思想的に、なんて言ったらいいんですかね。スノブが過ぎるわけですよ、全体的に。
何を言ってるかっていうと、先進国っていう人たちがいて、貧しい人たちを救わねばならんのであるみたいなスタンスがもともとすごい強い学問。
言うか言わないかは別ですよ。思想にそういうのが透けて見えるんですよ。
私もタイトル聞いた時に本当に大丈夫?みたいな。聞いたのがそういうイメージがあった。
そうそう。で、元々の開発経済学って結構そういう意味合いが強くて。
このデュフロバナジーっていう人たちが出てくるちょっと前の開発経済学の主流って、2つの流派のどっちを取るかみたいなのが結構主流で、議論として。
2つの流派。
そう。1個の流派はジェフリー・サックスっていう、今のSDGsみたいなやつって有名じゃないですか。
1個前のMDGっていうのがあって、ミレニアル開発目標みたいなのがあったじゃないですか。
で、それにすげー深く関わってたジェフリー・サックスっていうおじいちゃん研究者がいて、コロンビア大学どっかの教授だったんですけど。
とにかく、発展途上国というところにはもう金を継ぎ込みまくるべきであると。
とにかく金を出せっていうスタンス。
一応その経済学的なバックグラウンドっていうのはあって、それ単体ではもうどうしようもならないと。
例えばアフリカの貧しい国っていうのは、どんなに努力をしても理論的には成長の壁を越えられないから、
とにかく最初にガツンとキャッシュだ、お金だ、リソースだを継ぎ込んで壁を越えないと成長していくことは難しいんですよと。
なのでとにかく先進国が金出して援助しましょうっていう一派。
と、もう一派はイースタリーっていう研究者の一派がいて、
いやいや、金なんか出してもしょうがないんだと。
何でかっていうと、金を出してもたぶん1億ドル出しましたと。
言っても現地の人に届くのはお食だ、なんだ、でどんどんどんどん減衰していっちゃって、
1億ドル出したはずなのに現場に届くときには5万ドルですみたいな、あれ残りのお金どこに行ったのみたいになっちゃうと。
だから正しいお金の使い方なんかされないんだから、まずはなんか制度を整えなきゃいけないでしょ、みたいな。
金をまず出すのか、いやいや先に制度なのかっていう論争みたいなのがすげえ回ったんですよ。
で、なんかこの2つのそれぞれって、なんか見下してる感すごいじゃないですか。
うん、確かに。こういうもの、だから上から関係、私たちは高みの見物してますみたいな感じがあります。
そうそう、言わないんですよ。言わないんですけど、なんかそうですかって感じになるじゃないですか。
まさに最低賃金をここで導入してみたらどうなるかとか。
同学的モデルは何て言ったらいいんだろう。
経済が成長していくモデルみたいな、経済成長モデルっていうのが経済学の数式として成立してたりするんですけど、
それに一定の条件を課して、途上国というか、発展途上国みたいなところだったり、進行国みたいなところのモデルを設定して、
そこでどういう条件を変えたら成長の軌道に乗るんだっけ、どうやったら乗らずにそのままになっちゃうんだっけとかっていうのを、
モデルで解いていくみたいなやつを序盤はゴリゴリと。
それはそれですごく面白いんですけど、それって結局どこの誰の話をしてるんですかっていうところとはやっぱりちょっと遠くなっちゃうことが多いので、
そこのバランスを取るってすごく難しいんですよね。
改めてこの貧困を戦ううちは既存の経済学的アプローチとは全然違う本なんですね。
そうですね。20世紀にやられてた開発経済学っていうもののアプローチとは全然違うと思います。
大きい開発経済学の中の貧困というのをマクロのものとして捉えて、
GDPが3%から6%成長率が3%から6%になるみたいなことよりかは、
多分この本の中に出てくる1個1個の経済学的な知見って、
どうやったらもっと学校に来てくれるようになったかとか、どうやったらお食が減ったかとか、
すごく測るものが具体じゃないですか。
貧困がブレイクダウンされてて、私も貧困ってこういうことだったのかって、
こういう要素が貧困ってことだったのかっていうのを改めて確認するような感じですね。
もっとこの貧困状態にあるってどういうことなのかとか、
そういう人の原因になってる要素とか、結果になっちゃってる要素。
例えば栄養失調とか、女性の家庭内暴力とか、
そういうのも貧困の結果だったり原因だったりするんだと思うんですよね。
そういうところと、まさにタイトルにある貧困と戦う実験。
貧困そのものと戦うっていうのももちろんあるんですけど、
その周辺のものとどうやって戦うか。
原因になってるものとどう戦うかっていう時に、そこにある種実験っていう手法を導入して、
どういうことをやったらいいんだっけっていうことを考えていくっていう。
かつても、この本の中に出てくる事例って2008年ぐらい、
8年か9年ぐらいの頃なんで。
そうなんですよ。すごい古いこともびっくりした。
そうそう、これは古くて。なので、もうだいぶ知れ渡ってるというか、
そうだよねって言ってることが今だったら書いてあるんですけど、
今からデュフロトバラジってものすごい色んな研究をやっていて、
本当に色んな論文を書いて実験というか研究をやっているので、
この15年多分さらにもっともっとなってるでしょうね。
いい論文というか、たくさん研究されてるっていう。
今どうなってるのか後で調べてみたいなとか思いました。
2008年9年の実験だから、今22年?今どんな感じなんだろうっていうのを調べたくなってますね。
そういうのを調べるときに、だいたいこういう人って本人の研究ページがあるんですよ。
そういうのを見ると、これから出ていく論文みたいなやつがまとめて見れるんですけど、
だいたいエグいんだよな。
難しいってこと?
難しいっていうのは、経済学者、学者全般かどうかわからないですけど、
経済学者という人に限定して言うと、ここに論文載せるってエグいねみたいな論文誌っていうのがあるんですよ。
あ、茶読が厳しいみたいな?
そう、厳しいし、もうちょっと理系のっていうとちょっとあれだけど、
サイエンスとかセルとか、そういうのの本誌に載る論文ってめちゃくちゃレベルが高いんですよ。
茶読も厳しいし、
いやこれはセル、いい論文だけどセルのレベルじゃないねみたいなのってやっぱあるんですよ。
インパクトが弱いとか。
そうそう、この論文の研究成果はすごいみたいなやつ。
インパクトが大きい、研究の文脈で言うとインパクトファクターっていうのがあって、
そのファクターが大きい論文誌っていうのに載っていくことなんですけど、
トップの方にあるのって3つか4つくらいあるんですよ。
アメリカンエコノミックレビューとか、上の方にあるやつがあるんですけど、
そこって例えば日本人の研究者とかだと、トップ誌にもう年間1本出す人がいたらもうすごいみたいなレベルなんですよ。
で、賞が1本載れば正直もうオンの字みたいな。
へー、じゃあノーベル賞みたいなもんなんですね。
そうですね、ノーベル賞なんて言ったらいいんだろう。
ノーベル賞って1回もらうやつじゃないですか。
そもそも1回か。
そう、なんだけどその論文誌の上の方に載って1本持っていればもうすごい研究者なんですよ。
で、かつその何番目の著者かとかっていうのもあるんですけど、
ファーストオーサーなのか、ただ協力者だけなのか、3番目4番目に載るだけなのかっていうのもあるんですけど、
このエステルディフォローとか、こういう人って年間7とか8とかに載るんですよ、そういうトップ論文誌に。