人生を更新するインタビューマガジンLIFE UPDATE。今回のゲストは、ロンドンを拠点にジュエリーブランドラストを運営しつつ、アムステルダムでドキュメンタリー制作会社を立ち上げた宇都美奈央さん。
前編となる今回は、18歳で単身投影し、独学でジュエリーデザインを学んだ日々から、ラスト設立の背景、そしてその後の活動を深掘りします。
ロンドン、ワイト島、エジンバラ、アムステルダム、タンザニア、東京、宮城、そして南伊豆といった拠点を移動しながら、どのように想像的に生きる人生を築いてきたのか。
彼の原点と多拠点生活の真髄に迫ります。
キーワードは浮遊。
はい、改めて皆さんこんばんは。プロインタビュアーの早川洋平です。
はい、ということで改めまして、今日のゲストはですね、ジュエリーデザイナーでドキュメンタリー作家の宇都美奈央さんです。
奈央さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。こんばんは。
こんばんは。さあ今、こんばんはと言っていただきましたが、奈央さん今はどちらにいらっしゃるんでしょうか。
今日はロンドンで、今朝10時ですね。
じゃあおはようございますですね。
はい、おはようございます。
よろしくお願いします。
奈央さん、なんか僕のイメージだと朝早いイメージありますけど、どんなですか。
そうですね、大体6時には起きてですんで、そんなに取り立てて早いかどうかはというところですね。
6時です。
なるほど。夜、奈央さんの夜ちょっと読めないですね。早い日もあれば、なんか結構深夜まで起きてそうなイメージはどうなんですか。
そうですね、基本的には夜は動画の編集をすることが多いので、それで気分が乗れば結構11時、12時とかまでやってますし、
あとはどうしてもやっぱり乗らないときはもう10時とか9時とか、もしかしたら8時とかには切り上げますし、
あとやっぱり子供といると大体9時とか9時半とかに就寝することが多いかもしれないですね。
ということでですね、僕はなぜこんな奈央さんと親しげに聞いてるかというとね、本当に最初に出会ったのが2012ですから、
もう13年ぐらい近くお付き合いさせていただいてて、本当にね、これまで何度も友人としても最近は付き合わせていただいて、
インタビューも多分3回4回させてもらって、前回ね、2020年にイギリスのワイト島に直接伺ってお話しを伺って以来なんで、
インタビューとしてはね、4年ぶりなんですけども、最初に宇都美奈央さんのプロフィール、YouTubeにも上がってるものなんですが、ご紹介したいと思います。
宇都美奈央さん、1980年生まれ宮城県出身。1998年国立高専を18歳で駐隊し、都営。
俗学でジュエリーを制作し、2002年にロンドンでラストを設立。
イギリス在住26年。ロンドンと東京でラストを経営する傍ら、2022年にアムステルダムでドキュメンタリーの制作会社アーランドを設立。
現在は工房のあるロンドン、子供のいるワイト島、映像制作のアムステルダムに加え、タンザニア、東京、宮城、ミナミーズに拠点を持ち、移動しながらジュエリーブランドの運営とドキュメンタリーの撮影編集を手がける。
制作中のドキュメンタリー、タイドでいいんですかね?
そうですね。仮にお題なんですけど、潮の流れという意味でタイドです。
タイドは、2025年春にロンドンと東京、そして横浜で公開予定ということなんですが、改めてですけども、このプロフィールだけでも伺いたいことがたくさんある感じなんですけども、
今日はロンドンからということなんですけども、実はせっかくなんで裏話というか、先ほどもお子さんのいるワイト島という話もあって、
今日のライブ本当はワイト島の方から中継してやりたかったんですけど、しかもワイト島の船からということだったんですけど、
これなぜ船からだったのか、そしてなぜ今回ワイト島ではなくロンドンになってしまったのか、ちょっと教えてもらえると嬉しいんですけど。
そうですね。船は家を売った時に、また次の家を買うっていう選択肢が僕にはなかったので、
習慣なんでしょうか、陸と空の、そういう意味で船を買ってそこで暮らすことにしたのが始まり、それが2020年ですね。
もう4年ぐらいワイト島の拠点は船を使ってるんですけれども、そこから今回ライブのお話をさせてもらえればと思ったんですが、
なにせイギリスの冬はやはり暗くて寒くて雨が多いので、
結構イメージ通りですね。
そうですね。ワイト島はイギリスの中で一番日光量が多いエリアであるんですけども、
そうなんですね。
やっぱり風が強いんですね。
今日はイギリス全体が嵐に見舞われてるんですけども、そうなると大体2,3割増しでワイト島の風っていうのは強くなるので、
それでフェリーが止まってしまうのを見越して先にちょっと脱出してロンドンに来て、今配信させてもらってるっていう。
なるほど。ありがとうございます。
今の船っていう話からいきなりいかにですね、もし初めて直さんのこのインタビューをご覧になる方がいたら、
これもう付き合い長いんでちょっともう、すいません今日失礼な言葉もあるかもしれません。
この穏やかな感じの直さんなんですけど、結構生き方はいい意味ですけども、
なんていうのちょっとエクスクルシブというかちょっとぶっ飛んでるようないい意味でところがあるので、
さっきの船っていうところも含めていろいろ多分今日の話で出てくると思うんですけども、
先ほど船もちょうど4年っていうことで、先ほど僕も話した前回のインタビューから4年っていうことで、
実は振り返ったら2020年の2月なんですね、ワイト投入からあったのが。
実はあのちょうど帰りにコロナがですね、勃発してというか、本当に世界も大きく変わりましたし、
直さんの話聞いててもやっぱり2020年あたりから直さん自身も大きくね、常に変わる中で変化があったのかなと思うんですけど、
その中でやっぱり今プロフィール拝見してたりお話かかってても、やっぱり前回から4年大きな変化2つあると思うんですよね。
1つがやっぱりね、多拠点生活って言っていいんですかね、先ほどお話し伺った部分。
そしてあれ、肩書きドキュメンタリー作家っていうのも入ってるっていう風に、やっぱりこの大きな2つがやっぱり客観的に見て変化だと思うんですけども、
それぞれについてちょっと伺っていきたいんですけど、ずばりまず1つ目から、
やっぱり今までも直さんって言うと、最初出会わせていただいた時からロンドン、日本もあってもちろんワイト島もあって、海外もいろいろ回られてるイメージありましたけど、
でもさらに増してるじゃないですか、先ほどのロンドン、ワイト島、アムステルダム、タンザニア、東京、宮城、ミナミーズ、エジンバルとかも行かれてたりすると思うんですけど、
なぜ、東京、ロンドン、ワイト島ってちょっと記事からわかるんですけど、ここにアムステルダム、タンザニア、宮城、ミナミーズが加わったのかっていうの、この辺教えてもらえますかね。
そうですね、本当におっしゃる通り2020年2月、あそこからコロナがあって、なんですけど、今思うともうコロナとかは本当に変化という意味ではそこまで大きなものではなかったなっていう印象。
もうすでに動いて変わっていたので、そこでコロナで変わろうが、そこまで大きな変化の波に乗ってる以上はそこまで大きな違いはなかったなってぐらいの違いは出てたかなと思います。
結論から担当職人に言うと、2月にインタビューしていただいてから離婚しまして、そこが大きなターニングポイントだったのは大きな事実というか。
奥様イギリスの方ですね、ワイト島のね。
で、あの時2020年2月、おそらく強いて言えば、たぶん僕たちが思い描いてた中での幸せという意味ではもうほぼ絶頂だったところだと思うんですね。
イギリスだと、例えばパラマンとかフェラーリ乗りとか、そういう高級なわかりやすい成功っていうのはあんまりなくって、
本当の成功っていうのは、例えば田舎に2月の田舎暮らし、カントリーライフがあって、ロンドンにアパートとかビジネスがあって、
例えばキャンプに家族で出かけたりとか、車で言ってもそういう明るさまな高級車じゃなくてクラッシュブックカーを持ってるとか、
そういう周りでテイラーでしたりとか、オーナーとかですごく成功した人とかが、2,3軒隣にセカンドホームを持ってたんですね。
ワイト島の僕たちの家の2軒隣が、サビルローで一番古い老舗のテイラーの、
有名ですよね。
4代目の方で、彼らはワイト島にセカンドホームを持っていて、ビジネスはサビルローでやっていて、
ほぼ毎週2週間におきぐらいにワイト島に家族で遊びに来て、クラッシュブックカーを運転してっていう、
それが何て言うんでしょう、わかりにくいんですけど、明らかではないんですけども、一つの成功像みたいなのが。
象徴みたいなね。
そうですね。田舎、カントリーライフにセカンドハウスがあって、ロンドンにビジネスがあって、クラッシュブックカーを運転するみたいな、
そんなのはやっぱりあって、多分そういうカテゴリーの中では、僕たちにとってはそこが幸せの絶頂だったと思うんですね。
ロンドンでラストの工房があって、東京にも直営店があって、ワイト島にも直営店をオープンして、
クラッシュブックカーが3台、キャンパーバンとか持って、家族も2人いて、学校もすぐ歩いているところにあってとか、
そういった自分たちで思い描く幸せという中では、きっとおそらくそこが大きな絶頂だったのかなと思います。
そこから、やっぱりクリエイティビティっていうのはまた結構ちょっと難しい、なんて言うんでしょうね。
クリエイティブであるって、結構それと同じくらい欠落した部分もあると思うんですよね。
人としての総合力というのはそんな変わらないと思うんで、こっちが高ければどっかが下がるっていう感じだと思うんですね。
クリエイティビティが高いっていうのは絶対どっかで欠落する部分があって、それを補うために、
例えば過去の負の経験とかいろんなトラウマだったりとかを添加してクリエイティビティにするっていう人とかって結構多いと思うんですよね。
そういった意味ではやはり僕の元妻とか育った環境とかいろんな要素があって、それを全てクリエイティビティに置き換えてっていうタイプで、
僕ももちろんそういうところがあるので、やはり一筋縄にはいかないというか部分がやっぱりあったので、
やっぱり常にクリエイティビティにフォーカスして、今回お店オープンした、じゃあ今回はキャラバンを買って改装しよう、
じゃあ次はリビングルームをこんな感じに全部変えようとか、
常にクレイとする何かを目の先に置いて移っていくっていうやり方で結構やってきたところがあるので、
実際そういう子育てがやはり2人目も生まれてとかで、相当脳の容量を子供に持っていかれた状態で全て運営するってやっぱりどうしても歪みが出てくるというのが、
そうですね。もう無意識の中にある部分だと思うので、何を選ぶにしても結局そのクリエイティブな環境を作るっていうのがもう無意識の中に働いているので、
例えば、そこから意識的にこうして環境を整えようっていうよりは、選択するすべてがクリエイティブでいられる環境をクリエイトするっていうのが入っているところがあると思うんで。
そこででも実際、やっぱり今離婚されてお子さんと、当然離婚前僕も伺いましたけど、ワイト等で、もちろんロンドンとかいろいろ飛び回っていらっしゃいながらもご家族で住んでたわけじゃないですか。
で、その中で新たな生活に入って、かなり今みたいな形を描いて、ある意味ソロというかね、またこうある種の独立したのか、どういう感じの流れでこの流れに至ったんだろうと思って。
結構その辺は直感的にね、また新たなパートナーシップの形というか今みたいになって、そこから流れるようにこのアムステルダム、タンザニア、宮城、南水で出てきたのか、どんな感じなんですかね。
そうですね、ちょっと抽象的な例になっちゃうんですけど、具体的に言うと、そこからまず家を売る持ち物をどうするとか、そこからコロナもあって、東京店の直営店を閉めて、で、ワイト等の直営店を閉めて、その中で今度子供の学校すぐ家のそばにあったんですけど、それもう廃校になるとかなって。
それはコロナで。
それとは全く別だったんですけれども、なんかもう本当家もなくなる、車も手放す、直営店も東京も閉めて、ワイト等も閉めて、学校まだもう廃校になって、で、まあそういう家族生活もなくなってっていう、破綻してっていう部分で、もうそうなると本当に種の流れじゃないですけども、もう自分にはどうすることもできないんですよね。
どんなにあがこうともその種の流れには絶対逆らえないっていう状況だったので、そう思った時に今まではすごくいい流れの種の中にいたんだなと、なんかもう本当に種の流れさえ良ければ、別に船の送船技術なんかなくてももう自然に何もしなくてもそこにたどり着けるっていう種の流れがあって、
で、それが逆回しになった時にはもう本当に一つ一つ全部こう奪われていくみたいな感じで、もうそれはもう何もできないんだなって思った時に、もうそこに逆らうのはやめようって思えたのが2020年だったんだと思いますね。
本当にあの2月僕が伺ったときはなおさんね、もう一時乱れのこの冷静な感じでしたけど、あの時ももうその最中に入ってたんでしょうし、インタビューかつライブでね、ここまで結構セキュララに話していただいてありがたいんですけど、なんか率直に伺うと、その時は流石にというか、なおさんもやっぱり結構、
どっかで常に僕はたっかんしてるイメージがあるんですよ。自分を一個俯瞰してメタ認知してるみたいなイメージがあるんですけど、その時はもう結構ちょっと愚問ですけど、本当にもうめちゃくちゃしんどかったんですかね率直に。
やっぱりなおさんがどんな状況でもね、乱れたり落ちたり苦しむってイメージがないんですよね。だからでも今の話聞いてるとさすがにどうだったんだろうっていう。
自分にそういう時間は毎日作って整理する時間は毎日作ってます。朝そうですね1時間下手すると2時間3時間とか、モルスキーのノートにすべてこう書いて、頭の中を一旦整理する時間毎日作っているのと、
その時初めて本当に使われたなと思うのは、毎週1回1時間、カンセラーの人と話すっていうのをもうここ5年以上ずっと毎週続けてるんですよ。その方はワイト島に住んでるイギリス人なんですけど、マンチェスター出身でワイト島に住み家を見つけて、そういうカンセラーなんですけども、
僕がどこにいても電話なり、絶対毎週1回1時間話すっていうのはもうこの5年ずっと続けてるので、そうやって一旦整理整頓するっていうのが、口に出すとか文章に書くとかっていうのが僕にとってのツールになってますね。
その中で、
そうか、アムステルダム、タンザニア、ミヤギ、ミナミズっていうのは自然な流れだったんですか?
そうですね。やっぱり、物を今まで、家、イギリスの家なんで、1900年代で100何十年経った家、1890年代に建てられた家なんで、130年くらい経った家なんですけど、そこを手放すにあたって、開けてみたらアンティークの家具とかがものすごい量出てきたんですね。
考えてみれば、ロンドンに家族でみんなで行くときっていうのは絶対アンティークマーケットに行ってたんですよ。帰ってくると絶対満載で帰ってくるんです、アンティーク家具。
で、腹で帰ってくるとか絶対なかったんで、今でいうとアマゾンとかなんかそういうすぐ買おうと思えば、ワイトトーンのそういう駅地とかでもすぐ欲しいものが手に入る時代だったじゃないですか。
なんで、もうその家の中の物の量がとにかくすごかったんですね。先ほども言ったように、今回今クリエイティブなプロジェクトがリビングルームだったり台所だったりバスルームだったり、キャンパーバン、キャラバン、お店みたいな感じで常に進んできたんで、片付ける、それを整理するっていうマインドがあまりなかったんですね。
常に進み続けるのみみたいな感じだったんで、家の庭にちっちゃな物置小屋みたいなのが1、2、3、4個。その他に車を置いてるガレージとかで、もうそれらがもう本当に床から天井までアンティークの家具とかがもう詰まった状態だったんですね。
それなりに1個1個思い出があるもの、それをしばらく使ったらまたアンティークで次のプロジェクトに進むっていうやり方だったんで、それなりに1個1個に思い出はあるんですけども、それらを全部売りに出すっていう作業だったんですね。
結論から言うと9割、所有品の9割はもう全部売って、もう本当に時間抜きで9割以上手放したと思います。その手放した時は本当に寂しかったですね。けど、全部手放した後の持ち良さっていうのはそれを上回る。
手放したからこそしかね、味わえないものですね。絶対。説明しても多分僕は数パーセントもわかんないかもしれない。
家もそうです。家がやっぱり一番そういう暖炉とかもあって、子供も2人そこで育ててたので、やっぱり一番最後の夜に暖炉で火をくべてもこれで最後なんだなって思ったのはすごくなんか寂しい思い出はすごいあるんですけども、
今そういうのを全部包んでみると、昔は夢だった大きな家とか広い庭っていうのが、僕にとっては今はもうふむとまでは行かないですけども、自分をそこに留めさせるっていうんですか、家の掃除しなくちゃいけないとか庭の芝の手入れをしなくちゃいけないとか、
そういうのが今はもう全部クリエイティブなことに使えるから、そういう意味ではもう本当に自分の中ではすごく落ち着いてるというか、それもプロセスを経て、その流れで家も売って商品も9割手放して、じゃあ次移動するってなった時に、
僕はまた、その元妻は家が幸いにも値段が随分上がってたので、それで出た利益を2人で折半してある程度まとまったお金があったので、彼女は次のアパートとか家を買って、で、ワイトトーに住みっていう形をとって、
そうですね、本当にきっかけというのが全てなんだなと思うことが多いですけれども、そこでアムステルダムで何の会社として登録するっていうところになって、まあダトに行けばやっぱりジュエリーをヨーロッパで売るっていう話になるんですけれど、
その流れとしては、やはりワイト島でそういう家を買うとか、戻るっていう選択肢があんまり僕の中にはなかったんです。もう一回再現して、どうなるのかな。僕結構目送りして物事を見てしまう癖があるんですけれども、そういうまた過去の幸せを再現して、果たして同じ幸せを感じれるんだろうかっていう早回りを目送りをしてしまって、
その時に多分同じことを繰り返しても逆に虚しさの方が大きいような気がして、これはすごく大きな機会なので、もう過去の繰り返しじゃなくて次へ進もうっていうマインドにもなってたんですね。
で、そうなった時に何が僕にできるんだろうって思った時に、そのジュエリーを作る以外に、この流動の中で常に絶対手放せなかったものっていうのがやっぱカメラなんですよね。
さすがに何十万枚っていう写真とか動画とかずっと撮ってたんで、今カメラの性能とかってすごいじゃないですか。なのでもう結構それなりの絵が上がってくるわけじゃないですか。そういうそれなりのところに行ってそれなりのカメラでそれなりのシーンを撮るとそれなりの写真が上がってくるんで、
もうそこに結構引き寄せられてしまって、僕に何ができるのかって言ったら、そういうカメラで何かをするっていうところなんだなっていうのがその時点ではもんやりと思ってたこと。
なのでオランダのアムセルダムの会社はジュエリーと映像制作って2つを登録したっていうところで。
そこで冒頭で出てきたドキュメンタリー制作会社のアーランド、そしてこのもう一つの質問、なぜドキュメンタリー作家にいてもこれは繋がりそうですね。
そうですね、本当にこの流浪の中でそうやってちょっとずつそういうのが見つかってきてっていう感じで。
で、アーランドっていうのは僕が好きなスコットランドのミュージシャンがいて、なんか個人的にもよく会わせてもらったりとかするようになったんですけど、
オークニー諸島ってスコットランドのまた本当に北の島があるんですけど、そこからそこの出身の人で、名前がツールが違うんですけどアーランドっていう名前なんですね。
アーランドクーパーって言うんですけど、彼の音楽がもう僕はどこに行くにも彼の音楽が常にこう。
ナオさんから教えてもらっていつも聞いてますよ、Apple Music。
ありがとうございます。
そういうスコットランドの片田川行ったりとか、もう車レンタカーで行くときもずっと彼の音楽が流れてて、
もう本当にこんななんかミュージシャン、音楽を作れる人がいるんだなっていうくらい好きで。
彼の名前アーランドで、ERランド、アーランドって結構変わった名前なんですけど、何の意味があるんだろうと調べたら、
昔のゲリックっていうんですか、ケルトーとかの時代にアーランドっていうのは男の名前なんですけども、
意味としては異邦人というか、他人とか外国人とか、なんかそういう外から来た、外国人っていう語源があったというところで、
僕自身ここでは外国人、日本に帰ってもなんか日本人ともなかなか言えないし、
なんか一旦そのアイデンティティというところで、僕は何なんだろう、何人なんだろうとか、なんかそういうところを考えてた時があって、
これも早送りの世界になっちゃうんですけど、もしかしてなんかそういう自分たちとか彼らとか、
日本人がイギリス人が彼らが外国人か、そういう概念じゃなくて、もしかして存在する人すべてが外国人だったらどうなんだろうって思ったんですよね。
例えば今そういう、ずっと後の話なんですけど、そういうタンザリアとかエコビレッジとかちっちゃなコミュニティがあって、
一人では全部をこなすことが難しいので、お互いが助け合って食物を確保したり、水を確保したり、魚を捕りに行ったりとかって、
そういうのは自分一人では絶対できないんで、それをするには助け合うしかない。
そこに助け合うのも僕と日本人もそうだし、イギリス人でもそうですし、例えばタンザリア人とか、
みんながミックスして過ごす場所なんで、基本みんな外国人なんですよね。
で、そういったコミュニティの概念がいいなって思って、僕たち、あなたたちじゃなくて、みんな僕たち外国人じゃんっていう概念があったら、また違う世界が見えてくるんじゃないかなという。
で、そうなった時に、オランダ語って結構AAって続きが多かったりするんですよね。
ストラートとかセントラールとか、なんかAA、セントラルじゃなくてセントラールっていう感じで、AAがこう続いたりとかするんで、
なんかオランダに作る会社だし、なんかそういうオランダっぽい続きのAAに変えてもいいかなっていう感じで、
アーランド、意味はそういうみんなが外国人っていう意味なんですけれども、異国人。
で、その会社名にアーランドっていうのをつけたっていうか、2002年とかですね。
なるほどね、そうか。ここでちょっとお話中座しちゃいますけど、視聴者の方から質問をいただいています。
先ほど時間の使い方や音楽の話がありましたが、クリエイティブな環境をクリエイトするためにされていることで、他にどのようなことがありますか。
場所、空間、インテリア、照明、音楽、香りなどの物的環境、本、映画、音楽の習慣などうつみさんが意識されている具体的なことをさらに教えていただきたいですと。
そうですね、朝起きて、たまにっていうか結構よく、なんか今日僕はどこにいるんだっけって思って起きることが多いと思うんですね。
アムステルダム、いや地下だったとか、インナーウィズだったとか、なんかそういうことって結構あるんですけど、もうそうなると環境は変えられないんですよね。
もう自分の中のマインドセットを一定にする以外はどうもコントロールできないので、唯一コントロールできるのはおそらく自分のマインドセットだけだと思うので、
基本的にどこ行くにもバックパック一つなんで、その中にもう決まったものが決まった分だけ入ってるって状況なので、そこでルーティンを確立するっていうのは結構あるかもしれないですね。
決まった手順で、何も考えずに手順、身なり身近くをして、香りだとか、あんまり変えずに基本的にはもう決まったものを決まった分だけ持って動くっていうのがスタンスですね。
ルーティンを決めることで、そこで余計なエネルギーとかインスピレーションとか奪われることなく、次にまたルローできるし、そこでまたいろんなインスピレーションを受けられることもできるのかなっていう話がありましたけど、
例えばそのバックパック一つでいろんなところに行く中で、もちろんその服とか日常品もあると思うんですけど、なんかこれはひょっとしたらちょっと、つまりそれだけ軽装化してある意味ミニマリストのような形で世界を飛び回っていながら、これは意外と他の人、ある意味旅の七つ道具として持ってないんじゃないかなみたいなものってありますか?
まあ当然カメラ持ってると思うんですけど。
今の時代、なかなか大きめのノートとか持ち歩く人はいないのかなっていう、全部みんな携帯でやっちゃうと思うんで、僕はモーレスキンのノートとか、もう5、6年ずっと同じやつ使ってるんですけど、そこに自分の気持ちとかを整理するっていうとか、あと次のインスピレーションをまとめておいてっていう。
だからそうですね。
強いて言えば、今時そういうノートとか持ってる人いないんだなぁみたいなな思いながらですけど、僕にとってはすごく重要なツールかなという。
でもすごいわかりますね。やっぱり僕も何度も、もちろんスマホのメモだったり、もちろんそれは便利だし、例えばタブレットで結構ノートライクに書けるものも増えてきますけど、やっぱりそのクリエイティブのベースというかね、そこは好きなみつけに紙のノートいいですよね。
そうですね。ジュエリーも思いついたらとか、そういうドキュメンタリーも構図でこうしようとかっていうのは、もうすぐやっぱり絵とかで書けるっていうのは大きいので、iPadがあればできるんでしょうけれど、決して何か気を照らす答えではないかもしれないですけど、今時そういうノート持ち歩く人とかいないんだろうなって思いながら使い続けてる。
でもあえて今時風の切り替えすると、逆にコスパタイパーいいですよね。紙のノートの方がっていうところもありますよね。なんかこう持ち運びとかちょっと面倒かもしれないけど、やっぱりなんか手が動くと心も魂も動くみたいなところないですか。
いや、ほんとその通りですね。やはり、あとは僕にとっては日本語を忘れないためにやっぱりあれやって書くぐらいがちょうどいいノートにもなるんですけれども、やはり考える速度と文章を書く速度って結構シンクすると思うんで、携帯でパッパッパってこう書くときもいいと思うんですけれども、なんか考えながらこうわざわざ書くって考えを、頭を少しギアを落としてっていうんですかね。
そういう意味ではクリエイティビティを保つために、あえてそういう少し速度を落としてっていうのはあるかなと思います。料理と一緒、そんな料理する方ではないですけど、やはりこうまな板の上で切るにあたって、切ったものがその上にあるとどうしても邪魔になって、だんだんスペースが減った中で切っていくしかなくなっちゃうと思うんで、
そういうノートとかに一旦考えた、切ったものを避けておいて、まな板は常にクリーンな状態にしておくと、クリエイティブなことに次に続けられるかなっていうイメージですね。
すごいわかる。単純な質問ですけど、そのノートのモレスキンのサイズってどのくらいですか?
今あります?
成功でした。
YouTubeの方ぜひ、ポッドキャストの方もこれYouTubeを後ほど見てください。
ちょっとスリムなやつかな。
A4がこのサイズだからA5って言うんですかね。
A5か。
これに普通にシャープで、カレンダーとかは全部自分で手書きで作っちゃって、
今だと2025年の4月ぐらいまでの予定はもう大体こうやって書けるみたいな感じで、そこから大体2週間ぐらいに落として、そんな感じですね。
面白いですね。ありがとうございます。
このノートには実は自分の生まれてからの大体の歴史みたいなことも書いてて、
1980年に生まれて、1990年代、2000年代、2010年代、20年代って、これが今ここではですけど2100年ぐらいまで書いてるんですね。
すげー。
一応。
僕たち、りょうへいさんと僕年一緒じゃないですか。
そうですね。
平均寿命が80年とか90年、今現時点ではそうですけど、次に間違ってでも100とか110とか120になったらっていうのもある程度ちょっと頭の片隅で置いておきたいなと思うので、
なので1980年に僕たち生まれて、120だったら2100じゃないですか。
確かに。
だから2100年までは一応書いてます。間違ってそこまで生きちゃった時のために。
でもそういうのも、お気に入りのノート上でいろいろ書くっていうのは楽しいですね。
そうですね。やっぱりこうやって毎日何だかんだといいこともあれば良くないこともあったりとかして、
それでいろんなそういう時にその先、10年後、20年後、例えば50年後みたいなのがあってその時間軸の中に今があると思うと、
結構些細なことに思えてきたりもするというか、そこに行くプロセスの中にいるっていう考え方はですね。