1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 長い休暇が終わって。
2024-06-27 30:33

長い休暇が終わって。

古いnoteを再開することにしました。

https://note.com/ikukolabo

00:04
こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの、金田イクコです。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聴きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
6月27日木曜日の朝9時22分でございます。
新しくですね、ノートを始めました。
ノートっていうのは、ノートっていうサービスがあるんですね。
ブログみたいなやつですね。
えっと、ノート、何て説明したらいいんだろう。
ノートはノートですね。ノートっていう会社があるんですよ。
そこがノートっていう、何ていう会社なんだろう。
そうそう、ノート株式会社ですよ。そのズバリ。
NOT、ノートですね。
ノートは要するにブログみたいなものなんですけど、アメブロのごちゃごちゃしてないやつって感じですかね。
ページが白い背景で見やすい。
余計なものがいろいろついてないっていう、ごちゃごちゃしてなくて、
文章が読みやすいっていうのがノートなんですけど、
ノートの特徴としては、この有料の販売ができて、有名なクリエイターの人とかがいっぱいそこで
ノートを売っている、ノートっていうか記事を売っているっていうことですね。
売らない、要するに何だろう、あれができるわけですよね。
メンバーシップみたいなものが作りやすい。
そして文章で書くタイプのそういうものです。
ブログと何が違うんだって言って全く違わないんですけど、
自分のサイトでブログを書いていてもほとんど人目につくことはないので、
よほど私を知っている人とか、私がフェイスブックとかで宣伝をしまくったりとか、
インスタとかツイッターとかで宣伝をしまくって、ようやく一人二人見に来てくれるみたいな状況なのに対して、
ノートであれば、新着記事が新着のところに表示されたりとかするので、
多少は見てもらいやすいかなみたいなところです。
なんで今回ノートを始めたかっていうと、ごめんなさい、ノート自体はものすごい昔から作ったやつがあって、
書いちゃい消し、書いちゃい消ししてるわけですよ。
03:01
今使っているノートも、この間までは不思議猫招き堂っていうYouTube用のノートとして使おうとしてたんですけど、
当然ながら朗読YouTubeに関して話したいことなんか一つもないので、
ほぼほぼ更新されずに何年か、2,3年放置のままだったっていう。
その記事は残したままタイトルを変えて、
イクコラボ創意工夫というタイトルでノートを再開することにしました。
イクコラボのホームページがあるし、ホームページ内にはブログももちろんあるので、
そこで書けばいいじゃんっていう話ではあるんですけれども、
これ別にイクコラボのお仕事とかサービス内容とかそういう話じゃ全然ないので、
言ってみたらこのポッドキャストで喋っていることの文字版みたいな感じ。
それはもうちょっと性格じゃなくて、実はこのポッドキャストって文字起こしバージョン?
文字に変換したバージョンがすでにできているんですよね。
リッスンっていうサービスがあって、そこに登録がしてあるので、リッスンのサイトで見てもらえば、
これを耳で聞かなくてもね、全部文字起こし、しかもAIがやってるんでいい感じに綺麗にまとまって、
AとかAとかUとかいうのは除去された状況で、除去して文字起こししたやつが読めるんですね。
だからそれでいいじゃんっていう話もあるんですけど、
ご想像の通り、この喋っているやつを全部文字に起こしても非常に無駄な部分が多いっていう、
それ言う必要あるみたいな、無駄なものを読まされるっていう、そういう傾向も本当にあるし、
また、喋りたいことと書きたいことって、なんか私の中で若干違うんですよね。
喋ることって、今喋りたいことが本当にポンポン出てくるので、逆に言うとまとめづらいんですけど、
今日はこういうテーマで喋ろうって決めといても、そうじゃないこと喋っちゃって終わるとか、
頻繁にあるんですけど、そうしていくと、いや、こうじゃなくて違うこと喋りたかったのにってなって、
その喋りたかったことを忘れていくってよくあるんですね。
それに対して書くであれば、ちゃんと書きたいことだけ書いて、余計なこと書かずに終われるわけです。
書くっていう作業、本当にやっぱりちょっと大変なので、無駄なことも勝手に手が書いちゃうとかないんですよね。
06:05
書こうと思ったことしか指は動かないじゃないですか。
なので、こうまとまった、何て言うんですか、内容のあることを伝えたいと思ったら、やっぱり文章にするのがいいなと。
皆さんの読みやすいとかそういうのは別としても、私がアウトプットするのに書いたほうがきちんとしたことがまとまった、何か言いたいことが伝わるっていうか、そういうものが書けるはず。
に対して喋るは、準備なく喋っても何とかなるんですが、その分言い散らかして終わるっていう、そういう側面があるなと思ったので、やっぱり文字で伝えたい、文章で伝えるっていう媒体も一ついるなと思ったのが、ノートを再開した理由です。
例によって、更新せずに終わる可能性もあるので、そんなにまだ宣伝しませんけれども、とりあえず始めたよっていう話ですので、何で今ここでそれを始めるかっていうのは、ちょっと理由はあって、
6月からワクビズを始めたっていうその影響も、もちろん昨日もお話ししたように、皆さんが真面目に本気でちゃんと取り組もうとしてくれてるっていうことを感じると、何とも言えないこの手応え感っていうんですかね。
私が妄想したことが、ただの妄想ではなかったみたいな、実際に人の役に立つことってあるんだって感じるってことですね。
YouTubeやってても、朗読YouTubeなんて人の本を読んだだけじゃないですか。そこで本当にね、声を褒められたりとか、お話が面白いって言われても、こう、何て言ったらいいんですかね。
左にあったものは右に移しただけだから、右から褒められても左に戻るだけみたいな感じ。声とかも別に自分で訓練したわけじゃないし、そんな好き嫌いじゃないですか。好きって言う人もいれば嫌いって言う人もいますよ。
で、本が面白いねって言うのは、私が書いた本じゃないし。そもそもが、いろんな作家さんが書いて面白いから、今にも伝わっているだけなんで、面白いに決まってんじゃんっていう。
あと懐かしいねとか言うのは、世代的にね、私と近い人なんだろうなって思うけど、ダイレクトに私が何か考えたことじゃないので、嬉しさも表面的って言ったらあれですけど、そりゃけなされるよりはいいし、反応がないよりはいいんだけど、だからといってこの人たちのために頑張ろうって心から思えるかって言ったらそこまでのことじゃないわけですね。
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だからコンテンツって本当に作ればいいってもんでもなくって、やっぱりどんな思いを持って作っているかっていうことに応じて、そのうまくいったときの喜びの大きさも決まってくるなって。やっぱり思いがなくてやってることって褒められようがけなされようがどうでもいいっていう、そんなレベルでもらいが少ないなっていうことですよ。
なのでちょっとでも自分の本音、本当に思っていることをそのまま喋れる、そのまま表現できるっていうことで活動していったほうがいいよねって思いつついろいろ模索をしてきているわけですが、そういうわけでワクビズが私にとってはかなり手応えを感じていて、これをワクビズとして広げていくっていうのはもちろんありなんですけれども、
それはそれで社会貢献に本当に本気でなる可能性があると思うので、それはそれなんですけど、もっと小さな個人として、等身大の自分一人として、やっぱり後世に伝えるじゃないんですけど、今現在、人に聞いてほしいんですけど、
今現在、私の声が伝わっていく範囲って本当に限られてるんですよね。これホリエモンだったら一言つぶやけば何万人みたいな人に瞬時に伝わるわけですけど、フォロワーの規模が違いますからね。
私とかそういう一般人の人たちがつぶやくことって本当に伝わらないんですよ。皆さんが思っている以上に広がってないんですね。それをやっていくとわかるんですけど、ゼロではないけれども広く伝わったかっていうと伝わってないと。
そんな中なので限られた人で、だから偶然たまたまこれを聞いてるとしたら、ものすごくレアな感じで、逆にどうしてこれを聞いてしまったんだろうぐらいのレアさ加減でいうとそんな感じなんで、何らかの波長が合うというか、何かの必要性があるというか、
袖振り合うも多少の縁と言いまして、前世からのご縁とかね。前世ってわかんないですけど、ちょっと脱線するけど、あの世には時空がない、時間と空間がない世界をあの世というわけですから、時間がないってどういうことって言ったら、前世も来世もみんな一緒っていう、どっちが先っていうことがなく同時に起こっているということなんですよね。
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本来ね。だから、前世で一緒だったから来世も会おうねって本当のこと言うと矛盾なんですよね。おかしいですよね。
あ、こんにちは、来世で会いましたね、みたいな。それが正しい挨拶じゃないかなと思うので、時間がこういうふうに一定方向に流れているように感じているっていうのは、この三次元世界でのことだそうなので、それを三次元世界と呼んでいるということで、どんだけの次元があるか知らないですけど、
超越したところっていうのは、要するに空間がないっていうことでしょ。それイコール時間もないっていう。時空っていうのは一つのものだっていうことをアインシュタインが表現したらしいので、よくわかんないけどそういうことですので、だから前世占いとか私は信じてないっていうことですよ。
全部、来世も含めて全部言えと。何万回生まれ変わろうがこっちの自由じゃないって、そのうちの1個2個を見えたって言われても、それで全てじゃないでしょうっていうのが私が言いたいことなんですね。余計なお世話だから、前世が見たいなら自分で勝手に見たい前世を私は見ますから。
で、こう言ってる私に共鳴してくれる人が、それこそ前世でのご縁があった人で。って感じで。本当にね、うさん臭いものに付き合っても時間の無駄なので、そういうのはしません。占いもしません。
自分で自分を占います。この話しだすとこれで30分終わるけど、まあいいか。占いっていうのもほら、おかしいと思いませんか?青年月日とかで占うの。だって同じ年の同じ日に生まれた人って結構な人数いますよね。
日本人に限ってもいるけど、ちょっと待って、日本人と一番近いという意味で言ったら韓国の人ね。じいさんもほんのちょっとしかないから、同じ日に生まれたとか同じ時間に生まれたとかいるわけじゃん。同じ運命ですかって、運勢ですかって本当に?って思わない?
同じ性格ですか、性格のタイプが一緒ですかって言われてもさ、ちょっと待ってもらっていいですかって思いませんか?なんでその生まれた日時で同じような性格になるって。それは統計だって言われても、本当に統計通ったんですか?2000年もの間って。全員に聞き取りましたか?何人に取材しましたか?って。
15:02
ツッコみたいこといっぱいある。どっちか言うと星占いとか小さい頃からずっと見てるので、私は乙女座なんですけど、自分で乙女座の性格に寄せていってる気さえする。なんかよくわかんないけど、乙女座的な性格ってあるじゃない。
自分で私は乙女座なんだからそうなんだみたいに、若い頃、10代の頃、高校生の頃とかはそういうの信じてますから、自分で寄せていった可能性すらあると思っていて、本来の生まれ持っての性格はそういう面もあるけどそうじゃない面もあるよねってなるじゃん。
だから私が占い的に言われてるもので信じてるのは、竹を立てるの、竹。竹の棒みたいなやつをさ、じゃらじゃらじゃらってやってさ、ひゅって抜いたやつ。
で、今日の運勢を占うとか、あれに関しては偶然だって言いつつも、自分の何らかのその目に見えない力でそれを引くので、何らかの関連はあるっていうか、自分と。自分が引くから。
あるいは目の前の人がタロットをめくっても、それでもある程度は何かあると思うけど、タロットの良くないところは、めくった人が何やらの解釈を言ってくるじゃん。その解釈が合ってるとは思えないっていう、めっちゃいい加減なこと言ってんなこの人っていうことが本当によくあるので、
タロット的なやつ、この偶然性でその日、その瞬間、なぜかそれをめくってしまったみたいな。そこのところには何らかの意味があるっていうのは納得できるんですけど、その意味を他人から教えてもらう必然性がどこにあろうかと、この人は何が分かっているんだろうって。
自分で何か引いたら自分で、その意味は考えたいというか感じたいって感じですかね。
なので、何か多くの人を敵に回しそうですけど、一般的なそういう占いっていう、生命、名前とかなんだろう、青年月日とかに由来するものってあんまり信じてないです。聞くけど参考にはしないって感じですかね。
名前もいい加減ですよね。格数とかその時代によって違ったりするし。ものすごく私の偏見ですけど、名前をいくつも持っている人って何かブレてます。
本来の自分を覆い隠そうとしてたりとか、何かね、その偽物の名前で自分で考えてつけた無理やり意味とかで考えた名前でうまくいってる人はあんまり見たことがないんですね。
18:14
みんなね、いろんなヤゴとかそういうブランド名とかでなんか名前つける、それはいいんですよ。それはいいんですけど、なんちゃらかんちゃらで理屈で、要は頭で考えたようなことで名前をつけて、それで大成功してる人ってあんまりいないし、名前って本当にシンプルな方が覚えやすくて、誰でも一度聞いたら忘れないって。
ホリエタカフミかホリエモンみたいな、そういう、名前としてはシンプルじゃないですか、どこでもありそうなね。それの方が良くて、四文字熟語の読めないやつみたいな、読みようが行く通りもあるようなのって、要するにあなた覚えてもらいたくないわけって、そういう真相真理がさあそこにさあ現れてるとしか思えないんですよ。
でもお仕事するのに名前を覚えてもらいたくないってもうダブルバインドって言うんですけど、相反する二つの気持ちが同時にそこに存在するでしょ。そりゃあね、大成功とかなかなかいかないと思いますよ。なんか怖いんだと思います。本当の自分の名前で何かすることが。自信がないんだと思います。やりたいと思ってることにね。
それで名前に頼っていろいろするんでしょうけど、まあその何が、何が現実化してきますかって言ったら一番深いところにある気持ちが現実化してくるので、仕事をするのは怖いとかいうね、うまくいかないんじゃないかしらとか、それが現実化するので本当にうまくいかないっていう、そういうことに過ぎないと思いますね。
だから私もね、わかりますよ、その嫌だなって、この仕事自信ないなって、この仕事をしている人って思われたくないなってうんとありますよ。だから落室に私は出ていかないのはそういう意味なんですけど、落室を手伝っている人なんですねって言われたくないもん。
なんかバカにしてませんか?本当に手伝っている人は?みたいな感じで手伝っているんじゃねえよって言いたくなっちゃうんですよ。だって発案者ですからね、私こういうことの。
でもそれって、マウント取り合いみたいなのって、みっともないし、何のメリットもないし、だけど私は私の気持ちってものがあるので、私がこうないがしろにされているように感じるような言われ方をするであろう場所には行かないのが一番だと思っています。
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同じような理由で大っ平にしたくないことってやっぱりありますね。これをこういうとこういうふうに思われるだろうなみたいなふうに思うと、言いたくないし、そういうふうに言いそうな人には会いたくないし、ってなってきます。
で、話を終わるとうんと戻しますけど、結局じゃあ自分は何者で何をやっていく人ですかっていうところにようやく立ち戻って、ワクビズのようなことをしていく企業とは限らなくていいんですけど、とにかく人生って自分の思うように変えれるし、変えてもいいし、変えたからといって、
何か大事なものを失うなんてことはないよっていうことを、もうそろそろ私も体験から話してもいい頃だし、そろそろ話し始めないと、それこそ時間切れ、タイムアップみたいに途中でなっちゃうのもあれだし、
ちゃんと人生が終わるときには、自分なりに伝えるべき人には伝えるべきことを伝えきって、やれることは100%やったって言って、それですがすがしく死んでいきたいんですね。
もうそれだけですね、今望むことはね。要するにこの人生でやりきっていないことがある感じがしているっていうことですよ。積み残している荷物がまだいっぱいあると。
それを全部きれいにしてからじゃないと、もう死ぬに死ねないみたいな、そんな気持ちになっているっていうことですので、それがようやくワクビズをやってみて、やっぱりこの方向性だなってわかり、
今のこのポッドキャストもワクビズのコンテンツとして提供しようと思っているし、というか提供してあるんです、もうすでにね。
プラスアルファはワクビズにとどまらず、それ以外の人たちにも伝えるべきことを伝えていきたいので、それのためにノートを始めたというか再開したっていう話に、ようやく振り出しに話が戻せてよかった。
結局今までこの3年ぐらい本当にブラブラしてたんですね、いわゆるね。それより前はキチキチにもやりたくないとかやりたいとかやりたくないじゃなくて、やらねばならぬからやるんだみたいな、本当につらい感じで仕事をしていたので、それで限界を迎えてしまったんですよね、60歳ぐらいの時に。
あの頃コロナも来たし、すごいちょっと激動だったじゃないですか。
24:03
で、やっぱり自分がコロナになっていろんなことが止まった時にもう心底ほっとしたっていう、そういう体験があったので、それで自分で気づいちゃったんです、どうしようもなく。
今までやってたことを私は本当に嫌だったんだなっていうことに、本当のことに気づいてしまって、そうすると戻りたくないんだけど、コロナ開けると戻ってくるじゃないですか、いろんなことが。
それが徐々に断れなくて、わーまた来たと思っているところで怪我をして、それ腰痛っていうかね、お尻の筋肉なんですけど、動けないっていうか、座れなくなっちゃってってなったので、
これは確信犯じゃないんですけど、わざとしたわけじゃもちろんないけど、本当にやめたかった今までやってたことすべてね、それの表現形としてそういうちょっと腰痛いみたいになったんだって。
本当に心と体は一体だし、どう頭でいやそんなことはない、頑張れると思っても、体は正直でちゃんとメッセージを出すなと思ったんです。
ただね、私はね、ただ何もせずに家にいたいと思っているわけじゃなくて、ものすごい違和感。これがなかったら私は本来こうじゃなかったんじゃないかしらって思っている何かの違和感的なものをずっと感じていたんですけど、もう何度かわかんない。
ずっと何十年もそれをやらなくてきているので、何やっていいかわかんなかったんですよ。で、とりあえずyoutubeを始めてみたと、ポッドキャストも始めてみたと、それからダンスをやってみたと、勝手に自分たちのグループでやるっていうのをね、やってみたと。
要するに今までやってなかったことばっかりをやり始めて、そういうことするとものすごいリフレッシュするじゃないですか。本当に世界が変わるっていうか、楽しいってこういうことだったよねみたいなのを思い出しもして、3年目ぐらいになるのかしら、これで。
で、当分本当にいよいよこう何かやれる楽しいなと思ったことはひとしきりやってみて、それでようやく何て言ったらいいんだろう、長い旅行から帰ってきたみたいな感じ。
あー楽しかったーってなって、めちゃリフレッシュしてて、やる気っていうものがこう、無理やり出すやる気じゃなくて、何かこうやりたい、ムズムズするような前向きなやる気が湧いてきていて、っていうところでワクビズが始まったんですね。
で、やってみて、やっぱこの方向性だと思うので、これからはそれをやっていこうみたいに、そんな感じになっているっていうわけなんですね。
27:13
ですので、私はようやくこの生まれてきた本当の意味というか、ちょっと生まれてきた意味かどうかよくわかんないですけど、とりあえず今からまだ命があって、どこにも悪いところがなくって、
まだ63歳っていう年齢を、皆さんはもう年寄りだって感じるかもしれないんですけど、今時のもう年寄りだは83歳ぐらいになると、さすがにちょっとね、新しいことを始めるのはちょっとって言っても許されるぐらいの年齢だと思いますけど、
なんかね、63ぐらいで言うと、いいね、あんたたちは若くってって私いまだに言われますよ、周りから。確かにその比較対象が83だったら、いや十分若いなって思うし、仮に83歳になったら新しいことができなくなると仮定したら、それでもあと20年あるでしょう。
したら、20年あったらさ、0歳の子供が20歳になるぐらいの長さなんですよね、時間として。それをただぼーっとして、何事もなければいいって言って生きていくことはちょっと私にはとってもじゃないけどできないので、何かしらの有意義なことに使いたく。
それは60歳以前は、私がお金が儲かることをしなくちゃいけないって思ってたんですけど、今はお金が儲かるだけではダメで、ちゃんと私が本音で喋れて本当に思っていることを語れた上でのお仕事にならないと嫌だし、
お金をもらいたいがために本当に思っていることを封印して我慢するんだったら、何のために腰痛まで起こして、そういう世界から抜け出たのかがわかんないじゃないですか。
だから、本当の意味でのお仕事っていうのは、本当の仕事っていうのは自分のやるべき、そういう天命とか使命とかいうものにつながっているものであるはずで、そこで正当に対価をいただいて、だって価値があることだから、
お金払っていただくのが当然だし、また払うことによってその人のところにも価値が流れていくわけじゃん。
ただのりで価値をもらえるっていうことは、実際問題あんまりないので、そう。なので、そういう本当の意味でのお仕事にようやくこの年になって気づくことができたし、始めれるのかなと思っていますっていうところが、今日したかったお話です。
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最後までお聞きいただきありがとうございました。
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