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  2. 023 すでに特別な僕らは特別に..
2022-09-09 40:26

023 すでに特別な僕らは特別にならなくていい

F太さんとの執筆講座で、受講者の原稿に赤入れをしているとき「特別」という言葉が浮かびました。なぜ私たちは特別になろうとするのか? それは本当にいいものなのか? そんな話をしています。番組でお知らせした明日の「ありのままを見るデッサン教室」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20220910.peatix.com

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グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは ただいま9月9日金曜日の3時43分ですね
今日もそうなんですが、この数日はエフタさんと始めた1ヶ月の執筆教室で、あれの構成に追われてまして
もう赤入れまくりの日々を送っております まあなんていうのかな、こう書くのが皆さん結構私が想像してたよりも早くてですね
追いつかないんですよ、なかなか 溜めたくないんですけどもね、どうしてもやっぱりお2人3人とね
まだ構成が終わってないっていう状況を見るとですね discord っていうサービスを使ってやってるんですけどね
あのタイムラインにこう1つ2つ3つと原稿が溜まっていくその感じがね
なんていうんですかね、こうMな感じなんですよ、やっぱね 決してSな感じじゃなくて、おーきた、おーきた、みたいな
でまぁ日中いろいろ仕事がありますんで、やりたい気持ちは山々なんだけどもすぐに手が付けられないと
お待たせしてるんじゃないかなと、やきむきさせてるんじゃないかなみたいなね そういう心象も働きまして
まあそういうのは振り払っていくんですが、まあでも大変なんですがね 何とも言えない楽しさがありましてね
というのも一方の佐々木さんとやってる書き上げ塾の方ではですね 初回の講義で必ずその表現とは何か
もっと言うと本とは何かっていう話をするんですね で私の答えはその書籍本っていうのはね
人生を共有するためにあるんじゃないかなっていうふうに説明してるんだけど 要は私一人だと私一人分の人生しか送ることができない
でもそこに別の人の書いた本を読むことでね、その人の人生を体験することができるみたいな そんな感覚が僕の中にはありまして
なんかその人を生きているっていうかね まあこれがいわゆるそういうことを書かれた本じゃなくてね例えば自伝とかね電気とか
そういうもんじゃなくてその人の考えを述べた本であったり まあ場合によっては単なるハウツー本でもね
なんかその書いた人がこの人携帯電話詳しいなぁとかね じゃあきっともういっぱい買って
昔からね若い頃からずっとこの道を極めてきたんだろうなぁみたいな透けて見えるっていうかね 透けて見えるってあんまいい言葉じゃないのかな
浮き上がって見えてくるみたいなね そういうのを垣間見た瞬間になんか一人分の人生得したなぁみたいなそんな感じになるんですが
これをだからその表現とプラスしてね だから表現する方はその人生を表現しているわけだから
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なるべくその変な理由でねこれを言ったら馬鹿にされるんじゃないかとかこれを書く のは恥ずかしいなとかね
雑念みたいなものでその出そうとするものを止めないストッパーをかけない あなたの人生をみんな読みたいと思ってるんですよみたいなねまああの簡単に言うとそんな
風な説明をしてるんだけど で今回その20人ぐらい参加していただいた半分の方の約ね半分が構成終わったんです
がということは私は10約10人ぐらいの人生をね 一緒に生きたことになるわけですよでこれは本当大げさじゃなくて特にね読むだけじゃ
なくて構成をしていると 一般論的なねなんかこう普通はこうしますみたいなやつはなるべく僕は入れたくなくてね
それそういうのはまああの文法的なその問題とかはそういうふうに入れるんだけども どちらかというとこの人は何を表現したいんだろうっていうところにまずこう入って
いくんですね そしてその人の描き出したい世界をよりリアルね鮮明にね
描くためにはどうすればいいかということを考えながらこう赤入れをするわけですよ その瞬間僕はその普通に本を読む読者としてよりも多分その筆者の中にグッと入って
いくんでね場合によってはその人と一体にならないと答えが出ないみたいな ケースもあるんですよね
一つの言葉を選ぶときに どちらでもいいどちらでもいいとしたらこの人だったらどちらを選ぶ方がいいんだろうみたいな
そういうシミュレーションなんですけどねあくまでねそれをその赤入れの中でやるわけです だからより一層こう一緒の人生を歩む歩むというかね
場合によってはね本当にねくーっと心の中にその書かれていることの痛みだとかね 苦しみだとか悩みだとかね
場合によってはその反対の楽しさとかね ワクワクドキドキみたいなものが伝わってくるんですよ
そういう9人分10人分の人生を経験させていただいていることがね 私は今この仕事をやっている一つの大きな喜びだなというふうに感じていますね
でそんなことをしているとね あの使い古された言葉がやっぱりどうしても頭に浮かんでくるわけですね
なんかこう軽々しくこの綺麗事みたいな感じで僕はこの言葉を口にしたくないんだ けどもやっぱり全ての人が特別だなって感じがするんですね
特別なんですよ うまい下手とかなんかその文章の上手さみたいなね
そういうのってねなんかねあんまりどうでもいい感じがするんですよ それよりもこの構成して一緒にね赤を入れているこの共同作業をしている中では
この人は特別なんだなっていう感じの方が僕にはこうひしひしと伝わってくるんですね 誰とも違うみたいな
しかも今回はあの実際に会ってお話ししたことがある方が一人しかいなくてね 今構成が終わっている方ですね残りの9人は
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実際にはその確かズームで初回の講義であのお目にかかってるんですがお顔も拝見してるんですが 私はいかんせんその顔と名前を一致させるのがものすごく苦手でして
すぐに忘れてしまうんですよだからもうその僕の中にはその顔がないんですね その人が
実態として浮かんでいない だからその文章だけしかその手が手がかりはないんだけども
そこからねやっぱりこう特別さがちゃんとこう伝わってくるんですよね そうでなければ多分ねそれほどなんていうのからそのプロのライターでない限り
文章を使ってそんなに自分のことを表現できてるっていうレベルでは多分ないはずなんですよ でもそういうとは全く別の次元でちゃんと9人分のキャラクターがしっかりと立って
入ってくるんですよ私の中にこれをそのやってそのそれを実感するためにね 私はそのいつもすべての人が特別であるとだから特別になる必要はないって
いうことをねグッドバイブス勉強会だとかセミナーだとかね ブログとかでお伝えしてきたんだけどもそれを改めていやこれは多分間違ってないぞって
いうねこの実感を得るわけですね確信を得るわけですね つまりすでにあなたは特別なんだとこれはもう多分生まれた瞬間からそうなんですよ
うん私がそのすべての人は価値マックスであるとこれと同義ですね 価値マックスでありそして
80億の違いと個性を持って生まれてきているその上価値マックス つまりあなたはスペシャルですよということなんですね私ももちろんスペシャルなんですよ
まあこれがだから前回もねお話しした 社会的価値とか競技とかねそういうものと
ごちゃごちゃがきっと混ざってしまうといやいや何の実績も残してない奴は価値ない じゃん特別じゃないじゃんっていう議論になってしまうんだけど
だから今日はねちょっとこの特別についてお話ししたいなと 結論はさっき言いましたけども全ての人がすでに特別なんですよ
だから何も特別になる必要はないっていうこれが私の結論なんですね じゃあ実際その僕らはそんな風に生きてるかつたらたぶんね私も含めて私もつい油断すると
この欲が出てくるんだけど場所の人より頭一つ抜け出ていたいなっていうこのなんか 不思議な欲求があるんですよね
これは何だろうなっていう おそらくだけども僕らはですね多分2つのなんていうのかな自分のこう
年をとっていく過程でね何が起こっているかっていうことについて2つの見解が多分 存在するんだろうなって思うわけです
一つは私がグッドバイブスで言っている生まれた時から価値マックスで生まれた時から 価値マックスでその価値は基本的にその
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この社会の中でね競技とかゲームの中で負けようと何しようと変わらないっていう 一つのこの見解ですねだから死ぬまでずっと変わらない
マックスのままグラフでいうとマックスの上で直線がすると伸びているだけです 0歳からね人生が終わるまで
これはまあどちらかというと実感しているというよりもそういう考え方はあるよねと 僕が多分言ってるだけだったと思うんだけど
一般的には多分そうじゃないはずなんですね ここに生産性という概念がやっぱ入ってくるんですよ
となると0歳の子供は多分最も生産性が低いですよね 何も生み出すことができないお金も稼げないし誰の役にも立たない
まああのその親は親御さんにとってはね いてくれるだけでいいってこれがだからその価値マックスの方なんだけども
しばらくした年をとってまあ小学校ぐらいまで行くとちょっとここがここに何か別の その別の線が入ってくるわけですねそれが
赤ん坊の頃は生産性ゼロでいろいろ学んだり勉強したり そのいろんな技術を身につけたりするにしたがって僕らの価値はこう右肩上がりに上がって
いくっていうね 成長思考ですよね
成長志向で見ていくとやっぱりその結果を残したり実績を残したりね しない限りその僕らの価値はこう上がっていかないんですよ
でまぁ一生懸命一生懸命その まあ子供の子なら受験でしょうねやっぱ受験とかもしかスポーツなのかな
そちらの方を選ぶ人がね大会でたり受験をしたりして結果を残しながら合格したり 勝ったりしながらこう右肩にずっと上がっていきそして社会に出てそれを使ってまた仕事の
中で地位とかね役職とかそれから売り上げとかそういうものをあげながら さらに勝ち続けながらこう右肩にグーッと上げていくっていうね
でこの世界の特徴はいくつかあるんですよ一つは まず差が出るってことですね
私が言うとこのマックス天井でポンと張り付いているグラフはずっと真っ直ぐなんで 差が出ないんですね誰のグラフを重ねても同じ線がずっと惹かれる
でもこの右肩に上がっていく線は 重ねるともうバラバラになるわけですよ
そしてここに順列ができるわけですね 価値の高い人と低い人っていうのができると
まあこれが多分今の僕らの世の中をねまさに表している図式でもあるんですよね これでも世の中を表しているというよりも僕らのものの見方を表しているっていう方が
正しいですね そういうものが現実としてその繰り広げられているっていうのはそれをどう見ているか僕らがって
いうことですねだからこの線というのは心の中にあるわけですね 多分
でこの線は差が出るんですよ そして次の特徴2つ目の特徴は
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右にずっとは多分上がっていられないなぜかというと僕らは年を取るのでね 体力も知力も気力も衰えてきますわね
そうすると多分60歳の私はもうグラフが右に上がりきってずいぶん立って下に下っている それが156年多分経ってるみたいなそんな感じなんですよね
だからこう山のような線を描いていくことになるわけですね そしてもう一つこれもしかしたら順番が2番目に言ったほうが良かったかもしれないんだけど
その右肩に上がる直線というのはおそらくですけども ずーっと右に上がってる人ってのはおそらくいないだろうと思うんですね
やっぱり上下しながら直線には多分ならないんですよ曲線で上がり下がり上がり下がり 上がり下がりまあ v 字回復を繰り返しながら右にだんだん高全体として上がっていくみたいなね
つまり落ちる時があるってことですこれは予期せぬ失敗であったりね 前回お話しした
なんかいきなり1回戦で優勝候補とぶつかるみたいなねそういう時の運によっても左右するし あと例えば不良の事故だとかねなんか長い時間入院するような病気になった場合もここの線は
右に分右に上がるんじゃなくて下に下がっていきますわね この3つの特徴を描くこの成長志向というのが気持ちいいかどうかっていうこの問いなんですよ
つまり人と差がついた方がいいのかとねさがつくんだったら上にいた方がいいだろうしね まあだからその上に勝ち続けてずっとその自分がその
グラフで言うといつもいつも線が上にいると私の下にはもうウゾウムゾの人たちが私の下で 蠢いているとこの感じが気持ちいいかってことですね
それからある年を減る年に達するとですねどうしても右に上がっていたものが下に加工して くるんだぞとつまり僕らは人としての価値を失いながらこの人生を置いておいていくっていうね
まあこれもなんかそういうふうにやっぱ見えるよねってこう世の中見渡せばね なってますよねこれが気持ちいいかどうかってことですね
そしてそのまさにルーザーになる可能性があるというね この世界これが気持ちいいかっていうまさに全部気持ちいいからですね
私はものすごく気持ち悪いなと思います その一番やっぱりやるのが一番目ですよね
順列が出てきてくるっていうねでこれはおそらくですけど競技別なはずなんですよ ある仕事ある競技あるスポーツとかで順位が出るのはそれは仕方ない
でしかもそこに自分が参加しているわけだからね それはもう覚悟するしかないんですよ
誰々の方が営業成績が上だとかね誰々の方がより売れる企画を出しているとかねそれは 当たり前ですよ
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そのでもその一つのビジネスというね仕事という競技で順位が下だったら 私の人としての価値も下がるのかっていうことなんですね
でこれはやっぱちょっと受け入れがたいなという感じがします 自分もそうだし自分自身に対してもそうだし
僕の周りにいる人たちをそのように見るというこの視点がね ものすごくやっぱ気持ち悪いですよね
つい昨日まではねもう同じ価値だと思って肩組んで歩いてたんだけど 翌日の試合で私は勝ちその友達は負けるっていうね
お前俺と価値が随分離れたなぁなんていうね これもだから1回の試合だったらそんなことはないだろうけどこれ2年3年続くと必ずそうなるんですよ
やっぱ なんかこう同じぐらいのレベルで勝ってないとなんかその飯も食いに行かないとかね
そんな感じにやっぱなるっていうのを僕は何度かやっぱ人生の中で経験してるんですよね だからみんな特別になろうとするんですよ
やっぱこの グラフで言うとやっぱり1個抜きに出ていて欲しいと
自分がね なんでそうするそれがいいのかなっていうのはねなんかちょっと実はその理由を考えると不思議
なんですけどね だってその同じ線で同じ成績残してる人がいっぱいいたって
多分ちっとも問題ないはずなんですよ だった手にする給料とか何も変わらなければね
だからそれそういうものと何かを得るっていうものとは違う 別の何なんか僕は動機がある感じがするんですよ
である方がねこれかなっていうのを言ってくれたねその私は特別になりたいってこう いつも言ってる人がねどうしてそんなに特別にこだわるんだって言ったらね
例えばほらあの 地球がね温暖化で住めなくなって
イーロンマスクかなんかがその火星移住計画とかやってるじゃないですか あれができましたと1万人です最初の移住者
そうすると80億人の中から1万人が選ばれるわけですよね その時に特別ないとそのスターシップに乗せてもらえないんじゃないかっていうね
これを結構本気で心配されている方がいらっしゃって うーん
なんかこんな感覚っていうのがねこう 僕らの心の奥底にずーっと残ってるのかもしれないですね
どんよりとね なんか知んないけど理由はよくわからないと今の社会を見渡したらそれほど特別でなくても
なんとか生きていけるんだけどそのうちものすごく特別じゃないと 特別な人だけしか生きられない世界がやってくるんじゃないかみたいな
恐れや不安があるようなちょっと気がするんですよね でこれが
例えばその今で言うとねあのインスタグラムの映えとかね あの森とかねあの辺に結構実は反映されているような気がしてならないわけですね
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なんかソーシャルメディアってもともとそういうもんじゃなかった感じがするんですよね まあこういう時にもともと論とか言うとすんごい年寄り臭いから
僕はあまり嫌なんだけども でもなんか2009年あたりにねツイッターフェイスブックとかがポンと出てきた時に
もうちょいなんつーのかなこう さっき僕が言ったね人生を共有するみたいなね
あこの人こんなこと言いましてらスタバナウとか言ってた頃ね スタバにいんだみたいなね
自分とは違う人が違う場所で違う人生を営んでいるそれを共有しながら楽しむみたいなもう ちょっとこうほんのりしたイメージがあったんだけど
やっぱりいつの間にかねそこでこう いいねの数とかコメントの数とかねリツイートだとかシェアの数が
数字として見えてくるんでいつしかこの世界もその中で特別であるっていうことが なんかとても重視されるようになっていったんでしょうね
なんかちなみにあのこないだねそういう流れにもう疲れたという人たちが作った be real っていう新しい
ソーシャルができたって言うんでね 僕も早速インストールして
やってみたんですよそしたら仕組みが面白くてその1日に1回ピットコアラートが来るん ですね通知が来るんですよ
そしたら2分以内に投稿しなきゃいけないってルールがあるんですね だからその
映えとか盛りとかをしている余裕がない時間がないと だからもう寝ててもあ今がつってこうそのパジャマ着たまま適当に自分の身の
周りにあるなんかカーテンだとかこう t シャツだとか映してあげるしかないんですよ で僕もさっき行ったらちょうどバナナと牛乳を猫の本なんか休憩時間に食べようと思ったら
あって通知が来て仕方ないんでそのバナナと牛乳をパチって映すわけですね でしかもその
カメラ向こう向いてるじゃないですか向こう向いて映したその時にえっとなんとセルフィーも 撮られてるんですよ
全然僕はこうかっこつけてもいないねなんかさっき投稿したやつはもうしかめ面してまして こんな顔でバナナと牛乳とってそれがもうリアルに
ソーシャルに流れていくっていうこれがね流行るかどうかちょっとわかんないんですけどね だってやっぱ
ポンと通知が来ていつでも投稿できる状態に僕らはないですからね 仕事中とかね
風呂入っている時とかね まあでもあの遅れたら何時間遅れで投稿しましたみたいながつくらしくてね
だからこの人ちょっと思っている可能性ありますよっていうそういうシグナルなんだ けど
まあそういうのが出てくるほど僕らはその特別であることにいろんな場面でこだわり始めている ということですね
私はまずそのこの特別でありたいという思いを持つことによる苦悩というのが実はものすごく いっぱいあるんじゃないかと思っているわけです
やっぱり最も大きな要因はえっと自分がどうだか自分がどうであるかという判断を完全に 他人に委ねてしまうということですね
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前にこの番組で自分で決めて ok を出すという話をしたんですが それから前回もね自分の中にフォームを作って自分自身でこれでいいんだこのままで
いいんだって言ってあげるっていうね これはとても僕は大事なことだと思うんですね私が私を信頼できている
私が私自身を癒すことができる修復することができるっていうねこの機能っていう のが僕ら持っているはずなんですよ
でもこの機能をその人に判断評価を委ねることで 失っているんじゃないかなと失ってはいないんですけどね
使えなくなっているというかね自ら自分で封印しちゃってるような状態 これがやっぱり特別でありたいというのは自分が特別だと言い張っても全く意味がないんです
よね 自分以外の人のどれだけ多くの人がこの人は特別だと言ってくれるかが全てになります
から 基本的にはすべてアピールアピールアピールになっていくわけだよね
これがまず結構きついですよね 例えば自分のあるある一面がポーンと取りざたされてここが面白いよねって言われ
たらずっとその自分を演じてなくちゃいけないですよね それからもうこういう世界にはね必ずと言っていいほど
あとから後からもっと凄そうな人が出てくるんですよ やっと俺は特別の地位をゲットしたぞと思ってもう数ヶ月すると
あのクラザのさんぽいんだけどもっと面白いのが出てきたよとかっていう世界がある わけ
そうするとそこを気にしてねその後から出てくるしかもそれはみんな若い人だったりするんですよ 自分よりねスポーツの世界と一緒
絶対王者と言われてた人が必ず陥落する日が来るんですね こういうことにも怯えながらなんかその
出る杭は打つとかね 目が若いうちに住んでおくみたいなこともしなきゃならない世界なんでしょうきっとね
うんなんかこいつダメですよみたいなねオワコンだみたいなことをこう コメントで言ったりとかねまあ殺伐とした世界ですよね
でそもそもねなんかそのどんな分野でもある なんかな結果を出した人は特別だっていうふうに当たり前に言われてるんだけど
僕はまあその競技において例えばその競技の成績発表の場において その人が特別であるっていうのはもう絶対認めざ認めなきゃいけないことだと思うんですよね
でもじゃあ例えばねその芸能人としてまあ例えばなんだろうこう グラミ賞じゃないアカデミー賞かアカデミー主演男優賞を取った俳優がね
ハリウッドにいたとして この人が映画の撮影ではないねオフの時に
街をこう歩いているわけですね多くの人はやっぱり気づかれまいとしてこう マスクをしたりねサングラスをかけたりしますよね
この時なんか俺特別なんだよねって歩いてる感じって 本当にかっこいいのかなってちょっと僕は思ったりもするわけ
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えっと私はそのもしハリウッド男優で アカデミー男優賞を取ったとしてそれはスクリーンの世界の中ですよね
もしくは舞台の上の世界ですよね そこで私は輝いている特別であるとこの自負はあっていいと思うんですよ
でも一歩外に出て 普通に街を行く人たちと一緒に歩いているその時に
まだその感覚をこの人たちの中で持ち続けているというのってどうなのかなという感じがしますよね
まあ気持ちいいのかもしれませんよね ああなんとかだプラビだとか言ってこう写真撮っていいですかみたいな
まあ気持ちがいいことはわかります 私も昔あのイカテンというねあのバンドのバンド合戦みたいな番組に出た翌日に
もういきなりなんかあの駅歩いてたら昨日テレビ出てましたよね みたいな声をかけられたことがあるんですよ
気持ちいいなあと一瞬思いますよ でもこの気持ち良さって何なんだろうなっていうかね
この気持ち良さをキープするためにさっき言ったようなね いつもいつも人の評価を気にしそしてライバルが出てきたら蹴落としみたいなね
そういうことを日々やらなきゃいけないっていう生活ってどうなんだろうみたいなね そんな感じがするんですよ
なんか僕はこう本当にここ割に合ってるのかなっていうねそんな感覚がありますね そしてねもう一点特別であるためにはねある条件が必要なんですよ
オセロの版をイメージしてみるとねわかるんだけど 全員が黒だったら私は特別でないんですね私も黒だから
私が特別であるためには私以外の すべてのコマを白にする必要があるんですよ
2つあってもいけない2つあったら私とそのそいつが2人が特別になるんで私だけが 特別であるためには全部を白にひっくり返さなきゃいけないんですね
これが人なんですよ 私だけが黒そして他の人はみんな白この状態になった時にを俺は特別になれたってなるわけ
何をしてるのかってことですねこれはえっと自分以外の人を背景にしてるってことですよね 私が特別であるために自分以外の人を背景にしていると
でこれってどうなのよって僕は思うのね これが私がいう気持ち悪さなんですよ同じ人なのに自分が特別あるために背景にしてるっていうね
なんかあの 僕もその公演とかねセミナーとかをよくやっていたので
ゲストで呼ばれたりとか特に地方自治体とか学校とかね あとはまあ大きな企業とかで呼ばれると必ずまあそれなりに良い
応接室とかホテルで言うと割といい部屋にこう 会議室かに通されてそこを控室として使えるんですね
そこで控えていると担当の方がいらっしゃって いろいろ僕のまああの世話をしてくれるというか
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タイムキープとかいろんなことをしてくれるんだけどその時必ず先生って言うんですよ先生って 僕はこれがすごく嫌でね
いやもう僕学校の先生でもないしお医者さんでもないし弁護士でもない そんなこと言わないですよだからあすいません倉園さんでいいですよと先生はちょっと大丈夫
ですいいですよみたいなことをね やっぱこうお願いするようにしてたんですねもう最近はもう逆に言うとあんまそれを言うのも
なんかこう わざとらしいんでねもうそのその間はいいかつってこう諦めてるんだけど先生と
呼ばれるっていうのはやっぱ一般にはその自分は黒ですよ そしてその先生と言ってくれるその担当者は白なんですね
明らかに私の方が上だっていうことを彼は仕事としてもその 僕にこう見せてくれてるわけですね
で先生というこの経緯を表しながら気持ちよく話してもらおうというね全くその 悪気とかそういうものではないんだけど僕はそうされるのが嫌で同じとこに
いましょうよっていう意味でね先生っていうのはやめてくださいと言ったんですよ でもこれねやっぱりねどう考えても人を背景にして特別になるっていう世界は
俺なんかあの多分サステイナブルじゃないですよ だって一つはこの瞬間に
襲ってくるんですよ俺はいつかこの白になるんじゃないかって でなる時が来るんですよやっぱりさっき言ったに別の黒がポンと出てきた瞬間に私は
くるってひっくり返して白にされるんですね これってなんか
やっぱそうそうそういうなんか仕組みになるざるを得ないでしょ自分が人を背景にし 特別になるとそれを味わったんだとしたらいつか
あなたもその白になるよっていうのはね向け受け入れざるを得ないんですよね でしかもこれはえっと
さっき言ったハリウッドの世界とかそういうスポーツの音 世界とかでないこの仕事の世界においては多分これ時間ごとにひっくり返っている可能性が
ありますよ 会議一つ経てねそれまであの人すごいって言われてた人が会議でちょっと下手な企画を出し
みんなに突っ込まれたその瞬間白ですよ白 また黒に戻らなきゃっていうなんかこんなことをやっていることに何の意味があるんだろうな
と そもそも周りの人を背景にすなよっていうこの感じ
ねあの学校でもそうじゃないですか全員が100点だったらつまんないでしょ 自分が100点取った時に自分以外の人が99点以下であってくれることが私が
褒められる唯一の条件になるわけですよ 何を望んでるんだろうっていうね自分が100点取るということだけで完結していいん
じゃないかと僕は思うんですよ これがだからよくあの運動会でみんなで手つないでゴールとかって話になるんだけど全然違います
よね そうじゃなくてえっと人を背景にするような真似をしても多分幸せにはなれないって
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いうことですよ これをこのあたりの音僕が気持ち悪いということを同意していただける方もいらっしゃるだろうし
いやいやそういう厳しい世界なんだよって言ってチャレンジされる方もいらっしゃると思います これ僕はどちらでもいいと思ってるんですよ本当にそう思ってますそしてそういう
世界で勝ち抜いていらっしゃる方は僕は結構 リスペクトしてますよ結構というか本気でリスペクトしてますよ
僕は多分ねその世界でずっと生きていくことなんて多分できないと思うから だから私は
そうではなくない方法方向というかねそうではない 人生を認識するやり方があるんじゃないかっていうんで価値マックス
てっぺんでずっといるじゃんってね 競技で負けてもそこの価値は変わらないよっていうね
そして僕らはでもその競技に参加せざるを得ないので その時には自分でフォームを作ってねその認識のずれをね修復しようよみたいな
発想に立つわけですね そしてその自分が特別になるためにね背景にしようとしていた人たちを
もう1回見直すんですよ 一人一人ね僕がその今回
かけ執筆教室で一人一人の受講者の方の原稿を通してその人の人生にこう入って いくような感じでねまぁそこまで深くは難しいんだけども
誰かに会うたびにこういう人が現れたなぁと この人はどんな人生を歩んでいる人なんだどんな考えを持って
どんな苦労を抱えどんな弱みを持ち どんな目にあってきたんだろうみたいなことをね
こうつぶさに見ていくわけですねそれがまあその人に対する興味だと私は思って いるんだけども
そうしていくうちに面白いねっていう面白いねって一言言えたらね やっぱおそらくだけどその人の特別さというのを認識した瞬間だと思うんですよ
もちろんねそういうことをやっている中には嫌だなぁここは嫌だなぁ この人はこういうところが本当苦手だなってとこもありますよ
だから本当はそこのでこと僕を両方合わせてみてね 面白いなぁとまた一つ80億分の一つの市のキャラクターを見たらというふうに
見ていくわけですね競技の価値とは別にですよ そうやって一人一人こうそんな風に構成していくとなんとなくその会うたびにまたこの人も
違うまたこの人も違うまたこの人も特別だっていう風にこう見えてくるわけ そうやって特別を見る練習をするわけですよ
でこれができた時に その視点を自分に向けたら
おそらくだけど私のスペシャリティもここにあるんだっていうことが僕らはわかるん じゃないかなと思うわけですね
だから人の人にとって何が特別かというものを自分ではわからないんですよ 自分でやろうとすると必ずその競争世界の結果か
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もしくはその黒黒黒でみんなを白にするみんなを背景にするみたいなことしかできない インスタグラムでいいねがいっぱいとかね
そういうことでしか多分こう自分を納得させられないんですよ これは一人でやってるからそうじゃなくて
前提として生まれながらにすべての人が勝ちマックスそしてすべての人が生まれながらに すでに特別であるというこれをまあ前提として持っておくわけです
でそのように他の人たちを見るんですね別に好きになる必要はない 気に入る必要もない
ただただどこが違うのよってこの人はね 他の人たちとってそのもう本当に興味だけでいいんですよ
なんていうかなこう図鑑とかね 虫って言っちゃいけないんだけどなんか自然を観察するようなね図鑑を見たりね
自然を観察したりするようなそんな感覚で 桜の葉と梅の葉はどこが違うんだみたいなそんな感じでいいと思うんですよ
そうすると必ずその特別なものが見つかるでもちろんそれは 社会的にねそれがあるからたくさんお金が稼げるとか
異性にモテるとかねそういうものではないんですよ なんか別にそのなんつーのかなこう意義とか価値とかね
そういうものが絡んでいないただただその人だけの特別なもの それが見つかるだけでいいんですよ
こんな風にこう観察していくそしてそれを自分に向けるんですよ その目をねそのまま自分に向ける
でそうするとこれまでは私が私はどんな結果を残していたんだろうと フォロワー何人いるんだっけ
みたいな自分の外にあるものでしか自分を測れなかったんだけど 自分がそれぞれの人をそのように特別で見ると特別に見るというこの
眼力ですねこいつをしっかりと身につけたらそのままそれを自分に向けることができる 間違いなく見つかりますよ
自分自身のことはね他の人よりも多分わかるはずだから いやー俺のこういうなんか癖確かにあるわとこれ特別なのかもしれんねみたいなね
その瞬間になんかそのそんな特別な人たちが集まって 特別話をする必要があるんじゃあるんだろうかっていうね
多分ここに行き着くはずなんですよね でなおかつ
そこであそっかそっか私はここが特別なんだなぁ この特別がねその今までこの今までの文脈で話したと特別にはなんか
いう優劣というかこの優れているって感じがこう 入っちゃってるでしょこの特別にねもうすでにあの
優れて素晴らしい人優れてる人みたいなあのニュアンスがここに入っちゃってるんですよ これが取れた特別ですよね
だからなんか新しい言葉を作った方がいいのかもしれないね 得みたいなねこれが俺の得なんだみたいなね別々をつけるからいけないのかな
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際立ちもなんかやっぱり優秀な感じがしますわねそこ関係ないですからね まさにまさに違いと個性なんですけどね
まあこれをこの文脈じゃないところの特別という言葉でフラットにして特別というのを 自分に向けてそれが見えた時に
これを持って 出ていけばいいんだなってことが分かるわけですよ
これは無理やり身につけたものでも努力したものでもなく もう私の持ち味なんですよね
そしておそらくそれはなぜその持ち味を私が持ってるかって言ったら 80億分の1の役割に紐づいてるはずなんです私にしかできないことがある
でもその私にしかできないことがあるを見つけるためには 私の何が特別なのかを知らなきゃいけないんですよね
それは一人でいくら悶々としてでもわからない 自分以外の人を見ながら人はこういうふうに見るとみんな特別なんだなってことが分かって
初めてその後に自分もそれがあったっていうことに気づけるわけですね だからこれは視点がね見方の問題なんですよ
自分は他の人を背景にして一人だけ黒のオセロになろうというね この見方で他の人を見てても絶対に気づかないですよね
ただただ背景だもん
人の人まあだから自分以外の人を自分が特別であるための背景として見てる間は本当の特別さ 自分もですよ気づけないということなんでしょうね
こんなことを昨日今日とね 執筆教室の赤入れをしながら受講者の皆さんに対して感じていたってことですね
みんなスペシャルだなぁとみんな特別だなぁとだから私も特別なんだなと だからこの仕事をしてるんだな
今私は赤を入れてるんだなっていうそんな感じですよね そういう意味ではさっきのね
bdr っていうのはちょっと理にかなってるかもしれないですよね パンッとアラートが鳴った瞬間にパシッと写真を撮るそれがあなたの特別なんですよ
悪くないメッセージですよね 流行るかどうかわかりませんがさっき見たら私の知り合いは一人しかいませんでしたねまだね
まあしばらくはちょっとこれ続けてみようと思っています で告知ですね明日1時半からかな
ご告知のアトリエでね加藤さつき君ともう3回目になるんですが ありのままを見るデッサン教室と
でこのありのままを見るっていうのはもしかしたら今日の話のね そのすべての人のどこに特別があるんだっていうこの
視線というかねこの見方はまさにありのままなんでしょうね そうではなくて結果とかその順位だとかね
その人の残した成績みたいなものは僕はなんかやっぱりこう 絵でいうと額縁のような感じがするんですよね
そうじゃなくて絵の方を見ようよっていうそんな話なんじゃないかなと これをデッサンをしながら体験するというねなんとなく私としてはものすごく素敵な
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講座だと思ってるんだけどこれをやりますんでね あと3席ぐらいかな今回空きがありまして
加藤さつき君はですねなんと奥さんとお子さんと一家を挙げてこのイベントに臨んで くれるんですよ
奥さんもね元々その美大卒の今イラストプロのイラストレーターでして 夫婦でねご夫婦で今タオルを作ったりとかいうねそれプロダクトデザインをやってらっしゃ
るんだけどその一家がまあ素敵です これを見るだけでも僕はこの
デッサン教室をねやる価値があるなぁと思っているくらい そのぐらい素敵なファミリーにも出会いますとまあこれはおまけなんですけどもね
10歳の 佐々木の息子さんもいつもちゃんと書くんですよ
まあこれが見事な作品をいつも仕上げてくれるんですかね よかったらぜひご参加ください
今日はそんな感じですかね ぜひぜひ
特別なことはあまり意識せずにいい1日をお過ごしください ありがとうございます
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