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2024-01-19 20:15

Take15.『八代亜紀の扉』 大演歌歌手の歌うジャズ

【追悼】2024年を迎え、惜しまれつつも急逝された八代亜紀さん。

演歌界の大御所として知られる彼女の、もう一つの歌手の顔。

今夜ご案内するのは『八代JAZZ』

ジュリー・ロンドンに憧れた少女の歩みをたどりながら、その歌の内側に秘められた思いに迫ります。

番組で紹介した曲は、『ジャズの入り口案内所』プレイリストにまとめていきますので、一度聴いてみてください。

AmazonMusic: ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://music.amazon.co.jp/user-playlists/fe0006b2ee5742f6b7207a3d191efcabjajp?ref=dm_sh_3R5Bn5fwAzWZbGOWXcz8hBn0n⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

Spotify: ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://open.spotify.com/playlist/2q7JQgxIXlBF5AuqQhtvJG?si=YxhSdUE0TEOaz0HWzpxRBw⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

隔週金曜日、大人の時間20:00に更新予定です。

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『surface』『wherever』『Nighit Walking』『Subway』『Favorite Piano』『Trrafic jam』『Good Day』『OK』『Station』『Cyan』『Lamp』 


00:03
ジャズの入り口案内所、案内役のフランクナッパです。
この番組は、様々な扉からジャズの入り口をご案内するラジオです。
2024年、ちょっと残念な悲しいニュースが多く届いていますけれども、
先日、八代亜紀さんがお亡くなりになられたというニュースが入ってまいりました。
実はこの八代亜紀さんは、一般的には演歌歌手として名声を築かれている方なんですけれども、
実はジャズのアルバムもリリースされていて、とっても素敵なジャズシンガーでもあられるということで、
私の大好きなアーティストさんでしたので、ぜひ皆さんにも知ってもらいたいなという思いと、
お疲れ様でしたという思いを込めて、今日の配信を収録させていただいています。
ということで早速、八代亜紀さんの扉を開けてみましょう。
八代亜紀さんといいますと、魚は炙ったイカでいいの船歌だとか、
雨雨ふれふれもっとふれの雨の母上といったヒット曲が有名なわけですけれども、
この八代さんがレコードを収録するときに一番気をつけていたことというものは何かといいますと、
まずはリズムやテンポなんだそうです。
このリズムやテンポというのがうまくあってこないと歌に魂が乗ってこない。
八代さんの考えで言うと、バックバンドの演奏も歌の一部であって、
楽器がですね、まず歌っていないと八代さんが歌ったとしても、
その曲自身が歌っていることにはならないということを思っていたそうです。
その判断基準になってくるのが曲の持っているリズムやテンポ。
ですので歌い前にですね、このバックバンドのリズムやテンポが八代さんの感覚とちょっと違うなというふうに思ったときには、
もう一度やってくださいということでやり直しをしてもらっていたということもおっしゃっています。
また八代さんの特徴としてですね、この収録を一発撮りで撮るというのがあります。
これ何でかと言いますと、八代さんがその曲を聴いた最初のイメージを八代さんの気持ちを込めて表現する。
そのため一発撮りが多かったそうです。
多くてもですね、3テイクぐらいのうちで止めてしまったことがほとんどだそうで、
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5テイクもやらないよっておっしゃってましたね。
当然プロデューサーの方はですね、もう一回撮ってほしいなとかっていうことをお願いするわけですけども、
八代さんはね、それだと歌の気持ちがね、魂が切れちゃうからということでお断りしていたそうです。
ですのでよくある歌っていていい部分だけをつなげていくパンチインというような手法、
これも歌の魂が切れちゃうからということでやってないとおっしゃってました。
ですから八代さんの収録ってとっても早かったみたいで、
昭和の時代なんかはこのレコーディングをした後にそのまま営業だとかテレビのお仕事とか普通に入っていたそうなんですけれども、
平成令和と時代が進んでもですね、この一発撮りっていうのをずっと八代さんは守り続けていたそうです。
またこの八代さん歌う時にですね、常に7、8割の力で歌っていたそうです。
なんでこんな7、8割で歌うのか。
実はこの10割のうち残された2割から3割の部分は聞く人たちの気持ちを入れる部分と考えて、
八代さん自身は7、8割で歌っていたそうです。
八代さんの歌を聴いて、世の中にはもっと悲しい人生があるんだな、この歌を聴いて頑張ろう。
そう聴き手が思える余裕があるのがこの2、3割の部分。
ですから八代さんがもしね、10割で歌ってしまったら聴き手の人はきっと疲れちゃうだろう。
自分の思いを思い巡らすような余裕もなくなってしまうだろう。
ということで八代さんはずっと7、8割の力で歌う。
7、8割の思いで歌うということを心がけていたそうです。
どうしてそういうふうな気持ちになっていくのか。
こうした聴き手の心をとても大事にする気持ちっていうのはどうして育ってきたのかなと言いますとですね、
実はこの八代さんの歩んできた道に関係があるわけですね。
デビューをしたきっかけというかその背景にとても影響されている部分が大きいのかなと思っています。
八代明さんは実はですね、小さい頃に父親が買ってきたジュリーロンドンというアメリカの歌手のレコードを聴いて歌の世界に憧れを抱いたというのは有名な話ですけれども、
実は八代さんまず初めにですね、10代の頃にすぐ歌手になったわけではなくて、実はバスガイドをやってたんですね。
バスガイドをやりながらですね、とても厳しいお父さんだったみたいで、とてもそんな小ビジネスの世界に行くようなことを相談できるような雰囲気ではなかったそうで、
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内緒でね、キャバレーのステージで歌うバイトを始めたそうです。
ところがですね、この店にお父さんの友達が飲みに来ちゃうんですね。
3日でバレて、お父さんにね、不良になったって怒られて、お家を感動されちゃうっていうような事件が起きます。
それで逃げるようにというか追われるようにですね、東京に出て行って、東京のキャバレーで歌手を続けていくというきっかけで、八代さんの歌手人生がスタートしていきます。
このジュリー・ロンドンを聴いていたという憧れもあってですね、一流の歌手はクラブで歌うものだっていうのを八代さんはずっと思っていてですね、
アメリカで言う歌手が歌うクラブっていうのと、当時の日本のクラブっていうのはやっぱりちょっと実情が違う部分がありまして、八代さんはそのあたりのことは分かってなかったって言ってるんですけれども、
いわゆるアメリカで言うジャズクラブっていうような、当然お酒も飲めるんですけども、そういった場所と当時の日本のいわゆるキャバレーだとかスナックみたいなところ、
同じクラブっていう言い方をしてもやっぱりちょっと違うものがありまして、こういったところで当時働いていたスナックのお姉さんたちはだいたい辛い老いたちというか、恐怖を抱えている方がとても多かったそうで、
例えば給料日になると父親だとか男が裏口で待ってまして、その給料のあらかたを持って行ってしまうというようなお姉さんたちがたくさんいたみたいで、
お姉さんたちが八代さんの歌を聴いてですね、とても元気づけられて、あきちゃんあきちゃんと言って八代さんのことをとても可愛がってくれた、とても八代さんの歌を楽しみにして応援してくれたっていうことがあったそうで、
そうして歌ってはいたんですけれども、当然その歌がとても上手なので噂になるわけですね。八代さんもだんだんステップアップしてですね、銀座の高級ホステスさんのいるようなお店のシンガーとして働くようになります。
で、先ほど言ったようにですね、一流の歌手はクラブで歌うものだ。だからレコードデビューなんてしなくていいんだということで八代さんどんどんそのオファーを断るわけですね。
当時のオファーっていうのはレコード会社の商売もあって、八代さんの例で言うと、例えば200万円用意したらレコードデビューさせてやるみたいなですね、そういう商売だったみたいですね。
八代さんからするとそんなお金は初めの頃はないですし、父親にも感動されちゃってますから、相談できない。だから当然断るというか断るしかできない。
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強がって断ってたんですけど、これ銀座のホステスさんがいるようなクラブの歌手になるとですね、お給料もいいので、私お金そこそこ持ってるからいいですみたいな感じで断っていくということで八代さんもだんだんステップアップするわけですけれど。
ちょっとこの辺りの断り方が変わってくるっていうのもなかなか面白いなと思って聞いてましたけれども。
しかしですね、そこで働いているお姉さんたち、やっぱりそこでも八代さんはアキちゃんアキちゃんと言って大変好かれてたんですけれども、そのお姉さんたちからこんなこと言われます。
私たちはアキちゃんの歌を聞くと頑張れる、元気になれる。
だけれど世の中には私たちみたいに悲しい人生を歩いている、そういった悲しい思いをしている人たちがまだまだたくさんいる。
こういう人たちにアキちゃんの歌を届けてほしい、聴かせてあげてほしい。
そういう思いに後押しされて八代さんはデビューをしていくことになります。
ということでこの八代さんが歌う背景っていうのは、この時のホステスさんたちみたいにですね、悲しい思いをした人たちの人生を元気づけるために、
彼女の歌を喜んでくれる、そういった人たちのために歌っていくっていうものが根本的にあるんだろうなと思います。
ですからこの八代さんの歌う歌っていうのは全部マイナーキーの曲が多いんですよね。
暗い歌。だから明るくてノリノリの歌ってあんまりないんですね。
それはやっぱり八代さんも言ってますけど、八代さんって根は明るい人でとても愉快な人で、テレビで見ても歌ってるとこ見てもいつも笑顔でね、
いる姿、物腰柔らかに明るいトークをしている姿っていうのが印象的なんですけれども、
そういう人たちが明るい歌を歌っていると、八代さんの言葉で言うと歌ってる人たちが楽しんじゃっているように見えて、
聴いてる人たちがなんかこう疎外感を感じるんじゃないかっていうことを思っていたそうです。
だから八代さんはマイナーコードの暗い曲を歌って、その辛い思いをしている人たちの心を励ましてあげたい。
この根が明るい性格の八代さんだからこそ、暗い歌を歌ってみんなを明るい元気な気持ちにしてあげたい。
そういう気持ちが込められております。
そんな八代さんですけれども、実は演歌歌手になりたくてなったというよりはですね、先ほども言いましたけど、
ジュリーロンドンってアメリカのジャズだとか、当時の流行歌、ジャズっぽいような曲になってくるんですけれども、
12:07
実はジャズとかブルースなんかもたくさん聴いていて、本当はジャズシンガーとかブルースとか歌いたかったっていうのを、
以前私テレビでインタビューで見たことがあるんですけれども、
2012年にですね、ジャズのアルバムをリリースするんですけれども、とても自然な流れだったんだなということを感じます。
このアルバムをプロデュースしたのが元ピチカート5の小西康春さん。
小西さんがジャズのアルバムをプロデュースするっていうのもなかなか面白いなと思って聴いてたんですけれども、
この小西さんですね、先ほども言いましたけど、小西さんがやたらマイナーコードの曲ばっかり歌うんで、
なんでかなーってずっと気になってたみたいですね。
実は小西さんのプロデュースで2枚アルバム出すんですけれども、その時2枚目の時に思い切って聴いてみたら、
今みたいなお話を聞いて、そういうことなのかと。
そういうことなら思い切ってね、そういう気持ちに全振りしてアルバムを作ろうということで、2枚目のアルバムを作ったっていうような経緯があるぐらい。
この小西さんの中にある歌に対する背景、思いっていうのはね、かっこたるポリシーがあったそうです。
このジャズアルバムなんですけれども、2012年にですね、「夜のアルバム」というタイトルでリリースされます。
このアルバムがものすごくいいんですけど、実はビルボードジャパンの2013年のジャズアルバムの年間1位に輝くんですね。
演歌歌手の方が出したアルバムがですね、ジャズアルバムの年間1位とっちゃうって、
なんかイメージ的にすごいなって、ちょっとイメージ湧かないところもあるんですけど、
このアルバムを聞くとですね、演歌歌手八代明とはまた別のジャズシンガー八代明がいてですね、
ものすごく新しい発見をすると同時に、そのジャズシンガー八代明の中に演歌歌手八代明がちゃんといるっていうですね、そういう歌なんですよね。
ですから本当のジャズシンガーが歌っているかのように聞こえるんです。
やっぱり昔からずっとジャズ好きで聞かれてたんだな、ジャズの歌い方だったり、ジャズの様式だったりっていうのを体の中に入れ込んだ状態で、
今まで歌っていた演歌の心というかですね、そういったものも乗せてですね、歌っているこのジャズ。
他のジャズシンガーにはない魅力があって、本当にヤシロジャズというか、唯一無二のジャズソングになっています。
ぜひ一度聞いていただきたいなと思うわけですけれども、このアルバムがですね、ヒットしたことで海外からも注目されてですね、
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ニューヨークのジャズクラブ、老舗ジャズクラブのバードランド、有名ですよね、バードランド。
ここに招待されてですね、ライブを行います。
連日満員で、そこで船歌とか雨の墓場とか歌うんですよ、演歌のね、持ち歌も歌うんですよ、ジャズの曲だけじゃなくて。
ついに小さい頃からの夢であったクラブで、ジャズクラブで歌を歌うという夢を、2013年にヤシロさんは叶います。
その後、先ほども言いましたけれども、もう1枚ジャズアルバムを出しますし、
その他ですね、ブルースに特化したアルバムだったりとか、
あとその他いろんな歌謡曲をカバーしたアルバムを出したりですね、
いろいろ演歌に限らずですね、精力的な音楽活動をヤシロさん、晩年になっても進めていきます。
改めてこのヤシロさんの曲を聴いていくと、演歌にしてもジャズにしてもですね、
唯一無二というか、本当にすごく心のこもった歌を歌われて、
素敵な声ももちろんですけど、歌い方だったりね、緩急だったり、
もっと専門的なことを言っている記事を見ると、マイクに声を入れるのがとてもうまいというか、
マイクから離れて声量を出して歌っているという人を見ると疲れちゃうんだけど、
マイクってもっと繊細な表現をしようと思ったらもっと近くで歌えばいいのにな、
なんてことをヤシロさんが言っているのを記事で読んだことがありますけれども、
そういったいろんな技術だとか、そういったこともね、とても極められた方で、
本当に一アーティストとして素晴らしい方だったなと今すらながら思うわけです。
改めてこうしてヤシロさんの残した曲を聴こうって思えた機会になったというのは、
一つありがたいことだなと思いますし、もっと早くからね、聴いてはいたんですけれども、
もっとね、聴けていたらまたね、自分の世界観だったり、音楽の聴き方、こういったものも変わっていたのかなというのことも感じました。
小さい頃からですね、そこに居すぎてしまって、まるで永遠に続くかのような錯覚を覚えてしまう人って結構いると思うんですよね。
ヤシロさんに限らず、例えば芸能人の方でもそうですけど、
人である以上は永遠ではないということを改めて感じさせられた今回の不法だったわけですけれども、
まあ、暗い話ばかりしていてもしょうがないですのでね、この機会にですね、ヤシロさんの残してくださった素晴らしい音楽っていうのを皆さんにも聴いていただけたらなと思います。
18:08
ということで、私の方から2曲、先ほど言いました夜のアルバムから暗闇やリバー、それから虹の彼方に、この2曲をプレイリストの方に入れさせていただきたいと思います。
虹の彼方にっていうのは、現代で言うとオーバーザレインボーですね。
あの有名なオーバーザレインボーです。
ジャズシンガーヤシロアキっていうのをたっぷりと味わっていただきたいなと思います。
余分な解説はもう省いてしまって、一度ぜひ聴いてみてください。
どちらもヤシロアキさんの新たな一面を感じることができるんじゃないかなと思うと同時に、
また改めてね、演歌の名曲船歌や雨の御城なんかも引き返してみると、また一段と素敵なヤシロアキさんを感じることができるんじゃないかなと思います。
はい、ということでお送りしましたジャズの入り口案内所。
各週の金曜日、夜8時頃に配信予定です。
また感想や意見、それからリクエストなんかはSNSやメールフォームから送っていただけると嬉しいです。
また今日紹介した2曲を含めた番組で紹介しました曲はですね、
Amazon Music、Spotifyのプレイリスト、ジャズの入り口プレイリストにまとめてありますので、そちらから聴いてみてください。
曲の感想なんかもお待ちしております。
それでは皆さんここまでお付き合いありがとうございました。
案内役のフランク・ナッパでした。
20:15

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