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CS Harmony Radioです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すごい久しぶりに撮ってますけどね。
はい。ご無沙汰してるわけじゃないですけど。個人的にはご無沙汰してないですけど。
ホットキャストは、なかなか撮れてないという状況ですね。
なんとですね、前撮ったのが夏、8月とかなんですよ。
しかも、その時に100回超えましたね、みたいな話を偉そうに喋ってたのに、そこから全く更新しなくなるという、この敬太楽というか。
何でしょうね、ちょっといろいろ立て込んじゃってできてないっていう感じになっちゃったんで。
はい。
なかなか更新ちょっと難しくなってたんですけど、少し時間ができたんで、じゃあ撮りますかということで。
少なくとも年も明けたので。
前も死んだかなって思われてるって言ってましたけど、完全に死んだと思われてたぐらいの期間が空いてますが、気が向いたんで撮ってる状況です。
よろしくお願いします。
ということで、どんなこと話したいかっていうところで言うと、今回持ってきたんで、その話をしてもいいですかね。
はい、もちろんです。
評価方法の概要
絶対評価と相対評価、どっちが良いと思いますかっていう、そういう問いなんですよね。
そもそもなんでそんな話になるかっていうと、この評価のあり方についてちょっと燃え尽いた瞬間があったんで、この話を持ってきてますと。
絶対評価と相対評価って、なんとなく聞いてみなさんもイメージつくと思うんですけど、ひげさんもしその言葉だけで感じるようなところがあれば教えて欲しいんですけど。
言葉そのもので言うと、企業の評価の仕方とかっていうのが一個あるのと、あとは学校とかもそうですよね、成績の付け方とかも。
一般的におそらく相対評価なのが小学校、中学校、高等学校はそうだと思う。大学になると絶対評価っぽくなると思いますっていうのがそんな感じかなと思いますけど。
そうですよね、そんなイメージあるじゃないですか。定義的にはそれぞれどんな感じかっていうところなんですけど、絶対評価の定義ってどんな感じって調べて出てくる言葉が、あらかじめ定められた基準や目標に対して個人の達成度や到達度で評価する手法です。
なので、宗教の関係や順位付けを考慮しませんっていうことなので、ある基準に沿って達成したかどうかを見るよと、相手がどうであろうとかその募集団がどういう状況であろうが関係ないですよという評価の仕方ですと。
一方で相対評価っていうのは逆に集団が重要で、集団内の個人の能力や成績などを他者と比較して評価する手法ですと。
能力自体は変わらなくとも、所属する集団が変われば評価が変わるのが特徴ですということで、定義聞いてもしっくりくる話じゃないですか。
そうすると、それぞれ何がいいんだっけみたいな話って当然分かるところはあると思うんですけど、一応簡単に説明しておくと、絶対評価って何がいいのっていうのは、明確に基準を決めとけば評価が簡単っていうことですよね。
例えば到達度みたいな部分とか、スコアみたいなもので出てくるので、それで明確に分かるのと、あとはそういったときに自分の立ち位置が分かりやすいっていうので、
一般的には到達度を見るんでモチベーションを上げるみたいなことができますよっていうのがメリットとしては書かれてるって感じですね、絶対評価に関しては。
ただ一方で何がデメリットかっていうと、コストが重むみたいな話なんですけど、結局絶対的な基準を作んなきゃいけないんで、そこに対して結構大変ですよねって話なんで、
そこを設計できるかっていうところが大きな問題点というかデメリットとしてあるかな。なので、うまく作れれば運用すると結構いいですねっていう話かなと。
どんなのでそういうの使われてるのかなっていう事例を見ていくと、実はですね、さっきヤギさんが言ってた話とかもちょっと関わるんですけど、
学校とかは今絶対評価に変わってるみたいですよ。
そうなんですね。
なので学習指導要領に基づいた到達基準を設定して、学習到達によって成績を決める、相対評価じゃなくなってるんですよね。
そうなんですね。
ちょっとびっくりなんですけど。
びっくり?
我々の時代をって言っちゃったらあれですけど、大体変差値みたいのがあって。
そうそう。
それで決まってますよね。SIGまで決まってくるやつって決まってますよね。
変差値は変差値で残ってるんですけど、たぶんあれですよね、内心で。
なるほどなるほど。
ABCなり、123なり、123C5なり、なんかそういうやつだと思うんですけど。
あとは企業や会社が目標数値として決めたものっていうのが絶対評価なんで、分かりやすいのやつだと売り上げとか営業利益とか、そういうのも絶対評価ではあるかなっていう感じですね。
あと本当に身近なのだと資格試験とかですよね。
確かに確かに。
そんなのが絶対評価かなと。
相対評価の特性
じゃあ相対評価の話いくと、メリット何ですかって話だと、評価しやすいんですよね。
順番に並べて上から順にやっていける。
基準を考えなくていいっていうところがメリットではありますと。
デメリットで言うと、評価者が評価するんで、その人の評価によって左右されますよねってなると、評価者との相性問題が発生しますっていうことかなと思います。
あとは到達度みたいなもので見ないので、成長とか進展度が分かりづらいっていうのはあるかなって感じですね。
ずっと同じ間隔で歩いてたら進んでいくかどうか分からないっていう。
常に誰か前にいたら評価されない状態が続いちゃうっていうところがあると。
あとそうだなと思うのは評価理由に合理性がない。
それはそうかもしれない。
評価者が評価しやすい方式なので。
じゃあどういうところで使われてますかっていう話なんですけど、事例はこれ結構分かりやすいかなと思うのが業績評価とかですね。
さっきの売上とか数値目標は絶対的に見れるんでしょうけど、ただこの人の頑張りがこれぐらいあって、この人はこういう評価ですみたいなところって言うと、
売上貢献に明確に何パーセント寄与したなんて分かんないんで、そこは評価者が見て評価するみたいな世界かなってなると。
上位この人たち何パーぐらいのところに評価つけるから、そこの人たちって誰がいるんだっけとかそんな話をしたりとかして決まったりっていうところと、
あとはさっき言ってた昔の内進展とかっていうのはそういう感じですよね。
全体見て調整して決まっていくっていう。
募集団的にこの人が一番出来がいいから一番高い評価つくとか、そんなのかなっていうところですかね。
どうです?今までの話してきてて、それはそうだよなみたいな感じかなっていう気もするんですけど。
両方とも経験はあるような気がしてます。
そうですよね。大体どの人も絶対評価も相対評価も経験してるんじゃないかなっていう気がしますっていうところで。
そうですね。
そういう意味だとちょっと目的が違うんだろうなっていうところは話してて、整理すると見えてきたところかなと思うんですよね。
相対だとやっぱりその中での良し悪しを見るし、絶対だと到達とかそこに対して達成したかどうかみたいなことを見ていくっていうところがあるので、
その辺が違いますよねっていうところで、こんなところの違いから、じゃあどっちがいいの?みたいな話、最初に言いましたけど、どっちがいいと思います?
ケースバイケースでしょうけど、絶対評価で評価された方が嬉しいかなとは思いますけど。
ちょっとわかんないですね。絶対評価の絶対値が高すぎてもちょっとそれに届かないですってなっちゃうので。
どっちもどっちっていう感じですよね。僕も当然そうかなと思って。
なんでそれぞれに向いてるやり方で評価されてるんだから、それぞれのやり方があるよねみたいなところなんですけど、
ちょっとここに対して混ざってる時があるのが気持ち悪いなと思ってるんですよね。
絶対評価の世界なのに相対評価の観点入ったり、相対評価のはずなのに絶対評価っぽい話が入ってきたりすると、あれ?みたいな感じになるっていうのは正直あるんですよね。
なんかその辺がすごく気持ち悪いなと思ってるっていうところが燃え尽いた、そういう話っていうところと、そもそもの疑問として絶対評価ってむちゃむちゃ難しいよねみたいな感じもあって、できてるのって本当にあるのかなみたいな。
おだしょー それは確かにそうです。物理的なのだったら分かる。身長がいくつとかだったら分かるけど、能力を測るとかになった時に絶対評価って難しいですよね。
りなたむ そうなんですよ。なので資格とかで使われてたりとかするんですけど、本当かなって思う時あるじゃないですか。
おだしょー ありますあります。別に私が持っている資格的に言うと情報処理の資格持ってたりしますけど、あれは別に中身理解してなくても割と毎回過去問題だったら取ったりする。そういうとこありますよね。
りなたむ そうですよね。その辺りが結構あるなと思ってて、そういう意味で言うとどっちの良し悪しはあるんですけど、考えるとちょっと思いやすくなみたいなことが個人的には思っているところなんですよね。
評価の基準について
りなたむ なんですけど、じゃあどっち好きみたいな話とか、どっちのが良いと思うみたいな話で言うと、絶対評価ってやっぱ難しいってなると相対評価の世界で生きていくしかないのではないかなという風にも個人的にはちょっと思っていて。
おだしょー うん、まあしょうがないですね。
りなたむ そうなるともうなんか好き嫌いの話をちょっと超えてきちゃったかなみたいなのがこの話してて個人的には感じるところですね。
おだしょー さっきヤギさん絶対評価の方が良いっておっしゃったじゃないですか。絶対評価の方が良いって感じる理由この辺にあったりします?
りなたむ 試験とかのイメージを持ってたので、そういう人のときに例えば、点数出るやつだったら特にそうですけど、TOEICとかそうか、ああいうのって大体同じレベルになるように調整ちゃんとされてて、レベルアップしないと大体同じ点数に行くように生きてるじゃないですか。
りなたむ そういうのってやった分だけちゃんと返ってくる部分があるんで、学習欲をちゃんと満たしてくれるかなと。さっきおかりさんも特徴で言ってましたけど、前にずっと人がいたら評価されないのが続くんで、どんだけ頑張っても変わらないっていうのよりかは、やったことが跳ね返ってくるのが良いのかなと思ってますね。
りなたむ 確かに。TOEICとかも大体学力というかその実力に応じたスコアに問題は違うとなるんで、そこはある程度そういうふうに成熟してる絶対評価にもなりつつあって、絶対評価としても見ていい内容なのかもしれないですよね。
りなたむ そうですね。個人的にはそうは言いつつも、なんか上がらない辛さもありますよね。ただ、それって自分の努力次第だよっていうところで言うと、ある種フェアなんだろうなって気はしますよね。
りなたむ なんか正論でぶん殴られる感じは若干ある。
りなたむ そうですよね。確かにバッサリ行かれる感じはありますよね。あんまり弁解の余地がないというか。
りなたむ うん、弁解の余地がない。
りなたむ アピールしようがないっていう。なるほど、そうですね。ただそういうのって普段の生活の中だと実はそんなに多くないかな。
りなたむ あんまりない。現実は相対が多いんじゃないかなと思いますよ。ここで話していいかどうかわからないですけど。私がもともと中学卒業してから高専に行ってたんですけど、5年生なんですよ。
りなたむ 普通の高校と違うのは、基本的に絶対評価ですって言ってる高原宿がしてて、大学と同じようにそこの単位を満たなかったらそこは点数が負荷とかになって、大学と同じ評価なんです。負荷とかなんですけど、負荷になって、何校か負荷になると、それ来年もう一回履修で留年ねみたいな感じになる。
りなたむ なるほど、本当に大学っぽい話ですね。
りなたむ ですけど、中途半端で実は。取れる科目の数が大学ほど潤沢にないので、ほとんど履修に近い。
りなたむ 落としたらすなわち既に留年するってことですか。
りなたむ ほとんどの場合留年しちゃうっていうのがあって、逆に一回、僕らのクラスでたまたまなんですけど、ほとんど全員が50点以下だったことがあって、めっちゃ難しかった。
りなたむ その時は全体が底上げされました。
りなたむ 最新したのかな、最新したんだと思うんですけど。だから要は全員は落とせないっていう、ある意味相対評価だったという。
りなたむ 本当の大学だったらその単位落としても別に構わないんですけど、他のでは起きないでいいんですけど。
りなたむ 後線だったんで、そこはそれ落としちゃうと全員が留年してしまうという危機的事態になっちゃうんで、そこはなんか超法規的措置が取られて、絶対なんだけど相対っぽくなるっていう。
りなたむ 瞬間がちょっと経験上ありましたね。絶対ちゃうやんけ。
評価の活用方法
おだしょー それはやっぱり純粋な絶対評価ってそもそもできないではみたいな話が分かりやすく出ちゃった話ってことですよね。
りなたむ そうだったね。
おだしょー そうですよね。だからTOEICとかは逆に言うとすごいんでしょうね。それが大体あんまりばらけない。
りなたむ よくできてる。
おだしょー 基準を作ってる仕組みとか仕掛けとかやってる人がすごいっていうのがあるんでしょうね。
やっぱり後線の先生一人が考えてたらそれは揺らぎとしてでかくなるよねみたいな話があるので、そういう意味でも絶対評価ってなかなか難しいよねっていう話かなというところかなと。
結局この絶対評価相対評価みたいな話ってどういうふうに自分の中でうまく活用していくといいのかみたいな話が多分大事かなと思うんですよ。
結局変えようがないじゃないですか。
そう考えると、この2つの評価軸っていうのをどうやって捉えて活用するとよいのかみたいな話、少し考えるといいかもとかそんなレベルですけど。
それ後半に続きをちょっとできればなと思いますんで。
りなたむ はい、わかりました。よろしくお願いします。
おだしょー ありがとうございます。