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2024-09-26 24:49

本音を言って伝わる人・伝わらない人

まあ、残念な話ではありますが、伝わらない人とはいっしょに仕事や活動を始めるのは無理かなっていう。当たり前ですよね…

サマリー

本音を伝えることができる人とそうでない人の違いについて考察しています。話し手は、他者とのコミュニケーションにおける理解や共感の重要性、そして自分自身の表現方法との葛藤について述べています。このエピソードでは、人生の後半における新しい挑戦の重要性や、現状維持に甘んじることのリスクについて探求しています。参加者は、健康や人間関係における意識を高め、充実した人生を送るための視点を共有しています。

ポッドキャストの目的
こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田イクコです。このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを気ままにおしゃべりしています。よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。 9月26日木曜日の
もうじき朝の9時というところです。 配信がちょっと久しぶりかなーっていう感じなんですけれども
実はその間に2回ぐらいね、私収録はしてるんですけど、なんか配信せずに没にしてるっていうことがありました。
なんですかね、特に話すことがなかったんですよね、実際。 今日もね、別に話すことはないんですけれども
あの没にした2回っていうのは、なんか夢中になってね、自分のことを喋っていて。 今何夢中になって喋ること何って言ったら
えっと 来週の土曜日になるかな
そうですね来週の土曜日に東京でダンスイベントに出るので、今その準備なんですねこの期間。
でその話を延々としてしまうということで、私にとってはねもちろん興味のある話なんですけど、皆さんにとってはあんまり興味がないかもしれない上に
声だけで喋っててもいまいち伝わらないっていうのがダンスですよね。
はい、それで喋っても喋らなくても私にとっても聞く方にとってもあんまり変化ないよなと思って
没にしました。 っていうか喋り終わった途端にこれは今回は没だなみたいに思って考えて没にしたわけじゃないんですけど
なんか不思議なことにこれは配信しようっていうのと、これは別にしなくていいなっていうことと、なんか喋ってみるとわかるんですけど喋る前にはわからないっていう
不思議な現象があります。お話ししているようにこのポッドキャストのスタート、始めた理由はこのポッドキャストをやる前に自分一人で音声日記を
スマホでね喋ってつけてたんですね。それが1ヶ月とか2ヶ月とか毎日じゃないけどちょくちょくやってて
で、その中でこれこのまま公開しても大丈夫なのあるよねと思ってじゃあポッドキャストというものの配信をしてみようって思ったっていう
そこから始まってるので元々本当の私の日記だったっていう。日記の中で人様に公開しても差し支えないなって思うものをポッドキャストにしていくっていう
成り立ちできてるんですね。多くの他の方たちのポッドキャストのようにテーマがはっきりあってこういう人たちのために役立つようなこういう情報を配信していくとかそういう
コンセプトが全くないんです。私の日常のおしゃべりなんです。本当にそうなんですね
伝わらない経験
だからそもそもこれが役に立つっていうことを私も歌ってないですし多分皆さんも期待してなく聞いてるだろうとは思うんですけどそれでもさすがに
全くリスナーの方と接点がない話っていうか私の個人的な話っていうのは自分でもあんまり公開したくないなっていうものがありますね
今でも。だから自分の中の本音の中の本音の中のまた本音みたいなあるじゃないですか素直に本当に思ってることをそのまま人に伝えますかって言った時に伝えたいと思う場合もあるけど
関係ないよねって思う場合もあります正直。そこまで私がさらけ出して言う必要がどこにある
って思うようなこともたまにはあります
私ね
昔すごい転校生生活だったので学校時代ね。お友達がいない時期がすごいあるんですよ転校生って
友達できても本当に親友と呼べるほど何もかも話せる人っていうのはだんだんできづらくなっていく年を経るごとに
でまぁぶっちゃけあんまりそうだな高校ぐらいになるとなんか育ちゃんって何考えてるかわからないねっていう風に言われることがあったんですよ
大学入ってからもかななんなら就職してからもなんか壁があるよねとか言われることがよくあって
まるでそれが私の中の原因のように 私に何か原因があって
なんか自分で壁を作ってるとかね あのいう人が結構いたんですよね
でその当時20代とかの時は私もそうかこれ私の中の壁なんだと思って壁壊さなきゃって言って自分からこう
オープンに自分を解放するようにしなきゃいけないんだって20代30代前半ぐらいまでは思ってました
でそれからまた25年とか時が流れてですね今思うことは いや必ずしも私由来じゃないよねって
なぜかというと私だって人に会って喋ってて ああこの人は私の話がわかる人だと受け取れる
なんていうのかな共通の経験をしているとかね なんかとにかく喋ったらわかるじゃないですかその人がどこまでそれを許容するっていうか
共感してくれるかどうか で方や何でも話してって言ってる人でも
全く私の言ってることが理解できないっていう場合って結構あるんですよね実際 で話しながらもだんだんその人の興味が薄れていっているのもわかるし
なんなら私の話の途中で遮ってそれはねとか言ってかぶせてきたり すると私としてはこの人は私の話がわからないんだなって
聞けるけど耳で聞いてるだけで心には全然何言ってるんだろうこの子はみたいに 響いてないんだなってわかるじゃないですかそうすると私も話すのをやめるんですよね
そうすると後で いくちゃんって心開いてくれないよねとか言ってくるわけ
これって私の原因じゃなくてあなたですよねっていう あなたが私の話が理解できないじゃないですか
だから話さないんですよ私は私の話が理解できる人に対してはもっと自分を オープンにして開示して話すんですよって
あなたが劣っているんですよいう列で言ったらね あなたに原因があって私は心を開かないんですよっていうただそれだけのことじゃんって
まあまあ60を過ぎてですね私もようやくそのメカニズムがわかるようになってですね そういうふうに人を責める人っていうのはだいたい原因が自分側にあるんですよね
自分が間違った球を投げ続けているから 間違ったレスポンスしか返ってきてないっていう単なるそういうこと
でしょ
いくコラボの一個はですね そうやってあんまり人に理解してもらえない経験
をしてきたし経験をしたって言うか あの老いたちからね本当にあちこち転向し続けてくる子供ってやっぱり孤独だし
創造的な葛藤
孤独っていうともうもうその時点であの子は友達がいないからかわいそうだね 私たちが遊んであげるねみたいに来る
そんなわけないんですよ 私にはそういう現実の友達に変わる
うーと大きな友達がいたんですねそれはやっぱり架空の友達今で言うと まあゲームオタクだったり2次元
ねのお宅だったり っていますけど当時私は本を読んでいて本て無限にたくさんあるので面白い本が
どんどんどんどんあって本の中に本の世界の中で遊んでいたら かなりそれで満たされてたんですよね
もちろん現実の友達と遊ぶのは楽しかったけれどもそんな風に上から目線であなた 友達いないから遊んであげるねみたいに言ってくること遊んで楽しかったことはあまりない
わけよ だって向こうは私を理解してないでしょかわいそうな子だからしてあげるねみたいに思ってるのは
ブインビン伝わるし 小さい子供だってそれはわかるしそんな風に扱われる言われはないわけですよ
ねその子は単に転校してきただけであって友達がいないかわいそうな子ではないん ですよね
なんかその辺のことがわかんない人って多いみたいで 自分のしていることがいいことだと思ってそういうことするんですよね
でまぁまぁそういうわけで子供の頃の話はもういいんですけど ただ
何だろう 人のその本音本音というか本当にあの大事に思っている部分とかに
土足で入り込もうとしてもそれは無理だよねっていう話 今は踏み込まれる側に立って話してますけど私もそうだな人の大切な世界に踏み込もうと
してきたなぁって思うことが実はあります えっとパートナーのやってる筆文字の仕事
というものを うんとそうだなぁなんていうのかな最初はただ家で書いていただけだったんですよ
遊びで まあなんだろう
本当にただ一人で書いていただけなんですね それを841歳だから20年ぐらい前かな
それをそのまま放置したら今でもただ家で書いてるだけだったと思うんですよ でも
とりあえずそれを世に出さないといけないと思うから
書いたものを写真に撮ってブログですね今で言う みたいにして
ホームページ web 上で公開するですとか それからそれがちょっと商品ができてきたらそれをネットショップでも売るとか
それから教えてっていう人がいたので教えるプログラム を作って
作ってというか作ってもらってこれをやっていきましょうって言って 企画を立てるとか
いろんな作戦を練って なんとか
なんとかその 今ある
ものを作ってきたんですけど 作ってきたんですけど
私が作ってきたのは何だろう入れ物みたいなもの 容器箱
器 のようなものを
なんとなく準備して その中身はって言ったら筆文字なんですよね
で うーんと私から見た時にこのプログラムの
なんていうのかな 効果皆さんに喜んでいただける方法っていうのはまだ他にもあるように見える
けど
何だろうな もしこれが私がやっていることだったらもうちょっと別の売り方が考えられるって
いうふうに思うわけ いろんなところに役に立つと思うのでこのやってることはね
メンタルにもいいし コミュニティ形成にも利用できるし
いろんな切り口が考えられるんですけど 私はこの現時点では一旦そういう提案をするのをやめてます
っていうのはご本人さんがどうも全然理解できないみたいなんですねそういうこと それはそうですよただ自分が好きで書いているだけですから基本のところはね
大本とそこから出てるんで そのことに対して人からとやかく言われたくないんですね
多分 それを他のこと例えばメンタル的に元気になる方法ですよとかって言われても
もう自分の感覚とものすごく遠いんだと遠いんだと思うんですねそういうの こういうのを使って
サロンみたいなのでね定期的に人が集まる仕組みを作りましょうって言っても本人の やりたいことと全く違うんですねそれは本人的にはただ自分で
好きな作品を書いていい作品できたら満足っていう そこだけのものなのに
売りたいがために 私がいろんな作戦を持ち込むと多分ものすごく嫌なんだろうなっていうことです
口では言わないですけど 嫌さが伝わってくるんで
そこで私は葛藤がありまして嫌だけど 他に展開できる余地のある魅力的なコンテンツだと
もっといろんな売り方したら今の10倍ぐらいは売れる すなわち人たち人々に広がるだろうに
放置したら広がらないからもったいないなっていうのが一つ もう一つはとはいえやっぱり主体となる人ご本人さんが自らやりたくて
こういうふうにいろんな人に広げていきたいって思ってやるのでなければ 他人からの押し付けっていうか
たとえ理屈で納得してもらったとしても 心の底からそういうことがやりたいってちらっとも思ってないものに対してそれを押し付けるのは
多分またうまくいかないんだろうなって なぜなら本人の中にそういう
炎が燃えてない ないないんです本当にないんですないはないであってないでしかないんですね
新しい挑戦の重要性
もうゼロに何かかけてもゼロになっちゃうと同じであるものはあるけどないものはないんです でそれが
多分 もうこれ以上そのあるが広がっていくことはないなぁと思って
これはもったいないなぁって思うけど いやーここなんか何やりゃのこの価値ある活動があってね
もっといろいろ展開させれたらもっと売れるのにって思うけどさせられない
で今現時点ではどうするって言った時に諦めようって 今朝の話ですけど思ったんですね
同じ葛藤ですね私ずーっと繰り返していまして 始めたのが2016年教室に関してはね
ですからの8年ぐらい ずっとこんな感じだったんです本人はあんまりやりたがってないけどでもやらなくちゃいけ
なければ無理やりこれをやってねみたいにしてやってもらってきていたみたいな感じで 私にしてもなんでこうやってお願いしてやってもらわなきゃいけないのかなぁだって
あなたの仕事がうまくいく方法でしょって思うし だから本人もそう思うから協力してくれたんだとは思うんですけどとはいえ
やっぱり足りない 本人が自らやりたいと望んで走り始めたことって本当に人から止められないぐらいの勢い
でバーッと行っちゃうものなんですけど とにかく前に進まない私が気を抜くとふって元に戻っているっていうこの状態は
違うんだろうなと思って
うーんこの先どんな展開になってこの落日が再び息を吹き返しっていうか新たに そういう現代の社会にあったね展開で
爆発的に広がるっていう状況がどうやったら作れるのかも現時点ではわからないけど 何かそういう視点を持った
人が現れて えっと
私のこの言ってることがそれこそ理解できて 私もそう思ってたんですいく子さんとかそんな感じでタックを組んで活動できる方が
現れたら そうしたら落日の第2章というものが始まるなと始まる可能性があるな
始めれるかも そういうふうに
思っているので一応今ここで言っておきますけど こうやってね口に出して言うとさ
なんとなくそれは事実のようになっていくんです自分の中でね 自分の中で事実になるといずれ現実にそういう展開が起きてくるっていうのはよくあるので
確信が持てたことに関してはなるだけ口に出して言ったらいいと思うけど 今いる身近な人に言っても反論されるだけだし
いうメリット全然ないので ポッドキャストで言わせていただきますが
私がイメージするような路線に沿って展開できたら
今あるものとは全然別のもっと広がりある もっと人の幸せに役立つような展開ができると思っているんですが
思っているので ぜひそんな風な視点を持った人
私との話が私の話がわかる人って言ったらいいのかな との出会いが今後あるといいな
というふうに 思っています
そう なんか見えていても手が出せないものってあるんだなっていう感じですね
そう だから結局他人のテリトリーには
土足で踏み込まないは当たり前としても とにかく踏み込めないんだな
一旦踏み込んだように見えても実は跳ね返されちゃう っていうぐらい他人のテリトリーっていうのは
こうなんていうのかな 侵入できないものなんだなというふうに思いましたというか
わかりましたという話です
多分これは誰にでも当てはまる話で 特に仕事と関係ない話でも
その人の価値観とかね その人の生きたい生き方っていうのが
確固としてあった場合にそれを崩すっていうことは 事実上不可能なんだなって
いうふうに ここ2,3年の経験から思いましたし
事実なんだろうなと 本人さんが強く望んでいる場合はね
そういうところから飛び出して新しいことをしてみたいんだ 新しい生き方をしてみたいんだって
望んでいれば別ですけど 60過ぎてくるとそういう人もいないだろうし
だいたいもう現状維持でいいやってたとえ不満があっても もう諦めている
今までもこうだったんだからこれでいいやって このまま消化試合のように
残りも少ないしとか言って諦めてる人が9割ぐらいいるなっていう感触ですね 60代以上でね
そう で
まあ諦めた割にはその余生が長いので思ってるより 今90ぐらいでようやくちょっと年寄りかなぐらいの
とある病院では老人扱いするのは100歳以上なんですって 80ぐらいだと自分で歩いていてくださいねみたいな
おじいちゃんとか言わないらしいですよっていうぐらい高齢化しているので 60で
もう私はおばあちゃんだからとか言ってると人生の半分をおばあちゃんとして過ごす はめになりますね間違いないですね
昨日どっかで私 あれか
あの バスに乗ってた時かな電車かな
私の後ろの方でおばさん2人が雑談おしゃべりしているのを聞こえたんですけど 70代でした
70になると体が偉いでかんわーって名古屋弁で 60なんてまだ若い若いって
いう話をしてたんですね で本当に
あの20代30代と比べるからね自分は年寄りと思うけれども 高齢者と比べてみたらめちゃ若いんですよね
で若いって何かって言ったら新しいことにチャレンジできるかどうかだけだと思って いるので
新しいことにチャレンジしないと何がいけないかって言ったら現状がそのまま続くから ですね
すでにやったことをすでにできていることがそのまま繰り返していくだけになるんですね 同じ水平水面上を行くみたいな感じです
そりゃね沈まないかもしれないけれども あのとはいえだんだん年は取っていくのでだんだんこの水面が下がっていくみたいにして
行くわけですねできることが少なくなっていくって だから
60代70代のうちに今までまだやってなかったことをやり やっておくって言って水面を上げとく
ことであの若さって続くんじゃないかなと思うんですね 何かいいものを食べてればとかそういう話じゃなくてもちろんいいものを食べていい運動して
健康を保った上で 何のために健康維持してるんですかって
もうおばあちゃんだからいいのこのまま死ぬのだったら別に健康に気をつける必要もない じゃないですか
すぐ死んでいただいたらどうですかっていう話ですよ 何のために生きてるんでしょうかっていうことをどうしてそんなに名残にするのかただただ
生きてればいいんですか人生って言って 違うでしょ
こんな風にいきたいから だから体を健康に維持して
お金も回るようにしているんじゃないですか お金も健康も人間関係もすべてどんな人生を生きたいから何がしたいから
の その必要なアイテムだったり必要なもの
に過ぎないんじゃないかなと私は思いますね はいというわけで本日は以上です
現状維持のリスク
いくコラボ
24:49

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