで、僕からのプリですが、偽善とかって言葉あるじゃないですか。
善と偽善の話で。
あれについてどう思うか、ちょっと話してみませんか。
偽善ってよくね、僕が住んでる日本社会だとだいぶ嫌われてるかな、あいつは偽善者だみたいな、チャリティーしてたら偽善者だとか言われちゃったりとか。
なんか、巨額に寄付したら、いやこれはただのキャンペーンだみたいな、そういう商法だろうみたいなことをね、言われちゃったりするYouTuberとかいたりするかなって。
確かにね、例えばバインベーシングとかいろいろ言われることあるよね。
なんかでも、そもそもこれに答えがあるかとは別にして、人は一度はもしかしたら、いやこれは自分も偽善者なのではないかって思ったことってあると思うので、なんか偽善って何なんだっけみたいな話ができたら面白いかなと思って。
でもある意味、偽善も善も、善のうちみたいな話じゃないけど。
確かに、すももももも的な。
どっちももじゃない。
確かに、善は善ですね。
だから結局それが善に見えるってことは、例えばわかんないけど、じゃあみんなにチャリティーやりましょうでもいいし、お金配りますでもいいし、寄付しますとか、なんかボランティアやりますとか、いろいろあると思うんだけど。
でもまあ、結果的にそもそも誰かのために何かしたいっていう衝動はみんなあるわけじゃないですか。
でも自分としたら、かといってお金を失ってまでいいことしたいかとか思うこともあるじゃない。
だからお金は損だけど、自分がこうやってあげたいからやりたいって。
じゃあ、分析上でも損も得もないことだったらやってあげてもいいと思うよね。
例えば誰かがそこで転んで、損も得もないけどちょっと手貸してあげようってことあるじゃん。
確かにありますあります。
で、別に損がなければみんな誰でもいいことをしたいと思ってると思うんだよね。
だからでもその中でさ、結局、同性なら人から嫌がられることよりも誰かのためになって喜ばれたらいいかなみたいな話だし。
で、それが結果的にお金あげるだろう、引き出すだろう、誰かに手伝うだろうが、
結果的にそれが相手にとってありがとうっていうことならそれでいいかなっていう気がするんだよね。
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なるほどなるほど。人の税にイチャモンつけるなみたいなことなのかな。
3年くらい前なんかあるのかみたいな話じゃないけど、
例えば出さないといけないんだけど、誰かに何かしてあげたらありがとうって言われたらちょっと幸せみたいなのも、
言われたら嬉しいからって言ってちょっと転んでた人を起こしてあげたいっていうのはないわけじゃないかもしれないよね。
確かに確かに。
助けてなかったら何するんだよって触んじゃないよって言われたらちょっと悲しいよね。
でも大抵の人はありがとうって言ってくれたらちょっといい気持ちになるっていう、
まあそういう得って言ったら変かもしれないけどさ、
自分の中で幸せみたいに思うわけじゃない。
だからそういったために善したっていいんじゃないかみたいな。
でも相手が触んじゃないよって言われたら、そもそも善自体が自己満足みたいなものがあるじゃない。
自分が得たって言ってるわけだからね。
良くないと思っても相手にとっては迷惑なこともたまにあるんですね。
確かに。
なんかちょっと偽善っていう言葉をググってみたら、善良であることを偽る行為ということみたいですね、偽善。
だからそもそも善良ってなんだよみたいな話ではあるってことですね。
自分が良かると思ったら善良ってことだし、自分が格好良く見せたいなと思って、
例えばさ、昔だったらロースラッシュつけたら格好良いとかって思われてたのが、
最近だとエコカードが格好良いみたいになったりするじゃない。
確かに確かに。
社会的な価値観みたいなのが変わってきますね。
最近ほらSDGsとかで、それのところにだけ投資する会社もあったりするわけだけど、
例えば温暖化をちゃんとやってる会社には投資しましょう、そうじゃないのはしませんとかね。
それっていうのも、自分の存続でいうとそっちに投資したら損かもしれないけど、
地球全体で自分が役に立ってると思ったらそっちに投資したいよねって思う気持ちを得るわけじゃない。
お金を損かもしれないからさ。
でも結果そんな風にやっていくことで、結局良いことやってる会社がちょっとずつ価格から上がっていったりすると、
みんなそれに引き受けられるように良いことをしようと思っていくことをするんじゃない。
みんながYouTuberでも良いことやってる奴にかっこいいって言われたら、俺もやろうって思って、
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それに引っ張られてさ、だんだんみんな良い風になったで、
その人がそもそも売名主義だったとしても、構わないんじゃないかなって気がするんだよね。
確かに確かに。
それはだから全体的に、その偽善が集まっても結局善のうちだから、
個別に見ていくと、もしかしたらすごい偽善な人はいるかもしれないけど、
全体的に善になっていくんだからいいんじゃねっていう話ですよね。
確かに。でもなんでじゃあ、これなんで偽善者だって指を刺されなきゃいけないんですかね。
でもそれを指す奴って比較的、自分は何もしなくて、何か消し付けたいってあるんじゃないかな。
なるほど。つまり、偽善も善も、善のうちの中の偽善者だっていう人は、
善じゃないところにいる人たちってことなんですかね。
消し付けるぐらいなら、自分も桃を取ってみろよみたいな感じ。
なるほど、なるほど。だから桃してないのに、
いや、それはいい桃の仕方じゃないって言ってる人たちがいるって感じ。
逆に善してる人たちは偽善の人たちをどう見るんだろう。
この人たちと一緒にされたくないとかもあったりする。
それはあるんだろうね。なんとなく純粋な気持ちで、
私は自分の中で気持ちがあるからやってるんで、
彼はあくまで自分の知名度を上げるためだとかって思ってる人いると思うんだけど。
でもそんなことを思った時点で、だいぶ偽善に引きずり込まれますね。
その善な人たちも。
私とあの人を一緒にしないでって時点で、
自分が善良だと思うやつですよね。
意外とそれがね、おせっかいではなくて全然役に立ってませんよって言われる人もいるかもしれない。
でもまあ錯覚だと思っても、自分が良くないと思ってやることはいいんじゃないかなと思う。
でも自分も少なくても、やってみたら自分の自己満足で、
自分は良いことやってるなって思えるだけでも得してるからさ。
まあそれが売名じゃないかもしれないけど、
人に言わないっていうのも別に全然美学だと思うんだけどね。
まあやってる人のことを批判しててまたちょっと違うかなって気がするかなって感じがね。
なるほどなるほど。
人が偽善者だって思う時は、
ちょっと自分の思いが浅はかなことをちょっとね、
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返り見て善してみるのがいいのかもしれないですね。
まあここでこの話で一個だけ明らかなのは、
善を受けた側がどう思うかは別として、
善をしていく方向っていうのは間違ってないっていうところですからね。
まあ何とかあいつを騙してやろうとか、脅しようっていうやつよりはマシだよね。
間違いない。
そこは間違いない。
じゃあ人の善にとにかく言うなというところで今日は締めましょうか。
はいどうもありがとうございます。