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どうも、TAZAWAです。
どうも、WATAです。
つまりね、そのコップがあったとして、そこに水を注ぐじゃないですか。
そしたら、その水はコップの形になりますよね。
なります。
だけど水自身は、その形を自分で望んでそうなったって思ってるかもしれないじゃないですか。
ん?
そういうことなんですよね。
すごい入りしましたね、これね。
何の話ですか、これは。
本を読みまして、生理の教室っていうね。
ヤムチャさんっていう方で、哲学の本をいろいろ書いてる人で、僕も何冊か他に読んだことあるんですけど、難しい哲学の話を噛み砕いて教えてくれる人で。
この生理の教室って本は、生理ってあるのか、何が生理なのかってことを突き詰めていくことってどういうことなのかみたいな、そういうことを教えてくれる本でね。
ラノベ形式になってて、高校生たちが主人公で。
物語ってことなんですね。
例によって本に関してはあまり喋んないんで。
ちゃんと読んでるんですけどね、話しませんよ。
一応本の話をしておくと、この本は最後のラストがすごい秀逸で、すごい賛否両論分かれる、ちょっと刺激的な。
それあえてのってやつですか。
これがあえてで、ちょっと最低な終わりなんですよ。
それがヤムチャさんが多分恐らくすごいとこで、メッセージ性としてのオチということじゃなくて。
そのエンディングを読者がどう思うかってとこを含めてのエンディングになってますよね。
それが結局この正義の教室で本当に伝えたかったことなんだろうなっていう感じで。
全体的な構成としてというか、一つの作品本としてもいい本だったなって感じだして。
何が正義かっていうのを言い切るっていうことではないってことですよね。
そういうとこがどういう感じで描かれてるのか、ぜひ楽しみにお楽しみになってください。
すごい評価も高くてね。
僕この本を読んで、この番組でもよく世の中のSNSの返上の話とか、いろんな人が意見言い合ってる様とかを眺めながらいろいろ僕らも言ってるじゃないですか。
そういう意味で僕も何となく思ってることを言語化されてたというか。
僕なりの正義の持ち方というか、付き合い方がクリアになったかなっていうふうに思ってまして。
この本でも書かれてるし、僕もすごい強く思ってますけど。
結局さっきコップの話しましたけど、僕らは構造の中に生きてて、その構造の中での価値観でしかないっていうことなんですよね。
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僕らにとっての常識って、なんだかんだで資本主義の中での常識ですよ。
みたいな。
与えられたね。
例えば僕らが挨拶とか、人に親切にしたりとかするけど、それってもしかしたら、親切にしたり挨拶とかしないと、資本主義の中で損するからっていう僕らの常識があるんだと思うんですよね。
社会通伝、社会に所属するための。
なんとなく人として、コミュニケーションとして、その方が気持ちいいでしょとかって思ってやってるけど、実際はただの構造の中での社会のための人間になってるだけっていう感じが全然あると。
結論から言うと、僕が今後どういうふうに考えていこうかなって思ったかっていうと、自分の意見はそもそも偏ってるって自分で思うことかなって思ってて。
今って多様性、多様性って言うから、いろんなものを多様性として受け入れなきゃいけないとか、認めなきゃいけないって思うと、ちょっとやっぱり難しいとこもある気がするんですよ。
そっちじゃなくて、どっちかというともう自分の方が、どうせ自分の意見は偏ってるしって思っといた方が、結局その後の受け取り方とか自分の発言の仕方が結構変わってくるかなと思ってて。
それだけを気をつけておけば、それこそ結果的にはいろんな多様性を受け入れられる考え方でいられるのかなと思ったりはしますね。
今本当に言論の話って難しいじゃないですか。ソーシャルネットワークでも日々語られてますけど、誹謗中傷みたいなところが話題になってたりとか、政治的な発言が税賀非かみたいな話とか。
はたまたそういうのを、ソーシャルネットワークで場があるのに、明けすけにそんなことをお前は言うのかみたいな誕発があったりみたいなところで、すごい全部俯瞰してみるとそうなんですよね。基本的にどれが正しいとかっていうのはなくて、みんなそれぞれが確かに偏ったことは言ってて。
そうなんですよね。だからその中で、みんな偏っていること自体はいいんだけど、それぞれが自分の意見が正義だって思っていることが問題かなとは思うんですよね。
正しい前提というか。日本人ってよく言われるのは、ディスカッションが下手だってよく言うじゃないですか。アメリカ人はディスカッションとして意見を投げかけたりとか、わざと駆け引きのためにそういうことをしたりみたいな、よく言われるんですけど、日本人の場合って絶対自分の意見が正しいとか否定されることに対してリフレクションをしちゃうという前提だから、
それが議論を進ませていくための意見ではなかったりするっていうところも結構問題なんだろうなと思ってて、それは今おっしゃられている正義であることが前提っていうところが結構大きく邪魔しているところがあるような気はしますね。
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なんかこれちょっと前のね、渡田さんがバカの研究っていう本を読んで語ってくれたときと一緒で、自分の考え方価値観が唯一の正義というか当たり前なんだって思うことがやっぱりおバカさんっていう話してたじゃないですか。それとやっぱり近いですよね。
それこそさっきのコップの話もそうですけど、気づかないうちに自分はその構造の中で最適化されてるだけだから。
まさにね。やっぱりそのコップの話で言うと、正しいかどうかを前提に話しちゃうと目的が変わっちゃうんだろうなみたいなのはすごい感じで、誹謗中傷の話って僕そっちだと思うんですよ。
だからあれは何かこうディスカッションとか意見とか何かを建設的に行いたい行為っていうよりは、絶対これを我々が思っていることは正しくてお前は間違ってるっていう、本当攻撃が目的で、そもそもディスカッションする気もないし、目的が攻撃するためだから。
でもあれも正当化だと思うんですけどね、結果その正当化してバカの研究で言うとかマスターベーションになってて、自分が気持ちよくなってしまうみたいな。だからその前提のさっきの前提の話で言うとやっぱりそういう愚かな行為に繋がってっちゃうだろうなっていう気がします。
でも誹謗中傷という形で今のSNSのあり方は最低ですけど、かといって人に対して意見しない批判しないっていうのはそろそろ間違ってるじゃないですか。
その辺って要は最近ってイコール人に文句を言ってはいけないとか、批判をしてはいけないってなっちゃう。それはまた違くて逃げてるだけだから。
多分それって言論の統制とかって言われるじゃないですか。それは今このご時世は言っちゃいけないことですよとか、普通大人だったらそういうことは言いませんよとか、社会的常識を考えたらそんなことは言わないでしょうとか、今よく言われるフレーズ。だからそういうことじゃないんですよ。
だからこれだからでもボタン掛け違えるよね、この話は。だからやっぱどんどん世の中正しさを求めてる方向に暴走してるじゃないですか。だからやっぱ言わないことが正しい。大人しくしてた方が正しい。変なこと言うと誰かから攻撃されるかもしれないとか、そういう方に行っちゃうから。
思うツボというか逆に言うと、一方的な政権を掲げてる者たちにしたら。
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例えば資本主義が当たり前の僕らにとっては、社会主義、共産主義の方って全然想像もできないし、価値観としてね。資本主義に染まっていながら自覚がない人が、そういう他の社会主義とかに対してすごい嫌悪感抱いたりすることはあると思うんですよね。
だから結局すごい偏ってるから、もうその時点で。僕らは。だから偏ってるってことはちゃんと自覚して人に意見をしていけばね、プロレス的に楽しめるんじゃないかなって思いますけどね。
確かに確かに。やっぱり怖いところで言うと、染まっちゃうことというか、いろんな社会主義あるのかもしれないけど、いわゆるホゲホゲっていう国とかでは言葉とか情報が統制されていっちゃうと、人々の考えっていうのは表に出てこなくなったりするんで、そういう形で丸まっていくのが一番良くないから。
そういう意味で偏った意見もある意味、ちゃんとみんなが出し合える状態っていうのを作った上で、そういうのもやっていく上で成熟していく気がするんですよ。
要は、今インターネットも過渡期だから、一番カオスじゃないですか。もうわけ分からない。うぞうむぞうとか、みんなもう正義のぶつかり合いとか、そういうことのマックスの状態だから、ほんと成長していかなきゃいけないわけで。
もっとみんなで建設的に考え方みたいなところを理解していかなきゃいけないんだけど、だからそういう意味ですごい前提の話っていうのは絶対大事になりますよね。
でも多様性を認めるっていうのも偏った考え方ですかね。だから今の人たちって、やっぱり多様性を認めることこそ正しい正義だって思ってるけど、それもある考え方からしたら偏っている考え方だし。
だってこれパラドックスの話ですけど、多様性は認めませんっていう考え方も多様性の人って言われてますよね。だから揚げ足取りみたいな話になっちゃいますけど、あれも難しい議論です。押し付ける話じゃない。
だからそういうもんだって思って議論しましょうってことですね。
そうそう前提ね。
なんかこの本でも書かれてた話ですけど、今の現代社会っていうのはある種の刑務所と一緒だと。っていうのは刑務所の意味っていうかどういう構造をしてるかって言ったら、昔々は刑務所なんてなかった頃は犯罪者を引きずり回したりとか打ち首したりとか、そういう罰の与え方をしてたじゃないですか。
でもある時から刑務所という場所を作って囚人がいて監視がいて、それはどういう状況かというと、いわゆる監視してる状況なんですよね。
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普通の人間が異常者を監視するということで矯正しようという、そういう構造。今のこの現代社会って常にSNSでみんなで監視し合ってる状態なんですよね。
何かしたらすぐ叩かれるだろうなってビクビクしながら生きてるっていうのはある種刑務所と全く一緒。
自警団的なね。そういう警察がたくさんいるからね。市民警察がね。
そうそうそう。
実際そうですよね。本当ね。それはなんかね、すごい的を置いてる気がしますね。
そんな中でどうやって生きていけばいいんでしょうか。
なんか答えを得てたのかと思ったらめっちゃ迷ってた。
まあ答えも当然書いてないし、僕もわかんないし。
そうそう答えはないんだと思いますよ。
ただ付き合い方としてね。どういうふうにしていこうかなって。要は自分で考えることが大事だよっていうメッセージがある本ですからね。
でもなんかその正義を強制されないっていうだけでもちょっと気持ちが楽になるところありますよね。
確かに。
やっぱりなんかこれが正しいとか、あれが正しいとか、そういうのいっぱい言われて、何が正しいんだっていうのを迷わなくて済む気がする。
別に正しさなんて人それぞれだろうみたいな。なんかちょっとオーラ感になれるところはあるし、本来は多分その在り方がね。
生き物としては正しいような気はするし。だからその迷っている状態がいい。
そうそう迷っている状態が、みんなが真剣に迷っていればいいんだよね。
そうですね。うがった形じゃなくて、誘導される形じゃなくて。
いやーでもこれがやっぱり幸福論とかね、そういう幸せとは何かとか自由とは何かとか、いろんなところにつながってくる話だと思いますけどね。
本当でもね、こんなのは人それぞれ違うんだし、なんかね今ちょっと仏教の話でいい話を思い出しそうで思い出せないんですけど。
人間っていう言葉はね、なんかすごい奥が深い。なんで人の間なんだっていうのも、間っていうのも本当。
煩悩とかってあるじゃないですか。6つか7つくらいの煩悩があって、嫉妬とかそういういろんなあるでしょ。
そういう人のその業の部分。その狭間に立たされるのが人間なの。
それを立たされないのは神なんですって。立たされて当然なんですと人間というのは。
だからずっとその中で悩み続けて、それを克服できた時に神になれるっていうのが、仏教的な教えらしいんですけども。
なんかそれにも通ずるなと思ってて、僕はなんかね乗り越えちゃいけない線っていうのはあって、それをやっぱ人間としてずっと向き合い続けて迷い続けて。
案に乗り越えられるものではないってことを言ってるんですよね。
そうなんです。それはみんな誰もそう。みんな誰もそうで、そこには行き着けない中でみんながそういう話をしてるっていう。
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やっぱ正しさなんていうのはまさにないっていうのはこういうところにも出てるなと思うんですけど。
自分の過去の選択とかで後悔してずっと気にあんでる人っていると思うんですよ。
例えばあの時ああしなかったことで誰かを傷つけてしまったとか、得る命を救えなかったとか、そういうことですごい精神的な病になるぐらい悩む人っていると思うんですけど、
それってもうどっちがどっちって言う問題じゃなくて、それに対して真剣に悩んで考えてるってことだけでもう十分だから、もう気にすることないよっていうことにつながるのかもしれない。
確かに確かに。受け入れろと。
だから要は一番誠実な態度というのが一生懸命考えることっていうことなんですね。
確かにね。それは間違いない気はします。だいぶ深い話です。
何喋ってるのかわからなくなってきた。
これがあれです、迷いです。これでいいんだと思います。答えのない話ではあると思うんでね。
じゃあ我々も引き続き迷い続けて配信していくわけですね。だいぶ彷徨ってる感じなんですけど。
まあ終わりかけて。
終わりかけてますけどね。残念ながら。ご視聴ありがとうございました。
ありがとうございました。