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2023-03-20 49:46

097 価値マックスを思い出すためにいまの自分ができることを心から愛する

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「現状に満足せずに成長し続けなければならない!」という教えによって、私たちは自分を愛せなくなりました。もう一度、自分自身やその成果を完全に肯定して「愛するからこそいまここで磨きたい!」と望めば、誰もが価値マックスであったことを思い出せるはずです。

グッドバイブスのまとめと応用
グッドバイです。ミッドナイトラクザー、 by クラザムケイザー。
こんばんは。ただいま、3月20日月曜日の午前2時46分です。
昨日じゃないな。今日は月曜日だから先週か。
先週の金曜日のこの番組で96回を迎えましてね、あと100回まで残り5回ということで、
これまで90話以上お話ししてきたこのグッドバイブスの考えというかね、私のいろんな提案なんですけどもね、
これを一回まとめてみようと。まとめながらちょっとね、これまでの話とは少し違う。
螺旋階段のようにね、ちょっと上に上がるというか、この上も下もないんですけどもね、応用編が入るみたいな感じですかね。
これを実際の生活とかそういうものに当てはめた時に、こんな使い方もできるとかね、
こんな風に捉えるとここにも応用できるみたいなそんな話をね、加えながらちょっとまとめてみようかなっていうのを前回からやってるんですけどね。
今日はですね、実を言うとその結構前からね、この次はこれだなみたいな話が浮かんでたんですね。
わりとこういうシリーズになってくると出やすいというかね、このアイデア、次のネタはこれかなみたいなね。
まあ決まってますからね、なんとなくね。もうそれこそ何百回とお話ししてきた一つの順番みたいなのもありますから。
これがね、二人の自分っていうね話だったんですよ。
まあ今日はもう間違いなくこれかなと思っていたんですけどもね。
ヒルマニアのGood Vibes Factoryというオンラインコミュニティのオンライングループセッションというイベントがね、これ月一でやってるんですけど。
今日も10人ぐらい集まってくださったんですけどね。
ファクトリーのメンバーの方がZoomに集まって思い思いにその相談とかね、質問とかをして、で私とか佐々木さんがお答えするというようなイベントなんだけども。
もうこれも本当に40何回続いてましたね。
毎月毎月やってるんですけども、ここでねちょっとおっというね、この話があったなっていう相談というか、私がお答えした内容にね、それがありましてね。
でこれがあの実は結構重要なこのGood Vibesのまとめの中ではね欠かせない。
いわゆる価値マックスという話なんですね。
価値マックスとその見方
これは緑のほう、Good Vibesご機嫌な仕事で私たちの価値は完全に等しいっていうね、等しく最大であるっていうそういうお話をした。
でこれをねちょっと今日まとめとしてもう一度この価値マックスというのはね、なかなかそのように自分を見ることが難しいっていうね。
まあ一つのGood Vibesの難関と言われているテーマでもありましてね。
まあでもこれは非常に大切なベースなんですね。
私は価値マックスであるというこの認識。
そしてその次にねこれは鏡の法則が働きますから、私が価値マックスであるならばそのまま私の他の人たちね、私の周りにいる人たちも当然だけども価値マックスであると。
これマックスというのは最大という意味なので誰かが最大であればすべての人が最大でないと等しくないんですよね。
私は最大なんだけどAさんは8割ぐらいってことになると等しさっていうこの感覚がまずなくなりますね。
ここに差があるんだっていうね。
しかもそうなるとこの最大っていう私のねこの認識もちょっと危うくなるわけですよ。
私の下がいるということは私の上もいるんじゃないかってことになるんでね。
だからそのように自分を見るっていうこの価値が変動するとか差があるとかね。
それが僕らの普段の認識だと思うんだけどそうではなくて実は僕らは生まれた時から人生が終わるまでずっと価値マックスだったっていうこういう話なんですよ。
だからグラフに書くとすると左の軸かな縦軸にその価値100っていうポイントがあるとするとね。
0歳からその寿命が来るまでまっすぐなんですね。
一直線に横に最大のまま引かれるそこに上下はしない。
そしてそのグラフはすべての人が同じ値であるというそんな考え方なんですよ。
僕はこれが現実だなというふうに捉えているわけですね。
これに対してもう一つあるんですね。
僕らの見方っていうのはなんとなくこの価値マックスっていうのはね。
私たちの心の奥底に実はちゃんとこういてね。
何かあると多分この僕らはね。
いやいや皆等しく価値マックスなんじゃないかっていうこの思いは沸き上がってくるんですよ。
そうでないとね。
多分基本的人権の尊重みたいな発想は出てこないはずなんですね。
価値マックスと成長の関係
それから平等みたいなね。
心の奥底で私たちはそれをわかってるんだけども。
まあそう見られないいろんな要因があって。
もう一つの見方。
これを多分普段取っている。
これがさっきのねグラフでいうとゼロから始まるんですね。
ゼロ歳の時には基本的には何もできないんで。
ここに生産性という概念が入ってくるわけね。
ゼロ歳の赤ん坊は本当は何も生み出してなくはないんですけどね。
この笑顔であるとかね。
何かこう仕草であるとか。
それが親にとても大きな幸せをもたらしていたりするんだけども。
それはそのお金とかね。
そういうこの世界で誰もが価値あると認めるような。
もしくは交換可能な価値かな。
それになってないんですね。
交換できる価値になってないから。
そういうものはちょっと除外されてね。
そういうのは置いとこうと。
確かにいるだけで可愛いよね。
これが非常に重要。
これが価値マックスなんですけども。
そこはちょっと置いとこうってことになって。
それよりも何ができるのか。
例えば世の中にどんな貢献をしているのかっていうね。
もっと言うとお金がどのくらい稼げるのかだと思いますね。
ここの価値はね。
それがゼロなんですよ。
そしてこれが努力をしたり勉強をしたりとかね。
そういうものによって人は成長していくんであると。
そうするとその成長に応じて比例してその人の価値が高まっていくというこういう見方ですね。
これがいわゆる私が言うその価値マックスとはまた真逆の見方。
価値は変動する。
そしてこれは努力成長によって高まっていくっていう見方ね。
これは要はロールプレイングゲームと同じ発想ですよね。
最初キャラを作った瞬間は全部経験値がゼロ。
モンスターとか倒しながら経験値を積むと各種のパラメーター、力とかね。
ロールプレイングゲームに学ぶ自己価値観
持久力とか魔力とか素早さかそういうものが増えていって。
それに従っておまけのように魔法とか特技を覚えていくわけですよね。
こういうふうにしてそのロールプレイングのキャラクターとしての価値が高まっていく。
価値が高まればいろんなところいろんなマップに行けていろんな強いモンスターを倒せて難しいダンチョンも攻略できるっていうね。
ロールプレイングゲーム。まさに人が作った仕組みですね。
これを僕らは採用しているわけですね。
だから現実の世界で言うならばまさにその学歴を得るとかね。
子供の頃はそうですよね。一生懸命勉強し努力を積んで成長する。
その成長の証がどんな学校に入ったかみたいなこと。
あとは例えば資格を身につけたりね。まさに特技だとか。
それから称号みたいなのもありますよね。
こういうものを身につけることによって僕らの価値は高まっていくっていう。
当然だけども多分もう生まれてすぐにね。
僕らはこの校舎を採用してきて今も多分そのように生きているわけですね。
でこれによって私たちはその前者の私が最初に言った自分とかね。
もちろん他の人も価値マックスと見られなくなっているわけですね。
これは真逆の見方ですからね。
まさにここにも真逆というグッドバイオスでよく出てくる言葉が現れるわけね。
生まれた時から人生が終わるまで永遠に変わらず価値マックスなのか。
いやいやそんなことはないと。
人は生産性ゼロで生まれてくるんだから努力によっていろんなことを身につけながらね。
ロールプレイゲームのキャラクターのようにどんどん価値が高まっていくんだよっていう発想ね。
これを私はその前者だと捉えている。
校舎とみなしてみんな生きてるんですけどね。
私も多分そうやってずっと生きてきたんですけども。
未来思考型の幸せ
これによって僕らはその自分を価値マックスと見られなくなっている。
これはとても大切なものを失っているんじゃないかなっていうふうに私は考えたわけですね。
これが何を価値マックスと見られなくなったってこれどういうことなのかってこれをねちょっと今日もう少し詳しくお話できたらなと思うんですね。
まずその校舎のね。
私たちは努力によって成長しながら価値が高まっていくというこの発想を持つとですね。
何をしたくなるかというとこれがやっぱり未来思考型ってなるんですね。
時間時系列に沿って僕らは右肩上がりに曲がり直線が右に上がっていきますからね。
そうすると未来はもっと上がりますからね。
というよりもこのこの先自分がどのぐらい成長するんだってことがすごく重要になってくるんで未来思考になるんですね。
当然だけどもそうするとそのように動くためには未来にゴールとか目的を定めてで今という時間は基本的にはそれを実現するための手段になっていくわけですね。
これがあの私がねえっと未来報酬型の幸せと呼ぶやつなんですね。
もしくはあの佐々木さんと協調で書いたね不安ゼロで生きる技術という文庫本ではえっとサウナ型の幸せと呼びましたね。
でこれをやると私たちは必ずですねえっと現在にあるすべてねこれは未来に出会うそれよりも劣っているというふうに考えるようになるんですね。
だから成長させなきゃいけないっていうことなんですよ。
もし現在にあるものがえっと未来に出会うものと同じものであればねえっと未来に成長する必要がなくなりますからね。
それじゃダメなんですね。
必ず今あるものは未来に出会うそれよりも劣っているというふうに考える。
これが重要なんですね。
まずこの発想がね。
でなぜならばえっとこのねこの未来報酬型の幸せ私がサウナ型と呼ぶ幸せはそれを追求していくやり方かな。
これはえっと現状に満足せずにね。
絶え間なく成長し続けなければダメになってしまうという。
これは恐れや不安なんですね。
自分この現状に満足してしまうとダメになってしまう。
だからえっとこれよりももっと未来にはいいものがあるんだからそれをゲットするためそれを実現するために努力をしましょうっていう。
つまりこれ恐れや不安を原動力にしてるってことなんですね。
なんかねこのあたりでちょっとこのやり方の秘密がありそうな気がするのね。
現状に満足せずに絶え間なく成長し続けなければダメになってしまうって。
これは僕らが自分で考えたのかなっていうこの感じなんですよ。
どうもねそんな風にこの全ての人がですよ。
えっと考えるはずがないなって僕は思うのね。
そうするとここにやっぱり何らかの意図がこの成長し続けなければっていうこのキーワードあたりになぜ僕らにこの発想をね。
これ子供の頃にインストールされるんですけどもそういう風にインストールしたのかなっていう謎がね。
あんまりここは深く掘らないんですけども。
僕が思うにこれはなんとなく僕らが自然に自分から出てくるような発想じゃない感じがちょっとするのね。
恐れと不安が導く不断の努力
もちろん後でお話ししますけどね。
僕らはその夢とか希望とかね理想みたいなものを持つ生き物であるからなんとなく合致してる。
これね文章だけ読むとその通りだなって感じがするんですよ。
不思議なことにね現状に満足せずに絶え間なく成長し続けなければダメになってしまう。
その通りだなって感じがどうしてもするんだよね。
なんとなくこれはうまいことできてる。
僕らのその夢や理想を持つというねこの特性にこううまいこと沿ってるんだけども。
なんかそのでもでもそう本当にそうか絶え間なく成長し続けなければダメになってしまうのかなあたりは。
なんとなくこう疑問を抱かざるを得ないような僕はねそんな感覚がするんですよね。
だからこのやり方を疑ってみたんですけどもね。
この恐れや不安はやっぱり強大なんですよ。
だって成長し続けなければさっきのねグラフが上がっていきませんからね。
だからもう僕らをねこれはねものすごくやっぱり不断の努力っていうのかね。
あのレンマみたいなものにちゃんと借り立ててくれるんですね。
でこのプロセスがどうなっていくかっていうのをねちょっと見てみるとまず1ねステップ1。
まず未来にどんないいことを手に入れれば今よりも幸せになれるかっていうのを考えますよね。
成長に必要な不足感
これがいわゆる目的ゴール目標目標じゃないですね目的なんですね目的ゴール。
まあ報酬と言ってもいいかもしれないね。
どんないいことを手に入れれば現在よりも幸せになれるかっていうのを考える。
で次にこのね考えたいいことこれが実現するように努力する努力フェーズが始まるわけですね。
これが今ここでやることです。
で3番目それが狙い通りに実現するわけですね。
まあ実現したとしましょう。
で4番目ここで一瞬の幸せを感じるんですね。
よしいいことが手に入ったって。
でもこれ基本は現状に満足せずに絶え間なく成長し続けなければダメになってしまうんで。
この一瞬の幸せとか幸せを感じた直後にこのいいことはもっといいことを思いつくためにね。
えっと満足してはいけないことに格下げしなきゃいけないんですよ。
いやーこのいいこと手に入ってもうこれで十分ですよ。
これでもう一生やっていきますよってことになると現状に満足することになりますから絶え間なく成長し続けないってことになっちゃうわけね。
この仕組みの中においてはね。
ということはこの一瞬よしこれ実現したぞということをねここで幸せを感じた直後にこれはもっといいことを思いつくための満足してはいけないことに格下げされるわけ。
でその次5番これはまた1に戻るんですね。
未来にどんなもっといいことを手に入れれば今よりも幸せになるかを考える。
で以下はもう2以降を無限に繰り返すわけですね。
また実現するように努力する実現するその瞬間に幸せを感じでもこれはここで満足しちゃいけないってことになるわけね。
格下げされるわけです。
これによって僕らが何を失ったかっていうのがね重要なポイントなんですね。
要は今言ったように未来にもっといいことがあるっていうのを信じるためにはね常にやっぱり今に不足を見なきゃダメなんですよ。
まだ今は不足してる足りないそうでないとね現状に満足してしまいますからね。
この不足を感じ続けるっていうこれが重要なポイントになってくるわけね。
でここには当然だけどもこれ自分自身の成長も入ってますからね私も含まれるんですよ。
そうするとえっと未来のもっと素晴らしい自分っていうのをねイメージしなきゃいけないのね。
これが成長する自分だから成長した自分から今よりももっと成長した自分それは未来におそらく現れるであろうもっと素晴らしい自分ってことだろうね。
これをイメージするためには今の私このね今の私この未来にもっと素晴らしい自分が現れるためには今この今ここにいる私は永遠に何かが足りない自分でなくてはいけないわけです。
自分に満足したら成長しませんからね今の私は永遠に何かが足りない自分じゃないといけないんだよね。
これは何となく自然にそうなってしまうんですねこの仕組みにおいてはねそうでないとじゃあこの次何やろうかこの次どんな目的立てようかこの次どんなゴールを設定しようかってなりませんからね。
未来の自分をイメージする
足りないからそうなるわけで必ず今の自分というのはもうこれ永遠になんですよさっきのループしますから1から5まではねずっとこれ何かに似てますよね僕は何かねスマホとかねガジェットに似てるなって感じがするんですよ新機種が出るバージョンアップするっていうねiphone12が13になり14になるっていうこれに何か似てる。
だから最初は最新の機種がこう出てきて手に入るわけですねその瞬間おーっと満足するわけこれがさっき言った3番のねいいものが実現していいことが実現してそれを手に入れるっていうこの瞬間やったぞと思うわけでも次のバージョンが発売されるということがわかったらねこの持っているスマホって一気に色褪せるんですよね。
12持ってやったーっつってこう僕も喜んでたんですよね2年ぐらい前かな。
そうするともう次から次に1314って出てきてねもう今の私のiphoneは2つ片落ちですからもう買った時よりも随分と色褪せてますね。
なんかもう扱いも変わりましたね最初はあの革のケース私はあのえっとあの何ですかねあの画面に貼るフィルムとかえっとケースを使わないっていうあのモッドを持っていてね。
要はこれはiphoneのこのボディを触らないのはもったいないっていうそういう発想なんだけどもうあの基本的にはケースつけないんですね。
だからあのカバンに入れるときに鍵とかで当たってあの結構傷だらけになるんでそれを防ぐために革のねケースをえっとケースというよりも入れ物ですねポーチみたいなものそれに収めてカバンに入れるんですよ。
で使うときはそこから出して裸で使うっていうでももう今はその革のポーチに入れなくなってますからね。
裸でガチャンつっても何が入っていようとこのカバンの中に入れてしまう。
買ったばっかりの時は最新の機種だったんでもうすごい満足しててねとても大切にしていた。
でも次のバージョンが発売されたら急に色褪せてもう裸で入れるようになってしまうと。
これをだから自分に例えるならばね未来のもっといい自分っていうのをイメージするからこの今ここの自分っていうのは何かが足りない自分なんですね。
これはこのスマホで言うならねやっぱりいつも自分が片オチに見えてるっていうそんな感じな気がするんですね。
成長に必要な要素
まさにそう思いますね。
私もなんかかつてこのように自分を成長させようみたいな発想でねいろんなことをやりいろんなことを例えば成し遂げたとして。
でももうその数日後かな少なくとも数ヶ月後にはその自分は色褪せている。
なぜならば成長しなくてはいけないからねこの自分に満足してはいけないのでまさに片オチのiPhoneのような感覚を自分に抱いているってことですね。
この時にどんな不足を感じているかっていうと多分スキルとか能力ねそれから経験実績評価もあるでしょう。
それから気力みたいな気力と体力ね。
だから今で言うと例えばマインドセットみたいなね今私がどんなマインドでいているのかみたいなことも結構大事になってきてる感じがする。
それから健康とかねもっと健康でありたいっていうねこれもまあ一つのある意味の成長志向の成長のゴールですよね。
今こんな体力がないとなんか風邪引きやすいとこれをもっとこの免疫力の高まったね健康な体にしたいこれもある種のバージョンアップ成長なんですよね。
それからスタイルこれはダイエットとかなのかもしれない。
もしくは今だったらライズアップに行ってね筋肉ムキムキになるみたいなことなのかもしれない。
そして用心もあるでしょうね。
これもなんかやっていくとだんだん小顔になっていくとかシワが少なくなっていくとかね。
頬の筋肉がこう鍛えられて上にグッと上がるとかね。
これも多分成長志向の中に入っているはずなんですよ。
この不足のどれもがね多分自分にとってはとても重大なものであるはずなんですね。
この不足を補うというかねこの不足を解消しながら僕らは成長していくというふうに考えているから。
これはどれもどれも自分にとってどうでもいいものではないはずなんですよ。
そうしないとさっきのね自分に満足してはいけないというこの恐れや不安を原動力にできないのでね。
自分にとってものすごく大切なものが欠けているというふうにみなすこれが大事なんですよね。
そうするとそれを今持っていないとすればね。
この大切なものをね今あげたようなスキル能力とかねいろんなものを僕が持っていないとしたら多分そんな自分を好きになれないんですよ。
間違いなくね。
まさにその片ぼちのiPhoneのような僕が今自分がiPhone12を扱っているように自分を見てしまう。
それほど好きじゃないなと。
もっといい自分が未来に現れるその自分になりたいその自分が多分好き好きなはずなんだっていうこの感じ。
当然今の足りない自分はあまり好きではないんですね。
この成長思考の成長によって価値が高まるっていうね。
こちらの発想にもう一つとても残酷なね僕らにとってのものの見方っていうのが加わってくるんですね。
これが他の人との比較なんですよ。
僕が最初に言ったすべての人が等しく価値マックスという世界には比較はもう意味がなくなるのね。
でもこの現状に満足せずに自分を成長させ続ける努力し続けるっていうこの発想の中には元々この比較というのがインストールされてるんですね。
この比較がインストールされることによってほらね他の人はみんなすくすく成長してるじゃないと。
それに比べてお前はどうよとそんな努力で済むと思ってるのっていう囁きが聞こえてくるようになるわけ。
だからさらに強化されるんですね。
僕らはそれに加えて隣の芝生は青く見えるという変な特性を持ってる。
要はこれは私がよく言うね本当のことはわからないから生まれると僕は思ってるのね。
隣の芝生は青く見えるこれは本当のことを知らないからなんですね。
他の人が何を考えどんな気持ちでいるか本当のことはわからない。
僕らが知り得るのはですねそのある人の例えばSNSの投稿だとかね本を書いたりブログを発信したりしてるそのほんの一部の情報なんですよ。
だからその人が幸せなところしかポンと出さなければねいいところしかポンと出さなければ僕らはそれしか見ることができない。
そしてそれがその人の人生全てだというふうにやっぱり本当のことを知らないから思ってしまうんですね。
だから隣の芝生は青く見えるんですよ。
社会比較と自己評価
特に今のようなソーシャルメディアが広まった時代はこれがさらに加速されるでしょうね。
当然だけどもいいことをみんな投稿しますからこういうことができましたこういうことを達成しましたこういうことが実現できましたっていうことを投稿していくわけ。
その間に例えばこんな挫折を味わったとかねここでこんな失敗をしたとか今こんなひどい目にあって困ってます。
まあ書く人もいるでしょうけども書かない人も多いですよね。
そうすると当然僕らはいいとこだけをピックアップして比較することになる。
そうするとますます自分のねこの不足足りないものは他の人より劣っているように見えますよね。
でこれがやっぱりこの未来報酬型から聞こえてくる囁きなんですよね。
みんなすんげー成長してるぞお前大丈夫かそれでみたいなね。
この囁きを聞けば聞くほどどんどんどんどん自分がちっぽけでダメに見えてきますよね。
でこれをねこんな風に自分を見てるとね僕らはねやっぱねぐれるんじゃないかなって僕は思うのね。
というのも私はですね以前にもこの番組でお話しましたけどね高校受験に失敗しましてね。
まああの本当にあの当時付き合ってた女の子と遊んでばかりいてね。
勉強もせずにねぐーたら暮らしていたので高校受験大失敗したんですけども。
僕の住んでた地区という地区というのはね現実に陥ると行く高校というのがもう私立の1校しかなかったんですよ。
ここに全員が集まるわけね。
でそこにはもうそのなんていうのかなえっと木更津高校と言ってね。
まあまあ当時一番そのその地区ではね学力が高いとされている高校私はそこを受けたんだけども。
そこを落ちるとえっとそこからえっと10校ぐらいあるのかな県立だけでもそのすべての高校を落ちた人が集まるところにね私立高校に行くしかないんですよ。
で僕はなんかそこに行くのがすごく嫌でね。
高校時代の体験
しかもね1校だけねえっと制服がブレザーだったんですよ。
県立の高校はみんな爪入りの黒だったんだけどね。
まあ昔だった昭和だったんでそこだけブレザーなんでもうバレバレなんですね。
電車に乗っても街を歩いてもあの高校のやつだっていうね。
まあそんな高校なのでいい印象はないわけですね。
そこにはもう本当に不良が多くて私が高校行ってた時代っていうのは横浜銀梅とかね暴走族前世の時代だったんですよ。
あのそうですね金髪先生ってあるじゃないですか。
あれのえっと始まったのが高校の時だったんでねまさにあの時代ですよ。
まあああいう不良がたくさんいた。
私の高校でいうとそうですねえっと40人のクラスがあって大体ね全校生徒が6000人ぐらいいましたからね。
ものすごいマンボスだった。
だってその地域の高校落ちた人を全部集めてるわけだからね。
40人中おそらく僕の今の記憶だと30人は不良でしたね。
であのスクールバスで通うんですよ。
駅から歩いて30分ぐらいだからね。
そのスクールバスを乗るロータリーと広いだらっぴろいロータリーがあってね5、6台のバスがバッと並ぶんだけども。
そこにねよくねあの当時のケンメリとかねシャコタンと言われてたね。
高校時代の否定と自己肯定
改造した車高をものすごく低くしたシャコタンっていうその車に乗ったもう不良のOBたちですね。
高校を辞めたりとか卒業もしてなくて何をしてるかわからないようなOBがねよくパラパパパパパパってあのゴッドファーザーのメロディーのねフォーンを鳴らしながらぶわーっと乗り入れてくるんですよ。
で当然先生がぶわーっと止めに走ってくるんだけどもそれよりも早くね。
そこにその不良の女子高校生たちがスカートが長くてカバンがぺったんぺったんのね。
で三原純子みたいな髪型した当時のね女子高校生が3、4人だーっと乗り込んでいってね。
その車が去っていくぶわーっと去っていくみたいな光景を毎日目にするようなそんな学校だったんだけど。
えっと当然みんなグレてるわけね。
これがねやっぱりね否定されたという経験から始まってる感じが僕も当時から知ったんですよね。
もうまさにこのこの世界で高校という世界ね。
非常に当時厳しくてね生徒指導の先生とかも殴る蹴るだったんだけども。
とにかく否定されまくるわけですよ彼らはね。
そうするとこんな自分ならもう幸せの反対を目指すしかないっていうね。
ものすごくもう本当に今言うと寂しいというかね悲しい発想なんだけどもこのように僕らはなってしまうんですよね。
だからまあこれは高校の不良の話なんだけども人間はそんなに変わりませんからね。
高校生になろうと大人になろうとやっぱりこのねこの成長志向の中でね比較をして。
そして自分に足りないというこの思いの中で他の人と比べながらね他の人はみんな成長していくのに。
自分はどうなのよみたいなね。
なんか努力足んないんじゃないの。
随分と自分はサボってきたのかもしれないみたいなね。
こんな風に自分がちっぽけでダメに見えてそして自分自身をね否定してしまえばね。
おそらくその大人なりのそれからあまりこの社会からはみ出ないようなそんなぐれ方をね僕はするんじゃないかなってやっぱ思いますね。
ここがなんか行き着く先というかね。
愛することの重要性
僕がその先失ったものというところの結果なんですけどもね。
要はわかりやすく言うとですねこのサウナ型の幸せを追求するこの過程でね。
僕らが失ったものってなんだろうその答えはね。
今ここの自分を愛することだと思うんですね。
これがねその愛さないことが実はきちっと出るという発想だったんですね。
この自分に満足してはいけない。
満足しなければもっと成長できると。
でもその結果なんとそれはやっぱり不足している自分が今ここでずっと居続けるわけだからね。
ちょっとぐらい何かを達成してももうその瞬間にいやこれじゃまだ足りないっていう風になるので。
さっきのね不良の話じゃないけど基本的には否定され続けるわけですね。
否定ほど強くはしてないと思うんだけども。
でもこの不足を見るということによってやっぱり僕らは完全に自分を好きになるというね。
この心を失ってしまったんじゃないかなという感じが僕はするんですね。
そしてこれによってね今ここの自分を愛することが完璧にできなくなることによって。
当然だけど今の自分にできることっていうのもリスペクトしないっていうねそんな感覚もありますよね。
これも当然そうです。
今の自分ができていることに満足してしまうともっとすごいことができなくなるからなんですね。
でもさっき最初に言ったようにね僕らはねやっぱりそうは言っても夢や理想を持つこれは僕は素晴らしい能力だと思うんですよ。
こことどう折り合いつけるのかっていうね話が残りますよね。
いやいやだって今の自分を愛してしまったらこの夢や理想はどうなるのと。
今の自分完璧に愛してるともう夢も理想もいらないよって話になる。
そうはならないんですね。
そうじゃないんですよ。
この仕組みにおいてはそのように感じるかもしれないんだけどこの夢や理想を持つ素晴らしい能力というのはねこの今ここの自分を愛してもね失われないんですね。
僕も常にねもっといい文章を書きたいとかねえっとワンオワンのセッションにしてももっといいセッションをしたいとかねこの相談者の方のねあらゆる悩みにお答えしてそれを本当にできればねなるべくあまり時間をかけずに解決したいとかね。
それからまあまさにこのgood vibesの話このポッドキャストもっとうまく伝えたいなって毎回思います。
そういう風に願ってるんですね。
でもこれはですねえっと実は未来というね僕らが頭の中で作り出す仮想の時間では絶対に実現できないんですね。
もっといい文章をね僕が書きたいと思うなら今ここでこの一行今書いているこの一行をもっと良くするしかないんですよ。
うんいい文章は未来という仮想の時間でもっと良くすることはできないんですね。
なんかこれこうなんつーのかななんかトンチというかねなんか193みたいな感じのこと言ってる気もしなくはないんだけどでもこれは実際そうなんですよ。
成長と愛することの両立
私は文章をいつも書いてますからね。
もっといい文章を書きたいなら今ここでこの一行をもっと良くするしかないんです。
でしかもそのように僕がね思えるというかねよし今ここでこの一行をもっと良くするぞと思うためにはですね。
まさにこの今ここで生まれているこの一行を愛するっていうねこれが絶対に欠かせないはずなんですよ。
えっとさっき言った今までお話ししてきてきたこの未来志向というかね未来報酬型成長志向の発想ではどうなるかというと文章を書いてますよね。
うわぁこれじゃダメだってなるんですよ。
こんな自分じゃダメだともっと成長しなくてはいけない。
でまぁ例えば書き上げ塾かなんかね入っていただいてよしこれで半年間勉強して半年後にいい文章を書くんだみたいなこんな感じ。
まぁそこまで極端ではないかもしれないけどね。
少なくとも1ヶ月ぐらいはちょっとクラザノさんに会礼してもらってそれによって僕は文章がもっと良くなるんだって。
まぁそう思うかもしれない。
でもじゃあその文章はいつ書くんだっつったらその1ヶ月後の今ここで書くんですよ。
この時にこの一行をもっと良くすると思いがなければ良くならないんですね。
アウトプットに向き合うタフさ
どれだけその書き上げ塾の基本の型とかね僕があの赤い例を通してお伝えしたことを頭の中で覚えていたとしても
これはそれをその場で発揮しようというこの意思がなければ文章は何も変わらないんです。
以前と何も変わらないんですね。
だからもちろんその知識があるかないかっていうのは大きな違いになるんだけども
でもそれにしてももっと良い文章を書きたいっていうことを実現するのはいつでも今ここなんですよ。
そしてその今ここに今ここで僕が書いている文章をこの一行をもっと良くしたいと思うためにはその一行を愛してないとダメなんですよ。
その一行を否定した瞬間にもうそのこの自分には今はいい文章は書けないってことになってしまうわけ。
そしてその代わりに未来に現れてくるであろう自分というのをそこに想定してしまうんだよね。
本当にねこのやり方でね自分を成長させたりとか私のアウトプットをねより良いものにできていくのかなっていうのは
なんとなくやっぱりこう私もこの未来成長型のねやり方をやり尽くしてきた身としてものすごくやっぱり疑問に思うのね。
なんかいつか必ずなんていうのかなまあ挫折というのも変だけどもこの自分にはもうできないんじゃないかとかね。
えっとこのことはもうやめた方がいいんじゃないかとかね。
もっと他にできることを探した方がいいんじゃないかっていうところにどうしても行き着いてしまう感じがするんですよ。
そして何よりもねこの自分がやっているアウトプット私で言えば創作物みたいなものまあ仕事でも何でもいいんですけどもね。
そういうものにそういうものが愛せなくなることによってそこに向き合いたくなくなる気持ちっていうのがどんどん大きくなる感じがする。
だからやっぱりこれはねえっとすごくなんていうのかな変な言い方ですけどもある種の特性を持っている人じゃない人で続けられない感じがするのね。
何なんだろうねこの特性っていうのはねものすごくタフなのかなやっぱりこの自分を否定してそして今自分が出しているアウトプットこんなもんダメだと思いながらそれをさらに磨いていけるという能力がね僕は結構特殊技能なんじゃないかなって気がするこれはね。
僕はそんなにタフではないのでやっぱりダメですねこのやり方をしていると続かない何かをすると必ずやめたくなる。
良い線まで行くんですけどねどっかで必ずこの不足不足不足最初はいいんですよ最初はその不足がえっとなんつーか分かりやすい不足なんですね。
誰誰にもが分かるような不足でだからえっと何をしていけばいいかっていう解決策ももうすぐ浮かぶんですよ。
これを覚えればいいんだこれが分かればいいんだっていうでもそうやっていろんなことができるようになればなるほどこの自分へのダメ出しっていうのはねものすごく細部に渡りシビアになり解像度も上がりね。
でそうするとそこを否定してしまうとねもしかしたらもう僕がそもそも文章を書くということ自体がもう無理なんじゃないかってところに行き着いてしまうんですよね。
この先に行けるっていうこのなんつーのかなタフさを持ってるまあいるんでしょうね。
自分を愛してアウトプットを改善する
いるからこのやり方がまあいいとされてるんだけどもここでやっぱりね本当にこれが自分に合ってるのかどうかっていうことはねえっと素直に正直にですね吟味する方が僕はいいと思いますね。
そしてなんか私が出会うね多くの人はなんかみんないい人なんですよねなんかいい人って言い方も漠然としててあれなんだけどなんかこうこういうところを乗り越えるようなタフさを持ってない良さを持ってるっていうかななんて表現すればいいのかねちょっとわからないんだけどねそれで僕はいいんじゃないかなと思います。
そういう人は少なくないなっていう気もするだから僕はもう一つのやり方としてねこちらがあるんだっていうことをね提案したくてたまらないんですね。
そもそもその不足している自分にもっといい自分になる努力をさせるっていうのは僕はものすごく矛盾しているなっていつも思ってます。
そしてその今ここでね何かをさっき言ったようにこの一行を良くするぞっていうねこのやり方をしてるとリアルタイムに改良点という気づくんですよね。
あとでね振り返ってどうだったかとかっていうことをしなくてももうやりながら何かを良くしよう良くしようと思いながらやってますから今私もこの喋りながらね。
まああのいい番組を作りたいないい話をしたいなっていう風にこう今ここでそれをやってるそうするとあっとそれをやっているからおっとっていう改良点に気づくんですよ。
ここの理解が少しまだね足りてないなとかねまさにこここれは不足なんですけどもねえっとここの知識がちょっといまいち足りなかったなぁみたいなことを今気づくんですよ。
でもでもそれでもえっとこの番組はまだ終わってない話し続けるんでねそうかこのこの知識がないこの経験がないこの理解が足りない。
この自分ででもこの番組をねでもより良いものにするにはどうすればいいんだってそこで工夫をし始めるね。
そして終わった後にえっとすぐねやっぱりいかんいかんここの理解を深めとこうみたいなことをやっぱりやるんですよ。
それも実は未来にやるんではなくて今ここでやるんですね。
そしてしかも面白いことにこのここの足りない知識ちょっと深めとこうとかね足りない理解を深めとこうみたいなこれはそのこと自体がね目的になるんですね。
だからなんかこの漠然と成長しなきゃいけないみたいなことでなんかこう努力を続けるとかではなくてねもうまさにこの今今今この連続を少しずつ良くしていくっていう試みをやっているってことね。
でこれは連続してますからねこの連続してるってのはすごく重要なポイントなのね。
今今今を連続して少しずつ良くしていくためにはその今の自分を愛してないとダメなんですよ。
これを否定したり不足なんだっつってえっと良くないものにしてしまうと連続できないですね。
ここで切っちゃうんですよ。
連続して良くしていくことの重要性
あ今不足してるまずはじゃあ成長するために何か努力をするその後だみたいなこんな感じになっていく。
でこのえっと自分を否定することによって自分を愛せなくなりねそしてさっき言ったようにこのぐれてしまうとこの試みが続かなくなるんですね。
ここでさっき言ったような僕のようにタフではない人間はここで脱落してしまうんですよ。
だからなんていうのかなこの今の自分から切り離さないってことが大事なんですよね。
連続させなきゃいけない。
今の自分を一回ねなんかこうまさにこうリセットするためにシャットダウンしてそしてなんかこう別のもっといい自分に生まれ変わるための準備をそこに持ってくるみたいなこういう発想をしていると必ずどこかでね私のようなタイプの人間は続かなくなるんじゃないかなと思います。
要はねえっと私自身であれねその僕自身であれその僕が作る創作物であれねそれを一度否定してその否定することによって恐れや不安が生まれますね。
これじゃいけない。
こんなんじゃ満足できない。
こんなんじゃ不足してるってね。
この恐れや不安を原動力にしながらその未来に成長を期待するってこれが一つのやり方。
これに対して僕がねえっと今提案しているのはそうではないとどうであれ完全に肯定しようと僕自身もしくは僕の創作物をねそしてそれを愛するが故に愛しているから今ここで磨きたいって望む。
これこのどちらがね僕らにふさわしいかっていうこういう問いだと思うんですね。
作るもの私自身それを否定してその恐れや不安を原動力にしながら未来に成長を期待する。
そうではなくて完全に肯定して私もこの私が作っているものを愛してますと。
だからより磨きたいんだよ愛してるから磨きたいんだよっていう風に望む。
これが本来のまあ僕っていうのがいたとしてね本来の皆さん本来のあなたがいたとしてどちらがふさわしいかっていうねこれを検討するのは悪くないんじゃないかなって気がするんですね。
愛するが故に磨きたいんだと思うのか否定しておいてそれじゃいかんっていう恐れや不安を原動力にしてなんかこう成長していくみたいな感じ。
僕は後者だと思うんですよね完全に肯定して全然現状に満足しても大丈夫だよと満足するどころか愛してますよとだからもっと良くしたいんだよっていうねこの思いを発することが僕らにはできると。
これが多分信じられてなかったんでしょうねこれまでね。
いやいやダメです愛してしまったら終わるんですっていうそういう感じだからこの未来の成長志向ではなくてねそもそもその今ここっていう現実の唯一の時間ここでやることここでここでいいものを作っていくっていうねこれをお勧めしたいなそれで十分僕らはその夢や理想をね叶えていくことができるんじゃないかと思う。
そしてこの今のね今の自分を心から愛するためには価値マックスでなければならないですよねここで出てくるんだとそれはえっと多分僕らはねこの成長志向でいると必ず価値マックスな自分というのはね想定するんですよこうなったら価値マックスだろうなぁとでもそれは成長した自分成長した自分として未来に現れるんですよ。
その未来は仮想の時間でずっとその仮想の時間に現れるであろうね価値マックスな自分を目指して今ここで努力をし続けるんだけども慣れたかなと思った瞬間にもっといい自分になろうとするからその自分は価値マックスでなくなるということを繰り返しているわけね。
うーんそうじゃないんだと思うんですよ僕は今そこにいるあなたが価値マックスだと思います今ここにいる私が価値マックスだと思いますだからこの私とこの私がやることこのすべてを愛していい私ができることを愛するってことですね今の自分にできることを心から愛するこれをぜひですね実践してみてほしいんですね。
価値マックスと成長志向の関係
もちろんそれはそこには私たちは夢や理想があるんでねもっとよくしたいなあというその思いは消えないでしょそれはえっとでも今の自分を否定して未来に実現させようとするのではなくて今もっとよくできないかなっていうねこの今のこの今の自分にできることを愛した上でつまりこの自分はもっとよくできないかっていうそのトライを今やるんですよ。
そしてそこにはもっと時間をかけて何かを学ぶ必要があるなということをねリアルタイムに気づいたらそれを今やるんですよ。
その今自分がもっといいものを作るためにねもうそれ自体が多分目的なんですよ。
だから何か何のためになるかわからないんだけどこれもやっておこうこれもやっておこうみたいなことをするのではなくてねそれはおそらく今の自分には足りない今の自分を否定しているっていう発想から生まれるんだと。
そしてそのね今の自分にできることを心から愛してねそうかそうかこの私はいつでもカチマックスなんだなだから愛していいんだっていうこの感覚があればですねここに鏡の法則が働くんですね必ず働くんです。
そして他の人たち自分以外の人たちもね同じようにカチマックスと見られるようになるわけね。
なぜこの他の人たちをカチマックスと見られないかこれ多分2つ理由がありますよね。
一つは成長志向の中でねグラフが分かれていくわけ上下にね俺は結構ガンガン成長してるなぁと思った時にパッと下を見ると成長してない人たちが見えるねこのグラフの世界ではだからカチマックスと見たくないんですよ一つはね。
もう一つは今度は逆の場合自分は結構頑張ってると思うんだけどどうも上にたくさんのグラフが見えるとなんだよって俺って中の上ぐらいにもなってなくねえと下手するとこれもう下から数えた方が価値がわかるぐらい低くねとかって思った瞬間にその上にいる人たちをカチマックスと見られなくなるんですね。
どっちに行ったって同じなんですよ上から見ようと下から見ようと自分と同じでない人たちがいるというこの感じを抱くとね僕らはやっぱり上から見れば見下すでしょうし下から見れば怒りがそこに沸き上がるでしょうしそんな人たちを自分に怒りをね劣等感を持たせるような人たちをカチマックスと見られるはずがないんですよね。
こんなところにいるよりはですねそこで恐れや不安を原動力にして未来にそのもっと素晴らしい自分を描くよりはですねこの今自分にできることを心から愛する今の自分を心から愛してねそしてこの私はカチマックスそしてもっといいことを今やろうとすればいい。
少しずつ今ここの連続を少しずつ良くしていけばいい。
そのように見ればもう上も下もいなくなりますからみんなカチマックスだね。
みんな今ここを良くしていこうよっていう感じになれるじゃないですか。
これがね私が提案したい世界なんですね。
そして私もそのようにねこの10年ぐらいから何とか実践し続けて幸いなことにダメにはなってない感じがします。
10年前の自分よりね10年前この取り組みを始めて自分に満足し自分を肯定しできるだけ愛せるようにしカチマックスと見てねどのぐらいそのダメになったか全然ダメにはなってないと私は思います。
現状に満足しない成長志向
他の方から見たらクラスのダメになったなと思うかもしれないけども多分ダメにはなってないと思うしまだまだいろんなことを良くしていきたいなというこの気力はね。
ものすごくやっぱり充実している感じがします。
なのでこれはあのまあある種ね僕は自信を持ってお勧めしますんでこの片っぽのね成長志向のやり方こっちのがうまくいってるよっていう方はもうほんと全然もうかそれで問題ないと思うんだけども私のようにそこのタフさが欠けていてねすぐグレてしまう。
現代社会に合うようなグレ方ね道を踏み外さないんだけどなんかこう人生グレてる感じがしてるとこういう方はですねもう早々にねこの現状に満足せず成長させるというやり方はね諦めるというかね見切りをつけるのがお勧めかなと思います。
今日はそんな感じですかねもうとてもシンプルですね今日はですね今ここの今このまま今そのままのね自分ですね私これを心から愛してそしてプラス今の自分にできていること今の自分ができていること。
これも心から愛しながらその愛している自分のやっていることこれをですね今ここでより良いものにしていきながらいい1日をお過ごしくださいありがとうございます。
49:46

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