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こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田 伊久子です。このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田 伊久子です。6月26日水曜日の午前10時半を回ったところです。
なんか今日録音がうまくいかないことが2回ぐらい続いて、なんですかね、spotify for podcasters っていうサービスを使って録音をしてるんですけど、ちょっと具合が悪かったかもです。
まあね、あの、どうせ、なんていうんですか、大した話をしてないので、途中で切れたら取り直せばっていう感じですね。
で、なんか喋りたいことがないわけではないんですけれども、これ別に人に聞かせ必要もないよね、みたいな話も結構あって、それで撮ったけど公開せずに消すっていうこと、結構最近ね、まあまああります。
でも考えてみたら、私って別に悟ったお釈迦様とかじゃないので、ただの、今1億人、人間がいるとしたら、1億分の1でしかないので、日本語で喋る人の中の1億分の1ですので、所詮、だから1億分の1の人が言ってるただの意見っていうのは、1億個ある可能性の中の1つでしかないわけで、
それぐらいの重みだよなと思って聞いていただければと思ったりするんですけど、
なんていうか、私も実家の母がね、80、いくつになったんだろう、80、昭和11年生まれなんですよ。
ちょっと何歳か調べながら話しますけど、まだね、病気はあるけど、今すぐどうこうってことなくって、あの元気におります。
で、最近ね、LINEを覚えて、LINEを入れた、だいぶ前にLINEを入れてみたって話は聞いたんですけど、全然LINEが打てなくて、だけど最近電話が来るのが全てLINE電話になったんですよ。
ね、電話、今までは普通の携帯の電話使ってたのがLINE電話でかけてくるようになったっていう、すごくないっていう話で。
ね、すごいですよね。
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あ、そうか、昭和11年生まれは今年88歳ですって。
なるほどね。88か。
通りで、何年か前までは自分で車を運転してたけど、さすがに最近車は返して、今の電動の車椅子ってやつ、あれにぶいぶい乗ってますけど、それぐらいの感じが88なのかな。
どんな元気な人でもやっぱり90歳ぐらいになってくると、ちょっと足元をぼつかないって感じになりますよね。
でも、この母親とLINE電話するようになる日が来るとは思いますよね。
だって昭和11年生まれっていうのはどういうことかっていうと、戦前に生まれて軍国教育の小学校に入り、あれですよ。
なんか、なんだっけ、教育直後じゃなくて、なんかさ天皇陛下万歳みたいな、そういう教育を受けてたら、太平洋戦争がひどくなって空襲来て、気がついたら家が焼けてみたいな。
戦後は食料なんで、あの、ろくな食べ物がなくてっていうとこから人生が始まっていく人たち。
なので、本当に何にもない時代に、青春時代を送って、でもその後が実はね、実際のところで言うと、その後、高度経済成長時代が来て、
テレビ、洗濯機、冷蔵庫、それから自家用車、全て、
生まれた時にはあたり一面になかったものが生活の中にできてきて、で、何ですか、あと何かな、
まあ、そんなような、で、途中でバブルの時期もあって、
っていう人生を送ったから、フルでこの何て言うんですかね、マイナスから超プラスまでを一気に経験したはずの人たちなんですけど、
はずの人たちなんですけど、自分たちの意識の中ではまだ戦後の感じがずっと引きずってて、何って言ったら物が捨てれないですよね。
まったいないとか言って。で、うちの実家もかなりの、あれですよ、ゴミ屋敷までは言ってないけど、一部分ゴミの山みたいになって、私から見たらゴミでしかないんですけど、
母たちからすると、なんかこれいずれ使うかもしれないけど置いてやるっていう、まあ食器類とか多いですよね、でも棚に入りきらないのでその辺に箱で積んであるみたいな、
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で、何って言ったら昭和の時代に、よく昭和の時代って何だろう、定期預金始めると何かくれたりとか、ガラスのコップとか、お皿とか、それがその景品の箱に入ったままずっと置いてある、新品。
新品が古くなって基盤のやつみたいな、そういうものなんで、いや捨てないって言うんだったらせめて使ったらって言うんですけど、使うのはもうずーっと使ってる古い茶碗、古いお皿、割れない限りは捨てないので、
で、一家に何人いるのと、ね、どう考えても多すぎるでしょって、だからそれがまあ食器だけならまだしも、なんだろう洗剤とかね、なんかね、ちょっと不思議なものが大量にあったりしますよね、うん、で、特にあの、私ちょっと苦痛だなと思うのは、うんうんと、お寿司とか買ってくるとちっちゃい、何醤油とかちっちゃいからしの袋とかついてくるじゃないですか、
あれをとっとく習性があるんですね、いつか使うかもしれないからって、でもちょっとあれって食品なので、消費期限あるじゃない、私ん家にも時々ある、なんかね、ふっととって置いちゃうんですよね、で、気が付くと3年経ってさ、からしなんか色変わってるっていう、それでああって言いながら捨てるっていうのはあるんですけど、
うちの実家の母の場合はそれを捨てないっていうことは何十年分もあるっていうことで、ちょっとやめてもらっていいですかみたいな、ただ母は、なんだろう、昭和11年生まれにしては、ちょっとなんていうの、決断力ある方で、自分でなんかね、パッパッとできる性質があるんですよ、
で、10年以上前に父が死んだときに、そのとき住んでた場所が、とても山奥の、まあそういう文城住宅みたいなところ、山を切り開いて作った、本当にこの高度成長時代期にはそういうのあったんです、で、今となってはもう錆びれてるし、子供たちみんな出ていっちゃってて、帰ってこないのでね、
で、交通の便も車がなかったら本当に買い物するとこも一個もないぐらいの偏僻なとこだったんです。で、母すごいのは、父が死んだその翌月ぐらいに不動産屋に電話して、この家売って住みかえるからって言って、もうものすごい早さで、半年後には住みかえて、街中の方に歩いてスーパーまで行けるっていう、そういうところに家見つけて、
ほとんど前の家とかを売ったお金で次の家を買って、すごくない?その実効力何?って。だから当時も80、70代だったはずかな、この行動力に私はびっくりしてええ?ってなったんですけど、だからそのときに一回引っ越してるから、それ以前の溜め込んでいたそういうものたちは処分されたはずなんで、
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ですけど、そっからの10年以上の分は未だにどこかに残っているだろうと、新しい家にね。
なんですけど、まあ何の話だろう。小さいときに本当にものがない、ものがないっていうことが今はね、私たちももう想像もつかないんですけど、たぶんね、彼女たちはまだ小学生とか小っちゃかったので、実際に食べ物を探して奔走したことはなかったと思うんですけど、
たぶん親たちがみんな、ちょっとでも食べ物、めいたものを捨てようとしたら、もう激怒されてたんでしょうね。ものを粗末にするとかね。まだ使えるものを捨ててるとか、むちゃくちゃ怒られたんだと思います。
それで未だに、まだ使えるものを捨てれない。まだ使えるものって言ったら、例えば服とかハンドバッグとか靴の類、使おうと思えば使えるっていう状態のものっていっぱいあるじゃん。一つも捨てれないんですよね。でも88歳ですよ今、それ植え付けられたのはたぶん10歳以下の頃。
本当に三つ子の魂100までってこういうことだなと思うんですけど、今のこの令和を生きている自分に本当に頭をチューニングすることができたら、もうすでにカビが生えた靴とか、そのボロボロになっているバッグとか、バンバン捨てるって当然。
それはまだ使えるものではなくて、使い終わったゴミだというふうに見え方が変わって当然だと思うんですけど、そういうふうにたぶん見えてない。まだ使える、まだ頑張れば履けるとかいうふうに見えているんでしょうね。
認知バイアスっていう言葉がありますけど、それは彼女たちの頭の中にはそういうふうに見えているので、まだ使えるものだっていうふうにその価値があるように見えているので、認識がそうなので、周りからやいのやいの言っても何言ってるのもない。まだ使えるのにって。そういうふうに見えているから、信じてるっていうよりももっと強くそういうふうに見えているんだよ。そのもの自体が。
それは他人から見たときにいかにミスボらしいと思われようが、そんなことはそういうふうには見えてないっていうことなんですよね。でも恐ろしいなって。すごいなって。恐ろしいというかすごいというか、人間って思い込んだらそのままなんだなっていうことですよね。
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そうそうそうそう。それで考えていくと、今私がワクビズとかをやっていて、例えばですけど、自分で仕事を始めたいとか、今してる仕事を大きくしたいから何を変えたらいいんだろうって、変わっていきたいですね。
今の自分からもっとできる自分に変わっていきたいって思ってる人の支援がしたいっていうふうに思って始めてるんですけど、もうこの人たちのすごさよ。だって今まで一回も、50歳になって今まで一回も自営業をしたことがない。雇われて仕事はしてたけど、自営業したことないのにやってみようかなと思ってるんですよ、本気で。
もうね、この時点で他の人とは全然違うっていうことですよね。たぶんちっちゃい頃にそういうのはしてはいけないと入れ込まれているはずなんですね。
なんですけど、自分の頭でよく考えて周りのことも見て、でもこれからの人生が50歳ですからね、まだ30年ぐらいはあるって思うでしょ。だからこれを何とかしたいと思って、しかも行動に移したんですよね、ワクビズを受けるって。なんかすごくないっていうことですよ。
普通、幼少期に入れられたその価値観やら生き方の癖は、そのままで80まで生きるのが普通の人っていうか人間だとしたら、途中でそういう自分の殻から飛び出そうとするっていうこと自体がすでに価値であると。希少価値って思ったほうがいいのかなっていうことを最近感じています。
たとえで言うと、私が小さい頃は、それこそまだ昭和の30年代、40年代の頃は、確かに本当に物が溢れてるってことは全然なくて、どこの家に行っても座敷があったら座敷に何もない机があるぐらい、机とちっちゃな棚があるぐらいの感じで、本当に物がなかったですよね。
だってみんなの家にも車があるところが少ないとか、テレビもあるところが、うちあったんですけどかなり前から、他に何だろう、今うちの電子レンジとかさ、なんだろう、トースター、トースターちっちゃいやつあったか、とにかく物量が全然違くって、つまりどこの家に行ってもすごいさーっとすっきりしてたわけ、見た目が。
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外に出ても車バンバンとか走ってなくて、なんならアスファルトで舗装してない道もいっぱい残ってて、雨が降ると水たまりバシャンみたいな感じが普通だったんで、何ですかね、すごい見た目的には本当に古き良き日本の風景みたいな風でした。
遊ぶにしてもゲーム機がない、とりあえずね、ビデオもない、テレビも白黒だったりして、そんな時に夏休みにおばあちゃん家に行くと、あれがあって、セミの抜け殻があって、セミの抜け殻を拾ってきて遊ぶっていう、そういう遊びがあったなと。
今の時、セミの抜け殻で子供が遊ぶかどうか知らないんですけど、セミがどこに行ったんだって、セミはその辺でジジイ鳴いてるわけですよね。
で、うちの母はですけど、一回セミが殻から出てくるところを目撃したみたいな話をしてて、抜け殻とセミ本体を比べるとセミ本体の方がでかい、体もでかいし、大きな羽がついてますよね。
このセミがあのちっちゃな殻の中に全部入るのかっていうぐらいの大きさの差があるじゃないですか。で、セミはもちろんパタパタパタって飛ぶことができるし、このセミがこの殻の中に入っていったって本当?って私ちょっとちっちゃい時になんか違和感あるなと思ってたんですよね。
でも結局、人間も3歳ぐらいの時になんかそういう殻に入れられ、生まれた赤ちゃんを自由奔放に育てずに何らかの型の中に押し込むっていうことが教育だし、しつけっていうものなので、殻に押し込まずに育てることはできないんですけど、それにしても物は絶対に捨ててはいけないとかさ。
殻が小さすぎると思いませんか。いらなくなったものは捨てましょうよ。そうしないと家中に物が溢れるでしょうって。入りと出があって釣り合った時に平行が保たれるんだから、新しいもの買ってくるけど捨てないって言ったらその末路がゴミ屋敷になるわけじゃないですか。当然。
誰が考えたって当たり前じゃないですか。1たす1は2みたいな世界じゃない。もう絶対捨てないんだったら何一つ買うなっていう話ですよね。本当に。
だからそういう入れられた殻が明らかに今の時代からしたら小さすぎて、誰もそれ守ってほしいって言ってないし今現在はね。昔は言ってたとしても、今現在自分の生活の中でそれ絶対守れって言ってくる人がいるならまあしょうがないけど、一層いないのに自分で自らその殻の中に居続けるっていうのが普通の人間なんだ。
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私の母のもの捨てれない病みたいに。なのに人生の途中でこの殻から外に出たいと思ったっていうことがまずすごいし、それから出るために背中がパキッと割れたとか、割れたらギャーって元に戻るっていう人もいると思うんですよ。
でも自分を信じてバキッて割っちゃおうって思って外に出ていく人ってすごいなって。今ね女性であっても男性であっても自営業をやって成功してる人って普通にいるじゃないですか。
女性でもよくあるのは例えば美容師さんでね美容室経営してますとか普通に昔からいて特に珍しいことでもないんですけどそういう人ってもともとそんな殻に入ってないもん。そういうことができないんだみたいな。
普通に周りの人もみんな働いてて何ですかみたいな。殻がない。そんなちっちゃい殻を植え付けられていないから別にどうってこともなく普通に仕事したりやりたいことをやって生きてます。
そういう人は特に自分の殻を破らねばならなかった局面っていうのがあんまりないわけですよね。ただちっちゃい殻に入れられて育ってきたのに途中でそこから出ようとするっていうのはむしろ最初からできていて成功している人よりもさらに希少価値があるというか勇気があるというかチャレンジ精神に溢れているというか。
少なくともねすごい尊敬に値するなと思って私はそのワクビズっていうのを今月から始めているわけですけど、会が進むにつれて受講者の人たちのやる気っていうのかな。
自ら探しに行こうみたいなそういう熱意に触れるんですよね。そうするとびっくりして私自分でそうやって言っておきながらそういうふうにするんだって言っておきながら本当にそれが目の前で起きるとこの人たちすごいみたいに驚くっていう。
自分で描いたスケッチが立体物になって本物になるみたいな感じですよ。魔法ですかって。で改めて自分のしようとしてたことがすごいって思って。
感謝っていうか本当にやろうと思いついてよかったと思うし、人生で出会ったいろんな人の中で一番尊敬できるなって。
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だから結果じゃなくて、結果どうなるじゃなくて、自分で自分の入れ込まれているその殻から出ようとする。自分を変えていこうって。今も成功してるけどもっともっともっと上を目指そうってして、今まで考えたことがないようなことを考えつくとか、考えついたらそれやってみようとするとか。
これめちゃくちゃすごくないっていうことですよ。でも本当に内側から思わず尊敬の念が湧いてきて、いやすごいなと思って。この人たちのために何かできることあるかなって考えるっていう。
この人たちについていこうと思っちゃうとか。そんな感じなんです。だからわくびずって、私となおちゃんの間でちょっと半ば冗談みたいな感じで気軽に始まったアイディアなんですけど、実際にまず受講してくれる人が現れるかどうかわかんないよねって気楽な感じで喋ってた。
でも実際に受講してくれる人が現れて、そしたら彼女たちが本当にそれぞれの人の自分の人生を切り開こうとしているっていう姿を見させていただいて、考えてみたらそんな姿を今まで一度も見たことがない。
自分ではそれをしてきたと思ってるけど、周りにそんな風に切り開いていく人を見たことないかもしれない。いたとしてもあんまりそんな親しくね、ずっと活動するとかっていう機会がないから見過ごしていただけかもしれないですけど、これ素晴らしいなってこんなに感動できるコンテンツあるかしらと思ってしまって。
観客モードみたいになってますけど、なんかね、物が売れて嬉しいとかそういうこととは別次元の感動がありまして。
ですので、これからまだ6月スタートなんで、6、7、8、8月末まで一応これ継続続くんですけど、ここから何が起きてくるんだろうって感じですよね。
で、私もなんか最近は停滞気味で、まあいいや新しいこともめんどくさいしぐらいの感じだったんですけど、いやいや私もまだできることがあるかもしれないっていうふうに思うようになったし。
で、最近ずっとおさぼりがちなSNSの運用とかも、まあね、昔はほんとFacebookとかまめに自分のしてることとか、自分でイベントもたくさんやってたし、宣伝の意味も込めてたくさん上げてたんだけど、まあめんどくさくなっちゃって最近じゃあ放置なんですけど、
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もう一回、もう一回ちょっと仕切り直して考えて、なんかまだできることがありやしないかと思ったりしてるところです。
で、なんだろう、何ですかね、私が思う人生っていうのは冒険の旅なので、そう生まれて気がついた時にはいろんなお話を読んで育っていて、で、まあ桃太郎でも何でもそうですけど、とにかく人生ってなんか新しいものに出会うんだって。
で、まあ物心ついて小学校4年生ぐらいの時にアルセーヌ・ルパンとかね、ああいう探偵小説とか流行ってて、まあいろんな事件が起きたらそれを解決するんだワクワクとか、人生にものすごく期待を抱いて希望を抱いて、どんな楽しいことがあるんだろう大人になったらって思っていたのが私小学生時代の時だったんですね。
ところがだんだん育つに従って、あれ人生って楽しいことってないの?楽しいことをするために勉強して大学行ったりするんじゃないの?って疑問になってきて、で、まあしょうがないかみたいな感じで生きてきたんですけど、でもやっぱり60過ぎて、人生もこの終わりが見えてくるでしょ。
その時に小さい時に憧れていた人生っていうのはこれじゃなかったんだ。もっと冒険の旅に出たかった私っていうのが小さい頃いて、そいつを押し殺したままにして、つつがなく生きればいいやみたいになってますけど、
その自分の中のちっちゃな自分は今も現役で生きているし、なんならそっちが本体でこの世を生きているこの私、みんなにいくこさんと呼ばれているこの人間は私の殻に過ぎないわけで、本体さんはそこの中には入っていない。
これを含む、ちょっとこことは言えないどこかにわからないけど、次元が違うところにいるはずなので、どこと言えないところに存在していると思っていて、だから生まれる前から存在してたし、死んだ後も存在しているし、ただそれは人間いくことは全く一緒ではないですよね。逆ですよね。
人間いくこがその本体いくこの一部であるってことですよ、当然ながら。だって、なんだろう、次元が低いわけですから、一部を反映しているわけでしょ。
そんなに過ぎない私が、これが限界だからというか、筒がなく、外側に波風が立たなければいいなって言って、波風立てない方法なんて簡単じゃないですか、自分が何にも望まなければいいんですよね。
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だってさ、望むってちっちゃい子供がさ、お母さんお母さんあれ買ってって言って、飴欲しいとか言って、スーパーでじたばた、最近あまり見ないですけど、わーわー言うのって、欲しいものがあるからですよね。欲しいものを諦めさえすればいいじゃない。
まあ別にあれはなくてもいいし、飴がなくても私は生きていけるしって言って。なんか、自分を制限して、自分を諦めるっていうか手放すっていうか、無の境地になったら何にも摩擦は起きませんよ。
自分が悟り開いちゃえばいいんですよ。そう、私は何も求めないって言って。したらものすごく世界って平和になって、周りが周り中も多分平和になる、わかんないけど、はずなんで。
ただ、私人間育子としては生まれてまだちっちゃい時に、そういう冒険小説をいっぱい読んだせいなのか、鉄腕アトムとか見て育ってましたし、すいません世代的に。リアルタイムで見てましたので。
あとあれですよ、ウルトラQとかね。ウルトラマンの前にやっていたちょっと怪奇小説というか、不思議な現象を扱った話で、まあ怖い話、忘れちゃったけどドキドキしましたよね。
とにかく人生というのはそういうわーって驚くようなことが起きて、それを解決したりとか、冒険するんだって思ってるので、冒険をしないで平和で終わったら、私の人生は失格やり直しみたいになる。絶対なる。
お前は勇気を出さずに、本当はやりたいって言ったことをやらずに来たのかって神様に言われて、失格、もう一回やってこいって差し戻されるような気がするんですよ。
なので他の方が私に賛同してくれようとくれないと、私はもう個人的にはひたすらできる限りの冒険はして、冒険というかやりたいと思ったことはやって、やり尽くしたところでようやくあの世に帰っていて、やってきたかって言って、やりました、OKみたいになりたいんですね。
変な話ですけど、本当に生まれる前からいたっていう感覚がすごく強くあるので、当然死んだ後もいるだろうって思っていて、ということです。こんな、でもこのポッドキャスト話す必要性あるのかなって、本当そんな感じですよね。最後までお聞きいただいて本当ありがとうございます。以上です。