自分の経験で感じた車の必要性
はい、こんばんは、くらげです。本日はですね、なんか2回目の収録になってしまうんですが、現在、
えっと、小倫南通りのですね、駐車場にいまして、車の中から中継というか、録音ですね、録音しております。
えー、ちょっと、自分は結婚していますけど、妻の方がちょっとやっぱ体調とか悪かったり、
いわゆる、発達障害ですね、まあ、自閉症と言いますか、そういうのがあるので、なかなか家事とかできないもので、
えーと、まあ、仕事と家事は、ほとんど自分が担当ということになっております。まあ、それで別に不満はないんですけども、結構やっぱり大変なことは大変なので、
ちょっとこういう機会を見つけて、いろいろやってるんですけども、まあ、そういうわけで、今回はちょっとあの試しに、
離室のですね、収録をやってみようと思います。 そうですね、やっぱり、まあ、何回かこう自分は貧乏だ貧乏だって言ってるんですけど、
やっぱ隣で車持ちというのはかなり贅沢だと思われるんですけど、 やっぱり妻がやっぱ転換とかもありまして、
ちょっと急に倒れたりするんですよね。 一緒に出かけると、ちょっと急に体調悪くなったり、急に倒れたり倒れかけたりですね、しちゃうことがあるので、
そういう意味で非常に車というのは命を守るためにも大事で、必要経費かなというふうに思っております。 まあ、それでもすぐ生活してすぐに変えたわけではなくて、
まあ今の家に引っ越してからですね、まあ2年くらい後にかなり病状が悪化しまして、 その時にどうしても必要かなというふうに、まあちょっといろんな人にアドバイスを頼んだら、やっぱり車買った方が良いよねってのがありまして、
まあそれで、それがちょうどコロナが流行る直前ですね、
2021年ですね。
春にですね、あのかなり安い競馬を買ったんですけど、まあその後、コロナの流行がありまして、急に必要価格が高くなったんで、非常にタイミングで変えたかなというふうに思っております。
結局、車もツールですので、ツールですね。 なので結構使い方次第ではやっぱり非常に使えると。
安全に、まあ人によってはあんまり車なんて意味がないって方も多いでしょうし、まあカーシェアリングで十分だという方も多いとは思うんですけど、自分にとってはやはり
まあすぐに使える。本当にその大変だった時期って本当に1週間に1回2回救急車で妻が運ばれるような、そういう状況だったので、
まあタクシー代とかも馬鹿にならなかったんですよね。医療費もそうなんですけど、そうなるとやっぱり、
まあ、安全と命には変えられないなーっていうことで、ちょっとやっぱ買ったんですよね。まあそれが本当に良かったし、
これまでいけなかった、例えば、山形の生まれなんですけど、山形の生まれに山形の寄生とかですね、
あと妻の実家にだいぶ頻繁に買われるようになりましたし、まあ妻の実家はあの東京の稲城市で、まあ車で1時間、
電車で1時間半というところなんですけど、まあやっぱりそれの距離でも大変なことは大変だったので、
まあそういう意味で非常に生活の幅が広がったなというふうに思っております。
信頼と裏切りについて
まあでもやっぱり維持費とかは結構苦しいっちゃ苦しいので、まあでも、まあなんとかやろう、
4月に払い終わりまして、まあ少し楽になるかなと思うんですけど、やっぱりそういうところでまあ苦労しつつもやっぱり生活を維持するためには、
やっぱり車というものも自分の生活には必要だったかなと思っております。
まあそういうわけで、まあコインランドリーに荷物を持って行ったりですね、
ちょっとした個室っぽく使ったりですね、まあいろいろ活用しております。
まあそんなところで、まあ車の話はさておきとしまして、
えっとちょっと先ほど、コンドーさんが行っている
アンノウラジオですね。いろんな経営者の方とかに話を聞いて、すごくあの密度の濃い内容を語っている
まあラジオなんですけれども、リスンでやってますね。リスンでやってるアンノウラジオ。
それに私が手伝っている隅嶋恵子さんと、あと
株式会社祭りの副代表のノックンという方が非常に語っているんですけど、
まあちょっと先ほど、ちょっと仕事と舵をしながら聞いていて、
まあ自分も結構それをずっと見ていたので、自分もよく知っていることなんですけども、
ここまであからさまに語るかってちょっとびっくりしたんですけども、
まあやっぱり、まあいつでもおかわりというサービスをやってるんですね、株式会社祭りは。
そのサービスはやっぱり、まあ優しいSNSと言いますか、誹謗中傷のないSNSと言いますか、
心の安らぎを与えるSNSと言いますか、そういうものなんですけども、
それがなんでそういうサービスになったっていうのを非常に細かく書いておりまして、
やっぱり隅嶋恵子さんが非常に苦労されたというか、何人にも裏切られたりですね、本当に大変なことになってたんですけど、
まあそういう中でもやっぱりつかみ取った、つかみ取っていたアイデアからできたサービスですので、
非常に血の通ったと言うんですかね、血が通っている、心が通っているサービスなので、ぜひ自分も成功してほしいですし、
まあそういう成功、まあ自分も結構広報担当という感じにはなっているので、
結局そうですね、本当に心の底から応援してますし、まあ自分自身のためにも成功してほしいなというふうに思っております。
それで近藤さんも非常に厳しくと言いますか、厳しく優しく質問を送ってくれているんですけども、
やっぱりそれを見ているとやっぱり近藤さんという方が非常に優しい方というか、本当に聡明な方だなというふうに思いまして、
やっぱり人生に対して非常に肯定的であるなというか、なんでしょうね、
ちょっと清水さんが別なラジオで言ってたんですけど、別なリスンのコンテンツで言ってたんですけど、
世界に対する肯定感というんですかね、やっぱりそういうものが垣間見えまして、
割と自分も障害者という立場からすると、あまり世界に対する肯定感が持てない、
何かしら世界に対して裏切られたという感じが結構あるんですね。
それもちろん近藤さんも経営者ということをやってますし、
いろんな経験されてますし、年上ですからなかなか大変なこともいっぱいあったと思うんですけど、
それでも世界に対する信頼というのを失ってないというのがすごいなと思いました。
でもやっぱりね、自分もやっぱり世界に対して裏切られたって感じはやっぱりあるんですけど、
でもそれで裏切られっぱなしかというと必ずしもそうではなくて、
自分金持ちも名誉もないですけど、たまたま本を2冊出させてもらって、
なんとかこういういろんな国境界というんですか、界隈というんですか、
そういうところに絡ませていただいて、非常にいろんな方に恵まれまして、
仕事で来てるわけなんですけど、やっぱりそういう人にだけは恵まれましたね、本当に。
他には何もないけど、妻とか友達とか、いろんなメンターになってくれる方が大変いらしまして、
そういう方に本当に救われたなというふうに思っております。
そういう意味でやっぱり世界は大変なところではあるけども、必ずしもそういうものではなくて、
いろんな人がいて助けてくれる人は多分いるんだろうなというふうに、
自粛にはたくさんいらっしゃったんですけど、本当にありがたいことに。
そういう信頼っていうのはやっぱり捨ててはいけないですし、
清水さんも最近裏切られる中でもやっぱり信頼できる人、
助けてくれる人というのがやっぱり残ったっておっしゃっておりますので、
そういうところで人間というのは裏切られたと思いながらも結局裏切り、
裏切られたままではいられないみたいな、そういう環境にあるのかなと思いますし、
裏切られたと思っても、裏切り、自分が世界を裏切ったら多分それは、
何かしらの悲しいことかなというふうに思っております。
まあそんなふうに世界というのは本当に大変なところではあるんですけど、
やっぱりどこかしら憎しみきれないというか、
おそらく憎しみきってしまったら自分の人生もやっぱりうまくいかないんだろうなというふうな、
ちょっとあまりぼよんやりと思っておりますね。
ここから結構、本題ってわけではないんですけど、
東京都知事選と自分の見た世界
ちょっと最近ずっと思っているのが、7月7日に行われた、いわゆる東京都知事選ですね。
あれは選挙結果で言ってしまえば小池都知事の圧勝だったわけなんですけど、
やっぱりそれを見て思ったのは、何て言うんですかね、
ネットっていうか、SNSっていうか、
自分の見えている範疇は必ずしも正確ではないと言いますか、
いわゆるエコーチャンバーって言ったら簡単なんですけど、
やっぱり自分の見ている世界が必ずしも正しい、
世界全体の在り方、社会全体の在り方を反映しないというのはすごく感じました。
まあ自分が言うまでもないんですけど、本当に今回の選挙はいろいろありましたし、
やっぱりネットを見ていると、連邦さんを投稿だとか、小池は投稿だとか、
非常に口汚いの知り合いと言いますか、そういうのが行われておりまして、
まあ見てて結構気持ちいいもんじゃなかったんですけど、
やっぱりそういうのを見ているとですね、
やっぱりある意味自分の願望と、
自分がこうであって欲しいということと、本当の社会の在り方に差が出た時にですね、
人間って結構簡単に怒りを覚えますし、
ある意味で現実逃避、ある意味で、
何ですか、世界の在り方を認知が歪んでしまうというのはとてもあり得ることですし、
多分自分も知らない間にそういうことは起きているんだろうなと思いまして、
気をつけたいとは思うんですけど、多分そういうバイアスっていうのは気がつかないんですね、自分で。
気がつかないからこそバイアスなのであって、
そうなると自分を叱ってくれる人と言いますか、
それは違うよって言ってくれる人ってすごく財産だなと思いました。
そういう財産になってくれる人は本当にありがたいことにこと書きませんので、
絶望と願望
結構割と自分クソだなと思っているんですけど、
やっぱり妻をはじめとしていろんな方が自分の尻をぶん殴ってくれる、叩いてくれる、蹴ってくれるということで、
なんとか人間としての形を保っているかなというふうに思います。
そういう、何を言いたいかというとですね、やっぱり自分の願望とか自分の希望っていうのは必ずしもこの世界に一致したものではないと。
その一致しないのはある意味当たり前で、もちろん一致したら幸せかもしれないですけど、
でもやっぱり願望というのはやっぱり願望であって、現実ではないことも結構多いっていうのはやっぱり正確にできるだけ正確に捉えていることができれば、
そっちの方が多分最後には結構一番絶望しなくて済むかなと思ってて。
さっき言ってましたけど、やっぱり世界に対して絶望しているのは結構簡単で、それに対して自分も絶望し返すというのはすごく簡単なんですけど、
多分それは何かこう世界を変えたいっていう時に大きな邪魔になってしまいますし、
それで世界を変えたいって思うほどやっぱり裏切られると思うんですよ。
多分清水さんもそうですしね、近藤さんに対してそんなこといっぱいあったと思うんですけど、
社会を信じる世界を信じるっていう時に絶対裏切られるし、なおかつそれを変えようとする時に社会というのは多分、
社会を変えようっていうのはやっぱり社会に不満があるから変えたいわけなんですけど、
そうなると、もともとマイナスモードなわけで一応敵なんですよね、社会が。
社会が敵であるからこそ変えようというモチベーションが生まれるわけなんですけど、
これ本当に思うんですけど、敵っていうのは思った以上に悪魔化しやすいと言いますか、
敵と味方
思った以上に酷く見えてしまうと多分あって、
でもその酷いものを倒してやるって勢いすぎると多分疲れちゃうんだろうなと思います。
もちろん戦わなきゃいけない敵っていうのはいっぱいいますよ、自分だっていっぱいいます。
例えば有性保護法に対して賛成だって方もいらっしゃいますけど、自分障害者当時は3代目なんですよね。
祖父に母に自分に弟が耳悪いんですけど、
結局障害者は障害者を読むなって言われたら、私自身の存在を否定されることになりますので、
そういうことには絶対的に反対していきたいですし、
障害者の存在自体を認めないっていうような動きには絶対的に抵抗していきたいですし、
そういうのは自分にとっての敵だなとは思うんですけど、
でもやっぱり正確に考えてみると、そういうネットの声っていうのは必ずしも大多数ではないと。
うっすらとは思っている人は多いかもしれないんですけど、それを言葉にしてSNSに上げる人っていうのは多分、
自分の思っている十分の一もいないんじゃないかなと思ってて。
でもそうなると、多分そういう世界全体を見てしまうと、
そういう十分の一の声をですね、世界全体の声だと思ってしまうと、
多分自分は何かを見誤って、戦うならやっぱり戦わなきゃいけないんですけど、
こういう無駄な体力を使ってしまうと言いますか、
そういう変に絶望感に襲われて、やっぱり世界に絶望してしまう、
絶望し返すってことが結構起きてしまうなというふうに思いまして、
やっぱり、多分エコーチャンバーとかそういう現象って、そういう敵に対して、
何でしょう、みんなでこいつは敵だっていうのは多分楽しいんですけど、
いわゆる悪口っていうのはすごく増幅していくものですから、
おそらく、何でしょうね、
みんなで集まってみんなの敵を作ることってものすごく、
本当の存在よりもめちゃくちゃ大きい敵を作りかねないかなと思ってて、
逆に、味方も結構何でしょう、まあいらっしゃいますけど、
やっぱりそういうみんなですね、味方のみんなも、
結構思ったより多く見えちゃったりとか強く見えちゃったりするとは思うんですけど、
そこをどうやって公平公平に見ていくかなというのは、
多分人生を生きていく上で、すごく大きなテーマに、
社会を変えていくっていう時に、
正確に見ないとやっぱり、ただの暴れるだけで終わっちゃうとか、
ただの、ちょっと騒ぎで、いわゆる一家制の騒ぎでですね、
終わってしまうようなことって多分起こり得るなと思ってて、
まあそういう意味でバイアスというか、そういうのって怖いなぁというふうに思っております。
でもって、まあちょっと話がちょっと色々と散らかってしまったんですけど、
やっぱりちょっと都知事選の話に戻るんですけど、やっぱり、
都知事選今、選挙が終わってからも非常に揉めてるんですけどね、
やっぱり、次は石丸氏さんですね。
あの方非常に、まあ結構大変っていうか、
確かに色々問題がある方だとは思うんですけど、
その問題がある方を、ちょっと投票してしまった人はバカとか、
投票してしまった人に、投票した方をですね、叩くっていうちょっと、
あれ、ちょっとムーブメントがSNSで起きてるかなというふうに思うんですけど、
選挙と社会の変化
まあそういうのも、一つの結構、社会に裏切られたっていうそういう気持ちが、
極端にちょっと恐怖心というか、やっぱり絶望感というか、
そういうのから生まれてると思うと、
まあ、なんて言えばいいんですかね、やっぱり大変だというか、
まあ多分、でもやっぱり投票した人は投票した人なりの理由があって、
そこを100%否定しきってしまえば多分、
社会は変えられない、本当の意味での社会を捉えられてはいないわけですから、
そういうこと、まあもちろん小池さんに投票した人がバカとか、
連邦さんに投票した人がバカとか、まあそれぞれ意見はあると思うんですけども、
やっぱり、なんて言えばいいのかな、
あまり敵を大きくしないことってすごく大事だと思いますね。
やっぱり本当に、なんでしょう、悪魔化って言えばいいんですかね、
まあそういう悪魔化をしてみんなでこう倒そうっていうモチベーションを高めるのはすごく大事なんですけど、
その敵が本当に倒してべき敵だっていうのは絶対ある時はあるんですけども、
それが非常に、なんでしょう、些細なところから些細なところまで、
手から足まで、頭から爪の先まで全部嫌いだってなってしまうとですね、
まあ何かずれてしまうと思うんですよね、本当に。
ずれるっていうのは、やっぱり社会を、なんでしょう、
多分全否定ですよね、全否定しまえば、やっぱり存在そのものを認めないって感じになってしまうこともあると思うので、
まあそれはちょっとやめた方がいいかなっていうか、
まあ社会に存在しているものは何かしらの理由はあって存在しているわけで、
それを全否定しまえばやっぱり、それで何か問題が解決するかというと多分しない。
たぶん小池さんがこの世から消えたって小池さん的なものがなくなるわけではないし、
蓮舫さんが消れても蓮舫さん的なものが消えるわけではないし、
石丸さんが消えたからって言ったって石丸さん的なものが消えるわけではないですからね。
そうなると、もちろんそれぞれ社会を変えようというときに、
本当にその人が代表する何かっていうのもあるんですけど、
変えるべきことはそういう話を知りする人たち、
そういう話をやっぱり、それは正しいというふうに思う方々が本当にいっぱいいらっしゃいますので、
そういう意味で、そういう人たちが背景にいて、そういう人たちが力を持っているんだということはちょっと認識した上で、
なおかつその力を持っている、その力の源泉と言いますかね、
そういうのを見ながらやっぱり人ではなくて、やっぱり現象、実証、構造を見なきゃいけないなというふうには思っております。
そのためにも、それを見るためにやっぱり人を悪魔化するのではなくて、その裏にある諸々をちゃんと見なきゃいけない。
そこを変えなければやっぱり人を太り倒して社会が良くなるというのは、RPGとか漫画とかラノベでよくある展開ですけど、
そういうのはやっぱり、わかりやすいですけどね。
わかりやすいですけど、たぶんそれをやってもたぶんうまくいかないというのを、たぶん歴史的に証明していることかなと思っていて。
まあでも、だからまあわかりやすいってあんまり良くないなと思いますね。
ちょっとまた話が長くなるんですけど、ここに何ドリが40分くらいですので、もうちょっとしたら終わりにしたいと思うんですけど、
リソナルとちょっと別なラジオですね、ちょっとお名前忘れちゃったんですけど、
ちょっと後で調べて概要には書いておきたいと思うんですが、このいわゆるリスティンって非常に長いじゃないですか、皆さん長いじゃないですか話が。
話が長いんですけど、ある意味近藤さんはその長さをちゃんと狙っていると言いますか、
割と効率化とか単純化とかスピードが大事に至る社会でじっくりゆっくり話を聞く。
人のちゃんと頭に残るってのも長い根鉄なんだとおっしゃってたんですけど、
それと同じで、なんか一言こう、小池は悪魔だとか連邦はまあちょっと口汚い言葉で申したりですね。
そういうことをやって非常にわかりやすいですし、頭にも残るんですけど、
でもやっぱりそれぞれの方の候補者の話をしっかり聞いてみると、
いわゆる連邦さんの任意ではダメなんですかっていうのは全く別な意味を持ちますし、
小池さんのプロジェクトマッピングだって何かしらの意味があってやってるわけですよね。
それはちゃんと裏金かどうのこのじゃなくて、ちゃんと心出し目的があってやってるんでしょうけど、
そういうのって長く考えなきゃいけないわけなんですよね。
自分はちょっとAIはいいぞ、AIはいいぞ、効率がいいぞとかって言ってるんですけど、
車とは単純化や効率化ではなく、自身の頭で考える重要なものであるという認識
でもそれはそれとして自分がこういう、ある意味20分も30分も喋ってる理由って、
単純でありたくないって一方で、AIとかがこう余約したり効率化をしてくれる一方で、
ある程度自分は単純な人間でありたくない、そういう一つの分かりやすさにこだわりたくないって気持ちはやっぱりどっかにあるんだろうなと思ってて、
そのためには、前からちょっと音声で1日1000字に1000字の日記書いてるって言ってたんですけど、
あれはちゃんと自分の中から頭の中で考えてるっていうことを取り出すためにやってまして、
たぶん140字いわゆるツイッターのツイートだとやっぱり頭使わなくてもできるんですけど、
1000字はやっぱりちゃんと頭使わないと書けないわけですよ、頭の中から何か絞り取ろうとしないと。
で、その絞り取るっていう作業が結構大事かなと思ってて、手先でパンパンって多分書くんだったら、
まあ500文字ぐらいは本当に何も考えずに書けるんですけど、
たぶん1000字、3000字ってなってくるとちゃんと頭を使わないと書けない。
そうなるとですね、やっぱり手ではなくて頭で書くっていうことをちゃんとやるためにはある程度の文字数が必要なわけですね。
その文字数を、手は自分にとっては1000字ぐらいがそこからスタートかかってくるかなっていうぐらいで、
で、一寸でこうポイスキャットやってて思ったんですけど、
自分の中で多分3分とか5分とかは多分10分ぐらいは何も考えないでできるんですけど、
たぶん20分30分はちゃんと頭を使わないとできない。
そういうちょっと頭、今実際頭から絞り取ってる感じがあるんですけどね。
そういう意味で一つのことをある程度長く考えるっていうのは、
たぶんこういう効率化だったり単純化だったり、
考えることや語ることは絶望に抗うために必要なこと
ちょっと言ってしまえば何かを絶えやすく悪魔化したりですね、
そういうする時段の中において、
20分も30分も距離でベラベラ喋ってるっていうのは結構貴重なことをやらせてもらってるんじゃないかなというふうに思っております。
そうなると、社会をずっと考えよう考えようと言ってるんですけど、
考えるって頭の中から何かを絞り取るようなそういう苦行でもあると思うので、
そういう意味でちゃんと長く読む、長く考える、長く語る、長く書く、
そういう作業っていうのは本当に社会を変えようとか、世界に絶望しないとか、
簡単に世界に絶望して、簡単に絶望し返す、この世界はダメなんだって断言してしまう前にやるべきことっていろいろあるんじゃないかなというふうに思います。
自分の生活も非常に楽ではないですし、何度も言ってますけど、
でもそういう中において、やっぱり自分が社会に対して自分は障害者だからとか、
発達障害だからとか、お金がないからっていうより絶望しきてない理由ってやっぱり自分の
ある種の考えるというか書くというか、そういう癖みたいなのがたまたまあったから幸運だったかなと思いますし、
だからこそ何かしら人が助けてくれるのかなというふうに思っております。本当にありがたいことでございます。
何でしょうね、まとめると、やっぱりちゃんと考えましょう、ちゃんとしゃべりましょう、ちゃんと調べましょうとなってしまうんですが、
必ずしも自分がそれをできていると言うとそうでもないんですけども、
やっぱりそういう気持ちを持ち続けて世界に絶望しない、世界に対する絶望感に儚うっていうのをちゃんとやっていきたいなというふうに思っております。
というところで、たぶんそろそろコインランドリーの感想が終わりましたので、今日はこのぐらいでお疲れ様でした。