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福永ひとしの繊維の泉
皆さんこんにちは、平田淳天堂です。福永ひとしの繊維の泉、今週も始まりました。福永社長、よろしくお願いします。
では前回の続きとなります。社長の生い立ち、プロフィール、いろいろ教えていただいてですね
あまりに面白さにちょっと急遽、続編という形で話していただきますけども
まずはお生まれの時に体も弱かったというところから入り、小学生の時は一旦転入転校というのも経験されて、中学の時は事務配達のアルバイトもしてたというふうなところです。
さらに高校はもうよく合格してくれたなと先生が泣くぐらいの状況。高校1年になったんだけれども何かが違うと思われて、辞めた。高校辞めた。その辺りから社長お願いします。
辞めた後、北海道に行きましてね。牧場の住み込みで地元の定時制高校に転校させていただくことになりまして。
僕自身はここを辞めてきたのにまたここ行くんかいみたいなね。そんな状況だったんですけど。そこの親方が、いや行けと。いいかな。私のところはもうあかん。
社長のお父さんが言ったわけじゃなくて、住み込みをしたそこの親方がね。親方がそこにある境に行けみたいな。僕にしたらもう辞めてきたのにまた行くんかいみたいな状態だったんですけど。
かろうじてでもそこがね、結構面白い高校でね。定時制高校で季節定時制っていう定時制高校で農家ばっかりですんで。夏と秋の忙しいときは学校が週に1日とか2日とか3日とかという形で行くのは昼間行くという定時制なんですけど。
昼間は普通の高校生と同じ時間帯に学校に行くんですけど、行くのは週に数日数という。そういう季節定時制という高校でしたね。そこへ行かせていただいて。今度は住み込みで働いてますから、学校行くと学校が休日になるんですよ。仕事のね。
じゃあ割と労働環境で言ったらかなり激務の。激務ですよ。めっちゃ激務です。しかも当時の時代だったらね、もうそんな今ほど守られる。しかも主要人でしたから。本当ですか。もう鎖ついてるような感じで働けみたいな。それを既に経験された。
朝も早いですから。学校が唯一のオアシスというか。そうそうそうなんですよ。いい仲間もできたんですか。そうですね。そんな学生生活、高校生活でしたね。そんな高校の時に地元京都の修学旅行というイベントがあったらしくて。
修学旅行はね、北海道は当時、北海道の方々は結構東京京都っていうパターンが多くて。修学旅行の先が。東京行ってから京都に来てっていう形でしたね。京都駅に着きました。みんなバスに乗り込むんですけど、僕だけバスに乗らずにそのままどっかへ行くという。一応担任の許可を得て。許可得てですか。得てです。良かった良かった。先生ちょっと家帰っていいかなみたいな。
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良いそう。良いそうってめっちゃ優しい。もううちの担任、その時の担任とかもうお坊さんだったんですけど。えー。自主性を尊重するような。恐ろしく心の開き方でしたね。その代わりよう縛られましたわ。愛のあるムチが。
縛られると政府っていうね。ルールがあって。担任がもう縛られへんくらいになると定額になるっていう。そういうあれで。担任が縛られてくれる分においてはその指導が来ないっていうね。まだ可愛い子いたくらいだろうと。そういう生徒と先生の掛け引きがあるような時代だったんですよね。基本ルールがそれでしたね。俺が縛るうちにまでにしとけよって言われてました。
うーん。今では考えにくい。けど良い時代。良い時代。そんな思い出深い高校生活。まだまだ掘り下げられそうです。生徒手帳見ちゃったらタダで東京行きましたね。これは何ですか。
これはね、京都に帰ってきてね。家に帰ってきたら地元の友達とね。それなりにちょっと宴会になるもんですから。翌日新幹線何時の新幹線まで帰ってこいよって担任に言われてたんですけど。朝起きれなくてね。一生懸命走ってたんですけど新幹線乗れなくてね。
帰らないから、切符もないですからね。収穫旅行なんでね。収穫旅行って言ったら改札は通れて。一応学習受けてたんで。本来乗らないといけない電車はもう行ってしまってたんで。新幹線行ってしまってたんで。
次の新幹線にとりあえず乗って、とりあえず空いてるとこ座ってて、検察来て、それも生徒手帳見せて。収穫旅行乗り遅れてんって言ったら、そこ座っとけって言われて。
で、無事東京まで行きました。もう副担任が泣いてましたわ。
担任はね、帰ってきたかぐらいでしたね。すごい人ですわ、今から考えると。社長ももちろんすごいですけどね。そんな壮絶な。自分が大人になってね、あの担任の凄さにやっぱり思いますね。
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またじゃあぜひ探偵ナイトスコープで探してもらいましょう。またさらに次回に続く予定でお伝えさせていただきますので、社長ありがとうございました。ありがとうございました。
福永ひとしの繊維の泉
ラメ糸王子が今日こそ行く。
日々ラメ糸メーカーの営業マンとして飛び回っている、泉工業株式会社のラメ糸王子こと石川良太が、今週一番ホットな繊維情報をお届けするコーナーです。
はい、ではラメ糸王子石川君お願いしますというところなんですが、社長とラメ糸王子という関係は、組織の社長でもあり、営業の先輩でもあると思うんですよね。
業界3年目の営業マンとして先輩を教えてくださいというふうな悩みを、せっかくの機会なんで社長にぶつけてみていただいてもいいでしょうか。
はい、悩みといえばいっぱいあるんですけど、僕今の泉工業に入社して3年目になるんですけど、以前は不動産であったりとか野菜売ったりとかっていう、いろんな業界経験してきたんですけど、
その中でもこの繊維業界ってすごく専門的な用語とか、太さをいろんな言葉で表したりとかっていう、すごくマニアックな業界だなって日々思ってるんですけど、
やっぱりその知識をそれなりに持ってないと、いきなり例えば入って営業だし、外出て行ってこいっていう営業でもないので、そういったところでやっぱり3年目なんですけど、まだまだなかなかわからないこととかも日々出てきますし、
そういったこの業界に入られて、僕ぐらいの2、3年目の時の社長とかってどういう心境とか、どんな感じやったんかなっていうのをちょっと教えてほしいなって。
いいですね。
社長3年目はどうでしたでしょうか。
僕の3年目ですか。何してたやろね。
何してましたでしょうね。
東京からは帰ってこられて。
ド西人やな。
ド西人。
ド西人。
ド西人。
ド西人。
その当時、引き爆という商品のユニコーン業は、結構メインとして西人に対しては販売してましたんで、ある意味今の西川くんがやっている営業ほど広い範囲で売ってなくて、逆にド西人だけになって。
売ったらいいという営業スタイルでしたんで、参考にならんかな。
まずシンプルに完結する業務だったようなイメージなんですか。
御用機器の要素も非常に高かったんでね。西人の中を毎日ぐるぐる回って、何かお増したろかみたいな。
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そういう時代でしたね。
なるほど。
それで十分売り上げが確保できたりとか。
当時ヒット商品も引き爆の中のヒット商品もありましたから、逆に断る営業的な部分も実はあって、売れすぎてタランタランって毎日いつやねんって怒られることが電話で言うのが嫌な時期がありました。
そんな時もありましたね。
先輩後輩っていうのはそういう情報豪華もいるかなと思いますんで、泉工業がいい会社だなというふうに会話を見れました。
ありがとうございます。
では、泉工業からのお知らせございますか。
毎年10月に北陸で開催されている北陸ヤンフェアという展示会に今年も泉工業が出展します。
日程なんですけど、今年令和2年の10月21日水曜日午前10時から午後5時までと翌22日木曜日10時から午後4時までの2日間にわたって開催されています。
会場なんですけど、石川県の石川県産業展示館4号館で開催されていますので、ぜひ皆さんお越しください。
社長と石川君の知ってい合いも見られるわけですね、ブースに。
主に2人がいるんですよね。
そうですね、北陸は2人でおります。
状況によっては中止になる可能性もあるけれども、できるだけ無事に開催させていただいて、皆さんもお二人に会いに行ってください。
では、福永ひとしの繊維の泉、また次回お目見にかかりましょう。
ありがとうございました。
世界の人々に飾る楽しみをお届けする、泉工業株式会社福永ひとしの繊維の泉。
この番組は提供アトゾメラメイトメーカー 泉工業株式会社
プロデュース・製作 キラテン
ナビゲーター 潤天堂でお送りしました。