くらげさんの生活と働き方
おはようございます、くらげです。
おはようございますと言いながら、昨夜の11時からずっと起きてて、今から寝るんですけれども、
ちょっと日記代わりに、こちらに投稿しておきたいと思います。
まずちょっと、自分の生活なんですけれども、ちょっと睡眠障害と言いますか、かなり生活が不規則、睡眠が不規則なタイプでして、
なんか24時間生活じゃないかなと思ってるんですけど、
とにかく、何ですかね、好きな時に寝て、好きな時に起きるような、そんな生活をやっております。
それでちょっと、まあ普通に、いわゆるオフィスワークをやってたこともあるんですけれども、
まあ、とにかく睡眠リズムが昼方の時はいいんですけど、夜方になってきますと、全然、体調が悪くなってしまってですね。
それで、そういうこともあって、オフィスワークをやめて、現在よくわからない、何やってるんでしょうね、本当に。
フリーランスというか、編集者というか、なんかよくわからない仕事をメインにしつつ、友人の仕事を手伝っております。
そういう生活なので、比較的時間に自由なんですけど、ただそうなると、やっぱり自分の時間をどう使うかというのを、自分で設計しなきゃいけない。
その上があんまり上手くはないので、なかなか気がつくと、いつの間にか締め切りがグダグダになったり、なかなか仕事が終わらなかったりということで、泣く羽目になるんですけども、
まあ泣いちゃいますね、泣く羽目になっちゃうんですけど、これはこれでもう、何とか改善しようと、これでも頑張っていて、
それで少しずつ何とか、そうですね、時間の管理も少しずつうまくなっているのかなという自信はあります。
昨日ちょっと話したんですけど、AIを使って何かできるんじゃないかっていう話なんですけど、
やっぱり最近個々1ヶ月、AIを使って自分のためのツール、自分の仕事が少しでも楽になるようなツールを作っていて、
自分プログラム全然わかんないんですけど、本当に今の技術はすごいですね、テクノロジーと言いますか、
AIを使うことで自分を助けるためのツールを自分で作って、それで時間の短縮ができるとか、
本当プログラムできる人はすごいなと思っていて、でも自分はできないからといって諦めていたことが、
少しずつできるようになっていくというのは本当にやりがいがあるし面白いし、
本当にちょっとしたことで仕事というのは楽になるんだなみたいな、そういう実感を持っていたのはとても良かったかなと思います。
それでやっぱりAIを使ってて思うのが、やりたいことというのとやれることというか、
いわゆる目標と作業の違いっていうのがなんとなくわかっていたところがすごく大きいと思っていて、
例えばAIがやってくれるのは作業ですね。作業の部分はやってくれるんですけど、
人間しかできないっていうのは何度も言ってるんですけど、やっぱり考えること、何をしたいかと考えること、
そういうところは絶対に人間がやらなければいけないところで、
その辺はやっぱり人間手放していけないポイントなんじゃないかなと思います。
そういう意味でやっぱり作業っていうのはできるだけ減らした方がいいし、
その作業を減らした時間でいわゆる考える時間を増やすっていうのが、
これから人間がやっていく方向性なんだろうなというふうに思っております。
そうなるとですね、やっぱり一人一人が考えるということをすごく大事にしなければいけないんだろうなと思って、
やっぱり考えるってことを考えるといいますか、
そういう生活を地道にやっていければいいかなというふうに思っております。
それでちょっと今回の本題なんですけど、今まで本題に入ってなかったと言われること困るんですけど、
AIの活用と働き方の違い
とにかく自分というのはちょっと聴覚障害なり発達障害なりいろいろありまして、
そういうのを考えるとですね、やっぱり自分ってあんまり人と同じ人間ではないという思いがすごく強くてですね、
やっぱり自分という人間は他の人とずれているし、かなりいわゆる偏狂の民だと思っていて、自分は。
でも偏狂っていうのはつまり中心ではないですね。
これは性格からしてはそうなんですけど、あんまり人ってサークル作るっていうか輪になった時にですね、
自分絶対真ん中にないよなっていうか、そういう感じはありますね。
真ん中でではなくて偏狂というか、ちょっと外れたところで別の焚き火をキャンプファイアやっている時にですね、
周りからちょっと外れて、なんかちっちゃな焚き火を自分で作って、そこで2,3人で話し合っているみたいな、
自分はそういう人間なんだろうなと思っているんですけど、やっぱりメインストリームにいる人間ではないなというのがあって、
それがもちろん悪いというわけではなくて、自分はそういう人間なんだっていう自覚ですね。
そういういわゆるずれているというか偏狂というか、
そういう人間でありたいってわけではないんですけど、いつの間にかそうなっていたし、それを自覚したということなんですけど、
ただそうなるとですね、やっぱりあまり稼げるというか、あまり面白くなくないというわけではないですね。
あまり一般的な幸せというのは求められないと思うんですけど、一般的な幸せですね。
一般的な幸せというのを多分つかみにくいんでしょうけど、
そうなると結局自分自身が何を持って幸せかっていうのを定義しなければいけない。
そういう言い方をしなければいけないんじゃないかなというふうに思っています。
まあそれが、一般的な幸せというのはやっぱり子供をお金を稼いで、子供を作って、子供を育てて、とかそういう家を買って、
まあ今だったらオクションかもしれないですけど、オクションですね、タワーマンションとか、
そういうのを買って幸せというのが多分一つの形なんでしょうけど、
まあ自分がそういう、まあやっぱり障害があるとなかなか仕事も難しいですし、
まあいろいろしがらみはありますよね。
そういうのがあるのでなかなか、まあ一般的に幸せというのはそもそも障害者っていう時点でかなり難しいんですけど、
じゃあ自分の幸せが何かって考えると、何なんでしょうね。
自分の幸せが何かっていうのを結構言ったり来たりと言いますか、
ずれることとダイバーシティ
多分これが自分の幸せなんではないかなと思って手を出して、またこれ違うなっていう、
そういうある意味なんでしょう、幸せジプシーと言いますか、幸せ探しと言いますか、
まあ自分探しとも近いかもしれないんですけど、自分にとっての幸せとは何かっていうのをちょっと探し続けているかなというふうには思います。
ただ、まあやっぱり自分と今妻と二人暮らしなんですけど、妻も障害者で、
やっぱり障害者が二人暮らしするだけでかなりハードル高いんですよね。
じゃあ何でそれをやっているかっていうとやっぱり家族と、家族というか親ですね、親とか、
まあ迷惑かけるとも違うんですけど、やっぱり自由には来ていきたいですよね。
やっぱり親の干渉とかあまり受けないで、まあもちろん二人暮らしだから受けないということはないですし、
まあそもそも夫婦なのでいろいろあるんですけど、
それでもなおやっぱり夫婦二人で生きていくということにやっぱり自分たちは何かの意味を感じている。
まあ本当はやっぱり親元で暮らしていれば本当に仕事をしなくていいんじゃないかぐらいな、
あれではある、まあちょっと環境ではあるんですけど、やっぱりそうしたくないなというところにやっぱり自分たちの幸せ、
ある種の理想というものがあるんじゃないかなというふうに思っています。
まあ本当に楽ではないんですけど、それはともかくとして、
やっぱり何を言いたいかというと、やっぱり生活というのは絶対あるわけですよ。
生活というのがあって、そのためには仕事をしなきゃいけなくて、
でもその仕事がやっぱり自分は障害のために、なかなかこう一般的な仕事をするのはちょっと無理だなってなってて、
まあそれは聴覚障害だしADHDだしやっぱり睡眠時間が安定しないという状況がですね、
非常にいろんな意味でネックになっているわけなんですけど、
まあそれがどういうことかといえば、まあやっぱりずれてるんですよね。
まあ人間なんで、人間何かしらずれてるって言えばずれてるんですけど、
結構あまり重なり合わないというか、そういうところに、
まあそういうアイデンティティじゃないですけど、
あまり普通ではないということにちょっとある種の怪虐というか面白みは感じているんですけども、
でもやっぱりまあ自分は結構いろいろ文章を書いたり、まあいろいろ本も出したんですけど、
そうなるとですね、やっぱり自分が本を出したってことはやっぱり何かしらずれてる、
一般的な意味での見方から違うということをある意味自覚的にやれているってことが結構大きいんじゃないかなと思ってて、
多分同じようなものを同じようにしか見れないっていうのは、つまり目線が同じってやつですかね、
目線が同じ、考え方が同じというのはすごく多分そういう人たちで集まったら間違いなく楽ではあるんですけど、
まあ楽というか仲間意識高められますしね、
まあそういうところに仲間に入れるかっていうと多分自分を入るのが苦手なんで、
ずれてる者同士ではぐれたところで語り合ってるっていうのが一番いいんだろうなと思いますし、
そういう意味では今の妻もですね、やっぱりそういう外れ仲間はぐれ仲間というイメージで暮らしております。
ずれるぶれるっていうのは結構悪いイメージを持たれると思うんですけど、
じゃあなんでずれたりぶれたりする人がいるかっていうと多分それが一緒の、
多様性っていう言葉が今非常に安っぽくなっちゃってるんであれなんですけど、
なんでしょうね、やっぱり同じような見方をして同じような考え方をする人たちが集まる企業っていうのは、
たぶんグループというのはある種絶対強いんですけど、
強いっていうのは結局大企業的なイメージですかね、ある種の官僚主義なりね、
そういうのは非常に、それはそれで一つのこと、
そういうグループがほとんど一つになって同じ目的を持ってあるとすごい強いと思うんですけど、
でもやっぱり今の日本の大企業があまり元気がないとよく言われますけど、
そこにいわゆるダイバーシティという概念が入ってくるんですけどね、
そのダイバーシティという概念はやはりそういう意味である種のビジネス、
つまり何かしら違った視点を入れましょうねっていう考え方なんですけど、
たぶんそういう人たちが普通のまんま普通に同じような視点を持てる方はたぶん持てないわけですよ。
標準が違う、性別が違う、国が違う、あとは障害があったりなかったりする、
そういうところに違いを求めないとたぶんずれないんでしょうね、人間となかなか。
意識的にずれられないので意外と。
そうなると同じようなグループに違った人がいるっていうのは貴重なことなんですけど、
問題はそういうずれてる人たちがずれたまま仕事ができるかというとたぶんそうではないんですね。
一回ずれてる人がじゃあそういう大企業にダイバーシティという形で入って仕事を続けられるかというと結構難しい気もするんですけど、
そういう意味では本当に企業自体がダイバーシティにならなきゃいけない。
つまり変な人でも受け入れる、ダメな人でも受け入れる、
一部の意味で有能だし一部の人でも無能という人でも受け入れなきゃいけない。
ダイバーシティの重要性
そういう意味で企業自体がダイバーシティの文化を、つまりずれた人を受け入れる文化を作らなきゃいけないんですけど、
それができてる大企業があるかというとたぶんないわけですよ。
その後ですね、やっぱりたぶんいわゆる起きる業の企業のほうですね、つまり会社を作る、
ちっちゃい会社を作って回るっていうのは非常にずれてる人たちの特権なんかだと思うんですけど、
ただずれてる人って他のずれてる人と絡まりが良かったらやっぱり合わないんで、
そういう意味で人間関係の圧力を起こしやすいというのは非常にあるかなというふうに思います。
あとはやっぱりここにいる方、この立室さんにいる方っていうのは非常に企業家とかいわゆる経営者とかが多いと思うんですけど、
そういう方々がやはりいろんな人、人間関係というか人事で苦労されてると思うんですけど、
やっぱりなかなか大きい企業は大きい企業なりに大変だし、ちっちゃい企業はちっちゃい企業なりに大変だし、
やっぱり人というのはすごく難しいですよね、本当に。
自分は何も経営してないですけど、いろんなものを見てるとやっぱり人事というのはすごく難しいなと思います。
でもやっぱりそうなるとやっぱり普通の人っていうのが欲しくなっちゃいますよね、どうしてもね。
まあでもそれも当然なんで、それが良いとか悪いとかではないんですけど、やっぱりなかなか外部の目というか、
社員にしないまでにしてもやはり何かしらの意見を求められる相手が変な人が多いというんじゃないかななんて思ったりするんですけど、
まあそれを、そこから出てくるアイデアをやっぱり実行するっていうとなかなか難しいですよね。
やっぱりじれてる人たちってある意味では逆に言ってしまえば頭がおかしいということなので、
そうなるとあまりこう普通ではない人たちばっかりになるわけですよね。
でもそういう人たちを普通じゃない人に束ねるってかなり難しいと思うんですよ。
でもそうなると、やっぱり何で言うかね、ずれてる人はずれてる人で一人でやっていくのが一番良いんじゃないかなと思ってるんですけど、
でもやっぱり一人で生きる、一人で何かをするってすごく難しいわけですよ、一人で。
いられることなんてかかが知れてますからね。
それでちょっと最初のAIの話に戻っていくんですけど、
AIを使うとすごくアシスタントというか、やっぱり自分、作業の部分ですね。
作業の部分をかなり代替してくれるということが増えていくわけです。
そうなると変人が一人でもできることってめちゃくちゃ増えていく気がするんですよね。
昔だったら変人の弟子になってその弟子が作業をやってたんでしょうけど、
いわゆる陶芸家とかそういう芸術家とかアーティストのイメージがそんなだったりすると思うんですけど、
ところがその弟子さんの立場になってみるとなかなか厳しい指定関係だったりなんなりっていうのはあるので、今誰も来ませんから。
そうなるとやっぱり変人が生活を成長させるっていうのがすごく難しい時代になってきてたわけなんですけど、
もしかしたらAIが変人を助けて、絵にずれたアイデアを一般人とは違うアイデアをずれたまんま形に出して、もしかしたらそれが大ヒットするかもしれない。
そういう可能性を秘めているんじゃないかなと思うんですけど、
もちろんそのためにはやっぱりツールとしてのAIをどう使いこなすかというところをちゃんと考えなければいけないと。
まあそういうことを最近考えております。
変人の経済活動
結局変人が変人のまま生きていくっていうのは変人がですね、変人というかずれている人というかちょっと頭がずれている人がそのままに生きていくというのは非常に難しい時代だ。
まあなんというか、もともと難しいんですけど、それがもしかしたら少しは状況が変わっていく可能性があるかなと思いますし、
そういう意味で一人一人が企業マインドを持つ、経営者マインドを持つというのは決して悪いことではないと思います。
むしろ聴覚障害者の方でプログラミングを学んでいる方とちょっと関わっているんですけども、
そういう方々に下手に雇われるくらいだったら企業をしろって言っちゃってるんですね。
なんでかっていうと、障害者の給料ってめちゃくちゃ安いんですよ。正直13万14万あったら儲かります。お金持ちです。そういうところなんで。
だったら変なに雇われるよりも自分で仕事を作っちゃって、その仕事で食っていったら多分そっちの方が同じ13万14万でもそっちの方が絶対に納得度も高いし、
お金にその上も目指せるしスキルも高まるんじゃないかなと思ってて、そういう生き方も結構この先できていくんじゃないかなと思いますし、
例えば障害があってもAIとかパソコンで随分とできることが増えたんですけどね、自分もこう文字起こし使って色々会話してますし、
このリスティンも自分で何で使おうと思ったって言ったらやっぱり字幕機能なんですよね。AIによって字幕が作ってくれるという。
多分これがなかったら自分はリスティン使ってなかったんだろうなと思うんですけど、そういう意味で非常に技術的な革新が障害者自身を助けていくっていうのはめちゃくちゃ直接的な意味で、
いわゆるバリアフリーとかそういう社会になっていくというのは間違いなくあるんですよ。
それとは別に今までの働き方、障害者の働き方というもの自体も、障害者が会社を作るとかって絶対無理だろって言われてるんですけど、
でもところがそれがかなり簡単にできるかもしれないし、もしかしたら障害者の活躍の幅が一人一人が自分で仕事を作っていくということで変わっていく可能性もあるよなという意味で非常に希望を持っています。
ズレた人がズレたまま何かしらの企業に入ったり、まとまりに入って働くっていうのはすごく難しいですよね。
これは何度も繰り返しになるんですけど、だったらズレたまま一人で動きなことをできれば多分、それは一番いいんですよ、多分。
でもそういうことが非常に難しいというのは当たり前だったんですけど、この先どうなるかわからないなーっていうところが自分の見方です。
今日はこんなところですかね。
ちょっと補足になるんですけど、何で日課続けてやってるかっていうと、自分、毎日音声入力で日記書いてるんですけど、だったら日の日記でちょっと頭を動かしてから寝るみたいな状況でやってるんですけど、
それをちょっとリスナーの方で代わりにやってみようかなと思っておりまして、当面10分なりに10分なり喋り続けて、本当に今一つ喋んないんですよね。
妻と二人暮らし、妻と意外と喋んない日なんて本当にザラにあるので、本当に口が耐えかえちゃってるので、
そういう意味で口を動かして、ちょっと滑舌が悪くなんないようにしたり、ちょっと表情の筋肉を作ろうかなというふうに思っておりますので、当面よりしたくなりますがどうぞよろしくお願いいたします。