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2025-01-10 52:36

【#260】ロンドン、アムステルダム、タンザニア、南伊豆……創造が加速する多拠点生活|内海ナオさん(ジュエリーデザイナー/ドキュメンタリー作家)

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【期間限定】会う力体験講座・限定公開 → https://pro.form-mailer.jp/fms/3debbd92325823 実績ゼロ、知名度ゼロの状態から各界のトップランナーやその道のプロフェッショナル、市井の人々にいたるまで、2000人以上にインタビューしてきた、プロインタビュアー早川洋平がその全てを伝える「会う力」養成講座。「会う力」養成講座の一端を感じられる「体験講座」の一部を、下記からご登録の方だけに期間限定で公開します。会う力を構成する8つの力のうち、最も大切と言っても過言ではない「リサーチ」の手法を公開しています。 (登録は無料です) --------- 『LIFE UPDATE CREW』始動中! https://yohei-hayakawa.com/luc.html 『LIFE UPDATE』プロジェクトを共に進める仲間を募集中です。 Crewメンバーは、早川洋平オススメの秘蔵リスト公開、メールコンサルティング、CREW限定食事会ご招待などの特典があります。 ------ 今回のゲストは、ロンドンを拠点にジュエリーブランド「RUST」を運営しつつ、アムステルダムでドキュメンタリー制作会社を立ち上げた内海ナオさん。 前編では、18歳で単身渡英し、独学でジュエリーデザインを学んだ日々から、RUST設立の背景、そしてその後の活動を深掘りします。ロンドン、ワイト島、エジンバラ、アムステルダム、タンザニア、東京、宮城、南伊豆といった拠点を移動しながら、どのように「創造的に生きる」人生を築いてきたのか。 彼の原点と、多拠点生活の真髄に迫ります。キーワードは「浮遊」。 ▼目次  オープニング  内海ナオのいるところ  内海ナオのプロフィール  拠点が増えた理由  クリエイティブな環境  頭の中を整理する  思い出の家を手放す  流浪  アムステルダムに至るまで  なぜドキュメンタリー作家に  視聴者からの質問①  愛用のノートについて 【内海ナオ】うつみ・なお/ジュエリーデザイナー&ドキュメンタリー作家 1980年生まれ、宮城県出身。98年、国立高専を18歳で中退し渡英。独学でジュエリーを製作し、2002年にロンドンでRUSTを設立。イギリス在住26年。 ロンドンと東京でRUSTを経営する傍ら、22年にアムステルダムでドキュメンタリーの制作会社AALANDを設立。現在は工房のあるロンドン、子供のいるワイト島、映像制作のアムステルダムに加え、タンザニア、東京、宮城、南伊豆に拠点を持ち、移動しながらジュエリーブランドの運営とドキュメンタリーの撮影・編集を手がける。製作中のドキュメンタリー”TIDE”は、25年春にロンドンと東京、横浜で公開予定。 20年来の友人である近藤ナオと内海ナオは、タンザニアの僻地に土地を購入。水や電気、食物を自給し、お金を必要としない生き方のさらなる可能性を探るプロジェクトが始まる。 が、そこで生まれた”潮”の流れは、タンザニアを越えて、近藤ナオと内海ナオの2人のナオを、次の世界へと導いてゆく。 【早川洋平】はやかわ・ようへい/1980年、横浜生まれ。中国新聞記者等を経て2008年起業。羽生結弦、よしもとばばな、髙田賢三、ケヴィン・ケリーら各界のトップランナーから市井の人々まで国内外分野を超えてインタビューを続ける。13年からは戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』等メディアプロデュースも多数。インタビューメディア『LIFE UPDATE』配信中。 https://yohei-hayakawa.com/ ------ ▼ケヴィン・ケリーさん×早川洋平対談原稿を無料プレゼント! 早川洋平の最新インタビュー情報やエッセイ等をお届けする無料ニューズレター『LIFE UPDATE LETTER』に登録頂いた方には、WIREDの創刊編集長で世界的な思想家としても名高いケヴィン・ケリーさんと早川洋平の対談原稿全文テキストをプレゼントさせて頂きます。 『LIFE UPDATE LETTER』 登録無料 https://yoheihayakawa.substack.com/ ▼時代や環境に左右されない力を。 『会う力』養成講座 https://www.auchikara.com/ ▼本やセミナーでは見つからない あなたの可能性や悩みの解決の糸口を プロインタビュアー早川洋平が引き出す 『LIFEUPDATE SESSION』 https://yohei-hayakawa.com/session.html ▼僕のメンター北川先生の教えの核心を 音声プログラムとしてまとめました 『才能がもたらす平和感』 https://pro.form-mailer.jp/lp/e8613bc9321246 ------

サマリー

ジュエリーデザイナーでドキュメンタリー作家の宇都美奈央さんは、ロンドンを拠点に多拠点生活を営んでいる様子を話します。アムステルダムでの活動や、タンザニアを含む旅を通じて創造性を高める方法を探求しています。このエピソードでは、ナオさんがロンドン、アムステルダム、タンザニア、南伊豆などを拠点に、独自のクリエイティブな環境を作り上げるプロセスについて語ります。また、離婚や環境の変化がクリエイティブな活動に与える影響にも触れています。内海ナオさんは多拠点での生活を通してクリエイティブなアイデンティティを模索しており、ビジネス運営の中で感じたアイデンティティの喪失や、子どもたちへの居住権を与えることの意義について話しています。このエピソードでは、内海ナオさんが多拠点生活について語り、創造的な環境を形成するための工夫やアイデンティティの探求について触れています。特に、ドキュメンタリー制作とジュエリーの創作における彼のアプローチや、文化の多様性への考察が中心となっています。内海ナオさんは、ロンドン、アムステルダム、タンザニア、南伊豆での多拠点生活を通じて創造性を高める方法について話しています。

宇都美奈央さんの創造的な生活
人生を更新するインタビューマガジンLIFE UPDATE。今回のゲストは、ロンドンを拠点にジュエリーブランドラストを運営しつつ、アムステルダムでドキュメンタリー制作会社を立ち上げた宇都美奈央さん。
前編となる今回は、18歳で単身投影し、独学でジュエリーデザインを学んだ日々から、ラスト設立の背景、そしてその後の活動を深掘りします。
ロンドン、ワイト島、エジンバラ、アムステルダム、タンザニア、東京、宮城、そして南伊豆といった拠点を移動しながら、どのように想像的に生きる人生を築いてきたのか。
彼の原点と多拠点生活の真髄に迫ります。
キーワードは浮遊。
はい、改めて皆さんこんばんは。プロインタビュアーの早川洋平です。
はい、ということで改めまして、今日のゲストはですね、ジュエリーデザイナーでドキュメンタリー作家の宇都美奈央さんです。
奈央さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。こんばんは。
こんばんは。さあ今、こんばんはと言っていただきましたが、奈央さん今はどちらにいらっしゃるんでしょうか。
今日はロンドンで、今朝10時ですね。
じゃあおはようございますですね。
はい、おはようございます。
よろしくお願いします。
奈央さん、なんか僕のイメージだと朝早いイメージありますけど、どんなですか。
そうですね、大体6時には起きてですんで、そんなに取り立てて早いかどうかはというところですね。
6時です。
なるほど。夜、奈央さんの夜ちょっと読めないですね。早い日もあれば、なんか結構深夜まで起きてそうなイメージはどうなんですか。
そうですね、基本的には夜は動画の編集をすることが多いので、それで気分が乗れば結構11時、12時とかまでやってますし、
あとはどうしてもやっぱり乗らないときはもう10時とか9時とか、もしかしたら8時とかには切り上げますし、
あとやっぱり子供といると大体9時とか9時半とかに就寝することが多いかもしれないですね。
ということでですね、僕はなぜこんな奈央さんと親しげに聞いてるかというとね、本当に最初に出会ったのが2012ですから、
もう13年ぐらい近くお付き合いさせていただいてて、本当にね、これまで何度も友人としても最近は付き合わせていただいて、
インタビューも多分3回4回させてもらって、前回ね、2020年にイギリスのワイト島に直接伺ってお話しを伺って以来なんで、
インタビューとしてはね、4年ぶりなんですけども、最初に宇都美奈央さんのプロフィール、YouTubeにも上がってるものなんですが、ご紹介したいと思います。
宇都美奈央さん、1980年生まれ宮城県出身。1998年国立高専を18歳で駐隊し、都営。
俗学でジュエリーを制作し、2002年にロンドンでラストを設立。
イギリス在住26年。ロンドンと東京でラストを経営する傍ら、2022年にアムステルダムでドキュメンタリーの制作会社アーランドを設立。
現在は工房のあるロンドン、子供のいるワイト島、映像制作のアムステルダムに加え、タンザニア、東京、宮城、ミナミーズに拠点を持ち、移動しながらジュエリーブランドの運営とドキュメンタリーの撮影編集を手がける。
過去の経験と創造力の関連
制作中のドキュメンタリー、タイドでいいんですかね?
そうですね。仮にお題なんですけど、潮の流れという意味でタイドです。
タイドは、2025年春にロンドンと東京、そして横浜で公開予定ということなんですが、改めてですけども、このプロフィールだけでも伺いたいことがたくさんある感じなんですけども、
今日はロンドンからということなんですけども、実はせっかくなんで裏話というか、先ほどもお子さんのいるワイト島という話もあって、
今日のライブ本当はワイト島の方から中継してやりたかったんですけど、しかもワイト島の船からということだったんですけど、
これなぜ船からだったのか、そしてなぜ今回ワイト島ではなくロンドンになってしまったのか、ちょっと教えてもらえると嬉しいんですけど。
そうですね。船は家を売った時に、また次の家を買うっていう選択肢が僕にはなかったので、
習慣なんでしょうか、陸と空の、そういう意味で船を買ってそこで暮らすことにしたのが始まり、それが2020年ですね。
もう4年ぐらいワイト島の拠点は船を使ってるんですけれども、そこから今回ライブのお話をさせてもらえればと思ったんですが、
なにせイギリスの冬はやはり暗くて寒くて雨が多いので、
結構イメージ通りですね。
そうですね。ワイト島はイギリスの中で一番日光量が多いエリアであるんですけども、
そうなんですね。
やっぱり風が強いんですね。
今日はイギリス全体が嵐に見舞われてるんですけども、そうなると大体2,3割増しでワイト島の風っていうのは強くなるので、
それでフェリーが止まってしまうのを見越して先にちょっと脱出してロンドンに来て、今配信させてもらってるっていう。
なるほど。ありがとうございます。
今の船っていう話からいきなりいかにですね、もし初めて直さんのこのインタビューをご覧になる方がいたら、
これもう付き合い長いんでちょっともう、すいません今日失礼な言葉もあるかもしれません。
この穏やかな感じの直さんなんですけど、結構生き方はいい意味ですけども、
なんていうのちょっとエクスクルシブというかちょっとぶっ飛んでるようないい意味でところがあるので、
さっきの船っていうところも含めていろいろ多分今日の話で出てくると思うんですけども、
先ほど船もちょうど4年っていうことで、先ほど僕も話した前回のインタビューから4年っていうことで、
実は振り返ったら2020年の2月なんですね、ワイト投入からあったのが。
実はあのちょうど帰りにコロナがですね、勃発してというか、本当に世界も大きく変わりましたし、
直さんの話聞いててもやっぱり2020年あたりから直さん自身も大きくね、常に変わる中で変化があったのかなと思うんですけど、
その中でやっぱり今プロフィール拝見してたりお話かかってても、やっぱり前回から4年大きな変化2つあると思うんですよね。
1つがやっぱりね、多拠点生活って言っていいんですかね、先ほどお話し伺った部分。
そしてあれ、肩書きドキュメンタリー作家っていうのも入ってるっていう風に、やっぱりこの大きな2つがやっぱり客観的に見て変化だと思うんですけども、
それぞれについてちょっと伺っていきたいんですけど、ずばりまず1つ目から、
やっぱり今までも直さんって言うと、最初出会わせていただいた時からロンドン、日本もあってもちろんワイト島もあって、海外もいろいろ回られてるイメージありましたけど、
でもさらに増してるじゃないですか、先ほどのロンドン、ワイト島、アムステルダム、タンザニア、東京、宮城、ミナミーズ、エジンバルとかも行かれてたりすると思うんですけど、
なぜ、東京、ロンドン、ワイト島ってちょっと記事からわかるんですけど、ここにアムステルダム、タンザニア、宮城、ミナミーズが加わったのかっていうの、この辺教えてもらえますかね。
そうですね、本当におっしゃる通り2020年2月、あそこからコロナがあって、なんですけど、今思うともうコロナとかは本当に変化という意味ではそこまで大きなものではなかったなっていう印象。
もうすでに動いて変わっていたので、そこでコロナで変わろうが、そこまで大きな変化の波に乗ってる以上はそこまで大きな違いはなかったなってぐらいの違いは出てたかなと思います。
結論から担当職人に言うと、2月にインタビューしていただいてから離婚しまして、そこが大きなターニングポイントだったのは大きな事実というか。
奥様イギリスの方ですね、ワイト島のね。
で、あの時2020年2月、おそらく強いて言えば、たぶん僕たちが思い描いてた中での幸せという意味ではもうほぼ絶頂だったところだと思うんですね。
イギリスだと、例えばパラマンとかフェラーリ乗りとか、そういう高級なわかりやすい成功っていうのはあんまりなくって、
本当の成功っていうのは、例えば田舎に2月の田舎暮らし、カントリーライフがあって、ロンドンにアパートとかビジネスがあって、
例えばキャンプに家族で出かけたりとか、車で言ってもそういう明るさまな高級車じゃなくてクラッシュブックカーを持ってるとか、
そういう周りでテイラーでしたりとか、オーナーとかですごく成功した人とかが、2,3軒隣にセカンドホームを持ってたんですね。
ワイト島の僕たちの家の2軒隣が、サビルローで一番古い老舗のテイラーの、
有名ですよね。
4代目の方で、彼らはワイト島にセカンドホームを持っていて、ビジネスはサビルローでやっていて、
ほぼ毎週2週間におきぐらいにワイト島に家族で遊びに来て、クラッシュブックカーを運転してっていう、
それが何て言うんでしょう、わかりにくいんですけど、明らかではないんですけども、一つの成功像みたいなのが。
象徴みたいなね。
そうですね。田舎、カントリーライフにセカンドハウスがあって、ロンドンにビジネスがあって、クラッシュブックカーを運転するみたいな、
そんなのはやっぱりあって、多分そういうカテゴリーの中では、僕たちにとってはそこが幸せの絶頂だったと思うんですね。
ロンドンでラストの工房があって、東京にも直営店があって、ワイト島にも直営店をオープンして、
クラッシュブックカーが3台、キャンパーバンとか持って、家族も2人いて、学校もすぐ歩いているところにあってとか、
そういった自分たちで思い描く幸せという中では、きっとおそらくそこが大きな絶頂だったのかなと思います。
そこから、やっぱりクリエイティビティっていうのはまた結構ちょっと難しい、なんて言うんでしょうね。
クリエイティブであるって、結構それと同じくらい欠落した部分もあると思うんですよね。
人としての総合力というのはそんな変わらないと思うんで、こっちが高ければどっかが下がるっていう感じだと思うんですね。
クリエイティビティが高いっていうのは絶対どっかで欠落する部分があって、それを補うために、
例えば過去の負の経験とかいろんなトラウマだったりとかを添加してクリエイティビティにするっていう人とかって結構多いと思うんですよね。
そういった意味ではやはり僕の元妻とか育った環境とかいろんな要素があって、それを全てクリエイティビティに置き換えてっていうタイプで、
僕ももちろんそういうところがあるので、やはり一筋縄にはいかないというか部分がやっぱりあったので、
やっぱり常にクリエイティビティにフォーカスして、今回お店オープンした、じゃあ今回はキャラバンを買って改装しよう、
じゃあ次はリビングルームをこんな感じに全部変えようとか、
常にクレイとする何かを目の先に置いて移っていくっていうやり方で結構やってきたところがあるので、
実際そういう子育てがやはり2人目も生まれてとかで、相当脳の容量を子供に持っていかれた状態で全て運営するってやっぱりどうしても歪みが出てくるというのが、
クリエイティブな環境の重要性
僕の一方的なですけれども解釈ということで、結果としてやはり一緒に暮らすことが難しくなってしまうというところで、
だから明らかな何かがあったっていうわけではないんですよ。
例えば浮気だったとか経済的に破綻したとかそういうのは一切ないあったんですけども、
やはりそのクリエイティビティの凹凸というか、やはりそこが高い人はやはり僕も含めて欠落している部分もあるので、
その欠落した部分にフォーカスが向いた途端、結構難しいものになってしまうんだなというのがその時の大きな学びですね。
今お話がかかっていて、やっぱりもう本当に名言というか、僕の中では座右の銘で、
なおさん本人にも何度もお伝えしてますけど、13年前にロンドンの発灯岩で今いるアトリエの前のアトリエでお話がかかったときに、
やっぱりクリエイターというか、想像する人にとってクリエイティブな環境をクリエイトすることが大事っていうことをね、
やっぱりずっと伺っていて、ある意味どれだけ儲かるかよりもどれだけ創造的でいられるかっていうのを言ってもらって、
それがずっと僕にとって座右の銘になってますし、密かにいろんなところで広めてるんですけど。
でもその中で、今の離婚という言葉だけを捉えると前で言いますけど、
やっぱりちょっとネガティブワードに感じるっていうこともあるかもしれませんけど、
なおさんの中では今のお話がかかっていると、まさにクリエイティブな環境をクリエイトする一環。
それでさらっとね、全てが離婚してはい終わりってわけではなく、いろんなもちろん大変なことがあったと思いますけど、
やっぱりその延長線上の一つの行動としてあったってことなんですかね。
新たな生活の始まり
そうですね。もう無意識の中にある部分だと思うので、何を選ぶにしても結局そのクリエイティブな環境を作るっていうのがもう無意識の中に働いているので、
例えば、そこから意識的にこうして環境を整えようっていうよりは、選択するすべてがクリエイティブでいられる環境をクリエイトするっていうのが入っているところがあると思うんで。
そこででも実際、やっぱり今離婚されてお子さんと、当然離婚前僕も伺いましたけど、ワイト等で、もちろんロンドンとかいろいろ飛び回っていらっしゃいながらもご家族で住んでたわけじゃないですか。
で、その中で新たな生活に入って、かなり今みたいな形を描いて、ある意味ソロというかね、またこうある種の独立したのか、どういう感じの流れでこの流れに至ったんだろうと思って。
結構その辺は直感的にね、また新たなパートナーシップの形というか今みたいになって、そこから流れるようにこのアムステルダム、タンザニア、宮城、南水で出てきたのか、どんな感じなんですかね。
そうですね、ちょっと抽象的な例になっちゃうんですけど、具体的に言うと、そこからまず家を売る持ち物をどうするとか、そこからコロナもあって、東京店の直営店を閉めて、で、ワイト等の直営店を閉めて、その中で今度子供の学校すぐ家のそばにあったんですけど、それもう廃校になるとかなって。
それはコロナで。
それとは全く別だったんですけれども、なんかもう本当家もなくなる、車も手放す、直営店も東京も閉めて、ワイト等も閉めて、学校まだもう廃校になって、で、まあそういう家族生活もなくなってっていう、破綻してっていう部分で、もうそうなると本当に種の流れじゃないですけども、もう自分にはどうすることもできないんですよね。
どんなにあがこうともその種の流れには絶対逆らえないっていう状況だったので、そう思った時に今まではすごくいい流れの種の中にいたんだなと、なんかもう本当に種の流れさえ良ければ、別に船の送船技術なんかなくてももう自然に何もしなくてもそこにたどり着けるっていう種の流れがあって、
で、それが逆回しになった時にはもう本当に一つ一つ全部こう奪われていくみたいな感じで、もうそれはもう何もできないんだなって思った時に、もうそこに逆らうのはやめようって思えたのが2020年だったんだと思いますね。
本当にあの2月僕が伺ったときはなおさんね、もう一時乱れのこの冷静な感じでしたけど、あの時ももうその最中に入ってたんでしょうし、インタビューかつライブでね、ここまで結構セキュララに話していただいてありがたいんですけど、なんか率直に伺うと、その時は流石にというか、なおさんもやっぱり結構、
どっかで常に僕はたっかんしてるイメージがあるんですよ。自分を一個俯瞰してメタ認知してるみたいなイメージがあるんですけど、その時はもう結構ちょっと愚問ですけど、本当にもうめちゃくちゃしんどかったんですかね率直に。
やっぱりなおさんがどんな状況でもね、乱れたり落ちたり苦しむってイメージがないんですよね。だからでも今の話聞いてるとさすがにどうだったんだろうっていう。
自分にそういう時間は毎日作って整理する時間は毎日作ってます。朝そうですね1時間下手すると2時間3時間とか、モルスキーのノートにすべてこう書いて、頭の中を一旦整理する時間毎日作っているのと、
その時初めて本当に使われたなと思うのは、毎週1回1時間、カンセラーの人と話すっていうのをもうここ5年以上ずっと毎週続けてるんですよ。その方はワイト島に住んでるイギリス人なんですけど、マンチェスター出身でワイト島に住み家を見つけて、そういうカンセラーなんですけども、
僕がどこにいても電話なり、絶対毎週1回1時間話すっていうのはもうこの5年ずっと続けてるので、そうやって一旦整理整頓するっていうのが、口に出すとか文章に書くとかっていうのが僕にとってのツールになってますね。
その中で、
そうか、アムステルダム、タンザニア、ミヤギ、ミナミズっていうのは自然な流れだったんですか?
そうですね。やっぱり、物を今まで、家、イギリスの家なんで、1900年代で100何十年経った家、1890年代に建てられた家なんで、130年くらい経った家なんですけど、そこを手放すにあたって、開けてみたらアンティークの家具とかがものすごい量出てきたんですね。
考えてみれば、ロンドンに家族でみんなで行くときっていうのは絶対アンティークマーケットに行ってたんですよ。帰ってくると絶対満載で帰ってくるんです、アンティーク家具。
で、腹で帰ってくるとか絶対なかったんで、今でいうとアマゾンとかなんかそういうすぐ買おうと思えば、ワイトトーンのそういう駅地とかでもすぐ欲しいものが手に入る時代だったじゃないですか。
なんで、もうその家の中の物の量がとにかくすごかったんですね。先ほども言ったように、今回今クリエイティブなプロジェクトがリビングルームだったり台所だったりバスルームだったり、キャンパーバン、キャラバン、お店みたいな感じで常に進んできたんで、片付ける、それを整理するっていうマインドがあまりなかったんですね。
常に進み続けるのみみたいな感じだったんで、家の庭にちっちゃな物置小屋みたいなのが1、2、3、4個。その他に車を置いてるガレージとかで、もうそれらがもう本当に床から天井までアンティークの家具とかがもう詰まった状態だったんですね。
それなりに1個1個思い出があるもの、それをしばらく使ったらまたアンティークで次のプロジェクトに進むっていうやり方だったんで、それなりに1個1個に思い出はあるんですけども、それらを全部売りに出すっていう作業だったんですね。
結論から言うと9割、所有品の9割はもう全部売って、もう本当に時間抜きで9割以上手放したと思います。その手放した時は本当に寂しかったですね。けど、全部手放した後の持ち良さっていうのはそれを上回る。
手放したからこそしかね、味わえないものですね。絶対。説明しても多分僕は数パーセントもわかんないかもしれない。
家もそうです。家がやっぱり一番そういう暖炉とかもあって、子供も2人そこで育ててたので、やっぱり一番最後の夜に暖炉で火をくべてもこれで最後なんだなって思ったのはすごくなんか寂しい思い出はすごいあるんですけども、
今そういうのを全部包んでみると、昔は夢だった大きな家とか広い庭っていうのが、僕にとっては今はもうふむとまでは行かないですけども、自分をそこに留めさせるっていうんですか、家の掃除しなくちゃいけないとか庭の芝の手入れをしなくちゃいけないとか、
そういうのが今はもう全部クリエイティブなことに使えるから、そういう意味ではもう本当に自分の中ではすごく落ち着いてるというか、それもプロセスを経て、その流れで家も売って商品も9割手放して、じゃあ次移動するってなった時に、
僕はまた、その元妻は家が幸いにも値段が随分上がってたので、それで出た利益を2人で折半してある程度まとまったお金があったので、彼女は次のアパートとか家を買って、で、ワイトトーに住みっていう形をとって、
船での生活アイデア
で、僕はやはりワイトトーっていうのは家もあって、コミュニティもあって、僕アンティークを使ったイベントもやったことがあって、学校に寄付金を募るっていう目的でやったんですけど、結構1日でワイトトーの堅い中で2500人ぐらい集まってくれたりとかして、
で、そのイベントとかもやって、すごく地域でも、なんかいつかはそういう街の方向を決めてくれみたいなぐらいの話までもらったりとかして、本当にコミュニティに密着できて、僕みたいな例えば日本から来た人にもそういうふうにしてくれるっていうのはすごく嬉しくって、で、そうですね、学校もあって、なんかそういう、そうですね、それらがもう全部なくなってっていう部分で、
やっぱりワイトトーにまた家を買うっていうのがすぐには出てこなかったんですよね、もう全く決めれなくて、で、じゃあと思ったら船で暮らすっていう案が、案を思いついて、
そこで船3つ部屋があるんで、僕と子供たちの部屋とリビングルームみたいな感じで、で、実際に本当に行こうと思えば世界一周できるぐらいのキャパを持った船なんですね。
すごいですね。
12メートルぐらいなんで、本当にギリですけど、3人でってなると、その概念って言うんですか、なんか本当に行こうと思えば世界行けるっていう概念を残して。
いいですね。
なんかワイトトーというそのローカルですごく密着できたっていうのは、その中間地点っていうのが、その船で暮らすっていうアイディアを思いついたってところです。
面白い。
陸でもなく、本当の海そのものにずっと出るわけでもなく、でもいつでも世界に出れる文字通りポテンシャルがある場所っていうとそうか、船か。
これ結構あれですかね、こないだ、実は個人的にちょっとお話したときも話しましたけど、ワイトトー自体にそういう船で暮らすみたいな方が意外といる?
僕の知り得る範囲では、10軒とか20軒とかそんな程度だと思いますけれども、にしても多分セカンドホーム的な使い方の人も多いと思うので。
純粋にやっぱナオさんみたいな感じの人はそんなにいない?
船での生活
ただそれは言っても、僕も常にその船に行ったわけではなくて、ロンドンとかアーミスとかそういったいろんなところに行って、ワイトトーに戻ったときはそこをベースに使ってるっていうレベルなので、厳密にそこでずっと暮らしてたっていうわけではない。
これちなみに単純な話なんですけど、これ船でもちろん今の話でもいつも暮らしてるわけじゃないし、今回も嵐とかもあったんで、逆にこっちまでロンドンまで出てきていただいたってありますけど、単純に嵐とかじゃなければ快適に暮らせるもんなんでしょうか?
夏は本当にすごく最高です。外にテーブルとかも出して、食事とかは全部外でできるので、本当に快適ですね、夏は。本当にこんなに快適でいいのってくらい。
それはなんかその送船する免許とか技術とかもないといけないわけですよね?
イギリスはなくても大丈夫なんですよ。僕は全く免許とかも送船の技術もわからなかったんで、たまたま僕のワイト島での親友がそういう送船とかできる人だったんで、彼ら家族4人なんですけど、うちの3人で7人で2回くらい、3回かな、船出して寝泊まりしたことがあって、
イギリスから出てないですけど、ワイト島とイギリス本土の間を流れる海峡みたいなところをちょっと遊びに行ってみたいなのは何回かやったことがあってですけど、免許とか僕はないです。
でもなんかその中で今の時点でやっぱりその船の話、船に至るまでの経緯というかね、そして船に暮らすようになってもずっとそこに固定してるわけじゃないっていう、やっぱり常に変わらないものっていうところで流浪というか流れるというか、いい意味で固定しないというか浮いてる感じしますよね。
そうですね、まさに本当にメタファーと言いますかね、やっぱりこうやって家とか車とか家具とかいろんなものがお店も含めてなくなって、何が一番なくして辛かったのかって聞かれたら、自分のアイデンティティなんですよね。
自分とは何なのかっていうのを離婚する前の10年で自分の人生はすべて子どもたちをクリエイティブでいることって、もうちょっと話を深掘りすると、ビジネスを運営してるわけじゃないですがクリエイティブでありながら、クリエイティブなことをしながらビジネスを運営するわけで、
ビジネスって大学でそれを専攻した人が卒業して自分でビジネス立ち上げたとしても失敗する可能性の方が多いわけじゃないですか。
そうですね。 それをマーケティングとか、売ることを目的じゃなく、クリエイティブでありながらビジネスを運営するっていうその時点で狂気の沙汰なわけじゃないですか。
ヨヘイさんもそうじゃないですか。 想像とお金の間ですかね。 そうそうそう。僕たちって結局お金を得たいからビジネスを運営してるんじゃなくて、僕たちがやるべきやりたいそういう一つのことがあって、他の人たちそれを運営する上で、
例えばそういう請求書がとか銀行口座がとかなんかそういう社会でいわゆる必要とされる要件を満たすためにしょうがないからビジネスとしてやってあげてるっていう形になりがちだと思うんですね。
なのでそういった形でやってきたところもあったと思うので、そこですよね。 ごめんなさい今の質問ともう一回なんですけど話が勝手にずれてしまって。
もともとnaoさん自体が良い意味でですけど、ぶれないものは持っていながらもどこかポジティブな意味でですけど、僕のボキャブラリーが貧困なんですいません。
ルローしてるというか浮遊してるというか。 ルローですねそうそう。それで一番なくして辛かったのはアイデンティティだったって話だったんですけども、そうやってクリエイティブなことをしながらビジネスを運営するにあたってやっぱりどうしても歪みというか、
アムステルダムへの移住
2人が例えばパートナー同士で2人がクリエイティブだったらどっちかが高ければどっちかは結構そういう嫌な役回りと言ったらですけど請求書を発行したりとか会計書があったりとか、そういうのってほぼ僕が全部引き受けざるを得なかったというかそういうふうな役回りになってしまったところもあって、
僕にとっては彼女がクリエイティビティを追求してくれることが僕にとっての喜びでもあったという。それにあたって子育ても全部50-50にしたんですね。それもこの役割は彼女じゃなくて、毎日日替わりで今日は僕が子どもたちを見る、明日は彼女が子どもたちを見るって形で、
そうなるとその日の子どもに関することはおむつとかシャワー、お風呂入れたりとか料理したりとかそういうのはもう全部自分がやる買い物とか、なんかそういうのはもう全部育児、その日は育児だけって感じになって、で、次の日はビジネスというか仕事の方をやって、で、また子育てっていう感じのやり方をやってたんですが、
まあ結論としては僕の役割というのはビジネスの仕事をするっていう日になった時に、今まで昔みたくクリエイティブなことばかりやるっていうよりは、そういうクリエイティブなことをビジネスとしてやっていく、存続させていくにあたって、そういう請求書の発行とか。
実務ですね、そういうところをやらざるを得ない環境になってしまってたところがあったので、それでじゃあ今日からそういうなんて言うでしょう、自分の時間ができますってなった時に、そこで自分のアイデンティティっていうのを取り戻すまで、もしくは次の何かを見つけるまでっていうのが、もう本当にそのプロセスが結構あれなんだなと、
ルローっていうのはまさしくその通りで、本当に何年そうやって漂ってたんだろうっていうのはすごくありますが、その中でアムス、タンザニア、南イズ、チッカとかそういうところを本当に毎週移動してっていう生活がそこから始まったので、ルローという言葉は本当にまさしくその通りだと思います。
その中でね、今やっぱりアムステルダムってありましたけど、オランダですけど、このアムステルダムがやっぱり一つまた大事にしている場所だと思うんですけど、これはなぜですか。
そうですね、アムステルダムに至るまでっていうのが、東京の店とワイトトーンの店とかを閉店したので、お店でお客様に会うやり方から、今度は自分がエジンバラとかマンチャスターとかパリとかアムステルダムに行って受注会、東京にも何回も行ってきましたし、受注会っていうやり方に変えたんですね。
で、スコットランドとかまで、やっぱりエジンバラまで行くと、結構ハイランドっていうすごく北海道じゃないですけども、本当に土地がバーって広がってて、なんていうんでしょう、ドラマチックな光景が広がってるんですけど、そこにずっとカメラを片手に、ずっとルローの延長で自分探したのか、アイデンティティ探したのか、次の何かを探したのか、
それをそもそも意図してたのかもわからないですけども、とにかくここかなって思うところにカメラを持って行って、そういう雪山に登って、これ帰ってこれんのかなとか、そこまでギリまで行ってみて、そういう撮りたいって、何をするわけでもなかったんですけど、そういうことをずっと2年ぐらいやってたんですね。
で、友達を訪ねて、パリだったり、あとそういういろんな混合流とか、本当にイギリス中はもちろんヨーロッパも毎週、ほぼ毎週出かけてた時があって、その時に20年代の友人、その彼もNaoって言うんですけれども、彼がアミステルダムに娘と一緒に移住してきたんですね。
娘さんは14歳ぐらいだったと思うんですけれども、中学を中退してオランダの現地の学校に通い始めて、そこで今度Naoさん、彼がアミステルダムに拠点を持った。
で、その時に彼に会いに行ったのがアミステルダムの始まりで、その時に彼は、僕は彼は日本にいるにはちょっと大きすぎる人だと思ったので、そうやってアミステルダムに出てきて、そこからグルジア、ジョージアとかタンザニアとかヘルとか、そういうところに拠点を友達と一緒にアパートの一室を買ったりとかして、
そこをシェアする形で多拠点居住っていうのをやり始めたんです。そこにすごく大きなヒントを得て、そこでアミステルダムを僕のその拠点の一つに入れさせてもらえないかなと思って。
その時まではロンドンとワイト島と、あと東京にまだビジネス自体は今でも残ってるんですけども、お店は閉めちゃったんですけど会社は東京に存続しているので、僕はロンドンとワイト島と東京にビジネスがあるっていう感じだったんですけれども、
欧州居住権の重要性
きちくんもEU離脱ということがイギリスで起こって、その時に子供たちに何を僕は残せるのかなって思った時に、EUの居住権をもし作ることができたら彼ら彼女ら、僕の子供たちは日本のパスポートとイギリスのパスポートを持ってるんで、
EUの居住権が増えたらEU加盟国28カ国、7カ国ですか。なので30カ国ぐらいに将来住んで仕事するなり勉強するなり何かこうできるって思った時に、なんかすごく親としてそういうギフトをくれるってことはすごく大きなことなのかなと思って。
それで調べたというか、このナンさんに聞いたら、日本のパスポート、あとアメリカのパスポート、その2つのパスポートを持っている者はオランダで本当に簡単に起業できるんですね。で、起業価ビザってイギリスだと多分数億円程度の資本金が必要だと思うんですけど。
いきなり奥ですよね。
アメリカの資本金は4500ユーロから70万円ぐらいですか。60万70万円ぐらい。
2つ違いますね。
そうですね。あれば起業価ビザっていうのが下りる2年間しかない。そういう制度はあって、もうこれはやるしかないっていう形で、その資本金は自分のお金なので、設立したらそれはもちろん自分のビジネスに使えるお金なんですけど。
そういうビザの申請手数料とか数十万円、20万円とかかかるかもしれないですけれども、そういう他のヨーロッパの国々で居住権を得ようとしたら、そういう大きな会社に5年間とか勤めて税金を支配続けて、そこから得住権の申請、その5年間はもうその会社のためだけに働かなくちゃいけないっていう。
もしくは数億円用意して起業価ビザを取るっていう感じなんですけど、オランダは4500ユーロでもう着いた1日目から自分のビジネスを運営できるっていうのが、もうこんな制度って本当にいろんな国見渡してもあんまりないんですよね。
それで僕はここに一つの拠点を持って、できたら子どもたちに居住権までギフトとして送れたらいいなっていうのが最初の時のきっかけですね。
そうですね。実は僕も個人的に直さんからその辺の話をもう1年ぐらい前に聞いて驚きを禁じれなかったんですけども、やっぱりなんて言うんでしょう。もちろん調べれば当然出てくることなんでしょうけど、やっぱり本当に人との出会いって大事だなと思ってて、調べれば出てくるかもしれないけど、そもそもその調べる、知らないと調べられないですからね。
だからやっぱりそのくしくも同じ直さん、近藤直さんとのやっぱり出会いだったり、宇住直さんこうやっていろいろ流れるように、流浪していった先で一つのそういうまた拠点居住も含めた可能性がやっぱり開いていってるわけですよね。特にこのアムステルダムは。
創造的な旅の始まり
そうですね、本当にきっかけというのが全てなんだなと思うことが多いですけれども、そこでアムステルダムで何の会社として登録するっていうところになって、まあダトに行けばやっぱりジュエリーをヨーロッパで売るっていう話になるんですけれど、
その流れとしては、やはりワイト島でそういう家を買うとか、戻るっていう選択肢があんまり僕の中にはなかったんです。もう一回再現して、どうなるのかな。僕結構目送りして物事を見てしまう癖があるんですけれども、そういうまた過去の幸せを再現して、果たして同じ幸せを感じれるんだろうかっていう早回りを目送りをしてしまって、
その時に多分同じことを繰り返しても逆に虚しさの方が大きいような気がして、これはすごく大きな機会なので、もう過去の繰り返しじゃなくて次へ進もうっていうマインドにもなってたんですね。
で、そうなった時に何が僕にできるんだろうって思った時に、そのジュエリーを作る以外に、この流動の中で常に絶対手放せなかったものっていうのがやっぱカメラなんですよね。
さすがに何十万枚っていう写真とか動画とかずっと撮ってたんで、今カメラの性能とかってすごいじゃないですか。なのでもう結構それなりの絵が上がってくるわけじゃないですか。そういうそれなりのところに行ってそれなりのカメラでそれなりのシーンを撮るとそれなりの写真が上がってくるんで、
もうそこに結構引き寄せられてしまって、僕に何ができるのかって言ったら、そういうカメラで何かをするっていうところなんだなっていうのがその時点ではもんやりと思ってたこと。
なのでオランダのアムセルダムの会社はジュエリーと映像制作って2つを登録したっていうところで。
そこで冒頭で出てきたドキュメンタリー制作会社のアーランド、そしてこのもう一つの質問、なぜドキュメンタリー作家にいてもこれは繋がりそうですね。
そうですね、本当にこの流浪の中でそうやってちょっとずつそういうのが見つかってきてっていう感じで。
で、アーランドっていうのは僕が好きなスコットランドのミュージシャンがいて、なんか個人的にもよく会わせてもらったりとかするようになったんですけど、
オークニー諸島ってスコットランドのまた本当に北の島があるんですけど、そこからそこの出身の人で、名前がツールが違うんですけどアーランドっていう名前なんですね。
アーランドクーパーって言うんですけど、彼の音楽がもう僕はどこに行くにも彼の音楽が常にこう。
ナオさんから教えてもらっていつも聞いてますよ、Apple Music。
ありがとうございます。
そういうスコットランドの片田川行ったりとか、もう車レンタカーで行くときもずっと彼の音楽が流れてて、
もう本当にこんななんかミュージシャン、音楽を作れる人がいるんだなっていうくらい好きで。
彼の名前アーランドで、ERランド、アーランドって結構変わった名前なんですけど、何の意味があるんだろうと調べたら、
昔のゲリックっていうんですか、ケルトーとかの時代にアーランドっていうのは男の名前なんですけども、
意味としては異邦人というか、他人とか外国人とか、なんかそういう外から来た、外国人っていう語源があったというところで、
僕自身ここでは外国人、日本に帰ってもなんか日本人ともなかなか言えないし、
なんか一旦そのアイデンティティというところで、僕は何なんだろう、何人なんだろうとか、なんかそういうところを考えてた時があって、
これも早送りの世界になっちゃうんですけど、もしかしてなんかそういう自分たちとか彼らとか、
日本人がイギリス人が彼らが外国人か、そういう概念じゃなくて、もしかして存在する人すべてが外国人だったらどうなんだろうって思ったんですよね。
例えば今そういう、ずっと後の話なんですけど、そういうタンザリアとかエコビレッジとかちっちゃなコミュニティがあって、
一人では全部をこなすことが難しいので、お互いが助け合って食物を確保したり、水を確保したり、魚を捕りに行ったりとかって、
そういうのは自分一人では絶対できないんで、それをするには助け合うしかない。
そこに助け合うのも僕と日本人もそうだし、イギリス人でもそうですし、例えばタンザリア人とか、
みんながミックスして過ごす場所なんで、基本みんな外国人なんですよね。
で、そういったコミュニティの概念がいいなって思って、僕たち、あなたたちじゃなくて、みんな僕たち外国人じゃんっていう概念があったら、また違う世界が見えてくるんじゃないかなという。
クリエイティブな環境の形成
で、そうなった時に、オランダ語って結構AAって続きが多かったりするんですよね。
ストラートとかセントラールとか、なんかAA、セントラルじゃなくてセントラールっていう感じで、AAがこう続いたりとかするんで、
なんかオランダに作る会社だし、なんかそういうオランダっぽい続きのAAに変えてもいいかなっていう感じで、
アーランド、意味はそういうみんなが外国人っていう意味なんですけれども、異国人。
で、その会社名にアーランドっていうのをつけたっていうか、2002年とかですね。
なるほどね、そうか。ここでちょっとお話中座しちゃいますけど、視聴者の方から質問をいただいています。
先ほど時間の使い方や音楽の話がありましたが、クリエイティブな環境をクリエイトするためにされていることで、他にどのようなことがありますか。
場所、空間、インテリア、照明、音楽、香りなどの物的環境、本、映画、音楽の習慣などうつみさんが意識されている具体的なことをさらに教えていただきたいですと。
そうですね、朝起きて、たまにっていうか結構よく、なんか今日僕はどこにいるんだっけって思って起きることが多いと思うんですね。
アムステルダム、いや地下だったとか、インナーウィズだったとか、なんかそういうことって結構あるんですけど、もうそうなると環境は変えられないんですよね。
もう自分の中のマインドセットを一定にする以外はどうもコントロールできないので、唯一コントロールできるのはおそらく自分のマインドセットだけだと思うので、
基本的にどこ行くにもバックパック一つなんで、その中にもう決まったものが決まった分だけ入ってるって状況なので、そこでルーティンを確立するっていうのは結構あるかもしれないですね。
決まった手順で、何も考えずに手順、身なり身近くをして、香りだとか、あんまり変えずに基本的にはもう決まったものを決まった分だけ持って動くっていうのがスタンスですね。
ルーティンを決めることで、そこで余計なエネルギーとかインスピレーションとか奪われることなく、次にまたルローできるし、そこでまたいろんなインスピレーションを受けられることもできるのかなっていう話がありましたけど、
例えばそのバックパック一つでいろんなところに行く中で、もちろんその服とか日常品もあると思うんですけど、なんかこれはひょっとしたらちょっと、つまりそれだけ軽装化してある意味ミニマリストのような形で世界を飛び回っていながら、これは意外と他の人、ある意味旅の七つ道具として持ってないんじゃないかなみたいなものってありますか?
まあ当然カメラ持ってると思うんですけど。
今の時代、なかなか大きめのノートとか持ち歩く人はいないのかなっていう、全部みんな携帯でやっちゃうと思うんで、僕はモーレスキンのノートとか、もう5、6年ずっと同じやつ使ってるんですけど、そこに自分の気持ちとかを整理するっていうとか、あと次のインスピレーションをまとめておいてっていう。
だからそうですね。
強いて言えば、今時そういうノートとか持ってる人いないんだなぁみたいなな思いながらですけど、僕にとってはすごく重要なツールかなという。
でもすごいわかりますね。やっぱり僕も何度も、もちろんスマホのメモだったり、もちろんそれは便利だし、例えばタブレットで結構ノートライクに書けるものも増えてきますけど、やっぱりそのクリエイティブのベースというかね、そこは好きなみつけに紙のノートいいですよね。
そうですね。ジュエリーも思いついたらとか、そういうドキュメンタリーも構図でこうしようとかっていうのは、もうすぐやっぱり絵とかで書けるっていうのは大きいので、iPadがあればできるんでしょうけれど、決して何か気を照らす答えではないかもしれないですけど、今時そういうノート持ち歩く人とかいないんだろうなって思いながら使い続けてる。
でもあえて今時風の切り替えすると、逆にコスパタイパーいいですよね。紙のノートの方がっていうところもありますよね。なんかこう持ち運びとかちょっと面倒かもしれないけど、やっぱりなんか手が動くと心も魂も動くみたいなところないですか。
いや、ほんとその通りですね。やはり、あとは僕にとっては日本語を忘れないためにやっぱりあれやって書くぐらいがちょうどいいノートにもなるんですけれども、やはり考える速度と文章を書く速度って結構シンクすると思うんで、携帯でパッパッパってこう書くときもいいと思うんですけれども、なんか考えながらこうわざわざ書くって考えを、頭を少しギアを落としてっていうんですかね。
そういう意味ではクリエイティビティを保つために、あえてそういう少し速度を落としてっていうのはあるかなと思います。料理と一緒、そんな料理する方ではないですけど、やはりこうまな板の上で切るにあたって、切ったものがその上にあるとどうしても邪魔になって、だんだんスペースが減った中で切っていくしかなくなっちゃうと思うんで、
そういうノートとかに一旦考えた、切ったものを避けておいて、まな板は常にクリーンな状態にしておくと、クリエイティブなことに次に続けられるかなっていうイメージですね。
すごいわかる。単純な質問ですけど、そのノートのモレスキンのサイズってどのくらいですか?
今あります?
成功でした。
YouTubeの方ぜひ、ポッドキャストの方もこれYouTubeを後ほど見てください。
ちょっとスリムなやつかな。
A4がこのサイズだからA5って言うんですかね。
A5か。
これに普通にシャープで、カレンダーとかは全部自分で手書きで作っちゃって、
今だと2025年の4月ぐらいまでの予定はもう大体こうやって書けるみたいな感じで、そこから大体2週間ぐらいに落として、そんな感じですね。
面白いですね。ありがとうございます。
このノートには実は自分の生まれてからの大体の歴史みたいなことも書いてて、
1980年に生まれて、1990年代、2000年代、2010年代、20年代って、これが今ここではですけど2100年ぐらいまで書いてるんですね。
すげー。
一応。
僕たち、りょうへいさんと僕年一緒じゃないですか。
そうですね。
平均寿命が80年とか90年、今現時点ではそうですけど、次に間違ってでも100とか110とか120になったらっていうのもある程度ちょっと頭の片隅で置いておきたいなと思うので、
なので1980年に僕たち生まれて、120だったら2100じゃないですか。
確かに。
だから2100年までは一応書いてます。間違ってそこまで生きちゃった時のために。
でもそういうのも、お気に入りのノート上でいろいろ書くっていうのは楽しいですね。
そうですね。やっぱりこうやって毎日何だかんだといいこともあれば良くないこともあったりとかして、
それでいろんなそういう時にその先、10年後、20年後、例えば50年後みたいなのがあってその時間軸の中に今があると思うと、
結構些細なことに思えてきたりもするというか、そこに行くプロセスの中にいるっていう考え方はですね。
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