1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
  2. #14:シンプルに考える。素直..
2021-11-19 38:20

#14:シンプルに考える。素直に生きる。 │ 齊藤 明希さん(PLASTICITY Founder)

▼本パートのインタビュー映像
https://youtu.be/T5s9MXdNjes

【齊藤 明希さんへのインタビュー】
Talk.1|廃棄ビニル傘がバッグに? https://youtu.be/xKgchGIzqVU
Talk.2|シンプルに考える。素直に生きる。 https://youtu.be/T5s9MXdNjes
〈11月23日(火)公開〉Talk.3|センスの本質 https://youtu.be/wcHOyQvo5Ok
〈11月26日(金)公開〉Talk.4|タイミングを逃さない人の共通点 https://youtu.be/vc7NiRVUojc

【プロフィール】齊藤 明希(PLASTICITY Founder)
さいとう・あき/日本千葉生まれ。 5 歳の時に父の転勤によりニューヨーク郊外に引っ越す。4 年後帰国し、東京のインターナショナルス クールに入学、高校卒業まで通う。英国リーズ大学のコミュニケーションズ学科を専攻。卒業後は日本 の化学メーカー(香料会社)に勤めるが、約一年で辞め転職やアルバイトを重ねる。バッグ職人との偶然の出会いがきっかけで幼い頃から好きだったものづくりを仕事にしたいと思うようになる。2018 年 ヒコ・みづのジュエリーカレッジ・バッグメーカーコースに入学。環境、動物、人に優しいファッションに関心を持ち、2019 年、在学中に PLASTICITY https://plasticity.co.jp/ を立ち上げ、2020 年卒業後に活動を本格化する。その関心から、私生活でもヴィーガンの食事や買い物を心がけている。現在はブランドのバッグデザインや企画に携わりながら、ジャンルを問わずフリーランスの仕事をしている。

▶Spotify(音声/毎週お気に入りの楽曲も流します)
https://bit.ly/Spotify_INTERVIEW_YH
▶Apple Podcast(音声)
https://bit.ly/Apple_INTERVIEW_YH

【目次】
OPトーク
アイテムに色はつけられない?
齊藤 明希の生い立ち
モノへの愛着
齊藤 明希がやめたこと
イギリスから受けた影響
留学時代について
初めて知る「香り」の世界
ターニングポイント
EDトーク

▼「会う力」養成講座 11月19日(金)ライブ講座開講!
https://www.auchikara.com/

▼11/29(月)「月末LIVE」開催
Q&A、フリートークスペシャルをお届けします

▼番組への感想・早川洋平・堀真菜への質問募集中です。
(いただいた質問は、毎月月末のYoutube Liveでお答えいたします!)
https://bit.ly/INTERVIEW_QandA

▼「QR CAFE」(毎月開催)
「人生を変える一冊」を見つけに行こう
http://life-upd.com/cafe/qr4.html

▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

▼【ナビゲーター・堀真菜プロフィール】
ほり・まな/現在、早稲田大学3年生。 コロナウイルスの流行により、人と会いづらくなったことを機に、zoomを通して色々な人の話を聴くことを始める。1年間で200人以上にインタビューを行い、聴くことの魅力に目覚める。 現在、勉強を教えない塾福幸塾と提携し「思考と対話の技術」の提供をする他、学生・若者向け対話サービス『workin’ talkin'』を立ち上げるなど、 対話、インタビューを通じて様々な事業を展開している。プロインタビュアーとして実績を積むため現在奮闘中‼︎
https://koushiro123.wixsite.com/manaroom

▼関連キーワード
#会う力
#齊藤明希
#PLASTICITY

Videographer/Editor : 中江公大(Kimihiro Nakae)

00:01
インタビュー
こんにちは、堀間奈です。
インタビュー、この番組はYouTubeとPodcast各プラットフォームよりお届けしています。
YouTubeのチャンネル登録、Podcastの番組のフォローよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そして早川さん、今日もよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
今日はね、こんなふらふらした感じで始まりました。
はい、大丈夫ですか?貧血ですか?違いますか?
いや、どういうニュアンスでいこうかなと思って様子を伺ってました。
ご苦労おかけします。
いや、とんでもないです。
でも、今日はこの雰囲気とは違って、ちょっと真面目な話をいきなりしたいなと思うんですけど。
僕はいつも真面目ですけど、大丈夫ですか?
プロインタビュアーとインタビュアーの違いって、早川さんどうお考えになってるのかなと思って。
それはまたいいツッコミですね。これね、本当のところ言っていいですか?
例えばね、プロフェッショナルの質問みたいに、何かそういう何かの言葉が出てくるとか、
もちろんプロなんで、それでお金をいただいているとか、いろいろ定義あると思うんですけど。
でもそうか、マナさんの質問は違い?
なんでね、この質問が出てきたかというと、
私も独立、プロインタビュアーとして独立を目指しているわけなんですけど、
自分のことをプロインタビュアーと言っていいのか、言いたいけど。
いい質問ですね。これね、実はですね、僕、これね、本当にいい質問。
今までたまに言ってるんですけど、僕ね、それ言いたいことすごくよくある。
まず2つあって、そもそも言っていいのかっていうのもあるし、
あと単純にこれちょっと恥ずかしいのもあるんですよ。いまだに。
いまだに?
いまだにあります。で、これね、僕が、
こういうブランディング的にプロインタビュアーみたいに言ってポジションを取るとか、
マーケティング的にどうこうとかそういうの全くないんですよ。
で、できることであれば、今もたまに呼ぶんですけど、
なんかもう言うのやめようかなと思ってる時があります。
プロインタビュアー?
その理由は、恥ずかしいから。
いや、で、じゃあそんな早川陽平がなんでプロインタビュアーって言ってんだって話なんですけど、
これはですね、実は歴史があってですね、どうだろう、最初に名乗ってないと思うんですよ。
8年か10年ぐらい前にですね、
いろいろ僕、ありがたいことにいろんなトップランナーの方とお仕事させていただいてて、
その時、ある方がですね、
これプロインタビュアーって名乗りなよっていうふうに言われて、
で、もちろん資格もいらないしさ、言ってもらって、
その方は多分、もちろんちゃんとした方なんですけど、
マナさんが前回のエンディングでも言ってくれたように、
いい意味かわかりませんが、
あんまり俺って自分をちょっと下に見たりとかさ、
03:00
ひっそりと入っていくネクラだからさ、
そっちがあってあんまり、もともと顔出したくないのもあって、
ポッドキャストやってるのもあってさ、
だからそういうのもあって、どんどんモグラみたいに入っていっちゃうので、
その諸先輩がですね、
そういう意味でもとにかくプロインタビュアーってやっぱ面白いから、
もちろんやってってお金も稼いでるわけだから、
言っていいんじゃないって言われて、
その時に、ただプロインタビュアーといえば、
マナさんも調べて出てきたと思うんですけど、
僕なんかにも全然有名な方がいて、吉田剛さんっていう方がいてですね、
非常に、僕もいつかそれこそインタビューしたいなと思って、
お目にかかりたいなと思ってるぐらい尊敬してる方がいて、
その方はね、いろんな著名人の方にお話しかかったりとか、
番組なんかもやってらっしゃって、非常に優秀な方で、
僕がトークを呼ばない方なんですけど、
そういう方もいるので、より何か言いづらかったんですけども、
でもね、自分なりの何かスタイルがあればいいかなと、
あと僕は、吉田剛さんがすごいのはね、インタビューもですけど、
もちろんライターとしても超一流でね、文章もたくさん書いてますけど、
ご存じで僕、文章嫌いですので書けますけども、
それを逆手にとってね、そしてよくわかんない、
なんだよこいつみたいな感じで、
ポッドキャストがYouTubeで世界中ふらふらして、
いろんな人インタビューして、
こういう人が一人ぐらいいてもいいんじゃないかなと、
いわゆるインタビューしていくらっていうお仕事を、
もちろんいっぱいさせていただいてますけど、
自分でそのインタビューのコンテンツを作って、
それ自体を、この番組の前身のライフアップデートなんかもそうですけど、
直接お金をいただくっていうのも、
それもプロインタビューの形でいいと思うんですよ。
インタビューを買っていただいてるわけですから。
もしくは、例えばですけど、
石平さんと番組をやってます。
その方の番組をプロデューサーとして入り、
インタビュアーとして入り、
そしてそこでまたお金をいただいてるわけですよ。
なので、それも含めてプロで、
プロインタビューやっていっていいのかなって後付けですけど、
だからそこですね、変な話ですけど、
結局それで、これは今もですけど、
ダメになるというか淘汰されるようだったら、
それまでだってかなというふうに思えばいいかな。
ただ別にそんな悲壮感とか漂ってるわけじゃなくて、
究極的には今やらせていただいてることですけど、
国内外、有名無名、老若男女問わずですね、
魅力的な方だったり、魅力的なお話を僕が聞かせていただいて、
それを何らかの形でこうやって世の中にお届けすることができて、
3本良し4本良しになればいいかなというだけなんで、
別にプロインタビューっていう肩書き、
明日から使っちゃいけないよって言われたら別に全然いいかなと、
むしろひっそりとしていこうかなみたいな。
出すものが面白いかに全てがかかってると思ってるので、
あんまりこだわりないですね、実は。
最初からプロインタビューは早川洋平として名乗ってたわけではなくて、
後からってことなんですね。
ないです。だからプロ付けるのも恥ずかしいから、
06:00
インタビュアでいいんじゃないかみたいな。
私はプロインタビュア早川洋平の文字の並びが好きなので、
今後もプロインタビュア推しでいきたいんです。
ありがとうございます。
逆にそうやって他社の方がよく言ってくださるので、
人の話、仕事してる以上は人の話ちゃんと聞かないと、
ということで現在に至るまで一応名乗らせていただいてる次第ですが、
こんな感じでよろしいでしょうか。
そんなプロインタビュアの早川洋平さんがインタビュー、
今月してくださったゲストは前回に引き続き、
プラスティシティのファウンダーの斉藤亜紀さんですね。
この斉藤亜紀さんね。
彼女も起業家、そして年齢も結構まだ20代なので、
そういう意味ではすごい落ち着いてる方ですけど、
マナさん実際インタビュー聞いてみて、
同じ女性、そして20代、起業ということで、
ちょっとインスパイアされることもあったのかなと思うんですけど、
どんな感じでした?そういう視点から聞くと。
なんかこう斉藤さんのお話を聞くと、
斉藤さんが本当に好きでやってるもので、
自分の軸があって、それを縛りとかにとらわれず、
自由に表現する中で、
なんかあの商品が生まれたんだなっていうのをすごく感じて。
だからなんか起業するぞとか、
独立するぞっていう感じではなく、
力を抜いてそれをされてるっていうのがすごいなと思って。
そうですね。
もちろん実際いろんなご苦労とかもあると思うんですけど、
今マナさん言った視点、非常にその通りだなというふうに思って、
実際今回か次回か出てくると思いますけど、
やっぱり今回の注目される一つのきっかけとなったのは、
やっぱり環境問題とかね、
あと最近のSDGsとかね、あるじゃないですか。
それはもちろんそれで大事なことだと思うんですけど、
実際彼女の話聞いていくとですね、
結果的にそういうものになっているだけで、
彼女がものすごい環境活動家とかね、
SDGsみたいな感じではないんですよ、誤解を恐れずに言えば。
なので今マナさん言ってるように、
やっぱり自分が好きなこととか興味あること、
面白いもの、いいものを作るっていうことを突き詰めて、
自然体でいった時に生まれたものが、
やっぱり時代とマッチしていたというかね、
時代性があったっていうことを、
個人的にはマナさんの話を伺いながら、
ちょっと斉藤さんとのインタビューを思い出しました。
私も最初に聞いた時に、
環境活動に取り組んでらっしゃる方なのかなとか思ったら、
ちょっと違う角度から、
なんか面白い感性をお持ちの方だなと思ったんですけど、
そんな斉藤さんと早川さんの対談の第2回お聞きください。
技術的にできるかって分からないですけど、色はつけられないんですか?
色は、もともと色がついている傘はあるんですけど、
色をつけるのは結構難しくて、弾いちゃうんです。
ですよね、なんかシンプルに。
素材って間に挟むことはできるんですけど、
09:01
そのために傘作るのもね、
そうなんです。
本末転倒ですよね。
異素材とか、例えば塗料を塗ってとかできるんですけど、
どう変化していくか。
塗料もおそらく中で割れちゃったりとか、
なかなかこの柔軟な動きに
一緒についてくるような塗料がなかったりとか、
そこはちょっと難しいんですよね。
プラ系の素材を挟み込むとか、そういうこともできなくはないんですけど。
ここまでプラスティッシュの商品について伺ってきましたが、
大きく話をですね、パーソナル気味にですね、
ちょっと転換しますが、すごい話に戻りますが、
そもそも鞘師さん、お生まれはどちらで?
生まれは芝です。
芝、そしてご両親って商売人、企業家とか、
いやいや普通のサラリーマンだよとか、どんな感じですか?
サラリーマンです。
企業に勤めているサラリーマンで、
そういう家庭ですね。
サラリーマン家庭というか。
自営業とかっていう感じではない?
全然ないです。
なのでそういう世界、私も知らないし、
家族もみんな知らない。
どこかに勤めるっていうのが当たり前だったんで、
私も最初はそれを目指して、
それしか考えたことすらなくて。
やっぱりね、今までもたくさん取材を受けられてきて、
見た人とかは、やっぱりこういう斬新なコンセプト、
強烈なコンセプトがあって、すごいものを作った方なんで、
幼い頃からみたいなイメージがあるんですけど、
全然そんな感じじゃなかった。
ちなみに性格的には、どんな子供でした?
自分で自分を評すると。
初めてそんなこと聞かれました。
でも、よく物を拾ったりとか、
コレクターだったかもしれないです。
ちょっとそれっきりはあったかもしれないですね。
それはすごい最近。
何を拾ってきました?昔。
石とか枝とか、何でもです。
もらっちゃいけないかもしれない。
お菓子の袋とか、
いつもと違うものとか、限定の。
それをとっておいたりとか、
例えば切手とか、
あとコイン、
違う国のお金が手に入った時に、
それを大事にとっておいたりとか。
どんどん出てきますね。
コレクトはよくしてました。
だから、人が見るとゴミなんですけど、
私はなんでか、そういうのはありました。
いわゆる、いい意味でですけど、
プラスティシティもそうですし、
12:00
今時代がSDGsとか環境とか、
もちろんそういうものの思いもあると思うんですけど、
直感的に、それはそれであるにしても、
そこだけじゃなくて、今のコレクションも、
もったいないとかっていうよりも、
ご自身であまり言葉ができないかもしれないけど、
シンプルに好きな。
ついてないっていうのは、
特に意識はしてなくて、
例えば植物に名前を付けたときとか、
大丈夫ですか?それついてないですか?
これ今ついてないです。
変な人って言われたこととかあるんですけど、
そういうものにキャラクターがあったりとか、
心があるように見えたりとか、
特徴の違う意思がいろいろあると、
同じように見えないとか、
そういうのはあえて説明すると、
あるんだなって思って、
洋服も、
例えばいまだに、
5、6歳のときに買ってもらったTシャツ、
ニューヨークヤンキースのTシャツがあって、
そのときすごいオーバーサイズで着てたんですけど、
それが今はぴったりになって、
ずっと今でも着ていて、
今はパジャマとして使ってるんですけど、
ここに穴が開き始めて、
そろそろダメかなって思ったんですけど、
穴は穴で、
より愛着が湧くというか、
そうやって物がかわいく見えたりとか、
っていうのがあるのかな。
いいですね。
自然とそうなんでしょうね。
お目にかかるのは初めてですけど、
プラスティシティっていうブランドを通しても、
いろんなインタビューの文字とかを見ただけなんですけど、
やっぱり後付けで恐縮なんですけど、
今の原点みたいなものを感じるし、
誤解を恐れずにも、
そこを純粋にずっと続けてきているだけなのかなと。
そうだと思います。
SDGsのことについて聞かれたりとか、
どうしても聞かれますよね。
聞かれたり、
環境問題について、
いろいろと求められたりするんですけど、
そんなに大きなことを考えてなくて、
シンプルに身近なもの。
8000万本の傘の問題って、
すごい問題だなって思うけど、
それよりも、
それが環境にどう影響があるかとか、
いろんな数字とかデータを見ても、
正直しっくりこない。
遠い世界っていうか、知らない、見えないし。
でも、そうじゃなかったとしても、
この自分の行動とか、もっと単純で、
8000万本っていうデータがなくても、
15:01
私は多分やってることだと思うんですよ。
ですよね。
湧き出てやってるんでしょうね。
作りたいっていう、
自分がやりたいことと関心と、
たまたまそういうのが、
時代的にタイムリーだったんだなっていう。
合致したんでしょうね。
確かに関心はあって、
環境問題っていうよりも、
動物が好きっていうことだったり、
それは確かにあるし、
自分の食生活も、
いろいろ心がけてることがあるのは、
動物に対する愛とか、
そういうことなんですけど、
それもすごい複雑な話でもなく、
温暖化にどう影響してるかとか、
考えるのではなくて、
単純に私は動物が好きで、
あるタイミングで、
自分が消費してるもの、
食べ物だったり、物だったり、
そういうものと自分が、
動物に対する愛の感情的に矛盾を感じて、
やめただけであって、
それがデータでどうあろうが関係ないというか。
やめたっていうのは、
これ見てる方、聞いてる方、
つまりあんまり肉とか魚食べないとか、
そういうこと?
そうですね。
普段は肉、魚は食べてなく、
そこもそんなに、
わりと柔軟ではあって、
外食行くときに、
どうしても人と食べるってなると難しかったり、
家族でもそうなんですけど、
あくまでも自分の中でのルールとか、
ドラスティックにやりすぎると。
ただ、人によっては、
一緒にビーガンのお店に食べに行こうって、
それをあくまでも楽しみながら、
できる範囲でやっていて、
ビーガンですっていうのはすごく抵抗があって、
そもそもビーガンって、
その人を象徴、説明するような、
定義してるような感じもするし、
私はビーガンのチョイスをなるべく選んでるだけであって、
人は別にビーガンでも何でもないというか。
ちなみに今話に戻って、
コレクターというかね、
集めるとか愛着っていうところはあったと思うんですけど、
本当に幼い時からそういう意味では続いてるのかなと思いつつ、
普通の家庭にというか、
普通っていう家庭ないかもしれないですけど、
いわゆるサラリーマンのところで、
全然企業とかにほど遠いみたいな感じだったと思うんですけど、
やっぱり個人的にプロフィールもいろいろ拝見して、
その中でも、英国、イギリスに行ってらっしゃったと。
その辺から、行ってる方いっぱいいますけど、
でも、いわゆる日本でずっと普通に来たのとは違うと思うんですけど、
何かその辺やっぱりあったんですか?
うちはサラリーマンで企業に勤めてたんですけど、
18:06
駐在で、
私が5歳の時にニューヨークにまず転勤になったんです。
それで家族みんなでニューヨークに行って、
私も5歳なので、5歳ってもう幼稚園で、
現地の子がABCを学ぶタイミングで一緒に入った感じなので、
そこからもう英語教育が始まって、
ニューヨークには4年間いたんですけど、
一番ある意味、いい時期に。
そうですね、一番いい時期に。
私だけすごいいいタイミングで、
兄さんにいてみんなすごい苦労して、
高校と中学みんなちょうど友達とも別れたくないとか、
私だって別に友達どこでも作れるっていう年だったんで、
兄たちはすごい大変だったと思うんですけど、
みんなで4年ぐらいいて、
戻ってきた時に英語教育は私は続けてて、
なので、そういう意味では自然というか、
日本の学校に行ったことなかったんです。
そのまま英語で学べる大学に行きたいっていうのをずっと感じていて、
それから行かせてもらって。
そうすると、帰ってきてからもインターナショナルみたいな。
そうです、インターナショナルスクールに行っていて、
海外の大学を目指す人はすごく多くて、
そういう意味では結構普通だったんですけど、
環境的にはその環境の中では割と多い。
そうすると当然というか、幼い時に縁のあったニューヨークとかアメリカの選択肢にあったと思うんですけど、
なぜ英国だったんでしょうか。
教育、勉強をできる英語圏である必要はあって、
急にまた何かを学びに行くのにまた新しい言語っていうのはちょっとハードルが高い気もして、
英語圏でありながら新しいところ、行ったことないところ、
あとヨーロッパに近いっていうのも魅力に感じたし、
あと高校の時ってなぜか興味があったものって、
だいたいイギリスかフランスのもの。
ありますよね。
なぜか、別にその国って決めて聞いてないけど全部イギリスだった。
それが本当にわかりやすく、
映画音楽だとか、読んでる本とか、
いろんなものがイギリスから来てるものが多くて、
21:00
イギリスのものってダークテイストのものがあったりとか、それもすごい好きだったり。
今思ったのが、イギリスに行ってあったと思うんですけど、
イギリスって言うとベタですけどもね、ロンドンっていうイメージが大きいんですけど、行かれたらロンドンではない。
そうですね、ロンドンから北に2時間半、3時間ぐらい。
結構ありますね。
マンチェスターよりもさらに上で、スコットランドとの間ぐらい。
なんていうとこですか?
リーズっていう町。
リーズか。僕サッカー好きなんで、サッカーに知ってます。
リーズユナイテッド。
どんな町なんですか?
学生が多いです。大学が多い町で、ショッピングとかエンターテインメントが多い町ですね。
大学行った時は、ちなみにどういうことを学んでたんですか?
コミュニケーションズってすごく幅広く、ある意味何でもありというか、
メディアに興味があって、メディア関連の勉強をしたいと思って、
でも、映画も好きだし、歴史というか、社会においてのメディアの役割とかにも関心があって、
歴史を見ていく中でもメディアの役割ってすごい大きいなって、影響力がすごいなって思って、
そういう関心だったり、人が表現することに、アートとかも好きだし、
そういうので迷って、どういう方向に行ったらいいか迷ってて、
コミュニケーションズっていう学科は、人がコミュニケートするいろんな方法を教える学科だったんで、
とりあえず全部学べるなって。
そうですね、いろんな意味でね。メディアも当然入りますしね。
そうなんです。ジャーナリズムみたいな、マスメディアみたいなものもやるし、
広告、どういう風に今まで広告が使われてきたかっていうようなのとか、
あと音楽の授業もありましたね。作るとかではなくて、音楽の中にどういう風にメッセージが込められているかとか、
っていう授業も受けたし、結局卒論は映画に関係するものを書いたり、
ざっくりと多分、コミュニケーションは別に、自分がするコミュニケーションはそんなに興味はなくて、むしろちょっと社交的じゃないタイプだったんで、
でも多分、どうやってみんなが表現しているかとか、結構全てがそれなのかなって思って。
でもこのプラスティシティ、これもメディアですよね。ある意味というかメディアですよね。
今は本当に、今までずっと違うこと、いつもジャンルの違うこと、メディアを勉強したのに、
全然メディアの仕事をしてこなかったとか、いつもコロコロ変えてるなって思ってたんですけど、
24:02
多分ずっと一緒だったんだなって、今になっては思います。
繋がってる感じがしますよね。
そして英国の大学は、シンプルに4年間?
イギリスは3年生が多くて、大学院も1年とかが多いので、文系は特に大体3年なので、私もそれで卒業して。
卒業すると、海外でみたいなことを考えたりも、どんな感じだったんですか?
日本人なのに、一度も日本のコミュニティに入ったことがない。
日本人の友達がいない。
それこそずっとインターナショナル。
日本人の友達はいたんですけど、みんな同じように、日本語、英語を混じりながら話す。
誰も敬語とかも知らない、上下関係のない、そういうコミュニティにずっといたので。
日本社会には入ってないということですね。
入ったことなかったです。
同年代のグループとかで集まることもないし、
日本人なのに日本の社会を一切知らないのは良くないので、私も知らないし、とりあえずそれは経験しておかないといけないのかなと思って、本当にそのまま就職して。
どんな会社に入ったんですか?
最初は香料会社。日常的に使っているもの、例えばわかりやすいものだとシャンプーとか香りがついているじゃないですか、その香りを作っている会社で、
食べ物でもそうなんですけど、飲料とかフレーバー付きの水、いろいろあるじゃないですか、あれは香料の力が結構大きくて、
そういう会社、化学メーカーですね。そこに勤めて、それも初めて香料の世界があることを知らなくて、香水とかわかりやすいフレグランスは知っているけど、こんなに普段使われてて、
すごい世界がありそうですね、知らない。
しかもコミュニケーション学科では聴覚、音楽だとか視覚的なものはいろいろと見てきたけど、嗅覚を使う、すごく近いけど全然存在に意識したことなかった。
それに面白さを感じて、っていうのはありましたね。
だから、全部関係ないんだけど、自分の中ではすごく関係している部分に共通することがあって。
そこで、人によってはそのまま現在に至るっていう人も、むしろたくさんいると思いますが、そうじゃなくて、今ここに齋藤さんいると思いますが、その後は?
そうですね、その後は本当に。
この立ち上げにもつながっているかもしれませんけど、どういうのか。
27:03
そこでは本当にもう1年で辞めてしまって、単純に多分今までの環境と違いすぎたっていうのはありましたね。
鉱寮は今でも興味あるし、ちょっと自分には新しすぎたっていうのがあって、そこから転職して、もうちょっと作りたいなって思って。
鉱寮会社にいたときも営業だったんですけど、営業側でできることと、実際に研究をして鉱寮を作り出している人たちって、そっちの仕事にすごく魅力を感じて。
全然違いますもんね。
ない香りを作り出すって、すごい素敵な仕事だなって思ったり。
ざっくりとそこで何かを自分で作って表現したいっていうのがあって、
転職した、またこれもジャンルが違うんですけど、ウェブ系。
昔からパソコンも好きでいじったり、グラフィックをやったりとかしてたので、
そういうグラフィックデザイン的な仕事がいいのかなって、それはわかりやすく何かを作ってるしとかって思って、そんな単純な感じでそういう仕事にちょっとついて。
グラフィックデザイナーみたいな?
グラフィックデザイナーっていうところまでは技術がなかったので、
ディレクターのアシスタントみたいな立場で、グラフィックの仕事も分けてもらい、
あとコーディングもちょっとできてたんで、そのコーディングの仕事をちょっともらったりみたいな、本当にざっくりやってて、
それはそれで専門じゃない、どの専門でもないし、実際に近くでグラフィックデザイナーの仕事を見る機会にもなったので、
こういう仕事をしてるんだ、こうだ、あとはこういうことなんだとか、それでどれも違うのかな、
そうやってちょっとずついろんなオプションを排除していった。
あと環境、どこ行ってもあんまり環境に馴染めないとか、なんか違うなって思ったり、
多分そういう人が多いところにそもそも、
僕一緒なんで分かります。
本当ですか?
そうなんです、だからそれ自体がすごくストレス。
なりますよね、パーティーとか嫌ですよね。
嫌です、みんな一人一人が友達で仲良ければいいんですけど、
そうなんです、だからそういう働き方自体に、私続けられないかもってすごい、
30:03
なんでこんなに続けられないのかも分かんないし、
でも続けられないのは、続けたいって気持ちがあっても続かないし、なんか変えないと思って、
今までは周りがやってることとか、大学行くこととかも何にも疑問に思わず、
とりあえずこれをやっとけば安心だろうっていうことをずっとやってきたのに、
なんかこんなに準備してきたのに、社会人になったらもう1,2年目でこんなにうまくいってないみたいな、
っていうのを感じて、しかもそれって別に誰のせいでもないし、
自分では選んできてるけど、たぶん周りに合わせてみんながこうしてるからこうするべきっていうのでやってたけど、
考えたらたぶん、求めてるライフスタイルとか性格も違う人たちに合わせても続かないよなって思って、
それでそこからもう転職をすること自体ちょっとやめて、
なんかすごい自信なくして何もできてなかった時期でもあるんですけど、
たまにアルバイトを探して、だからなんか実家で引きこもってたって感じです。
うつうつとしてた時期ですね。
そうですね、そういう時期はすごくあって、アルバイトをいくつか違うのをやってみたり、
でもその期間があったから、いろんな業界が見れて、いろんな人にも知り合えて、
で、ちょっとずつこういうスタイルがあるんだ、こういう働き方があるんだっていうのを知っていけて、
で、そのちょっと何もしてない時期に、たまたま何もうまく計画してもうまくいかないっていうことがわかったんで、
無理にやろうとしないで、いっそ好きなことをしようっていうマインドになって、
もう誰のためにもなく、自分のために何かしたいか考えた時に、
自然に家の中では物を作ったり、DIYしたりっていうことをしてて、
やっぱり手を使って、パソコンを通してグラフィックを作るとかではなくて、
多分手で感覚的にやるのがすごく自分は好きでっていうことに気づいて、
着なくなったスカートをバッグにしたんです。
初めてのバッグが、当時革のバックパックがすごくいろんなブランドが出していて、
欲しいなって思ったり、でもそれは買えないし、
あと革の製品に抵抗を持ち始めた時期でもあるので、
動物主義だから。
いろんなことをとにかく考え直したりとか、自分の価値観とか考えてた時期で、
33:03
革のバッグも嫌だし、ビーガンブランドって日本そんなに多くないし、
そういうものを作れないかなって思って、
とりあえず自分のクローゼットにあった着なくなったスカートを使って、
適当に縫ってみたんですよ。
それも本当にスカートを最大限に使ったバックパック。
サイドポケットもリュックのサイドポケットとしてそのまま使ったり。
変に難しいこともできないので、あるものを利用するっていう、
それをつなぎ合わせて作ったバッグがあって、
それを家で作ってて、作り終わって、
たまたま母が父のバッグを修理をしに、修理屋さん、職人さんのところに行って、
そこの方と話し始めて、
うちの娘も先週バッグ作ってましたよっていう話をして、
なんでか興味をその時に持ってもらえて、
連れてきなよって言ってくれたので、そのバッグを持って職人さんのところに行って、
そしたら不思議ですよね、このバッグどうやって作ったのとか、
パターンどうしたの?って聞かれて、
いやパターンって何ですかね、全然知らないで作ったので、
びっくりしました。
そうですよね、専門学校とかその時行ってないわけですよね。
行ってないです。
だから作るのが本当に自然に色々やってたんですよね。
でもびっくりされて、ミシンの使い方とか教えてあげるよって言ってくれて、
それでちょっとそこでパターンってどういうものなのかとか、
バッグの基本的な作り方を教えてもらって、
本格的にやってみたいかもって思うきっかけを作ってくれて、
それで学校に行こうって決めたんですよね。
バッグって本当に何でも作れちゃうし、
自由だからこそ自分のスタイルとか何が作りたいかって難しくて、
たくさんブランドもあるし、
その中で新しいものを作るって、
やっぱりすごく自分らしさみたいなのを探さないと意味がないかなって思って、
それを知るために学校に行きたいなと思ったんですよ。
エンディングのお時間です。
インタビューでは皆様からの早川さんへのご質問や番組への感想、
取り上げてほしいテーマなどを募集しております。
エピソード説明欄のURLからどしどしお寄せください。
36:02
またいただいたご質問等は月末のYouTubeライブでお答えしていく予定です。
今月のライブは11月29日月曜日の正午12時からです。
たくさんのご質問募集しております。
お待ちしてます。
エンディングのお時間ですけども、
今日のエンディング考えてません。
フルトークでも全然できてるし、
マナさんちょっとオフレコトーク気味ですけど、
初めて収録一緒にさせてもらった時に緊張されてたって言いますけど、
僕もちろん全く緊張してないってことはないと思うけど、
結構おしゃべりに近い感じで話せたなと思うんですけど、
普段おしゃべりをちょっと人に公開するみたいのはやってないことはないんですよね。
やってないことはないです。
それこそインターン活動とかで、
ライブ配信で自分のことを話すとかってのはやってたりしたので。
何が違うんでしょうね、僕らの。
やっぱり固くかな。
自分の中で頭固いんですかね。
意識しすぎちゃってるかもしれない。
全然そんなことはなく自然体だと思うんですけど、
でも多分前回、先月の収録の時よりはるかに柔らかくなってると思いますし。
そうなんです、それ言われて、
前回の感想を周りの友達に聞いた時に、
あれはマナなのかっていう声を。
マナとかまだそんな出てないと。
早く化けの皮を剥がしてくださいとのことだったんで。
いいじゃないですか。
じゃあ来月あたりは僕がちょっと攻めていきましょうかね。
化けの皮をね。
わかりませんが。
マナさんはね、どこから切っても堀マナなんで大丈夫だと思いますけどね。
自分で言うのはあれですが、来月の私にご期待ください。
期待してます。
それではまた次回、皆様とお目にお耳にかかれますことを楽しみにしております。
ごきげんよう。
さようなら。
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