春の陽気の変化
GOODBYE IS MIDNIGHT RAXXAR by KURAZAMUKEIZU
こんばんは。ただいま4月21日金曜日の午前2時53分ですね。
あのー、めちゃくちゃこう、あったかくなってきましたよね。
これもまあ、東京だけなのかもしれないんですけども。
えー、なんかもう春の陽気というかね、ちょっと初夏のような感じになってきて。
まあ、この後あの梅雨があるんですけどもね。
あのー、以前もこの番組でお話ししましたけど、私は8月生まれで、一応夏男でね。
しかもあのー、北九州の生まれなんで。
えー、どちらかっていうとやっぱりこの寒い季節よりもね、あったかい方が、うん、暑いなっていうぐらいの方が調子がいいというかね。
えー、だからまあ、私にとってはとてもうれしい変化が日々起こってるんですけどもね。
まあでもあの、私が住んでいる南大沢というね、この八王子の南大沢は都心よりもだいたい2度か3度低いんですよ。
だからあのー、毎年ね、やっぱりこう油断にならなくて。
ゴールデンウィークが終わるぐらいまではこの暖房器具とかね、えー、ちょっとあったかめの上着とかっていうのはこうしまわないようにしてるんですよね。
まあだいたいゴールデンウィーク終わればもう大丈夫かなっていうそんな感じ。
まあそれがね、今始まってきてるというんで。
えー、今日も池袋のね、芸術劇場でいつも私のワンオンのセッションをやるね、お気に入りの場所なんですけども。
ここでワントレ2セッション終わった後は広場に出ましてね。
で、広場の片隅にも小さなオープンテラスのカフェがあるんですよ。
で、そこで2時間ぐらいね、今日仕事をしてたんですけども。
えー、外は寒くなるかなと思ったんですが、なかなかね気持ちいい感じでできまして。
うん、いい季節になってきましたなというそんな感じですね。
まあだから私としてはここからこう、上り調子になっていくはずなんでね。
えー、多分この番組もそんな感じでこう続けていけるんだろうなというふうに思っています。
えー、そして、えー、今日はですね、あのー、えー、昨日かな、えーと水曜日か。
水曜日に、えー、濱田千恵さんとね、あの千恵と園というもう一つ私がやってるこのポッドキャスト番組の収録をしてきまして。
えー、今回は6話撮ったんですけどね。
人との交流に疲れる
えー、その中でね、えっと人といると疲れてしまうっていう話が出たんですよ。
えー、でこれがね、なかなか面白くて。
まあでもあの千恵と園はね、えっと2人で話して大体30分弱ぐらいの番組なんで。
まあ必要なね話は全部できたかなと思うんですけども。
これをね、ちょっとやっぱり改めてあれから2日たち、なんか繰り返し繰り返しこう私の頭の中でね、この話がこうプレイバックされるんで。
えー、これについて今日はお話ししようかなと思います。
というのもね、あのー、もうこの番組では本当にちょくちょくちょくちょくお話しするんですけどもね。
あのー、みどりの本、グッドバイブスごきげんな仕事というのを、えー、2011年の終わりぐらいかな。
この辺からまあ企画し始めて、そこから書き始めていくんですけど、2013年ぐらいかな。
えー、筆を取ったのはそのぐらい。
で、これをやるまではですね、やっぱり僕はこの他の人たちとね、こうつるんでいるより、えー、一人でいる方がはるかに楽だってやっぱ思ってたんですよね。
本当にね、思ってたんですよ。
なんかもう、えー、仕事に行くのはね、まあ仕方ないにしても、その他のなんか友達とどっか遊びに行くとかね。
えー、なんかこう、えー、とにかく、とにかくもう遊びに行くでもなんでもいいんですけど、人といるのがね、結構きついなという感じがあって。
やっぱりこういつもいつもこう一人の部屋でね、えー、音楽を作ったり、その本を書いたりね。
そういうこと、ブログを書いたりか、そういうことをしている方が本当に楽しくてね、楽だなというそんな感じがありましてね。
まあ要はでも、あのー、みどりの本で書いたように、えー、僕らは一人で生きていけないので、この楽なんだけど幸せではないんですけどもね。
うん、でなんつーか、特にね、やっぱこう初対面の人が集まる会合がめちゃくちゃ苦手で。
あのー、例えば編集者時代、編集長の頃だったら、まあいろんな企業のね、パーティーとか、新製品の発表会とかね、そういうイベントに呼ばれるんですけども、もうこれが本当に憂鬱で。
でも行かないわけにはいかないんでね、あのー一応この広告クライアントだったりするんでお付き合いも非常に大事なんでね、あと取材ができるかできないかみたいなね、そういうのもありますんで。
ここのつながりというのはそう簡単にはね、私の一損では切れないので、まあこれは仕事の一環としてね、しっかりちゃんと参加をするんですけども、なんかやっぱりね、もう終わりの方はですよ。
成り立ての頃は、編集長、成り立ての頃は、まあ真面目に頑張ってたんですけどもね、なんとなくこう分かってくるんですよ。
これはまあそんなにガッツリ参加しなくてもいいかな、みたいなのがこう分かってくるとですね、受付、だいたいホテルの広間とかでやるんですけども、そこの受付にこう名刺を渡してね、ひと回りして、
まあだいたい広報担当者とかね、それなりにそこのメーカーの偉い人たちとかとちょっと挨拶をして、で、さらっとこうひと回りして、時々そのビュッフェの食事とかをね、一皿パッと食べて、まあ15分とかでね、もう逃げるように、忍者のようによくドローンするって言ってたんですけども、そろそろドローンしようかなみたいな感じで逃げ出していましたね。
で、その当時のね、僕に何がそんなに嫌なのってね、もしこの質問されたとしますはね、うん、そしたら多分僕は間違いなくね、いや人といると疲れるんですよっていうふうに答えていたと思うんですよね。
格付けの影響
なんかシェイさんと番組で収録してたときは、その記憶が全くよみがえってこなくてね、えーというのも今は疲れないんですよ、今は疲れないからその疲れない自分としてね、こう割とそういうモードで話したんですけど、よくよく考えてみたらいや俺じゃんそれみたいなことがね、後で思い出されまして、不思議なんすよね。
なんであの時この話ができなかったのかなって、いやそれもう俺まさに俺ですよっていう、このねこの一言が出なくてね、うん、なんで疲れるんでしょうねみたいな、この今のね、今の感覚でずっと終始お話をしたんですけど、私がまさにそうだったんですよ。
で、その後グッドバイブスの本を書いてね、からまさにそのメインのテーマであるこの一つ意識、私とあなたは一つであると、まさにその私が疲れると言ってた人と、私以外の人とね一つであるというね、こちらが現実なんだってことがこう体感できた今は、なんで私がその人といると疲れていたかっていうね、もっと言うと何に疲れていたのかっていうのが、
えっとその正体がね、よーくわかる気がするんですよね。うん。で、まあ結論から言うとですね、なんとなくそのぼんやりとね、当時は疲れるなーだけでなんでとかね、何にとかって問いは一切してなかったんですよ。
面白いですよね。僕はやっぱりこういうなんか、こういうの嫌だなーっていう時って、何がって問いはあまりしないんですよね。まあ、する必要もないぐらい嫌だから、もう嫌ということが決定しているんで、そこを探るのに意味がないと多分そう思うんですよね。もっと言うとそういうものは改善されないっていう風に多分諦めてる。うん。
だからその改善されないと諦めてるものの原因とか理由を探ることに何の意味があるんだっていうそんな感じ。まああれと一緒ですよね。なんかその食べられないものってあるじゃないですか。私で言うと前も言いましたけど、あの青魚ってのがダメなんですね。サバとかね、光りもの。うん。で、そのそれを食べられない時になんで食べられないの?って聞かれても、いや嫌いだからですよって言うしかないんですよ。
そこの原因を探ったとしてね、僕がこのサバを食べられること、食べられるようになるとは全くイメージできないしね。おそらくこの食べ物は無理ですよね。それと同じでやっぱりこの人といると疲れるみたいな時に僕らはもうその原因がどうでもいいやってそんな感じになるんだけど、でも多くの場合ね、この心の作用というのは私の経験では実は何とかなるんですよね。
なんとかなるから実は何で疲れるのか、何に疲れてるのかみたいなことを掘りたければ掘った方がいいっていうね。そんな感じがするんですよ。まあこれをやってきたのかなっていう気がするんだけど。
要はその僕らをね、その疲弊させる根源というのは一見なんかその、なんていうのかな、この私がその相対してる人のね、このパーソナリティとか言動のような気がするんだけど、多分まあそれもないとは言えないけども多分そうじゃないんですね。
僕らを疲れさせる、この人といると疲れるというこの疲れを起こさせている要因はおそらくこの2人以上集まるとね、僕らが無意識に始めてしまうどちらが上でどちらが下かの争い、これじゃないかと思うんですよ。
これはその当時のね、昔の私、これが一人が楽ってこう思ってたんだけども、そのね、そんな風に思わせた要因の中に、例えば気を使うとかね、人といると気を使うよねとかね、あと顔色見ちゃうよねとかね、空気読まなきゃだよねみたいなね、これまあまあなんつーのかな、僕にとって面倒な手続きだったんだけども、この人とね、会うとやらなければならない手続きみたいなね。
これもそのなんでそれをやってたのかっていう目的をひも解いていくとね、例えば私が不要意な発言をする、これが1ですよね、そうすると2番、周囲の人に嫌われたり見損なわれたりする、これが2番ですよね、そうするとどうなるか、コミュニティの中で地位が下がるんですよ。
これが3番ね、これがあの結論なんだけど、こいつを多分こういう事態を回避するためにやってたってことがわかるんですよね。つまり気を使う、顔色をうかがう、空気を読むっていうのは、えっとまあ巡り巡って、えっと嫌われたり見損なわれたりして、コミュニティの中で地位が下がるのは嫌だなっていうね、これをやっぱ避けたかったからなんだって思うんですよね。
要は多分僕らはね、その学校とか会社、これがまさに競争社会なんですけども、ここをこの競争に明け暮れてるうちに、僕らはすっかりね、多分この格付けを気にする習慣みたいなのを身につけてしまったんじゃないかと思うのね。
で、こうして考えてみると、どうして僕がかつてね、初対面の人が特に苦手だったかっていうこの謎も解けていくんですよ。多分これはね、えっと僕にとってこの初対面の人っていうのは、まだ格付けが決まっていない人たちなんですよ。
それは何かというと、これからね、これからどちらが上かをかけて勝負をする相手みたいなことになるんですよね。で、逆に言うと、僕にとってその時に親しい人とか気のおけない人っていうのがいるとする、親友とかパートナーですよね。こういう人たちって何かって言ったらね、つまり格付けが終わってるってことなんですよ。すっかりね。
よほどのことがない限りこの格付けは変わらない。どっちが上か下かみたいな微妙な微妙な差をね、互いに多分こう感じながら、でももうここは争わなくていいよね。だいたいこんな感じで良くない?みたいなね。この人にいじられるんだったらいいかなとかね。この人はいじっても大丈夫みたいな。なんかこれ格付けなんですよ。多分ね。
親しい人との関係
だって自分よりすげえ上だとか思う人にいじろうって言うんですね。そんなその勇気は湧かないじゃないですか。そして自分より明らかにこいつ絶対下だなと思う人にいじられたら腹立ちますよね。だからやっぱりこの親しい人気のおけない人っていうのはそういう格付けが完全に終わっちゃってるんですよ。お互いの合意も取れててね。はいはいもう私はあなたとあなたと一緒にいるときはこの辺ですみたいなね。これが決まってる。
でもこれが初対面だとここからその勝負しなきゃいけないんですよ。でやっぱりそのできることならね上に立ちたいですよね。最初からそのもうこの勝負しなくせずにね。はいあのすいません私下なんでよろしくお願いしますみたいなことがまあこれができればね本当に楽なんですけどもそれができないからやっぱりこいつ初対面だどっちなんだよみたいなね。
なんかあの昔のねあのなんつーのかな高校時代の中学とかねこうなんかの競技とかね何だろうコンテストなのか大会なのかわかんないですけど他校の生徒とこう会った時の感じを思い出しますね。
お前何中だよみたいなこの感じでね。もうそういうのは今はないと思うんですけどね。僕らの時代はありましたね。もうこの中学にもちょっとこの核みたいなのがあの最初から決まっててね。あ、お前二中?みたいなそんな感じ。こういうことをまあ今でも大人になってもねこうこっそり静かにやってるわけですね。
だからよくそのマウントを取られたとかってあるじゃないですか。もうあの人マウントを取ってくるみたいなこれすごい嫌がられるというかね。あとものすごく偉そうにされたんですよねみたいなね。これ全部やっぱり上下格付けの話ですよね。そしてこれは何かというと下に立つことの恐れや不安なんですよ。
コミュニティーの中でね、地位が下がる。これはもう2人以上であれば確実に起こることですよね。特にまあ夫婦とかパートナーとかね恋人同士でも多分この格付け争いっていうのは当然やることになるんでしょうね。まあそして多くの場合さっきのねあの親しい人と同じようにもう格付けは終わってしまうんですけどもね早々と。
でも最初の頃はねまだそれが決まらない間はもう本当にもうそのパートナー恋人夫婦とかでも多分これをやりますよね。
それからあの相手にどう思われているかみたいなことを気にする時っていうのもね。これちょっとなんか僕はまあこれも一つの相手にどう思われているかも勝負のような気がするんですけども。
ちょっとこれは複雑になっていて、相手の中に僕を含めた他の人のランキングみたいなのを多分見ていて、これはだからちょっと尊敬する人とかね上司とか先生とかね師匠みたいなそんな関係の人でもうこの人の上に立つ気は全くないよみたいな時に僕らは多分相手にどう思われているか。
あととっても好きな人とかもそうかもしれないね。ちょっと恋、恋焦がれている人であるとか。
まあそういう恋心云々ではなくてなんかこの人に気に入られたいなみたいな風に思っている場合はここはその人と勝負をするんじゃなくてその人の心に勝手に僕がその番付表みたいなのを作り出して。
あ、俺は今この番付表でどの辺にいるんだろう?ちゃんと横綱に慣れてるんだろうか?それともひらまくだろうか?みたいなことを気にしてるんですね多分ね。
ここでもだからその相手の中にある番付に乗っている人たちとやっぱりこの格付勝負っていうかね上下をかけて勝負をしている。
まあ争っているわけですね。
上下関係を克服するための基準
こうやって振り返ってみるとねやっぱりこの話はねもうさっきから何回も言ってるんですけどこの僕のね昔の話に紐づいてるなっていう点の方が多くてね。
例えば僕はもうあのいつも言ってるように昔はその人間関係デストロイヤーでねいろんな人間関係を壊しまくっていたんですね。
で改めて今日このお話をするにあたってね俺はどんな時にこのパートナーとか仲間をね仕事仲間とかそういう人たちを切りたくなってたんだろうっていうことをねちょっと振り返ってみるとやっぱりここにもねかなり上下っていうのがね関わってたなって感じがするんですよ。
例えばそうだななんか少人数のバンドだとかねなんか超人数で何かプロジェクトのようなものを作っている時に僕がこの主導権を握れなくなった感じがしたときねこの時にやっぱりこの主導権争いをしている相手というのを何とか切りたいなと思った。
それからそのリスペクトされない感じを持ったときね一緒にやってる人になんか俺ちょっとこいつらに馬鹿にされてるなとかね僕としてはリスペクトされるだけのことはやってるはずなのにみたいな自負があるんですよ。
例えばバンドであればいや俺曲書いてるよねとかね一応バンマスだしそれからフロントで歌歌ってるじゃんみたいな一応表に立って顔だよね俺バンドの顔だよねみたいなそれなのにこう飲み会とか行くとね打ち上げとかするとなんか全然俺をリスペクトしてないとあの曲がイマイチじゃないとかねなんかそういうちょっとなんか歌弱くないみたいなことを言ったりとかするとお前は誰にもの言ってんだみたいなこの感じ。
リスペクトがない感じね。
それからそうだな職場とかで言うとねそういうこの僕がリーダーシップを発揮する云々じゃないとしたらなんかこうエースじゃなくなってる感じとかね。
やっぱ主役じゃない感じみたいな時にまさにその自分が上に立てなくなったっていうこの恐れや不安を感じた時にその邪魔者になる人を切っていたんじゃないかなっていうそんな感じがするわけね。
だからまあ僕にとってはこの人間関係というのはねつまり私は人に疲れていたというのはつまりどちらが上か下かの争いとかねその格付けみたいなこの勝負これがもう本当に大きな要因だったんだなって感じがしますよね。
多分この僕らがその何気なく今上下とか格付けみたいなことを言ったんだけどもここにはねやっぱ2つ基準があるんじゃないかなと思うのね。
何によって僕らはその今ねこの現代の日本においてどちらが上か下かどちらの格が上か下かを決めているかっていうね多分この腕っぷしの強さとか多分もうそういうんじゃないと思うんですよ。
まああのある業界で言えばルックスとかはねあるのかもしれないんだけど一般にはねそこでそれはなんか重視されてない感じがしますよね会社とかね普通のコミュニティとかではね僕は2つあると思っていて一つはまずこの世の中で価値があるとされているものをどれだけ多く持っているかですよね。
まあだからここにさっき言ったルックスとかも入るのかもしれない。でもとにかくまあ一つのトレンドがあるわけですよ。その時代時代に価値があるとされているものがあってそれをどれだけ持っているかっていうねこれが一つ。
それからこれはこの番組でもよくお話しするねえっと罪の意識ですね。これはもうとても単純でどちらに罪があるかっていうこの基準なんですね。
人間関係の基準と競争
これも実は上下の基準に大きく関わっている。どちらに罪があるかってやつね。だからさっきの顔色を気にする空気を読むというのはえっと罪人になりたくないというねこれを回避しているわけですよね。
でなぜかというと罪人は罰を受けるわけですよ。それがなんかコミュニティからねこうよく思われなくなるとか扱いがなんかひどくなるとかあんまり相手にされなくなるとかね一人だけ連絡が来ないとかねそういう罰を受ける。
これもこの罪人は本当にもうどんなコミュニティでも最下層なんですね。その他の私以外の人が処刑人になりますからだからえっとこれは実は大きな基準なんですね。だからまあこのプラスの基準というのがさっき言ったその世の中で価値があるとされているものこれをどれだけ持っているかこれがプラスの基準なんでしょうね。
そしてマイナスの基準がこの罪その人がどんな罪を犯したかなんですね。どちらも頑張ってこの価値があるものをたくさん持ちそしてできるだけ罪を犯さないようにするというまあこんなことをやってら疲れるに決まってますよね。
これをそのこの2つの基準をもとに僕らはそのバトルを繰り広げているわけですよ。面白いことにこの2つはねこの番組でもどちらも人が作ったものという風に分類してますよね。
そりゃそうです。まず世の中で価値があるとされているものは当然だけどもこれは人が作ったものであるはずなんですよ。お金地位名声とかね今で言うとそのフォロワー数とかそういうことですもんね。インフルエンサーとかねこれは完全に人が作ったある仕組みあるなんつーかな競技みたいな中で点数が高いポイントが高いというそういう価値ですもんね。
そしてこの罪と罰も僕らが作ったものですから両方とも実はこの人が作ったものというねまさに僕らが作ったこの競技の中で私たちはいつもその上下格付けみたいなことを気にしそしてそこでバトルをやってるわけですね。
これをやれば疲れるに決まってるということです。ここからそのじゃあどうすればいいということなんですね。これはもうさっきちらっと言いましたけども一つ意識なんですよ。私とあなたは一つであるというこれがこの過酷なね僕らが作り出した世界をきれいに消し去ってくれるってそんな風に今では僕は体感できているっていうかなそんな感じがしますね。
要はこれはとても単純なねある法則のようなものがあって対等でないところには必ず競うという概念が入ってくるということです。そしてこの競争競うというものには必ず恐れや不安がつきまとうわけですね。
勝てないとどうしよう負けたらやばいね。さっき言ったこのコミュニティで最下層に置かれたらどうしようとねもう僕の昔で言うとこの主導権が持てなくなりリスペクトされなくなりなんかエースでなくなったらどうしようというこの競争にまつわる恐れや不安これがまあ必ずつきまとうわけですね。
面白いことに僕らはねこれが必ずしもバイナスとは感じなかったりもするのねこれが一つのスリルというかねこの合間を抜けてねこの恐れや不安を持ちながら負けたらやばいぞというこのスリリングの中で勝っていくのが快感っていう人もいると思います。
まあそういう人はねやっぱりこの勝負の世界に身を置くんでしょうね。
でもこちらは必ず恐れや不安が伴うわけ。
今ね今私が話しているのはそういう勝負の世界の話じゃないんですよ。
普通に人と関わるパーティーに行くとか人と話すとかね人と一緒に遊ぶとかもしくは人と一緒に仕事をするという話なので。
対等な関係の中での人間関係
わかるんですけども恐れや不安はスリリングだよねだから勝つんだよっていうのはわかるんだけどここにねこの普通の日常の生活の人間関係の中にこの競争を入れれば当然疲れるよねというそういうふうにやっぱり受け取らないと競争も悪くないっていう話にはねちょっと行きたくないなというそんな感じなんだけど。
一方のこの競争じゃない対等の方ね。
対等は平安しかないんですよ。
あなたと私が対等であれば平安なんですね。
だからここにまあこの人といると疲れるということの対処法というかねこれを解決する唯一の方法が残されているわけです。
だからまあそういう意味でこの一つ意識というのはね僕にとってはこのかつての僕にとってはですよ人が嫌いで人といると疲れ一人が楽だと一人でいるのは寂しいよとわかっていても一人が楽だと思わざるを得なくてね。
そして初対面の人と会うのが辛くてパーティーからこそこそドローンするこの私が救われたのは本当にこの一つ意識というねこの大きな認識の変化なんですよね。
まあパラダイムシフトというのかな。
まあでもこちらが現実であるというふうに感じられたおかげまさに私にとって救いの光のような感じなんですよね。
だからもしもう本当にね人間関係につかれたくないと思うんだったら私とあなたは対等であなたと私は対等であるっていうねこの2つを確信しながらすべての人に接すればいいんですね。
で今この同じ同じ意味の文章を主語を変えて言いましたよね。
私とあなたは対等であるあなたと私は対等である。
これは実は私にとってね結構大きな意味があるんですね。
これどちらもどちらもあるからってことなんですよ。
一つは僕が人を見下した時ですね。
僕が相手より上だなっていうこの優越感みたいなことを感じた時は私は私はお酒に持ってくるわけです。
私が上に立ったと思ったこの私はお酒に持ってきて私とあなたは対等であると言ってこの認識を修正するんです。
これはですね私がまさにそのワンオンワンのセッションとかねセミナーとかいろんなそのプログラムをやっているということはどちらかというとその伝える教えるという立場にあるわけですね。
その伝えているものがどうであれ私の話を聞きに来てくれるというね。
もしくは何かをそうだなアドバイスを受けるとかねそういうなんとか受けてくださる方が私のところにいらっしゃるわけですね。
この時にやっぱりね例えば教師をやっている人とかねそのなんかの指導者みたいな方は多分だけど一度二度は感じたことがあるんだけどちょっと自分が上な感じがするんですよね。
これ実はそんなことはなくてただの時差なんですよ。
ある時期ある分野において私の方がちょっと知識が多いとかね少し経験が多いというそういう時差に過ぎないだけ。
対等な関係とは
だから私がそれをすべてお伝えしたらおそらく最後は必ず同じになるんですよ。対等になるんですよ。
もしそうでなければ僕はその指導者は腕が悪いんだろうなと思います。
どれだけ教えても僕と同じにはなれないような教え方しかできないんであれば私は多分どちらかなんですよ。私の腕が悪いか私が出し惜しみをしているかどっちかなんですよね。
この生徒には私のすべては与えやしないみたいなそんな感じ。
この90は教えるけど10は隠しておこうみたいなことをしない限りすべてをお伝えすれば必ず対等になるんですね。
でもこのやっぱり僕らはさっき言ったようにこの上下格付けみたいなことをねこの生徒さんとか受講者さんとかの間でもやっぱり気にしながら生きているのでついつい油断するとこの教える立場というのは上だっていうふうにみなしがちなんですね。
ここは本当に気をつけなければならなくてこうなるとおそらく多分だけどいい関係は結べないですね。
僕もこのお伝えしながら教えながらこの受講者さんとかねそういう人たちからいろんなことを与えられてるんだっていうこの対等な関係をしっかりと気づかなければ多分うまくいかないと思うんですよね。
だからこういう時は私とあなたは対等であると言って僕はその油断してねちょっと上かな俺と思ったその認識を修正するわけですね。
いやいや対等なんだっていうふうにね。
でこの反対にさっき言ったそのマウンド取られたとかね偉そうにされたとかね。
あとなんかさっき言ったその2つのね基準ですね。
なんかちょっと俺今罪悪感持ってるわとかね。
それからなんかこの人世の中で価値があるとされてるものをいっぱい持ってるなみたいなね。
相手が上だなっていうふうに感じそうになった時はその相手を先に持ってくる。
あなたと私は対等である。
これはもう本当に心象なんですよ。
さっき言ったようにこの人が作り出した基準に僕は騙されてね。
そのように見ている。
罪悪感を持った時もそうですよ。
私がなんかやらかしたなと。
そして相手がなんか僕を責めているとこの時も決して相手はね僕の上に立っていない。
そして僕はその人の下にいるわけではない。
こういう場合はあなたと私は対等であるとね。
この上に見た方を先に持ってくるってことね。
僕が人を見下し。
俺がちょっと上だなと思ったらいや私とあなたは対等であると言います。
自己肯定感と成長思考
そしてこの人に上に立たれたな。
こいつなんか俺の上に立とうとしてるなみたいなね。
そういう時はあなたと私は対等である。
こんなようにこの認識とかね心象これを修正するわけですね。
でここでねあの私がそう思ったとしても相手がそう思ってないとダメなんじゃないかってね。
こういう疑問が湧くかもしれないんだけど。
これ全然関係ないんですね。
というのもその僕らのさっき言った上下とか格付けっていうのはこの互いの合意によって決まってるんじゃないんですよ。
例えばね相手がね。
いやもう私は帰国史上で本当昔子供の頃から英語と日本語の両党使いで。
それで中学ぐらいの時にパリにね両親が移動してそこにフランス語が混ざってきちゃって。
もうほんと三カ国語がもうぐじょぐじょみたいなこと言われてたんですよ。
もうぐじょぐじょみたいなこと言われた時にこの人すげーな。
なんかインターナショナルだなグローバルだなとかつってこう僕がねなんか負けたみたいなことをね思ったとするじゃないですか。
それは私がそう結論付けてるだけですよね。
ということはあなたと私の格付けで言うとあなたが上ですよねみたいなことを絶対に合意しないですよね。
喋らないですよね。
いやえっと今年収いくらですか。
このぐらいですか。そうすると私のだいたい1.5倍ぐらいあるのであなたの方が上ということでよろしいですかね。
格付けで言うと一応私が下とか絶対言わないですよねそんなことね。
これは互いの心の中で勝手に勝ったとか負けたとかってことをやってるんですよ。
だから相手がねどれだけそのこいつより俺が上だなと思ったとしても僕がいや対等ですよねって思っていれば全くその影響されることはないんですね。
ちょっと悔しいとか思うかもしれないけどそれはもう相手が勝手に思うことなんで思わせてあげましょうよそれ全然全然僕には関係ないことですよね。
だから相手が自分をどのように見ていたとしてもねえっと僕が上下とか勝ち負きのねまさにこの心象なんですよ。
これを作り出さなければいいってことですね。
だからこれは完全に僕の世界僕の世界を変えるための試みなんですよ。
私は対等であるあなたと対等であるというね。
でさっき言ったようにねとはいえその僕らはもう長年の間その学校とか会社とかねまあいろんなところでこの競争という中でね暮らしてきてますんでこの格付けをするという習慣というのはなかなかこう手放せないわけですよ。
だからいや理屈はわかるけどやっぱり私とあなたは対等である私とあなたは対等であるというのは難しいですよっていう場合ね。
僕はやっぱりその根本にあるこの成長思考というね僕らはその生まれた時何もできない状態で生まれてねそこからいろんな能力とかスキルを身につける知識を身につけることで成長していくんだと。
そしてその成長に従ってこの価値が高まっていくんだっていうねこれをまあ僕は成長思考と呼んでるんだけども。
ここをねやっぱり一度疑うというねえっとそこが重要なんじゃないかなって気がしますね。
格付け習慣と価値観の疑問
これはその私が私の認識というかね私が今どのように思っているかというと私たちは生まれながらにして価値MAXそれは永遠に変わらない最後までね人生の終わりまでずっと変わらずその価値はMAXであるというこういう認識なんだけども成長思考はその世には見ないわけですね。
まあ永遠にねその生きている限り僕らはね上に上に右肩上がりに良くなっていくというねこういう発想なんだけどもえっとここにやっぱり見落としてはいけないのはこの成長するという前提を置くとね僕らは必ずこの上下の差が出るっていうことですね。
そうですよ成長が早い人もいれば遅い人もいる当然だけどもこの成長の右肩のね右肩に上がっていくグラフというのは人によって上下が出ますよね。
だからこれがあるから頑張れるんだみたいな発想もあるんだけどねここであの僕は見落としてはいけないと思うのはねこのじゃあその成長と表して僕らが身につけようとしているあらゆる能力ねこれが全部体にひも付いているっていうねこの認識なんですよここを見落としてはいけないなと思います。
知能とか運動神経すべて体の話ですよね108話かなあの敬意と感謝の念を持って自分とは異なる他の人の個性を眺めるっていうねえっと少し前の番組で話したようにそもそも体っていうのは僕らの個性とね役割個性にひも付いた役割を果たすための道具に過ぎないと僕は思っているんですね。
だからこそ僕らのこの体目に見える体というのは80億の違いを持っているわけですみんな同じではないんですね。
で頭の良さっていうのはその体力とかねこの体筋肉みたいなものと違って目に見えないからここが違うっていう視点を持ちにくいんだけどもでもまさにこの頭の良さという一言とってもそれが記憶力なのかね理解力なのかそれともアイデアを発想するようなね発想力なのかこれ全部10人トイロですよね。
でまあ学校の勉強っていうとそのまあなんつーかな記憶力とか理解力とかそのところそのあたりが重視されるんだけども僕は頭の良さっていうのはそこだけじゃないやない感じがするんですね。
このこのその種類というかねこれが全員違っているわけですよ80億人がだからえっとなんかこいつアホだなと思うような人がえらいミラクルなアイデアをねピンチな時にポンと閃いてくれるみたいなことだってあるわけだからその学校の勉強のできるできないみたいなその基準は僕らにとってのこの知能のねほんの一部しか僕は語ってない感じがするんですよ。
だから実はここもね本当に千差万別なんですねでしかもこれはやっぱり体に紐づいた能力なんですよ脳というねそこを比べることに何の意味があるのかっていうねここがとっても重要な気がするんですよこのねその僕らの80億の役割それを果たすための体これに紐づいた能力ですよ。
この80億全部違うこの体に紐づいた能力というものを比べるということに何の意味があるかということですねこれはあの前回のその108話でお話ししたようにえっともうこれは本当にブルゾーザーとスポーツカーを比べているようなもんなんですね。
例えばそのルックスはどうよとスポーツカーかっこいいけどでもブルゾーザーも見方によってはかっこいいかもしれないんだけど役割が全然違うわけですよ。
そしてエンジンの性能それから燃費そういうものもこの用途によって全く異なるわけねこれは多分僕らは能力と呼んでるんだけどもえっとそれは本当に道具なんですよね。
おそらく重要なのはその体道具である体を動かす運転手の方つまり私の言うところの形のないものの方であるはずなんですよこれを僕は今のところ思いと呼んでるんですねこの思いがこの道具を動かすわけです。
でそうするとこの思いねこれは絶対に対等であるはずなんですよこの形のない思いというのはねこの形がないから比べようもないんですけどもねどう考えてもその例えば私と佐々木さんとか矢部聖子さんとかね濱田千恵さんとかまあ私といろいろ仕事をしている人とかそれから私とその私のワントレをね受けてくださる受講者の方そしてこの番組を聞いてくださる皆さんの皆さんのこの思いを伝えたいと思います。
この思いがですよそれぞれ優劣とかね強い弱いとか上下があるはずがありませんよねこれはおそらく生まれた時から全く同じものとして僕らはもらっているはずなんですよそしてこの思いがなければどれだけ能力があってもどれだけ優秀な体を持っていてもそれを動かすことができませんからねそれを使うことができないだから僕はこの運転手である思いここが僕らの本体である。
これは完全に対等で一つであり価値マックスだって思うんですよここをねやっぱりこのなんつーのかなどちらを見ているんだっていうことを改めてこう見直してみないとねえっと捉え直してみないとやっぱりこの成長志向それは体にひも付いた能力これを言っているんだってことをしっかりと認識しないとやっぱりこの上下格付けみたいなねえっとそこを手放すことができないと思いますね。
勝ち続ける覚悟と不安
やっぱりこの人と話していてさっきこういろんなことを僕は例として挙げてきたんだけども全部同じですよねさっきのそのマウントを取ろうとしてね英語と日本語とフランス語がしゃべれるみたいなこれ全部そうですよね体にひも付いている能力ですよね言葉を話すというねそれはおそらくその方はですねそのようにそのインターナショナルというかグローバルな活動を
するという役割を担っているんですよだからえっと結構大変な思いをして子供の頃から三角をねこう学ばされてきたっていうねそれをしっかり自分の役割として役立てればいいと思うんですよね
そしてそうでない日本語しかしゃべれないもう僕なんかその一人だと思うんだけどもこの私はおそらくこの国でね何かやることがあるんでしょうこれを比べてどうするんだってそういうことですよねここにやっぱりさっきの世の中でいいとされている価値基準っていうのがこうバッとこうねまあ入ってこんできてしまうんですよねこれはトレンドなんですけどもね
えーこういうことですねここをしっかりとこの1回その見直すということ僕は形のない思いこれが等しいそれで十分じゃないかなと思いますねでもしこの成長しくで成長志向でいくんであれば勝ち続けるっていう世界に暮らすことを覚悟しなくてはなりませんよね必ず負ける時が来るうまくいかない時があるそれでもそれを乗り越えてとにかく勝ち続けるんだっていうねこのなんつーかな覚悟を持たなければならない
そしてこれはさっき言ったようにこの競争勝ち続けるという世界はこれは恐れや不安の世界ですからねこれを持っていてもいいんだっていうねそこも覚悟しなきゃいけない
だからここはそれぞれがね選ぶことで自由だと思うんですけどもねでももう一つあるんですよこれが僕はちょっと一番きついなと思うんだけども
さっき言ったようにこの勝ち続けるために使う能力ねそれが体に紐づいているとしたら僕らは必ずこれが衰えて加工する時っていうのを迎えるんですよ
この恐怖っていうのはやっぱり相当大きいと思いますねだからやっぱり若いうちに若いうちにって焦らなければならないこの恐怖も抱える覚悟を持たなければならないわけですね
で僕はもうこれはいいかなってそんな感じがしますねなんか本当にもうこの40代より前かな散々やってきて本当にハッピーになれなかったしうまくいかなかったのでね
これはでもいつも言ってるようにこれでうまくいくというんであればねえっとわざわざそれを変える必要はないんでしょうね
でも僕はもうここは位置抜けたっていう感じです
対等であるの方がよっぽどハッピーだしその方が僕はなんかうまくいくしいろんなことがもっと自由にできる感じがしますね
決してそれでサボったりとか何もしなくなったりとか要を捨てるようなことは全然なくてね
逆に言うともし私がですよこの成長志向の中で生きていたとしたらよこの体にひも付いた能力
例えばこのしゃべるとかね文章を書くとかまさにその脳を使うね作業ですからね
これも多分今も衰えているでしょうきっとなんかあのこのポッドキャストの番組を自分の喋ってるのを聞くとね
ちょっとこうなんか言い間違ったり少しこうつっかかったりこうしたときには何かこれ衰えかなみたいなところと考え感じる今みたいなねこの噛んだ時とかに感じることもあるんですよ
だからもし私がこのガチガチのねガチの成長志向で今生きてたとしたら
今60歳ですからねもう相当いろんなことをやるのが怖くなっていただろうなと思いますね
でおそらくとてもじゃないけどもなんか新しいことに挑戦しようなんて気力はもしかしたらもう湧かなかったかもしれませんね
これまで得てきた財産みたいなもの貯金みたいなものをこう一生懸命使いながらね自分の得意なことだけこう使い回して
なんか今までやってきたことを繰り返すようなことしか多分できてなかった気がしますね
で僕は幸いなことにここではなく形のない思いがそれを動かすというふうに認識できたので
いくつになってもおそらく大丈夫なんじゃないかと思って今でもいろんなチャレンジができるっていう
こちらの方がいいかなって気がしますね
とはいってもねそのある例えば競技とかゲームとかそこで勝敗とか順位を競うのはね全然いいと思うんですよね
それはなんか僕も嫌いじゃないだけどここでね例えばね私はぜひイメージしてほしいと思うのは
例えばカップルでねパートナーと一緒に家で任天堂のスイッチのゲームがなんかやるとしますよね
マリオカートでも今流行りのスポーツっぽいテニスとかゴルフとかでもいいんだけど
日曜日のね昼下がりかなんかにちょっとスイッチやろうかとかつってね
でここでゲームの勝敗が決せられるわけですよ
そしてうわ悔しいとかよしやったみたいなことをここでね快感を得たり悔しさを得たりするわけ
でもそのゲームのスイッチをポンと切って元の生活に戻った時に
こいつ俺にゲーム負けだから下だって思って食らう人はいませんよね
いるかもしれないけどこいつゲーム下手だから俺より下だって思いながら
その夜も過ごす人はいるかもしれないけどやっぱりいたとしたらおかしいですよね
そしてその下だと思われた相手はたまったもんじゃないですよね
いやこれスイッチのゲームだからっていうねこの感覚を持って何がいけないのかなと思います
このカップルが任天堂のゲームをやって勝ち負けが決まっても
そのゲームのスイッチを切った後はおそらく上でも下でもないっていうことを認識できるわけじゃないですか
でも多分ここにやっぱり世の中の良いとされている価値みたいなのが混ざってくると
ずっと僕らはスイッチを切らずに任天堂のゲームをやってるんですよ
だからこの体に紐づいた能力を見てどちらが上だとか下だとかね
格付けをしながらそして疲れてしまうわけですよ
人と一緒にいるのがね
このおかしなおかしなと言っていいと思うんだけど
このおかしな世界からこの僕らを救い出してくれるね
それが一つ意識であり具体的にはさっき言った私とあなたは対等である
対等な認識の持ち方
あなたと私は対等であるということですね
このように唱えながらというかな自分に言い聞かせながら
というのは別にこれの真逆の格付け上下の習慣がついてますから
これをこちらに修正しながら人と接するようにするっていうね
これが私の提案なんですね
あくまで人と接するのが疲れるのが嫌だったらですね
人間関係に疲れるのが嫌だったらこのように修正する方法があるということです
要はこの一つと価値マックスそして対等というこの三つは完全に同義なんですね
これはいつでも同時に実現するんです
だから対等というこの感覚を持つだけで同時に一つ価値マックスというのが立ち上がってきて
僕らに平安をもたらしてくれるということですね
だから重要なのはやっぱりどんな基準を持ってしてもね
対等な認識と疲れない関わり方
この僕らの上下優劣っていうのは決められないっていうことです
この感覚を持てれば対等というのはそんなに難しくない感じがしますね
僕らはそれを自分で決められると思っているからここにこだわってしまう
これは決められないんですよ
なぜならばそれはすでに対等と決まっているからなんですね
なぜならば僕らは宇宙の真の頑象から生まれた
広がる想像の結果として生まれた存在だからです
これをしっかりとね確信して過ごしていれば
僕は人と付き合う人と関わる人と話すことで疲れることはなくなっていくんじゃないかなと
そんなふうに思いますね
今日はそんな感じですかね
前回番組でお知らせした私のワンオンワンのセッション
ワントレ2のじっくり12チケット
このキャンペーンをあの日から始めました
少しお安く提供します
グッドバイブスファクトリーの会員価格と同じです
早速ですね先着ヨンベン様というふうにあの時お伝えしたんですが
翌日に早速1人お申し込みありましてありがとうございます
今あと先着3名様になっています
このセッションはですね
簡単に言うと今日のようなお話をしながらね
何もその犠牲にしたり失ったりすることなく
もっと自由に楽にそして最大のパフォーマンスを
仕事なり何なりいろんなことですね
あらゆることに発揮できるようになるとこれがゴールなんですね
だから平安になれたり楽になれたりするんだけど
その代わりにちょっとお金が稼げなくなりますとか
ちょっと欲がなくなりますとか
そういうことは多分一切ないんですよ
だから僕はこのやり方をお勧めしているし
自分でも実践しているんだけども
そういう感じですね
何も失わずにもっといい感じになるっていうそこがゴールです
だからこの番組を聞いていただいてね
ああそういう感じいいかもと思った方はですね
だいたい半年ぐらいかけてやると思うんですけども
この12チケットというか12回のセッション
ぜひトライしてみてください
私もこの皆さんとの新しい出会いを楽しみにしています
じゃあ今日はですね
人との関係に疲れたら対等に修正してみる
人との関係人と関わることに疲れたなと思ったらですね
上下の争いとか格付けみたいな世界から
ふっと抜け出して
私はあなたと対等である
あなたは私と対等であるというね
このように認識を修正しながら
良い一日をお過ごしください
ありがとうございます