この番組は、暇人の二人が日常生活のとある場面を切り取りながら、抽象的な話をし続ける番組です。
散歩のお供にお使いください。今回のテーマは、居場所についてです。居場所とはなにか。
ゲストは、保護フィルム専門商社の株式会社城山代表)加藤隆介さんです。
現在、サードプレイスによる居場所づくりに取り組んでいる話を伺ってみました。
暇人ラジオかっこ借り始まりました。よろしくお願いします。
加藤隆介さん、今日は大物ゲストが来てくださっているということで、
大物ゲストとは、もしかしてあの方ですか?
暇人ラジオヘビーリスナーという噂の
そうなんですか?僕ちょっと初めて聞いた、それ。
本当ですか?なんかね、聞いていただけてるらしいんですけど、
今日は名古屋からですね、株式会社城山という会社の加藤隆介さんという方をお呼びいたしましての、
ちょっと暇人ラジオをやっちゃおうかなと。ゲスト会ですね。
最近ゲストが多いですね、ゲスト会。
多いですね。でもゲスト3連チャンぐらいになるかなと思いますけど。
急に?だからもう極端なんですよね。なんか何も考えてないっていうか、
予定調和を嫌う人たちのラジオだからですね、これはですね。
規則性とか何もないからですね。もう聞いてる人も規則性とか感じようと思っても無駄ですからね。
これはもうノリでやってるんで。
そうですね。言わんやコンバージョン一切ないですからね。
そうそう、何もないです、これはもう。ないです。ずっと、ずっとただやってるだけですね。
そうそう、今日のゲストの加藤さんなんですけど、隆介さんという方なんですけど、
仕事というか会社は解消されてるんですよ。保護フィルムって言って、
フィルム、機械とかに貼ってあるじゃないですか。初め買った時にフィルムビーって剥がすやつ。
ああいうのを扱われてる商社さんみたいなのされてて、
なんとね、僕たちがいつもお世話になってるパソコンのA社のやつとかを売られてるっていう。
すごくないですか。
すごい。
そう。
すごいって言いましたよ、すごいって。
すごい。
すごいんですよ。
すごい。
それで呼んだわけで、そのお仕事の話を聞きたくて呼んだっていうの、それもすごい興味あるんですけど、じゃなくて、
実は最近なんかね、面白いことを始められてですね、僕もちょっとお仕事とか関わらせてもらうことになって、
それがすごい面白いから、ひまじんラジオでその話したいなっていうのがあって、
それが何ぞやっていうと、サードプレイスってわかります?
サードプレイス?家庭とか学校とか会社じゃない別の場所みたいなイメージで持ってますけど。
そうそうそうそう。まさにそんな感じ。
そういうのを駅の中に作ろうっていう計画をしてて、
もう今、これ収録今夏の8月なんですけど、10月にちょっとオープンする予定で、もうすぐオープンするんですよ。
もうすぐですね。
で、それがね、すげえ面白いから、
今日なんかね、そういうのを居場所みたいなやつをテーマに話してみようかなと思ったんですよ。せっかくそういうのがあるからね。
まずそのサードプレイスについてをちょっと1回聞いて、その後になんか居場所についてっていうのをちょっと考えるというか喋っていきたいなみたいな感じで、
真面目にラジオっぽく今やってるんですけど。
確かにめっちゃやってる。めっちゃやってる。
でね、そういうサードプレイス作られている、その名前がね、なんとね、町小屋って言うんですけど。
はいはいはい。
どんな小屋なのか、ちょっと小屋主こと加藤龍介さんにちょっと登場してもらいましょう。
龍介さんお願いします。
どうもー。
どうもどうもー。
こんばんはー。
龍介でーす。
龍介さんこんばんはー。
小屋主こと、小屋主こと龍介でございます。
小屋主来ましたね今日は。
もうあの、ひまじんラジオの盛況ぶりはずっと見守らされてるんだけど。
なんとこんなところに呼んでいただけるなんて。
いやいやいやいや。
そのね、そのサードプレイス、どんなとこでどんなことするのかをちょっとなんかほら、紹介してもらって、リスナーの人とかにも聞いてもらいたいなって僕思ってたんですけど。
なんかそもそも町小屋ってなんか、なんでそれ始めようとしたんでしたっけまず。
なんでっていうところでいくと、僕は事業所経して、2代目として本業の方ずっとやっていくっていうところで、仕事はもちろんやってきていたんですけど。
このままでいいのかな感がすごいやっぱあって。
年々時間が経てば経つほど、やっぱり人が大事になっていく感覚っていうか。
やっぱなんか出会いと別れみたいなのもなんかすごいやっぱある中で、もちろんどうしてもね出会いと別れっていうところで入ってくる人もいれば、やっぱりこう別の選択していく人たちがやっぱいるんですけど。
会社のね。
採用みたいなフェーズで人と出会って、またそれが別れになったりとかもいろいろあるんですけど、それだけで自分たちがやってる仕事の魅力とかってやっぱなんか伝えきれないところとかもやっぱあったり。
ずっとその本業をやっていく中でのちょっとこのままでいいのかなっていう問いがすごくあったところに、ちょうど自分も親になったっていうのもあって、子育てとかっていうこともまあまあそんなに順風満帆というわけにもいかず。
大変ですよね、子育てってね。
やっぱりみんな初めてのことに直面するところなのかなっていうので、教科書とかには載ってなくて。
育免とかいう言葉はあるけど、でもなんかやっぱりその家庭に応じた育児のやり方みたいなところがあると思うんだけど。
そういうのもみんな迷いながらやって、僕もやっぱりそれの中で子供を育んでいくっていうことどういうことなのかなみたいな、中小企業の経営者っていうことと、
あとはやっぱりその家庭の中で父親としてやっぱりどう関わっていくのかみたいなことが最初すごいこう、自分の中でテーマというか疑問でちょっとフツフツとしてたみたいなところの時間が結構ありました。
きっかけ道ですね。
そうですね。
子育てとかその子供とかなんか人とかみたいな、そういうテーマだったんですね、なんか初めはですね。
そうですね。
どうこう町小屋につながっていくんですか?
そうっすよね、なんか自分でもかなりちょっと未だにちょっと驚きっていうかまさかこういう形になるとはって思ってたんですけど、なんかその本当に。
気まじいな感じですね。
すごい。
まさにっていう感じで、なんか全然なんていうんすかね、仕事っていう文脈でのお仕事をやっていく、家庭っていう方の文脈でなんか親になりながらなんですけど、でも一生懸命働けば働くほどなんか家の時間はやっぱりなかなか無くなるし。
いやそれもありますよね。
なんかこう二軸廃飯とまでなんか言わないというかそこまでの別に意識があったわけじゃないんですけど、なんかやっぱり片方でなんか育免とか働き方改革とかやっぱりなんかいろんなボールがこういろんなこと飛んでくる中で、どこがベストバランスなのかみたいなのはなんか結構自分で迷いがいろいろやっぱあって、経営者という立場なんでむしろ自分のこともそうだけどみんなのこともやっぱり考えなきゃいけなくて。
でまあそれをいろいろ考えてた時に、そこからいろんなこうなんか地域とかを見てた時に、自分のやっぱりなんか現体験のところというのか、まあ自分がこう生まれ育ってきた中での世代的にも僕ら近いと思うんで、一緒の感覚はあるかもしれないんですけど、なんか勉強とかスポーツとかふるいにかける形式というか。
偏差値とか、やっぱり誰かと競ってとか、それを別に当たり前にこうなんかやってきたけど、じゃあそれってなんか職業というか本当なんか自分が働いてお金を稼いで、家族を養ってみたいなことに繋がってることの方がまあどっちかというと少なかったよなって、逆に大人になって。
なんか繋がってない感覚みたいなのがあって、なんかそれはなんかそれを悲観するとかではないんですけど、なんかもうちょっと繋がってても良かったよなとか、そういう中でずっとなんか教育分野っていうのが自分の中でどういうふうにやっぱり教育とかそういうのがあるべきなんだろうなっていうのを、それこそ教育実習行って先生になろうと思った大学生時代なんかもありながら。
でもなんかそこの道に着く勇気はなくて、脇目も振らず働いて20代30代経っていったんですけど、ずっとなんかそのごちゃごちゃした自分の中の迷いとかっていうところが、なんか自分が子供を生まれてふと足元を見たときになんか自分の現体験と重なって、
もしなんか自分が30代でなんか世代的に30代40代でやっぱりすごくその社会を担っていく人材世代になったときに、なんかやるべきこと何かなっていうふうに思ったときに、未来の子供たちの学びとか育まれるところに対して居場所づくりみたいなのをチャレンジできないかなっていうのが、全然関係ない文脈で思ってた疑問みたいなところがある日ふと誰かに囁かれたじゃないんですけど、
なんかそういう居場所づくりみたいなことに落ちていって、ふっと目をやったら会社の最寄り駅の駅の中にそういった本当にシャッターが降りちゃってる部分も店舗を見つけて、このシャッター開けてなんか居場所にしたら、なんかいろんな人の可能性とかなんかチャレンジとかが早期されていくような、そういう場所っていうのができるのかなーって思って、
自分の中での今までの体験がいろんな形でいろんな側面で一つの形になっていったみたいな、そんな感覚があります。
そうですよね、タイミングとかもあるんでしょうし、町小屋って何図がやってたんですけど、なんかほら、寺小屋ってあるじゃないですか、昔あった寺小屋って、あれの現代版みたいななんかイメージだっていうことで、ほらコンセプトがあって聞いてたんですけど、なんか寺小屋ってほら、実はね、学校の先生とかが教えてたんじゃなくて、なんか市市民みたいな人がなんか先生みたいになってなんか教えてたんですよね。
そういう場所ってなんかちょっとおもろいなーって、その話を、それをりゅうすけさんに教えてもらったんですけど、町小屋の成り立ちを聞いたときにね、それすげーなんか面白いし、なんかいいなーと思って。
僕もなんかこんな自分のいろんな体験、幼少期の教育こんなことがあったらって思ったりとか、仕事感みたいなこととか、子育て感とか家族感とか、なんかそんなのがいろいろごちゃごちゃ混ざっていったような中にいたので、パッとやっぱりこれがやりたいってなかなか言葉にできなくて、最初やっぱり寺小屋みたいな学校とかじゃなくて教えてくれないようなこととかをなんか学べる場所で、
なんか寺小屋みたいな場所ですかねーって、なんかいろんなことをなんか周りでいろんな人に言い始めたときに、あれなんか読み書きとかソロ版を教えたいんですかってなんか言われたときに、いやなんかちょっとそういうわけじゃないんだけどなと思って。
でもなんとなく無意識のうちに寺小屋って使ってたけど、寺小屋ってどんな場所かなーって思って、ウィキペディアで調べるっていう。 まずね。 まずね。そしたらやっぱりウィキペディアでも結構しっかり書いてあって、寺小屋はもちろんその読み書きソロ版とかそういうのあったんだけど、なんかやっぱり特徴が3個ぐらいあって。
1個目は町民主導っていうので、僕も武士のお侍さんとかそういうのが先生で、仕組み的に作られたものかと思ってたんだけど、割とその町民の人たちとか市民の人たちの危機意識とかから出来上がっていったっていう背景があるみたいで、幕末、黒船が来てからすごい数が増えたりみたいなことで知らなかったなーと思って。
これ自発的なものなんですね。 そうなんですよね。だから自発的なもので生まれていったっていうことがまずなんかすごい意外なことだったし。 確かに確かに。似てますよね。でも似てるというか同じですよね。
そうですね。
まさに学校がある駅とかだから、すごいいいですよね、そういうところもね。
そういう大学生の人とかが子供に教えてあげるとかもすごい嬉しい感じがあるし、
想像するだけでいい感じそうだなって感じしますもんね。
めちゃめちゃいいですね。
良さそうですね。どんな先生がいてくださる予定なんですか?
ありがとうございます。教員免許を持っているとか、
そういう資格的な意味の先生というよりは、いろんな面白い大人に友達みたいに会えるっていうことって、
僕らの世代の時って、確かに友達のように楽しく接してくれる大人の人たちはいたんですけども、
いろんな職業の人とかに会えたりとか、その話を聞けたりってそんなになかったような気がしていて、
逆に先生って堅苦しく捉えるんじゃなくて、
誰であっても先生になるし、誰であっても生徒になるような教える場所っていうよりも、
お互いに学ぶ場所みたいな感じだったら、ある時は逆に子供の方が先生になることとかっていうのがあったりとか。
ありますね、確かに。
あるある。
そう、何気ない主婦の方であっても、おじいちゃんおばあちゃんであっても、
やっぱりみんな何かの先生であるし、いくつになっても学ぶことってできると思うんで、
そういうお互いに学んで共に育むみたいな感じでいくと、
教えて育むの教育っていうよりも、共に育むみたいな、共に育つみたいな方がいいなと思って、
そんな教育を掲げたいなって思ってます。
めちゃくちゃ立派ですね、エロい立派じゃないですか。
なんか今日はそういう感じです。
今日はそういうこと?
わかんないけど。
すごい、お話聞くだけでと、厚労省のお話とか。
そうですね、その角度でいくと。
でも、つぎ詰めるとやりたいことをやってるだけっちゃやってるだけなんでね。
そこをやりたいと思う、借り立てる欲求はどこから出てるんですか?
それは本当に何て言うんですかね、自分のやっぱり現体験かなっていう、
結局まさか町小屋という名前になってこういう活動になっていくというのは、
1年くらい前の自分は全然想像してなくて、やりたいなと思うことを話していったら、
よみかきソロバンやりたいんですか?ってなって、いやそうじゃないなってなって、
じゃあ町小屋で、町小屋って言ってたら、こんなことやったら面白いんじゃないの?って
いろんな人が話してくれて、やらなきゃいけないこととか、
そういう勉強っていうのもできるようになったらもちろん楽しかったしなんだけど、
なんでやらなきゃいけないかとか、なんでやりたいかみたいなことが、
すごく置き去りになってたような気持ちがなんとなくあって、
僕はやっぱり科学とか物理とか結構苦手だったんですけど、
正直社会人になってからそんなに使うかって言われると、
別にあんまりそんなに得意じゃないかもっていうことがわかればそれでよかった気がするんですけど、
そこに頑張っても60点しか取れないとか、
そういうところで別に70点、80点目指す必要とかあったのかなとかも思ったり、
大人になってから思うんですけど、
本当にやってみたいことをやっていったら、苦手な物理とか科学をやっていったら、
こういう仕事に就けるよっていうこととか、こんなふうにしてる人がいるよとか、
そういうのがわかってたら、やりたかったらやればいいし苦手でも、
だけどそういうのがあんまりいまいちわかんない中でやっていて、
それに対して不満とかが別にあるわけじゃないんだけど、
大人になってそういうことをちょっと構造的に眺められるように、
なってみて思ったのは、そこに立ち返って、
自分の原体験を救いに行くみたいなっていうとちょっと固いけど、
でも誰もがみんな子供の頃とか、
そういう未来に向かっていったところだったら立ち返ると思うんですけど、
それがペイフォワードって不思議な力だなと思うんですけど、
みんな大人のためとか、今のっていうとちょっとエネルギー湧かなかったりするかもしれないんだけど、
あの時の自分とかそういうふうに見たときに、
ちょっとググッと力が出たりすることってあるのかなって。
昔の自分を救いに行ってる感覚なんですね。
無自覚ではあったんですけど、そこって本当に後ろ向きな力っていうよりは、
その時に自分が感じたようなことをあの時の自分に重ねた、
例えば今の自分の子供だったり子供の世代の子たちに返せたら、
自分が読んできた時間って、それはちゃんと意味のあったものなんだなと思えるっていうのか、
そういう感覚に近いかもしれないなって自分で思います。
未来リュウスケじゃないですか。
未来リュウスケ。
どういうことですか。
未来人。
アイルビーバック。
未来人じゃないですか、未来人。
さっきから世代がいろいろ出ますね、アイルビーバックとか。
アイルビーバックだし、未来人だし、未来人だし、未来人。
過去に向かって語りかける男、未来人、親主、リュウスケじゃないですか。
確かに僕もすごい感覚があって、子供がね、男の子がいるんですけど、
ずっと育っていくのを見ていったときに、自分の追体験をしているように感じるんですよね。
リュウスケさんもその感覚があるのかもしれないから今言ってたのかもしれないけど、
その時の自分こうだったなとか、その時の感覚をね、子供を見てると思い出すんですよ、なんか。
それすごくあって、だから子供が生まれていいなって思うのは、もう一つがそれで、
自分の人生をもう一回見れるみたいな、何ていうか、2回できるみたいな感じがあるんですよね。
分かる気がする。
なんか自分はそういう感覚があって。
だからその時、こうだったから、この子にはこういうふうにしてあげたいなとか、こういう思いをさせたくないなとか、
そういうのを思い出したりもするし、もっとこうしてあげたいなとかですね、気持ちが生まれたりとかするんですけど。
女性って結構、子供が生まれたら変わるとかってあるけど、男性ってあんまりそういう、言われないじゃないですか、フォーカスされないっていうか。
けど俺はそれをすごい感じてですね、りゅうすけさんが今言ってたのを聞いて、
自分と同じ感じかもしれないと思って、意外とこういうのあるんだろうなーってちょっと思いましたね。
誰かが子育ては壮大な伏線回収だって言ってたのをちょっと思い出しました。
本当そうだと思います。
だから自分の人生をもう一回できる感じだから、だからりゅうすけさんが未来から来た人っていうのはそういう感じがする。
だから自分とつながってる感覚があるんですよ、子供が自分みたい。
似てたりするから、自分もこんなだったなーみたいなことを子供が仕出したりとか、
あるじゃないですか、教えてもないのに同じようなことしてるとか。
そういうのを見ると、次の自分が生まれてるみたいな感覚とかもあったりとかして。
なんかつながってたりね。
僕は割り算の筆算でめちゃめちゃつまずいたんですよ、小学校。
懐かしい。
ありましたね。
割り算の筆算がやっぱり、なんでだろうね、多分なんか桁を書き間違えちゃうのかなんかで、
途中で3桁の割り算みたいな感じだった時に、桁がずれてできないっていうだけなんだけど、
多分今思えば、それをできないっていうのが結構言えなくて、ずっと。
なんか急に壁にぶつかった感じがして、できないみたいなのがすごいあって結構ショックだったんだけど、
それが多分ね、なんてことない桁の書き間違えという感じだったのが、
自分の結構割り算の筆算つまずいたなみたいなのはあったんだけど、
なんかこの夏休みの宿題みたいなの、子供の、今小学校3年生なんすけど、
期限まで全然やらないんですよ。
そこも似てるなとか思いながら、追い込まれたらやるからみたいな、
こんなこと教えたつもりないけどなと思いながら、そういうこと言ってる子供を見てて。
妻はなんか計画的にやれみたいな感じで怒ったりしてるんだけど、
なんとなくちょっとやっぱり心当たりありみたいな感覚はありながら。
俺の感じやんみたいな。
そうそうそう。結局蓋開けても期限までにできなかったのがあって、
泣いてるから話を聞くと、言い訳をするというか、
できないと言えない感じがあって、隣で割り算見てみようと思って見てたら、
つまづいてることがほんとちょっとしたことなんだなっていうのがすごい分かって、
でもそれが子供は言えずにいたんだなっていうのを思ったときに、
すごくそれが一言こうやってやってみたらっていうことを伝えてあげるところで、
すごく楽しそうにその後計算ドリルを解いたりとかしていく姿を見たりとか、
あの時自分ができないっていうことを言えなかったし、
息子もなんか言えない感じなんだろうなと思って見ながら、
それを隣で見ながらあの時の自分を重ねながら、
どういう言葉をかけたらいいのかなみたいなことって、
すごく自分自身も学ぶ心はあったなと思って、不思議な感覚でしたね。
何か数十年ぶりにその時の自分と会話してる感覚みたいに聞こえましたね。
いやでもほんとそんな感じはしますよ、だから何となくですけど。
過去も未来も現在も繋がってるみたいな感覚って、
普段ぶつ切りになってる風に思ってるんだけど、
でもやっぱり時間って連続性があるし、
それをすごく子供との時間を通してすごく感じたり、
血が繋がってたり、性格も似てるみたいなのがあるかもしれないんだけど、
誰もが子供の時に帰った時に、
そこって繋がれるポイントだったりするんじゃないかなみたいなのが、
知らない間にマチコエのコンセプトの中にあるような気がしてます。
なるほどね、確かに。
だからこういういろんな気づきがある人たちとかがこうやってシェアしていくと、
また面白いかもしれないですよね。
教えるのも面白い。
それこそこの間のミッチー先生みたいに、
教え方の学校っていうのがされてますけどね。
ゲストに来てもらったんですけど、
あれもミッチー先生と知り合ったのも、
リュウスケさんたちのマチコエのイベントで登壇されてて、
知り合ってっていう感じだったんですよね。
だからもっと今思うと教えるっていうのも、
教える楽しさみたいなやつもあると大人も楽しく教えてね、
子供も楽しく学べてね、
いい感じになりそうですよね。
マチコエはどんどん進化していくんでしょうけど、
やりながらやりながらで、
めちゃくちゃ楽しみですよね、いろんなところに。
僕は今ちょっと関わらせてもらって見てて、
マチコエが駅で、
サードプレースの駅みたいな、セントラルステーションみたいになって、
いろんなマチコエが駅から広がっていって、
駅にできていくみたいな、
他の街にできていったり、
他の県にできていったりとかして、全国にあったりとかって、
そういうのの一番真ん中になるとすごくいいなって思います。