ではまず自己紹介の方からさせていただきたいと思います。
今回のトークイベント、登壇者の紹介なんですが、私たちは行きたくなる世界遺産というポッドキャスト番組をしております。
みぞと、かなえと申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
そして今回はですね、こちらの世界遺産センターさんの方から学芸家でいらっしゃいます、民族学純教授の井上さんに登壇いただいております。よろしくお願いします。
井上です。よろしくお願いします。
またですね、今回はゲストとしてNPO法人世界遺産アカデミーの主任研究員でいらっしゃいます、宮沢さんにお越しいただきました。皆さんよろしくお願いいたします。
宮沢です。よろしくお願いします。
早速なんですが、井上さんは普段どのようなお仕事としてはされていらっしゃるんでしょうか。
ありがとうございます。
学芸家という、世界遺産センターの学芸家というセクションにおります。
学芸家にはですね、5人の研究員がおりまして、私が民族学、人類学の担当をしておりますけれども、それ以外に歴史、美術、あと地学、そして文学のそれぞれ担当の職員がございます。
それぞれ担当の研究員のですね、強みを生かして研究を進めているところですけれども、私は民族学、人類学ということであまり皆さん聞いたことがないよっていう分野かもしれないですけれども、
簡単に言うとですね、人々の暮らしの中の富士山ってどうだったんだろうっていうようなことを主に研究の対象にしております。
日常的、非日常的、いろんな場面での富士山の姿というものをですね、いろんな資料ですとか、皆さんの聞き取りですとか、そういったものを通じて勉強させていただいているというような形になります。
ありがとうございます。
宮沢さんはいろんな書籍ですとか、メディアの方にも出演されているというふうに分かっているんですけれども、今日はこちらにですね、世界産アカデミーさんの方から書籍をいただきました。
こちらは本日皆様にご提供いただけるということで。
数が限られている関係によって、最後抽選じゃないですかね、じゃんけん大会みたいな形でお配りをさせていただく予定なんですけれども。
ありがとうございます。
大丈夫ですかね。ということで、今本日のテーマを投影させていただいているんですが、まずはじめに、今日は世界遺産としての富士山というところですので、世界遺産ってどういうものなのかというところから入っていきたいと思うんですが、
世界遺産というのは、ユネスコ総会で採択された世界遺産条約というものに基づいて、世界遺産リストに記載されている遺産ですね、文化遺産とか自然遺産とかってあるんですが、ユネスコの中では世界遺産というのは人類共通の宝物というふうに言われております。
私たちは普段ポッドキャストをやっているんですけど、ポッドキャストの配信の中では、世界遺産というのはいろんな文化も自然も含めて、今1223件世界遺産があるんですけど、多種多様ないろんな違いがあるので、いろんな国の違いを批判とかをしてしまうと争いを招いてしまうよねというところで、じゃあお互いをよく知って理解して平和な社会にしていこうねという、
その代表例となるのが世界遺産だよねというふうによく番組では紹介させていただいております。
宮沢さんにもぜひお伺いしたいんですが、普段こういったイベントですとかご講演では、世界遺産ってどのようなものっていうふうにご説明されてますでしょうか。
ありがとうございます。すみません、ちょっと今日咳喘息で声が聞きづらいかもしれないんですが、聞こえなかったら聞いてください。
世界遺産って皆さん、今金谷さんからも紹介があったように、宝物って感じがしないですか。世界遺産って見ると、これ素晴らしいものだとか、もう絶対守らなくちゃいけないものだって思われると思うんですよね。
でも確かに世界遺産って宝物の側面もあるんですけれども、でも一番大きなところでどこか、大事なところどこかっていうと、世界の多様性を示しているところだってことなんですよね。
世界って僕たちが普段目にしている以上に、本当にいろんな人が暮らしているし、いろんな文化があるし、いろんなものが残っているんですよね。
そういったものを守っていかないと、多様性がどんどんどんどんなくなっていってしまう。
多様性のない社会ってすごく怖い社会なので、その多様性を世界でどうやったら残していけるのかっていう方法論についてまとめたのが世界遺産だって言えると思います。
ありがとうございます。
やっぱりしっくりいきますね。
世界遺産って聞くと、とにかく大きいとか、観光客がたくさん集まる場所みたいなイメージがあると思うんですけれども、しっかりと役割を持ったものというところですね。
ありがとうございます。
世界遺産とはというところで今ちょっとお話いただいたんですけれども、富士山どういう理由で世界遺産に登録されたのかというところですね。
富士山、信仰の大正と芸術の厳選という名前で正式名称で登録されているんですが、こちらもですね、ぜひ宮沢さんに登録された理由背景みたいなところをお伺いしてもよろしいでしょうか。
ありがとうございます。
富士山って先ほど金谷さんもちょっと一番大きなものとか一番高いものが世界遺産になるわけじゃないんですよって話をしたんですが、
ただその反面、世界遺産になるときには世界遺産の価値ってOUVっていうのがあるんですけれども、そのOUVって何かっていうと顕著な普遍的価値って呼ばれるものがあるものが世界遺産になるんですね。
で、顕著な普遍的価値って、顕著になったらものすごくってことです。
普遍的なっていうのは誰が見ても同じように素晴らしいと思うってことなんですよね。
なので、顕著な普遍的価値を持って聞くと、世界遺産って素晴らしいものだなって感じがすると思うんですけれども、でも先ほど世界遺産多様性ですよって話をしたときに、皆さん自分のところにある文化とか自分のところにある自然っていうのが一番素晴らしいと思うじゃないですか。
私の町の山とか、私の国の海とかいったらすごい素晴らしいと思うんですよね。
じゃあ、その中でどれを世界遺産にして、どれを世界遺産にしていくか考えたときに、テーマ研究ってことをUNESCOの方でやってるんです。
そのテーマ研究ってカテゴリーだったりとか、分野だったりとか、文明だったりとかいろんなカテゴリーがあって、その中で代表的なものを世界遺産として守っていきましょうね。
だから世界遺産になっているものだけが素晴らしいではなくて、その世界遺産、シンボルとなっている世界遺産とその周辺にある同じような価値のあるものも一緒に守っていきましょうねっていうのが世界遺産活動なんですね。
ただやっぱり世界遺産のどこどこって名前がつきたいじゃないですか、皆さん。
この富士山を世界遺産にしようとしたときに、この自然遺産で、富士山は山ですよね。
なので山で世界遺産登録を目指そうって最初考えていたんです。
でもそれができなかったんですね。
これなぜかっていうと、僕たち何となく自然ってずっと前からあって、自然があるところに人間がやってきて済んだような気がしますよね。
自然が後からやってくるなんてあんまり考えないじゃないですか。
でも富士山は違うんですよ。
もともとそこに縄文時代とか弥生時代に人が暮らしていたところに富士山が噴火して大きくなって、噴火して大きくなっていって、富士山のほうが後からやってきたんです。
そこで富士山を見てみんな、何で突然噴火するんだとか、何だこの大きな山はとか、富士山は怒っているの、山は怒っている富士山と呼んでいなかったんですよね。
この山は怒っているんじゃないかみたいな異風の念というか異形の念を抱きつつ、だんだん大きくなる山というものを見ていたんです。
そこがこの富士山の魅力だったんですよね。
先ほど自然遺産で登録するときに難しいという話をしたんですが、富士山って同じような清掃火山できれいな形をしていますけれども、ああいう形の山って他にも世界中ですでに登録されていたり、
あと鉱山植物とか固有の植物とかが今どんどん噴火していたので固有種も少ないんですよね。
なので地質的な価値でも生物的な価値でもその代表とはちょっと言えなかったんです。
でもみんなが見ている間にどんどん噴火していって、これはすごいって自分たちの文化の中にその山のすごさを取り入れていったというところが評価されて、文化遺産として世界遺産になりました。
ありがとうございます。
すごい勉強になりました。
やっぱり富士山ってどうしても富士山そのものが自然遺産に登録されているとかって結構思われがちでもあるかと思うんですが、実はそうではなくて、富士山があることによって生まれた私たちの文化ですとか、
あとはいろんな文化人、芸術家たちが富士山からインスピレーションを受けて作品に表現していったとかね、そういった私たちの人間の文化の象徴であるということで登録されたというところですかね。
富士山ちょっと面白いのが、富士山って単体である世界遺産になっているわけではなくて、25の恒星遺産で登録されているんですけども、それって僕たち日本人って神道じゃないですか、基本元にあるのが、あれって多神教なんですよね。
神様がいろんなところに神様がいて、多神教の元にあるのは何かっていうと、人間の理解を超えたものなんですよね。
人間の理解を超えたこの高い山って何だろうとか、人間の理解を超えた噴火って何かなとか、この大きな石って何だろうとか、大きなイノシシが出てきたけど、これって何だこりゃっていうのが多神教の元になっているんですよね。
それが世界遺産としての基本になっているので、この富士山の恒星遺産の中にお寺ってないんですよ。
登録されたのは2013年ですね。
登録された後に富士山世界遺産センターという建物が設立されています。
設立されたのが12月23日ですかね。
明日で7年目を迎えるというところですかね。
7年目を迎える静岡県富士山世界遺産センターさんなんですが、
井上さんにこの世界遺産センターのコンセプトというのをお伺いしたいんですがよろしいでしょうか。
今宮沢さんの方からなぜ富士山が世界文化遺産なのかというところはお話をいただいたかと思います。
その中でですね、顕著な普遍的価値って難しい言葉ですけれども、
素晴らしい価値があるよ、世界中の誰から見ても素晴らしい価値だよというところで、
世界文化遺産に登録をされているというような形になりますけれども、
重要なのがですね、登録された時には素晴らしいけれども、
それが何年か何十年か何百年か経ってその価値が変容しちゃダメですよっていうところが、
ユネスコも含めて世界遺産を推し進めている方々の希望といいますか、
長らく私たちの世代だけではなくて、
お子さん、お孫さん、そして将来の世代にわたってその貴重な価値をですね、
受け継いでいきましょうというところが、世界遺産の大きな目的の一つでもあるということになります。
そのためですね、富士山についても先ほどお話しあったように2013年に登録された時に、
やはりそういった価値を広く伝える施設をちゃんと設けなさいよという宿題が与えられたというような形で、
それに基づいて私たち静岡県富士山世界遺産センターは整備をされております。
一番大きな目的はその価値を守っていくことだよということになるんですが、
ただ私たちが価値を守るんだだけを主張しても、なかなかそれって皆さんに伝わりにくいというところもあるんですから、
今回のような普及的な講座で皆さんに富士山の価値を知っていただくような機会を提供したりですね、
後ほどもしお時間があればぜひ行っていただきたいと思うんですが、
2階の展示室でこういう定期的な企画展を開催させていただいて、
そういった富士山のいろんな側面を展示で広くご紹介をさせていただいたり、
ただそういったものを進めるためにはやはりきちんとした研究活動も必要だねということで、
私たち学芸科の職員が研究も進めている、そういった施設になるということになります。
ちなみによく間違えられるんですけれども、山梨県にも富士山の世界産センターがありまして、
山梨に来るつもりが静岡に来る人もいれば、静岡に来るつもりが山梨に行く人たちもいるので、
県外の方とかは静岡県や山梨県できちんと入れていただくと間違えずにいきます。
ぜひ両者を見比べていただくとまた考え方ですとかね、そういったところの違いもわかるかなと思いますので。
ありがとうございます。
中野展示も本当に素晴らしいですよね、映像が多くて。
ちなみに皆さんも中野展示に回られたという方いますか?
すごいですよね。
本当に私たちも先々週かな、こちらに伺って見させていただいたんですけれども、本当に感動的で。
実際に登山しているかのような感覚をおじゃわえますし、
これくらいの高さに行ったらこれくらいの風景が広がっているんだとか、
というのも体験できる貴重な場なのかなと思いますね。
そんなところでですね、2つ目の議題に移りたいんですが、
そちらにものすごい風に見える架け軸がありますけれども、
井上さんにですね、富士山周辺の人々の暮らしの移り変わりということで、
こちらのものを用意していただきました。
井上さんこちらをご説明いただいてもよろしいでしょうか。
今日はせっかく申し込みの方の出身と言いますか、
見させていただくと遠方から来てくださっている方もいらっしゃるものですから、
せっかく世界産センターに来ていただいたからには、
実物をぜひ見ていただこうということで、
今回この実物資料ですね、江戸時代に書かれたですね、
吉原塾タゴノラエズという、今でいうところの登山のガイドマップになります。
ですので私からちょっとお題をいただいて、
人々の暮らしの移り変わりということで、
ちょっとお時間をいただいてお話をさせていただきたいと思うんですが、
ちょっとこの資料を材料にお話をしていきたいと思います。
これはですね、静岡県側南の方から富士山に登るにはどういうルートで登っていって、
道中にどういう施設があるよということが記されています。
これ原画になるものですから、これを今度印刷物にしていくんですね。
木版摺りということで版画にして、多くの人たちに配って、
富士山に来てくださいねというような形になります。
先ほど宮沢さんの方からお話がございましたけれども、
登山するための地図になりますけれども、
じゃあ古くから人々って登山してたかというと、そういうことでもなくて、
富士山というのは日本人が文字で歴史を残せるようになったのは、
大体奈良時代ぐらいですけれども、
奈良時代からの記録を見ると富士山40回ぐらい噴火しているんですね。
大体西暦800年から今2000年ですので、
1200年で40回ぐらい噴火をしているという形になります。
そうすると頻繁に噴火しているとなかなか富士山登れませんよね。
最初はその噴火を静めるための麓からお祈りをするという暮らし。
そこから平均すると30年に1回噴火していると言いましたけれども、
平安時代の終わり、1200年ごろからだんだん噴火が落ち着いてきて、
今2000年ですから800年間の間で噴火したの5回だけなんです。
160年に1回。
生きている間にほとんど噴火を見る人はいない時代になっていくという形になります。
そうすると、どんどん噴火を繰り返していた富士山のてっぺんには、
火の神様、火の仏様がどうもいるんだろう。
噴火が落ち着いてきたら、近くに行って修行しようという人が増えてきて、
登山というものが一般的になっていく時代になります。
江戸時代にはたくさん富士山の麓に来ていた。
たくさん富士山に登りに来ていたというのが、こういう地図からわかるわけですけれども、
でも今、皆さんね、富士山に登るとなると、
ほとんどの人が車で5号目まで行って、5号目から山頂に行くという形ですけれども、
当時は車がないですから歩いてやってくる。
歩いてやってきて道中にいろんな施設があるものですから、
そこでただ単純に遠くから来て、
俺は富士山に登るんだってストイックに登っていたわけではなくてですね、
この地図をよく見るとですね、
例えば今の富士市の辺りは白酒が名物だったよということで、
富士山の沸き水を使った白い濁酒が名物で売られていて、
ものすごく甘くておいしかったみたいな記録が出てくるんですね。
ちょうどこの東の方から来ていただいた方は、
もしかしたら電車で富士駅の手前に吉原駅ってあると思うんですけれども、
吉原駅の近くはですね、かつて広い沼が広がっていて、
そこのうなぎが名物、うなぎの皮焼きが名物だよっていうようなことが書かれていたりとか、
ちょっと山の方行くと芝川という川があるんですが、
そこで採れる岩のりが名物だよとかっていうようなことですね。
それ以外にもですね、
源の寄り友の巻刈りの史跡があったりですとか、
そこは兄弟の仇討ちの史跡があったりということで、
人々はただ単に山に登るんだっていうだけではなくて、
この富士山の麓に来て、ある意味観光も楽しみながら
登山をしていたんだなっていうようなことがですね、
山頂で今みたいなブルドーザーで水運べないから、水はどうしてだかというと積もった雪を溶かして飲むんですね。
その水が1杯5文だったっていうことで、あまりに高すぎてこういう歌を読んでいます。
雪水屋1杯5文高木富士ということで、当時から山で食べるもの飲むものなんかはものすごい高い値段取られてたよということで、
そういった人々の生活感のある富士山でもあったよというのをぜひ知っていただくとありがたいなというふうに思います。
なんか親近感はきますね、昔の方と。
ありがとうございます。
ではですね、ここからちょっとパネルラーの皆さんとトークを交えながらお話ししていきたいなと思うんですけども、
議題として3つ目です。
ここがすごい。
おすすめしたい世界遺産に登録されている富士山のスポットについてということです。
先ほど宮沢さんの方からも、厚生寺山、世界遺産、富士山というのは富士山単体じゃなくて周りの神社など含めて25箇所が一つの世界遺産として登録されていますというお話があったと思うんですけども、
その中からここにいる皆さんのここはぜひおすすめしたいという場所をぜひお聞きしたいなと思います。
まず私から先に言いましょうかね。
私なんですけども、この場でちょっと申し上げるのが非常に心苦しいんですが、私がおすすめしたいのは山梨側の山梨県です。
山梨県の北口本宮富士千元大社という神社です。
ご存知の方いますか。
いらっしゃいますね。
行かれたという方も。
そうですね、行かれた方はもうイメージができると思うんですけども、山道に入ってまず見えるのが杉並木と言いますか、
そこからボーンと抜けて親城があり、その先から吉田口の登山道が広がっていくというような場所になっています。
なので本当に富士山を信仰してそこでお参りをして、さらにそこから登っていくという一つの富士山の信仰する形態がそこで凝縮して味わえる場所かなというふうに感じています。
面白いのが境内の裏と言いますか横にですね、鳥居があるんですけども、その鳥居によく何々神社という掛け札が張ってありますよね。
そこに富士山というふうに書かれている鳥居があるんですよね。
本当にここ富士山の世界遺産に登録されている場所なんだなというか、富士山に密接した神社なんだなというのをすごく感じれる場所ですし、
古くからそこはお死と言われる方々が携わっている場所で、礼拝する際、登って礼拝する方たちのお世話をする方たちですね。
宿泊の手配ですとか、あと登山道の案内ですとかする方たちの住居がそこにもあったり、
実際にその北口本宮舎の方の宮司さんは江戸時代頃まではお死の方が勤められていたということも聞いておりますので、
非常に文化的にもそうですし、神聖な雰囲気と言いますか、感じれるところですし、
はたまた目落と杉という杉形というので、縁結びというかクリスマスシーズンなので、
カップルの方にもお勧めしたい場所でございます。
クリスマスっぽくないですか?
じゃないです。
無理やり戻っちゃいました。
結びつきちゃいました。すみません。
吉田口登山道の入り口のところなんですよ。
神社を参拝してすぐ脇に吉田口の登山の入り口があるんですよね。
そこに鳥居があって、そこから入っていくと吉田口で入って行けますよってところなんですけど、
あそこの前にすごい屋代がたくさんあって、
あそこも北口本宮大社じゃなくて、いろんな神社の名前の屋代があるんです。
あれってなんでかって質問がありました。
全然知らなかったです。
別に北口本宮だけじゃないんですけれども、神仏集合って日本にしてるじゃないですか、
神道と仏教が混ざって、それが明治の時に無理やり分けるじゃないですか。
神仏分離礼って無理やり分けるんですけど、
だいたいその時に仏教が大きな被害を受けるんですよね。
灰仏希釈で仏教がひどい被害を受けてって言われるんですけれども、
神道もひどい被害を受けてるんですよね。
あの時の神道ってなぜ被害を受けたかっていうと、
明治政府が西洋のキリスト教みたいに国家宗教を日本に持たなくちゃいけないって考えて、
じゃあ日本の国家宗教を何にしようかって言って、神道をそれにしようって言ったんです。
そのためには色んなことを制度を整えなくちゃいけなくて、
先ほど一番最初にお話した通り、神道って自然だったりとか大きな木だったりとか、
風土にまつわるものに信仰するっていう本当に多種多様なもののはずなのに、
国家宗教にするためにギュッと凝縮していらないものを切り捨てられますよね。
そうすると切り捨てられていた神社があちこちあって、
その神社を大きなところに寄せ集めていくんです。
それが富士山のところにも並んでいるし、
だから大きな神社に行くと小さな神社がたくさんあるのってそういうことなんですよね。
だから富士山信仰に行くときにそこを見て色んな神社をお参りして行くっていうのが、
富士山信仰にもつながっていった。
神道ってこういうとこなんだな、こういうものなんだなって感じられて結構、
僕もすごい好きなところなんですけど。
本当ですか。
ちょっとまた行きたくなりましたね、その話を。
登山するときとかもちょっと深みを感じられますよね。
そうです、あれ一個一個見ながらね。
ちなみにかなえさんは。
私はですね、山宮千元神社という、
この世界遺産センターからも車だとおそらく20分しないくらいの距離にあるんですね。
山宮千元神社っていうのは、すぐ近くにある富士山本宮千元大社、
大きな神社あるじゃないですか。
そこの前身であると言われているんですね。
その山宮千元神社には本殿とされる建物がないんですね。
なので参拝するときには、遥か先にある富士山に向かって拝むっていう、
陽拝と言われるんですけれども、その陽拝を行うことができるっていうので、
噴火を当時は沈めるために山を陽拝していたっていう、
そういった富士山の信仰形態っていうのを実際に体感できる場なのかなと思っておりまして、
結構私は山宮千元神社が一押しなんですけれども、
初めて山宮千元神社に入った経代に入ってたときの雰囲気っていうんですかね、
ちょっとここはちょっと違う風が流れてるかなくらいの神聖な感じがして、
神社に入ったときにああいうふうに感じたことが今までなかったので、
すごく印象に残ってるんですけど、
皆さん山宮千元神社は行かれたことはありますかね。
ちょっと雰囲気なんか感じるところなかったですか。
僕もスピリチュアルとか全く興味がなくて全然ないんですけど、
そこ行くと神聖な感じはしますよね。
本当に深い歴史があるんだろうなっていう感じで、
少し緊張しながら入っていたのを覚えているんですけれども。
あそこも洋拝場なので、神行の元の形というか、山そのものに祈りを。
やっぱり僕たちってどうしても、
やしろだったりとか仏像だったりとか神様の像だったりとかに
祈りを捧げがちなんですけれども、
山宮のところは本当に自然そのものに対して、
自然に対して手を合わせるというか祈りをするという
本当に現象の姿が見れる場所。
先ほど説明していただいたところがわかるところですごくいいですよね。
送るまで来られている方とかは、
もしお時間がありましたら足を運んでいただけると良いのかなと。
すごく魅力的な場所が多いですね。
そうですね。歴史を知るとより深みが増しますしね。
では井上さんお伺いしてもよろしいでしょうか。
私のお勧めはですね、先ほどの金井さんの山宮千元神社の近くのですね、
村山千元神社をご紹介したいと思います。
こちらはですね、今村山千元神社という神社になっていますけれども、
明治初年、明治の初め先ほど宮澤さんの方からお話があったように神仏分離といって、
それまでは神様仏様は一緒の存在だよ。
時に仏様の姿として現れたり、時には神様の姿として現れる。
神仏集合ということで、そういった考えの基づいて行われてきましたけれども、
明治に入ってから神様仏様というのを明確に分離するんだよ、
というような日本政府のですね、政策で分けられていくということになります。
実はこの村山千元神社というのは江戸時代までは、村山神房寺というお寺でございました。
お寺にもちろん仏様もお祭りするし、神様もお祭りするよというような場所だったわけですね。
あとでまたこの地図を見ていただければと思うんですけれども、
登山道の途中にも神様仏様を祀るような場所がありますし、
参照を見ていただくと、今千元大社の奥宮がございますけれども、
かつては表大日ということで、大日如来を祀るお堂があったんですね。
神仏分離した時に、こういう山の中ですとか山頂にたくさんあった仏様はどうしたかというと、
ほとんどが壊されたりですとか、話に聞くと河口に投げ入れたというようなお話もあったりします。
ただそういったもの全てではなくてですね、一部が大切に守られてきてですね、
そういった守られて山頂にあったものが麓に下ろされたりですとか、
山頂にあったものがこの村山千元神社の大日如と言われているお堂の中に仏様がね、今でも残されています。
これって皆さんも各地の神社お寺に行っていただくとですね、
この神社で明治時代以前に仏様をお祭りしていると基本的には失われるんですけれども、
大切に守られるものがあるんですね。
村山千元神社というのは、捨てたり壊されたりせずに今でも大切に守られている。
それって地元の方々がですね、これは大事なものだということで、きちんとお堂の中にしまって保管をしてきたというようなところもあるものですから、
地元の人たちの富士山に対する思いというものがですね、よく現れている場所。
まさに世界文化遺産の富士山の象徴の一つの場所なのかなということで、今回お勧めをさせていただいたという形になります。
なんかこう、世界遺産とかその後世史さんを今お話いただいているんですけれども、やっぱ価値って大きさじゃないんだなっていうのも改めてわかるといいますか、
私も村山の方は一度車で行ったことがあるんですけど、当時行った時に、それこそあまり知られていないっていうのもあると思うんですけど、
駐車場に泊まっている車が自分が利用していた車だけだったんですよ。
その時は一人で訪問させていただいたんですけど、一人で参拝をして一人で帰るっていうのをしたんですけど、
いろんな人にこの歴史も含めて知って、実際に足を運んでほしいなって改めて思いますね。
ちなみにカナエさんもね、今回のこの話をするにあたって、この場所は頭の片隅にあったっていうふうに。
そうですね、実際に訪れたっていうのもあるんですけれども、
主原堂で実際に登ることがお祈りになるという、都会が行われていた時代の中心地でもあったというところなので、
非常に登山する人にとっても、一度登山というものの歴史を振り返っていただく上では、結構貴重な場所なのかなというふうに感じますね。
行かれたことがある方っていますか?
結構いらっしゃる方ですね。
なんかやっぱり皆さん、結構詳しい方がいらっしゃるのかなという印象ですけどね。
もっともっと広まってほしいなと思うイイさんですね。
ありがとうございます。宮沢さんいかがですか?
今の話でもいいんですけど、今井上さんの話で仏像が河口に伏せられたって話あったじゃないですか。
でもそれって本当に残ってるんですよ。首がはねられた仏像とかが河口のあたりにあって、
それがそのままにしておくと忍びないから、集めて置かれていたりとかっていうのが残ってるので、
そういう国の方針で悲しいことがあったっていうのが、そういう村もそうですし、河口のあたりもそうですし、結構見ることができて、
宗教っていろいろ翻弄されるようになるのではと思いますね。
で、僕のあれですよね。僕のおすすめはですね、見穂の松原なんですよね。
見穂の松原って皆さん行かれたことありますか?
皆さんありがとうございます。見穂の松原って、世界遺産登録するときに見穂の松原を外して登録してくださいねって言われてしまって、
一体性がないんじゃないかって、富士山本体がちょっと離れすぎていて、一体として考えにくいんじゃないのってことで外してくださいねって言われたんですが、
でもよくこの井上さんが先ほど出してくださっている絵とかでも、下の方に松並木がある場合は、それは見穂の松原とみなしましょうと。
みなすって考えるのが一番基本になっていて、富士山を見るときに私は一番セットで考える松並木って見穂の松原なんですよね。
だからそれもあって別々ではなくて一体なんですよって説明だったんですけれども、なぜ松原がいいのかっていうと、
松って常緑じゃないですか。年がら年中緑の葉っぱを持っていて、あれが不老長寿を表していて、
富士山と不老長寿の松ってセットで考えられることがわかる。
でもそれが現代になって考えると、松って陽樹って太陽の光で育っていくんですけれども、
あれって秋になったら葉っぱが落ちるってことがない代わりに、毎日毎日葉っぱを落としていくんですよね。
松っていうのはあまり養分がないところでも木が育つので、海岸に植えられたりとかして、
砂の被害とか波の被害とか風の被害から人々の生活を守ってくれるってことをずっとやってきたんですけれども、
でも毎日毎日葉っぱが落ちていくと、そこの葉っぱが養分になって雑木林になってしまうんですね。
松以外の植物も育ってしまう。
そうすると雑木林になると松に日が当たらなくなってしまって、松が育たなくなってしまう。
松が育たなくなるとそこはもともと養分がないところなので雑木林も育たなくなってしまって、人々の生活に影響を与えてしまうんですよね。
なので今保全活動として松ばかきっていうのをやってるんですけれども、
僕も仕事で一回行った後、プライベートな家族でも松ばかきをしに行ったりとかして、
松ばかき、昔は松って油をたくさん含んでいるのでかまどの火とかを起こすときに使ったらしいんですが、
今はそれこそしないので、どんどんどんどん溜まっていってしまって、
松ばかきをしてその栄養分になりそうな松をどんどん取り払うっていう保全活動を行っているんですけれども、
やはりなぜこの日本の松原が富士山と世界遺産の高生遺産の中で僕はおすすめかっていうと、
世界遺産って守っていく、先ほど井上さんがなってからそれをちゃんと価値を保っていってくださいねってお話を最初にされていたと思うんですけれども、
保つためには努力がやっぱり必要なんですよね。
ほっといて守られるってことはなくて、
その努力をどうしていくの、どうやってやっていくといいのかっていうのが、
本当に実践として自分たちでもできるし、目に見える形でもできるしっていう点で、
この世界遺産を守っていくっていうところのシンボル的な意味も、
日本の松原にはあるんじゃないかなと僕は思っていて、
ぜひ松ばかき、いいですよ、
されたことあること、いらっしゃいます?
あれいいですよ、ちょっと書くだけで。
よから来ました。
そうなんですね、ありがとうございます。
見穂って松の奥の方に海が見えて、
日本の原風景みたいな感じがしてすごく素敵ですし、
松ばかきすると、やったらやっただけの達成感があるというか、
すごくあっという間に集まるので、それが保全にもつながりますし、
ぜひ手袋とかも全部貸してもらえるので、
行ってやってもらえるといいかなと思います。
再建できるんですか?
再建できます。
道重見穂しるべ、失礼しました。
見穂しるべっていうセンターがあって、
そこでゴミ袋と軍手とあと熊手も貸してくださるので、
そこでやると体験証みたいなのもくれて、すごくいいですよ。
本当に観光とワンセットでそういうことができる。
観光に行ってそこでやって、近くで海鮮丼とか食べて帰ってくる。
実際に保全に携われるっていうのが結構貴重ですね。
過去に世界産検定の方で、検定の受験と合わせて、
日本の松原でそういった体験もできるという催しをやってたと思うんですけども、
そういうのもいいですね。
学んで資格を取るだけじゃなくて、
実際に体験をしながら学ぶことができるっていうのは、
すごく他の資格にはなかなかないのかなと思ってました。
世界産検定、うちのは世界産アカデミーでやってるんですけども、
世界産検定ってやっぱりこうやって座って学ぶが一番最初ですよね。
でも学んだだけだとやっぱり舐めて、
それを行動にどんどん移していってもらいたいなってうちの方では考えていて、
今、美戸さんが紹介してくださったやつは、
世界産検定を受けて、僕の講演会をやって、
その後保全活動のマツバカキをみんなでしましょうっていうイベントをやって、
全国から70名以上集まってそれをやったんですけれども、
その保全活動をすると何で守らなくちゃいけないのかってまた学んで、
学ぶとまた保全活動に、そういう良いサイクルを作っていきたいなと思っているのは、
今日皆さんも聞いたらぜひマツバカキしに行こうとか、
しに行こうっていう行動につながるといいなと思っていますね。
やっぱり世界産って知ってインプットして終わるだけじゃなくて、
その先があるからやっぱりいいですよね。
見に行きたくなりますよね。
そうですね。僕たちも言ってみたいですね。
そうですね。やっぱり今日はテーマは富士山ですけれども、
いろんなその保全方法とかもね、その場所に即した保全方法があったりとか、
いろんな形があるので、そういったものを学んだ上で、
それこそ美穂野松原のそういった活動も、
じゃあどこか違う地域でもできるよねとか、
そういう代表例としていいものなのかなって思うので、
僕が書いておきますか。
はい。ありがとうございます。
ではですね、4つ目の項目に移らせていただきたいと思います。
富士山の今についてより良い富士山観光の仕方ということで、
このトークセッションの一つの議題にも挙げさせていただいています。
皆さんも報道ですとか、よくニュースとかで見られると思うんですけれども、
富士山ってやっぱり美しいとか素晴らしいとか、
なんか見るだけで気持ちがハッピーになれるとか、
そういったポジティブな面の反面ですね、
最近どうしても登山事故ですとか、
あとは環境面、マナーの問題ですとか、
登山鉄道の計画ですとか、
いろんなものが課題としてピックアップされているのを、
ニュース等で見られる機会があると思うんですけれども、
そういったものを含めて、
今だからこそ私たちが富士山を観光するために、
こういったマインドを持っておいた方がいいよねとか、
こういった気持ちを持って観光したいよねっていうことを
お話しできればなと思うんですが、
結構深い話ですけれども。
そうですね。
実際に皆さん、富士山の周辺で観光といいますか、
それこそ厚生師さんのスポットに回られた時に、
そういった課題みたいのに直面された経験っていうのはありますか?
井上さんございますか?
なかなか難しいテーマになります。
まずちょっと私個人的に思うのが、
皆さんが捉える富士山って、
どんな富士山がもしかしてきれいで、
信仰の対象で芸術の源泉だよっていうところって、
皆さん持たれていると思うんですが、
私ちょっといろんな資料を見て、
また少し実物資料をご紹介してもよろしいですか?
ぜひよろしくお願いします。
ドラえもんのカケットみたいな。
今私が持っているのは、
明治から大正時代に、
商店の年末年始、ちょうど今ぐらいの時期に、
お得意様に持っていく引き札っていう。
これをお得意さんのところに持っていって、
来年もよろしくね、今年もありがとう、来年もよろしくね、
っていうのでご挨拶も兼ねて持っていくので、
商店の名前が入っています。
これ見ていただいたらわかるように、
一富士二鷹三なすび。
どこに書いているかわかります?
富士山。
鏡餅の富士山で、
鏡餅の昆布で富士山を書いて、一富士二鷹三なすび。
富士山っていうのはおめでたいイメージだよねっていうのが、
共有されてたんだなっていうのがわかりますし、
これ、滋賀県のお薬屋さんの引き札になるんですね。
これ、えびすさんと大黒さんがいて、
ここに梅、松、大黒さんが持っている竹沢で、
小竹梅。やっぱりおめでたいイメージで富士山が描かれていて、
さらにですね、これ、えびすさんが船に乗って、
刈り取る様子をしているんです。水草を刈り取る様子をしている。
何しているかというと、ここにちゃんと書いててですね、
五穀は実る。松、梅、茂。
富士の山ほど金が儲かるって書いてます。
これ、大黒さんが水草の儲かってるんですけど、
儲かるのとお金が儲かるを掛けてるっていうことで、
富士山って綺麗だよねとか神聖だよねっていうイメージとともにですね、
やっぱりめでたいものとか、たくさんのものをもたらしてくれるものだよっていうイメージが
当時の人たちにあったんだなということがあります。
ですので、なかなかそれだけ美しいもの、神聖なものだよっていうもので、
それだけを観光にしていこうっていうのは結構難しいのかなっていうふうに個人的には思っていて、
やっぱり富士山っていろんなイメージがある。
歴史的に見ればそのイメージも移り変わってきているので、
そういった多様なイメージを持っている山だよねっていうところを前提に、
じゃあ何を売っていこうか、何をPRしていこうかっていうところを見ていく必要があるのかなというふうには個人的には思います。
ですので、いろんな先ほど言っていただいたような、たくさんの人が来ることによって起こる問題とかもあるんですけれども、
じゃあその人たちが何を求めてきているのかっていうところもきちんと見ていく必要があるのかなっていうところ。
ですので、ちょうど山梨のローソンのところで外国人の方が富士山を写真撮るよ、
でも日本人そんな撮らないんですよね。
なんで外国人の人たちがローソンの青と白と富士山っていうものが魅力的だと思うのかっていうのが、
なかなか議論されないままじゃあ見えなくしようっていうところっていうのは多分あまり私的には効果がないのかな、
じゃあ何を求めているんだろうっていうのを見ていく。
そうすると富士山の彼らが持っているイメージの多様性みたいなもの、最初にお話がありましたけれども、
そういったところってやっぱりきちんと見た上で、
じゃあその彼らが求めるものと今の富士山で共存できるところって何だろうっていうところを見ていく必要があるのかなというふうには思っているところです。
ちょっとお答えになったかどうかわからない。
いやもうすごい。
根本原因を考えるってところですよね。
そうですね。
そこを。
私もなんでローソンと富士山がいいんだろうって思うんですけど、
誰もその答えを教えてくれないっていうところで、
それはわからないのに対策してもどうしてもないんじゃないかなとは個人的には思っています。
ちなみに昔江戸時代ですとか、そういった今からするとかなり昔の時代になると思うんですけども、
そういった時代は富士山観光においてこのような問題があったとかそういったものってあるんですか。
そうですね。今弾丸登山しちゃダメだよって言われますけど、江戸時代はガンガン弾丸登山してるんです。
全く休みません。
例えばこの宣言大社のセンターの近くに登山の人たちの宿屋があるんですけれども、
江戸時代の道中記なんか見ると深夜になんとか方々の手で宿屋に着いて、
普通、深夜に着いたら私たち1日ぐらいちょっとゆっくりしようかなと思うと思うんですけど、
日が明ける前に起きて宣言神社に参拝してその後登り始めたりですとか。
過去の記録を見るとですね、全く弾丸、もう普通に弾丸的な登山をしていますし、
山の中寒くて仕方がないみたいな、軽装で行ってるんですね。
でも山小屋に防寒具を貸してくれる。山小屋の人が防寒具を貸してくれるんですね。
それを着て登山をし続けていたりですとか、そういったことなんかは記録なんかに出てきますので、
江戸時代の登山が素晴らしかったとはちょっと私江戸時代の登山絶対したくないなと思うんですけど、
結構大変だった。
遥々遠くから来ているものですから、なんとか。
で、鉱山病になってもゴーリキさんに背負ってもらって無理矢理登っているというようなものが出てきますし、
今は山中で遭難すると救助してくれますけど、昔は救助してくれません。
ですので記録を見ると山の中に人骨がゴロゴロしているとかっていうような記述もあったりですね。
ですので、昔もそれなりにやっぱり登山の問題というのはありまして、
じゃあ死体をどちらの山小屋で山登山道で処理するんだので揉めてたりとかあったりするので、
ある意味生々しい山だなというのもありますけれども、
今の問題が現在の問題ではあるんですけれども、
かつてもそういった問題もありながら今に至っているよというところはぜひ今日知っていただくと、
頭の片隅に入れていただくといいかなと。
先ほどの江戸時代に描かれた絵って、今のガイドブックというかガイドマップみたいな感じだと思うんですけれども、
これって大体何日ぐらいで富士山登って周りを見てというイメージしているものなんですか?
そうですね。登るだけでしたら大体、ここが千元大社になりますけれども、
ここから朝登り始めると大体初日でこの辺ぐらいまで行きます。
やっぱり仮眠なんですね。しっかり休まない。
大体ここに着くのが夕方に着くんですけれども、
ちょっと仮眠して夜中1時ぐらいから出発をして夜行登山ですね。
松明を持って登るんですね。
松明を持って登ってこの辺の、大体この表口という静岡県側ですと、
8号目、9号目ぐらいで御来港を見て山頂に行く。
大体お昼ぐらいに到着しますので、その日のうちにもう降りちゃいます。
降りちゃって、例えばすばしり口に降りるよってなると、
その日のうちの夕方ぐらいにはすばしり口に着いちゃうというような形で、
今は5号目、この辺ぐらいまでバスで行けますけども、
あふもとからね。馬とかも使えますけれども、結構短時間で登っています。
で、降りてきてこの辺を観光したりして、面白い記事があってですね、
ちょうどこの人穴っていうところがあるんですけれども、
人穴の方に見物に行ったらですね、江戸時代の、これも1800年ぐらいの記録見ると、
狼が出た。狼がいたんですね、まだね、富士山の下に。
で、村人が何人か食い殺されたので怖くてすぐ帰ったみたいなことが書かれていたりするので、
そういう記録を見るとね、すごく面白いというか、当時の状況も分かったりします。
で、大体登ってから周りを観光する人が多い感じではありますね。
で、あとはこっちから登って吉田の方に降りて、で、禅光寺に行ったりですとか、
富士山が最終ゴールじゃなくて、ちょっと他のところにも、気軽に旅行ができないので、
一生に一度の旅行というかね、旅の中で楽しむだけ楽しんで帰りましょうみたいな姿がある。
とても私はそういう記録を読んでいると面白いなというふうには思っていますけれども。
やっぱりタフですね、当時の方々というのは。
見客ですね、1日50キロとか普通に歩きますからね。
面白い話をたくさん聞きそうですね。
ちゃんとしたお答えになっていたくて。
ずっと聞いていたいぐらい聞き込んじゃったんですけれども、
宮沢さんは今、僕たちが富士山を登るにしてもそうですし、近くの神社を参拝するにしてもそうなんですけれども、
観光する上でどういった心構えといいますか、マインドを持って観光した方が良いと思いますでしょうか。
結構このテーマが難しいところだと思います。
このより良い富士観光の仕方ってあるんですけれども、
富士観光って今井上さんがおっしゃったみたいにすごい多儀的なんですよね。
いろんな観光の仕方が存在していて、
富士山を登るだけが観光じゃないですし、近くに来て見るだけが観光じゃないですし、
東京の方々もいらっしゃると思うんですけれども、僕は出身名古屋なんですが、
名古屋にも東京にもうちの職場のすぐ近くにも、富士見坂とか富士なんとかっていう地名がたくさんあるんですよね。
なのでおそらくそこから富士山が見えていたはずなんです、かつては。
それが今見えなくなってしまっていて、それは都市化でどうしてもしょうがないことだと思うんですが、
でも富士山の観光するとか、富士山について考える。
富士山のいろんな、井上さんがおっしゃったみたいに本当にいろんな意味を持っている富士山を需要するときって、
別に富士山に来なくたって僕はいいと思っていて、
富士山の見えるところから富士山見ましょう。
富士山に言うとその富士山が見えるところを守っていきましょうねっていうのが僕はすごく大事かなと思っていて、
世界遺産で大事なのが景観を守る。建物そのものを守るとか、その建物の周りの見た目を守るってあるんですが、
その建物がすっと立っているように、周りに邪魔なものを作らないっていう景観を守るっていうことがすごく重視されていて、
世界遺産センターから富士山が綺麗に見えるからみんな素晴らしいなとか、いいことありそうだなと思うわけじゃないですか。
あそこに高層ビルが前に立ってたりしたらちょっとえってなりますよね。
でもそういうところがかつてあちこちから富士山が見えたはずなのに見えなくなってしまっている。
そういう都市開発のせいもあって。でも開発するのはやっぱり難しいところなんですけれども、
でも景観を守りながら僕たちの生活の質を上げていくっていうことをしていくっていうのも、やっぱり観光と結構結びつくんじゃないかな。
観光と思って行くだけではないので、見てそれについて考えるとかも観光ですし、見て考えて結果行ってみようになるかもしれないですし、
いきなり行ってみるではなく見えるところを大事にするっていうのが、僕は観光の一つの姿かなというふうにはちょっと思っていました。
すごく大きなテーマだったので、どんな話ができるのかなと思っていたんですけど、やはり富士見川岡とか富士見坂みたいなところは大事にしていきたいなとは思っています。
私たちも東京を中心に活動しているんですけれども、特に首都圏側に住んでいると本当に皆さんおっしゃるように、富士山が見える場所って限られているんですよね。
だからこそ見える場所ってなんとかこの場所はっていう気持ちにもなりますよね。
私も上が5歳の息子と1歳の娘がいるんですけど、やっぱり富士山って知っているんですよ。
富士山がさっき宮田さんお話いただいたように、いろんな高い建物ができていて、なかなか見えなくなってきたよっていう話も知っているんですよ。
どこで知ったのかというと、アニメから知ったんですよ。
名探偵コナンってあるじゃないですか。
コナンの劇場版の一つで、富士山の警官が見えなくなってしまったから殺人事件を起こしてしまうという事件があるんですよ。
閃かれている方がね。
20年くらい前の作品なんですけど、20年くらい前からそういった富士山と警官を題材にしたのが、社会的にアニメとして取り扱われているっていうのがすごいなと思って。
で、そのことを5歳の子供が知っているんで、5歳の子供でも、やっぱり美しい警官とか大事なものって簡単になくしたらダメだよねっていうことが染み付いているんですよね。
それが富士山だけじゃなくて、ここもそうなんですけど、日本の独特の新しいアニメという文化と結びついていて、
新しい角度からそういった大切なものとか文化財、自然を守っていくっていうことに繋がっていってるんだなっていうのをちょっと感じたことがあったので、シェアさせていただいたんですけど。
意外ですね。
知らなかったですね。
私たちは普段ポッドキャストという形で、音声で皆さんに世界遺産を一件ずつですね、紹介してるんですけども、
つくづく配信をしてて、僕たちも学ぶことっていうか、初めて知ることの連続なんですよね。
その中で私個人的にはすごく思うのは、世界遺産って見た目のすごさとか、今の言葉で言うと映えてるとかっていうのはやっぱり印象的にすごくイメージが大きいですけど、
つくづく中身のストーリーってすごく見える警官にマッチしてるなっていうふうに感じるんですよね。
だから知れば知るほど景色が変わっていくと言いますか、この前見たはずなのに何か見え方が違うなと思ったら、世界遺産の勉強をして、
自分がいろんなインプットをしてるから見える景色が変わってたとか、あると思うんですよ。
まだ今日もね、この後に見る景色ってまた違いがあると思いますね。
すごい貴重なお話もいっぱい聞いたので、そうするとやっぱ皆さんこの会場に入る前に富士山見られたと思うんですけども、きっと会場出て見る富士山って見え方が変わってるんじゃないかなっていうふうにちょっと思うんですよね。
そういうことを重ねていくと、ただの観光じゃなくて、いろんな場所行くっていうのもすごくいいんですけども、
同じ場所、知識とかいろんなインプット、経験を通した上で何度も何度も重ねて行ってみるっていうのもすごく有意義な時間になるのかなと思いまして。