ポッドキャストの成長
GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by クラザムケイザ
こんばんは。ただいま3月17日金曜日の午前3時33分です。
気がつけばですね、この番組も今日で96回目を迎えましてね。
しかし去年の7月7日、七夕の日だったと思うんですよ。
第1回目を配信したのが。
当時はね、続くかどうか全く先が読めずにね、
なんとなくこのポッドキャストでおしゃべりしてみたいなというね、
本当にもう軽い気持ちで始めたんですけどもね。
最初は週2回と月水かなんかでね。
それで2週間ぐらい経ったら、週2回だと少ないんですけどみたいな
リスナーの方からね、嬉しいご意見をいただきまして。
それでずっとそれからね、週3回を続けていますね。
確か1回風邪でね、休んだと思うんですけども。
それ以外は多分だけども、平日のね、月水金には多分配信し続けられたと思います。
おかげさまで、日を追うごとにですね、今のところ、
少しずつ、少しずつ、本当に少しずつなんですけどね。
この聞いてくださるリスナーの数も、それから番組の聞かれる回数もですね、
少しずつ、少しずつ増えていっていまして、
なんとなくこの1週間経つとだいたいこのぐらいの再生回数だったなっていうのがね、
なんかちょっと驚くぐらい、もうこんなにいってるみたいなそんな感覚の中でね、
続けることができまして、おかげさまで、
おかげさまで、どんどん減っていても誰も聞いてくれていないんじゃないかみたいな、
そういう恐れや不安はね、一度も抱かずにまだ済んでいましてね。
本当にこれも、いつも私が緑の本でも書いたし、いつもお話ししてるようにですね、
この私のこのコンテンツをね、受け取ってくださるこの皆様のおかげというか、
昔からそのお客様は神様ですっていう話がありましたけどね、
あれはお金をくれるからっていう意味もちょっと入ってると思うんだけど、
私はやっぱりね、このご機嫌な仕事で書いたように、
この作り手の作るものはね、受け手の手に渡ってそこで初めて完成するっていう、
そんな風にやっぱり考えてね、いろんなものを手掛けてますんで、
中にはね、やっぱり残念なことに全く響かなくてね、
フェードアウトしていくようなものも多々ある中ね、
まだ本当に8ヶ月ぐらいなのかな、まだまだ1年も経ってませんけどね、
なんとなくいい感じでこの続けさせていただけてるということに本当に感謝を申し上げたいなと思う次第なんです。
好感度を気にしすぎないことの大切さ
んなわけでね、もうこの区切りというか、100回が近づいていまして、
でもこの100という数字に何か意味があるかといったらね、たぶんないんですけどね、
でもまあ僕らはその人が作った仕組みというか、数字の中でね、
数字と共に生きてますからね、どうしてもこの僕はね、1と7が好きとかね、
そういうこの全くそのただの記号なんですけどもね、
やっぱこう7と見るとちょっとついてるなみたいな、
これは昔あのギャンブルをやってて、7が揃うみたいなゲームを多くやってたからだと思うんですけどもね、
やっぱりこの100回記念というのはね、ちょっと私の中で感慨深いものがありまして、
そうすると今日から6、7、8、9、10とあと5回ぐらいになるんですよね、
まあたぶん特別なことは何もしないと思うんですけども、
まあ一応96回もお話をしてきてね、このgood vibesという一つのテーマに絞ってね、
100回を迎えるにあたって、なんとなくこのこれまでのね、これまでのプレビューをするgood vibesみたいな、
ちょっとしたこの総集編というかね、総集編じゃないな、まとめというか振り返りかね、
ちょっとしたこの復習みたいなものをかねながら、ただただ繰り返しても面白くないんでね、
こう螺旋階段のような感じで、一回戻るんだけども少しちょっと上昇してるというかね、
そういう感じのお話をこれからちょっとしばらく続けていこうかなと、5話ぐらいね、
まあわかんないですよ、でも途中ね、なんか思いついてひらめくテーマみたいなのが出てくるんでね、
今日のところはそんな感じでちょっといこうかなと思うわけです。
そんなところにね、とある方から、割とこのgood vibesにはよくある質問というかね、
つきものというか、僕も何度も何度ももう100回ぐらいはこの質問は聞いたんじゃないかっていうね、
まああの仕組み上仕方ないというか、この疑問はもう当然持って当たり前っていうかね、
要はこの自分だけgood vibesでも周りがそうでないと意味がないんじゃないですかっていうこの疑問なんですよ。
あのね、あのなんていうのかな、もうこの番組を聞いていただいている方なら、
なるほどと思っていただけると思うんですけどもね、
このそれを手放していくとですね、余計なことをしなくなるわけですね。
で、なんとなくそうだな、その許すとかさ、愛そのものである自分とかね、
一つ意識、あなたと私は一つなんですよ、みたいなことをこう連ねていくとですね、
やっぱこう、なんかこういい人になる感じがしますよね。
僕はなんかその良い悪いに分断しないというのをね、やっぱモットーにしてるんですけども、
グッドバイブスと社会
なんとなくその一般のこのなんていうのかな、こう尺度で言うと、
good vibesってのはなんとなくこういい人になるメソッドなのかな、みたいなそんな感じ。
これはもう結果としてそうなるだけでね、私は全然そのいい人になることを目指したことは一度もないんですけども、
そんな風にやっぱりこう映ることは確かですよね。
で、そうするとそうでないこの悪い人にやりたい放題されるんじゃないかとかね。
やっぱこう一般にはね、この世界ではね、いい人が弱くて損をするっていうね、
なんかおとぎ話とかでもだいたいそうですよね。正直じいさんがひどい目に遭う最初はね。
で、いじわるじいさんがなんかこう得をする。
でまぁ一応物語なんで、そこが逆転してね、最後は正直じいさんとか、
その金の斧と銀の斧で、いや私の斧は鉄なんですと、
嘘をつかなかった人が金と銀の斧を両方もらえてね、
嘘をつくとなんかひどい目に遭うみたいな物語はそうなるんだけど、
いや現実の社会はそうではないだろうね、現実の世界はそうじゃないよねと。
やっぱずる賢くて強い人が得をするんじゃないのっていうね、
こんな感じはやっぱ僕らなんかにあるんじゃないかと思う。
で、そうするとこのグッドバイブスみたいなことをやって、
曲がりなりにも、つか万が一にもいい人になってしまったらね、
心象とは何か
その悪い人から本当に好き放題削除されたりね、利用されたりするんじゃないかと。
まぁそこまでいかなくてもね、なんか僕がいい感じでこういてもね、
周りの人がプンプン怒ってたりね、もうやたらと攻撃されたりするとしたら、
やっぱこちらもそのグッドバイブスなんか言ってないで、
同じようにその攻撃モードでね、立ち向かわないとやばいんじゃないのみたいな、
多分そんなそういう諸々が入った質問だと思うんですよね。
で、これを解いていくというかね、いやそうではないっていうふうに僕は言いたいんですけども、
そのためにね、もう一度ちょっとこのグッドバイブス、
私がいつもお話していることの基本みたいなね、
基本の考え方っていうところに立ち帰って、
これキーワードは心象なんですけどね、心の象と書いて心象と読む。
もともと私はこれをイリュージョンと呼んでたんだけども、
以前にもお話したようにちょっとこの心象を見ているんですよっていうお話をするときにね、
それはイリュージョンですよっていうとちょっとなんかこう抵抗が強くなるというか、
少しこうマウント取られてバカにされてるような感じもしなくはないんですよね。
僕はそんなつもりは全くないんですけども、だから言葉は大事なんですねやっぱね。
書き上げ塾とかで私はそのやっぱりこの言葉一つ、形容詞一つね、
そこをしっかりやっぱり細かく解像度を上げて見るようにしていて、
これが読者にどのように響いているかっていうね、
これはまさにイマジネーション、想像の世界なんですけども、
自分で見ればわかりますからね、この言葉にはこういう棘があるなと、
その棘をわざわざ使う必要はないのでね、
同じ意味で別の言葉があるんであれば、
そういう意味で最近はもうイリュージョンとはあまり言わない、
心象というふうに途中で書いたんですよね。
まあでもこれが私のGoodVibesの基本の始めの一歩、
ここがとても大切な言葉なんですよね、この心象、言葉というかね、
これがどういうものかということを、
なんていうのかな、把握するというかね、自分で知るということね。
要は僕らはこの体を持って生きていますから、
身の危険を察知する人間の反応
この体は傷つきやすくて脆くてすぐに疲れたり、
病気になったりもするしね、調子が悪くなったりするわけです。
その上に怪我もするしね、
その上にいつか必ずこの世界から消えてなくなるという
儚い定めを持ったものなんですよね。
この体と共に生きているわけだから、
この体が危険を察知すると不快な信号が体の中に
ぶわっと湧き上がってくるわけね。
胸が重たくなったり、頭が痛くなったりね、
ドキッとするだけでちょっとゾクゾクなんていうのかな、
胸のあたりがもやもやしますよね。
今日も私、伊藤由加堂で買い物して降りてきたらね、
後ろでぶっ殺してやるって言ってるおじさんがいてね、
俺かな?とか思いながら後ろをチラッと振り向いたんですけどね、
その時やっぱゾワゾワっていうね、
まさに体が危険を察知する感覚、これは不快なんですよね。
こういう反応を体が受けると、
僕らは思考にスイッチが入ってね、
自分の身を守るためのストーリーを作り出すんですね。
このあたりはあんまりそのように見ていないとね、
なかなか自覚できないほど素早く全て行われるので、
なかなか僕らはそこに気づくことができないんですね。
このストーリーというのは、その多くはね、
世界とはこういうものだ、他の人とはこういうものだっていう判断ね、
これがまあほとんどだと思うんですね。
だから私のさっきのエスカレーターでいうと、
うわ、やばい人が来たっていうこの判断ですね。
これももうまさにこのストーリーなんですね。
緑の本では意味付けと書いたんですけども、
そして頭の中に危ない映像がブワッと出来上がる、
思考によって出来上がる、考えによって出来上がるんですけども、
これが要は心象もしくはイリュージョンなんですね。
僕らは社会の中で暮らしているので、
いわゆるこの石が上から落ちてくるとかね、
これより先に進むと下に落ちてしまうみたいな、
いわゆるこの物理的な危険というのだけではなくて、
人と人との間で評価が下がるとかね、
もしくは嫌われてるんじゃないかとか、
コミュニティの中で生きていけない危険というのを感じるんですね。
これはまあ社会の中で生きていけない感じっていうね、
怪我とか落下するとかそういうことではない。
物理的なものではなくて、
この人と人との関係におけるこのままでは生きていけないぞっていう、
社会的な危険みたいなものも察知しますね。
だからやっぱりちょっとした目つきとか、
嫌な表情を向けられるだけでも、
それだけでは全然体が傷つかないんですけどもね、
それでも僕らはグッと嫌な感じがしますね。
心象から生み出される対策
同じようにその危険を感じるってことです。
ここにもう一つね、
よく言う罪と罰の仕組みというのも働いてますから、
なんかそのやらかしてね、
罪人にされる危険みたいなのもここにしっかりと含まれるわけですね。
なぜかというと、
文字通り罪人というのはね、
この集団の中では最下層の地位に置かれるわけです。
だからまあ職場なの、家庭なのね、
もしくは友人と一緒に旅行に行くなど、
どんな集まりであってもね、
この罪を犯したかもしれない、
悪いことをしたかもしれないっていうこの感覚は、
僕らにとっては身の危険なんですね。
こういう物理的な危険、
それから社会的な危険、
そして罪と罰の仕組みにおける危険みたいなことを察知すると、
思考にスイッチが入って、
これは完全に自分の身を守るためのストーリーなんですね。
これを作り出す。
これがいわゆる心象というやつです。
この中身は、
さっき言ったように世界とはこういうものだ、
他の人とはこういうものだっていう判断。
もっと具体的に言うと、
要は最悪の事態なんですね。
これは危機感を持つために見る映像なんですよ。
危険を察知して何かしなきゃいけない。
この今僕が察知した危険に対して、
何か対策を施さなければならないと。
なので、
大丈夫じゃね?みたいな映像を見ていても、
何もすることがないんで、
恐れや不安がもたらす心象
それではダメなんですね。
僕らが作り出すストーリーは、
世界とは最悪の事態を想定した景色でなくてはいけないし、
他の人はやっぱり危険なものでなくてはいけないわけですね。
こうして僕たちは、
いわゆる恐れや不安を抱くということですね。
最初に体が察知する危険っていうのは、
体の反応で終わるんだけども、
ここから思考にスイッチが入って、
いわゆるこの心象を作り出すと、
ここから心の中に恐れや不安というのを抱き始めるわけ。
これを狙って作っているんですけどもね。
ここから僕らは、
大きく分けて2つの、
本当はもっともっとバリエーションはあるんだけども、
分かりやすいように大きく分けると、
2つの方向に心が動いていくわけで、
1つは、
例えばこの悩みみたいな感じですね。
悩んだり、すごく苦しくなったりするような感じ。
こちらも実は僕らは、
それが自分の身を守るというふうに捉えていて、
これはどういうことかというと、
悩んだり苦しんだりすると、
思うように動けなくなりますよね。
いやもうダメだ、動けないっていうこの感じ。
こちらは実はね、
何もしないこと、これが安全だっていうね。
もしくは動かないことが安全っていう、
この感覚に基づくものすごく矛盾してるんですけどもね。
なぜならば、何か問題が起こってるわけだから、
その危険を察知したわけだからね。
それが物理的であろうと社会的であろうと、
やばいぞと思ったわけだから、
問題が起こってるはずなんですよ、きっとね。
そうすると多くの場合それは、
行動することで修正しなければならないんですね。
でもそれ自体も怖いみたいな感じにしておいて、
動かないことで安全を確保しよう、
何かをしないようにしようっていう、
これよくやりますよね、僕らね。
だから例えば2つの選択肢があって、
やるかやらないか、動くか動かないかっていうところで悩んだときに、
やめとこう、動かないでおこうって、
こちらに行くということはおそらくね、
この心象の恐れや不安を抱いた後に、
多分その悩みや苦悩の方に行ってるってことですよね。
これは確かこの番組で、
このやりすぎな保護者っていう話をしましたよね。
このやりすぎな保護者は大抵この方法を使うんですよね。
かわいい子に旅をさせないってやつですね。
何もしないのが安全だからできればやらないほうがいいよみたいな感じね。
これやっていいかなって言うと、
いや危ないからやめなさいってこっちらの感じ。
だから多分この雰囲気というかね、
このやり方っていうのは多分僕らはその親から教わってる可能性もありますよね。
動けなくする。
自分を動けなくすることによって安全を確保する。
これが一つ目。
もう一つがここに怒りを抱くってやつですね。
この恐れや不安を持ちながら怒りに変えるっていう。
こうするとどうなるかって言ったら、
今度はその原因を作った人を攻撃するっていうところに行くわけですね。
これもやっぱり思いっきり矛盾していてね。
相手を攻撃すれば、相手は恐れや不安を抱きますからね。
必ず相手もこの同じプロセスをたどって自分に攻撃を返してくる。
つまり何の問題の解決にもならないっていうことになるわけです。
怒りの連鎖を断つGood Vibes
だからこれをなんとかしたいなというのが、
私のGood Vibesの最初の一歩目だったんですね。
面白いことに、僕がこの仕組みに最初に気づいたのは、
なんとなくうすうす分かっているような感じもしてたんだけど、
はっきりとね、これは真相だ、すげえなと。
世界作り出してるなっていうのに気づいたのは、
変な話なんだけど、25歳くらいの時かな。
当時付き合ってた女性にフラれた時なんですよ。
要は僕は全く食えない貧乏なミュージシャンでね。
彼女の方は同じ大学だったんですけどもね。
4年でしっかり卒業して、
私はちなみに2年で中退してたんだけども、
それなりに名のある会社に勤め始めて、
私は貧乏で彼女は結構お金を持っているっていう、
そういう関係だったんですよ。
当時もね、これはいつかその日が来るんじゃないか、
その日っつうのはフラれる日なんですけども、
俺に愛想つかす日が来るんじゃないかなみたいなね、
かすかな予感っていうのを時々思い出しながらね、
パッと見ないフリをして逃げるように、
なんとなく関係を続けていたんですけども、
やっぱりその日はやってきましてね、
ある日一緒に働いているその会社に好きな人ができたと、
その人も稼いでるわけですよね。
僕は貧乏で、やっぱ来たよな、こうなるよなみたいな感じで、
結構パッとフラれましてね、ある日突然。
ものすごいショックを受けたんですよ。
多分僕はですね、この人生でベスト5に入るぐらいの
ショックだったなっていう覚えがあるんだけどね。
なんか本当にこれはね、どちらかとさっき言った2つのうちの前者の方ですね。
もう本当苦悩と悩み、こちらの方に追い込まれて、
あと罪悪感もすごい感じでね、
俺が働かなかったから、俺が稼げなかったから仕方ないよな、
なんかもう自分がもう生きてて全く価値がないような、
そんな存在に見えてね、本当ちっぽけで、
もう本当に取り柄がないと。
音楽やってるけど全然食えてないじゃん。
そんなの取り柄でもなんでもないよと。
もうそろそろ諦めて片木になった方がいいんじゃないの?みたいなね。
そんな風に自分を責める日々を毎日毎日暮らしてたんですよね。
で、周りの友人が結構心配して遊びに来てくれたりとかね、
一緒のバンドをやっていた当時のベーシストの人かな。
その人の彼女が、ベーシストは僕の5つぐらい年上だったんで、
同じ年ぐらいの5つぐらいのベーシストの彼女、お姉さんがね、
私の家によくやってきてくれて2人でね、
その年上のお姉さんに慰められたりとかする日々を送っていたんですよね。
どうやってこれ立ち直ればいいんだろうって、
全く糸口が見えない。立ち直りの糸口が見えない。
で、次第にね、世界がモノクロームになってくるわけですね。
心象による世界の変化
そして動けないんで、ギターも弾かないし、曲も作らないし、
音楽もやらないし、レコードも聞かない。
何にもせずにテレビだけぼーっと見て、確かね、
その時ね、確かドラクエ1が発売されたんですよ。
お金もなかったんでね、当時の貸しレコード屋みたいなところに
1週間レンタルのファミコンがあったんですよ。
700円ぐらいじゃなかったかな。
それでそのドラクエ1も一緒に借りて、
1週間ずーっとドラクエをやってた覚えがあるんですよね。
そんな時に、そんなそのモノクロームの世界を見て、
もう生き甲斐をなくしている世界が真っ暗だ。
それから多分女性不審みたいなのもあってね、
もう何かもう二度と僕は女性とは付き合いたくないな、
みたいなそんな感じも持っていた。
まさにこの世界とその女性、人ですよね。
僕以外の人はこうだ、みたいなこの心象の中で生きてたんですよ。
そしたらたまたまね、一つ上の女性かな、
これも大学の頃の知り合いだったと思うんだけども、
なんか久しぶりに電話がかかってきてね、
何だかんだ話しているうちに、
今度映画でも見に行きましょうよ、みたいな話になったんですよ。
なんか映画の話になってね、趣味が同じだ、みたいなことになって、
1週間後ぐらいにその子と映画を見る約束をしたんですね。
それでポンと電話を切ったその瞬間に、
世界がバコーンって変わったんですよ。
何だこれはと、もう本当に一変したんですね。
それまでのこの沈んだ気持ち、心みたいなのが、
もう全部消えて、もう1週間後のその楽しい、
デートでもなんでもないんだけどね、
映画の約束をしたというたったその1点だけで、
僕のモノクロームの世界がね、一瞬にして総天然色に変わり、
美容院に行こうかなとかね、
ずいぶん風呂も入ってなかったなとか風呂入ってるとかしてね、
今日は会わないんですけども、
ドラクエやってる場合じゃないよとか言ってね、
久しぶりにギター弾き始めたりして、
面白いことにこれ何が起こってるかっていうと、
私の身に小さな出来事が起こっただけなんですよ。
とある女性と映画を見に行くってね、
別にその人と付き合ってもいないしね、
今だから分かるんだけども、
そんななんか期待も別に抱けるほどの大した出来事じゃないんですよ。
でもたったその小さな出来事があっただけで、
僕の見る世界は一変してるのね。
でも実際には世界は何も変わってないんですよ。
私に1週間後に映画を見に行く女性が現れたっていうだけで、
見ている世界も、それから僕を取り巻くあらゆる神羅万象も何も変わってないんですね。
その瞬間に今までこの数週間、
僕は自分で世界を作り出していたなっていうふうに気づいたわけですね。
これが僕の最初の自分の心象に気づいた出来事っていう衝撃でしたね。
でもね、なんだこれはと。
もっとなんかね、例えば困ったことが起こってね、
いろんなことが片付いていって、
人間関係のいざこざとかそういうものがだんだんうまくいくようになってきてね、
そしてなんか僕の音楽活動も広がっていき、
そして少し曲が売れたりとかしながらね、
仕事がバンバン入ってきたりしながら、
世界が変わっていく中で僕がこのように変化するんであれば、
それは周りの環境に合わせて私の心が変わったって言えるんだけども、
本当にこのたった1個の映画を見に行くって約束だけで、
ここまで世界が様張りするっていうのは、
これは私の心の中で作り出しているものを見ているとしか言いようがないんですよね。
これが私の心象体験、初体験、気づいたきっかけでもあるわけです。
心象による悩みの制限
その辺からね、なんとなくいつもいつもこれを疑うような習慣がついていったんだけどね。
要はその分かりやすい例で言うと、
例えば何かメールを送ったとします。
ちょっと頼みづらいことを送ったとする。
そうするとすぐに返信が来ない。
下手すると半日とか、下手すると24時間とか。
この間ずっと僕らは相手がすごく嫌な返信をしてくるんじゃないかとか、
もしくはものすごい僕のメールに対して腹を立てているんじゃないかとか、
不常識なやつと思っているんじゃないかっていろんな想像をしますよね。
いわゆる疑心暗鬼というやつ。
これを僕らは抱きながら、やっぱりさっきのどちらかになってるんですね。
悩みや苦悩を抱きながら動けなくなるか。
もしくは相手は全く罪がないのに、
なんで早く返信してこねんだよって怒りを抱いてるってね。
下手するとこいつ本当にダメだなみたいなことを思って攻撃したくなってるって、
このどちらかになってますよね。
でもこれは僕の心の中で行われている、僕の心が作り出した世界であって、
僕の心が作り出したこいつはこういうやつだという判断、まさに心象であって、
世界はそのようには動いてないんですね。
それからもう一つは未来の不安について考えているとき、
もしかしたらこんなひどい目に遭うんじゃないか、
もしかしたら僕の次の評価は下がってしまうんじゃないかとか、
心象による不安への対処法
この仕事はうまくいかなくなるんじゃないかとかっていう不安を考えているときですね。
これもまさに同じように悩んで動けなくなるか、
もしくはその未来の不安をもたらしそうな人をあげつらって、
そいつに怒りを抱いているかどちらかですよね。
同じようにやっぱりこのエネルギーを消耗したり動けなくなったりしているわけですね。
僕はこのワントレでこのようなお話を伺ったときは、
必ずその不安は的中しましたかっていう質問をしているんですね。
そうすると十中八九、もっと確率としては多いかもしれない、
95%くらいかな、何も起こりませんでした。
もしくはそれほどひどいことにはなりませんでしたって答えが必ず返ってくるんですね。
そのために毎回それを覚えておきましょうっていう風にアドバイスをお送りするわけです。
それを覚えておけばね、
次にまた同じようにこのメールの返信を待っているときとか、
未来の不安について考えているときに、
あれ、前回この不安は全く的中しなかったよなと。
それからメールの返信は24時間待ったけどいいですよって言って、
すごい快楽な返信が返ってきたよなと。
恐れや不安の扱い方
じゃあその間、抱いていたこの疑心暗鬼、
そして苦悩、悩み、怒りは何だったんだっていうね、
まさに僕の心象が作り出したこの感情は何だったんだ、
苦しみは何だったんだってことになる。
これを毎回毎回見ては振り返り、
いらなかったな、この不安は当たらなかったなっていうことを自分に教え込んでいくわけですね。
これはさっき最初に言ったように体の反応なので、
体に覚え込ませなきゃダメなんですよ。
これは危機ではない、これは危険ではないってことを覚え込ませていくに従って、
その後入る思考のスイッチね。
このスイッチを入れる頻度っていうのがどんどん少なくなっていくわけです。
それに従って僕らはこの恐れや不安を抱かなくなり、
悩みや苦悩、そして怒りみたいなことを心の中に持つ、
その頻度も減っていくっていう。
これがV-Good Vibesの基本のところなんですよね。
でも残念なことに僕らは敵中しなかったとか、
それほどひどいことにはならなかったっていう事実を
あえて見ないようにするんですね。
なぜかというと私のアドバイスに従って
全然大丈夫だったじゃんみたいなことに体が慣れてしまうと
油断して危ないと思ってしまうんですよ。
ここで攻めぎ合いが始まるんですね。
どういう攻めぎ合いかというと、
この恐れや不安を手放して楽になりたい、
もっと平安な心で過ごしたいという自分と
その前の習慣を持っていた、
最悪の事態を想定して危機感を持つという
このもう一人の自分が攻めぎ合うわけですね。
簡単に言うと2人の私がいて、
片方はやりすぎな保護者みたいなものなんで、
私がアドバイスを送ったとしても、
そんなV-Good Vibesとか訳わかんない、
クラゾノみたいなどこの馬の骨かもわからないようなやつが
言う戯言を聞いてはダメだというふうに言うわけですね。
だからたまたま敵中しなかったとか、
それほどひどいことにはならなかったみたいなことは
忘れてしまいなさいと。
それは本当に偶然そうなっただけで、
あんたは運が良かっただけなんだから。
もっともっとそんなところで油断しないで、
最悪の事態をちゃんといつも想定して
危機感を持って暮らしなさいという、
これがもう一人の自分なんですね。
やりすぎな保護者な自分。
もう一人はそれに本当にほとんど疲れたんで、
そういうのやめたいんですよ。
V-Good Vibes悪くなさそうな感じがするんで
こっちやりたいんですけど、
みたいなことが攻め合うわけですね。
この両者が攻め合うわけです。
ここからはまさに意思の問題になってくるわけです。
意思と選択というのかな。
どちらを選ぶのかというね、
どちらを選ぶのが本当に幸せなんだろうという
まさにこの選択。
そしてその心象を手放してね、
恐れや不安の世界、
ここから抜け出すという楽になるというかね、
平安な方を選ぶのか。
もちろんそれを僕らは望んでると思うんですけどもね、
そちらを選ぶのか。
それともそうは言ってもやっぱり
そのやり方はとてもちょっと怖くてね、
信じられないし、
全く頼りにならない感じがするんで、
従来の疑心暗鬼の方に戻りますわっていうこのね、
この二者択一というか選択になっていくわけですね。
もちろんそのどちらかを一つ一方選べば
ずっとそちらでいられるというわけではなくて、
これは毎秒毎秒その選択になるわけですね。
本当に同じように油断すれば、
簡単に僕らは思考のスイッチをパチッと入れて、
怖い心象でも作り出すことができる。
世界をどれほどまでにも悪くできるし、
自分以外の他の人をね、
どのように悪くすることもできるんですね。
これは自由自在なんですよ。
心のあれですからね、心の創造ですから。
もう本当に思うがまま、
じゃあどちらを選ぶんだっていうね。
で、うまいことそのね、
なんていうのかな、
この楽になる平安の方、
こちらの意思が勝っていくとですね、
だんだん僕らは、
そのいわゆる思考によるストーリーというのを
作り出さなくなる、
意味付けをしなくなるということですね。
完全にありのままに見ることはできないんだけども、
かなりフラットに近いような感じで、
その現実を見られるようになるわけですね。
そうすると、
なんとかなるんだなっていうのがわかるんですよ。
なぜかというと、
この自然界を見ればわかるようにね、
この僕らが住んでいる世界っていうのは、
そのままであれば調和するようにできてるんですよ。
なんか僕はこれを川の流れみたいな感じで
捉えてるんですけどもね、
そこに乗っていればそんなにひどい目に合わない
っていう風にできてるはず。
そうでないとね、
世界は成り立たないんですね。
この自然界がしっかりと調和して
いろんなものが生きていられるっていう、
これは多分破壊に向かうはずなんですよ。
そのままであれば調和しなければね。
そんな中に僕らは本当は生きてるはずなんで、
ここでなんとかなるなと、
そうかそうかと、
現実っていうのはフラットでね、
いいも悪いもなくて、
ただ単にそのままであれば
調和するようにできてるんだなっていうことに
攻めぎ合い
なんとなくそれを実感できるようになると、
だんだん僕らはその恐れや不安のない
私が言うところの本来の自分というのに
戻っていくわけですね。
これはいつも言っているように
愛そのものでね、
罪悪感を持っていない。
そしてもう一つこの世界がね、
自分を傷つけるためにあるのではない
ということをなんとなく分かり始めてくるわけ。
割とここは悪くないなっていうね。
この辺りで、
さっきのね、
このやりすぎな保護者の自分っていうのかな、
そんなヌルいぜってやつがね、
最後の抵抗をしてくるんですよ。
最後っていうかな、
最後はちょっとふさわしくないな。
何度も何度もやるんだから、
ものすごくヤバいぞと。
心象と現実が出会ったときの葛藤
こいつヤバい方に行きそうになってるぞ
みたいな感じかな。
このままじゃまずいと。
それをね、ものすごい親戚一同を呼ぶみたいな感じ。
そのやりすぎな保護者が、
もうおじさんおばさんとかね、
いろんな人を集めて、
ちょっとこの形状に説教してやってくれみたいな。
こいつなんかおかしいな考えを持ち始めてるみたいな感じで、
いわゆるものすごい猛烈な抵抗をしてくるんですね。
これは多分、
必ずここに行き当たる。
僕もそうでした。
本当にここに行き当たるんですよ。
ここで湧く疑問が、
最初にね、お話しした。
グッドファイブスでいい人になると、
悪い人にやりたい放題にされるんじゃないか。
いい人は弱くて損をして、
ずる賢い人が強くて得をするんじゃないか。
みたいな感じなんですね。
これが質問の形として、
自分だけグッドファイブスでも、
周りがそうでないなら、
意味がないんじゃないでしょうかっていう、
この質問の奥にね、
隠れているというかな。
まさに葛藤責め嫌いなんじゃないかなと思うんです。
ここから、
僕はね、
これは心配しなくていいという、
この結論なんですけども、
要はね、これ重要なのは、
どちらかが現実で、
僕は心傷だっていう、
この関係なんですよ。
恐れや不安の心傷を抱いている。
つまり、例えば、
メールを送った相手は、
僕を怒っているんじゃないか。
僕に怒っているんじゃないかとか、
腹を立てているんじゃないか。
未来にひどいことが起こるんじゃないか。
これは心傷であることは確実なんですね。
まだ見ていませんから。
心傷を持たずに平安を保つ方法
そしてその後に、
結果がしっかりと見えてくる。
あ、了解しました。
大丈夫です。やります。みたいな返信が来る。
思っていたようなひどいことは起こらなかった。
これが現実なんですよね。
それから、
例えば、その心傷を見ながら怒っている。
そしておかしな行動。
例えば、自分に攻撃をしてくる。
みたいなこともありますよね。
この相手は確実に心傷を見ているわけですね。
その心傷を見て、
恐れや不安を抱き、
さっき言った2つ目の後者の方、
僕を攻撃するという方を選んだわけです。
こういう人が、
僕がなるべく心傷を持たずに、
平安な感じでいるとしますよね。
この2人が出会うと、
どうなるかということなんですよ。
恐れや不安を抱いて、
おかしな行動。
つまり、僕を攻撃しようとしている人がいる。
僕は一方で、
そういうものをできるだけ見ずに、
本来の自分で言おうとしていると。
なんとなく、
この2人が出会うと、
怒っている方が強そうだからね。
そこに巻き込まれそうな感じがしますよね。
これがどちらかが現実で、
もう一方が心傷である。
その2人が出会うと、
どうなるかということなんですよ。
僕はこれをね、
心の平安を保つための考え方
例えば、
お化け屋敷で、
エキストラと働く僕がね、
ここは本当にお化けがいるって、
信じている子供に出会ったら、
どうなるかっていう、
この問いで解ける気がするんですね。
僕はどれだけ怖いし、
僕はどれだけ怖い仕掛けが、
施されていても、
それが作り物だってことを熟知しているんですよ。
だとしたら、
その子供が、
どんなに怖い真相を見ていて、
本当はそうじゃないんだ、
いるんだよって、
僕に訴えかけているとしてもね、
僕は絶対にその映像、
その子供が見ている映像を、
間に受けないはずなんですね。
そこに一緒に巻き込まれて、
本当だね、怖いねって、
なぜなら、
僕は作り物だってことを熟知しているからなんですよ。
その気になれば、
例えば、
このお化け屋敷の館内の、
全部のライトをバーッとつけてあげて、
一つ一つ見せて、
ほらほら、
これ作り物でしょ、偽物でしょって言って、
子供に見せてあげることもできる。
これは嘘だってことを証明することもできるわけ。
そうしたら、
全部バレバレになっている、
人が出てきて、
メイクを落としているところとか、
全部見せるわけ。
明るくなっているお化け屋敷を、
歩いているうちに、
もしかしたら、
子供は恐怖の心象を手放すかもしれないですよね。
なんだ、ここ怖くなったんだ、
みたいな感じで。
この話が、
現実と心象が出会った時に、
どうなるかということを、
うまいこと表しているんじゃないかと思うわけです。
私は、
未来の不安、
心象を持っていない。
まだ何も起こっていないよね。
悪いことは起こっていないよね。
だから悪い世界を作り出していない。
フラットな世界をなるべく見ようとしている。
その前にもう一人、別の人が現れて、
その人は、とても未来に不安を抱いている。
でも、
その不安は、
あなたの心が
作り出した心象だってことを
確信しているとしたら、
そこに巻き込まれることはないわけですね。
あるいは、
恐れや不安を抱きながら、
攻撃するという方を
選択して、
僕に何かを仕掛けてきたとしても、
僕はその人が見ているのは、
心象だっていうことを、
しっかりと確信していれば、
僕は同じその映像を
見ることはないわけですね。
だとすれば、
私がその心象を見ずに、
心の平安を保つことは、
本当はできるはずなんですよね。
でも、
エキストラではなくて、
心の
片隅に、
かすかにでも、
これはお化け屋敷なんだけど、
でも、こういう場所って
意外と出るかもなと思っている。
いわゆるお客さんね。
お客さんの一人だとしたら、
もしかしたら子供に連れられて、
同じように、やっぱり怖いかも
って思うかもしれませんよね。
心象を作り出さずに現実を見ることの重要性
だから、ここの確信が重要なんですよ。
どういう確信かというと、
片方は
心象を作り出さずに、
ありのままに、より近い現実を見ている。
そうすると、
先ほど言ったように、
現実というのはフラットですから、
何の意味も持っていませんからね。
良いとか悪いとか、
フラットなんですよ、いつも。
そしてそれはおそらく、
僕らを自然と調和に導くような、
なんとかなるものであるはずなんですね。
そちらが現実だという風に
確信していればですね、
相手がどんな心象を持って、
どんな攻撃をしてきてもね、
そこは多分揺るがないんですよ。
いやいやいや、
大丈夫ですよっていう、
この感じでいられる。
だから平安を保つことができるんですね。
要は、
こんな風に考えるといいなと
僕は思っていて、
二人でいる時ね、誰かと。
一人が、たとえ心象を作り出したとしてもね、
こちらが私がね、
私がそれに同意しなければ、
その心象は
完成しないってことなんですよ。
片方が心象を持ったとしても、
僕が、いやそうではない、
現実はそうではないっていう確信を持っていれば、
その心象は
二人の間で完成しないんですね。
だから、その逆にね、
もし、恐れや不安の心象を抱いて、
僕を攻撃する人に、
僕が同じ攻撃で
応戦したとしますよね。
それはどういうことかというと、
私が相手の心象に
同意したってことなんですよ、まずね。
そして二人で一緒に、
それを現実にすることを
決断したっていう風にね、
相手の心象に同意しないことの意義
こういう風に考えればいい。
これを逆さまから言うとどうなるかっていうと、
僕の助けを借りなければ、
相手は
その心象を見続けることはできない
っていうことなんですね。
少し分かりにくいというかね、
ややこしい話に思えたとしたら、
さっきのそのお化け屋敷の話に戻ると、
少し整理されると思いますね。
ちょっと、
さっきは子供と言ったんだけども、
相手を子供にしてしまうと、
また、
先ほど言ったような、
上下というかね、
こちらが偉いみたいな、
そんな感じになってしまうので、
ここはあえて子供じゃなくて大人にしておきましょう。
これは別に、
心象を見ている方が下とか、
心象を見ている方がつたないとか、
劣っているとかそういうことではない。
必ず僕らは見るんでね。
ここには上下も何もないわけです。
たまたま私は、
なんとなく、そうかこれは心象だ、
というふうに気がついているという、
それだけのことね。
これはシチュエーションがそうなっているだけで、
いつでも僕らはこのスイッチをする、
そういう関係ですね。
だからあえて誤解を避けるためにも、
子供というのはやめて、
私がお化け屋敷のエキストラ、
そして、
相手はお客さんですね。
相手が本当にお化けが出るんじゃないかと思って、
かなりこのお化け屋敷にビビっているお客さん。
まさに心象を見ているわけですね。
いないわけだから、
本当はね。
この二人が出会った時に、
私がね、
相手のそのお客さんの心象に同意しなければ、
お化けが本当に出るという現実は、
作られないってことなんですよ。
これはとても単純な話ですよね。
でももし、
僕がそのお化け屋敷のエキストラではなくて、
いないだろうな、
とか思いつつも、
かすかに、
でも、もしかしたら、
こういう場所を作ると、
そこに出たりするかもしれないしな、
みたいなね。
そんな風に疑念を持っているとすると、
相手がね、
いやいや、出るかもしれないよ、怖いよ、
みたいなことをね、
その心象を見ながら、
僕に話した時に、
そうだよねって同意するかもしれませんよね。
で、それを現実にすることを
決断するっていうことができる。
自己防衛とストレスの回避
これが要は、
相手の心象に僕が同意して、
そういう風なまずいことが今
起こっているんだよねっていうことを、
現実にしようと決めたってことなんですね。
でも、もし私がね、
繰り返しますけど、
エキストラで本当にここの仕組みのことを
熟知していたら、
これを同意することも、
そのようなものにしようっていうことを、
決めることも多分できないんですね。
やろうと思っても、
無理だと思います。だってそれは嘘だって、
わかってますからね。
この関係がいつも起こると、
そういう風に想定すれば、
相手がどうであろうと、
こちらの平安は失われないっていうことになりますよね。
もちろん、
この例え話とは違って、
リアルにそういう、
相手を目の前にすれば、
相手は僕を攻撃しようとしてますからね。
大きな声を出すだろうし、
嫌なことを言うだろうし、
辛辣なことを並べてくるでしょう。
バリ増合も並べてくるでしょう。
そのたんびに、
僕の体が反応するんですよ。
これはもう反応なので、
止めることができない。
こういうことに同時なくなるっていうのが、
グッドバイブスなんじゃないかと、
そういう風に思われる方も、
いらっしゃるかもしれないんだけど、
そうではないんですね。
このビビビビって一発ずつ来る反応っていうのは、
永遠になくならないと思いますよ。
よほどのことがない限り。
やっぱり修行とかね、
そういう世界に入っていくんだと思う。
僕はそれは求めていない。
だからこの反応は仕方ないと思う。
でもここから、もし僕がね、
同じようにいつものメカニズムで、
カチッと思考にスイッチを入れて、
そこから良くないストーリーを作り出すと、
まさに相手が投げかけてきた
心象と同じものを
見ることになるわけですね。
ここでエキストラの話を思い出すわけです。
心象に同意しないことの重要性
いやいやいや、
ここから僕は何かを考え出して、
悪いストーリーを作り出す必要はない。
むしろそれをすることによって、
僕は多分同じ心象を見ることになる。
そうすると、
この人の言っている、
この人の作り出した世界に同意し、
それを二人で現実のものに
してしまうっていうね。
ここでクッと留まるんですよ。
ここが出来さえすればね、
ここでクッと留まることができれば、
悪い心象を自分で作り出すっていうのを、
グッと留めることができれば、
僕はまず平安でいらっしゃる。
そして恐れや不安を持たない
本来の自分でもあれるので、
その自分はおそらく
愛そのものなんですよ。
これはさっき言ったような、
まさにエキストラがね、
その館内に明かりをつけて、
お客さんを案内して、
すいません、
全部偽物ですから大丈夫ですよ、
っていうようなことができるってことですね。
これが相手の恐れや不安を
和らげるっていうことに
繋がっていくんだろうと思います。
この辺りはね、
確かどっかの番組で
詳しくお伝えしたと思うんで、
よかったら聞いてみてください。
その取り組みを始めるにあたってもね、
今日のお話で一番重要なのは、
やっぱりこの
二人でいるときにね、
相手がどのような心象を
作り出したとしても、
私がそれに同意しなければ、
その心象は完成しない。
つまり現実にはならない
っていうことですね。
だから私は平安でいられる。
その世界に飲み込まれずに
住むという。
ここが一番重要なポイントだと思います。
まさにだからちょっとだけね、
相手の恐れや不安を理解しながら救い出すこと
心象の話が螺旋階段のように
ぷっと上に上がってですね、
私が
いい感じでいて、そうでない人が
周りにいたとしても、
それほど気にする必要はない。
なぜならば、そのような仕組みになっているから
ということですね。
これはね、よくある
一緒に暮らしている家族、パートナーとかでね、
やっぱりすごく何かに
不安を抱いている
というケースはよくありますよね。
そしてこちらから見ると、
それは考えすぎなんじゃないかなとかね。
本当にそんなことは
起こらないはずなのになって思う。
この感じ、こんなときに
これを思い出すと、
僕はうまくいくなと思っています。
相手のね、その恐れや不安はしっかりと理解してあげる。
これは重要なんですね。
でもそこ、それを作り出している心象、
これを一緒に見ないということですね。
それをそこに同意せずに、
あくまでこちら側は、
その痛みとかね、
苦しみとかをしっかりと理解しながらも、
どうすればこの人を
この心象から救い出せるんだろう
というような感じ。
ここも答えがないんですけどもね。
でもこちら側、さっき言ったようなエキストラのようにね、
心象と現実の違いを確信することの効果
それは現実ではない
ということをね、
しっかりと確信していれば、
必ずいい作用が起こると思います。
これは本当にケースバイケースでね、
人と人とのね、
個性の違いみたいなのもあって、
一概にはどうするみたいな答えはないんですけどもね。
このやり方が多分一番僕は
うまくいくと思っています。
自分のためにも相手のためにもね。
そんな感じですかね。
じゃあもう結構いい時間になったのでまとめますね。
多分心象というのはね、
やっぱり夢のようなものなんですね。
それはね、現実ではないわけですから。
そしてそれを見て恐れや不安を抱いているというのは
まさに悪夢のようなものですよね。
これを見ながら、
苦しんでいる、落ち込んでいる、
もしくは怒りを抱き攻撃をしてくる。
この夢に同意しないということね。
これが重要なんですね。
何というか、この同意してね。
よし、分かった。受けて立つよ。
その夢の中で一緒に戦おうじゃないかっていうね。
これをしなければ平安を保てますのでね。
そのようにしていい一日をお過ごしください。
ありがとうございます。