イベントの準備
グッドバイブス、ミッドナイト楽座、 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま6月19日月曜日の午前2時23分ですね。
今日はですね、2つお話をしようかなと思う候補がありましてね、直前までどっちかなと思っていたんですけども、
週末にですね、また今週も2つのイベントがありまして、土曜日が今ここのボイストレーニング。
そして本日ね、日曜日がグッドバイブスファクトリーという、私と佐々木さんと矢部聖子さんで運営しているオンラインコミュニティですね。
こちらのあの月1イベントのオンライングループセッションというね、相談会のようなものかな。
今日は6、7人ぐらいでしたかね、集まっていただいてズームにですね。
それで2時間の間、それぞれお一人ずつね、相談とか質問をするという、そういうイベントなんですけども、この両方に共通する話題というのがね、1つありまして。
それからこのもう1つのね、今日の方か、グループセッションの方で特に私がね、印象に残っているお話が1つありましてね。
この共通する方がちょっと軽め。
このグループセッションの方がちょっと重めみたいなね、これも完全に私の意味付けというか印象なんですけども。
話の長さも共通する方がこの軽い方が短めでね、重い方が多分長めになるだろうなという。
今日が月曜日なのでね、でもその重い方もその月曜日にするには悪くない話題でもあるんですが、どうしようかなと思ってなんとなくですよ。
感覚として今はその軽い方、両方のイベントに共通する方のね、お話を今日はしたいかなと思います。
これはもともとですね、このボイトレから始まったというかね、そういう話なんだけども。
この日はですね、いつも受講してくださる方の息子さんがね、参加してくださったんですよ。
息子さんと言っても成人してる息子さんではなくてね、小学校6年生、11歳なんですね。
2日ぐらい前かな、突然ね、そのお父さんがちょっと息子も参加したいと言ってるんですけどいいでしょうかと言ってね、お申し込みがありまして。
音楽レッスンでのプレッシャー
やぶせいこさんが急遽ね、この伴奏をピアノでコピーして望んだんですけども。
私はですね、やっぱり一つね、ちょっとしたプレッシャーがあってというのも、実は私がですね、この小学校2年生の時に音楽の授業でね、わりと自信満々に歌を歌ったら、これ一人ずつ歌うってやつだったんですけども。
音楽の先生がね、倉園くんの歌はお経みたいだねっていうふうに言ったんですよね。
それで、これ前にもね、一回話したと思うんですけども、それから僕はね、小学校4年生の時まで、もう本当に音楽が大嫌いになりましてね。
で、たまたまその4年生の時に出会った音楽の先生が、今度は僕の歌を聴いてね、お前オーケストラに入りなさいって言ってね、小学校のオーケストラの指揮者をやってる先生だったんですよね。
で、そこにスカウトされて、また再び音楽の道に戻ることができたんだけども、やっぱりね、大きいんですよね。
この子供の頃の音楽の指導っていうかね、僕のボイトレは指導ではないんだけども、大人の前で演奏したりね、歌を歌ったりするというこの経験がね。
私の知り合いでも、とても音楽の才能があるな、この人っていう人でね、実はピアノを子供の頃やっていて、で、たまたまその先生がね、間違えると線弾きで指をパシッと叩く先生だったと。
で、それからもう本当ピアノが大嫌いになって、で、結局は弾かなくなったんですよね、と言ってね。
で、まあその今は歌を歌っていたり、そのギターを弾いていたりね、まあするんだけども、そういう本当にこの1回の経験がね、この僕らのね、まあおそらくそのなんていうのかな、そういう人たちにとってみれば本当にギフトなんですよね。
その人の多分幸せな役割というかな、個性と紐づいた幸せな役割に多分つながっているようなね、多分そういうものなはずなんですよ、音楽というのはね。
で、そういうものって僕が思うに多分人生に10個はないんですよね。
まあ人によって20とか30ある人もいるかもしれないけど、まあなんとなく僕が自分やらその周りにいる人たちを見たところ、おそらくこの幸せな役割に紐づいているものっていうのは5、6個かな、多くてそのぐらい。
一つ見つかれば儲け物みたいなね、そのぐらい貴重なものなので、そういうなんかそのたった一瞬の大人との出会いで、それを壊したくないっていうこういうプレッシャーは当然あったんですよね。
で、まあでもあんまり考えてもしょうがないんで、本番を迎えてね、そしてそのこの顔を見てどうするか決めようかなと思っていたら、いつもはまあこのgood vibesのこのお話というかね、この番組でお話しているような今ここであるとかね、考えないとか、まあ様々なカチマックスそういう話もするんだけども、自分の声を受け入れてね。
でもなんかここは言葉じゃないなって感じがしまして、そうですよね、なんとなくこの11歳の少年にね、この私のいつもしている話をしてもあんまり意味がなさそうだなというのもありましてね、外に出ましょうというふうそういうひらめきがあったんですね。
で、このスタジオというのが面白くて、神社の参道の中にあるんですよ。だから、スタジオは民家を改造してあるんだけど、双子新地のね、それを左に曲がるともう鳥居が見えてるんですよ。これ参道なんでね。
時たまありますよね、そういう参道っぽいところの両脇がね、もう住宅が立ち並んでるっていう、そういう場所なんですね、双子新地のスタジオなんですけども。で、その鳥居の方に向かって歩いていくと神社がありまして、神社の境内の中にちょっとした小さな公園みたいなのがあるんですね。
で、それなりに大きな林というかな、木が立ち並んでいて、そこまでみんなでね、スタジオを出て歩いていきましたね。それで、前回の番組でお話した、この今ここにとどまってね、世界の方が動いてるっていう、そういう見方をしてみるっていう、このお話をしたんだけども、このワークをね、みんなでやったんですよ。
で、おそらく僕はこれをね、あの言葉で話すよりも、小学生だったらね、やってみて実感してもらえたら、一発でね、多分わかるなと思ったんですね。ただ、もしわからなかったら、本当にちんぷんかんぷんだろうなと思ったんだけども、まあちょっとやってみようっつんで、大人と一緒に何にもその変えずにね、同じ説明をして、まず空間モードの説明をして、真正面を見ると体が見えなくなるよねと。
この体がないっていうので、意識の中に世界が浮かんでるっていう、この感じを持ってますかね。で、まああの大人もまあまあ割とここ苦戦していましてね、うーんとか言いながら、どうしてもやっぱ体が残ってるなとかって言ってたんだけども、この彼がですね、11歳のこの子が一発でこれをつかんでくれたんですね。
本当だ、自分がいないって言ってね。すげーなーと思って、おーやっぱそういうことなのかと思ってね。で、そのまま歩いていくと、その前から森がね、ぐーっと迫ってくる、この感じに見ることができるっていうね、自分が最初近づいていくんだけど、自分は止まっていると見て、この映像だけに集中すると、前から森がほらほらほら迫ってくるよねっていう風な説明をした。
おーとか言いながら、あ、来る来る来るとか言いながら、その子は歩いているわけですよ。そして、でもこれもやっぱね、ちょっと大人たちはね、なかなか、うーん、やっぱ歩いちゃうなとかね、そんな感じで、うーん、自分が歩いている感覚が抜けないとかね、そういうのをこうやって何とかこう試行錯誤している間にね、もうその子は、これあの上の方を見るとやりやすいですよとか言って、なんかこうコツまでつかんでね。で、そうなんですよ。上の方を見るとやりやすいんですよね。
それは僕は知ってたんだけども、えーと、あまりね、そういうコツみたいなのをお話しすると、いろいろこう紛らわしくなってしまうんで、そこは言わずにね、こうやっていただいてたんだけども、その子は一発でつかんでね、これ上の方を見るとやりやすいって言って。
で、まあ、えーと、そうだね、なんとなくみんな、うーん、どうだろう、どうだろうっていうところで一応終わって、で、僕はその子と二人でね、先にとぼとぼ、じゃあスタジオに戻りましょうって言って、並んで歩いてたんですよ。で、今、ほら、こうやって道、道も、道歩くこの感じも、前から家がやってくる感じってわかるって言ってたら、わかります、わかりますって言ってね、ああ、本当だ、来てる来てるとかって言いながら、こう歩いたわけですね。
で、まあ、スタジオに戻っていって、で、えっと、今日はね、もう一つだけこれにね、えっとポイントを加えましょうと、今やっていただいたのは、今ここに留まって、そして世界が動いてくる、これを前回も言いましたけどもね、音楽に例えるならば、えっと、譜面を自分で追っていく、メロディーを自分で追っていくんじゃなくて、まさにあの太鼓の達人の音ゲーのようにね、自分は同じ場所にいる、そこに次の音がね、こうやってきてくれる。
それを発声するんだと、なるべくその自分でね、歌おうという意識、これをね、持たずに、ただただ来た音を出してください、これがまあ一つ目だったんですね、これをさっきの神社の境内で練習した、で、次にもう一つだけ、あの、加えてください、これがですね、今日のお話の大きなテーマなんですけども、一切の責任を手放してくださいっていう風にお話をしたのね。
責任の手放し
要は、僕らはこういうレッスンであろうとね、やっぱり何人かの人が見ていると、その時にこの練習であろうと歌を歌うっていう時に、なんだかのやっぱり責任を感じてるんですね、ここでね、不思議なことにね、どんな責任か、まあいろいろあるでしょうね、これは人によってうまく歌わなくちゃいけない、もしくはうまくまでいかなくてもいいから、下手を打ってはいけないってかね。
まああるいは、せっかくお金を払っているそのレッスンなんてね、元を取って帰らなければいけないとかね、まあそういう方はあまりいらっしゃらないと思うんだけど、私のボイトレではね、まあでもこの歌というものには多分、おそらく少なくとも全員が多分責任というものを感じていたはずなんですね。
これを一切手放してくださいという風にアドバイスをしたわけです。
で、なぜかはこの後お話ししますが、そこではね、そこでもまあ一応詳しくどうして手放す方がいいのかというお話をした。
そうしたらどうなったかっていうとですね、まずその大人が今回3人参加されてたんですけども、皆さん例外なくかな、歌がまず軽くなりましたね。
最初に来た瞬間に、そのレッスンに来た瞬間にですね、さっきのそのワークとかやる前に、まずいきなり1曲、課題曲を歌っていただくんですよ。
これがその使用前ってやつですけどもね、レッスン前というテイクを残しておきたいので、まあこれをビデオに撮るんですけども、最初はだから何の講義、レッスンもなく、突然みんなに歌っていただくんですね。
ここは一番その緊張する場面というか、いきなり歌うんですか、みたいな感じになるところなんですけどもね、あえてこのそこの緊張感も使用前、使用後を感じていただきたいので、これはあえてね、まあちょっと大変だろうなと思いながらもトライしていただくわけです。
で、そのバージョンとこのね、えっと今ここに留まり、そして責任を手放すというね、えっとこの話をした後の歌はですね、まず1つ本当に身軽になります。
声が軽やかになるっていうかね、なんつーのかな、この100キロぐらいの荷物を背負って歌っていた、その人がその荷物を全部ね、下ろして、で、多分ね、コートみたいなのもすごく厚く着込んでね、まあ昨日は気温が30度ぐらいある、そんな気候だったんでそんな格好してる人はいないんですが、心のコートですね。
まあ心の鎧というのかな、そういうものもこの責任という言葉とと同時にやっぱり着込んでいるわけですね。
まあ防弾チェックのような厚いのを着てる人もいるかもしれない。
これもやっぱり10キロ、20キロぐらいあるのかな、この装備というのかね。
100キロの荷物を下ろし、20キロの装備を脱ぎ、そして本当に責任持たなくていいんですね。
いいですっていう、これを確認もしてね、一切責任を負わずに歌ってくださいと言ったところ、もう大人3人はもう抜群に良くなりましたね。
それからとても楽しそうな感じというかな、身軽で自由で、そして楽しめる、自分の歌っている歌を楽しめるっていう、そういう感じになった。
そしてもちろんですけども音感、リズム感、音程、リズム感、そしてなんていうのかな、これ何もしないんですけどもね、何もしないんだけども表現力みたいなものが大幅に増すというね。
まあおそらく相当最初の使用前に比べて歌は良くなったと思うんですね。
そしてこのいわゆる問題じゃないな、この話題の11歳の彼ですね、彼は実は最初恥ずかしくてあまりいつものように歌えなかったんですね、本気で歌えなかったんですよ。
なんかこう全部ファルセットでね、ヒャーって静かに歌うみたいな、そういうその声も素晴らしかったんですけどもね。
でもなんとなくやっぱり大人が4,5人見てるこの前で歌うっていうのはなかなか大変なものでね、やっぱりこう文字文字して、それでも嫌がらずにね、スッと前に行って歌はいいはしたんだけども、
お父さんに言わせたら、いつも自声で歌ってるのにどうしてファルセットなのよとか言ってね、ちょっとこう2人で揉めたりはしてたんだけど、
僕はいいですいいですと、どっちでもいいから歌いやすい方で歌ってくれってね、お願いをして、最初やっぱりね、このなんつーのかな、歌いにくそうな感じだったんですよね。
そしたら、まずその最初のワークをやったところで、彼にどうでしたかってこう尋ねたところね、スタジオに戻って発声練習をするんだけど、その時にどうだったかっていうのを尋ねたら、
身体がなくなるってのはとてもいいと彼は言うわけですよ。今までね、自分がここにポンと立っていて、それを見られているっていうこの意識でね、とても歌いにくかったと、なんか恥ずかしくて嫌だったと。
でもこの空間モードと、そして世界を動かすモードの中で、自分の体が見えていない、これはないというふうに捉えることもできるよね。
意識だけが自分の中にあるんだって、こう思った瞬間に歌うのが恥ずかしくなくなった、大丈夫になったって言うんですよね。これがやっぱりすごいなと思った。
そして彼はね、この責任を手放すというところもしっかりとわかってくれて、そこから最初の歌よりもね、まだちょっとしたこの照れみたいなのはもちろんあるんだけども、
やっぱりこの自分を出すというかね、自分の本来持っていたこの歌をしっかりと歌えるようになったんですね。
驚くことにね、やっぱり彼も大人と同じように音程もすごく最初のバージョンよりもピチッとピタッとあって、そして何よりもこのリズムの良さっていうのがもう如実に現れるっていうか、ものすごく多分才能のある子なんですよ、彼はね。
僕が見る限り、彼が音楽をやるために必要なものはもう全部揃ってるようなそんな感じがしますね。
多分音感もリズム感も僕なんかよりははるかに良いものを持っています。
それがこのね、責任を手放すといった瞬間に見事にこうね、ブーンと出現させてくれた。
で、私はですね、これはもう本当になんていうのかな、もう私服の体験と呼んでもいいんだけども、この番組でね、いつもお話ししているこの偽りの自分と本来の自分。
画と私、それからバラバラ意識と一つ意識、緑の本、グッドバイブス、ご機嫌な仕事からね、ずっと書いてきて、ずっと喋っているこの本来の私というのを、この実物をね、久しぶりに見たぞっていうそういう感じがしました。
もちろん大人の中でもね、これがバーンと出てくる瞬間っていうのはもう随所にあるんですよ。
このいつもいつも本来の私でいるっていうのはなかなか難しいんだけどもね。
例えば私のワントレのセッションの間とか、あるいは様々なイベントでご一緒する。
それから合宿に行くとかね、それなりに長い時間、あと懇親会とかもそうかな、飲み会とかそういうところに行くとですね、やっぱりこう要所要所に今この人本来の自分、本来の私出てるわみたいなね、そういうシーンってのはいついつもいつも何度も何度も目撃するんですけども。
もう存在自体この人ずっと本来の私だよねっていうこの感じっていうのはなかなかお目にはかかれないんですよ。
これをですね、この11歳の彼が1曲歌う間ですね、どのぐらいかな4分ぐらいあったのかな。
結構長い曲だったんだけども、あのワンピースのね、一番新しい映画であの主人公というかな、あの歌を歌う女の子。
歌っていうんでしたっけ、ちょっと僕見てないでわからないんだけども、あれはアドっていう人が歌ってるんですよね。
本物はね、その曲を4分間ぐらい結構難しい曲なんですよ。
今時の曲でね、店長もあるしリズムも変わるしというね、テンポもそれなりに早くて。
そして、ちなみに最初のテイクはわざと矢部聖子さんが少しテンポを落としたんですね。
186というものすごいスピードだったんで、やっぱりレッスンするんだったらちょっと落とした方がいいかなと思ってね。
それをそうしておいたら、僕が最後のね本番、その使用後の歌う前に何かピアノに注文あるって聞いたんですよ。
何でもいいから言ってって言ったら、もうちょっと早く歌いたいっていう風に言ってくれたんですね。
ああなるほど、元歌のテンポと違うっていうのが分かったんだなっていうんで、早速ね、矢部聖子さん本物の歌のテンポは186っていうのは取っておいたので、それをメトロノームで鳴らしてね。
しかも難しいから少し遅くしたかったんですよね、彼女はね。
分かった、私も受けて歌おうじゃないの?つって186でブワーッと弾いた。
11歳の彼の歌の素晴らしさ
それを4分間ぐらいグーッと歌ってくれるんだけど、もうまずルックスですよ。
見てる限りものすごい光なんですよね。
全身からも光がこうみなぎってる。
本来の自分ってこういう感じなの。
しかも私がいつも言ってる十全十美、これがもう完全無欠、すべて揃ってるっていうね。
でもその子はですね、本当に普通の子なんですよ。
なんか特別な教育を受けたとかね、すごいお金持ちで英才教育を受けてるとかそういうことじゃなくてね、本当に多分だけどもすごくごくごく普通の小学生なんですよ。
そこがまたいいんですけどもね、今回特にいいなと思ったんですけども、それが本当に完全無欠なんですよ。
もう歌っている姿を見てこの子がね、少なくともこの今この課題曲をみんなの前で歌っているピアノ1本でね、この彼の中に一つも不足はないなということをね、まざまざとこの見せつけてくれるんですね。
僕がそう感じてしまう。
そしてまさしく愛そのものなんですよね。
この辺はね、どうして愛そのものなのかっていうのはちょっと微妙なところでもあるんだけど、僕はそのように感じられた。
そして価値マックスなんですよね。
この価値マックスというのは、罪悪感がないということでもあるわけね。
まあでも11歳にもなればですね、やっぱりかすかにいろんな罪悪感を抱いているだろうなと思います。
日々ね。
もう中学受験とかも今しているのでね。
まあ当然そのゼロではないでしょう。
でも僕らに比べたらもうはるかに無垢なんですよ。
イノセントなんですね。
そしてしかもこの歌を歌っている時には、おそらく彼は1ミリどころか1ミクロンもね、ほんのかすかな罪悪感も多分感じずに、ただただ今ここで歌ってくれたんですね。
これ間違いないなと。
本来の私といるよねっていうね。
ここにいるもんだって。
おそらくこれが10年20年30年とね、まあいろんなこの世の中の仕組みというのかね、人が作ったこの仕組みの中でね、やっぱりどうしてもこの偽りの自分とかがあの方に引っ張られていくのかもしれないんだけども。
でもなんかそうじゃない可能性もあるなとか思いながらね。
愛と価値マックスの感覚
なんていうかこのあの知恵とゾロというもう一つのポッドキャスト番組のジングルというか最初の出だしの部分でね。
人はそんなに悪くないって言うんですけどもね。
これは知恵さんが言う方かな。
そして僕がほっこりするつながりを思い出そう。
知恵とゾロって言うんですけども。
この人はそんなに悪くないっていうこの感覚をまさにこの目で見ることができた。
目撃することができた。
人は素晴らしいじゃん。
やっぱりっていうこの感覚。
僕はだからきっとこの本来の私。
この11歳の彼から発せられたもの。
これを僕はいつもいつもゴールにしているし。
このようにねいくつになったとしてもあることができるんだろうなというそんな感覚がまずしたし。
何よりもありがとうと思ってね。
この4分間この歌を聴いている間にね何度もこう涙ぐんでしまいましたね。
素晴らしい素晴らしいこれなんだよこれこれみたいなね。
なんかもう本当感謝しかないというかね。
このお子さんを連れてきてくださったねお父さんと。
そして彼自身にね本当にありがとうと言いたい。
そんな気持ちになりましたね。
そしてこのレッスンが終わった後。
最初はね何かそれほどこのレッスンに熱い思い入れがありそうな感じはしなかったんだけども。
なんとなくお父さんに連れてこられたのかなみたいなところもちょっと僕はね半信半疑で見ていたんですけども。
終わってからここから双子丹間川までねみんなで歩いていくんですよ。
10分ぐらいかなこの橋を渡ってね帰るんですけども。
その間彼はずっと歌っていて道でですよ。
大きな声でしかもみんなが聞こえてる。
もう前から人がいっぱい来るんだけどもずっと歌を歌っていて。
次の曲決めましたって言って僕に教えてくれるんですよね。
また来月も来る絶対に来るって言ってお父さんに念をしてましたね。
お父さん何日来月も絶対に来るって。
というわけでね彼はそのこのボイストレーニングの常連になってくれたということで。
それも本当に良かったですね。
歌が楽しかったらしいですよ。
何よりもやっぱりこの体がないっていうのはすごいっていうここをね分かってくれたっていうのが僕には驚きでしたね。
そこでなんでこの責任を手放すとその世に変わるのかっていうこれが今日の大きなテーマなんですね。
ここからはそれほど複雑な話はありません。
要はですねさっきも言いましたけども価値マックスというのは罪悪感がゼロっていうことなんですね。
ネットコミュニティの盛り上がり
罪悪感を少しでも抱いている状態で僕らはね自分自身を価値マックスと見ることは絶対に不可能です。
これは他の人もそうですね。
僕の周りにいる人そこにね僕が罪を見ている限りこの人は価値マックスだなとは絶対に思えない。
例えば佐々木翔夫さんそれから矢部聖子さんでいつも仕事をしている濱田千恵さんとかいろんな方がこいつこいつ罪だよって僕が思ってたとしたらね罰したいなとかって思ってたとしたらこれ3人とも例外なく価値マックスではないんですね。
そしてこれはいつもこの番組でお話しているように鏡の法則というのがあってねどちらにその罪を見てもやっぱりどちらも価値マックスじゃなくなるんですね。
私が自分自身にある種の罪悪感を感じているこの状態で他の人を価値マックスと見ることはできない。
そして自分以外の誰かに罪を見ているこの状態でも僕は自分を価値マックスと見ることはできないんですね。
つまりどちらも罪悪感がゼロというこれがもう必須なんですよ。
だから私は当然自分を価値マックスと見たいし一緒に仕事をしている佐々木さん矢部さん濱田千恵さんみんな価値マックスと見たいから絶対にこの人たちそして自分にはね罪悪感を持たない見ない罪を見ないという捉えをいつもしているわけですね。
これができると価値マックスというところがなんとなく信頼できるようになるとまさにそれが本来の自分なのでこいつが少しずつ少しずつ出てくる確率というか割合か1日の中でこの本来の自分が出てきてくれる割合というのがどんどんどんどん増えてくるわけですね。
さっき僕がこの11歳の彼に見たねこの本来の私の特徴っていうのかな。
この価値マックスの他にも重前重尾完全無欠ですね。
不足がまるでないそして愛そのものである。
これは全部同じ意味なんですね。
価値マックスだから重前重尾だし愛そのものであるなわけだから。
あと平安というのもありますよね。
恐れや不安がない。
これ全部同じことなんですよ。
4つの特徴じゃないんですね。
1つの特徴を4つの方向からただただ表現してるだけで全部同じことを言ってるわけです。
そしてその4つが揃うとこの宇宙の死んだ番手と1つであるということもこの中に含まれていく。
だからこの価値マックスこれ1個だけでもなんとなくその自分で信頼できればあとは全部ついてくるというそういう感じなんですよ。
なので罪悪感をほんのわずかでも見逃さないようにして手放すというのがとても大切なんですね。
この前提で責任を見てみるとまずはですねこの責任という漢字に文字ねこれが何を表しているか。
責というのはね責めという意味同じですよね。
責めるというつまり責任にはね主に2つの意味があるんですね。
1つは僕らがなんとなく無意識に使ってるのはこちらの方なんだけどもある立場として当然追わなければならないこの任務とか義務とかそういうことですよね。
リーダーとしての責任を果たすみたいなそういうことかな。
社会人としての責任を果たすとか言いますよね。
あと親としての責任を果たすとかっていうのもあるかもしれない。
これは任務義務という意味ですね。
でもこれだけじゃないんですよ。
責というこの責責めるという字ここが意味しているものは自分のしたことの結果について責めを追うというねこれを受け入れるってことですね。
失敗や損失の責めを追うというこの覚悟これが責任なわけですよ。
だから責任というのは失敗したらあまんじて罰を受けますという意味でもあるわけですね。
もう責任重大だなっていう時あるじゃないですか。
これは俺責任重大だなって。
この時何を心が想像しているかねこれをちょっと思い出してみるといいと思うんですね。
これは絶対に失敗のイメージですよ。
責任重大だなって言ったら失敗したらこれ罪だよねって言ってるんですよ。
もう間違いなくね。
だから責任を追うということはこの瞬間に罪と罰の予感を持ちながら行動しているということですね。
もうすでに罪悪感を持つ用意を覚悟を持ってだから僕は責任を追っているというふうに言っているわけですね。
でも世の中ではこの責任感が強いねってのは悪いことではないですよね。
逆に言うとあいつは無責任だよねっていうのは非常に良くない。
なぜこんなに僕らは責任ということを重んじているか。
これはこの責任というものの中にもう罪と罰の仕組みが入っているってことなんですね。
失敗したら甘んじて罰を受けますということはこの人は間違ったことをしたらちゃんと罪悪感を抱くんだなっていうその安心感を僕らに与えてくれるってこと。
つまりこれは私は罪と罰の仕組みの中でしっかり生きますから大丈夫ですよ。
失敗したらもうその時私はちゃんと自分の罪を受け入れてそれなりの罰を受けます。
つまり責任を取るこれは例えば何かをしたら辞職するとか原報になるとかそういう罰を受けるという意味ですよね。
リーダーの座から降りますみたいなね。
これはだからそういう意味でこの一般には罪と罰の仕組みがないと僕らは性悪説なのでろくなもんじゃないのと極悪人になってしまうという前提があるから。
当然だけどもこの罪と罰の仕組みを最初からしっかりと背負いますよというこの責任というねここをねしっかりと持ってもらわないととてもとても怖くて叶わないよというそういう感覚を抱いているわけですね。
だからこの私が言うその価値マックスには罪悪感は0。
そして僕らはね罪と罰の仕組みなどなくても自分の行動は修正できるしね。
この罪悪感を持つとろくなことがないというこれがねもう1個の話だったんですよ。
責任を手放す重要性
これはだから明日から明後日ね明後日に僕らのね人間関係におけるこの罪悪感の扱い方というテーマでね。
えっと明後日はお話しすると思うんですけどもね予定でこのまま行けばねそちらじゃなくて今日はこの責任の方でお話をしてるんだけども。
要はもうこの責任を持つということがすでにこの罪と罰の仕組みの中でえっとしっかり私はやりますよというこの宣言だっていうことで罪と罰の仕組みは自分には必要ないな。
なぜならば罪悪感はいらない。
これは私にとって必要ない。
もっと言うといつも言うお話してるように偽りの自分がですねこの本来の私ではない。
僕らが作り出してしまったね。
いつも僕らに苦悩をもたらす。
そして僕らの実力をね半減どころか10分の1ぐらいにしてしまうこの偽りの自分のベースというか根幹なんですよね。
罪悪感なしにはこの偽りの自分がというのは存続できないわけです。
だからいらないんですね。
なのでえっとそれをねもう最初から伴うことが分かっているこの責任これはいらない。
これは手放すということ。
もう一つ理由があるんですよ。
なぜ責任を手放すのはいいか。
本来の自分への信頼
一つはこの罪悪感に紐づいているということね。
責任というこの漢字がもう表してます。
責めを負うよって言ってるわけですからね。
やめときましょうよそんなのはっていう。
もう一つはこれはですね。
私がそのボイトレでなぜ責任を手放してくださいというかというと本来の私で歌うためなんですね。
本来の私というのがこの私の中で最も優れている。
あらゆることですぐれている。
何か行動言動それも全部本来の私の方が多分優れているでしょう。
そして判断決断かな。
このあたりも間違わないでしょうね。
本来の私がね私の方がね。
だからこの自分の中のより優れているこの本来の私にやってほしいんですよ。
全てのことをね。
だけども責任を自分で取ろうとすると間違いなく偽りの自分がそれを仕切るんですよ。
これもねさっきのこの責任の意味がね分かってくるとなるほどなというふうにね納得できると思うんですね。
本来の自分というのは罪悪感がゼロだから本来の自分なんですよ。
偽りの自分は罪悪感をベースに存在しているんですね。
責任とは何か。
罪と罰をあまんじと受け入れますよという宣言であるということは
この責任を持とうとするのは本来の自分であるはずがないんですよね。
偽りの自分のおそらく思い入れというのかな。
責任を持たないとうまくいかないよと言ってるわけです。
その裏には罪と罰の仕組みがないと僕らはうまくいかないと言ってるわけですね。
でもこの本来の自分と偽りの自分こちらのどちらを頼りにするかという話でもあるわけね。
この責任を僕の責任を一切手放しますと。
例えばこれ歌に限っておきましょうか。
歌を歌う前に私は分かったと。
私は今この自分の歌についての責任を一切手放しますと言った瞬間に
残るは本来の自分しかいないのね。
だからそこに任せるよって言ってるわけです。
私はもう何もしないと。
私というのは偽りの自分ですね。
でも僕らは基本的に今私という時これは間違いなくそちらなんですよ。
責任を負おうとしている自分がそこにいるわけですからね。
その自分がいなければ責任を手放すなんていう宣言をする必要はないわけだから。
責任を持ってるなって感じるんだから責任を手放すわけ。
これは間違いなく偽りの自分。
こいつを黙らせてあるいは少し大人しくさせる。
もしくは決して本来の自分がドンと前に出てくれると
多分最高にいい歌が歌えるんですね。
そのために手放すんですよ。
これは例えばあんまりピッタリではないんだけども
ものすごい腕利きのコーチがいたとします。
スポーツか何かやっててね。
私が野球選手で素晴らしいコーチがメジャーリーグか何かからやってきて
みんなそこに教えてもらってると。
でもなんか僕はね、いやいやちょっと待てよと。
俺のやり方がずっと今まであってそれをやり通してきたよなと。
これでもしこのコーチの言うことを聞いて打てなくなったら
俺の責任だよなってこの感覚ね。
だから俺はこの人のやり方よりも自分のやり方を信じるっていう風に
そういう選択をしてる。
これがまさに自分で責任を負うっていうこの選択ですよね。
いやそうじゃなくて自分よりすごいコーチが来たんだから
この人に一回ねお任せしてみようよっていうこれをやる前に
いやいやいやいや
もしこれで打率が下がったら俺の責任だからさ
俺のやり方でやるよっていうここでね
堅くなり自分の方を信じてるっていうかね
自分のやり方の方がすごいと思っているこの感覚なんですよ。
だからこの責任という言葉はすごく綺麗に使われるがちなのでね
ちょっとこの何をしているかの事実が見逃されがちなんだけど
あらゆるものよりも自分を信じてるってことなんですよこれは。
僕はそんなことはありえないだろうなと思うわけ。
なぜならばこの私は本当のことをわからない。
未来、因果関係、そして他の人が何を考えているか
そして自分とは何かこれをほとんど何もわかっていない。
本来の私とのつながり
この自分が信頼値にするはずがないんですね。
でも一方でよくわからないけど
僕の中にはもう一人本来の私というのがいて
これはもう信頼するもしないも僕の中で最高峰なわけ。
この偽りと自分と比べたらね
こちらに任せた方がうまくいくに決まってるわけ。
だからこの偽りの自分として持とうとしている責任を全部手放すんですよ。
さらに言うとここから先は
そうは思えないなっていう方は無視していただいていいんだけども
僕はこの本来の私というのはいつも言っているように
この宇宙の神羅万象と一つであるというここがすごいと思ってるんですね。
この宇宙の神羅万象と一つというのはどういう意味かというと
まさにこの宇宙というのは今調和を保っていますね。
僕らが生きていられるというのはそういうことなんですよ。
この地球上の環境もそうなんだけども
基本的にはこの宇宙は今調和を保っている。
その調和を保つ力なんですよ。
これと僕らが一つであるということ。
そこから生まれてますからね。
だから宇宙の神羅万象と一つというふうに僕はいつも表現をしてるんだけども
ここと一つであるということは
まさにこの宇宙の調和を保つ力までも
自分のものとして使える可能性があるってことね。
これを僕は全て力と呼んでいるわけです。
ここには他の人も環境も全部含まれている。
ここを使うために自分で責任を持っちゃダメなんですよ。
だからこれを手放すんですよ。
そうするとまず自分の中から本来の自分がブワッと現れてきて
それはもう自動的にこの宇宙の神羅万象と一つであるので
そこの全て力まで全部私にもたらしてくれるっていう
これをやりたいがために僕はこの偽りの自分がいつも大事にしている。
いやそれよりも俺のが信頼できるって
この無茶な言い分っていうのがどう考えても
この宇宙の神羅万象と一つである力と
私この偽りの自分そこから切り離された私がすごいわけないじゃないですか。
だからこの自分に責任を持たせないってことね。
これが二つ目の理由なんですよ。
どちらもつながってますけどもね。
4段階のトライ
だからこの責任を手放すというのは決して悪い選択ではないということ。
しかもこれをですね今回のボイトルで私はこの全員これをやることで
まさにねこの本来の自分の力を発揮していただいたという例を
まざまざと目撃しましてね。
特にこの小学生の変化これを目撃して
やっぱりこれは間違ってないなというそういう確信も得たんですよね。
だからよかったらちょっと今日はやってみてください。
だからなんか月曜日だからこっちの方が向いてるなと私は思います。
まずはですねこういうものはどうしてもね偽りの自分が邪魔をしてくるので
いやいやいや責任手放しはダメだよ絶対ダメだからって言ってくるんで
手軽な気軽なとこからやるのがやっぱりうまくいくポイントなんですよ。
まずは遊びですよね。何かの遊びの時。
僕らはこの遊びですら多分責任を非常に負っています。
ゴールデンウィークにどこ行くか今度の休みにどこ行くか
ものすごい多分ね自分に対して責任を感じてるはずですよ。
この私を本当にこの休みの間ね楽しませることができるのだろうか。
もしくはこのしっかりと休業させることができるのだろうか。
月曜日の前に疲れを全部取ることができるのだろうかっていうものすごい責任を感じています。
だってこの私がやっているこのボイストレーニングの歌ですら
みんな責任を感じていたわけですからね。
ある方はですねこの最後の歌の中で
今まで責任を感じずに何かをするということは
一度もしたことがなかったっていうふうにお話してくださいました。
そして今このね責任を手放して歌ってみたら
なんて軽いんだろうとこんな私がいたっていうことにね
初めて気がつきましたということもお話してくれました。
そのようなことがまずはこの遊びで体験するこれをお勧めします。
そして家でのんびりする時ですね。
もう何もしなくていいやってテレビ見てもいいしYouTube見てもいいしゲームしてもいい。
この時も責任を負わないようにするということ。
ゲームとかね下手すると僕なんかもうモンスターハンターやってる時は
すごい責任を持ってやってましたからね。
今日中にこの防具を作らなければならないとかね。
こんなに時間がかかっているのは良くないとかね。
そんな風にこう責任を感じてやってたので
まず遊びや家でのんびりする時にやってみてください。
その次にできればね趣味でスポーツとかね。
その勝負事をやってる方はねここでトライするのもいいですね。
ここに多分歌とかが入ってくるのかな。
ちょっとこの遊びとかよりもきっちりしてるものね。
ゲーム性のあるものとかね。
テニスの試合形式でやるとかそういうこと。
草野球でもサッカーでもいいんですけどもね。
フットサルとかそういうところで
このちょっと勝負がかかっているところで責任を手放してみるってこのトライ。
最後の勝負どころ
で3番目これがねちょっと少しだけプレッシャーのかかる仕事。
この辺りで試してみるといいです。
よっしゃ今回一切責任を手放してやってみよう。
例えばその子育てとかね家族の世話みたいなことをやってらっしゃる方も
ここら辺に入るのかな。
少しやっぱプレッシャーかかりますよね。
家族のご飯作るとかね子供の世話をするとか。
ここも本来の自分でやれるので
ここでも全くその責任を負わないというトライをしてみてください。
なんか不都合が起こったらすぐやめればいいだけなんで
こういうのは別にそのやったからとってとんでもないことにね
多分落ちることには絶対にならないんでね。
やべえって言ったらすぐにやめればいい。
戻って戻せばいいだけなんでね。
で最後に勝負どころで試してみてください。
ものすごく第一なところね。
このまあ4段階ぐらいかな。
遊び趣味のスポーツゲーム。
そして少しプレッシャーのかかる仕事とか家族の世話子育てみたいな感じ。
で最後に結構仕事でね。
よっしゃここ勝負どころだなみたいなところまで
なんとなくうまくこの4段階に流れていったら
よしここに行ってみようつってトライする。
一切の責任を手放してどのぐらいできるんだろうっていうのをやってみてください。
特にですね。
例えばその管理職になったばかりですごいプレッシャー感じてる。
こういう時ねこれ僕はお勧めしますね。
一切の責任を手放してみてください。
それからえっと例えば前の職場が合わなくてね退職して。
ででもなんか次の仕事これを見つけるのにどこから始めればいいんだ。
何をすればいいんだというのもね。
前の職場が合わなかったということはいわゆるこの幸せな役割ではなかったなというそういう感覚がありますから。
今度は何としても少しでもね自分に向いている自分の転職のようなものにつきたいなというそういう感覚がありますよね。
ここで僕らはすんごい自分の人生に責任を感じてしまうのね。
そうするとどうなるか。
要はこの責任を負っている状態というのはもうとにかく重荷なんですよ。
重荷を背負っている。
そしてもし失敗したら罪と罰が待ち受けているというものすごいプレッシャーがかかっているわけ。
こんな状態で自分が何に向いているんだろうかとかね。
それから自分が本当にリーダーシップを発揮できるんだろうかとかっていうここを乗り越えられるはずがないんですね。
だからこういう時はもういつもいつも本来の自分というのを本来の私というのを頼りにしてね。
そこをなんとなく僕らはこの出現させる率が少ないからどうにも頼りがないと思っているしこの偽りの自分が大反対するのでね。
なかなかここに手を出しにくいんだけども。
でも今日それをお伝えしたくてね。
ボイストレーニングのお話をしたんですね。
えっとありますこれは本当にあるので本来の私というのは確実にいるのでね。
そいつに前に出てきてもらって特にピンチであればあるほど。
そしてなんか苦境に立たされているなというふうに感じる時であればあるほど反対に全責任を手放してこいつに委ねてみる。
任せるという感じで任せるという感じです。
そして自分だけじゃ頼りないなと思うんであればさっき言ったこの宇宙の神羅万象とここは一つであるんだよなと。
この私たちが生きているこの環境を保っているその力と私は一つであるんだなという。
ここをしっかりとそこまで思いを馳せてここに任せるんであれば私が責任を負ってちゃいけないよねって言ってすっと手放してみてください。
これはやってみればそれなりに実感はできると思います。
そんな感じですね。
そんなに短くはなかったというのが分かりました。
今週末はジャジンワークをやります。
土曜日の1時からかな。
これが前回と同じ千歳カラス山のリアル会場とオンラインのハイブリッドです。
千歳カラス山の会場めちゃくちゃ良かったですね。
倉庫を改造した割と高級なこの住宅街の中に立っていて中が天井がすごく高くてそんなに広くはないんですけどもね。
世田谷なんでお近くの方はぜひ1回いらしてみてください。
オンラインでも全然大丈夫ですけども。
なんとメンバーズカードを配布してるんですけども1回でも参加された方。
これが70人ぐらいになりましてもうすでにそのぐらいの方がこのジャジンワークに参加されているという。
これはスタンプカードをポンポン押していって5枚貯まると無料クーポン1回そのジャジンワーク無料参加券なんですけども。
これも数多くの方がゲットされていましてね。
よかったら試しに参加してみてください。
それから私のワントレ2ね。
これが今2枠まだ空いてます。
キャンペーン中割引キャンペーン中です。
今日のまさにね罪悪感のお話とそしてこの責任を手放すというお話。
このあたりはセッションの中でもねとても重要なお話になります。
ここなんか自分に関係ありそうだなという方はぜひトライしてみてください。
じゃあ今日はですねとてもシンプルです。
この番組を聞いていただいたその瞬間からしばらくの間ですね。
一切の責任を手放してみるとそれでいろいろやってみてください。
そして今日は重荷を下ろしてねものすごく軽い感じそして自由な感じ。
そして本来の自分にいろんなことをねすべて任せてやってもらいながらいい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。