フォークナーとその作品について
はい、ということで、ギタラジ第2回をやっていきたいと思います。
第2回は、アメリカの作家、ウィリアム・フォークナーの
響きと怒りについて語っていきたいと思います。
ウィリアム・フォークナーという方はご存知でしょうかね。
この方はアメリカ南部に住まれて、ヨーロッパなどに行った後、
アメリカ南部で舞台にした、ヨクナ・パトファ・サーガという作品を書いたということで有名な、
公明なノベル賞も受賞したような作家、文学賞も受賞したような作家の方なんですけれども、
この方は非常に、
あ、この今回ね、最近その響きと怒りを初めて読んで、このフォークナーの方ね、
非常に感銘を受けたので、ちょっと語ってみたいなと思っているんですけれども、
このフォークナーは非常に土着的な要素、土地に根付いたね、
大地に根付いた要素と、もちろん他から来た、アメリカですから他から移住してきたっていう要素も入っているし、
あとはその、もちろん奴隷として来られた黒人の人々の話もありますし、
あとね、その前衛的な要素ですね、土着と前衛、前衛的な、当時前衛で今は古いっていう言い方もするかもしれないけれども、
それでも今読んでもやっぱりなんか複雑怪奇な文章が展開されているんですけれども、
このやっぱり前衛性、意識の流れっていう技法を進化させていったっていう面もあるらしいですし、
非常に刑事上学的な時間とか記憶とか、時間記憶、あとは神話的な宗教的なものも入っていますし、
そういう刑事上学的なものが非常に巧みに織り込まれていて、
本当に技術的なものをマッシブにかなり極めていった作家なのかなという感じがこの限りがします。
あともうその次に、その先にアブサロム・アブサロムという小説もこれが代表作らしいです。
これもうちょっと時間かかるかもしれませんけど読んでみて、
響きと怒りも結構時間かかったので、すごく面白かったので一気に読んだところもあるんですけど、
どういう響きと怒りが構造しているかということもご紹介していけたらなと思いますね。
『響きと怒り』の構造と内容
響きと怒りというのは、まず南部のヨクマハトウハサシというところのジェファーソンというところの一家の話なんですけど、
その一家を語っていく視点が特殊でして、実は4部に分かれているんですよね、この小説は。
まあ、クロクもつけて5部って言い方もできるんですけど、クロクがついてるんですよ最後に。
これはあるんですけども。
第1章がですね、今で知的障害的な白痴と言われるような、昔は言われたような方、
4人兄弟がいるんですけども、長男、長女、次男、三男というかね、
三男の方が知的障害の方で、その方がその人の視点からベンジャミンの視点から見た世界なんですね、視点なんですよ。
これがまたなかなか一番大変なかもしれない読み物というくらい、なかなかお得のものですね。
これは読んでみていただけると面白いと思うんですけど、ぜひね。
これ1章だけでもね、1部だけでもね。
第2部がですね、第2部がクエンティンという長男ですね、長男の視点から言い分かるんですけど、長男はね、
これはなぜかというのは伏せておきますけど、10年以上前に、1部から10年以上前の長男のエピソードを語られるんですね。
この人はね、かなり理智的な人で、でもちょっと悩みとかもあって、精神が、意識が混濁しているようなところもあって、非常に悩ましい問題になっています。
これは楽しめると思います。すごく特殊な問題です。
第3部がですね、ジェイソンかな、ジェイソン。ジェイソンは次男ですね。
次男、ジェイソンの非常に、この人は現実派なんですよ結構。
いわゆるお金に厳しくて、非常にね、何かの仕事もやってるんですね。
一家のこともね、気に盛りしてるんですけど、わけあって、ジェイソンが、これ現代に戻ってるんですよ。
1部と同じ年代に戻ってるんですよ。
ジェイソンの語りとキャラクター描写
この第3部でジェイソンが、自分のね、ちょっと露悪的というか、露悪的でもないんですけどね、意識が全部表に出ちゃってるわけだから語りですからね。
露悪的ではないけど、ちょっとね、今ではちょっとコンプライアンス的にどうなの?っていう感じで、コンプライアンスというのは古典ですから、ちょっとあれなんですけど、
この人、その時代にはこういう考え方をしていたのかな、みたいな考え方を比例したりしてます。
で、この3部のね、ジェイソンの語りも結構クセになります。
結構ね、哀愁とか孤独感もあってね、悪いやつだけじゃないかもしれないけど、やっぱり結構強烈なキャラクターですね、ジェイソン。
ここもなかなか、第4部がですね、三人称です。つまり神の視点と言われるような、神の視点というかね、
ジェイソンはこういった、クエンティはこういった、ペヤミはこういった、みたいな感じで言っていくっていう。
そういうことで、これはもうね、まどまり、その話、この結末のようなね、劇的なクライマックスみたいなことをやっぱりある種表現しています。
非常にね、でも多くを語らせない。これはもうね、1部から4部まで共通するんですけど、多くを語らせないというか、なんか詳しく説明しないんですね、ある部分って。
次の、別のところで説明してるとか、それが前後してるから、非常にね、前後左右上下何たらみたいな感じになってますから、混沌とした世界観で。
すっきりまとめるって書くよりも、そうやって、ケースバイケースで書いていく方が、非常に生々しいんですね。
だから、非常に技巧を尽くしてるんだけど、非常に現実感、生々しさもある。実感、実感があるっていうね。
非常に荒々しく、また恐ろしく、礼儀なペンで書かれた文学ではないかと感じておりますけど、
読んだことある皆さんどうでしょうか。いや、そうじゃないとか言う方もいれば、そうだって言う方もいらっしゃると思うんですけど、読んだことない方もね、読んでみたいとかね、いや、いいやとかね、いろいろいらっしゃると思うんですけど。
皆さん、興味があればね、ぜひ読んでみてください。読んでみたり採読してみたりしてください。私もいつか採読します。
まずはアブサロム、アブサロムを近々読んでみようと思います。では皆さん、ごきげんよう。
ごきげんよう。