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メタ音声配信ラジオ、今日もよろしくお願いします。
この放送は、音声配信が好きで聞きまくっている僕、いわみが、
自分でも毎日配信をする中で、気づいたことや考えたこと、学んだことなんかをお話ししている番組です。
今日は9月1日の火曜日。いかがお過ごしでしょうか。
今日はちょっと涼しくて過ごしやすいですね。
今日話してみたいことはですね、朗読された言葉がなぜ響かないのか、みたいなことを話してみたいと思います。
これは逆の言い方をするとですね、
なんとなく気の向くままに話したことが、
時としては不思議なくらい心に刺さることがあるっていうですね、
なぜなのかみたいな、そういうことです。
ちょっとわかりづらいですかね。
結論を先に言ってみるんですけど、これは僕の仮説です。
その前にですね、別に僕は朗読をしている人とか、朗読された文章が悪いって言っているのではなくて、
同じ言葉というか、同じような例えば音声配信で、
どっちがですね、心に刺さりやすいというか、後々までよく覚えているような言葉っていうのは、
前々から考えられていた言葉よりも、その場で思いつきで出た言葉のほうが残る確率が高いんじゃないかと思っているっていう、
僕の前置きはいらなかったかもしれないですけど、その理由みたいなことです。
それで結論、僕の結論なんですが、それはですね、声に込められた情報量の違いなんじゃないかと、
今ではそういうふうな結論に至っています。
これはどういうことかというとですね、
喋る言葉っていろんな感情というか、物は読み取れると思うんですよね。
その日の体調とか、それはよく知っている声のほうが多分あると思う。
自分の馴染んだ声のほうがわかりやすいと思うんですけど、
とにかくですね、声にはいろんな感情がこもって、
声に感情がこもるときっていうのはどういうことかというと、
やっぱり喋り手の中でいろんなことをですね、考えたり感じたりしているものが、
割とそのまま声に出るんじゃないかって僕は思うんですよね。
それでなぜ朗読には感情がこもりにくいのか。
先に答え言っちゃいましたけど、朗読だと感情がこもりにくいっていうことですね。
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これは例外というか、
ナレーターとか俳優とか、そういう決まった言葉を何回喋っても同じように感情がこめられる人っていうのもいるんですけど、
これはですね、ある種のテクニックというか、別の力なんですね、これは。
今考えて喋っているように喋れるっていうのは、これはですね、トレーニングが必要だったと思うんですね。
これは僕に、僕の場合ということですけど、
同じことを喋るんだったら、前もって決まったことをただ読み上げるよりも、その場で考えて、
考えたことをそのまま喋っているときのほうが、声には感情とかいろんな情報が乗りやすいんですね。
結果それを聞いている人もそれに引き込まれやすいというか、何かしら考えさせられるところがあるっていうところですね。
たぶん僕らの感覚器官というか、耳とか皮膚とかいろんなものはですね、たぶん自分で思っている以上にいろんな情報をですね、
吸収して感じていると思うんですよね。
同じ音楽を聞くのでも、スマホのスピーカーから聞くのと、高いステレオの装置から聞くのだと、たぶん全然聞こえ方って違うと思うんですけど、
なんとなくですね、最近だと記号として、同じ音楽、同じ音源からかけられた曲だとですね、同じものって思っちゃうんですけど、
実は全然違うものなんだと。
例えば僕は好きで家にアナログのプレイヤーがあるんですけど、CDでも聞いたことのある音源をアナログで聞いてみるとですね、
これ聞いたことある人はわかると思うんですけど、全然違う曲に聞こえるんですよね。
昔のロックとか、僕はレッドセッペリンとか好きで、そのアナログを持っているんですけど、
それを聞いたときにですね、今まで聞いていたレッドセッペリンの3とは全然違う音楽に聞こえたことがあって、たぶんそういうことなのかなと思うんですよね。
もともとの記号としての音楽、例えば楽譜に落としたときはたぶん同じ音楽なんでしょうけど、
そこで再生される環境とか音の種類によって情報量が全然変わると。
結果、聞いている人にも呼び起こされる感情は量が桁違いに変わってきたりするっていう、そういうことなのかなと思いました。
だから前もって考えられた文章を読むのが悪いかというとですね、そんなことはなくてですね、
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これはもうちょっと話が変わってくるのかもしれませんけど、
僕は最初この音声配信を始めた頃はですね、フリートークなんて全くできないと思ったので、
割とちゃんとですね、台本ということではないにしても、割とちゃんとした文章を書いてからほぼそれを読み上げるような感じのですね、
多分最初50回ぐらい続けたんじゃないかなと思うんですけど、やっているうちにですね、
なんとなくだんだん遊びが出てきて、自分で考えたことをそのままできるようになったっていう。
つまりその台本を作るときに考えていることをそのままリアルタイムで喋るみたいですね。
そういうことができるようになってきたというのかなと思います。
だからですね、もし今から音声配信を始めてみたいと思っている人がいて、
いきなりフリートークをする自信がない人って、昔の僕のようにいると思うんですけど、
その場合はやっぱりですね、文章を書くことから、自分の考えを文章に落とした後から始めて、
それを朗読してみるという方法でも全然いいと思うんですよね。
そこから段階的にフリートークに変えていけばいいっていう。
僕はまさにそういう方法を取ったんですけど。
だからなんというか、一応自分の目指す方向としてナレーション的な能力を鍛えたいのか、
もしくはフリートークの考えながらそれをそのまま喋れる脳みそというか、感覚を鍛えたいのかっていう、
それは決めておいた方がいいと思いますけど。
でもそれは完全に別々の能力ではなくて、ある程度繋がっているというか、
どちらかがもう片方を引き上げるみたいな効果もあると思うんですよね。
つまり、文章を、考えたことを文章に直して、それを読むということをずっとやっていくと、
だんだん考えたことをそのまま喋れるようになるっていうのがあって、
それでこうやってフリートークをずっとやっていると、
そこで鍛えられたものが今度は文章に自分で考えたことをテキストに落とすときにも役立つというか、
そういう能力も鍛えられると、相互関係みたいなというのがあるのかなと思いました。
特に結論というのはない話なんですけど、まとめてみますと、
声には本人が気づかないような感情とか、その日の体調とか、いろんな情報量が含まれていて、
聞き手はそれを敏感に感じて、それによって面白いと思ったり、つまらないと思ったりというのを、
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そこはテキスト的なコンテンツだけじゃなくて、音声の場合はもっと細かいノイズみたいなものとか、
外の音とかそういうのも含まれてくると。
外の音というのは今初めて言ったことですけど、テキスト以外の音声としての情報というのはものすごい多いということですね。
フリートークがなぜ、時として相手の感情を朗読している文章より揺さぶるのかというと、
そこに微妙な感情の揺れとか、考えながら喋っていることによって、
それが自然と相手に伝わって、相手に共感を呼び起こすんじゃないかと思ったという、そんな話でした。
今日はこれで終わりにしたいと思います。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
それでは、さようなら。
また明日。
良い一日をお過ごしください。