すべて鉄頭さんに実装してもらってるっていう。
いや、でもアイディアがやっぱ種となり、それを育てる役割が僕だったという感じですかね。
そうですね。今回の展示に関しては、
あ、もうそろそろやるんだっていうぐらいの携わってなさ。
僕に関しては。鉄頭さんはもう一生懸命準備をしてもらってる傍らですね。
まあなんか、そうですね、ちょっと焦るというか、
なんか徐々に近づいてきていて、あ、そろそろ撮影しなきゃとかちょっと思ってますが。
あ、なんかわたわたしてるなっていう雰囲気をなんとなくこう、
横でこう感じてるぐらいの、僕は温度感ですけど。
まあせっかくなんで、お客さんとしては聞いてくださいね。
はい、もちろんね。聞かせていただきますけども。
はい。で、いくつか作品は出る、出すんですが、
僕が作ったのは、架空の絵日記を生成してくれるカメラっていう。
そうですね。
これは、もともとあずまくんがなんて言ったんでしたっけ。
これはあれですね。夏休みの絵日記がギリギリまで描けなかった人のために、
自分の顔から海や山や遊んでいる姿の絵と文章を作成してくれる絵日記マシンですね。
はいはいはいはい。あ、自分の顔からって言ってましたっけ。
なんかどうやらそういうことらしいですけど。
そうだっけな。なんかまあ、ざっくり言うと、絵日記自動作成そろそろできるんじゃないみたいな。
そういう話から、僕が試しにチャットGPTに、子供だと思って描いてくださいとか言ったら、
なんか最初はすごい優等生みたいなことを出してたんですけど、
なんかいろいろ工夫していく間に、なんていうか、絵もいわれぬ、存在しないとずっと思えないような、
なんていうんですかね、その子供。
いない小学生の思い出が。
いない小学生の思い出がどんどん生まれ始めてきて、これはやばいものができるぞと。
ちょっと呪いに近いものを感じますけど。
ちょっと感じましたね。ちょっと怖かったですね。いない小学生、実はどこかにいるんじゃないかみたいな気持ちになっちゃうというか。
そうですね。サンプルで作ったものはちょっと見せてもらいましたけど、
ちょっと引きますね。ここまでのものができるかっていう。
ディスコードでね、なんとなく知らないうちに流れてくるんですよね。僕が何もやっていないのに。
富士山の絵とかをクレヨンで描き直したかのような感じの色合いで変換して、
すごい子供らしい文章の感じになってしまって。
なってましたね。
1個読みたいな。
今日公園に行ったら猫が2人いた。1匹は黒と白で、もう1匹はみけ猫だった。猫たちは石の上に座ってた。
僕が近づいたら猫たちはこっちをじーっと見てた。みけ猫の方が、
なんて書いてあるこれ。ちょっと読み。みけ猫の方がちょっと困ってる顔をしてた。黒白の猫はなんだか偉そうに見えた。
2人とも喧嘩するんじゃないか。
あ、ちょっと字が小さくて汚くて、ここからは読めないんですけど。
ちょっと待って、これはそこまででもないな。
そうかな。結構そこまででもあると思うけど。
書きそうというか、そんな子供がいたんだなーってふと思っちゃうような文章かな。
恐ろしいですね。かなーって言ってますけど、そうですよ。自信持ってください。
僕はね、自分で生成される様を見てると、かなーって言っちゃうんですけど。
いや、旗から見てるとなかなかえげつないものができてるなっていう感じな。
そうですね。ちょっと罪悪感があるんですね。
そうですね。今までの人間が感じたことがない罪悪感が発生する装置ですね。
そうなんですよね。
いいと思います。それは。
なんか、機械に子供のフリさせるって、なんかすごい、なんていうか、まずそう、やばそうな気がする。
やばいわ。悪いことしてる。
なんか別にそんな悪い目的あるわけじゃないんですけど。
そうですね。後ろぐらい気持ちを抱えながら作ってるということで。
そうですね。しかも字も読みづらくて、こう、僕が読んでてもたどったずしくなっちゃうんですけど。
まあ、そんな感じのものですかね。
で、カメラも今回、なんていうか、カメラを作るっていうことを初めてちょっとやってですね。
って言っても、あれですよ。ありもののセンサーとか、ありもののなんか基板を箱に詰めただけなんですけど、
カメラという形にしたのは初めてだったので、難しくて立派にしちゃおうと一瞬する自分を抑えて、
いや、これは夏休みの工作だから、もっとしょぼめにしないとって言って、
こうアクセルとブレーキを交互にこう踏みながら、
なんていうのかな、なんかサイドブレーキをかけたままぐーって進むみたいな感じで、
ギリギリな、こう、なんだろうな、どっちとも取れるクオリティに仕上がったかなと思います。
そんな工夫の積み重ねが。
そうですね。
現れてるわけですね。
しょぼめなカメラが置いてあります。
それを現場で撮ると、自分でも日記が生成できるという。
楽しみですね。
で、うっかりね、自撮りとかすると、変なおじさんに会ったみたいな。
それはまずいですよ。
そうそうそうそう。
自分なのに。
ひげが生えていて、なんだかじっとこっちを見ていたけど、怖かったから逃げたみたいな。
そんなに気になるんで。
恐怖体験じゃないですか。
もしくはお父さんってことになったりしますね。
ああ、なるほど。
お父さんがパソコンをじっと見ているとかなんか書かれて。
いいですね。
ということは、絵日記カメラができたということで。
そうですね。
よろしいですかね。
はい。
っていうのをみんな遊びに来てください。
はい。
テッドさんが作ったのはそれで、他にもいろんな人たちが関わってくれてるという。
そうですね。
ちょっとみんな作りかけだったりするので、あえて言わないほうがいいかな。
そうですね。
公開までに完成するかどうかというのはまたちょっと。
そうですね。
いろんな可能性があるので。
しなくても大丈夫なようにしておこう。
あとはシークレットということでお願いします。
便利な言い方。
ということで、場所とか何も重要なことは言ってないですけど。
場所とか日付とか。
場所と日付言い忘れるんですよね。
日付は2024年の7月の20日から8月の4日です。
もうあと2週間もないじゃないですか。
そうなんですよね。
いやいや。
もうちょっと早く言えばよかったな。
場所はマイラボ渋谷っていうセンター街って書いてある道あると思うんですけど、あの界隈ですね。
いいとこじゃないですか。
そう、めちゃめちゃいい場所でこんな場所にパッと展示できる場所があるって結構すごいなと思うんですけど。
すごい。
ちょっとマイラボ渋谷で検索すると分かると思うんですけど、そこでやります。
マイネオさんありがとうってことですね。
はい、そうですね。
今回のデンパトっていうプロジェクトがあって、最近スタートしたプロジェクトというか組織みたいなんですけど。
それはMVNOを増やそうみたいな、MVNOってちょっとパッと何のことか分かんないかもしれないんですけど、
モバイルバーチャルネットワークオペレーターというのがあって、
マイネオとかIIJとか格安シムで知られている会社を筆頭にいろんな会社があるんですけど、
そういうシムを売ってる会社以外にも、なんか電波を使った事業をしている会社はMVNOって言われるらしくて、
1700社あるって聞いたんですけど、
そんなあんだ。
そう、サービスとして提供していて目に触れる会社は少ないんですけど、そうではなくて、いろんな電波の事業が実はあって、
そういうのをサポートしたいとか、相談に乗ってくれたりするよっていう会社、電波とは会社なのかな。
限界が切れました。
そういうビジネスアイデアみたいなことだったりとか、やりたいことっていうのと実際やる方法みたいなのをつないでくれるっていう事業がスタートしていて、
そのプロモーションの一環という風になっています。
なるほど、すごい、ちゃんと説明までしてくれる、いいポッドキャストですね。
いやでもいい取り組みだなと思うんで、結構ね土管屋さんとか言われて、通信事業っていうのはあくまでも途中の通路としてしかあんまり認識されないんですけど、
インフラストラクチャーですね。
そうですね、インフラとしてあくまでも裏方みたいな、でもそこで結構前に出ていろいろやっていくぞっていうのがなんかいいなっていうのをちょっと思いますね。
いいですね。
僕自身はあんまりシムを使って何か作るってことはあんまりないんですが、今回のカメラにはシムが入ってます。
ちゃんと入っている。
入ってます。
ちゃんとテーマに答えている。
そうですね、写真撮ったらちゃんとLEDが点滅してアップロード完了みたいになります。
いやすごい、いや仕事してますね。
意外とそういうところが難しいんですよね、生成するとかより。
ということで、鉄塔さんがちゃんと仕事をしているところが見られるイベント、1月20日から渋谷マイラボにて。
ちなみに何日まででしたっけ?
8月4日です。2週間ぐらいかな。
あっという間に終わっちゃいますんでね。
行こう行こうと思ってる間にこういうのは。
ぜひぜひお願いします。
ということで、お楽しみに。僕はマジで何もやってないんで。
そんな繰り返しだって、全員が全員作ってるわけじゃないんで今回。
次とかあったら、暇があれば作ってもらえれば。
ぬるっとちょっと参加させてもらうような形で行こうかなと思っておりますけども。
今回は鉄塔さんが頑張ってる様子をみんなで応援しに行ってください。
ずっと在留はしてないかもしれないんで。
もしかしたらいるかもしれませんが。
ということでした。
いやーもうね、僕の設置がらい収録環境の話からさせてもらうと。
はい、暑いと。
暑いんですよ。この猛暑が。
ここ数日でマジでクソ暑くなってきてて。
いやー本当ですよね。
ご存知と思いますけど、東京って街は。
いやー早速体温を超えましたね、今日。
いやー来ましたね。
という中でね、僕は狭い部屋を閉め切って収録をしてまして。
ちょっと音がね、夜なんで近所迷惑にならないように窓も閉めてやらないといけなくて。
で、悲しいことにこの部屋にはエアコンを設置することができないんですよね。
いやーきついですよね。
ということで、今ね首に冷やすやつ巻いて。
だいぶ前にイメージキャストでも紹介したフロストリングみたいなやつを。
一回冷やしといてゆっくりこう、何でしたっけ。
気化熱じゃなくて、相転移で熱を吸収するやつですね。
そういうやつ、そういうやつ。
それをつけて、それがもうじっくりと溶けていく中で。
それがもう自分の命の残り期限と思いながら収録してるんですけど。
そろそろ限界に近づいてきたんで。
ちょっとここはね、早く終わらせたいという一心でやりますけども。
炎熱だ、炎熱。
炎熱ね。
じゃあ次のテーマ行きましょう。
ということで、見に行った展示がありまして、それの話したいなって思ってるんですけど。
ナイトーレイさんというアーティストですね。
広島が生んだ大アーティストというふうな認識ですけど、あってますかね。
広島でしたっけ出身。
調べたら広島出身でしたね。
そうだったんですね。
そうなんですよ。
結構有名な方なんですかね。
僕はその美術の界隈に全然詳しくないんで。
僕もですけどね。
ただその作品の展示を2回ぐらい見たことがあるっていうぐらいですけど。
東京国立博物館でナイトーレイさんの展示がありまして。
それをちょっとたまたま見に行くことができたので。
それの話をしますけども。
まずね、何かっていうと東京国立博物館だから博物館なんですよね。
博物館とアーティストのコラボというか。
珍しいですね。
博物館であえて展示をするというやつでなんですけど。
ナイトーレイさんの展示をね見たことがある人は分かると思うんですけども。
僕はちょっとあの美術の正規の教育というか高等教育を受けているわけでもなく。
その業界の人でもなんでもないんでこういうことを言えるんですけど。
本当になんかなんでもないものが置いてあるんですよ。
こういう言い方をすると本当に多分あの業界の人だったら怒られると思うんですけど。
めっちゃしょぼいものが置いてあるんですよ。
どんなものですか。
どんなものかっていうと本当になんかその小石とか枝とか。
で、人の手が加わっているもので言っても手ぐすが吊るしてあって。
で、なんか穴が開いたガラスのなんか手芸とかで使われそうなものが吊るしてあるとか。
あとなんか紐が銀紙についてるみたいなものとかですね。
このスタイルはその何年か前にも別の展示で見たんで。
僕はあの知ってたんですけど。
最初見たときは結構表紙抜けというか。
何だろう。
あの美術の展示を見に行くぞと言って。
行ったらこれだったっていう。
すごい片透かし感というかですね。
っていうのを一瞬覚えはするんですけど。
で、そのよくある現代アート的な手つきというか。
白い真っ白な空間で綺麗にライトアップされたところになんかすごくしょぼいものがポンって置いてあって。
それがあえて置いてあるみたいな感じというかあるじゃないですか。
でも実はみたいなやつ。
そういうものとも全く対極にあるんですよ。
だからものが置いてあってでも実はとかなんか逆張りみたいな。
そういう感覚でもなく。
ただそれが置いてあるということを見ろっていう。
っていうのを僕は感じ取ったんですけど見てて。
そんなにこうその人の批評とかを読んでるわけでもなんでもないんで。
ただ僕が見て感じただけの話なんですけど。
展示でもですね。
自然光をすごくよく展示に使っている作家さんでもあって。
そのいわゆるホワイトキューブというんですかね。
その美術館の空間真っ白な壁で真っ白な光を当てる。
その作品を100%の状態で鑑賞するためのライトアップみたいなものをもう廃してしまって。
ナチュラルな光の中で作品を見せるっていうことをしてて。
その作品というのもそんなにこう手がめっちゃかかっているようなものを見ろっていうんじゃなくて。
そこら辺で拾ってきたような石。
多分実際にそこら辺で拾ってきたんだと思うんですけど。
石がなんかポツンと置いてあったりとか。
でもそのポツンの在り方も全然こうわざとらしいポツンじゃないんですよね。
わかります?
白い部屋の真ん中にポツンじゃなくて。
あ、ここにあったんだというポツン。
という形でそのまばらに展示されてあって。
なんか危ないですね。
うっかり当たっちゃいそうな。
そういうこともないかな。
ちゃんと気をつけておかないと。
でも本当にそれはありますね。
その展示そのものが見る人の感覚の方をすごく閉じすまさせるというか。
というところもあって。
でちょっと名前言うの忘れてたんですけど。
東京国立博物館でやっている。
まだ結構長いことやってると思うんですけど。
ナイトーレイ。生まれておいで生きておいでという展示ですね。
なんかすごく意味というか。
意味が詰まってそうなタイトルですね。
9月23日まで今やってますんでね。
ぜひ行ってほしいんですけども。
そのコンセプトとその作品の関係というか。
その辺はどうなんですか?
ビシビシに感じますね。
まだちょっと説明の途中だったんで説明の続きを言いますけど。
その展示の内容としてもあんまり人間の手で頑張って作りましたというものというよりかは。
そこにあったものだったりとか。
という自然なものを置いてあったりとかして。
あとはそのジャムの瓶みたいなものに注いである水が自然光の中に置いてあったりとか。
それを作品としていたりとかですね。
それは水、美術品の湿度を保つために置いてあるやつではない?
ではないです。それが作品そのものです。
何が作品で何が作品でないのかっていうのが結構曖昧にパッと見なってしまうので。
最初入るときに配られる作品名と場所が書いてあるやつ。
あれを見ながらやることになるんですけど。
体験することに、体験というか歩くことになるんですけど。
じゃあ人が忘れておいていったものを作品だと間違って見ることはない。
ということはないと思いますけど。
安心ですね。
本当に何でもないものなんですよね。
ちょっとした小さい丸い鏡が張ってあるみたいなとか。
まあなんかそんな感じですね。
っていうのに混じって、すごく昔の、だから何万年も昔の縄文時代とか。
縄文時代何万年も昔じゃないか。縄文時代って何時代だ?
あれ?縄文?何万?
恥ずかしい間違いしてますね。
1万くらいは間違い。
1万年くらい昔か。そうですね。
1万年くらい昔か。の人が使っていた土器みたいなものとか。
土器が。
土器というほど手がかかっているもんじゃないんですよ。
本当に土でねって作って、一旦置いたお皿とか、そういう感じのものがあって。
でね、その中の一つに、実はこのポスターにも大きく使われてるんですけど。
小さいお皿みたいな器みたいなのがあって。
それをよーく見ると、足の指の形がついてるんですね。
実物を見ると、このサイズからして子供なんですよね。2歳か3歳ぐらいの。
だから、よくわかんないけど、お皿として使おうと思ってたやつを子供がうっかり踏んじゃったか、
なんか遊んでて踏んつけちゃったとかっていうものが。
足形かもしれないしって感じですね。
足形が残ったものが出土していて、それが重要文化財になってるんですけど。
なんかそれをこう、じっと見てて、そのことに気づいたときに、すごいこう、ぶわっと、なんか、なんていうんですかね。
今までその置いてある石だったりだとか、枝だったりとか。
あとなんか、イノシシの骨みたいなものとか、出土してきたものとかも交えて入ってるんですけど。
その全てに、数万年の歴史みたいなものがあって。
枝だって植物として発生して、その枝としてその形を作る前に、ずっと今まで遺伝というか、引き継がれてきたものじゃないですか。
石だって無からポンと生まれてきたわけじゃなくて、その石がここに存在するまでに、どれだけの歴史があってここにあるかとか。
その石が発生する前とか。
っていうものがあるっていうことを、作品自体に手をかけるんじゃなくて、その見る人の目の方というか。
感覚の方をものすごく拡大させるというか。
解像度を上げるというと、すごいありきたりすぎる言葉なんですけど。
倍率をむちゃくちゃ上げてくるっていう。
っていうタイプの作家さんです。
ごめんなさい、説明が早い間で申し訳ないんですけど。
いろいろ伝わるというか、あずまくんにした珍しい感じの感想の何ですかね。
たどたどしさ。
たどたどしさというか、どっちかというと、作品に対して割と穿った態度。
ちょっとこう、割と斜めから入っていくことが多いような気がするけど、結構ストレートに良いっていう。
これはね、まじでストレートの土直球なんですよ、この作家さんは。
あえてとか、そんな言葉を使うのがおこがましいぐらいの。
そうなんですよね。
ジャンルというか、何アートかって言われたら、現代アートの枠組みに入ってしまうのかもしれないんですけど、
現代アートっていう言葉で、言葉と一緒に出てくる雰囲気というか、
何ですかね、白い空間にあえてこういうものが配置されてあって、それにマーケットでこれぐらいの値段がつくということも含めてアートなのにあるみたいな感じというか。
あの感じとは真逆の存在なんで、何ていうか、現代アートみたいな言葉が全くなじまないというか。
展示している場所が博物館であって、その博物館を見に来たお客さんもいるところに作品が置かれてたりとかするんで、
一応なんか踏んづけちゃったりとかしないように監視員さんというかの人が立っているんですけど、
その人になんか博物館の方を見に来たおっちゃんが何これみたいな感じで言って、その監視員さんがこれ現代アートですみたいな感じで説明してるんですけど、
その現代アートですっていう言葉が一番似合わないなと思って。
現代アートですっていうものは、その説明の仕方ってあなたの人生とは特に関係ないものですみたいな感じというか。わかりますかね。
なんか廊下に変なものが置いてあって、ここに何言って聞いたら現代アートですって言われたっていうのは、なんか気にしないでくださいっていうのとほぼ同義というか。
まあその状況を見てないんじゃないですけど、そういう雰囲気になっちゃう時もありそうですね。
そうなっちゃってたんですけど、この説明じゃ全然その説明になってないなっていう感じなんですよね。
説明、まあ難しいっていうのもあるかもしれないけど、ちょっと諦めてたな。
まあそうですね、それはもう諦めてたと思うんですけど、もうすべてのものがこれを見ろ、もっと見ろ、もっともっと見ろっていうふうに訴えかけてくるんで、このなんでもないものを。
そうか、なんか、じゃあ行きます。
いやまあそれしか言えないですよね。
なんかでもそういう意味であの手島美術館の作品すごく有名なのがあると思うんですけど。
模型ですね。僕は見たことないんですけど、行ってみたいなとずっと思ってはいます。
手島美術館がもうその作品以降のために存在してるっていうやつですね。
そうですね、その作品みたいな。
写真見れば大体どういうことかって状況は伝わると思うんですけど、
すごい広大、広大だというか広い、なんだろうな、貝殻みたいな建物があって中に入ると、シェルターみたいな感じのところにぼやーんとした不安とした形の建物に入っていくと、全然説明できないな。
難しいんですよ。
水がプツプツプツプツって湧き出て流れていってるっていうのをただ眺めるだけなんですけど、なんかすごい気持ちよくて、あの界隈でなお島があったりして、トリエンナーレやってて、トリエンナーレだっけ?
はい、瀬戸内芸術祭ですね。
瀬戸内芸術祭っていうのをやってて、島々でいろんなものを展示してあるんですけど、ぶっちゃけ一番印象に残ったというか、すごい気持ちよくて、2回行ったことあります。
行ってみたいですね。
ただ気持ちいいんですよ。でもなんかそれは割とわかりやすくインスタレーションっていう形をとっていて、何を表現しているっていうところを僕がそんなに汲み解いてないかもしれないんですけど、
見て心地いいっていうことを、なんていうか、かなり最大化している。かつその水自体にそれほど加工とかしているわけじゃなくて、それを見るための空間作りだけ頑張っているっていう、そういう印象があって、
通ずるような気もするけど、でも作品としてのドカーンと作ったぞっていう感じはそれに関してはあるので、何ていうか、だいぶやり方としては違うんだろうっていう。
ちょっと展示としての方向性は違うと思いますね。前回はどこだったっけな。水戸芸術館の展示も割とものがただ自然光の中で置いてあるっていう感じだったんですよ。
なんで、その方向性です。
最近はそうなんですね。
そうですね。
水戸もいいとこですよね。
そうですね。そのもうなんか現代社会の中で、あの、やさぐれている僕もさすがに、ちょっとこの人の作品の前では、すんとなるっていう。
そんなにやさぐれていましたっけ。
そうですよ。擦り切れて。