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  2. #354 意見がないということ
2021-05-03 06:32

#354 意見がないということ

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死後のことは、誰一人として生きて経験した人はいないので、よりどころとなる情報があまりにもなさ過ぎる。期待か、不安か、妄想か。または何らかの思想、哲学、宗教に立脚しなければ、死後の世界に意見を持つことなどできないのではないだろうか。/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、ぜひnoteマガジン【脳内議事録】をご購読いただけると嬉しいです! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、意見がないということ、という話をしたいと思っています。 先日、霊魂について対話したんですけども、
話の中心はですね、死後どうなるか、みたいなお話だったんですが、 僕自身、全くその死後の世界に意見がないということに気づきました。
なので、みなさんが話しているのを、どちらかというと聞くというか、 もう僕は何か言いたいことがないというかですね、状態になって、そういうことあんまりないので、
すごい面白い体験をしたなぁというふうに思いました。 なんか今までですね、意見がないっていう人に出会わすと、
ちょっと何言ってるかわかんないと思ってたんですよね。 意見はあるでしょって思ってたんだけども、ないなっていう体験をして、
そういった意見がないって言ってる人たちの気持ちがすごくわかりました。 それはとてもいいことだなというふうに思っています。
で、なぜ僕は死後の世界に意見がないのか、 そしてみなさんの死後のイメージ、意見みたいなものはどんなものだったのか、
その辺をちょっとお話ししていきたいんですけども、 よく出てきたのは、死んだ瞬間に無になるという意見の方、
もしくは何かに生まれ変わるみたいな、 輪廻転生みたいなね、そういう話をされている方とか、
死んだ瞬間意識みたいなものがあるんだけども、真っ暗だとか、 魂が浮遊してこの世界を徘徊しているとか、
光に包まれて世界と一つになるみたいな、 いろんなイメージを皆さん話されてたんですけども、
この手の話っていうのは、自分自身が死後こうだったらいいなとか、 死後こういうことが不安だなとか、
あとは、死後ってこんなんなんじゃないかっていう妄想とか、 もしくは死後のことを語ってある宗教とか哲学とか思想みたいなものに立脚して、
意見を述べるみたいなね、そんな感じで皆さんいろいろあったんですけども、 僕はですね、その拠り所となる理論もなければ、
死後の期待も不安もなければ、妄想もないということで、 意見がなかったんですね。
そしてそれを言われている方の一人一人のね、それが期待だなとか、 これはこういう理論に基づいているんだなとかということはわかるんだけども、
それに別に突っ込む理由もないですよね。 それはそれでその人が思っていることだから、それでいいよねって思うと、
まさにこう自分は死後について何にも思うことがないなと思って、 久しぶりに意見がないっていう、久しぶりにというかもう本当にね、新鮮な体験でした。
死後のことを考えるとすれば、死後がどうあるかっていうことを予想するって話はやっぱり僕は難しくて、
死後どうだったら嬉しいかとか、死後どうだったら嫌かみたいな、そういう気持ちの話をしろって言われたら僕も、
死後がね、本当に拷問みたいな状態だったら嫌だし、死後天国みたいな状態だったらいいよねとか、もしくは死後の世界があるのかないのかみたいな、
そういう話は願望で話してくださいっていうことであれば、 願望なんていくらでも話せるんですけども、
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そんなことを言ったらね、なんだろう、本当にただの妄想話になってしまって、対話というよりはよくわからない感じにはなりそうだなと思って、
僕は、死後の世界は難しいですね。
3200年の地球を語るに近いというか、3200年の地球ってどうなってんの?みたいなね。
あと1200年後でしょ、約ね。1200年ってもう予想つかないですよね。
いろんな不確定要素がありすぎて、それもやっぱり妄想みたいな話になっちゃうというかね、
こんなことが起こって、こんなことが起こって、みたいな感じですね。
全部妄想の話になって、その線もあるかもね、その線もあるかもねとしか言えないので、
そういう寄り所となるものがないものっていうのは結構対話するのは難しいですね。
死後の話をもしするならば、確かに何とか哲学によればこういう理論があって、死後はこうだと言われているということをベースに議論しましょうとかだったら、
たぶん死後の話はできるんだけども、ざっくり死後のことを予想しよう、死後ってどうだろうって話すと、
その何とか哲学に立脚している人と、妄想で話している人と、期待で話している人と、不安で話している人がいるから、
たぶんこれね、前提が揃わないから、話せないんですよね。話せない上に何か違う意見を言うと、
どうしても何かを否定した感じになってしまうことが、否定というかないよっていう感じになってしまう可能性があるので、
ちょっと難しいですよね。なのでそうならないためにも、無言を貫くというか、無言じゃないね、保留しますと。
死後の世界については自分は分かりませんという態度を貫いたのは正解だったのかなというふうに思っているんですけども、死後難しいですね。
100年後の未来を予想しようというのも結構不毛な気がするけども、それを遥かに超えるぐらい難しい不確定要素というか、
不確定要素しかないような話というのは、対話するにしても難しい。難しいというか、妄想が好きな人とか多分いいですよね。
妄想を聞きたいとかファンタジーを聞きたいという人はいいんだけども、多少ちょっと現実味のあるとかいう話をしたい人にとっては、
ちょっと難しいんだろうなあ。特に僕は難しかったなあということを感じました。
なので対話だったら何でもいいって僕は思ってたんだけども、死後については考えるにしても考える筋道を立てようがないので、
筋道を立てられないということは考えられないということで、僕の中では考えられない領域ということになってしまいましたというお話でした。
なのでそういう意味でも死後の世界を説いている宗教であるとか哲学とか思想というのはそういう意味でも価値があるのかもしれないですね。
死後のことに興味がある方が世の中にはたくさんいて、その死後についてそれなりのロジックを組んで、死後ってこうだよっていうことによって安心する。
もしくは反論の余地が生まれるという感じで議論の寄り所となるという意味では、そういう一つの筋を通すというのは面白いのかなと思いました。
それがないまま死後の世界とか100年後とか1200年後の世界とかっていうのは、宇宙の果てがとかいう話っていうのはちょっと難しいですよね。
ということを思いました。対話も対話で前提を揃えるというか、どこまで揃えるかという問題もあるし、その難しさを改めて感じたということで、対話も奥が深いなというふうに思いました。
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意見がないということを経験してみてですね、意見がないという人の気持ちがちょっとわかったので、もう少し丁寧なコミュニケーションを取っていこうかなというふうに思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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