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こんにちは、東京でゲストハウスをやっておりますジュリーです。 今、ゲストハウス開業ヒストリーという
私と夫のナオさんが、東京でゲストハウスを開業するまでのその戦いを、家を元々住んでいたお家を売ったり、新しい住まい探しをしたりという話を、連続でシリーズでお届けしています。
今回はですね、ちょっとその不動産の話とかからちょっと離れて、離れてはいるんですが、要はその夫のナオさんと私がどういう価値観で生きてきているのかというようなところにですね、フォーカスして話をしてみたいと思います。
私たちのですね、大事にしていることというのは、簡単というか端的に言えばですね、もうやりたいことをやる。
これに尽きるんですね。これは、ナオさんがやりたいことと私がやりたいことが違ってても、それはそれで相手のことを尊重しますし、私がやりたいことでナオさんがやりたくないことは全く、それは
口出しもしませんし、そして2人ですね、共通でやりたいことは、やろうやろうって感じでやると。もう至ってシンプルで、これは結婚以来25年変わってないんです。
でもですね、知り合った当時からそういうふうにうまくできてたのかというと、それは全く違う話なんで、今日はそのあたりをですね、少し深掘りできたらなと思っています。
昨日ですね、チェックアウトしたゲストが、フィンランドのヘルシンキからのご夫妻でした。
彼らは3週間日本を旅していて、最後の1週間、8日間かな、私たちのゲストハウスに滞在して、東京を満喫して帰ったんですね。
フィンランドといえば、世界幸福度ランキング、連続7年連続トップを走っているということで、そういう方々が来るというのでですね、どんな方々なのかなというのは興味がありました。
そのご夫妻とですね、カイさんとピンニャさんというご夫妻だったんですけども、彼らとコーヒーですね、飲みながら喋ってたら、
とってもですね、日本が大好きで、もう何回も旅行に来ている旅好きのご夫妻でした。
でも、ローカルの日本人とね、コミュニケーションするっていう機会が今まで全然なくて、だから私たちとこうやって会話するのがものすごい嬉しかったというか楽しかったみたいでね。
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結局1時間半ぐらいですね、いろんなことをね、トピックで話してました。
彼ら、特にカイさん、ご主人の方がいろんなですね、アーティクル、記事を読んでて、日本に関すること、日本のですね、日本人のいわゆる風習だったり、価値観だったり、フード、特に働いている人たちのその労働環境とか、
あとその上司との関係とか、そういうのをですね、結構記事を読んでいたので、私たちにですね、いろんなことをですね、ずけずけとですね、ここぞとばかりに質問を投げかけてくれたんですね。
私たちは、いわゆる、例えば、上司と部下の関係とか、長時間労働の実態とか、そんな話をですね、彼といろんなディスカッションをしたんです。
逆にですね、私たちからすると、日本人の幸福度ランキングは47位でしたっけ、かなり低いの、低いと、それに対してフィンランドはトップ、世界一の幸福度の国、フィンランドっていうことを、いつもいつもですね、そのメディアで言われるわけですよね。
で、一体何が起きているのと、あなたたちの国ではどうなのってことを逆にこちらから聞いてみたりしたんです。
でも、いろんなですね、細かい話はあるんですが、まとめるとですね、やっぱり人と比べないっていうのは一つあるみたいでしたね。
人と比べないし、一人一人がですね、非常に自立していて自由だと、それを尊重していると、家族でさえ口出ししないということを強く言っていました。
例えばですね、18歳になると基本的には親から自立して生活するそうです。
なので、例えば20歳ぐらいになって親と同居していると、何か問題があるのかなっていうふうに思われてしまうらしいんですよね。
でもすごいそういうね、人と比べないとか、相手を尊重するとか、一人一人が自立するとか、
話したり、言葉で書いたり、聞いたりするのはとても簡単なことなんですが、これをやるっていうのはね、とっても本当に難しいことなんですよね。
でも話聞いてたら、少なくとも私たち夫婦の中ではね、この相手を尊重したりとか、それぞれに基本的には経済的にも自立してたししてるし、
やりたいことを尊重してるし、フィンランド並みの世界ランキング1位的な価値観で生きることができているのかなぁなんてことは感じました。
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でね、最近だと、例えば新宿の歌舞伎町で中村家っていう歌舞伎の家族というかファミリーがありますよね。
で彼らが歌舞伎町で歌舞伎っていう大歌舞伎というのを公演でやってたんですよね。で私知らなくて、
SNSでそれを知って、なに中村家が歌舞伎町来てんだ、じゃあ行きたいなぁと思ってすぐに直さんにメッセージしたんですよね。
こんなの今もやってるよとチケットなんとか取れそうだよって言ったら、直さんもすぐ返事くれて、行きたい行きたい行く行く、すぐにチケット取って見に行ったりとか。
あとですね、週末ですね金沢に行っていたんですね。金沢はいくつかやりたいことがあって、一つは会いたい人たちに会いたいというのと、
あと神社に行きたいというのと、お寿司食べたい、あと新幹線でグランクラスに乗りたいと。
これをですね全部クリアして戻ってきて、大変今ですね気分が良い週明けなんですけれども、
こういう感じなんですね。今となってはこうなんですけれども、初めからそうだったってわけではないという話をこれからします。
夫婦の話なのでね、この配信は私がジュリーがですね、妻じゃないですか、戸籍状はね、妻が夫のことをディスるみたいな話ではないので、そこをご注意していただきたいんですね。
もしそういう話が好きで、この後の音声配信を楽しみにしてくれると、期待にあってないと思うので、先に言っておきますと、
私はもう夫なおさんと出会って30年以上が経つので、
夫婦っていうかコンビなんですよね、ユニット、漫才コンビがね、相方のことをちょっと面白おかしく話すぐらいのスタンスで聞いていただけたらなと思います。
なおさんとはですね、大学時代に知り合ったんです。彼とがテニスサークルに入っていて、
まあこれがですね、90年代前半の大学、4大のテニスサークル、それも結構大きいですね、その学部では結構大きなテニスサークルで、めちゃめちゃチャラかったんですよね。
チャラい、浅い、ノリみたいな感じのサークルで、結構ですね、その学部、なんだろうな、お金持ちが多かったですね。
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で、なおさんも私も普通の一般家庭の家の人なので、そういう人たちが羨ましいというか、ちょっと滑稽に映ってましたよね、何か。
サークルに入って、あるきっかけで私たちは付き合うようになるんですけれども、
はじめはですね、私は付き合っている感覚はなかったんですよね。そしたらある時、なおさんが、私と自分たちが付き合っていることは人に言うな、みたいな話になって、
え、付き合ってたんだ、みたいな感じだったんですけど、この話はですね、今日は深掘りしないんですが。
で、私が育った環境と、なおさんが育った環境というのはですね、どっちかというと真逆だったんですよね。
私は、父が自営業をやっていて、母は同じビジネスというか、町工場みたいな感じでしたね。
で、父がやってて、家族経営でそれをやる感じだったので、母はそれを手伝っていたんですが、
うちの父親はですね、かなり問題児で、今でも問題児なんですけれども、家庭を顧みない感じの人だったんですよね。
なので、非常にですね、本人主義でした、うちは。
なので、その真逆なので、なおさんの方はですね、非常に厳しいというか、寒性の激しい、過寒性の親の下で育った方でした。
なのでですね、付き合った頃、所属していたサークルがチャラかったんで、私はそのチャラい感じは苦手だったんですけれども、
なおさんはその中でも割と人気者のポジションにいたので、このチャラい人なのかなと思っていたらですね、例えば2人で出かけるじゃないですか、そうするとですね、キャラが違うんですよ。
理由は本当に全くわからなかったんですが、はっきり言って暗い、すごくですね、うちにこもった人でしたね。
気度哀楽がなく、低め安定みたいな、どっちかというと不機嫌みたいな感じの人でした。
親の期待とかに対して、あとその家のしきたりみたいな、過不調性の強い男尊女卑みたいなお家で、それで抑圧されていたことがおそらくその大学になるまでの20年間の間で積み重なったものがあったんじゃないかなと思うんですね、今思えば。
大学もですね、本来彼が行きたい大学、やりたいことというのは別だったんですが、普通の四大に行くことを促されて、要はやりたいことができなくて、その大学にも進学していたというような状況でした。
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就活の時期になって、当時就職するって言うとですね、男性って会社に入ると、もう地方に転勤するのって織り込み済みだったんですよね。女性も総合職で就職すると転勤は覚悟っていう感じでした。
その地方に行くリスクというか、東京にいたいというのが強くあったみたいで、それもあったのと、あと大学留学の時にやりたかったことができなかったということで、就職しなかったんですね、彼は。
自分のやりたかった芸術の分野というか、デザインを学ぶようなことを始めたんです。
そうこうしているうちにですね、やっぱり会社に入るという話になって、新卒で就職できなかったというのもあって、もうすでに会社を探した頃には氷河期、真っ只中になってしまい、入る会社、入る会社、もうことごとくひどいブラックなところばかりだったんですね。
彼はご両親からですね、お前は何をやってるんだっていうふうにずっと攻められ続けてたそうなんです。
はっきり言葉に言わなかった時もあるし、はっきり言われたこともあったんじゃないかと思うんですけれども、その辺はちょっとあれですが、
ただ、そんな中で彼が選択したのは、お金はないけれども、とにかく自立して家を出るっていうことでした。
そのタイミングではですね、私はあんまり結婚、私自身は結婚に何も求めてなかったんですよね。
結婚したいという感覚も当時私はなかった。
父親がそんな感じで問題児だったんですよね。男性っていうのは浮気するもんだっていう擦り込みがあったんで、父親はそれを体現しているような人だったので、
なので、結婚への憧れとか、花嫁とか、ウェディングドレスとか、そういうことに全く興味がありませんでした。
なので、たぶん私の態度から、この人は結婚しない人なんだなというふうに、
直さんは認識していたからかもしれません。その時に結婚するって話にならずに、一人暮らしを彼は始めたんですね。
私はですね、実は苗字を変えるのもすごい嫌だったんですよね。
これね、もっと言わなきゃいけないのかなって思うんですよね。今となっては。これ今、世の中的にはトピックだし、
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すごく嫌でした。苗字を変えるっていうのがね。まだその頃、ワーキングネーム、会社で使う名前を旧姓でやるっていうのはそんなに制度としてなくて、
それもちょっと嫌だったんですよね。しかも実家は私はすごく好きだったんです。父親はちょっと論外なんですけれども、
自分の実家はすごく好きで、それを出るっていう選択肢もあんまり考えられなかったんです。
でもですね、その一人暮らしをした彼を見てたら、とにかくですね、朝から夜中まで働いて、
で、なんかちょこっと部屋に戻ってすぐ会社に行ってみたいな感じで、その働かされ方とか、
あと彼の生活を見てたら、なんかそのね、せっかく家を出たのに、すごくすり減っている。
就職した会社に消費されている。どんどんどんどんですね、笑顔もなくなっていくしね、これはせっかくね、実家出て自立したんだけども、これはあまりにもひどいだろうとちょっと旗から見ていて、
それで結婚するという話になったんです。
でもそのね、勤めていた会社は本当にひどかったので、私はもう結婚するんだから辞めましょうと、会社退職してくださいという話をしたと記憶しています。
それで彼は、じゃあということで、結婚を機に会社を辞めました。
ハッピーことぶき大社ですね。そんな状態だったので、お金は全く持ってなかったんですよね。
一人暮らしでカツカツでしょ、趣味はなかったんだけれども、その時はね、会社のことばっかりやっていて、
飲みに行くぐらいだったんですかね、ただ全くお金は持ってなかった。 でもことぶき大社だから、
部屋を探して、これ前回の配信で話したと思うんですけども、グランドピアノなんかね、それなのに買っちゃったりしてね、
グランドピアノを置ける部屋に、部屋を見つけて暮らし始めたんです。
お付き合いの期間もですね、長かったし、ことぶき大社ではあったんですけれども、その結婚のタイミングで私はやっぱり一つ決めたことは、
とにかくやりたいことをやる、やれるという形を、この結婚をベースに実現できるようにしようと。
それができなくなった時は、もう結婚は解散かなと思っていました。
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なので、それがやりたいことができるように、努力はするんですけれども、お互いを尊重して、そういう形がね、そういうことを
お互いがそれぞれが感じることができなくなった時は、もうこの結婚は解消するしかないなと、そういう覚悟で結婚しました。
ことぶき大社の話までしたところで、まだちょっと話があるので、今日はこのぐらいで、この辺で終わりたいと思います。
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