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  2. #249 多様性を語る上で
2021-01-18 11:05

#249 多様性を語る上で

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多様性を語る上で、枠から考え始めてしまうのはナンセンスの極みである。「多様性」と言いながら、もっとも多様性から遠い位置にいる。女性枠をつくるなんていうのは分かりやすくイケてない。チャンスは当然女性にも開かれて然るべきだが、「女性」と言ってしまった瞬間に「多様」ではなくなってしまう。/サイコパスのラジオは、サイコパスうえみずゆうきがサイコパスな視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。noteマガジン【脳内議事録】もぜひご購読ください! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼント!

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、多様性を語る上で、という話をしたいと思っています。 僕自身ですね、サイコパスだからなのかもしれないですけども、
あんましね、感情で物事を判断しないところがあります。なので、割とね、だからこそとも言えるんですが、
みんな違ってみんな良いという考え方は、割と僕はできるんですよね。だって、条件さえ変われば、何が合理的かって変わったり、何が有意で、何が劣っているかみたいなものっていうのは、
条件とか前提条件が変わるだけで、全部変わっちゃうんですよね。 なので、みんな違ってみんな良いよねっていう、その場面さえ変われば、こうだしとかっていうことが言えるわけで、
ある分野においてはこの人最高だけど、ある分野においてはこの人最低だよねってことが起こるわけで、完璧な、完全な人間とはいない、
完全な人間はいないと、みんな何かに劣っているし、みんな何かが素晴らしいことがあるという考え方ですよね。そういう、よく道徳の授業とかで言われそうなレベルのことを今言っちゃってますけども、本当にそう僕は思うんですよ。
それは、この人好き嫌いとかいう話は別の話で、能力とか特徴の話で見ることができればね、それって全然簡単にできることかなと思っているんです。
今言ったのって、評価軸なんですよ。ある前提条件って言ったのは、何を前提にするかで評価するポイントが変わるよねって言っただけの話で、評価するポイントが変わったから急にランキングが変わった?みたいな。
例えばテストで100点を取れる、その正解を出す力が高い人っていう評価軸しか例えば学校にはない、ないとは言い切れないけども結構まだまだ強いっていう中で、
じゃあテストで100点取れる人が高く評価される。で、それ以外の人たちは雑魚キャラみたいになっちゃう。もしくは急に体育の授業になると運動能力になってきますよね。
確かにテストで100点に通ずるところはあるけども、いわゆる机の上ではなくて全身を使ったテストの中で100点を取れるかっていう中で、より運動能力が高い人の方が高く評価されるわけですよね。
体育とか、いわゆる全身を使うものか、フィジカルなものか、そしてペーパーの上でやるテスト、筆記試験みたいなものか、みたいな二軸だけではなくて、
今度一番笑い取ってるの誰だとかいう評価軸だとまた違う人が急にトップ10に入ってきたりするわけじゃないですか。
みたいな感じで評価軸をめちゃくちゃたくさん持つと、それぞれ何かでランキング1位取れる可能性あるよね、みたいなことです。
そう考えると、今社会で女性の社会参加とか言って、女性の役員を増やそうとか管理職を増やそうとかっていう枠を作ったりするみたいな、
ダイバーシティ、多様性とかやってるけど、僕からすると頭おかしいんですよね。全然多様じゃないと、女性って言った瞬間多様じゃないんですよ。
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だったら生物学的にはオスだけども、社会的には女性的であるって場合に、それは女性活躍を入れてもらえるのか入れてもらえないのかとか、
もしくはLGBTQみたいな、また枠作るの?みたいな、よくわからないことになって、枠で多様性を担保しようと思うと、よくわからない枠いっぱい作らないといけないんですよね。
20代の枠作ってくださいよとか、高卒の枠くださいよ、元軍人の枠作って、刑務所に入ってた人の元服役経験者の枠も作ってくださいとか、
九州出身の人の枠が欲しい、B型の枠はバンドマンのとかいっぱい出てくるわけですよ。そんなことしてたら会社なんか成り立たないですよね。
何枠だと、お羊枠に入ってきた人が仕事できるかもわかんないですよね。みたいな感じで、多様性って枠で作るもんじゃないと僕は思ってるんですよ。ナンセンスなんですね。
それで結局は多様性って何でできるかっていうと、多様な評価軸によってできていくんじゃないかっていう考え方なんですね。
僕は昔リハビリ系の専門学校に通ってた時期があるんですけども、その授業だったかな、中でカンブリア宮殿みたいな番組を見せられて、
何の番組か忘れたけど、そういう番組を見せられて、あるチョークを作っている製造業の工場で、社長がインタビューで出たんですけども、そこの工場はね、
障害者の方を、自閉症とかね、ちょっと知的障害がある方とかを普通に雇ってるっていう会社で、いわゆる福祉の分野では結構注目されてるような会社で、社長がインタビューされてたんですね。
障害者雇用して偉いみたいな、よくわからないスポットライトの当て方でインタビューされてたんですけど、社長が言ってたのは、自閉症の人は一つのことをずっと黙々とやれるから、健常者よりずっと真面目で生産性高いですよみたいなことを言ってたんですね。
別に障害者だから雇用してるわけじゃないよっていうことを言ってたんですよ。それって、いかに多くの人たち、ましてはその番組を作った人たちとかが、一つの評価軸で見ているかなんですよね。障害者イコール、もう仕事ができないみたいになっちゃってるんですよ。
でもそこの社長は、チョークを作るのに退屈とか言っちゃいけないけど、単純作業を延々と繰り返すみたいな仕事だから、それを集中してやり続けられる人の方が、別に健常者と言われるか障害者と言われるかよりも、それができるかどうかの方が大事なわけですね。仕事だから。成果を出せる方がいいわけですよ。
結果、評価軸として、単調なことを延々とやれる力がある人っていう評価軸で見たときに、たまたま自閉症の人が採用されたというだけの話であって、別に障害者だから採用したってわけではないってことなんですよ。
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これってまさに評価軸によって何が優秀かっていう定義が変わったっていう、最初冒頭に話した、評価軸によるよね、前提条件によるよねっていったわかりやすい例です。そんな感じで、本来女性の管理職を増やそうとかしなくても、評価軸をいろんな企業が自分の企業の価値観で勝手に作っていけば、そしてそれを世の中に公表していけば自分の企業はこういうことを大事にしてるから、こういう人材が能力があるというふうに評価する。
そういった人たちに来てほしいですというふうに各企業がオリジナリティを出していけば、同じと多様性で担保されると僕は思っているんですよ。だから評価軸でオリジナリティを出す、評価軸で多様性を作っていくってことはとても大事なんだろうなというふうに思うんです。
ところがですね、それがやりづらい現状というのがやっぱり社会というか仕事の中ではあって、何かっていうと枠がいっぱいあるんですよ。いわゆる新卒枠とかね。何ですか新卒採用枠って。しかも大卒がどうたらこうたらでとかみたいな感じで、いつの時代の話をしてるのって話なわけですよ。
本当に工場にそのまま横流しするみたいな歯車としてみたいな時代だったら、その方が効率的だったのはわかりますよ。確かにね。効率的という意味ではわかるけども、今の時代大卒だから何なのって話じゃないですか。そして何ができるのって話なわけですよ。
その大学生の話聞いてても、ひげく就活に有利になるようにボランティア活動して、サークルで部長やって、居酒屋でバイトしましたみたいな、よくわかんない就活のための実績作りみたいになってて、能力磨けよって話なわけですよ。
なんかアウトプットできないのに、これやってると評価されるからやってきました、ボランティアしましたみたいな。そのボランティアで何ができるようになったんだと。何を感じてどういう思想をそこで育んだんだという話なわけですよ。
てことで、枠に読されてるんですね、この世の中というのは。特に日本はね。その枠ありきで新卒とか言ってるから、新卒じゃない人は何なんだと。新卒じゃないけども能力のある新卒みたいな、これからの新しく入ってくる人はどうなんだと。
もちろん中途の枠で取るんだろうけどみたいな感じで、また違う枠があるじゃないかみたいな感じで、全部枠で判断しちゃってるってことなんですよね。評価軸でしっかり判断すれば、おのずと出てくるよねと。その評価軸に年齢的なものが入ってて、たまたま30代以上の人が入ってこれないとかいうのはあってもいいと思いますよ。
それは全然いいけど、それは評価軸だから。でも枠としてそれがあるっていうのはよく意味がわからないなというふうに僕は思うんですね。結局、多様性を語ろうと思うときには枠で語っちゃダメなんですね。枠で確かに、枠っていうか属性とかカテゴリーで最終的に多様性がどう多様性があるかみたいなことを評価、多様性を評価するときにはそうやってやらないといけない気持ちわかるんだけども、それ結果だから。
結果がそうなのにいきなり結果ありきで女性を増やすとかしても意味がわかんないですよね。プロセスを管理する方が大事で、それが評価軸だよねっていうお話でございます。これは理想論です。なぜなら資本主義社会に立ち返ってみると、結局生産性市場主義ということで生産性高いかどうかみたいな評価軸になっちゃうんですよね。
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生産性上げようと思うとある程度このセオリーがあってみたいな。そのセオリーを考えていくとどんどん多様性とは逆の方向に行っていくっていう感じで、生産性が出せるある程度の方法論みたいなのが確立されているわけであって、そっちに行けば行くほど枠で管理した方がいいみたいなことになっちゃってですね。結局多様性とは真逆の世界に向かっていくよね。確立的だよねっていうふうに思っているわけでございます。
社会レベルで変えていくっていうのは正直ね、もうほぼほぼ不可能とか言っちゃいけないかもしれないけど、不可能に限りなく近いと思っているので、自分の仲間たち、身近な仲間たちと一緒に自分たちが思う評価軸で自分たちが思う世界を身近なところで作っていくっていう人たちがたくさんいて、その中で交わっていけばいいんじゃないかと。
もう一回村から作り直していけばいいんじゃないかなというのが僕の考えでございます。社会をぶち壊すとかいうことは必要ないけれども、今は社会の一応システムの範囲の中で新しい自分たちの評価軸を作って確立していく。それでも成り立つんだよということを証明していくってことがとても大事なことなんじゃないかなと。成功事例を作っていくことが大事なことなんじゃないかなというふうに思います。
たよせという言葉に騙されずに、それは結果のことを言っているのか、評価軸でプロセスのことを言っているのかということはよく見ないと、結果ばっかり言っている人っていうのはすぐ枠で考えて女性を増やそうとか、障がい者を雇用しようとかみたいな感じで、結論ありきで途中ぐちゃぐちゃみたいなのがいっぱいあるので、それはとても良くないなというふうに僕は思うので、プロセスですね。
たよせというのは実はプロセスなんだよと、それは評価軸によって担保されるものなんだよというお話でした。本日は以上でございます。またお会いしましょう。さようなら。
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