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GOOD BYE IS MIDNIGHT RAXXAR by KURAZAMUKEIZU
こんばんは。ただいま12月28日水曜日の2時15分ですね。
午前2時15分です。
今日は早めの収録できてますね。
というのもおかげさまでですね、本日2022年の予定がすべて完了しまして、私以外の方との約束がすべて終わったっていうかね、なくなったっていうことなんですけどね。
仕事は今日と明日とね、もう2日くらいやりたいなと思ってるんですが、ちょっとねやり残したことというか、やりたいことがいくつかありましてね。
それで1日、2日、3日、3日に1日くらい休んで、4日に今日ですね、ワントレの予定が1本入ったんで、ここが多分仕事始めになるのかなというそんな感じですね。
そしてこの番組でもね、いつもお話ししてるように、グッドバイブスの中には今ここという重要なキーワードがありましてね。
過去と未来は頭の中で作り出した心象の時間に過ぎないと。
なんで私もなるべくこの今ここで暮らすというのを心がけているんですが、そうするとね、なんかこう後ろを振り返るとかね、あんまりやらなくなるんですよね、自然とね。
だから1年の終わりに今年はどうだったかなーみたいなことはほとんど考えたことがなかったんだけど、ちょっと今年はですね、なんかたくさんの人に出会えたなーっていうこの思いがね、ふっと今日湧き上がりましてね。
これで予定が全部終わったなーと思った瞬間に、いろんな人と会えたなーっていうね、こういう思いがぽーっと心の中から湧き上がりまして。
珍しくですね、ほんとに絶対やらないんだけど、いつもだったら、あの今年何回リアルイベントをやったかちょっと知りたくなったんですよね。
それであの事務局の矢部誠子さんにお願いすれば、もう瞬時に出てくるんで、ちょっと今年のリアルイベントを調べてもらえませんか?つって回数をね。
そしたらなんと、36回というね、ちょっと想像を、僕も想像を超える数がね、出てきまして。
うん、矢部さんの口からね、え?36回ってことは、12ヶ月だから、月に3本っていうね、まあこう慣らせばですよ、そういう計算になるんだーみたいなね、何やったんだろう?とかってこう思い出してみると。
グッドバイブス山脈の合宿っていうのが2回あって、それからかき上げ塾がね、結構な数あって、これあの6ヶ月単位なんですけど、5ヶ月で被るんで、ある月は1ヶ月に2回やるんですよね。
その3、例えば3期だったら3期終わりと4期始まりっていうのがね、同じ月に来ますんで、だからこれ14回ぐらいやってるんですよね、多分1年で。
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それからラクザシリーズというのを今年は始めましてね、ラクザライブ、それからボイストレーニング、そしてデッサン教室が8月でやっているね。
これに加えて、鎌倉のコバカバ、朝食屋コバカバっていうね、ウッポンさんという方がやってるお店で、ワークショップは何度かやったでしょ?
それで年末にトークライブやってみたらね、そんな感じかな。それで大体36回になるんですよ。
すごい数だなぁと思いながら、これね多分ね、年初に例えばね、今年は36回リアルイベントやるとかって計画を立てたらね、とてもじゃないけどできないなって感じがしますね。
もうその瞬間に集客どうするのとかね、そんなに人集まるわけないじゃんとかね、企画どうするのみたいな話が多分出てきて、おそらく36回やりすぎだよみたいな感じになるんですよね。
幸い、私は今年一切先のことはっていうかね、遥か遠くのことは考えずに、もちろんイベントなんでね、さすがに1月後ぐらいのことで、そこら辺は予定を立てないとできないんだけども、
多分2月先は見てないんですよね。1月先ぐらいにこれやりたいなって思いついたらやるみたいなことをどんどんやっているうちに、36回になっていたという結果としてね。
これはやっぱり後から振り返らないとできない数字かなという感じがしてるんですけどね。
ここでもちょっと珍しくね、写真が見てみたくなったんですよ。
私はもうこれ若い頃からそうで、なんか自分の写真を残しておくみたいな習慣がまるでなくてね。
だからおそらくそうですね、18ぐらいから32まで本格的にその音楽をやってた頃のライブの写真というのも多分ですね、10枚ないんですよね。
本当にそれも本当に一時期のたまたまなんかファンかなんかが撮ってくれた写真が手元にあるぐらいのもんで、全く残してないんですよ。
その記録というのをね。小中高のいわゆる子供の頃の写真みたいなものもほとんどない。
これも数えるほどしかないですね。
なわけで、私が多分普通にこのセミナーとかイベントとかをやると写真なんか1枚も撮らないんですよね。
だからそれがわかったんでね。さすがにそれだと例えばこんなイベントでしたとかってね、ソーシャルで投稿することもできないんで。
もう本当にこう闇に効いていきますからね。
さすがにそれは問題だろうって言うんで、何年か2年ぐらい前かな。
事務局の矢部さんに写真係をお願いして必ず写真を撮ってくださいと。
彼女も割と忘れがちなんですよね。
だから2人でああみたいな時もね、ありまして。
最近ではその全部のイベントが一応残ってるんですよね。
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それをアイクラウドに入れてあるその写真を全部ですね、あと1月から見てみたんですよね。
なんかもう今日は何時ぐらいかな。
5時ぐらいに予定が終わって、割とゆったりしてたんでさあ何やろうかなっていう時にそのアイクラウドの写真を眺めてみて。
そうするといわゆる集合写真っていうのかな。
みんなで撮った写真っていうのがすんごくやっぱり良くてね。
それをちょっと17枚ぐらいセレクトして今日はフェイスブックに投稿したんですけどね。
なんかねそれを見ながら僕はまさにこの番組でお話ずっとしてきたね。
これまで私がその絶望の淵にいつも行ってしまうその時に人間関係を壊しまくっていた。
まさにデストロイヤー、人間関係デストロイヤーだった自分というのをねちょっと思い出しましてね。
よくこの私がこれだけの皆さんとねこんな関係を結べるようになったなあというねちょっと考え深い感じがしてきたんですよね。
こう見上げてきましてね。
その投稿したね写真を何度も何度も見てるうちにね何人ぐらいここにいるんだろうとか思って。
かぶってる方もねいろんなイベントに複数参加してくださる方もいらっしゃるんでね。
いわゆる常連さんというかねありがたいお客さんも結構いらっしゃるんで。
そのかぶりを除いてね延べじゃなくて一体何人の人がこの17枚の写真に写ってるのかなという風にね数えてみたらなんと67人ぐらいいたんですよ。
でまあこれはざっくり数えたんでねかなりアバウトなんですがまあ60から70の間ぐらい。
でこれもその全部のねイベントじゃないですからね。
36回のうちの17回それも同じイベントで2枚ぐらい撮ってるのもあるからまあ10回か12回分ぐらいのイベント3分の1ぐらいですかね。
そこになんと60人から70人の方が写ってらっしゃると。
これもしかしたらトータルするとね100超えてるかもしれないみたいなそんな感じがありましてね。
なんとこれだけの人数の人と僕はつながりと関係を持てたんだな今年はっていう風に思うとねちょっと嬉しくなりましたね。
なんかあのだからといってこうなんつーのかなこうし自然にものすごくごくごく当たり前にね人付き合いができているかっていうとそんなことはないんですよね。
正直言ってこれはあまり人には言ってない話なんだけど。
やっぱりね今でもその僕のなんていうのかな心の片隅っていうのかね。
表面なのかな表面な感じがしますね表面にうっすらとねやっぱりその人間関係を壊しまくっていた時のなんか人嫌いっていうのかね人が苦手というかね。
なるべくその一人でいたいなぁみたいなそんな感覚のベールみたいなのがねまだ薄い膜としてね残ってるんですよね。
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これはなかなかやっぱりこの年になってもね取り切れないここがやっぱり難しいところなんですよね。
なんていうのかなやっぱりこの長年培ってきたねこのgood vibesを僕がその書き始めてこういう取り組みをして今ちょうど10年か11年ぐらいなんですよ。
だから人生で言うとねやっぱり5分の1はそうじゃない5分の4はそうじゃない感じで過ごしてきたのでねこの薄い膜が今でも張ってるんですよ。
そして一番僕がね苦手なのがやっぱり入りの瞬間なんですよね。
その会場に入るとそうすると事務局の矢部さんが大体いてで多くの場合はそのパートナーというかね佐々木さんだったりエフタさんだったり知恵さんだったりさつきーとかがいてくれる。
この入りの時に僕はやっぱりうっすらなんかこう話したくないなっていうかね話しかけたくないなっていうねこのなんかコミュニケーションを断絶したい感覚っていうのはねまだ今でも取れないんですよね。
めったにこのすっと入ってておはようございますみたいな感じになれないんですよ。
1年に何回かはあるんですけどね入った瞬間にもうなんかこういい感じでどうもっていうね最初の一言挨拶をするのにねやっぱりやっぱりねこうちょっとした抵抗があってねなんかこううつうつとしたこの感じになってるんですよね。
でそこでいつもやるのがねえっとこの人は体ではないっていうこの見方なんですよね。
体ではないなんだこの形のない心なんでもいいんですけどね心魂意識生命そういうその目に見えないその人の本質みたいなものねそこを一生懸命見に行くんですよ。
体を見るとやっぱり僕のここの薄いベールはねすごい抵抗を感じるいろんなことを思い出すんでしょうねきっとね一瞬のうちに人って嫌だなみたいなそんな感じがここを消すためにこの体に騙されちゃいけないって言ってくっとこうね体の奥にあるねその目に見えないその人の本質みたいなのを見ようとすると。
でそうするとこの嫌な気持ちがスーッと溶けていって自然に今日よろしくお願いしますねみたいな感じになれてそこからはもうこのいい感じ本当にgood vibesで接することができるでこれはその一人目のお客さんが入ってくるとかねそのあたりでも時々は起こるんですよね。
この時にやっぱり僕はその会場に入ってくる一人一人の顔を見ながら顔を見ながらこの人は体ではない一人ずつやっぱりやるんですよねそして一つ一つその心の中にアクセスしていく形のないものにね。
でそうすることによってもう私のねその悪癖というか人を怖がるそして人を嫌いになる人を攻撃したくなる全部自分の恐れや不安恐れや不安から発する怒りそこから自分の身を守るというねこのプロセスの中でやることなんだけどもこうならないように体を感化するって言うんですかね。
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見過ごすって書いて感化するっていう感じで2文字で書くんですけどもこれをいつもいつもやってきたなというそういう感じをちょっと思い出してね。
そしてその写真を見ながらもやっぱ写真というのは絵ですからね体が映ってますからこの体を見ながらね同じことをやってみたんですよねああこの人だこの人だっていうねそしてやっぱり顔とかねその体格とかいろんなその目に見えるものっていうのは自分の好き嫌いにやっぱ分かれますよ。
だからこの人はなんとなく苦手そうな表情をしてるなぁとかね苦手そうな顔立ちをしてるなぁとかね怖いなぁとかとっつきにくいなぁみたいなのはただただこう目で僕らの近くで捉えるとねそういうふうにやっぱりなってしまうんですよね。
でもそこをスッと通り越してこの写真の中でもこれは多分僕の頭の中にあるその人のねイメージなんだけどもそこからずっと心の中に入っていくとありがとう本当にありがとうっていうそんな感じにやっぱりなっていってね。
この写真を投稿したりその見たり振り返ったりしながらね私がなぜそのこの人間嫌いデストロイからねここになんとなくこの戻ってくることができたかっていうねそこをちょっと思い出しまして今日はもうあとラスト2回今年ラスト2回ねこの話はふさわしいかなとまさにグッドバイブスの真髄でありね私がその自分自身でまあ超えてきたって言ったら大げさなんだけど
克服してきたって感じかねそこのまあ大きなテーマでもあるわけですねうんだからまあ今日はねこの話をしようかなと思っています要はね私たちは体ではないっていうねこういう話まあものすごく受け入れがたいしえっとなんていうかなおかしな話にも聞こえるしねまあでも実際私は現実としてこれで何とかなってきたっていうのがあるのでねこれはやっぱりお伝えしたいなと思うわけです
どこから始めるかっていうとね2人以上のね人間がいたときにもしね体を見たら必ず優劣の意識が芽生えるはずなんですよねでこの優と劣優れてる劣ってるってねこの評価の基準っていうのはまあ時代とかねトレンドによって随分変わるんだけど
例えばねこのスタイルで見ると多分身長が高い方がいいですよねそして今ならやっぱり体重が少ない方がシュッとしてるって感じになるはずなんですよねこのもう単に身長と体重だけでもパッと見てねこの人の方がいいなとかねこの人の方が優れてるなっていう感じが湧き上がりますよね
でから顔もそうですねやっぱりね鼻が高くてこの顔もね最近はちょっとこのトレンドがねいろいろ昔と変わってきてね単にその美形がいいっていうわけではなくなってきてるんだけどもまあやっぱ例えば鼻が鼻筋がスッと通っててねで目はやっぱりちょっと小さいよりは大きくてで二重まぶたで私は一重まぶたなんでねえっと二重になりたいなーって高校生ぐらいの時から思ってたんですけどまあ二重の方がいいでしょうね
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それから頬骨もねなんていうのかこの下に行くに従ってぶっと膨らむよりはシュッと細くなっていってで肌の色はどうなのかななんかこれも微妙だけどもなんとかやっぱり色白の方がいいのかなうん
そんでそういうことが揃ってるとイケメンとか美人とか言われますよねそれから体ですからねこれ見た目だけじゃなくて運動神経とかねあとまあ音楽で言うと音感とかリズム感とかねそういうものもありますよね
もしかしたらここになんか手先の器用さとかそういうのも入るかもしれないねえっと絵が絵を描くのがうまいとかねそういうあのなんつーかないわゆる才能みたいなものが体に紐づいてるそれがある人はえっとクラスとかねまあいろんなコミュニティの中で結構簡単に人気者になれますよね
youtube でバッとそこは配信すればねあっという間にそのファンがつくみたいなまさに優劣の世界優優優れてるっていうそれからもう今今この現代はねえっとやっぱりこの頭の良さっていうのが相当でかいなって思いますね
知能が高い記憶力がいいね理解が早いみたいなねこういうものが揃ってる人はもう簡単に優秀と言われますよね
まあ要はその体で体を見て私と誰かを比べる2人以上の人間を比べればね必ずこの優劣というのができるわけですよ
まずはねそのあんまりその複雑に考える必要なくてここで一つね僕はあの大きな問いが生まれるだろうなと思ってるわけです
要は本当に私はこんな世界を生きていたいのかっていう問いなんですよね
頭の良さ運動神経そしてルックスそしてスタイルそういうものでね優劣これでおそらくこの優劣というのは今の例えばこの世の中で言うとその人の価値みたいな感じですよね
こういうものがその体の能力体の見栄えみたいなものが優れているそういう人は価値があるんだというこの世界で生きていたいかっていう問いなんですよね
まあでも仕方ないじゃんっていうここでちょっと置いといて私がなんですよ私の心の中でこの世界を生きるのは自分にとって心地良いのかっていうこの問いなんですよね
私はもうあのはっきり2つの理由でこれは絶対にノーというふうに断言しますね
こんな世界を生きていたいと思わないなぜならば理由はねいくつもあるんだけども大きく2つあるんですよ
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一つはこの体の見栄え屋根能力を競う世界っていうのかなここには必ずさっき言ったように除列が生まれるっていうねこれによってその上下ができてしまう
そうすると私は多分誰とも一つにはなれないんですよね
でまぁ一つになる必要があるのかっていうのはあるんだけど私はこれができなくて人間関係をデストロイしてきたので
僕にとってはやっぱりこの誰であろうと仕事の仲間であろうとね私のイベントに来てくださるお客さんであろうと一つになる以外ないなっていうこれが私の結論だったんですよね
でもこの除列がある世界ではおそらく一つにはなれないですよね自分より上の人一つにはなれない
そして自分が下だとこいつ俺より劣ってるなと思った人これこの人たちとも多分一つになれないですよねこれが最初の理由一つになれないから除列がある世界は一つ一つにはなれない
そして2つ目これはもう本当に残酷な話なんですけどねこの体の見栄え屋根能力っていうのは年とともに失われていくんですよ
必ず衰えていく特にルックスとかねスタイルはそうですよねあとはそのスポーツ選手がねある年齢に一達するとそんな若いのにみたいな年齢でもやっぱり引退をしなければいけないっていうのはやっぱりこの運動神経とかね体力みたいなものも年齢とともに失われていくわけですね
おそらく私は今どうなのかな60歳だからどうなのかなって時々思うんだけどこの頭の良さっていうのかね知力記憶力そして理解力みたいなものも衰えていくでしょうきっとね
それをなんか自分で自覚するその時が来るのがやっぱりものすごく怖いですよね
つまりこの体の見栄え屋根能力ここにねその自分のその優れている点みたいなものを見出した瞬間に多分私はもう絶対にこの世界でね平安を得ることはできないなとそんな感じがしますね
だってこれ年とともに毎年毎年衰えていきますからあの子供の頃はいいんですよどんどんどんどんその能力がね上がっていくのでね
でもおそらく僕の感覚ではどのぐらいかな22ぐらいがピークなんじゃないかなって気がしますよね
スポーツのジャンルによってはもっと低いジャンルもありますよね1516ぐらいでもうピークみたいなね体操とかフィギュアとかっていうのはそういう世界かもしれないなって感じがしますね
だからこの1点目と2点目1点目は一つになれないここにねこのこの優劣を見る世界に生きている限り一つになれないそして2点目はこの世界に生きている限り絶対に平安を得られない
だからここたったこの2点だけでもねそうかなんか自分を体と見てそして人を体と見てここを比べたり競ったりする世界っていうのはなんか全然僕らにその平安とか幸せをもたらさないんじゃないかなっていう感じがしますよね
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なんか僕がその人間関係を切りまくっていた頃もいつもいつもこの自分の見栄え能力みたいなことにねすごくやっぱりこだわってた気がするし誰かがやってくればねそれが仕事の仲間であれね結構大事なパートナーであれどっちが上なんだどっちがこの体が上なんだ下なんだみたいなことをね見ざるを得なかっただからなんか容易にその相手を攻撃できたんでしょうね
でこの問いだけでももう僕は十分だと思うんだけどもさらに踏み込んでみましょう
もしねそうだなここは嫌だなという風に感じたとしたらね一体僕らはその体のこの優位っていうのかなこの優れた部分を使って何を得ようとしていたんだろうっていうねこの問いなんですね
でもちろんすぐ浮かんでくるのはお金とか地位とか名声いわゆる成功ですよねこの体の能力が優れていれば今のこの現代社会では容易にその成功が得られそうな感じがする
でも僕はこの答えは本当の答えの象徴もしくは代替に過ぎない感じがするんですよお金や地位や名声というのはねあるものの象徴なんですよねそれは何かというと多分僕らがねこの体の優位を使って心の底から欲しているものは他の人から愛されることじゃないかなって思うんですよね
その愛された証としてお金が入ってくる特に名声とかそうですよね人気があるとかね今でいうとそのいいねがいっぱいつくとかねコンテンツが評価されるとかある意味その地位もそうですよねその評価者に愛されなければその地位は得られませんからねつまりこれは愛されたことのいわゆる象徴なんですよね
私は他の人から愛されたからこそお金や地位や名声が得られたんだ成功できたんだっていうね多分何でこれをやるかというと多分だけども僕らはね子供の頃幼い頃にね勉強とかスポーツとかあるあるその芸術とか音楽とかその絵画みたいなもの美術かなそういういろんなその競争の分野で自分が優れていないから愛されないんだっていう
すごい切ない経験をしたんだと思うんですよねこれはまず対象は多分親ですよ僕らにとってその親とはね自分がどうあれ例えばその勉強とかねスポーツとかそういうものでね何かこう優れた結果を残さなかったとしてもいつでもどんな状態でもどんな結果でも完璧に愛してくれる存在だっていう期待をやっぱ持ってるんですよね
それなのに例えば勉強ができなかったテストでいい点が取れなかったっていう時ねそしてスポーツでいい結果が残せなかったっていう時に期待とは全然違う反応をされたっていうね親は全くそんな自覚は多分ないんだと思うんだけど愛されてないんじゃないかっていうこの感覚を僕らは抱くんじゃないかと思うのね
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いやいや違うだろうと俺が100点だろうと50点だろうとお前にとって俺は愛される愛する愛すべき存在だろうとなのにこのなんでこの能力によってその評価の違いとか態度の違いその冷たい感じは何みたいなねこういうことを多分僕らは感じてしまうんだよね
これは完全に誤解だしまさに心象なんだけどね子供のね親は多分そんなことは一切思っていないんだけどもシチュエーションシチュエーションごとにここはちょっと頑張れって言っておいた方がいいかなみたいなねそういう采配を振るっているだけなんだけど子供は多分そうは思わないんですよね
ここで自分は愛されなかったっていうそんな感覚を抱くんだよね
でもその同じ子供がね自分がその親から別の機会にねその100%自分が期待するその完璧な愛というのを受け取った経験があるっていうのも知ってるわけ
だとするとこのこの親はその愛をね僕に向けるはずの愛を隠してるんじゃないかみたいなこんな感じなんだろうと思うのね
しかもこのこちらから見るとそれを表現してくれないということはこの私が見えるこの体の中にこの人はね僕にくれるはずの愛を隠してるんじゃないかっていうこんな風に見えてるんじゃないかと思うんだよね
当然そうなるとこの隠している愛というかね親が僕に本当は向けるはずのね完璧ないこの隠してる愛を自分のために表に出させようっていう試みをやっぱりするわけね
それがこの体の能力を使ってあなたは優れてるねってこの証明することそれをちゃんとこう目に見える形で表現すること
そうすればこの人はねかつて私に向けてくれたこの完璧な愛を隠していた体の中から出して僕に見せてくれるだろうなっていう風なそんな思いを抱くんでしょうね
これが僕はあるような気がするんですよだから一生懸命僕らはその体の優位というから少しでもその自分が優位に立てるようなものそれはどこだ
僕の場合は運動神経かもしれないいや僕の場合は運動はダメなんか芸術系もあんまり得意じゃないとルックスもいまいちかもしれない
だとしたらこれはもう頭の良さしかないよねみたいな感じでこういうパターンになった子供はね多分知力とか勉強とかにぐっと邁進するわけね
そして大人になるとここでその栄養としているものがお金地位名声みたいな象徴に変わるんだけどおそらく元の元をたどっていくとそれはやっぱりこの自分の親がねまるでその体の中に隠しているかのように見える
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この自分に向けられるはずの完璧な愛をね取り戻すことっていうのかなもう一度表に出させることっていうこれが一番の目的だ目的なんじゃないかなって私は思うわけですね
でえっと同時にねここでやっぱり面白いことがいくつか同時に起こっていてなるほどとつまりねこの愛というのはね
そう簡単にイヤセンスを出してはいけないものなんだと自分から見てこの人は優れてるなって思う人に向けるものだから僕もじゃあ隠しておかなきゃダメなんだなとこれをね誰にも彼にも愛してる愛してるなんて言っちゃいけないものなんだなと
そうかそうか結果が伴った時にねうわすごいこの人は優れてると思った時にこの僕の中に隠れている愛を出していいっていうねここで僕らにとってのね体というのがもう一つの役割を担うわけねこれは愛を隠しておく場所ってことなんだよね
それと同時にじゃあこれはどんな人に渡せばいいのかって言ったらこれはもう完全に特別な人ですよ特別な人が現れた時に私はこの愛を隠しておいた体の中からその人に差し出すんだみたいなことを決めるわけね
でじゃあその特別さっていうのはなんだこれがやっぱり体を見て決めることなんだよねルックスであったりスタイルであったり能力であったりね頭の良さであったりそういうものを見て決めるんだなってことを学ぶ
学ぶというのかなこう排徳してしまうんだよねここに何かこの性格の良し悪しみたいなのがねあるじゃないかって思うかもしれないんだけどじゃあ僕らはその性格の良し悪しを何で判断しているかって言ったら言動であるはずなんですよ
この言動っていうのは体の表現なんですねえっと僕らの心というのはそのままストレートに表に出るわけじゃないこの番組でもお話ししてきたように元の形は恐れや不安だったそれが怒りに変わり罪悪感に変わりその怒りのある種の怒りはね正当な形に変わりお行儀の良い形に変わる
だからこの体から発せられている表現というのは決してその性僕らが思っているような性格とか心ではないんですよねだから実は僕らが言うとこの性格が悪いとか性格がいいっていうのも体に紐づいているわけね
その親に対して優れていないから愛されないと思ったその感覚と全く同じなんですよ性格というのもね私のこの表現が優れていないから愛されないっていうね体に紐づいているわけねこれ心を見てるわけじゃないんだよね
だからその隠してしまった愛を私が出す相手というのはこの体を使ったある種の表現能力それが優れている人それを特別な人と僕らは見るわけねこの人が現れた時には出してあげようと
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そして一方で自分もそれを得なきゃいけないだからこの体の能力を一生懸命使って優れているということを証明するんだというこの2つを両方やるわけですよね
なんかこういった感覚を整理してみるとまさに僕らが抱いているこの愛の感覚の愛の扱い方からそれとその体の目的みたいなものがここになんかズバッと僕はハマるような感じがするんだよね
これもまさに私がその人間関係をうまく構築できなかった大きな要因ですよね
私はいつも愛を隠しているそして人を見る評価する何で見るか体の能力ですよ頭がいいかセンスがいいかセンスも多分体なんですよね
表現で決めるわけだからだから僕らがその目に見えるものはその人が何を表現したか何を言ったかどんな行動をしたかですよね
これはすべて体が行うことなんですよそれがどんな風に振る舞いどんな結果を出し何を作れてどれだけのことを結果アウトプットを出せるかみたいなね
すべて体から出されるその表現体に紐づいた能力見栄えなんですよ
これを僕はいつもいつも一人一人ね細かく見て判断してあこいつはダメだあこいつはすごいこいつはいいねみたいなことをねやってたわけですね
だからあの矢部さんがねよく言うんだけど彼彼女はね僕がその大学の時に入っていた音楽サークルの後輩でね2年後に入ってきて知り合ったのが彼女が18で僕が20の頃だから40年前なんですよね
そこからずいぶんと何十年も会ってなかったんだけどもその頃の僕のね口癖っていうのを彼女は知っていてね
だっせーっていつも言ってましたねって言うんですよねこれが私のその評価なんですよ
だっせーかかっこいいかどっちかしかなくて僕が体の中に隠した愛を出してあげられるのはかっこいい人だけ
だっせーと思った人には絶対に出さない
そしてこれがものすごく立ちが悪いことに人っていうのはねずっと同じような表現同じような言動をするわけじゃないんでかっこいいと思ってた人がある日突然僕にとってはだせーに変わるんですよね
このたんびに多分僕はその人を攻撃し関係を切っていたっていうことですね
まさにここにその原因があるということ
そしてこのねえっとさっきの問いを整理するとね
なぜ僕らはねあ違う体のこの優位を駆使して僕らは何を得ようとしていたのか
その答えは他の人から愛されること
これは原初の思いとして親子の関係の中からたぶん培われてきた渇望感というのかな
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そういう感じ理由は自分が優れていないから愛されないと思ってしまった
そして愛されるために人の優位に立てそうな自分の体の能力を磨いて
少しでも愛されることを人が隠しているその愛をね
自分のために出してもらえるように頑張ってきたわけですね
でもじゃあ振り返ってみるとそのプロセスで何を僕らはやってるかってことなんですよね
これはもう優劣を競う世界であれば一つしかないんですよ
他の人を見下ろせるもしくは見下せるところまで上に登るってことですよね
そういうトライであるはずなんですよ
じゃあその競争に勝ったとしましょう
やったぞと俺は頂きに立ったぞと
この体の能力を駆使して愛される存在になったぞと思った時に
じゃあ一体誰にね
さあこの頂上に到達した私を愛してくれって言うのかっていう
これが最後の問いなんですよ
愛されたいから能力を磨いて優位に立ったと
もう頂きにいるよ俺はと
さあこれなら愛せるだろうって言った時に周りを見渡した時に
誰にそれを言うのかってことなんですよね
例えば自分がKOとしてこいつはルーザーだと思った人たちなんでしょうかね
あるいはクラソロさん確かにあなたの方が私より優れています
もう認めますと
私はあなたよりも本当に遥かに劣ってますと
そんな風に認めさせた人たちなんでしょうかね
もうこの戦略がどれだけ矛盾してるかっていうことなんですよ
しかもじゃあ自分はどうだかっていうとね
その隠してしまった体の中に隠してしまったこの愛をね
そう簡単には出さないわけですよね
そうしておいて自分が上に立ち下に見た人たちに向かって
さあ俺は優れし者になった
さあ愛してくれってこれはどう考えても矛盾してますよね
だからこの試みはおそらく失敗するんだと思うんですね
私も失敗し続けてきたんだと思うんですよ
そしてさっき言ったね残りの唯一のその望みというかね
いやでも特別な人が現れてくれるはずだと
そうすれば私はこの隠してる愛をね惜しみなく出すと
だから早くその特別な人を私の前に現れてくれって思うんだけども
でもその特別さを私はやっぱり体を見て決めてるわけだから
基本的にはこのね今言ったその矛盾した戦略からは一歩も抜け出してないんですね
しかもこの体にとって愛されるというのは
どこまで行ってもその能力やスペックを評価してもらえるということだからね
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見栄えとかね能力を評価してもらえるということなんで
基本的には得る受け取るの一方向にならざるを得ないんですよね
だからなんとなく来た特別来たみたいな感じで
お互いに私たち特別だよね
よしじゃあ今までねこの隠しておいた
その自分より劣ってるものには決して出さないと決めていたこの愛をね
お互いに交換し合おうとかって言って
一時期はものすごくいい関係になるのかもしれない
ガッと燃え上がるようなね
でもさっき言ったようにこの体の能力は衰えていく
ルックス見栄えも衰えていく
その相手を見ながらねあれ約束が違うんじゃないのと
この人は一生私にとって優れたものであったはずなのに
っていうねこういうことが起こりますよね
そして年を取るたびになんとなくその最初のね
この人特別だから愛を隠しておかなくてもいいと思っていた相手が
だんだんだんだんそうじゃないんじゃないかっていう風に見えてきて
そして同じようにやっぱりこの人にも
この愛を見せない方がいいんじゃないかって言ってまた隠すというね
ここにおそらく戻るはずなんですよね
だからこの特別な関係という僕らにとってのね
最後の一末の望みとかっていうのも
まあもしかしたら稀にうまくいくケースはあるのかもしれないけどもね
多くはこのままではきっとうまくいかないんじゃないかなと思います
だからまずはですね
その原初の経験であるね
その親が自分に完璧な愛をくれなかった
その理由は自分が優れていないから
だからこの肉体を使ってね
体を使っていかに優れた結果を出すかっていう
このトライをもうやめるってことですよね
そもそもこれ誤解だったなとこれでいいと思うんですよ
親がどんなこと何を考えてたからは多分一生わからない
おそらくこの年になってね
母さん父さんあの時さどう思ってたの
愛してくれてたのって聞いたとしても
さあどうかねぐらいの返事しか多分返ってこないと思うんですよね
だからそんなものをもうそのなんつーのかな
この自分の人生のね
ある種のものすごく多分無意識のうちなんだけども
もしそういうものがあるなぁと思うんであればね
そこともう決別するってことですよね
そんなものはもう僕の思い違いに過ぎなかったと
そしてこのこの戦略の中にいる限り
どう考えても矛盾しているから
愛すことも愛されることもきっとないんだろうなってことをね
しっかりとやっぱり認識するってことが大事かなと思うんですね
多分私たちが思うほど
僕らの体にはね意味はないんですよ
そして意味があるとすればさっき僕が最初に挙げたようなね
2つの気持ち悪いことが起こる
序列が現れ一つになれない
そして必ず衰えていくという恐れや不安の中でね
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永遠に平安は得られずに
多分人生の終わりを迎えることになるんですね
しかもその終わりに近づけば近づくほど
僕らはこの能力を失っていくわけでしょ
つまり年を取れば取るほど
愛されない存在になっていくわけじゃないですか
そのように感じることも
おそらく珍しくないはずですよね
だからここでまずはその愛の定義というのかな
僕らはねおそらくね
物質を真に愛すことはできないはずなんですよ
物をね
さっき言ったように物は多分この象徴代替なんですよ
本当に欲しいものは形がないものなんじゃないかなと思うわけ
なぜならばね僕の定義です
これはね愛とは完全に対等で一つである関係そのものだと思うんですよね
そしてこれは行動ではないんですよ
愛するとか愛さないとかねそうではない
そして当然ですけどもね
それはその体の中に隠しておけるようなものでもない
これは私にとってはね
まあ状態という言葉があまり良くはないんだけども
もうそう呼ぶしかない感じかな
I'm loveってことなんですよね
私は愛であると
これがお互いに私は愛である
あなたも愛であるという時に
完璧に対等で
そして一つである関係というのが生まれるはずなんですね
でもこれまでお話ししたように
体を見れば必ず優劣とか準劣が生まれますよね
この感覚から僕らは逃れることができない
いくらそこを見ないと言っても
体っていう風に相手を見出した瞬間に
自分とその人の優劣は確実に生まれるんですね
そして重要なのは
最も重要なのは
私とあなたの体は
永遠に一つにはなれないんですよね
これはものだから
それができるのはやっぱり形のない自分なんですよ
これしかいないと思うんですよね
そしてもし私が
誰かとその愛の関係を結べるとしたら
それは自分が形のない自分になった時ですよね
この形のない自分を心とか思いとかね
あるいは僕がよく言うような意識とかね
それから生命あるいは魂みたいなね
何と呼ぶかっていうのはあるんだけど
そこはあんまり重要じゃないと思うんですね
そうじゃなくて
多分これは視線なんですよ
見方
私とはね
全ての人と対等で
誰とでも一つになれる形のないものであるという風に
自分をまず見るということですよね
そして同じようにその他の人をね
全ての人で人と対等で
誰とでも一つになれる形のないものなんだな
この人はっていう風に眺めるということです
これができた時に
多分僕らは本当に欲しかったもの
つまり愛されること
そして愛すること
これは多分同じことなんですね
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形のない愛にとって
愛するも愛されるも全く同じなんですよ
行動ではないですからね
I'm loveだから
だからこの話はね
その愛しなさいとかね
愛されなさいみたいな
その行動にしてしまうと
絶対におかしくなってしまうんですよ
そうではない
これは多分見方なんですよ
見方だけで大丈夫なんですね
私とは全ての人と対等で
誰とでも一つになれる形のないものである
あなたもその通りであるという
この視線というかね
この見方さえできれば
もう愛であるかどうかとかね
愛しているかどうかって
そんなものは意識しなくても
完全に対等で一つである関係ができるはずなんですね
これを私はですね
最初にお話ししたように
多分今年あらゆる人にやってきたんだと思うんですね
もちろん最初はこうじゃないですよ
その前の段階で
この体を自分と捉えてね
そしてどう見られているんだろうか
私は能力があるものとして
この人たちに見られているんだろうかっていう
そういうことを気にしながら
会場に入っていくわけね
その時に薄いベールが
クーッと僕の前に立ちはだかるわけ
そのベールとはおそらくですね
私の中に隠している愛を
出さないようにするベールなのかもしれない
これを一枚グッと剥ぎ取りながらね
いやいやいやいや
また俺は人を体と見ていたと
自分自身も体と見ていたと
これでは絶対に一つになれないし
絶対に対等になれないんだと
これはいずれデストロイする関係
特に僕にとってはそういうものになってしまう
だからこのベールをグッと剥がしながら
体を見るんじゃないと
これは私たちにとっては
そのなんていうのかな
まさにこの愛を隠しておく
砦のような使い方をしているものであってね
ここには何もない
特に意味はないんだと
そこを通り越して
形のないこの人を見たいなと
私自身もそのように見たいなということを
多分やってこられたんだと思うんですね
これが難しいか簡単かはね
まさにこの今日お話ししてきた
体をどんな目的に使おうとしているかで決まるんですよね
これを自分が愛されるため
評価されるため
何かを得るために使おうとすれば
この私が今日お話ししていることは
とても難しいどころか不可能ですよね
これを両立することはできない
だってここに何らかのメリットなのを感じているわけだから
メリットなの
その使い道みたいなものをね
僕はこの番組でもお話ししたように
体は形のない自分が使う素晴らしい
かけがえのない人生に一つしかない道具だと思っているんですね
だから目的は3つでいいと思っています
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この3つに目的を絞れたら
僕はこの試みはね体を感化して形のないその人を見る
形のない自分を感じる
これは難しくないと思うんですね
目的によるんですよ
じゃあその3つの目的は何かというと
一つは私のこの思いを表現するための道具ですね
これはまさに私がコンテンツを作って
文章を書いたり
今まさにこの声というね
体の一部を使いながらお話をする
そうするとポッドキャストという番組ができる
まさに自分の思いを表現するため
これが第一の目的
第二の目的は他の人と一つになると言ってもね
形のない自分が一つになると言っても
私の考えていること
この思いみたいなものは見えないんですね
そして聞こえない
だからこれは相手に伝えなければいけない
つまり第二の目的は他の人と他の人とコミュニケーションをする
そのための道具ということですね
最後に三つ目
他の人に自分の持っているものを与えるためです
この与えるものは与えてもなくならないものに
おそらく限定されるはずだからね
お金とか洋服とか何でも持っていっていいよ
みたいなものはおそらくできないはずなので
形のないやっぱり与えても
どれだけ与えてもなくならないものなんですよ
まさにその形のない自分ということですね
この中におそらく知識だとか思いだとか
そういうものが含まれているんでしょう
自分の思いを表現するため
他の人とコミュニケーションするため
他の人に自分の持っている与えてもなくならないものを与えるため
この三つに限定して
これだけしか体には目的がないんだっていう風に捉えられれば
いつでも形のない自分というのでいられるはずだし
自分の周りにいる人たちを形のないその人だという風に
見ることができるんだろうなと思います
だからいくつかハードルがあるとすれば
まずは子供の頃に完璧に愛されなかったというこの経験
ここをどうにかするということですよね一つはね
そんなものは自分の思い違いだったみたいなことなのかな
そしてそこから発せられたいくつかの
誤解に基づいた僕らのすごく矛盾した戦略
この体の能力を使って愛されるための結果を出そうとする試み
そしてそのように自分がやっているんだから
当然だけども私のこの愛もそういう能力結果をね
能力を持って結果を出せた人間にしか渡さないぞというこの隠している感じ
そしてこれを渡せる人は特別な人だけなんだみたいなこの感じ
このあたりが多分ハードルになるんですよ
そして最後にこの今言ったようなことすべてね
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これを体に体の目的として捉えるという
このあたりがなんとなくでもこれじゃ絶対向きがないしね
これじゃ僕が本当に欲しいものは手に入らないよねっていうところに納得できたらですね
少なくともそのように見てみようという風にはなれるんじゃないかなって気がします
まあこのあたりをですね頭の片隅に置きながらね
この冬休み年末年始にまずおそらくその親しい人というかな
気のおけない家族とかねそういう人たちと過ごす時間が多いと思いますんでね
まずはこのやりやすい人たち
ここもねあの実は差なんか全くないんですけどね
体さえ見なければね赤の他人だろうと血のつながっている人だろうと
何の代わりもないんだけどね完全に等しく一つなわけだからね
まあでもあのやりやすいと思う人からこのトライをするのが一番いいかなと思いますね
成功する確率もきっと高くなるんでしょ
だからぜひぜひねあの大切なご家族恋人それから親友みたいなね
本当になんか大好きな人たちを相手にね
この体を感化して形のないその人を見るこのトライをぜひやってみてください
そんな感じですかね前回もお知らせしましたけども
あの私のワンオーワントレーニングワントレーツのじっくり12チケットっていうね
たっぷり12回のセッションを盛り込んでお得な価格で提供しているプログラムがあるんですが
これをですね引き続き今日もクーポンコード
このポッドキャストのそのタイトルですね
ミッドナイトラクザっていうのをお申し込み欄のですね
質問とかあったら書いてくださいみたいなテキストエリアがあるんで
そこに一言ミッドナイトラクザと書いていただければ
1万円オフというねこのポッドキャストリスナー限定のキャンペーンを今やってますんで
1名様お申し込みがありましてあと2名様かな
までは受け付けられると思いますんで
よかったらこの年末年始にご検討ください
それでは今日はですね
もう本当にその体にまつわるいろんなもの体に変な目的を持たせずにね
これは私たちの素晴らしい道具さっき言った3つの目的に使ってください
そしてまずはですね身の回りにいる人たちのこの体をね
くっと感化してね体の奥底にある形のないその人っていうのを見るようにしてみてください
そしてそれができたらなんとなく私もそうなのかもしれないなっていう風に自分を見てください
そうして愛とは得るものではなかったんだなっていう感じでね
いい一日をお過ごしくださいありがとうございます
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ん
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