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2024-04-08 22:29

人間の参与観察

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人間の参与観察
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はい、今ですね、北九州市小倉クロスFMから福岡市の自宅に向かって車を走らせております。時刻は夕方16時12分でございますと。
まあまあ、ファンファン北九州っていう番組が終わって、今家に帰ってるんですけど、
あのー、ちょっと言いたいことがありまして、
あのー、最近Xで、まあポストでよく流れてくるフォーマットというか形式のやつがあるんですけど、
動画2つ入れて、で1個目が1秒の動画、で2個目がそこそこ長い動画みたいなやつあるじゃないですか。
あるじゃないですかっていうのがあるんですよね。
で、これ、どうやらこれをやるとおすすめに上がってきやすいらしいんですね。
で、まあ本当か嘘か知らないですけど、僕が1個読んだ情報によると、
1秒動画っていうのが、まずはその再生維持率みたいなものがほぼ100%の確率で、
確率的に必ず再生維持率100%を超えると。
で、何なら何回も繰り返し再生されるから、何回も再生された有益な動画っていう風に
アルゴリズム的に認識されるらしくて。
だから評価値が上がってX内で。
で、おすすめに表示されやすいみたいなこと聞いたというかあったんですよね。
なので今結構X開いてザーッとスクロールしていると、
そのフォーマットのやつばっかり流れてくるんですけど、
マジで美学の欠片もないなって思うんですよね。
これを機器としてやっている人たちっていうのが。
まあまあいいんですけどね。いいんですけどねっていうか、
僕の中で別にいいなと思うのは、
1回やってみたかったからやってみましたみたいなやつはまあまあ許せるというか、
僕もやってみようかなと思ったぐらいなので全然いいんですよ。
このフォーマットってどれくらいバズるか、
1回ちょっと自分で実験してみようみたいなやつは、
結構僕も興味があるし面白いと思うし、
まあいいと思うんですけど、
バズらせようと思ってやってるみたいな人たち。
が多数いるなっていう印象ですね。
だいたい見るともう本当に悪い意味で週刊誌的なポストしかなくて、
ちょっと刺激的なやつとかしかなくて、
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しょうもないなって思ってるんですよね。
まあまあいいんですけど、
これをバズるためだけ、つまり再生回数を稼ぐためだけ、
やってるような人たちって美学がないなぁと思うんですよね。
じゃあ否定できるかって言ったら難しいですけどね。
美学がないものがこの世にない方がいいかで言うと、
またちょっと別の議論になるんですよね。
好きか嫌いかで言うと嫌いって僕は明確に思ってるんですけど、
ただ嫌いなものがなくなっていいかってところで言うと、
わかんないみたいな感じですね。
一個言えるのは、
ハックって結構僕は好きでやっちゃいがちなんですけど、
ハックって本当はこの世にあまりありすぎると良くないよねっていうのがありますよね。
SEOとかが一番わかりやすいですよね。
これもある意味SEOなんですけど、
僕がウェブ製作を仕事としてやってた時によく流行ったのが、
Googleで上の方に表示させるためのSEO対策として、
検索されやすいワードを小さい文字で何回も何個も入れておいて、
H1タグとかそういう、
ここのタグに囲まれたワードが上に上がってくる、
行きやすいみたいな手法を使って、
サーチエンジンをハックしようみたいな流れがあったし、
それが良い方法みたいな感じで取り立たされてるやつあったと思うんですけど、
そんなんが横行すると本来の目的とずれていくから、
良い世界ではないと思うんですよね。
これちゃんと説明しようと思ったら長くなりそうなんで一旦やめときますけど、
ハックはそれによって新しい文化を生むという一方で、
ブラックリストを埋める的な進化を促しちゃうんですよね。
だから複雑になっていくみたいなシステムが。
こういうハックができるから、
ここをできないようにするために、
ハックを使って、
法律を増やそうとか仕組みを増やそうとかになっていくと思うから、
複雑になっていくんですよね。
ハック防止対策みたいなものをやらないといけないっていうことになると。
それによって不利益を被る人が出てくるみたいなところがあるから、
まあまあ大変ですよねっていう話ですよね。
まあまあいいやそれは。
前回というか、
前回の話を聞いて、
文化人類学的なものの見方に興味があるという話をしたんですけど、
今、実は勉強じゃないですけど、
そういうポッドキャストを聞いてるんですね。
それがメッシュワークさんっていう会社さんがやってるポッドキャストで、
多分これ室さんのポストから知ったんかな。
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室越さんのポストで、
室越さんのポストで、
座談会みたいな感じでトークで対談するっていうらしいんですけど、
それたまたま知って、
聞いてみようと思って。
ちょっと興味あったんで、
最近、文化人類学的な感覚にね。
聞いてみようと思って、
そのポストを聞いて、
そのポストを聞いて、
そのポストを聞いて、
そのポストを聞いて、
そのポストを聞いて、
その感覚にね。
聞いてみたら、すごく面白かったんですよね。
室さんが紹介された会っていうのが、
高校の教師かな。
多分教師の方の話で、
もともとその方は文化人類学を学ばれてて、
今、観光ビジネス科みたいな感じであったかな。
確かそうですね。
観光ビジネスについてマンダブーストの商業高校かな商業科かななんかわかんないけどそこの先生をやられてる方がゲストに出てたんですけど
めっちゃ面白くてフィールドワークの話とかすごい面白かったんですけど
例えばじゃあ生徒たちがフィールドワークするつって町の人たちの場でインタビューしに行くらしいんですよね
で帰ってくるんですけどまずはなんかそこでいっぱいレポートをまとめて結論をまとめようとすると
なんですけどその先生が言うにはまとめるなっていう指導をするらしくてなんか
すげーよなっていう
要はこれ裏の意図としては
なんか僕がちょっとどうかな正確に表現できるかな
なんかこう要はそのままその通りインプットする受け止めるっていうことを本来やるべきだと
でもまとめるっていうことは自分の知っている言葉だったりフレームだったりの中で解釈をしてそこに吸着させるような振る舞いだと
だからまとめるっていうことは自分の価値基準の中にはめ込んでしまうみたいな意味合いだから
だからあるがまもそのまま受け入れるっていう訓練をするみたいな意味でまとめるなって言ってたらしいんですよね
我々はこの練習をずっとさせられてきているわけじゃないですか仕事でも勉強でも何というか
素材としてこの世界というものがあってそこに情報があってそれをさあ自分の解釈あなたの解釈でまとめなさいっていうのが例えば小論文だったりするはずなんですよね
とかレポートだったりするはずなんですけどそれを
まとめないっていうのが正解っていう指導がまず1個すごいなっていうのと
あとはなんか別の話で
生徒指導というか進路指導か進路指導というのをやるらしいんですけど
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この学校がいいかこの学校がいいかどういう価値判断基準で選択して選べばいいかわかんないんですよねめっちゃ迷ってるんですよねっていう
その悩みに対する指導として迷った方がいいから迷いなさいって言うらしいんですよね
これもすごい面白いなっていう
僕らは迷わないように正解を出してやるっていうことが指導だと思ってる方もいるし
もうちょっと広げたとしても迷わなくていいんだよっていう
迷ってもいいかごめんなさい迷わなくてもいいんだけど迷っても全然いいんだよっていう指導はすごいイメージできるんですよね
迷ってもいいから自分がこれだと思うものをちゃんと見つけなさい
分かるんですけど迷ったほうがいいっていうのって
面白いなと思ったんですよね確かにそうだなと思ったんですよね
結論を早急に自分が知ってる範囲でつけるのではなくて
むしろ遅らせるというか判断を遅らせる訓練というか
そこの迷うという時間の中に価値があるんだみたいなことってすごく人文学的なアプローチだなと思うんですよね
やっぱりこれビジネスの世界だったりとか理系つっても何が理系でどういうちょっと難しいですけど
そういう結果を重視する学問ってどうしても迷わない方向を見つけることが正解ってなりがちだと思うんですけど
やっぱり発行する中でちょっとうまく言えないですけど感覚的にはすげー分かるんですよね
そうかだからこうやって僕がそのポッドキャストのトークを聞いて自分の会社で言語化しようとしてるのって
すげーまとめてるなって今思いましたまとめるとしている態度だなって思いましたね
まあでも難しいですよねまとめて世の中に伝えることによってああそうかって思って興味を持ってくれてそこに飛びつくっていう人もいらっしゃると思うから
レビューとかってそうじゃないですか映画のレビューとか書籍のレビューとかもその人の解釈でまとめるっていうこと自体に価値が生まれていて
それをインスタントに聞きたいっていう性がいて
まあまあ両方必要なんでしょうねまとめて分かりやすく多少情報が簡略化されたりとか多少本位と違ってても魅力的だと思わせて興味を沸かせるっていう役割の人たちも必要だし
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でもそれって本当は本質的に分かっていることにはならないから自分の目線だったりとか自分のフィルターを通してみるとか
そういったことを考えて実行して推奨する人も必要だしみたいなところで両方必要なんだろうなと思いますけどねこの世界には
思いますねだから古典ラジオとかってじゃあどっちの役割なんだろうと思った時にまあ両方ある意味になってるよなと思うんですよねなんか分かりやすく簡単に興味深く伝えるという役割もやっているしでも一方で一個の事柄だったり一人の人に対して10時間もずっと話をするっていうのって決して
分かりやすいとは真逆の行為をしていると思うんですよねだからテイストは分かりやすく頑張っているけどもじゃあやっていることって万人が分かると思ってやってないしなんか忍耐も必要でしょっていうことをやっている感覚もあって
やっぱり文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文
文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸
文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸術と文化芸
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芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術
の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化
芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術
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芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術の文化芸術
その起点は僕が社会的マイノリティだと思い込んでいて
それで悩んでいた時期があるというところから
当然障害に興味が湧きますよね
で障害って何なのと思う時に
自分が発達障害なんじゃないかっていうところから
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自分がADHD検査を受けたというところとかもあったりとかして
なった時にやっぱりこう
次男が障害者を持つ親になったっていうところも
委員がなというか
外から見るだけじゃなくて
産与観察をさせていただけるんだ
今からっていうのがかなりあって
なんやろうな
別に何も望んだわけでもないし
かといって望んでないわけでもないんですけど
こういう状況になったっていうことに
意味を感じているんですよね
なんかね
で今実際僕子育てにものすごくリソースを割いているんですけど
これというのも
子育てという世界に
産与観察しているんだなーっていう気になったんですけど
そう思うとすげーしっくりきてるんですよ
自分の中で
だから例えばね
毎日送り迎えをしているとか
なんかいろいろあるんですけど
なんかこれももちろん
そうしたくてやっているっていう視点と
なんか家事育児を実際に
自分でやってみるということで
いわゆる主婦の方々の目線を獲得しに行っている
みたいなのはおそらく半分
意図的にやってるような気がしたんですよね
というか一体的にやってるんでしょうね
なんかある意味だから
その本当にやられていて
辛い思いをしたりとかして
なんやろうなーっていう方々もいらっしゃるので
あんまりこう不容易なことは言えないですけど
それは子育てに関しても
その障害者の家族っていうことに関しても
ちょっとあんまり簡単に言えるようなことではないんですけど
でもなんか僕の中では
そう観察というフォルダに入れることで
ものすごい納得感とポジティブな気持ちになって
この今の状況を捉えているんですよ
なんかね僕この性質はあんまり嫌いじゃなくて
自分の要はなんやろうな
どんな状況になっても観察というフォルダに入れてしまえば
自分の中で納得感を持って日々を過ごせるっていうことがあるから
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無理やりそう思ってるわけじゃなくて
本当にナチュラルに純粋にそう思えているから
究極的に不幸であるっていう状況が起きづらいんですよね
この観察目線っていう目線を獲得しているので
なんですよね
とはいえねなんか現実問題
今結構辛い思いをされている方とか
そういう認識をされてる方で
この目線を獲得した方がいいとも思わないですけどね
ある意味世界と距離を置くようなことにもなりますから
これがいいのか悪いのかとかわかんなくて
だから僕はいいからやってる悪いからやってないとかではなくて
たまたま自分が生まれ持った性質が
観察者目線で捉えがちだったっていうことが
このように今の僕に対して作用してるという話をしてるだけで
こうしろとも言ってないし
これがいいとも悪いとも言ってないっていう前提で
これ話してますけどね
まぁまぁちょっとすいません
なんか
いやーなんか全部ひっくるめて
世界ってもっと面白いと思えるだろうなと思ってますね
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