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こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田 伊久子です。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田 伊久子です。
5月29日水曜日、朝の9時42分でございます。
2日ぶりによく晴れて、すごい快晴です。
風がなんか強いんですけどね、めっちゃ晴れてます。
気分良く朝起きるわけなんですけど、
実は今週、一昨日から、月下水と、今日水曜日ですよね。
ファスティング中です。
昨年から、リバイスファスティングっていう、
お友達のお師匠さんが作った、ファスティングの方法があるんですけど、
それをやり始めて、今回何回目だろう、
去年から数えてね、
11回目になりますね。
やっております。
5日間やるって言っても、最初の日と最後の日は固形物を食べるので、
真ん中の3日間だけが完全に流動食というか、プロテインを飲むんですけど、
それからもちろん、栄養のサプリ、1日の必須栄養素をサプリで摂って、
って感じなんですけど、メインはプロテインですね。
朝昼晩、朝昼晩、朝昼晩とプロテインを飲むっていう、そういう生活をしております。
今日が中日なわけなんですけど、
今回ね、私やる予定は全然なかったんですけど、
ちょうど月曜日かな、おとといかな、
今週の予定を見てて、特に何にもないなと思って、
じゃあもうファスティングやっちゃおうみたいに急に思い立ったので、急に始めました。
正しいやり方としては、前の週から、
コーヒーとか甘いものとか油っこいものとかは控えて、
体の準備をしてからファスティングに入りましょうっていうのが正しいやり方なんですけど、
まあまあ私もこれで11回目ですしね、
その辺は飛ばしてもいいかみたいな感じで突入しています。
効果としてはですね、もちろんね、体重が減るっていうのはね、期待するところなんですけど、
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結構それだけじゃなくて、何て言うんですかね、リフレッシュするっていうんですかね、
溜まった汚いものが消化されるみたいな、そんな気分します。
本当に朝起きた時の、布団の中で目が覚めた時の、
一種独特な爽快感があるんですけど、これは何でしょうね、
多分ですけど胃腸が、胃も腸も今お仕事お休みしてるんで、
白口中なんかものを食べちゃ消化をしているわけなので、
消化活動については無意識の領域なんでね、私たち何の努力も感じませんけど、
でも胃腸はずっと働き続けているわけで、
それがちょっとこうしてお休みを取ってあげると、なんかね、めっちゃ喜んでる感じがするんですよ、胃腸が。
多分それで朝起きた時の目覚めがめっちゃいいっていうことじゃないかなと思います。
もちろん起きてる間はやっぱり途中で、お腹はすくし、
でもお腹がすくっていうよりもこうなんか手持ちぶさか、何か食べたいってなっちゃうのが辛いところではあるんですけど、
でもまあ、今回は何ていうのかな、思いつきのファスティングなので、きっちりいつかやらなくても、途中で終わってもいいかなとは思っています。
そんな感じでね、自分で調節しながらやらないと、あのしんどくなっていっちゃって、
しんどいと思い始めるともう続かなくなるので、その辺は自分で塩梅できたらいいのかなと思っています。
はい、それで本当にこの週末ですね、日曜日にイベントあって、
月曜日はそのイベント出たクラスでレッスンがあってっていう感じで、
昨日か、昨日は金曜日のワークショップに提出するためのフィードバックをいただくための練習動画を撮ってみて、
で、編集して送るっていうのをやってて、でもたくさんやると大変なので一部だけ、この動作だけっていう風に切り取って、
それだけ練習して送るっていう風にしました。そうじゃないと、
全部やって全部送らなきゃって思うとどんどん面倒くさくなっちゃって、練習も時間がかかるし、できないんですよね。
でも全部できないからやめってなるよりは、一部でもちょっとでもいいから、一動作でいいからやって出した方がいいかなと思って。
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先生からのフィードバックも役に立つんですけど、その撮影する事態、撮影するために練習する、そのことで成長するような気がします。
だから本当にちっちゃなステップ一つとか、一動作ですよね。一つの動作だけを練習したりするんですけど、
やったらやったで、こんな感じかなみたいに多少の気づきもあるし、やるたびにだんだん慣れてきて、慣れたからできるっていう、そういうのもあるし、練習は必要だなと。
であと、月曜日のそのヒップホップのクラスで新しい振付が始まったんですけど、その振付がなかなかいい感じなんで、かっこいいと思ったので、それを昨日はね、家で練習もしました。
ちょっと動作が多いっていうか、パッパッパッパッといろんな動作が続くみたいな感じなので、順番が全く覚えられず、覚えても体がちゃんとそういうふうに動かずっていう風だったんで、
昨日ね、ちょっとね、動画を見て練習したんですね。やってもやってもできないので、結構何十回も繰り返しちゃって、結構汗、滝汗流しながらね、やったりしました。
本当に短い動作なんですけど、それがね、本当できないですね。もうだんだん頭ではわかるようになるんですよ。こんな感じって。だけど体が全然ついてきてないっていう、そんな感じでもどかしいんですが、もうどうやったらカバーできるって、そういうのクリアできるって言ったら、
頭で考えていて解決することじゃないので、もう頭で考えるのはむしろやめて、ただ動くっていう方がいいなと思いました。だから私にとってね、ダンスはね、本当にいつも考え事ずっとしてるのを完全に断ち切ってくれるものなんですよね。考え事しながらできないですもん。
一旦もう考えるのはやめて、いろんなことをね、そのダンスの動きに集中してやらないと全くできないので、おかげでその考え事から解放されるっていうか、そういう時間だったりします。
まあ私、なんでダンスをずっとやってたのかなって思い出したんですけど、50代の終わりぐらいからですね、アンジョーのジャズダンスに週1回通ってて、その当時全くダンスを上手くなろうみたいな気持ちが全くなくて、だけど毎週その時間が楽しみで本当に通ってたんですね。
今ダンスをやってる気持ちとは全然違う気持ちだったなっていうのを思い出したんですよ。じゃあ当時何だったかっていうと、もうこの日常から逃れたくて、週に1回そこ行ってレッスンを受けてる間だけは、その間1時間15分かな、だけは全く他のことが考えられないので、
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で、それが終わって着替えて出てきて車に乗って、そこから出た最初の信号のとこで、わーっと現実が戻ってくるみたいな。だから家から出て車に乗って行く途中は現実のままなんですね。
で、そこの建物に入って行っても現実のままなんですけど、スタジオに入ってレッスン始まるよっていうその瞬間から考え事ができなくなっちゃうので、スパッと現実が途切れて、現実じゃない空間にいるような感じがしてたの、当時は。
で、終わって出てきたらすごく現実がガーッと戻ってきて、その現実が要するにものすごくがっかりするような感じだったんですよね、当時。50代の終わりですから、ちょうど落筆をやり始めていたのかな。
まあそのしょうがないからやるしかないんですけど、本当に私筆文字に対して興味がないので、個人的にね。興味がないのにやらされてるっていうか、私がやらなかったら誰も動かないので、いやいやしょうがなくやってて、苦しくて苦しくてしょうがなかったんですね、当時。
でも誰によっても分かってもらえないっていうか、そもそも聞いてくれる人もいないし、本当に一人で全部抱えてた時期で、お話ししてる通り当事者の筆文字やってるその本人は全く私の話とか聞いてないっていうか、本人自分のことで精一杯で、
もう人に気遣う余裕なんかないし、また彼は私のことをできる人だと思ってるから、パソコンができるし、なんか何でもできる人だと思っちゃってるので、私に任しといたらというか、私についていけば大丈夫ぐらいに。そんな感じだったんですよ、当時。
でも私も商売したことないし、それから筆文字の教室を運営したことなんかないわけですよ、当然。他のいかなる教室も運営したことなんかないわけですよ、当然。しかもそのことに興味がないと。
みんななんでこのことを習いに来るんだろうって、そんなような感覚なので、何がいい、その良さを、メリットを伝えなきゃいけないんだけど、メリットがわからんわけですよ、私の中では。考えても考えても。
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本当に本当に目隠しをして、1日中目隠し状態で歩かされて、しかも成果は出せって言われてるみたいな、そんな感じだったんで、そうですね。
人生がつらかった時期は何度もあるけど、どうかすると41歳で突然ツトムが引きこもった時よりもつらいぐらいだった。
あの時は急だったんで、パニックになってるしこっちもね、パニックになるって言ってテンションだけは高いわけですよ、とりあえず。ギャーってなってるから。
でもそのギャーの勢いで、タイあたりで何でもできたし、ただもうそれから十何年経って、私が57歳とか、でもそんなテンションはもう遠くの昔に切れてて、それから嫌々やってきたその筆文字の仕事みたいなやつが、もう最後の最後、どうにもやりたくなくなってっていう。
本当に苦しい時期に、木曜日の晩にあそこに行ってダンス踊ってる時だけは解放されるっていう、そんな時間だったっていうことを思い出しました。
で、たぶん60歳ぐらいで腰痛になったりとかいろいろバタバタバタとあって、私はギブアップしたんですよね。パソコンも全然できないし何に一つ手伝えないからみたいに。
でも私も切れちゃって、体痛いとこあるとさ、忍耐ができないじゃない。
それまでは体が元気だった時は持ちこたえて耐えていたものが、腰が常時痛いとか言うと何にも我慢なんかできないんですよ、他のこと。
これ以上痛いで頭がいっぱいですから、こっちも。人のことする余裕がないってなった時に初めて手放すことができて、半年ぐらい何もしなくて、それで回ったんだから、その後復帰しないように気をつけて。
そーっと遠巻きにしてて、っていう風になったらなんやかんやこう回ったんで、なんでできるじゃんって思って、もう二度と巻き込まれんようにしようと思って、それからダンスの方に熱心になったというか。
ようやくそこでダンスの中身の方に気持ちが行くようになったんですね。ただの逃げ場ではなくて、やってることの方に興味がちゃんと向くようになって、だから60歳ぐらいからかな、ちゃんとレッスン上手になりたいなって思ったりとか。
ちょうどコロナがあって、YouTubeいっぱい見て、K-POPのダンスとかを見て、いやーかっこいいな、踊りたいなって思ったっていうこともあって、真面目に向き合ってみようかなって、ようやく思い始めたのがたぶん60ぐらいかな。
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その時、ジャスダンスのほかに今も通っているヒップホップのクラスに参加し始めたのもたぶんその辺だったと思うんですよね。腰痛があって、今始めなかったらずっと始めれないなって思ったので、思い切ってチャレンジしたっていうところで、そこからいろんなことが起き始めたっていう感じになってます。
ですので、同じダンスをやっているって言っても、それ以前の50代まででやってた時はあんまりちゃんとやってないっていうか、振りも一つも覚えなかったし、今週やって、来週来たらもう全て忘れてるみたいな。
そんな感じで、習っている振り付けをコンプリートできたことが一回もなかったです。途中でわかんなくなっちゃうとか、途中できないとか、もうずっとそんな感じでした。でもそれでいいと思ってたんですよ。別に問題感じてなかった。
何しろその1時間15分集中していられて、もう嫌で嫌でしょうがない筆文字のことを考えなくてよかったんで、それだけでも救いでしたね。救いの度合いで言ったらその当時の方が救い度合い大きい。今ダンス行くともうちゃんとやりたすぎて、もうストレスでしかないっていうこと結構ありますもんね。
習ったことをさ、昨日みたいに家に持ち帰って復習するでしょ。大変ですよ。現実そのものみたいになっちゃって、普通のルーティンというか、普通のお仕事とかいろんなことと同じようなレベルでやらなくちゃいけないとか、頑張らなくちゃいけないとか、そんな感じになっているので、ダンスが私にとって救いであったっていうのは、やる気のなかった50代の時の。
あれですね。当然ですけど、そんなダンスにしか救いがないぐらいの、そういう生活の方が問題でしたよね。そんな暮らしって続くわけがないし、どんな強い人でも折れるし。
私のその腰痛、60歳で腰痛になったのは、あれ60かな。そうかな。コロナ開けた次の年だと思うんですけど、絶対あの10年ぐらい、10年、20年続いてきたこの嫌なことを嫌々やらされるっていうか、やらざるを得ないように追い込まれてるっていう、その生活自体のストレスが限界にきたんだっていうふうに思ってます。今でも。
だから、腰痛になってすごいほっとした部分はありましたもん。痛いけどね。いろんな嫌なことをやらなくて済んだので。そうそう。だから、腰痛って一言で言っても、なんか腰痛になっちゃったって言ったら、あそこの整体で治してとかって、まあそうなんですけど、治すんですけど、治してもとどおりにはなりたくなかったです。当時からはっきりと。
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だから、むしろ歓迎して、いろんなことをやらなくてよくなったのが本当に嬉しくて、許されるっていうかね、腰痛だからね、もう行けない、名古屋も行けない、何もできない、椅子座れないからパソコンもできないって言ったら、しょうがないねってみんな許してくれたんですよね。
こんなこと人生で初めてですよ。許してもらえるって。やらなくていいよって言ってもらえるなんて。だから、その半年くらい私は本当に心から楽しんだし、唯一不便だったのが、ダンスのレッスンに行けない。これは本当に痛いので行けない。
だから、腰痛で引きこもりながら、これ治ったらダンス本気でやろうって思ったんですよ。で、仕事とかそういう嫌なことの方にはなるべく復帰しないように気をつけようって思ったので、
私がこう、今こう元気でイケイケなんですけど、こういうふうに慣れたきっかけは、腰痛きっかけだったんだよ。間違いなく。ということで、病気とか怪我とかで、ただの不幸な出来事かもしれないけど、
何らかのサイン、自分の体からのメッセージっていう方は当然あるし、自分自身からの本音の部分からのメッセージで、方向転換を迫るとか、危険なことから守ってくれるとか、そういう働きがあると思うので、
病気や怪我イコール悪と決めつけて、それを単純に治せばいいっていうことでは解決しない何かがあるように私は思っています。
その病気や怪我を治すときに、その原因となったものを解消してあげないと、また今度は別の病気や怪我になって出てくるだけだというふうに考えていて、こういうのってホリスティックって言うんですけど、
体とか人生の丸ごと全部一つと考えて繋がり合っているから、全体をケアしないとダメだよっていう考え方ですよね。若い頃にそういうのをちょっと学んで、学んだっていうか知って、確かになって思うようなことがね、
30歳ぐらいのときかな、ちょっといろいろ瞑想をしたり、そういう身体心理療法って言って、体の痛みを心でとるみたいなやつ。心の痛みを体でとるもあるんですけど、そういうのをちょっと習うっていうかやってもらう側で体験もしてたりしたので、その流れで私はそういう考えが根底にあるんですよね。
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だから腰痛になっちゃった、じゃあこれしたらっていうのでは解決できないことがあるって、そういう深いものって自分にしかわかんないけど、自分にはわかるじゃないですか、大体。
たぶんみんな、体不調になったとき、嫌だなどうしようと思うけど、自分に素直になって、自分に問いかけて、なんで私これになったかなって問いかけたら、すぐ答えが返ってくると思いますよ、自分の中から。
これが嫌でとか、何かその人なりの何かが絶対あって、体はメッセージを発しているので、それ聞いてあげれたら解決することもあるんじゃないかなと思ったりします。
ただし私、そういう人のものは聞けませんので、すぐあれね、人のメッセージ聞いてあげるってね、本当かどうかわかんないじゃないですか。
だから唯一の解決法は自分で自分の体の声を聞く、体の声イコール自分の本音ですので、そんな難しいことは何にもない。
ただの本当の本当の本当の本音というのに向き合うというか、そういう声を聞いてあげるというか、そういうことでしか解決しないかなと思います。
どこまで行っても自分しかいないので、人が自分の問題を解決してくれるということはあるように見えて実はないんですよね。
するよってその人は言うかもしれないけど、解決してないです、人に。
人に聞いてそのまましたことでは、その解決法はあなたの解決法ではなくて、それを教えてくれたその人の解決法なんで、その人には聞くけど、あなたには聞いてないですよ、だいたい。
そんなもん。だからこそ自分と向き合うっていうことが一番大切って私は思うし、このあのポートキャストでも時々そうやって言ってると思います。
それで話がまたあれですけど、何の話してたっけ。
ダンスの話だったっけ。
ダンスで言うと、
オンラインのワークショップをね、西口先生っていう先生の受けていて、この先生が6月の22日かな土曜日に、
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その前の日に大阪にいるので、東京に帰るついでに翌日名古屋で途中下車してワークショップをやるっていうことが決まったんですね。
で、私、行きますって言ったけど、どうしようどうしようって悩んでて、
何て言うんだろう、1回のワークショップでその場で教わってその場でできるっていうことがまずほぼほぼないもんですから、いつもいつも消化不良で終わるんですね、対面のレッスンって。
だし、レベルっていうか、その先生の、ただ振りやるだけじゃない踊りって言ったらわかりますかね。
体の動き、体の使い方みたいなのを大事にする先生なので、ほぼほぼ多分対面で言ってもできないですよ。
だっていつもワークショップでオンラインでやってるからさ、わかるじゃんそういうの。
でも先生に会えるのはそこしかない、リアルで。
で、10月にも全体のイベントが東京であるんですけど、これもどうしたものかと迷っていて、
で、何て言うのかな、こう考えててもわかんないじゃないですか、未来のことだし、そこどんな雰囲気になるのか、現時点で私にわかんないじゃん。
でもすごく壁を感じているっていうことで、二の足を踏んでいるんですけど、
6月20日の先生のワークショップも腰がひけてるんですけど、ここで腰がひけたままでいたら、もう二度と、怖いものって逃げるともっと怖くなるんですよ、私の経験上。
で、ちょっと怖い間に体験しておいたら、いやそうでもないっていうか、まあこんなもんかみたいなわかるので、すごく怖くなっちゃう前に、
ちょっと怖いかもっていうところで、早いうちにちょっと一歩踏み出しておくっていうのが、そのままずっといかなきゃいけないわけじゃないんですけど、
っていうのが私の生きる知恵っていうか、幼い時に身につけた知恵なので、昨日も考えてそうだなって、
名古屋までせっかく先生来る機会、こんな機会多分もうないから、行くだけ行ってみようと思って、参加を決めました。
本当に新しいこととかっていうのには、いちいちこうして、どうしようかな、できるかな、いいよって言ってもな、どうしようかな、壁感じるな、
アウェイだなって、ホームアウェイのアウェイね、思うんですけど、本当に悩んだら、本当に行きたくなかったら悩みもしないじゃない、聞く耳がないじゃん、
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そういうのありますよ、何か誘われてるのに全然スルーするとか、本当に興味がないことって反応しないんですよ、自分が。
だけど、こう、迷ってるっていうことは、何らかの興味があったりなかったりっていう状態がゴブゴブだから迷うんですよね。
迷ったら、前に進む方にスイッチを倒す。いやどうしようかなって迷ったら、スイッチをやるっていう方に倒す。
もうスイッチはやるの方にしか倒れない。
というふうに選んでいくと、自分の人生をこうまっすぐ一本でこれからまっすぐこのままずーっとこのままで行くっていう、そういうルートからちょっと外れる。
ちょっと外れる。ちょっと外れたとこでまっすぐ行くのかなと思ったらまた何かやってちょっと外れるっていう風で。
これ10年単位になってくると、全く別の人の人生みたいに。
すごい楽しいとか、あれもできるこれもできるみたいになっているはずだと。
周りがすごい人ばっかりってなってるっていう方になるのかなって思いますので、迷ったら進む。
迷ったらやるっていう方にスイッチを倒すっていう片側にしか倒れない倒れないスイッチというのを自分の中に持って。
そして勇気を持ってそっちに倒すということを一個一個やる。
私の先々週のハウスダンス体験に行くっていうのも、どっちか言ったらそっちの方がチャレンジだったぐらいめっちゃ心理的抵抗が大きかったんですけど、
それもやるっていう風に倒したら次のハウスの情報が入ってきたし、またその私の話を聞いて、
それ面白そうだね俺も行こうかなって言った人が昨日レッスンでいたし、広がっていくんですよね。
本当に連想ゲームじゃないけどなんか伝言ゲームみたいに次々と広がっていくので、やっぱり迷ったらやるっていう方に倒し続けるということでしか現状を打破はできない。
打破する必要もないけど現状を良くしていくっていうの。より生きやすくて楽しくて、生まれてきた甲斐があったみたいに思える。
死ぬ時にやり切ったわって言って死ねるみたいな。そんな人生が送れるかなと思います。
はい本日は以上です。