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2024-06-29 18:24

夫の実家不動産問題①二世帯住宅建てて同居を迫られてました

夫の両親は、典型的な家父長制、男尊女卑そしてスーパー過干渉。
 やりたいことは絶対に反対する
 他人とめちゃめちゃ比べる
 相手をまったく尊重しない

対してわたしの親は子どもにまったく無関心、語りかけ無し、褒める無し、叱る無し、オール5完全無視。超放任に育ったわたし。

結婚を機にのしかかった、同居、二世帯住宅問題をどう乗り切ったのか2回にわたり話しました。

👂こちらもぜひお聴きください👂

【ゲストハウス開業ヒストリー番外編】
①夫は寿退社でした。20代ブラック企業勤め、結婚願望ゼロの私👇
https://stand.fm/episodes/6667c7b21f7e7370bb2a1707

②寿退社で無職多めな夫は好きなことをとことん突き詰める人👇
https://stand.fm/episodes/66686f41b408144a5060a116

父の愛人は20歳年下。浮気じゃないから隠さない束縛系恋愛体質の父の話👇
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こんにちは、東京でゲストハウスをやっているジュリーです。 今回は夫の親との関係について話したいと思います。
ゲストハウス開業ヒストリーの番外ということで、 夫がことぶき退社しましたっていう編と、無職多い編っていうことを話したんです。
その中で、夫の両親が典型的な過不調性で、男尊女卑で、 スーパースーパー過寒症だっていう話をしました。
どんな感じかというとですね、まずやりたいことは絶対に反対するんです。 子どもがやりたいことは絶対に反対する。
そして、子どもを他の子とめちゃめちゃ比べるわけです。 他人とめちゃくちゃ比べる。そして子どもを全く尊重しない。
尊重なんか絶対しないわけです。 夫は長男であって、妹さんがいるんですね。
長男である息子に、ご両親は何を期待していたかというと、一流大学に入って大企業に入って出世する、 結婚するっていうね、こういうことを期待していたんです。
それでね、夫は子どもの頃からですね、その親の期待とか、親が子どもを息子にやらせたいことに反発してというか、逆に自分のやりたいことをことぐとく潰されたりとか、
あと精神的にですね、ずっといじめられて育ってたんですね。 そういう育てられ方をしてきたわけですね。
なのでやりたいこと、自分のやりたいことがあったけれども、大学も別の選択で入った大学だったし、ということもあってですね、大学卒業した後は新卒で就職せずに自分のやりたいことをやろうとしました。
やりたいこともそんなにですね、若かったということもあってうまくいかずに、さらにですね、就職氷河期というのにも入っていたので、
入社する会社がですね、どれもブラック企業ばかりでした。 企業って言うほどの企業じゃなかったですね。ブラックな職場ばかりでした。
ただその実家、両親からの呪縛を放たれたいということで、
頑張ってですね、一人暮らしを始めたんですが、せっかく一人暮らしを始めたのですが、その働き方がね、
超超超ブラックだったので、ほとんどですね、会社に行って、部屋に戻ってきて、またすぐ会社に行くみたいな感じで、
どんどんどんどんですね、見る見るうちにボロボロになっていきました、生活がね。 今考えればですね、その一人暮らしした段階で、おそらく彼は私と結婚したかったんだと思うんですけれども、
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正直私はですね、実家が好きだったということもあったり、結婚というものに全く憧れがなくて、結婚制度に縛られるのも嫌だったりとか、
苗字が変わるのは嫌みたいな感じでね、そういうのを断言してたりして、そういうのもあって、彼は特にですね、その20代の時の彼というのは、
いろいろ自信がなかったわけですよね。お金もないし、自信もないし、だから結婚しようってことも多分言い出せなかったんだと思うんです。
ただですね、もう20代も後半になって、本当にですね、すり減っていって、不幸になっていく彼を見兼ねて、やっぱりね、やりたいことができる環境を整えようということで、
いろいろこの人にはリセットが必要だと思ったので、結婚してね、リセット一緒にしましょうと、これからは二人でやりたいことをやっていこうねということで、結婚をしたんです。
で、彼は晴れて会社を辞め、ことぶき退社して、無職ライフが始まったわけです。
で、もう二人でね、もうタッグを組んだわけですから、結婚を機に彼のご両親にはね、彼のことも私のこともね、本当のことなんかはね、ほとんどご両親には話すことをしませんでした。
本当のことを言ってもね、例えばそのことぶき退社してしまったとか、今は無職ですなんてことをね、言った日にはもうね、暴れまくっちゃうぐらいに怒っちゃうと思うんですよね。
要は理解できないわけですね。本当に自分らしく生きるみたいな感覚が理解されないので、まあだったらもう波風立てずに言わないっていう選択をして、私たちの中で自分たちが良ければいいという生活に入っていったわけです。
でもね、その表面的には入籍して結婚したわけですよね。だからそのご実家に行ったりするとね、
ご両親が、「ジュリーさん、ジュリーさんは結婚したのに、なんであなたまだ会社勤めしてるの?」ってね、言うんですよ。
そんなにうちの息子は会商がないのか?とか言っちゃうんですよね。会うたんびに言われてました。
いつ仕事は辞めるんだって、私はいつも言われてたんです。だからまあそういうのは適当にね、リアクションしてたんだと思うんですよね。
でもね、内心、「あんたの息子は無職なんだよ!」ってね、叫んでたんですよ。私が一人で稼いでるんですってね、内心は思っていました。
そういうふうに思ってしまう理由は、とにかく私の親と真逆なんですよ。
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夫のご両親が私の親と真逆で、まず父は家族を帰り見ない人でした。
仕事はね、真面目にやっていましたけれども。詳しくはね、私の配信の中で父の愛人編っていうのがございますので、そちらをね、ぜひ聞いていただきたいんですけれども。
両親はですね、自分たちで自営業でお仕事をやってたんですね。なのでとにかく忙しかったんですよ。
とにかくもうその仕事を回す回す回すで、おそらく時代も良かったんでしょうかね。お仕事はもうとにかくやってもやってもやってもあったんだと思います。
なので、自分たちで立ち上げた事業なのでね、忙しくやっていました。
それでね、だから子供心にね、本当に親が忙しすぎていて、全くね、構ってもらったっていう記憶がないんですよね。
それはね、例えば父親とキャッチボールしたとかね、なんか相撲を取ったとかね、かけっこしたとか、そういう記憶はあるんですけれども、
もっとね、その親が子供にこうする自然な働きかけと私は思っているんですけれども、あの語りかけがね、本当に一切ない家庭でした。
例えばね、そうだな、小学校に行ったりとかして、で昼間は父も母も働いてるんで、で夜帰ってきてねご飯とか食べるんですよね。一緒にそうすると、今日学校どうだったとかね、そんなことはね一度も聞かれたことないんです。
でもちろんね、勉強しなさいなんて言われたことも一切ない。あの余計な会話がないっていうのかなぁ。
なのでその物理的にね、その普段も平日はほとんど夕飯だけ一緒みたいな感じで、で土日もそうだな、父親とはもうほとんど会話がないし、母もすごく土日は土日で家の家事で忙しそうにしていたので余裕がなかったんですよね。
だからね、ずーっとね何かすごい寂しい感じをね、感覚をね寂しい感覚を抱いていました。
で私はですね、あの子供の頃、まあ今もですけれども体が小さくて、特に小学生の頃はね体が小さい上にね、なんかこう食べ物をうまく食べるとかそういうこともうまくできなくて、しかもあの喋ることも、まあ多分これもね親の語りかけが極端になかったからなんじゃないかと今思ってるんですけども、
なんかこう人と話すとか先生と話すとか、まして授業中になんか発言するとかね、そんなことはもう全然できなかったんですよね。
正直本当客観的にね自分はイケてないってずっと思ってました。なんかね頭の中と心と体がうまく噛み合ってない感覚がずっとあったんですよね。
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それでもですね、小学校高学年くらいからなんかお習字を夢中になってやって、ものすごいあの頑張って賞を取ったりとか、あと日本舞踊をすごいめちゃくちゃ頑張って評価されたりとかね、そういう努力もあって中学でですね開花したんですね。
中学校に入ったら、特に転校したんですけれども、転校した後に転校したからね同級生に負けたくないという気持ちもあって、がぜんですね転校生が来たって言ってねみんなね私に戦いをですねその勉強で挑んでくるんですよね。
なので私も本気になって勉強したね。そうした学年トップになって常にオール語だったんですね中学校の時は。
でその学期末に通知表、通信簿ってもらいますよね学校からオール語だったんですけども、そんなの取ってきたって親は全く見ません。スルー、ノールックです。
で全然見てくれないから見てっていうのも見てって言っても多分見てくれないからなんかもう寂しい思いをするの嫌だったからもう全然その親にそういうことは期待してなかったんですよね。
自分のことを見てほしいとかっていう期待をもしてなくてしょうがないから自分でね親が押す印鑑あるじゃないですかもう印鑑出してきて引き出しから出してきて自分でピッて押してもうこれで学校にまた戻すみたいなねそういう寂しいオール語を取る子供でした。
なのでそうですね高校でしょで高校出て留学でしょで大学でしょ 本当にね好き勝手に本人で育ったんです
そういう親のもとね育てられたということもあってね結婚して家族を作るとか あと父親のことを見ていたのでその男性っていうのは浮気するもんだっていうね
もう固定概念でね縛られちゃってたんで本当ね 家族を作るとか結婚とかね
花嫁とかねそういうのって本当全く興味もなくて憧れもなくて とにかく経済的に自立することだけを目指してやってました
学生の頃は でもねその大学の時に知り合ったなおさんとずっと長く付き合っていてね
この人は誠実でいい人だってことはわかっていたし彼をとにかくね 普通の環境で普通に伸び伸びとね
生きてほしいという気持ちがねもう20代の後半 私はそれをとにかく実現しなきゃいけないっていうね気持ちになってたんですよね
だからもうこの人と結婚すると結婚しなきゃダメだと思って 結婚することも決めたんですねで母親に言ったんです
お母さんと私結婚するんで新しく住むところをね今探してるんですと でうちにうちのファックスにその
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新しいね住まいのマドリルとかがね送られてくると思うから 捨てないでとっておいてね
こんな感じでね母親には結婚報告したんです もうめちゃめちゃ事務的ですよね
そしたらですねそれを聞いた母が
結婚って言うんですよ 結婚なにそれみたいな
もうねめちゃくちゃ困った顔してね嫌な表情してね どうするのよそれ
あんたがいなくなったら私たちどうするのよって 車運転する人がいなくなっちゃうじゃないって困るわよ
ってね母は言ったんです
私のね私の実家はですね東京都なんですが都下で最寄りの駅までね歩くと30分以上 橋も渡らなきゃいけないし30分以上かかるというような
大変不便なところにありまして8母とかね妹が用事のある時はね 私のまあ平日はね会社に行ってますから土日お休みでしょだから土日にね
8彼女たちの用事を済ますのに私が車を出してね 担当してたんですよね運転手担当だったんです
まあねそれはねわかったそれはねあったんですよね私がその音家を出たら 母もね妹も困るだろうなーって
なんでかって言ってね車運転できるのは父と私だけだったんですけども父親はね全く 家族をね帰り見てないし
ほとんど家にいないから運転手なんか絶対やってくれないわけです頼んだって絶対 やってくれない
だからねそれは私がになってたんですがもう私はね私であのね なおさんと結婚してリセットしなきゃいけなかったんでねこと武器代謝でなのでもうそれに
関してはねごめんなさいっていう感じだったんですよね そうしたらですね思いつめた母親はね
当時55歳だったんですよね だからほんと今の私とほとんど近いですよね
そしたらそこからね彼女はとか母は 自動車学校に通ってね自動車の運転免許を取ったんですよね
でね50代になってね あの女性で特にね母親は本当運動神経も悪くて
だからねずいぶん何ヶ月もねかかったんだと思うんですね時間もかかったしお金も かかったんじゃないのかな
でもねもう意地があってね彼女母はねものすごく芯の強いところがあってそういうところ すごいなぁと思うんですけれども
あの母は晴れて自動車の運転免許を取ってね 車を運転することができるようになりました
本当にねそれに関しては母親をリスペクトします
そんな感じだったのでねお金もないからあの結婚式もねやるつもりが全くなかったん ですが
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なおさんのねご両親が結婚式ぐらいやれってめちゃめちゃねあの教養してくるので 親のためってことでですね
結婚式はやったんです でね結婚した時にあの
夫側のね親戚一同がね 結婚式の時に私に会うとねまあ要は夫のことはみんな知ってるわけですよね
なおちゃんなおちゃんって感じででも私はお嫁さんであの よろしくお願いしますって感じじゃないですか
で私がねよろしくお願いしますニコニコニコニコってしてるとね 本当にいい方ですねーって言い方に会えてよかったねーみたいな
感じで祝福してくださるんですよ
これにはねほんと私はねまいっちゃったんですよね 何なのってあなたたち私の何を知ってるんですかみたいな感じで
いちいちいちいらついてましたはっきり言いましてはい なんかそういうですね
まあ 親とか親戚とか
あの 目に見えないけど明らかにそこにあるね結婚て幸せ
愛し合う若い2人が永遠の愛を誓うおめでたいみたいな そういうのがねもうほん
とにねー 苦手でした私はで
何なんだろうこのイラつきと思ってねほんとイライライライライライラしていて 私はねもうとにかくなおさんと一緒になってやりたいことをやるとそのために
席を入れただけなんだけれども このね
確実にね一緒になってついてくるね親 8兄弟親戚そういう後そのなんかよくわからない子
幸せですねみたいなその受け受け 私たちが幸せですって言ってないはずなんだけどもまあそういうふうに見えたんでしょう
ね 幸せだったのかもしれないけどそんなに幸せだったんだろうかという
まあとにかくマリーチブルーだったんだろうと今はそういうことで私の精神状態を 納得させております
とにかくですね結婚して新しい生活をするっていうのはなんだかんだと 外野がうるさいんだなぁって思っていました
そして夫なおさんのご両親は私たちにね 強く強く希望したことがありましたそれは孫子子供ですね
もう一つはに世帯住宅でした でに世帯住宅を結局はですね回避するんですけれども
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これはですねこれで相当あのなおさんと私がどうやって回避したのかっていう 話がこれ不動産にまつわる話なので
8続きはまた次回ちょっと長くなりますので次回にしたいと思います ここまでお聞きいただきありがとうございました
ではまた
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