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グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは ただいま10月24日月曜日の1時34分ですね
いつもよりかなり早い時間に始めてます というかですねあの
いつものこの3時とか4時とかねこのぐらいの時間っていうのはもうミッドナイト というよりもアーリーモーニングなんじゃないかというね
だからあのこんばんはじゃなくておはようございますでも全く構わないんじゃないかな って感じがするんですけどね
やっぱりこの1時30分このあたりが本当のミッドナイトじゃないかってんで できればねこのぐらいにいつも始められるといいんですけどね
まぁちょっと前にいろいろやることが詰まってましてね どうしても3時過ぎっていう感じになっちゃうんですけどね
まあまあそれをまた楽しくやってますんで問題ないんですが 昨日は土曜日ですかね
えっと 日本橋の高島屋で
一つワントレのセッションをやってきましてね この受講者の方が実はこの私のワントレ
前はパーソナルセッションって言ってたんですけどこれの第1号の方でね まだ確かグッドバイブスご機嫌な仕事
緑の本が出版する直前だったような気がしますね 18年2018年の暮れ
あと2ヶ月ぐらいで本が出るっていうそういうタイミングでね 公式ウェブサイトをまず立ち上げてグッドバイブスという名前のね
それからブログを日刊で始めたんですよねえっとカウントダウンとかしてね あと60日で出版みたいな感じで
でデザインも今と全然違うウェブサイトだったんですけどね もっと地味な本当ブログだけ掲載しているような感じで
ワードプレスかなんかでね作ったんですけどそこでなんかこう パーソナルセッションを先んじてね本に先んじてやってみたいなっていうんで
告知を出したっていうかランディングページみたいなものを作ったんですけど 早速ね来てくださったのがその方で確かどこだっけな中野サンプラザの近くの
野外のテラスのね席で初のセッションをやったっていうそういう記憶がありますね 確か私はその時まだあのバンドをね毎月ライブをやっているような感じで結構
活動ガンガンやっている最中で 確かそのセッションの後に直後に
バンドのリハーサルがあったんでギター持って行ったんじゃないかなってそんな感じだったと思います でまだあのお試し料金みたいな感じで今の半額以下で
その場でなんか最初は1本だけやりますとねショットワンショット単発でセッションやります というお話だったんだけど90分お話しした直後にね
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じゃあ4回でお願いしますでその場でその現金を受け渡すみたいなそんな感じだったんですよ ね
でその方がまあ4年たちねあれからほぼ4年ですね そう合宿とかにもね途中2回ぐらい参加してくださったんですがちょっと改めてもう1回
やってみたいということで ちょうど確か前回のねあの
この放送で good vibes のトライはね最終的にこの3つのものに集約されていくっていうね お話をしたんですけどもまさにその方ともこのじゃあこの3つですね
みたいなねそういう流れになりまして面白いなぁと昨日放送でね番組でこの話をした ばかりでうんでまさにそれをそこにまた挑む方が現れるというね
面白い流れでしたね でその後あの高島屋のね同じ8階から
大きな展示会場がありましてねそこであの草月流のそうお花ですね 池花の草月流の展示会というのがありましてここになんとあの
私らのであっているその good vibes ファクトリーのコミュニティーのメンバーの方がね 実は草月草月流市販でしてその方は
自身の展示を作品はねそこの展示に発表されるというんで セッション終わりにその受講者の方とねあの金もあの知り合いだったんでね
一緒に見に行きましてね なんかものすごい盛況でさすが日本橋高島屋っていうかね
もうなんかほぼ超満員な感じででその出展者の方に聞いたらいやこれもかなりも 波が収まってますと日中はもっとすごかったんですみたいなね
いやーそれでも相当な混雑でしてうん 猫を辿っていきながらねその彼と一緒に
まあその名前とかこう作品とか見ながら大へと部屋金4つぐらいに分かれたんですよね その部屋の4つ目の最初の一つ目のえっと終わり付近にね
結構いい場所にポンとその方の名前とともにね作品が置かれてまして いやそれがもう本当にまあ僕は素人なんでねその良い悪いを見る目っていうのがあるか
どうかちょっと微妙なんだけどまあでもなんとなくこう これはいいねみたいな感じはわかるんだけどもね
見事な作品でしたね本当にカラフルでね お花だけじゃなくてプラスチックとか鉄とかね様々な素材を組み合わせたようなまさに
その 独特の彼なりのオリジナリティーの発揮された見事な作品でした
この彼がね実はねあまりまあ言ってもいいと思うんだけどね その前日からだから作品をそのその会場でねなんといけるらしいんですよねその場でね
その直直前かちょっともうあのプレッシャーのあまり苦しくなってますみたいな 相談をね緊急でこのファクトリーに寄せてくださったのでね
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私はまああの私なりにそのタイミングでこれこれこういう感じで行ったらどうなんです どうでしょうみたいなね回答を返して
まあ一応あのなんか前向きに行ける感じがしますみたいな展示をいただいた後 だったんでなんかどうしてもその作品はね見に行きたくなりましてね
そこまで大変な思いをして どんな作品が出来上がってるんだろうっていうね
ところがねなんか僕の率直な感想で言うとこんなに良いものが作れるんだったら 何の心配もしなくてよかったんじゃないみたいな感じなんですよね
うんこれがやっぱりこう面白いんですよね前回もお話ししましたが 自分について本当のことはわからないってね自分がどのぐらいの実力を持っていて
うんでまぁ私たちはどうしてもこの相対的にね 他の出展者と比べて自分がどうだみたいな比較の中でこれをやろうとするので
ますますわからなくなるんですよね というのもあれですよやっぱり僕らは自分ができているものを人ができていてもさほど
こう目につかないんですよ 当たり前だから
そうではなくて自分ができていないと感じるものを人ができている時にやっぱ衝撃を 受けるんですよね
だからあのまさにうまく言ったもんでとの飛ぶ隣の芝生は青く見えるっていう言葉が ありますよね
その青いところばかりをやっぱり見てしまうんですよ そうするとそれがね一人じゃないですからねその展示会に何百という作品が飾られて
いてその何百という作品の中から自分にないものだけを見ていったら そのその自分にないものだけを見ていくその青さだけを見てたらとてもじゃないけど
自分はこれでいいなんて絶対に思えないですよね できてないじゃんできてないじゃんこれもできてないじゃんこういう要素も僕の中には
ないじゃん こんな才能もないじゃんっていうねないもの尽くしになってやっぱしまうんですよね
まあこれはもう本当僕らのものの見方の特性なんでね こうどうしもいかんともし難いんですけどもね
まあそれでまあ本当にあの写真撮って facebook とか twitter とかにもツイッターを上げてないかな facebook に
上げたんですけど
なんていうのかなぁ本当につくづく思ったんですよね なぜこんなに素晴らしいその腕とね才能センスみたいなものを持っている人がね
やっぱりこの自分自身について見失いながらね 大丈夫かって本当にできるんだろうかっていうその苦悩の中にこう入ってしまうんだろうかっていう
ね だからやっぱり今日はですねあのもう少しこう間を開けようかなとも思ったんだけど
前回お話した本当のことはわからないの4つ目自分について私たちは本当のことを何も 知らないというね
このお話をやっぱりしてみようかなと続けてね思います まあ続いてた方が何かわかりやすいかなっていうのもあるんでね
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あの 前提としてねやっぱりその僕らは
天然のものなんですよ人が作っていないものなんですよね でこれはまあ要はこの宇宙の真羅晩生からなんだかのこう
いろんなつながりいろんな奇跡の中でねいろんな偶然かな 偶然の中で生まれたんですよね
まあよくその宇宙の話をするときに人が生まれる確率ってどのぐらいだみたいなね ちょっともうあの詳しい数字は覚えてないんですけど多分ねもう天文学的な確率だと思うん
ですよ そのぐらいこの僕らみたいなこの生き物というのはね
この宇宙の中でなかなか見つかっていない ねあのよくこう地球外生物を発見しようという試みがありますけどね
まだその欠片さえ見つかってないっていうかね まあこの僕らが行けるたどり着ける付近にはもしかしたらいないのかもしれないんですけどね
そのぐらいやっぱりなんかあのものすごい確率ものすごい偶然の中ででもその宇宙の営み の中から生まれたものなんですよね
ところがこの僕らはまたそのそうして生まれてきた 生き物なんだけども面白いことにやっぱりこう
なんつーのかなこう社会とかね集団みたいなものを形作って生活をしていくんで 自分たちがこの暮らす環境とかね
仕組みシステムそういうものを作りながら生きているっていうこの二重の構造になって いるんですよね面白いですよね
天然なんだけど人工のものをたくさん使って作り上げてその中で暮らすっていうね こういう生き方をしているわけ
これも良い悪いとかって話じゃなくて自然にそうなるわけですね でそうすると僕のイメージではね
最初にポンと生まれた時にもう本当丸裸の天然というねこれ僕は本来の自分と呼んで るんだけどそういうものとしてポッと生まれてくる
だけどももう物心をつくというかねもう多分1歳2歳のぐらいの時からこうでなくて はならないとかね
こういうことをしてはいけないとか まあこれはしょうがないんですよね社会集団の中で生きる上でお前が勝手に
わがままをやっているといろんな人に迷惑をかけるとかね それだとお前は妻は好きにされてこの中でうまくやっていけないとか
もしくはとても危険な目に遭うとかねそういうものがこう ついて回りますんでいろんな教えとかね正しさみたいなことをこう身につけて
いくわけですねこうみんな自分の子振る舞い方みたいだね これがまあ家庭でいうしつけだったり学校でいう教育だったりね
まあその他にも例えばそのなんだ習い事に行くその場とかね 塾とかいろんなあらゆる場でいろんなことを学び身につけていくわけですね
でこれをなんていうのかななんとなくその本来の自分丸裸の自分と比べるとね 僕はこう人工のものでコーティングしている感じがするんですよね
これは実はあの例えば地球という環境を見た時に地球丸裸の地球の上に僕ら暮らして ませんよね当然ですけど例えば都市で東京みたいな大阪とかね
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それなりの大きな町で暮らしていると基本的に土を見ることってなかなかないんですよね やっぱアスファルトでコーティングしてるんですよ
で僕は6歳の時に北九州から鬼滅というね千葉県の鬼滅市というまあ本当に田舎なところに 引っ越してきたんだけど
6歳の時来たばかりの頃はねだから1969年ぐらいかな 確かあのアポロがね月に着陸するっていう映像を僕はその九州で見ながらね
そろそろ行くよーっつって母親に呼ばれて東京に旅立ったんですよね だからあの年なんですよ
で鬼滅についてみたらえっと僕が住んでいた北九州市のね八幡っていうとこよりもやっぱり こう少し田舎な感じでほとんどねアスファルトの道がなかったんですよね
だから小学校に通う10分ぐらいの道のりかな 雨が降るとドロドロにぬかりまくって
長靴を履いてるんだけどその長靴よりもね 長靴がその靴の大きさよりもずっとこの土の下に沈んで靴の中に土と泥とね
水がブワーッと入りまくるとかもうちっちゃい体なんでこう 抜きながら歩くのが大変みたいなそういう思いが思い出があるんだけどね
よくて砂利道でしたよね それがまあこの40年50年ともう経っていくうちにアスファルトでどんどんコーティングされていって
でよりまあ快適な環境にこう変わっていくわけですね なんていうのかなその
天気とかそういうものに左右されずにいつでも自分が思い通りの場所に思い通りの 時間にたどり着けるというこういう便利なものを僕らは作り出してこう生きてるわけですね
まさにこのコーティングのおかげなんですよね でこのまあ当然だけどもその道をコーティングするのと同じように
僕らというね天然の生き物も放っておいたら ろくなことないとなんか余計危ないことしかねないとかね
人に迷惑をかけるかもしれないとかっていう理由同じような理由ですよね 道がぬかるんだら困るという
そういう理由でまあいろんなコーティングを施していくわけですね これが教育しつけ正しさみたいなもの
で大人になってその自分とは何かって見た時に僕らどうしてもこのコーティング越しにしか 自分を見られなくなってるっていうねこれが一番なんていうのかなこう惑わされる
大きな要因なんですよね でもね知りたいのは僕らが知りたいのはおそらくそこじゃないんじゃないかと思うん
ですよ その正しさとかね学んできたもの
これはこうでなければならないみたいなそういう哲学とかね 思想とかいわゆるポリシーモットーとかねそういうものっていうのは
服のようなものなんじゃないかなって気がするんですよ その自分というよりは自分の上に着ている服かな
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まあもっと言うと多分だけどそのコーティングというのはね自分の身を守るために身につけて きたものなんで鎧ですよね
鎧みたいなものじゃないかなっていう感じがするんですよね だからよくそのアイデンティティみたいなことを言うときにね
そのなんつーのから僕らはやっぱりこの後付けで作ったものをアイデンティティと呼んでる 感じが僕にはするんですよね
でもねあのこの言葉を調べてみるとねまあいろんなその自己同一性とかそういういろんな 意味があるんだけど
僕はやっぱりこの自分がね自分自身が環境とか時間の変化に関わらず連続して 同一のものっていうこの解釈が一番ぴったりくるんですよ
そうなんですよだからでこのさっき言ったその服みたいなものね思想とかね モットーポリシーみたいなのって変わり得ますよね
時代が変わると変わってくるし なんかこれじゃあうまくいかないなみたいなことで修正することもある
まさに私がねその絶望の淵に立ってそこから戻りながら真逆のやり方を採用していくみたいな これもう逆転してるわけですね
当然だけど僕はそのそれそれ以前はねこういう考えが自分自身だと思ってたわけですからね
特になんか僕の場合はなんつーのかな変な正義感みたいなものが子供の頃から大きくてね
あの曲がったことが大嫌いとかってあるじゃないですか あれにねなんかすごくこうどっぷりハマってた感じがするんですよね
特に組織の不公平さとかね理不尽さとかを目にするともうなんかいてもたってもいらん なくなるみたいなね
だからよくその学校の組織の学校の運営の方法とかで先生とぶつかったりしたし それから大学に入ってねすぐ音楽サークルに1回入ったんだけど
仕事する前にねそこでのなんていうのかなこの進め方みたいなね不公平さみたいな どのバンドが出演できてできないみたいなそこの決め方がおかしいみたいなことは
もう目につくと食ってかかってたんですよね 先輩だろうがなんだろうが容赦なくてその辺のなんつーのかなこう切れ方みたい切れっぷり
みたいなのがね 本人相当ビビってるんだけどねその時はヤバいことやってるなーって感じなんだけど
もうそれがこうやらないと気が済まないみたいな 僕はずーっとそれが自分のアイデンティティだと思ってきたんですよね
でそれはどうやって身につけたかって言ったら多分だけど幼少の頃にいろんな経験をし ながらね
多分私の中に一つ一つ作ってたコーティングのやっぱりあの仲間なんですよねこれがね これを自分自身と勘違いしながらどうしてもそれは大事にしなくちゃいけない
なぜならそれが失われると自分ではなくなるからみたいな感覚ね まさにアイデンティティをなくしてしまうっていう
でもなんとなく今はねそういったものはその変わりゆく可能性があるもの そして多分だけどおそらくだけど自分が作ったもの
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これは僕の中ではアイデンティティではないんじゃないかなと そのもっともっともっと以前にあったその僕らが生まれながらに持ち
そして何があろうと変わらないっていうねずっと連続して今日まで同じであるっていう ここだけが多分だけども
僕らにとってのアイデンティティなんだろうなぁと思うんですね やっぱり人が作るものというのはえっとやっぱり必ず壊れるっていう特徴がありますよね
これはもう免れないんですよね人が作ったもので永遠に存続するものは多分一つもない はずなんですよ
ローマの遺跡とかありますけどねもう崩れてますからねかなりね エジプトの遺跡もそうですピラミッドもそうです
人が作ったものは必ずいつかその時代とともにこう風化していくんですよね だからそれと同じようにね僕らが自分で作ったアイデンティティとかね自分らしさというものは
多分だけども時とともに風化したりね損なわれたりしていくんじゃないかなとやっぱり同じ 形で留めておくことは難しいんだろうなと思うんですね
それからもう一つやっぱり僕らがその作るものというのは頭で考え出して作るもの なのでどうしてもね線形になるんですよ
線ね線線を引くの線に形で線形ってやつですね まあ要は型通りっていうのかな
でもこの自然界にはねその線がないんですよね1個もね 直線がないっていうすごいですよね
直線のように見えるものでも近くに行くともっともっと複雑な形をしてるんですよね
フラクタルっていうのかなこれなえっと近くに寄れば寄るほど複雑さが増していく っていうね
だから線形のものというのがこの世界に存在しないとすればね 僕らが頭で考え出した私とはこうであるという一つの形
型なんですよねこれはやっぱり線なんですよ線形なんですよ 四角だったり六角形だったり八角形だったりするわけ
これはどうしてもその自然界の線のない複雑ななんていうか様相にはね マッチしないんですよね合わないっていうね
だからなんていうのかなこう自分自身で私はこういうものだみたいな決め方を 僕はなるべくしない方がいいだろうなぁと思ってるんです
だから自分とはどんな存在か本当のことはわからないとずっと その受け入れておくっていうかねなんかこれがとても謙虚な姿勢
なんだろうなぁと思うわけですね ただその僕らは
どうしてもここはね知りたいという欲求からはこう逃れられないですよね 本当にただ単純に私は何なんだ私とはどんな存在なのかっていうのを知りたいっていう
のはもうこれはもうなんだろうなえっと別に良い悪いは別としてね僕らが生きている間 ずっと失われない一つの願望
なんだと思うそしておそらくだけどもそれを 掴むというかねそれを知るっていうことがこの人生の大きな目的の一つになっているの
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かもしれませんよね なんかそんな感じがしますね
ただそういうものとは別にねさっき言ったもう一つのその社会性ですかね こちらから見た時にやっぱりその僕らの中に得意なこと人より得意なことね
人よりまあ好きなことかなまず同じなんだと思うんだけどこれをやる方が有利なん じゃないかっていう発想がありますよね
計算が苦手なのにお金の分野に入っていくっていうよりは じゃあ計算が苦手だとしたら何が得意だった文章を書くのが得意か
じゃあコンテンツを作る世界に入ろうみたいなね その方がおそらく人とまあその切磋琢磨競争するときに少しでもね
有利な位置に立てるんじゃないかっていうかねなんかあの 陸上競技でハンデをつけてねスタートラインが10メートル前みたいなやりますよねよく
アスリート対子供みたいなねあの時にその得意なことから始めれば人よりも20メートル ぐらい前からスタートできるんじゃないかなっていうね
こんな多分欲求というか願望があるわけですよね でそうするとそれは一体なんだよってことをどうしても探りたくなる
でまぁ世の中にはこれを実現してくれそうなサービスとかねツールみたいなのがやっぱり 溢れていますよね
そしてやっぱそれはいつの時代でもものすごく人気があるというかニーズがあるんですよね でまぁ僕はそういうものを使ってね何かを知ろうとすることこれは全く問題ないしいい
ことだと思うし それからまあ時代が進めばねそういう分析自己分析みたいなテクノロジーというかね
アルゴリズムもきっと研ぎ澄まされていくんで まあ僕がこういう本当のことはわからないと言いつつもそれなりにそこそこわかる
サービスっていうのはねもうすでにあるのかもしれないですよね ただ私はねここでもねもう一つ別の視点からね
うんと僕らがよくやりがちなことでね 実際にはその無限の広がりを持ってるようなぼんやりしたものってのがあってね
これをねえっとこれを知りたいというあまり それを言葉で定義するっていうこれをやるんだけども
そうすると必ず元のその無限の広がりよりもスケールが小さいものに固まってしまう っていうこの現象がやっぱどうしても気になるんですよね
例えばこう空を見るじゃないですか空ってでかいな広いなぁとそして霧がないよね っていうこの無限のスケール感っていうのを僕ら心の中にイメージすることができるんです
おそらく空をずっと眺めているともうどこまでも吸い込まれていくようなね これは一体何なんだろうなぁでもでもでも僕に僕から見るとこれは空なんだよ
なーって分かってるんだけどつかみきれない何かっていうのがあるわけですね それだけやっぱ無限の広がりなんで僕らの中に吸収しきれないものが残るわけですよ
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でもそれを空っていう言葉にねして表現すると 必ずその僕らがもともと空を見て感じていたスケールよりもこの空っていう言葉文字
そしてそれが文章に書かれていて空なんだねって読む時の読者の感覚っていうのは 確実に小さくなってますよね
ということは私たちもおそらく天然の存在でありね さっきの本来の自分というところに
行った時にはそれを見た時にはね おそらく実際には無限の広がりを持っているはずなんですよ
得体の知れないっていうかねものすごいスケールが多分大きいんですよ でもそれを私とはこういう存在ですとね
私は例えば人と話すのがあまり得意ではないと集団で生きるよりはどちらかというと 独立して一人でコツコツと仕事をするとうまくいくタイプです
みたいな答えが出たとするじゃないですか その定義というのはおそらくさっき言ったね
実際の無限の広がりを持っている僕らよりも小さいんですよ だからなんかここで僕はおかしいなって思うのね
なぜ自分自身について知りたかったのかっていうのは 僕らってどんな可能性がある存在なんだろうってことをおそらく知りたかったはずなんですよ
でもここに人より有利にその10メートル前にスタートしたいというような 一つの欲を持った時にねもっとはっきりわかりやすくしてくれと
限定してほしいんだと ぼんやりとこんな感じ
なんとなくそうだね話すことかなみたいなことじゃわからないんですよって話すことって 言われたっていろいろあるじゃないですかってもっと詳しくっていうね
でそうするとそういう例えばサービスとかツールとか使いながら もっともっと限定してわかりやすい言葉でそれを表現しようと
表現してもらおうとするわけですね自分を語ってもらおうというかな これがあなたですっていう風に語ってもらおうとするわけ
そうするとやっぱりこのスケール感は落ちるんですよ 落ちた方がいいのかなっていうね
わかりやすさを求めるあまりその限定されるっていう方を選ぶっていうのは本当に いい選択なのかなっていう感じがするんですよね
でそこにさっき言ったそのコーティングとしてね作ってきた後付けの正しさみたいなね 教育とか自分が本を読んだりセミナーを受けたりね人の話を聞いたりしながら
おそらくこうやって生きる方が正しいんだろうみたいなことをね そして僕のようにねそうじゃないものは許せないみたいなこの行き通りを踏まえ全部
含めてねこの怒りすらも全部自分だみたいな感じの捉え方をして定義していく方が本当に いいのかなっていう感じがするんですよね
でそもそもそのね僕ももういろんな分野でいろんなことをやってきましたけども これが自分には得意だってつかむつかめたなって感じの時は確かにあるんですよ
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いやいや俺これやらせたら絶対うまいよって でも面白いことにね多分ここがですね
えっと先ほどのその展示会の前にね 緊張に苦しんでいたその彼のね苦悩と同じでえっともっとすごい人が5万人いるんですよ
特に僕は音楽やってる時にそう思いましたね なんか千葉の機密でギター弾いてる時はあと僕に並ぶ並ぶ立つ奴は一人もいないと
俺はこの街制覇したぞみたいな感じだったね よっしゃ俺の得意なら楽器を演奏することだつってね
それで大学行って東京出てそのさっきの音楽サークルに入ったら もう同学年それから先輩もう5万とゴロゴロいるんですよ僕ぐらい弾ける人はね
僕なんかも多分だけど1年生で入ってきた入った時は下から3番目とか4番目ぐらいだね そんなまあ340人いたんですけどね
そのぐらいのところにやっぱこう叩き落とされてねこれ得意じゃねーじゃんみたいな そんな感じになるわけですよ
だからこの得意分野っていうのをつかむっていうのがどこまで得意だったらいいんだろう っていうのはね謎ですよね
いつもいつも必ずいますからねやっぱすげーなーっていう人はね そうするとスタートラインが全然20メートル前じゃないじゃんってことになってまた別のことを探さ
なきゃいけない で同じ何か次のことを見つけてもやっぱりそれよりすごい人がいるとそうするとこれ得意じゃ
ねーじゃんっていうねことこの辺の折り合いはどうつけるんだろうっていうのがでよくわから ないんですよね
まあその場その場で知らぬが仏でね得意だと思い思い込みながらやるっていうことはできるんだ けど
でもだからもう一つね僕は得意じゃないなぁと思っていたことをなんかあるきっかけでその やらざるを得なくなりね
それからものすごく得意になったこともなくはないんですよね だからやっぱりですねあの
なんていうのかなぁ僕にとってのその自分とは何かっていう問いはね わかったとかねよしつかんだって思った瞬間にこう手のひろからこうこぼれ落ちていく
ような感じがするんですよね 面白いですよね分かったつってこうやって掴んだ瞬間にファーっとこう抜けていくような感じ
これはねなんか自分自身だけじゃなくて例えばその音楽の演奏とかね 作曲とかまあ僕はずいぶんと長いことやってきたんだけど
ギターってのはこう弾くんだとかね 曲ってのはこう作るんだって分かった瞬間にそれがなんか同じことができなくなるみたいな
思いを何度もしてるんですよね特にステージとかそうですね ライブってこうじゃんみたいなこの感じでやれば絶対うまくいくんだって
で次回もよしあれで行くぞって言ったらそれが全然再現できないっていうかね 多分だけどなんつーのかなこう
放っておかなきゃダメなんですよね自分でつかんでしまってはダメでポってこう まさにこの空のようにあるがままにポンッと置いとかなきゃダメで分かったって
つかもうとすると僕らはこれを何かの入れ物に入れたりね ノートに書いたり文字にしたりね
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もしくはそのはっきりとした言葉でしっかりと定義したりみたいなことをやりたがるんですよね 分かっただからね
分かった印にそれはなんだみたいなこれよく話でもあるじゃないですか 分かりましたって言ったらじゃあもう一回お前お前の言葉で言ってみみたいなね
だからこれはこういうことですねみたいなねこれは割と僕らやりたがるんですよね これは一つのなんつーのかなやっぱこう
勉強の仕方で身についたやり方なのかな誰かに何かを聞く それが分かっている証拠に自分でそれを喋ってみる
そしたらその教えてくれた人がそれで大丈夫ですよっていうこの確認が必要みたいなね でも僕は多くの場合ねなんかグッドバイブスでもよくこのやり取りはあるん
ですねそれはつまりこれと恋心これからこれからこういうことですねってって返して もらった言葉っていうのがまぁだいたいやっぱりどこがやっぱり少しずれてるんですよね
でおそらくだけどまぁ僕は言葉にして伝えているんだけども なんかね言葉だけでないやり方で伝えているような部分もあってね
その表情だとかこのコア色とかねしゃべり方みたいな こういうリズムみたいなものでも多分だけど伝えてるんですよここにはその自分でもよく
わからない無限の広がりみたいながあってね だから私自身もこれを文章にして本にしようとかって文章にしてした瞬間に違う
ものになってるなーっていうのがいつもあるんだよね まあ多分だけどこの喋ってるこの言葉もおそらくそうなんですよ
だから僕のこのポッドキャストの番組は長くなってしまうんですね 端的に短い言葉でまとめられないんですよいろんなことをいろんな形でこう喋らないと
その僕がイメージしているこういうことなんだっていうことを伝えることができ ないんですよね
だからわかったつかんだってこう手のひらにこう握りしめてはダメなんだなってやっぱ 勘違がする
文章も同じですよねこうやって書くんだよみたいなことをこの書き上げ塾とかでね 執筆教室とかで僕はそのリクチャーしてますけどもその通りでないことが山ほどあるんです
よね場合によってはその反対に行く方が絶対いいんだみたいだね だからなんかその
僕がせいぜいできるのはそのいつか必ずこの反対に行く時が来るからそのためにこの 反対の技をいつもいつもいつも使わないようにしましょうみたいなことなんですよ
殿下の砲塔みたいなね僕はの大変止めとか統治法みたいなのを基本的には封印して くださいっていつも言ってるんですよね
それをやりすぎるからここで使えるっていう時にえっとありきたりにまたこれっていう ふうに感じられてしまう
だからそれはやめてでできるだけする使わないで書きましょう必ずいつかこれしかない 盗聴しかないじゃんっていう場面が出てくるとその時のためにとっておきましょうみたいな感じで
説明するしかないんですよねこれはやってはいけないやっていいっていうような 白黒はっきりつくそういうことでは全くない
だからわかったつかんだそうか統治法は使っちゃいけないんだねって言うんでは全然 ないんですよ
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この正解でも不正解でもないこの曖昧さっていうのからこれとね仲良くする 自分自身は自分私とは何かっていう問いかけをした時に
曖昧さで曖昧でいいんだっていうね まさにこの空を見てぼんやりこれが空かっていうこの認識だけで十分で漠然とした
もので十分納得するっていうね この感じがとても重要なのかなっていう気がしてますね
そもそも僕らの心というのはおそらくだけど抽象的なんですよとてもね この思考は具体的なんだけど心はものすごく抽象的でいつも漠然としてるんですよ
なんかその人から気持ちを聞かれてねどうしたのって言われていやちょっと言葉じゃない けどなんかムカムカするんだよ
なんかもやもやするんだよって言うじゃないですか このもやもやほど抽象的な表現はないですよねでもこれが正解なんですよ
もやもやしてるんですよ これを具体的にじゃあそのもやもやは何ですかって具体的にしていったところで
えっとさっき言ってこのもやめ派のスケールより小さなものしかつかめませんから えっと必ず確信にその触れられる触れられるというわけにはいかないんだよね
それよりももやもやとさせておいてこのもやもやをなんか漠然とした曖昧な方法で すっと取り去る方が僕はうまくいくんじゃないかなというふうにいつも思ってるわけですね
これがなんかその自分と向き合う時の基本の姿勢なのかなっていう感じがしています だからまずはねここでなるほどと一つ僕はあのこのこのことにね気づいてから
一つなるほどと思えるようなことがあってね つまりは自分が自分自身について語る言葉
私とはこういう存在なんですね まあそれならまだいいんだけど私はこういうことが苦手なんです
こういうことが嫌いなんです こういうことは許せないんですっていうこの記述は基本的には多分だけど
絶対に正しく正しいものではないって思っといた方がいいんじゃないかなって気がするんですよね それで自分自身を定義語り尽くせていないんだとすれば
えっとその縛りを自分につつけてしまうことは 無限の広がりをやっぱり限定してしまう
いろんな意味でもったいない感じがするんですよね なんかあのよく言いますけどその今ここというのは何が起こるかわからない時間
そして終わったことが繰り返されない二度とね だとすると自分自身も次の瞬間にどんな自分が現れるかわからないんですよね
もちろんだからこれが不安だから自分のことを知りたいっていうね まさにこの前回の4つの本当のことはわからないことを知っているという状態に
したいというこの願望があるこれはもうしょうがないですね だから一生かけてなんかそれを探そうというこの感じだけでいいんじゃないかなと
まあその絶対に否定するみたいなことじゃないんですよ それをそうではないと否定するんではなくて私はこれが苦手なんじゃないかな私はこれは好き
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じゃないんじゃないかなっていうのは例えばそれはおそらくだけど さっき言ったねコーティングによってそう思わされている可能性がある
だとしたらそれを絶対に正しいという風に限定しないで少しだけ余白を設けておくんですよ そうじゃない可能性もあるかもしれないね
ぐらいな感じでこれがなんか自分を知るという意味でもね だってその限定してしまったらもうそれが答えになってしまうんでその後に答えが入って
こないんですよね そうじゃなくてまあこれは今のところの仮説ねとなんとなくこの20年30年生きてきてそんな感じが
してるとだったら少しは根拠があるんでしょう そしてなんかサービスとか使ってあなたは集団で動くのが苦手なんですみたいな
答えが出たんだとしたらそこにはやっぱり少しは根拠はあるんでしょう でもそれは絶対に全体を表していないってことですね
私そのものの答えではなくてなんかミラーボールがあるとするミラーボールっていっぱい こう鏡面がついてるじゃないですか
その鏡面の1個を見るとそういう答えが多分出てくるんですよ あーなるほどとここから見ると僕はこういうふうに見えるんだなぁとでもそれを全体で
眺めてみるといやでもこれを打ち消すだけの別のものがここにこんな風にこうあるよね とちょこことこの折り合いはどうなの
なるほど人と一緒にいるのは苦手だというこの認識を踏まえた上で僕は人と関わると こんな面白いことが起こるんだなみたいなね
モナスタブック複雑怪奇な答えがそれぞれの人に多分用意されてるんじゃないかなって 僕は思うんですね
じゃあその全くねもう自分は知る方法っていうのがね ないのかって言ったらまあそうでもないなって気もするんですねこれは僕も
そのグッドワイフスの中で なんていうのかなこう探求してきて今もやっている
すごく重要なテーマの一つでね自分とはどんな存在なのか本当のことはわからない でもどうすればそこに近づけるか答えに近づけるかっていうのは諦めてはいないん
ですねただこれをその 過去に生きてきたコーティングによって定義するっていうのはやっぱり止めた方がいいなって
やめておく方がいいなって思いますね ここはもう本当にいろんなねなんか複雑な要因が絡みまくってるんですよね
例えば本当は全く納得できないのにずっと小さい頃からそうしろと言われてきたと その言った相手に対してやっぱ僕らはちょっとしたこの復讐心というかねリベンジ
自身を持っているわけですね それが捨てきれないが故になぜかその本当はやりたくないその教えにずっと従っている
みたいなこともありえるんですよ だからこれ少し心を少しほどくとねこんなこと答えなくてよかったじゃんみたいな
なんというかこの呪縛からね解き放たれるようなそんなこともありえるんですよね だからまずここはちょっと置いておきましょうと基本的にだからやっぱりここはね1回ね過去の
過去に自分がこう培ってきたものそしてこれが正しい絶対こうでなくてはいけないと思っているようなものを一旦これはコーティングかもしれないなぁと
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もしくは以前の番組でお話した内なる指導者っていうのがね保護者 みたいなものが僕にいつも語りかけてくる
なぜか知らないけど私はこれにいつも頼り切ってねこいつがいないと自分は一人で安全に生きて いけないと思っているこの声みたいなものも一旦ちょっとこう置いておいてね
まあ疑うって感じかなここを信じないというかね まあそういうものが要素が僕の中に何か知らないけど蓄積されてるなぁというのはちょっと置い
といてまずやっぱり一つはですねえっと私は本当に何がしたいんだろうっていうこの声に できるだけいつも向き合うということですよね
でここにはやっぱりこの社会性みたいなのがいつもこう邪魔をする 本当はこれがしたいんだけどそれは儲からないよとかね
そんなことやってたらろくなもんにならないよとか知名度が上がらないよとかね お前が欲しいものが手に入らないようみたいなこのノイズが入るんですよね
でここを何とか買いググって本当は俺は何がしたいんだみたいなこの問いというのはね やっぱりこう静かに一人で目をつぶって座ってですね自分の心に向き合うみたいなことは
やったほうがいいかなって気がしますねこれは私も 時々
様々なその自分がその仕事に煮詰まったりねこれからどうやっていこうかなぁとかね なんか今のやり方がこううまくいかなくて新しい何かを模索するとき
本当はお前は何をしたいんだ最初はやっぱり怖いからいろんなやお金が稼ぎたいんだよ とかねもっと安心して暮らしたいんだよみたいなことが出てくる
分かったそれは分かったとその恐れや不安はいいよとその恐れや不安がなかったとしたら 例えばじゃあ今お前が欲しいと言っているそのお金がふんだんにあると
そして自分が求めているいろんなものがその自分の周りにね そろっていると
その中で 安全だよっていう状態になったらお前は何がしたいんだ
みたいなことかなこんなことを多分僕はシミュレーションしながらね できるだけノイズを削ぎ落としながら本当にやりたいことはなんだと出てこないですよ
そう簡単にはね1回2回そういう目をつぶって考えたところで出てこない だからいつもこれを何か一つ意識しておくということですねこれが一つ
もう一つはえっと自分をよく知る存在が実は周りにいるっていうことに気づくっていうの がでがいんですよ
うんさっきのそのね今回の展示会の彼ね おそらくだけどもすでにその作品に取り掛かろうとした時
おそらくだけど彼の作品を見たことがある人が周りにいたとしたら もうこの人はきっとまたいい作品を作るだろうなっていうことを知ってるんですよね
知らないのはその人だけなんですよ自分自身だけなんですよ その理由はね最初にお話ししましたよね
隣の芝生が青く見えたりね自分自身を自分なりの言葉で定義したりするからですよね でも周りで見てる人はえっと不思議なことにそういうフィルターを一切持ってないんで
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だいたいわかるわけです私の周りにいる人 例えば佐々木翔吾さんというのはどういう強みを持っていてねどういうことが得意で何をやら
したらすごいものをあげてくるか 濱田千恵さんもそうですね彼女の良さは何なんだろうからエフタさん
エフタさんの他に他の人が持っていない彼の唯一の強みは何なんだろうと 僕はねなんかしっかりと語れる気がするんですね
おそらくその本人がね自覚している以上の解像度でね 細かくそして正確に僕は言い当てられる気がするんですよ
じゃあ私はどうかというとお手上げなんですね でもおそらく今挙げたね佐々木さん千恵さんエフタさんに僕の良さって何ですかねって
聞いたらきっと私よりもほーっと思うようなことを言ってくれるんですよ 不思議なんですよね人が分かってるんですよ自分はわからないけど他の人が分かってるんです
近くにいる人たちがね まあそういう仕組みにならざるを得ないんですよねやっぱり僕らの中にある心そして
コーティングみたいなものが 私の本来の姿っていうのを見るのを一番邪魔している
でもそれは外側から見ると僕が自然にやっていること自然に走っているものっていうのが しっかりとこう
にじみ出てるっていうかねそうなんですよこの本来の自分アイデンティティは意識せずとも何もせずとも にじみ出るものなんですよ
これが自分ではわからないんですよねでも見ている人はわかる だからだからこの人にこの仕事を依頼しようという判断ができるんです
これ自分でやろうとすると難しいんですよね私はどの仕事が得意なんだろうかって いうことを迷いまくってますから
どれをやっていれば一番安全なんだろうみたいなことでなかなか答えが出ない 文章かなセミナーかな
それともやっぱワンワンのセッションが一番いいのかな いろんな迷いますいやでもやっぱ音楽に戻ったがいいのかな
今でも思いますよ全く僕は自分自身について分かってないんですね でも多くの人が平気な顔して倉津野さんこれやってくださいって頼んでくるわけ
これはできない人には頼まないんですよ よくね佐々木さんとこの話をするとねいつも彼を引き合いに出すんだけど佐々木さんにイラストを
書いてくれって頼む仕事を頼む人はいないのね いないんですよできないってわかってるから
でも彼に本を書いてくれという出版社は山ほどいるわけですね 知ってるんですよ佐々木生後に頼めば本を書いてもらえるっていうね
この他の人の視点というのを僕は絶対的に大事にしたほうがいいと思います 信頼したほうがいいと思います
だからgood vibesには他の人からの依頼には即座に答えるというね メソッドがあるわけですね
即座に手を抜かずに答えるかな他の人の依頼には即座に手を抜かずに答える この手を抜かないというこのやり方はね
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緑の本で書いた本気を出すというやつですね まあ別にワーカホリックに働けとか長時間働けという意味ではなくて今ここで全
全エネルギーをそこに注ぐという ただただ手を抜かないというだけのことです
私に対してあなたはこれができる人だよっていうことをまずその依頼主が私に言ってくれてます そしてということは私が知らないそこに強みなのこれが僕の一つのね
やりがいのある仕事だかもしれないみたいな可能性を彼が提示してくれてるわけ これをいい加減にやると全くわからないですね
でもねなんか僕ら頼まれたことがそうだなんて普通思ってないんでやっぱりもうできる だけその自分でやりたいことじゃないものだからはてっ取り早くね
まあちょっとあのさっさと仕上げてしまおうみたいな感じでポンとこう放り出すんだけど そうじゃなくてこのチャンス
これが最も多分だけども僕らが自分を知る唯一の大きなチャンスなんじゃないかって私は思うわけね だからとりあえず騙されたと思ってきたんだよね
あいつはこれが俺ができると思ってんだよね得意だと思ってんだよね だからやるんですよ手を抜かずにねでそうすると
なんかすごくないみたいなことが見えてくるわけ グッドバイブスの本を書く工程というかね私はこの取り組みをやり始めてから
私はこの依頼を受けたら即座に全力で答えるというのをずっとやってきたんだけど それによっていろんなことがわかりましたね
自分についてのねそしてそれがわかるたびになんていうかな一つの迷いが消えていく まあちょっとした子なんていうのかな残念さというのかね
寂しさみたいなのはなくはないんですよあの いや俺はロックスターで行きたかったのにはみたいなね
だけどそうじゃなくてこっちなんだみたいなねちょっとしたその その願望に対するがっかりみたいなのはなくはないんですよ
ただその代わりにねあーでもなぁ一人でやってたら俺はずーっとこうだと思い込んでたんだ と
でもこれがそうじゃないっていうことをこの人の依頼によって僕は教えてもらったんだなぁというね あり余るほどの報酬を得ている感じはしますね
だから今ではねもうなんか僕が今やっていることのほとんど90%以上かな 全部他の人から誘われ他の人から依頼されたことで出来上がってる感じがしますね
だからなんかあの自分でこういうことをやりたいなぁと思って始めることよりも 精度が高いというかね
あーなるほどねうまくいくんだねみたいなそんな実感をいつも味わってますね そしてそのために私とはこういうものなのかもしれないなっていうね
さっきのミラーボールの一面一面みたいなものを一つずつ発見しながらね まだまだでも全体はぼんやりと曖昧なままでもこれはずっとそのそうなんでしょうね
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まさにこう今この話をする前にちょっと思い起こしてみたんですけどね エフタさんと執筆教室誘われたよなぁ
前から佐々木さんと言っている掛け上げ塾 いやだっつうのに佐々木さんがやろうやろうって言うから手を出してしまったらこんな楽しい
ことはないっていうことに気づかしてもらったよなぁと 知恵さんの恋愛いやいやグッドバイズと恋愛の話は違うんじゃないのって思ってたけども
恋愛の話の中にもうほぼほぼそのまんまグッドバイブスが入るね いろんなことをその僕はね人と関わりながら広げてもらってるんだなぁと他にもね
この番組で名前を出したい方と今でもたくさんの方にね 僕はその依頼を受けながら
まああれもそうですねワンオンワンのセッションもそうですねワントレ2も受講者の方が僕を 僕にその依頼を投げるやってほしいと依頼を投げるそのたんびに毎回違うセッションが
行われてねうわこんな話もできるんだろう こんな悩みもなんとなく解決できるのかもとかね
可能性僕の無限の可能性だと思うんですよこれもそれのほんのなんつーのかなぁこう 一人かけらみたいなことをいろんな人の依頼によって一つ一つこの現実として見せてもらえている
とてもじゃないけど私が一人で計画を立てね 絵図を書き人生の音設計図を書きそれにのっとって
まあ私というのはこんなもんだろうっていうね限定された言葉の中で動いていたら こんな風にはならなかっただろうなぁと思っていますね
またその一つの依頼がどんな奇跡を生んだかみたいな具体的な話はねこの番組で一つずつ 詳しくお話ししたいなと思っています
そんな感じですねとにかくその自分について本当のことはわからないとこの認識は悪く ないんですよ
わからないから まだまだまだまだ自分というこの得体の知れないもののね
素晴らしさすごさねそしてなんか可愛さ素敵さみたいなものがこれから見せてもらえるんだろう と僕は思うんですね
だから絶対に決めつけないっていうことが重要だと思います まあこの中にねさっきも言ったような一つの悔しさとかね
この怒りこの不安このなんていうのかな嫌な思いを捨てしまうと自分のアイデンティティが 失われるみたいな厄介なものも入ってますけどね
まあそういうものもおそらくだけども いや本当はこうなんだよっていう姿を見せてもらった瞬間にふっとこのね
柔らかい感じで消えていくんだろうなと思います私もそうしていろんなものがこう 手放せていった感じがしますね
まあだからこれも前回お話したようにね今うまくいってるんだったらこんなこと考え なくていいですよ
こんな変だ疑いを持たなくてそのままで大丈夫でもあれなんかこう 自分とは何かってこう考えたらよくわかんなくなるなぁみたいな感じでちょっと行き
詰まったなぁと思ったらここで1回ですね 手放す私とはこうだと決めてを決めつけてしまったものを1回手放してね
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もう1回その本当に何やりたいんだって自分の心の中とそして自分に来る以来 他の人が私に何を頼んでくるんだみたいなことをヒントにしながらね
漠然と曖昧に空のようにこう 抽象的に自分をつかんでいくっていう捉えをするといいのかなと思います
今日はこんな感じですかねそうあの先ほども登場したそのエフタさんとの執筆教室がね これがなかなか好評でしてねそして私たちもとても
楽しくやらせていただいてるんで 11月も第3期を開催することになりました
まあこれはおそらくだけども受講してくださる方がいる限り そして僕とエフタさんが9この教室のこの自分たちの音役割に
なんていうのかな疑いを持たない限りおそらく続いていく どんぐらいになるようなものな感じがしてますね予感がしてますね
これを今募集してましてもうあんまり日にちがないんですけどね 初回の講義というね
最初の3時間ぐらいあるのかな何を書くのかを決めそして私がその基本の方というね 執筆の方を5つぐらいお伝えするその初回の講義が10月30日
になってます今もうあの 今日の概要欄にねランニングページの url を載せておきますのでよかったらちょっと自分の文章をもっと磨いて
みたいなぁとかねその書くことによって自分とは何かを探ってみたいなこれはね 割と一つのいいあのやり方になると僕は思ってます書くのはねとても
自分を知るごとに役に立ちます そんな方はぜひトライしてみてくださいいいですかね
うん ではですね今日はですねそうだな自分というその本来の自分
コーティングされた人口の自分ではなくてその自分にもう一度出会うために 本当のことはわからない自分について本当のことはわからないという感じでいい
一日をお過ごしください ありがとうございます