フィンランド流の価値観
こんにちは、東京でゲストハウスをやっていますジュリーです。 前回、夫がことぶき退社した話をしました。その続きです。
夫のナオさんと私たちがどういう価値観でですね、生きているのかということで、やりたいことをやる、他の人と比べない、相手を尊重する家族でも同じ。
これがですね、先日私たちのゲストハウスに滞在していた夫婦と話していて、
フィンランドから来たご夫婦で、世界幸福度ランキング7連連続トップのフィンランド流、まさにそれと同じだったということに気づかされました。
フィンランドのね、そのご夫婦が同じことを言ってました。 たとえ家族だとしても相手を尊重すると、やりたいことをやるっていうね、
一人が自立した環境で生活しているのがフィンランドなんだよということを言ってくれて、私たちフィンランド流なんだってね、確認できたわけです。
それでもね、そのお付き合いして結婚した以来やってきてるはいるんですけどね、
初めからそんなにうまくいっていたわけじゃないんですよっていう話をしています。 振り返るとターニングポイントは
やっぱりその親から離れたことがね大きかったかなと思います。 私というよりはまあ夫は確実にそうだったと言えます。
自分たちがね自分たちでやりたい生活を始めたこと、ここがですね大きなターニングポイントでした。
夫の直さんのですねご両親、ご家族はね典型的な過不調性、男尊女卑、スーパースーパー過寒症でした。
もうねあの直さんのことが可愛くて可愛くてですね、愛情マックスで育てたんですよね。
愛あるゆえにやりたいことは絶対に反対する。絶対絶対反対する。他人と
めちゃくちゃ比べる。他人と比較する。 その相手、息子を尊重しない意見は絶対に否定すると。
何をですね期待していたかっていうことは まあ一流大学に入って大企業に入って修正する。結婚して孫が生まれる。
そして極めつけは二世帯住宅だったんです。 これが
親からの期待との対立
息子に貸した夢というか息子のミッションとしてご両親が設定していました。 彼はやりたいことがあったしねその親の期待に答えなかったわけです。
大学4年になったらね就職活動で同級生がみんなね リクルートスーツ着てみなりを整えていくわけですね。
しかし彼はどんどんどんどん髪が伸びちゃって今も長いんですけどね 大学4年生就活真っ只中長髪族になりました。
正直ね私は旗で見ていてこの人ねどうなっちゃうんだろうって見ていたわけです。
新卒で就職しなかったから20代半ば 氷河期ということもあり彼は入社する会社がことごとく超超超超ブラックだったんですね。
そして私の方はねお仕事は外資系の会社に勤めていて 彼が勤めていたようなブラックではありませんでした。
ただ私は結婚願望がない全くない 結婚願望ゼロ
実家が大好きで 苗字が変わるのがとにかく嫌って感じでした。
でもですねそのね大学の時から付き合っていた彼がボロボロになっていくわけです。
やっと家族とね離れて一人暮らしを始めたのにもうね えっとほとんど部屋にいなくて
部屋にタッチ&ゴーみたいなね 夜中帰ってきてそれでちょっと寝てもうすぐ会社に行くみたいな感じで
とにかく会社に使われていて疲弊しきっていたわけです。 心配っていうよりもですねもうこれはダメだと
もうねそんなブラックな会社はやめて リセットしてほしかった。リセットして健全なね
人間としての生活をしてほしかった。
なのでとにかくもう会社を辞めるっていうことが最優先になってましたね。 その時私たちの中では。で会社を辞めて結婚した。
ということでことぶき大社になったんです。 夫の尚さんはことぶき大社だから私が行ってきますって言って
彼が行ってらっしゃいとか言って家にいるんです。 その結婚を機にですねそれ以来夫の家族には彼もそうだし私のこともかな
仕事の話だったりどこに勤めているとかはね あんまりもう本当のことを伝えることはしなくなりました。
話してもね理解されないしもうそもそもですねその期待から外れちゃってるから何言ってもですね なーんかこう
ねえと火種になるというか 話にならないんですよね盛り上がらないし
私たちは結婚したことで2人で自立してもうねほんとカッコつけるわけではないんですが 誰からね理解されなくてもいいと私たち2人が2人っていう単位で
自分たちで納得していれば外部の人 例え家族でももう外部から何か言われる筋合いはありませんっていう感じだったんです
そうやってね始まった結婚生活なんですが早々に問題が起こります 結婚した時はですね私たちはの結婚式を全くやる気がなくて
前回も話したんですが私はとにかく結婚願望がなくて結婚に 対して憧れもなくてウェディングドレスとか全く興味がなくて自分も着るなんて
想像したこと一度もなかったんですよね でまず席を入れたんですよで一緒に暮らし始めたんですでも
結婚式の準備と問題
結婚式をなんでやらないんだと結婚式ぐらいやれっていうふうに 夫のご両親はものすごい圧をかけてきました
でもね腹をくくってね もうそんなにもう言うんだったらということで親のためと割り切って結婚式をやることに
したんです でね結婚式だからあの
呼ぶ人ってだいたいそのねえ 当時も今はちょっと違ってきてるんでしょうかね
当時90年代なんてまず結婚式の 出席メンバーっていうのは会社の常席
あと同僚そしてお友達プラス親戚っていうのがスタンダードだったんじゃないかなと思う ですね
でえっと夫なおさんはことぶき代謝しちゃってるから 会社の人を呼べないんですよ会社の呼ぶような会社に所属してないからね
で家族にも会社辞めたってことは言ってないから会社の人を呼べない なおさんが呼ばないんだったら私も合わせて呼ばないというか私もねもうそもそも
結婚式とかやりたいって思ってなかったから会社の人を呼ばないなんていうのは 例え結婚式やったとしても会社の人呼ばなくても全然何の問題もなかったわけ
です でまぁせっかくやるんならということでもう楽しもうっていうふうにね
考え方を変えたんですはいで8それでもね なんか親戚がやたら私も彼も多くて
親戚とあと友達だけで 一応80人ぐらいにはなってしまったんですよねもっとこじまりとやりたかったんですけどね
どうせなら楽しもうということになって当時一生懸命ね やっていたピアノを演奏するという話になり
ピアノを演奏するんだったらグランドピアノのある披露宴会場がいいということであんまり 当時なくてですね
結局目黒が上演で行ったんですよ で目黒が上演の式場ででピアノを習っていたピアノ先生にも来ていただいて演奏して
もらったりとかで私たちもね2人で連談 振動神父の演練談というのねやったわけです
もう今思うと受けるって感じでなんであんなことやっちゃったのっていうね 本当に
面白いとか楽しいというかおかしな過去です はい
で結婚式というのはですねまず初めに勤めている会社の常席がお祝いの言葉を言って でもう片方のね
なんか新老新婦の片方の方の今度会社の常席が乾杯の挨拶をするっていう段取りなんですよ 会社の人をね誰も呼んでいないからそれをおじさんに親戚のおじさんに頼んだんです
挨拶をね そうしたらねそのおじさんが
年マイクに向かって
新郎のなおくんは 昔からね勉強もできて
利口で 必ず将来出世するでしょう
こうね挨拶の言葉をねくださったんですよね
でねひな壇に並んでた真新郎新婦である私たちはね もうこのねご挨拶いただいちゃって
ほんとねー 笑ってしまいましたはい爆笑って感じで
出世しねーしねーだってやめちゃったもん会社ハッハーみたいな感じでね 2人でひな壇で本当に笑ってましたでもね誰もね会社辞めたなんて知らないし
こと武器代謝なんて知らないから それで8家に行ったなおさんがまずやっていたのはね
その20代の超超超ブラックな会社の一つが勤め先の一つがね 社老司事務所だったんですねこれはですねあの
あの結構老舗というかあの有名な事務所だったようで で彼はじゃあまずはその社老司の勉強してね
資格でもとったるかいいって感じで勉強を始めました で合格したんです
は合格おめでとうと思って私はねもう 社老司事務所でも何でもねいいから働くのかなぁと
家賃がね前回話したように15万8000円ですからなんとかね働いてほしかった でもね彼は社老司やりたい仕事では本当はなかったみたいなんですよね
それで彼が言い出したのは デジタルハリウッドっていうねスクールご存知でしょうかね今結構あの手広く
やってるんですがまだそのデジハリがスタートしたばっかりの頃で そのウェブデザインだったりとかそのウェブ関係のね
インターネットの仕事をやってみたいとやりだしたいって言い出したんです つきましてはそのデジハリの半年コースに通いたいと
言い始めたんですで学費を見たらですね 半年で70万かかるんですよね通いでで
なんかめちゃめちゃ高いじゃんと思ってそれで説明会やってたんで 私はね一緒にこうね保護者みたいにね一緒に行って説明会を受けてでまぁ彼は
やるってやりたいって言うからね 私お金出したんですよ先行投資
でそのスクールを減ってでその後縁でお仕事につきました ウェブ関係のお仕事について渋谷にある某放送協会の関連会社のお仕事をする
ようになりました この頃からですねまぁ30歳になった頃からまあねあの自分やりたいっていうことを
仕事について相当忙しくしてましたね でもやりたいことだったから彼はねどんどんどんどん開放されていきました
一時期ねとても大きなプロジェクトに関わっていて長期のプロジェクトでね相当頑張って ましたで一段落した時に少しのんびりしたらいいんじゃないとか言って
よしハワイだハワイだとか言って一人でハワイに旅行に行ったんです 私はねなんかその時会社休めなかったのかなかちょっとよく覚えてないんですけれども
とにかく彼は一人で1週間ぐらいだったかなハワイに行ってね 私が猫会社で仕事していると今いるかと泳いでますとか言ったりとか
あとスーツケース買って帰ろうと思いますどのサイズがいいですかとか言ってこうやって 社名を送ってくるんですよね
そういうのね見て私はとっても嬉しかったですねなんか 楽しそうだなぁと思ってね
でその海外旅行一人の海外旅行の時に多分 彼はねなおさんは英語でのその外国人とのコミュニケーションをするみたいなことをね
あのかなり意識づいたというかモチベーションを持ったんじゃないかと私は感じています なにせね毎晩ねその飲み歩いてね近くのなんかイタリアン行って飲んだりとかして
そのホテルの人にもねもうちょっと英語 喋れるように頑張れようみたいなこと言われたみたいだったんでね
陶芸の趣味
かわいい子には旅をさせろっていうことですよね本当 その後ですね彼は陶芸にはまったんです趣味のね
で土日はその陶芸教室に入り乱ってました はいでどんどんどんどんですねその創作意欲というんですかやっぱそういうのが好きなんです
よねこう打ち込んで作品を作るとか でえっと陶芸の作品をバンバンバンバン作ってですね
で小製品って言って釜でこう焼くんですよねでその 作った陶器の大きさに応じて小製品ってその
計算されるんですで彼はその教室 で作ったもの以外にその陶芸教室が開放されている時もですね
足しげく通ってもう自分の音創作意欲のまんまに どんどんどんどんボンボンボンボン作品を作るからそれを全部こうねあの
焼くわけですよねそしたらねものすごい金額になってて小製品がそれで陶芸 ねこんなにお金かかっちゃったとかって言って何かやってたんですよねで当時は
ちょっとずいぶん後になって私たちはの家計というかねあのお金を財布をちゃんとね 分けるようになるんですけども当時は全部ごっちゃになってたんですよねだから
小製品とか言ってなんかしないけどなんかそれ出したりしてなんかやったらね なんでそんな大きいものを焼くんだろうと思ったんですけど
どんどんどんどんね創作意欲のままにこう作ってたら彼はね なんか火鉢みたいな
そのねあの世田谷の家にはね置いてあったんですけども今ちょっと倉庫にねあの 格納してあるんですけども
リビングにボーンと大きい火鉢よねあの 焼いたやつを作ったりとかあとねでっかい花瓶をね作ったりとかね
まあ今でもねたくさん彼の作品のお皿をとかおチョコとか使ってねあの 楽しんでるんですけれども
それでねあのもう陶芸が好きすぎちゃってねなんかマシコの方の職業訓練の 陶芸の音学校に行きたいって言い出したんですよね
本当にやりたいんだったら行けばいいよって言った言ったんですよねでもさすがにね あの会社辞めてそこにはいかなかったですよね
あと世田谷の家を買った後もあの勤めていた会社を彼は辞めたことがあって無職時代 っていうのがあったんですね
で当時私はあの 3社目の会社が外資系の広告の会社でその時も人事の仕事をしていたんですけれども
あの夫が会社辞めましたって言って私の不要に入りますっていうのをね 自分の人事部のメンバーにあのその手続きお願いしたんですよね
なんかちょっとみんなざわついてましたよねご主人会社辞めたんですねてんてんてん みたいな感じで私は全く気になりませんでしたけどね
ゴルフへの情熱
で8その頃は無職時代はですねゴルフに一番熱中していまして あの朝ね私にお弁当を作ってくれて
で駅までね車で送ってくれてたんです歩ける距離なんですよでもついでとか言って 駅まで車で送ってその後その車でね
練習場に行って打ちっぱなしに行ってました メキメキねゴルフ上手になってましたよね
ということでね前回と今回はゲストハウス開業ヒストリーの番外編ということで あの私たちがねやりたいことはやろうと人と比べないと相手を尊重するってこれ
結婚した時に決めたことなんですっていう話で あの20代30代40代とね
ザーッとダイジェストみたいな感じでねあの話をしてみました お聞きくださりありがとうございました
フォローの方是非よろしくお願い致しますではまた