2024-06-24 34:47

#4 50代までは若者

・気温の乱高下
・活動報告会に行ってきた
・若者への支援
・いろんな仕事、家族の在り方
・震災、入院、コロナ禍
・結局は自分

サマリー

このエピソードでは、気温の変化の影響や洗濯物の干し方について考察されています。シェアオフィスでの人との交流から得られる刺激についても語られています。また、50代までがまだ若者とされる社会構造や将来への展望についても触れられています。さらに、コロナ禍によって変化した日本の労働市場と若者の生き方についても言及されています。特に10代や20代の苦しさと、それに対する支援の重要性が考察され、地方と都市部の格差や震災を経た社会問題の顕在化についても触れられています。50代までの世代は、苦しみやチャレンジを通じて若さを再認識し、自身の生き方を見つめ直す重要な時期にあるとされています。また、社会事業に向けた意欲や、自己の気持ちやコンディションに基づく事業運営の難しさについても語られています。

気温と洗濯の影響
鬼の目に木琴、始めてまいります。
お過ごしでしょうか?
本当に毎日、気温がすごい乱高下、
こういうこと言うんでしょうね。
すごい下がったり上がったりして、
今日はすごい寒い感じもあって、
雨が降って、ちょっとじめじめしているのもあるんだけれども、
なんかこう、少し涼しいを取り越して、
ちょっと生温かくもないか、
ちょっと肌寒さもあるような気候でしたね。
一方でも、昨日は暑くて、明日はめちゃくちゃ暑くなるらしくて、
30度超えるとかね、話もあって。
なかなかこの気温の上下にどう対応していくかって、難しいですよね。
室内にいてね、暖房冷房をちゃんと使うっていうのも大事ですけどね、
今ちょうど暖房をつけちゃってますね。
だって昨日も明日も冷房をつけてたんですからね。
これもなんかすごいことですけれども、
ちょうどこう、洗濯物をしてね、
干すっていう時に、
もうすごいこう、今生乾き状態でね、
なんかちょっと困ってるんですけれども、
最近の洗濯用洗剤ってまあまあ優秀だから、
室内干しでもそんなに不快になることはそこまでないことは多いんですけど、
今日はやっぱりね、じめじめしたのもあって、
あまり良くはないですね。
困ったなって感じです。
シェアオフィスでの交流
なんかね、その場では大丈夫そうで、
もういざ乾いてしばらくしたらなんかちょっと気になるなって時もありますもんね。
基本的に僕はもう、洗濯物は外で干さないんですね。
これはもうずっとですね、一人暮らし始めてから。
やっぱり、なんだろう、最初は本当に仕事で、
外に干してるなんて時間がないというか、
だって家にいないんでね、基本的にね。
土日もない状態で、
家の外に干してなんておけないですよね。
天候だってどうなるか分かんないし。
またね、北国だったので、やっぱ北国ってね、
本当に天気悪いんですよ。
もう東京にいるとね、
なんか本当に毎日晴れてるんじゃないかと思うくらい。
もちろん雨だって雪だって降るんですけれど、
いやもうね、北国に比べると全然違いますね。
太陽が出てる時がすごく長く感じますね。
でもましてやその北国で、
全然無理ですよね、この、
干したまんまにしていくっていうのはね、
雨が降ったら天候もすぐ変わりますからね。
前回収録してからそんなに日は立ってないんですけれど、
そんなに数日なんですけど、
なんだろう、なんか一心一体というか、
今ね、結構収まってるんですけど、
今も結構深夜のお時間なんですけれども、
やっぱりちょっとこう、前足気味っていうかね、
呼吸器が落ち着かない時も多いし、
外出るとね、やっぱりね、
なんか外出てたまに咳き込むんですよね。
たまに咳き込むとやっぱりちょっとね、
周りに対しても気にしちゃうし、
なかなかちょっと苦しいところでもあるんですけどね。
仕事のほうも本当に一心一体で、
ただこう、昨日かな、
昨日日付がよくわかんなくなったら、
一昨日か、一昨日くらいに、
ちょっとこの、
オフィスのとこをですね、
ちょっとね、
ちょっとね、
ちょっとね、
ちょっとね、
ちょっとね、
それくらいに、
ちょっとこの、
オフィスのところで少し、
久々に人と話したというか、
結構ね、
あの、
シェアオフィスなんですけど、
シェアなのでいろんな人が来るんですね。
結構人が多かったんですよ、その時。
人が多かったから、
だから結構いろんな人と話す機会もあって、
だとね、
その中でちょっと困っていることとか、
あとは逆にアイデアをもらったりとか、
そういうことって結構あるんですね。
まあそういうのがよくて、
そこを選んだっていうのもあるんですけどね。
シェアオフィスとかコーワーキングスペースって、
いろんなところあるんですけど、
僕の場合やっぱり、
一人でやるっていうことに不安はあったので、
何かしら刺激をもらえたりとか、
何かねこう、
自分以外の人と関わる、
そういう接点は、
作っておきたいなと思ってたんでね。
だからそれがちょっと、
たまにできるといいなと思ってたんですけど、
先日は結構人がいっぱい来たので、
結果的にいろいろお話もできたりして、
50代の若者論
よかったですね。
その中で、
事業説明会やろうかなと思って、
会社自体は5月にできてるんですけど、
そこからサービス内容見直したりとか、
告知用字台作ったりとか、
さまざま1ヶ月くらいやってて、
まあまあその辺もね、
できてはきたけど、
いろいろサービスを始めるにあたっても、
会社自体の事業説明会ということで、
ちょっとご紹介して、
そこから少しでも興味を持ってもらえる人とか、
増やしたり、
あとは、
後から知りたい人のためにアーカイブで見せることで、
少し理解してもらったりとか、
とにかくいろんなものをアウトプットしたり、
つながりを持っていかないといけないなっていうのはすごく思って、
そういうのも焦っててもしょうがないんですけど、
まあね、
ちょっとやっていかなきゃいけないなっていう気持ちもありつつ、
でもね、体調もなんかいまひとつな感じもあり、
な感じでしたね。
今日、
アクタっていう、
HIVについて啓発活動をやっているコミュニティセンターがあるんですけど、
そこの発表会というか、
報告会があって、
2023年度の報告会ですね。
それがあって、その活動報告会に行ってきましたね。
なんかまあ、もともと予定はしてたんですけど、
あんま体調もね、なんかやっぱり、
ちょっとしっくりこない感じがあって、
どうしようかなって結構ギリギリまで悩んでたんですけど、
なんとかいけそうだったから行ってきたら、
まあ、やっぱり急いで学ぶこともあってね。
なんかこう活動報告会、
やってきたことありますかね。
なんかこうNPOとか、
あとはまあもちろん会社でもね、
事業報告会みたいなのありますもんね。
まあそういうものでいうので、
初めて活動をすることもあるし、
そこからなんか新しい、
本当に1年を通していろんな活動はされてるんですけど、
やっぱり活動報告会とかのほうが、
短い時間にダイジェストで、
いろんな概要を知ることができるし、
今後の方針というかね、
今後こうしていった方がいいんじゃないかっていうことも、
非常に明確に分かったりしますからね。
ですから非常にいいなと思って、
なるべくそういうものには参加したいなと思ってるんですけどね。
やっぱりこの、将来を見ていくっていうのは、
こういう事業って大事だなと思って、
僕の中にそういう視点があんまりなかったなと思ったんですよね。
もともとその会社を作るっていうのも、
勢いもあるし、
前々からとにかく何かしら事業で生きていきたいというかね、
自分自身が会社で生きていくことができない人だなっていうのは結局はあって、
長くいろんな会社とかで所属して働いてきた中で、
やっぱりもうちょっと自分自身の手で、
自分がのびのびとできるというかね、
そういうものがいいなっていうふうなのはすごく思ってきたから、
それをやりたいなってことで事業化をしたってことはあって、
その背景にはやっぱり自分自身がやりたいこととか、
解決したい課題、社会課題っていうのがあるんだと思うんですね。
ただなんか自分の中でまだ明確になっていない部分もあったりして、
でもそれを将来こうしていきたいっていうのを考えていくと、
少し明確になっていくような気もしたんですよね。
やっぱり僕自身の中にある大きな部分っていうのは教育であって、
子どもたちなんですよね。
やっぱり子どもたち、ちょうど今選挙でもいろんな焦点が当たってますけどね、
都知事選でもいろんな焦点が当たってますけど、
やっぱりその若い人たちにとにかくリソースを割くというか、
若い人たちに手厚くするって本当に大事だと思うんですよね。
とにかく若い人たち、10代、20代の人たち、もちろん30代、40代でも若いんですよね。
若者に含まれると思うんですよ。
非常に、そうですね、いってみればかつては60以上がもしかしたら、
なんていうんですかね、シニア世代と言われた時代ですけど、
やっぱり政治家なんか見てても、全然60代なんてシニアって感じではないですよね。
むしろ現役世代っていうのが、もう60代みたいな感じもあると思うんですよ。
もうなんか、この日本を作っている大部分が60代だったりしますからね。
でもそう考えると、やっぱりこの50代くらいまでって全然まだ若手というか、
まだ道半ばなところがあるって思ってもいいと思うんですよ。
社会構造がそうなっている部分があると思うんですね。
60代からが旬みたいなね、メインであると。
そこまでがキャリア計画であるっていうんですね。
もちろんかつてのキャリア計画、キャリアプランっていうのを考える時に、
どこをエンディングにするかっていうと、
60代で、だいたい10代、20代、30代、40代っていうようなくくりでいた時代もありましたけどね。
今はそんな単純ではもちろんないわけで、いろんな生き方、いろんな仕事、いろんなことがあるわけですよね。
そうなった時に、やっぱり50代くらいまでは人生大きく変わることって全然あると思うんですよ。
チラッと耳にしたところだと、今本当に企業をする方ってすごい増えているっていうのは、
肌勘でもあるし、いろんな話を聞いていてもあるし、
ちょこっと耳にした同じシェアオフィスの方の話だと、年齢も様々で20代の方もいらっしゃれば50代の方もいらっしゃるし、
いろんな方がとにかくいらっしゃると。
でも本当そうだと思うんですよ。
企業ってものの問題点だったり、生産性の問題だったり、いろんなことが浮き彫りになっている中で、
同時に真っ黒な目で、大きな目で見た時にも問題点があるし、
日本の労働市場の変化
真っ黒な目で見て働きながら企業で生きていくとか、企業の中で生きていくことの課題を個人で感じている人は多いと思うんですよね。
そういう方はやっぱり転職するってことは今、どんどん当たり前になってきてるし、
転職指標はもう滑挙ですよね。だいぶ前というか。
コロナが前から滑挙だったのが、やっぱりコロナ禍っていうもので、
もちろん非常に失業が多かったっていう、雇用が不安定化したっていうところもあるし、
同時にいろんな働き方が変わってきたっていうところもあるでしょうね。
うちもベンチャー企業っていうのが、ベンチャー企業っていう感じの先進性があるかっていうと、
そこまでビジネスモデルとして先進されないような気はするんですけれど、
ただ小規模で始めていく企業、スタートアップとしては、やっぱりそういうところでやっていきたいとか、
もちろんスタートアップで始めて、そこでずっと働いていくっていうケースもそんなにはないですよね。
必ずしもそうではないですよね。
いろんなものが重なって、とにかく流動的にはなっているっていう、流動性を増してるっていうのはありますよね。
だからこそ、その中でどういうものがやっていけるかということですよね。
ただそこでやっぱり立ち返るのが、その若者支援というか、若者っていう国の考え方なんですよね。
特に多分苦しいのが10代、20代だと思うんですよ。
そもそも10代って苦しいんですよね。そもそも10代って生きるってすごく苦しいと思うんですよ。
自分も今もちろん苦しさはあるけれども、10代の苦しさとはやっぱり比べ物にならないと思うんですよね。
僕自身は比較的幸せな10代だったと思うんです。振り返るとね。
ただもっともっと大変な状況にある10代の人はいっぱいいるわけで、
そのことを考えて、やっぱり10代に手厚くするっていうことはまだまだ必要であると。
同時にやっぱり20代くらいのね、やっぱり10代も20代もある意味が変わらないですよね。
一つはやっぱり高校を卒業するまでっていうのが、一つの日本での括りになると思うんですよ。
そこからって多分多くの人が思っている以上に多様だと思うんですね。
もちろん大学進学率っていうのも高くはなってきたけれども、
大学進学した後に卒業できるかとか、卒業まで至るかっていうとまた別問題だったり、
卒業するべきかどうかってところもありますよね。
あとはその前の段階で、進学っていうことを選ばなかったり選べなかったりする人っていうのはもうこれもいっぱいいるわけなんですよね。
本当に多いんですよ。
でもそれってやっぱり悪いことではなくて、その後に20代とか30代とか40代とか50代でやっていけばいいと思うんですよ、いろんなことを。
学びたいと思ったら大学とかで学んでもいいですよね。
あとは仕事だっていろんな仕事をやってみたり、仕事の方法だったり、業界だったりだっていろんなものを試してもいいはずだし、
家族だっていろんな家族のあり方があっていいわけだし、
一人でいる時もあってもいいし、二人でいる時、三人でいる時があってもいい。
いろんな人と一緒に住んだりしてもいいし、
その住み方とか生活の仕方もいろんな住み方がありますからね。
シェアハウスのような生き方もあるし、なんかいろんなものがあって、
ただやっぱりその中で生活していくっていうことが非常にこの国は決して簡単なことではないと。
ただその中でもやっぱりたくましいと思うんですよ、我々っていうのは。
もうすごい多分ね、本当によくやってると思うんですよね。
本当はもうちょっと政治だったりとか福祉っていうものを作っていけたらよかったんですよね、我々もね。
だけどなかなか思うようなものにはなってないというか、だいぶ偏りのあるものにはなってるし、
なかなか優秀な人だったり誠実な人っていうものが力を持ちにくかったりしたのかもしれませんしね。
ただいずれにせよ、やっぱりちょっとみんな苦しい生活がちょっと苦しい。
お金がそんなに余裕がなかったりするし、さらにさらにお金が流れないですよね。
全然流れてこないし流れていかないっていう状況、いわゆる不況ってやつですよね。ずっと不況の状態で。
ただその中でも、やっぱりこの雇用の流動性だとか生き方の多様性っていうものを我々が選んでいけてるっていうのは結構たくましいと思うんですよね。
なんかどこか受け身になって流されるっていうことだけではなくて、もちろんそういうこともあるけど、
若者の苦しみと支援
果敢にそう中でも自分らしい生き方とか、より良い生き方を掴みに行こうとしている人が多いっていうのはすごいなと思うんですよね。
ただもちろん地方と都市部の格差はすごく感じますね。
もともと長く地方にいたので、地方の知人も多いわけですよね。
でもその中にいると、やっぱり多様な生き方とかって発想に浮かばないし、苦しい中にあっても、そこでそれを受け入れることしかできないですよね。
自分もそうでした。本当にそうでしたね。ただただそれを受け入れることしかできない中で、
ただやっぱりその大きなきっかけとしてあったのは一つは東日本大震災ですね。
あの時にやっぱり死を覚悟したというか、自分自身は全然被害はなかったんです。本当に。
停電もなかったし、ただもちろん物流は途絶えたり、非常に不安になったりもしたし、
あとは仕事をしていく上でも、震災とどう向き合っていけばいいのかっていうのはすごく感じたんですね。
ちょうどボランティア部の顧問をしていたので、その当時はボランティアで震災の復興のための教育に行くような学校もあったんですけど、
僕はやっぱりそれはちょっと何か違うなぁと思って、募金くらいでしたかね、直接したのは。
募金一つとってもね、本当にみんなさんが募金してくれて、赤い羽根募金とかだと普通の都市だと本当に全然どこまで集まらないんですけど、
東日本大震災の時は義援金の時とか、あと羽根募金の時とかも金額が全然違いましたね。
なんかこう、助け合うってなんだろうとか、ボランティアってなんだろうとか、東北の震災って本当に東北って遅れてたんですよね、災害対策っていう面では。
遅れてたんです。神戸の震災があって、神戸の震災で非常に近畿とか東海とか、あっちの方は意識はね、違ったと思うんですよ、変わったと思うんですよ。
だけど東日本大震災の時でようやく東北も災害っていうものに対して向き合ったというか、もちろん雪害とか、川の氾濫とかね、台風もほとんど来ないんですよ、東北って。
そこまで被害が大きくなかったんですね。
そんなにひどくなることは少ないんですよ。だから意外と東北って災害っていうと、思っている以上にそこまで甚大なことっていうのは、ある程度はあるんだけど、小さいのはいっぱいあるんだけど、大きくなることっていうのはそんなになかったんですけど、
東日本大震災でそういうものが浮き彫りになったと同時に、よく言われるように、震災のような大きいもの、コロナ禍もそうですけど、大きなことがあった時には、本当に社会問題が浮き彫りになるんですね。
その中で外国人の人たちに対しての情報とか、差別とか、あとは障害がある人はどう暮らしていけばいいのかとか、セクシャルマイノリティの権利とか、いろんなものが浮き彫りになるんですよね。
福祉的な面の必要っていうのは、やっぱりどうしても出るので、困るの、特に困るのが、そういう普段の日常の中でも困っている人が、もっと困っていくわけですからね。
そういう機会だったと思うんですけど、その時にやっぱり少し自分の生活っていうのも見直したところはあるし、
あとはその次にあったのが、自分自身の入院ですね。
入院って言っても大したことはないんですけど、やっぱり本当に、
炎症がすごい、尿膜管ってところがあって、臓器の一つが炎症を起こしちゃって痛くなっちゃったっていうものなんですけど、
簡単に言うとめちゃくちゃお腹が痛くなったってだけなんですけどね。
ただやっぱり本当に、見直したというか、無理してたなっていうものもあるし、
ちゃんと医者行こうと思ったり、あとは家族が自分を心配してくれてるんだってことに気づき始めた頃でもあったしね。
なんかいろんなものがちょっと変わった。
まあね、体壊さないと変わらないっていうのもどうかと思うんですけど、
でもそういうものでいろんな医者にも行くようになりましたね。
それがきっかけでね、こまめに医者にも行くようになったし、
そういういろんなものがあった後に今度は、それでもうやっぱりいろんなことをちょっと考え直し始めて、
で、学校を辞めて、で、今度入ったのがコロナ禍ですよね。
コロナ禍はね、自分自身は学んだっていうよりは、どちらかっていうと、
そこでちょっとこう、自分が歩もうとした道をね、それをくじかれたっていう思いがすごくありますね。
もちろん学校を辞めて、時間的にも資金的にも余裕があった時に、
もっといろんなことをしたかったのに、それができなかったっていうのは、
すごくつらかったし、そもそもコロナ禍ってつらかったじゃないですか。
もう何もできないっていうね。
ちょうど少し前に、自分の作品集を作った時にも、
本当にその頃のエッセイや記事を読み直したりして、大変な時だったなって思うんですよね。
そこを経て、その中でも自分なりに何とか葛藤しながらも、いろんなことをチャレンジしたんですよね。
本を出してみたりとか、ブログを始めたり、YouTubeをやったり、
働くところもいろんなところで働いてみたりしてね、やってみたんですよね。
そういうことをやってきた4年間で、そういう4年間があっての企業ってことになって、
でもやっぱり、依然として苦しみは変わらないところもあるわけですよね。
ベースにある苦しみっていうのが、そもそもあるじゃないですか。
体調のことだったり、お金のことだったり、生活のことだったり、
いろんなベースにある苦しみって、人それぞれですけど、やっぱりありますよね。
ベースにある苦しみプラス、そういう何かしらの困難、その時々の困難があるじゃないですか。
だから、その時々の困難っていうものにどう向き合っていくかっていうのは、
震災と社会問題
そのつるつるとでやっていくしかないんですけど、
ただやっぱり、若者支援ってことを考えたときに、
そのベースにある困難っていうのが、もうちょっと緩和できるだろうみたいなのがあるわけですよね。
法律例を変えるなり、支援を行き届かせるなりね。
税金をどう使うかとか、税をどう集めるかとか、福祉をどう運用するかとかって、
政策をどう行うかって、本当にもっともっとできることはいっぱいあって、
そういうものによって、ベースにある苦しみをもっと緩和していくことで、
もっと苦しいっていうものとか、チャレンジとか、生き方ってものは変わってくると思うんですよね。
そういうこともありながら、そのベースにある苦しみとかも含めて、
非交錯誤する世代って、たぶん今50代くらいまでだと思うんですよ。
肌感として。
やっぱり50歳までで、キャリアが完成するって感じはもうないじゃないですか。
やっぱり60になって、少し見通しが立つかなくらいですよね。
だから病気とか、私別とか、利別とか、いろんなものとか、
いろんなものと向き合いながら、自分ってものを生きながらえていく中で、
そもそも若者じゃないっていう、ある種の到着点みたいなものを見出すべきなのかってところもありますけどね。
芸術家なんかだと、なんだろうね、芸術家もいろいろいるけれども、
ある種の到達点となるっていうことはあって、
でもその到達点になるってことはもう、芸術家としてはある種の終わりというかね、
まあまあまあ、それはそれで価値はあると思うんですよ。
なんだろう、芸術家から職人になる感じですかね。
中世だったらね、職人と芸術家っていうのは、かなり近いところだったと思うんですけど、
現代では芸術家っていうと、かなりクリエイティブなものを指すことが多いですけど、
でもそこじゃなくて、割とある程度完成されたものを生み出せるっていう、
もちろんそこにクリエイティビティがないわけじゃないけれども、
クリエイターとして、職人として何かを残していくっていう段階になるっていうんですかね。
だから芸術家から創造者から職人になるっていうんですかね。
そこまでの過程、でも人間ってずっとクリエイティビティがあるというか、
想像し続ける気もするんですよね。
同じこととかをずっと繰り返して終わるわけではなくて、
どこかでまたブラッシュアップしていかないといけないところはあったりしますからね。
ちょっとその辺は少しいろいろ考えがあると思うんですけどね。
いつでにせよこの若者を支援していきたいっていうのはすごくありますね。
仲間を助けになりたい。
ひどい意味でのね。
だからやっぱり自分としては10代から50代までの人たち。
社会事業への意欲
そうすると60代の人たちを差別化しちゃう感じもするけど、
もちろん60代だってね。
いろんな方いらっしゃるしね。
全然挑戦者である人の方が多いと思いますよ。
でも理想ですかね。
60代くらいでちょっと楽になってたらいいかなと自分が思うからでしょうね。
楽になりたいなーってところだけど、
60代になったら楽になるわけではないですからね。
そんなことはないんだけど。
今は一応その授業としては文学についてということと通信生大学についてということにしてるんですけど、
本当はやっぱり自分がやりたいことって社会修行なんですよね。
もうちょっと社会的な問題、社会課題を解決するような授業をやっていきたいんですけど、
やっぱり社会事業ってお金にならなかったり、難しいところが多くて、
それだけでは難しいだろうなっていうのがあって、
まずはある程度お金を儲けるための、理人を求めるようなところを中心とできるような、
といってもだいぶ社会事業寄りなんですけど、
ある程度経営として成り立たせられるような仕組みをまずは作って、
その上で社会事業に手を伸ばしていきたいなってところがあるんですよね。
その辺りを来週一応発表をしようと思っているので、
そこまでにまとめていきたいなと思っているんですけどね。
どうなるかって感じですけど、
いろんなものがうまくいっていくのも疲れちゃうと思うんですよ。
どんどん話が決まっちゃったりしても忙しくなるし、やることも増えますしね。
でも今ちょっと空回りするほど動いてない気もするんですけれど、
でもどうなんでしょうね。事業自体がうまくいっていないとか、
今やっていることが良くないわけでは多分なくて、
ただ気持ちでしょうね。自分の気持ちだったり、そもそも体調であったりとか、
コンディションであったりとか、そういうものによる影響は大きい気はしますね。
それは大きいっていう感じはしますね。
だからちょっとそこらへんも落ち着いてくれたり、
少し調子が安定してきたらまたこういう考え方とか、
この自分の事業についての見方とか捉え方も変わってくるような気はしますね。
そうであってほしいと思いますね。
まあ、こういうのはコントロールできるようなものではないので、
少しずつ願うしかないですよね。自分が調子が良くなったり、
自分自身の問題ですよね。会社がどうこうっていうよりは。
自分自身がちょっと落ち着いてくれるといいなと願っております。
今回もお聞きいただいてありがとうございました。
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