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2022-10-06 1:21:38

食糧をめぐるすずさんの戦争 映画「この世界の片隅に」と外米移入

今回の農業描写探偵では、2016年公開の映画「この世界の片隅に」、2018年公開の映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」をディテクティブしいてます。
作中に出てきた、食べ物描写から、作中では語られることのない当時の統制配給について話していきます。
すずさんたちが、その辺の野草や、不味そうな南楠飯を食べることになってしまった配給事情はどうやって始まったのか?
昭和20年8月15日のすずさんの慟哭、「外国のお米、大豆、そんなものでできとるじゃねぇ、うちは…じゃけえ暴力に屈せんとならんのかね」というセリフの背景で起こっていた食糧事情とはどういったものか?
そして、現代にもつながる食料安全保障についてお話ししていきます。
今回は、ネタバレ全開でお話しをしておりますので、映画を観られた方、ぜひ聴いてみてください。
ご感想コメントは、 #営サブ まで。

キーワード
統制配給 / 外米移入 / 西日本大旱魃 / 米穀配給統制法 /食糧管理法 / 節米運動 / 飢餓作戦 / 満州大豆 / こうりゃん 

参考URL
映画「この世界の片隅に」 公式サイト

Web版有鄰 550号 映画『この世界の片隅に』について – 1面

大沢悠里と毒蝮三太夫のGG放談 #11 悠里とまむしが伝えたい食べ物の話

チャプター情報
 OP
 概要
 前編 統制配給について
 後編 すずさんの慟哭について
 EDと食料安全保障について
00:07
皆様、ご無沙汰しております、この番組を配信しております、北海道在住、30代米農家をしております、ジョンと申します。よろしくお願いします。
本日は2022年10月4日火曜日となっております。前回の配信から1ヶ月以上時間が空いてしまったんですけれども、皆様いかがお過ごしでございましょうか。
私は相変わらずクソ忙しい日々を過ごしておりまして、基本的に自分が自由にできる余暇が全くないという、初めての状況になっておりまして、
とてもじゃないけど、ポッドキャスト収録なんてのはやってらんねえなというふうなところで、ここ最近は全然収録時間を取れないでいるような、そんな日々を過ごしておりました。
今回は、そういうふうな中では収録するにはとっても大変な、農業病者探偵会を扱っていこうと思っております。
カラコレ3回から4回ぐらい撮り直しをしているんですけどね、OKテイクがなかなか出ないという、こんなような収録の仕方をしているから、そもそもポッドキャストの配信数が伸びないのでは?というふうに、いつも思ってはいるんですけどね。
でも、こういうふうなやり方をやっているという、フェイトステイナイトのエミヤシロウと同じ魔術訓練をしているような状況となっておりますので、とても効率の悪いポッドキャスティングをここ最近はやっておりますね。
でも、こういうふうにやるからこそ、こういう結界が後々使えるようになったりとか、基本的にはフェイトをやったことがない人には何の話をされているかわからない話をしておりますけれども、
こんな感じで頑張っていろいろと何をやっているかと言いますと、今回はアニメーション映画のこの世界の片隅にを扱っていこうと考えております。
特にこの映画の中に出てくる食べ物描写、その食べ物描写に影響を与えていた統制配給と呼ばれているものについて、いろいろとお話をしていこうと思っております。
私は基本的には歴史ものがすごく苦手です。
そもそも歴史の授業中は、高校の時はほとんど受験科目にもなっていなかったので、ほとんど寝て過ごしていたような科目だったりはしていたわけなんですけれども、
ここ最近ですね、歴史ものとかそういうふうなものの受け替え用意というふうなのを何となく把握しておりましてね、
ちょっと勉強があったらいろいろと調べてやってみようかというふうなところで、いろいろと頑張って見ているところでございます。
この統制配給というふうに呼ばれているもの、皆さんも何となく戦争中に食べ物の物資とかその辺のものを統制することが必要になって始まったもので、
戦況の悪化に伴っていろいろと細々となっていったよというふうなのは、何となくイメージ的にも勉強されている方もわかっていただいているかなと思います。
でもこの統制配給がなぜ始まったのか、どうして悪化することになったのかというふうなところはですね、歴史の教科書でもちゃんと書かれているものもあれば書かれていないものもあるというふうなところがあって、
皆さんも多分ご存じないところが話せるかなとは思いますので、よろしかったらちょっとその辺の部分も踏まえて聞いていただけるとありがたいです。
03:07
で、なんで農業描写でこの辺のものがしゃべれるのかというとですね、この統制配給の大きな影響を与えておりますのがお米だったりしておりますのでね、今回はそのお米にフィーチャーしていろいろと話をしていこうと思っております。
そして今回の収録がとっても難航しております一番の原因がですね、最終的には今現在の日本が抱えている食料安全保障についてまで話を広げようと思っておりましてね、ここに繋がるまでの話がまあ大変というふうな形になっておりますので、
うまいこと話ができれば今回は1時間ぐらいの内容にはなりますけれども、戦時中から始まって今現在まで通ずる食料安全保障の話まで広げていければなと思っておりますので、よろしかったら今回も長々とお付き合いいただけるとありがたいです。
一応お知らせごととしてはですね、今回も当番組長い回になりましたらですね、チャプター機能というふうなのをつけて番組のどこから聞き直すかというふうなことがしやすいようにチャプター情報というふうなのをつけております。
Apple Podcast、Google Podcastなどではどこから聞けばいいかというふうな一瞬で飛べるリンクみたいなものがついておりますのでね、ぜひそちらの方もご活用いただけるとありがたいです。
Spotifyの方はですね、一応時間の方を記載しておりますので、ここまで聞いたっけとかね、そういうふうなキリのいいところで切り止めるとかというふうなところは概要欄の方に時間、どのぐらいの分数でこの辺で切れるよというふうなのが書いてありますので、そちらの方をご参照しつつ今回も聞いていただけるとありがたいです。
というわけで今回も参りましょう。
Aの音サブカル。
この番組は北海道の中心部、札幌市のちょっと東側にあるエベチ在住のジョンさんが日々のAの音、日々摂取しているサブカルについてお話をしていくオーディオSA番組、Aの音サブカルとなっております。
今回はその中の特殊プログラム、サブカル作品の中に現れるほんの少しの農業描写から、その作品世界の食料事情や農業事情をディテクティブしていく、作品の見え方がちょっと変えられたらいいな、な農業描写考察プログラム、農業描写探偵のお時間となっております。
今回扱いますのは2016年公開のアニメーション映画、この世界の片隅にを扱っていきます。
私は今回こちらを扱いにあたってですね、さらに40分のシーンが追加された2019年公開の映画、この世界のさらにいくつもの片隅にを見てはおります。
こちらを見て話はしてるんですけども、基本的にはどっちか見てればOKというふうな状況になっております。
あと冒頭で話そびれましたけれども、今回はネタバレ全開でいきます。
というふうなのも、ちょっと後編の方がですね、作品の後半の展開について言及せざるを得ないようなものとなっておりますのでね、まだ見られてないというふうな方はですね、ぜひ映画を見られてから来ていただけるとありがたいです。
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で、とりあえず今回はですね、映画を見られた方前提でお話をしていきますので、ちょっと概要とかその辺の部分はですね、そういった人々が思い出す程度の内容でちょっと留めさせていただいて、最初に私の感想とかその辺の部分を話させてもらおうと思います。
で、こちらの映画、どういうふうな状況の映画だったのかというふうなのを思い出していただくときにですね、まずこちらの映画は元々は原作コミック付きの作品となっております。
河野文夫さんというふうな方が描かれました、この世界の片隅にというふうな漫画を、毎々進行と千年の魔法ですとか、アニメーションのブラックラグーンとかでおなじみの片渕須直監督がアニメーションを映画化しているものとなっております。
で、映画化されたものの特徴なんですけれども、こちらの映画バージョンの方は徹底した調査に基づく太平洋戦争末期の描写がすごいことになっている作品となっております。
これは映画評論家の町山智寛さんが片渕須直監督にインタビューをして、それで確認を取っていることなんですけれども、とにかく細かく当時の状況ですとか写真ですとか地図ですとか、そういうふうなものを元にしてロケ版をして、そしてそれを映像の中に落とし込んでいるというふうなことをやっております。
なので、見る人が見たら、あ、これ誰々さんちな真似っていうふうなのを特定できるくらいに細かく描かれているというふうな作品らしいんですね。一方、河野文夫さんの漫画自体はですね、この辺の部分は結構適当ですというか、意図して間違ったこと、フィクション味があるようなことをですね、描いているというふうな節すらあったりするので、この辺の部分は本当に映画版ならではの技というか、片渕須直監督の特徴というか、そういうふうなものになってたりしておりますね。
特に原作者の小宮野文夫さん自身はですね、例えば戦争中の兵器の描写とかその辺の部分があまりお得意ではなかったりしてたので、その辺の部分はですね、この片渕須直監督の方がかなり細かくやってたりしておりますね。
それこそ兵器の音の再現ですとか、あとは作中の中に出てくる照明弾というか、戦闘中に弾を撃った際に色の付いている砲弾とかを撃つというふうなところがあったんですけども、その辺の描写とかは片渕須直監督オリジナルの手だったりしておりますね。
そんな感じでですね、原作のシーンとかその辺の部分と結構色々と手を加えられておりまして、映画版は映画版の、原作は原作の、また味わいが違った作品になっているというふうなのが非常に面白いところかなというふうに思っております。
特に原作の方ではですね、こちらは明らかに虚構として描かおうとした節があるような作品となっておりまして、それで意外と時系列とか、流石に原爆投下みたいなでかいやつはそのままなんですけども、それ以外の、例えばどこどこの軍港にはいついつこの軍艦が入港していたとかというふうな描写とかあったりするんですけども、その辺の部分は原作は結構適当だったりしてます。
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なんですけれども、片渕直監督の方のアニメーション映画家の方ではですね、実際の記録と食い違うからとかっていうふうなので、時系列をずるやしたりするとかっていうふうなことをやられているぐらい、当時の状況の再現というふうなのを徹底して振っているというふうなそんな作品となっておりますね。
で、こちらの映画のちょっと舞台とかその辺の部分のおさらいを一応しておきますけれども、今回この話をする舞台となるのがですね、昭和19年から昭和20年となっておりません。
西暦で言うと1944年から1945年となっております。
で、舞台になっておりますのは広島県は呉が主な舞台となっております。
のんさん演じるすずさんがですね、もともと住んでいたのはこの近くにあるエヴァというふうな港町なんですけれども、ここから呉に越してくるというふうなところでお話は進んでいくんですけども、メインのお話となりますのはこの戸継いだ先の広島県の呉になりますので、とりあえずここだけ覚えておいていただけるとありがたいです。
で、すずさんはですね、18歳で昭和19年にほうじょうさんというふうなお家に戸継ぐことになりまして、お話が始まっていくのはこの辺りからというふうに思ってもらえるとまあ間違いはないかなと思います。
で、皆さん映画を見られていらっしゃると思いますので、とりあえずおさらいはこんなところにしてですね、私がこの映画についてどんなふうに思っているのかとか、どんな感想を持っているのかというふうなのをちょっと最初にお話をしておきますね。
で、こちらの映画、というかまあ原作もそうなんですけれども、すずさんがこのほうじょうさんというふうなお家に戸継いでいってその生活をしていく様子をかなり細かく描かれているような作品となっております。
で、特徴的なのが取り立てて反戦を歌っているわけではないというふうな部分だったりしております。
当然のことながら戦争中なので食べ物がないとか、いろんなものが買えないとか、そういうふうな部分でいろんな苦労はされてたりするんですけれども、けれども戦時中であっても色濃い沙汰はあるし、あとは嫁、孤充と戦争みたいな大変な部分とかもあるしとかというふうなところで、意外と本当に日常の描写を描いていったというふうなところがすごい面白いところかなと思います。
本当にこの映画、あんまりこの辺の部分で語っている人も見なかったりするんですけれども、結構色濃い沙汰の部分がメインになるようなお話が多いかなって私自身は思っております。
それ以外にね、いろいろと話したい部分もあって、まあ戦争は大変だなというふうな部分もあるんですけれども、けれどもこの新婚夫婦の日常の描写みたいなものとかというふうなのが結構生めかしく描かれている部分かなとも思うんですよね。
特に私はキスシーンの生めかしさとかね、手と手を合わせる生めかしさみたいな部分というふうなのが、河野文夫さんのイラストというかタッチで描かれているからなんとなくほのぼのと見れるんですけどもね、まあエロいなというふうな感じがすごくするような作品だなというふうに思いますね。
あと私が特筆して話したいのはですね、いろいろあって手を触れて、旦那さんの修作さんがスズさんを抱こうとするのを怖っと笑われる手の動きとかがですね、すごくリアリティがあるなというふうなのをね、当事者目線で語れるなというふうな部分があって、まあその辺の部分だけでもちょっとお腹いっぱいになるくらいすごく情念が濃いような作品になっているかなと思います。
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特にこの話の部分を膨らましているのが、さらにいくつもの片隅にというふうなバージョンだったりしております。
元々の映画のバージョンだと、こちらのスズさんと仲良くなる優女の、なんて言ったかな名前が、優女の凛さんですね。
要は軍隊御用達の誘拐があって、そこで働いている凛さんというふうな女性がいるんですけども、彼女が元々旦那さんの修作さんとどうも付き合いがあったらしいというね。
そういうふうなのをスズさんが知って、モヤモヤしていくというふうな、まあそういうふうな三角関係みたいなのがあったんですよね。
元の映画の方だとこの辺の部分が結構割愛されていて、なんでそんなに凛さんに思い入れがあるの、スズさんというのが、ちょっとよく分からなかったんですけれども。
でもさらにいくつもの片隅にの方ではですね、40分間これをじっとりとシーンを追加されておりましてですね。
で、スズさんと修作さんと凛さんが会って餌食をするなんていう、結構恐ろしいようなシーンとかもね、追加されてたりするんですけども、そういうふうな部分で本当に見ていて面白いような映画となっているかなと思います。
この辺の部分というのはですね、要は風俗上にガチ恋をしていたことがある旦那さんをですね、モヤモヤしながら見ている今現在の奥さんというね、そういうふうなところの常年の絡み合いみたいな部分というふうなのがこちらの方でも描かれておりますし、
あと元の映画にもちゃんと入っておりました、スズさんの方はスズさんの方で幼馴染の、戦場に赴く幼馴染で鈴原さんというのがいるんですけども、
この鈴原さんと鈴さんが、包丁家に遊び、鈴原さんが遊びに来て、包丁家でお泊まりすることになって、鈴さんと鈴原さんがですね、奈夜で一晩共にするというふうな、
まあ共にするというふうなのは太もも一緒というわけではないんですけども、でも結構この辺の部分もですね、すごい話だなというふうな部分なんですね。
こちらこういうふうな部分とか、こういうふうな色恋沙汰の部分とかはですね、今見てみるというか話で聞くと結構恐ろしいというか、ドロドロしているような感じがするんですけれども、
けれども河野文夫さんの絵のタッチで描かれている部分がありまして、デフォルメ化されているのでなんとなく見れるなというふうな感じがするんですね。
一応こちらの作品はですね、どうもTBSで実写ドラマ化されているんですけど、実写ドラマ化ではこの辺の部分どうなってたんでしょうかね。
なんか目も当てられないくらいにちょっと生めかしいというか、生々しい感じになってきつくなってたんじゃないかなというふうな気はするんですけどね。
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けれども映画自身はこういうふうな部分もありつつ、お話としてはほのぼのとしているような感じはするんですね。
あとこの映画自体はですね、当時の状況というか生活の状況みたいなのもしっかりと描写されていたりしておりますので、
すずさんがやることになる法上家での家事とかその辺のもアニメーションだからほのぼのとして見られるなというふうな状況になるんですけども、
実際は結構ハードだなというふうな感じだったりするんですよね。
だってすずさんはですね、お嫁さんに行った当日からその家の家事を一点に担うことになるんですよね。
というふうなのも、この法上家はお母さんが足を悪くされておりまして、
今までお母さんが家事やら何やら頑張ってやっていたんですけども、まあ足が悪くてできないという。
その家事を一点にすずさんが引き受けることになって、すずさんは遠景脱毛症ができるぐらいまあ大変になっちゃうんですね。
遠景脱毛症ができるのはですね、古住都のすずさんの義理の姉にあたりますお姉さんが帰ってきてからそこでの扱いが大変だったので遠景脱毛症になっちゃったというふうな部分もあるんですけども、
けれどもその辺の部分も踏まえまして、本当に当時の女性って大変だったんだなというね、
今だったらいろいろと文句が出そうな、そんなような地獄みたいな家事状況というふうなのが描かれておりまして、
でもそれでもアニメーションだからそれなりに楽しそうに見えるというふうなところがでかい部分かなとは思っておりますね。
そんな感じでこういうふうに戦時中ではあってもこういうふうな生活があって楽しく暮らしてたんだよというふうなところがですね、
徐々に徐々に戦況の悪化によっていろいろ大変な目に遭っていくというふうな作品でもありますね。
この映画はですね、ちょっと見直してても私自身厳しいなというふうに思ってたのが、子供が辛い目に遭う映画でもあるんですよね。
だから途中で亡くなってしまう女の子が出てきたりですとか、お母さんを失っちゃう女の子が出てくるシーンとかあったりとかね。
私は後半の原爆10日後で親子が連れ立って歩いているモノローグシーンみたいなのが思い出すだけでも今現在累戦に来るぐらいですね、結構厳しいものかなというふうに思っております。
基本的にこうやっていろんな生活が成り立っていたんだけれども、そういうふうに原爆10日とか、本当に人類死に刻んでおいてほしい愚行みたいなものとかがはっきりと描かれてたりするんですよね。
この映画、特に興味深いなというふうに思うのが、本当に反戦を歌っているわけではないというふうな映画なんです。
特に主人公の鈴さん自身はですね、どちらかというと反戦の立場ではなくてですね、自分自身が周りに飲まれるような形でですね、戦争の方に知らず知らずに賛同していっているというふうなところが描かれているところが面白い映画だなと思うんですね。
実際に作品の後半の方ではですね、これに気づいて鈴さんが号泣するなんていうふうなシーンもあります。
この辺の部分がすごく残酷だなというふうに思う部分もある反面ですね、鈴さんに何ができたよというふうな部分もあって、本当に悲しいシーンでもあったりはするんですけども。
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けれども、こういうような形で反戦を歌わなかったからこそ、やっぱり本当に戦争とかその辺の部分に思いを至らせるような作品にもなっているかなというふうに思っておりますね。
そんな感じで私自身はこういうふうな映画を見てたりはしてたわけなんですけれども、今回はとりあえず農業部署探偵で主にやろうと思っておりますのは2つございます。
まず1つ目が冒頭でも話しておりました統制配給の話ですね。
作中の中にはですね、鈴さんが楽しそうにその辺の草を調理したりですとか、あとは軟香飯という水を本当に吸わせて膨らませた米が出てくるんですけども、
そういうふうな米を食べれるようになった背景というのはどういうふうなものだったのかというふうなのを、いろいろと歴史をひも解きながらお話をしていこうと思っております。
これを踏まえた上でですね、後半では作品の映画の方に、後半の方に出てくるセリフでこんなセリフが出てきております。
外国のお米や大豆、そんなものでうちはできとるんじゃね。
邪気暴力にも屈せんといけんのかねというふうなセリフが出てくるんですけども、こちらのセリフについて深掘りをしていこうと思っております。
こちらのセリフについてはですね、それこそさっきも話を出した映画評論家の町山智宏さんが片渕須直監督にインタビューをしておりまして、
こちらのインタビュー記事をご覧になった方とか映画をお詳しい方だったらどういうふうな理由で改編されたよというふうなのは知ってるかなと思うんですけれども、
けれどもちょっとその辺の部分の背景になっている食料事情とかその辺の部分がですね、
町山智宏さんのソフトを食い違う部分とかっていうふうなのがございますので、その辺の部分を踏まえていろいろと話をしていこうと思います。
今回もですね、1時間越えの長丁場になるかと思いますけどお付き合いのことよろしくお願いします。
では前編入ります。
前編、どうして統制廃給が始まったのか。次第に廃給状況が悪化、途絶していったのはなぜか。
最初に話をしますのは、そもそも統計制廃給とは何かについていろいろと話をしていこうと思います。
こちらの統制廃給というふうに呼ばれているものはですね、国がすべての廃給量をコントロールするというやり方のものとなっております。
廃給制度の中では一番厳しいものとなってますね。
主にやられているのが戦争中ですとか食料危機ですとか、そういうふうな部分でですね、ことが起こった状況でもない限りは行われないような、一番厳しい廃給制度というふうな形になっておりますね。
こちらの廃給制度、日本国内だけでもなくてですね、世界各地でこんなような戦争ですとか食料危機ですとかが起こったら始まるようになるよというふうに言われているような、そんなようなものとなっております。
最初にこの統制廃給を始めないといけないような国土状況とか、あとは食料状況になりがちな日本という国の食料自給状況についてお話をしていきますけれども、
日本国内はですね、今も昔も変わらずに人口密度が高い割に農地面積が少ないというふうな特徴を持ち続けております。
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こんなような状況の場所でも何とか発展ができたというふうなのは、狭い面積の中でもカロリーが高い穀物、お米があったからどうにかなったというふうなものとなっておりますね。
その結果、こんな感じで一応お米があるからそれなりにカロリーベースとかその辺の部分ではある程度、お米がある量がどうにかなるおかげで人口やら何やらを養ってこれて、
江戸期では最大3000万人ほど養うことができていたというふうな形にはなってはいるんですけれども、
食生活を豊かにしようですとか、あとはそういうふうなことを考え始めるとですね、人口が増えれば増えるほど食料を輸入に頼りがちになってしまうというふうな、そんなような土地だというふうな形になっております。
ちなみに日本の農地面積フルに使ってもですね、今養えるのは江戸期と同じぐらいの3000万人ぐらいというふうな形になっておりまして、
今現在の日本国民1億2000万人ぐらいの人数を養うにはどのぐらいの農地面積が必要なのかというふうなのを2007年に農林水産省が試算していたりするわけなんですね。
当時の試算とかによりますと、およそ日本の農地面積の約4.8倍の面積が今現在の日本国内の国民を養うに必要な面積というふうに言われているんですけれども、
そんな面積は当然のことながら取りようがないよというふうな状況になっておりますので、米やら何やらで本当に自給してどうこうしようというふうな形になるのは結構厳しいような国だったよというふうになっております。
昭和19年とか昭和20年は特に農業においての石油の依存度というふうなのはとっても少なかったりしてたんですね。
なんせトラクターとかその辺の部分は動いておりませんからね。
なのでその辺の部分で影響は少なかったっちゃ少なかったんですけれども、
ただ当時もですね化学肥料ですとか大豆かす肥料ですとかそういうような食料の原料になる肥料とかというふうなのは輸入に頼っていたような状況となっております。
輸入が取り切れるととっても大変になりますので農業生産自体がかなり厳しいような状況になるというふうなのが当時も今も変わらずに存在しているようなものとなっておりますね。
実際昭和19年から20年にかけてはですね農業生産というふうなのがかなり落ち込んでおります。
というふうなのも兵隊さんに男手が取られているというふうなのもありますけれども化学肥料とかの原料とか手に入らずですね
なんかピーク時の13%ぐらいまで使われている量とか販売量が落ちたよとかというふうな記録も残っているぐらい
戦時中の状況では本当に農業生産とかその辺の部分が全然できなくなっていて大変だったよというような状況だったそうですね。
そんなような状況にはなっていたんですけれどもお米に関しては結構国内とかでも賄えていたそうなんですね。
なんせ太平洋戦争が起こっていた当時の輸入依存度というふうなので言うとお米に関しては2割程度が周りから依存しているようなものとなってたそうなんですね。
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なので8割は自国産でなんとか賄えてたよというふうなことを考えるとですね
本当にお米というふうなのが食料危機とかそういうふうなのに強いなっていうふうなそんなようなものだと感じられるものなんですけれども
それ以外のものに関してはですねほとんど輸入に依存してたような状況となっておりますね。
特に太平洋戦争中はですね小麦、豆類、砂糖などがかなり輸入に依存していることになっております。
こんな感じで日本の国土状況ですね食料自給自分たちでどうするというふうなのがなかなか厳しいような状況となっておりまして
戦時中であちこちにねソース缶を食らっているような状況でも何かしらこういうふうなものに関しては輸入を途切らさせないようにしなければならないというふうなので
日本国内かなりこういうふうな食料関係とかというふうなのは大変なような状況になっておりましたね。
でその辺で大変なような状況になっちゃった結果統制廃棄になってものが始まることになるんですけども
じゃあそもそも統制廃棄というふうなのはどのようにして始まっていったのかというふうなところをちょっと話をしていきますと
まずこの統制廃棄が始まったのは太平洋戦争末期に行われるようになりました。
できっかけとなりましたのは1939年昭和16年に起きました西日本の大間罰というふうなのがあるんですよね。
でこっちの方は完璧に戦争とか関係なくこっちはあれですね天災によるものなんですけれども
この西日本大間罰の影響を受けて日本国内産特に関西を中心としたお米の生産とかに大打撃を食らったというふうなのと
あと影響が多かったのが当時日本の植民地であった朝鮮ですね。朝鮮でもこの間罰がきっかけになりましてお米が臭くとなりまして
でこれを単に発しまして日本国内で食料の配給状況の急激な悪化というふうなのが起こるんですよね
この結果数々の視察を打たなければならないような羽目になってしまったというふうなところが
これは統制廃棄とかその辺の部分が始まっているようになってきておりましたと
この統制廃棄が始まる以前からも一応食料とかの購入の制限とかそういうふうなものは順次行われていたそうなんですね
そもそもは日中戦争改戦きっかけというふうなのがありまして国家総動員法というふうなのが制定されておりました
でこの国家総動員法の中でいろんな物品ですとかそういうふうなものの購入の制限がかけられたりとか
あとは食料を国が購入する量を決めましょうねとかというふうなものを決められていたというふうなのもあったりはしていたんですけども
国が分配するようになりますよというふうに言われていたのはこの大間罰がきっかけとなっておりますね
ちなみにここで朝鮮の方の植民地の方ですごく間罰が影響を受けた理由というふうなのをちょっと話をしておきますと
朝鮮は当時天水田で農業をされていたそうなんですね
天水田って言って皆さんピンとくる方とピンとこない方がいると思うので一応説明をしておきますけれども
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当時の朝鮮というふうなのは水利のシステムを持っていなかったそうなんですよ
なので基本的には沼地みたいなところでお米を育てていたので雨が降らないとそもそも田んぼに田植えができないというふうな状況になっちゃって
それで植え付け時期に雨が降らないで間罰になっちゃったというふうな部分なので
その年の生産状況というふうなのが減少というふうなのではなくてそもそもゼロみたいなそんなような状況になっちゃってたそうなんですね
なので自分たちが食べるお米はおろか日本への輸出なんていうのがとてもじゃないけどできないよねっていうふうなぐらいの惨状に見られてたのが
この1939年の大間罰だったそうなんですね
そんな感じで朝鮮と西日本の方で大間罰が起きたおかげでお米の時給というふうなのが逼迫することになりまして
やめなく統制配給みたいな形をとっていきましょうねというふうなことに順次になっていきます
その配給の方で最初に制定された法律が米国配給統制法というふうな法律がございます
こちらの法律もともとは配給を決めるための制度ではなかったんですね
当時の大日本帝国政府の方ではもともと考えていたことは
お米の価格を統制価において肯定価格を敷いてそれで価格のコントロールをしようというふうなことを狙っていたそうなんですね
要は私がもっこり販売会の中で詳しく一生懸命話をしていた米価を統制しようというふうなことをやろうとしていたんですね
そういうふうなことによって最低限お米だけは購入することができて
そして食べることができるようにしましょうねというふうなことをやろうとはしてたんです
何ですけれども、ちょっとこれでつぶまれて話をしないといけないのが
肯定価格をまず制定するというふうなのと
それとこの法律においてはお米を買える量というふうなのを制限しましょうというふうなことになってたんですね
だからその世帯で働いている人数ですとかお仕事の種類に応じて
だから肉体労働をする人に関してはお米を多く配分するけれども
けれどもデスクワークとかその辺の部分に関しては
そんなに食べなくてもいいよねというふうなところで減らすとかというふうなことをやって
それでお米の販売自体を許可制にして
あとお米を買うための通帳を発行して
その通帳がないとお米が買えないよというふうな形にもしてたそうなんですね
で、こうやって買える量の制限を加えて
あとは肯定価格を制定することによって
お米の値段が高くも安くもないようにするというふうなことをコントロールしようとしてたのが
この米国配給統制法だったりはしてたんです
なんですけれどもこの形でやろうと思っていた矢先に
1939年の大間罰が起こっちゃったものですから
これにちょっとルールを加えることによって
これがそのまま統制配給制という私たちが何となくイメージする
お国から米を配ってもらえる制度の方にどんどん変わっていきます
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昭和17年に戦時統制の一環として発布されたのが
食料管理法というふうなのが制定されまして
これも加えることによって一応通帳とかとかそのまま残っているんですけども
基本的には国が米をすべて買い上げて
買い上げた米を日本国民皆さんに配りますよというふうな制度に
どんどんどんどん移行していくことになります
こんなような形で統制配給というのは行われていたんですけども
戦時中ではこれ以外にも食料にまつわる制限を加えるようなキャンペーンというふうなのを
日本国内ではどんどん行うことになっております
最初というかお米の方で行われてたっていうふうなやつがいくつかあるんですけども
まず順番に話をしていきますと
これはルール的には本当に奇妙だなというふうに思う部分なんですけども
製薄の度合いを7分月に制限して販売するという
米国付き製など制限令というふうな法令が出ております
こっちは1939年の緩抜を受けて即座に発布された制限となっておりますね
何なのかというとこれお米屋さんでお米を購入するときに白米にするんじゃなくて
7分月という要は抜かそうが多いような状況でかさ増しをして販売しなさいねというふうなもの
ルールとして制度化したよというふうなものがこちらのものとなっております
なので普通にお米を買おうと思っても7分月以上の白米が買えないということになりまして
残りの製薄はどうするかというと自分家で棒でついて
それで製薄をして食べるというふうなのが色々と言われるような状況になってたんですね
だからこの時期を舞台にしたドラマとか映画とかアニメとかそういうふうなものを見るとですね
だいたいご家庭のどこかに一生瓶の中に先っぽに布が付いているぼっかが入っている
なんかがありましてそれでそれが置いてあるというふうなのが何となく描かれてたりするんですね
実際この世界の片隅の作中の中にもすずさんの義理のお母さんがこうやってトントンとお米をついているというふうなシーンがあります
それがやられてたのはそもそも7分月以上でお米が購入することができなかったからというふうな理由がありまして
棒付き精米というふうなのを自宅で行われるようになっていたよというふうなのがありましたと
それとこれがちょっとでかい部分だったりはするんですけども
日本国政府この時期には外米輸入というふうなのをやっております
外米輸入のいうふうなのは何かというと要は当時日本国内の植民地であった台湾朝鮮満州からのお米以外の輸入米というふうなのがこれを指します
でどこから輸入してたのかというと当時フランスの占領家だったインドとかビルマですとか
こういうふうなところからお米を輸入しておりました
でこの外米輸入とか輸入に関してはですね結構昭和に入ってからもちょくちょく行われていたそうなんですね
1900元々1910年代に米騒動というふうなのがありまして
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この時にもこの辺の国からお米の輸入というふうなのをやっていたそうですね
でこの外米輸入が始まったのは1939年の大間罰を受けて20年ぶりに外米輸入というふうなのを行っておりました
でこういうふうな感じで時給が逼迫するような形になって外米は輸入しなければならないねというふうな形で外米輸入をしていくことになるんですけども
太平洋戦争中はですねこの外米輸入の輸入依存度が非常に高くなっていくというふうな形になっていきます
というふうなのもねそもそも植民地でも米は作れねえわ国内でも米が作れねえだぜまあ大変だったからというふうなのもありまして
そういうふうなのもありまして外米輸入というのが非常に重要なものとなっております
あと特にこの辺は色々調べてもあまり出てこないことなんですけども
当時は軍部の要求が課題になってくるというねそれこそ兵隊さんがですねすごい数増えていったというふうなのもありまして
肉体労働とあと最後になるかもしれないしねというふうなところでご飯の輸入料とかの要求とかというのがすごく増えてたというふうなのもありますし
あとはお米がなくなると途端に食料がなくなって施錠が不安になって本当に大変なことになるなというふうなところで備蓄を作るために外米輸入が非常に重要だったというふうに言われておりますね
そんな感じでこの外米輸入というふうなのは1939年からですねとっても輸入量というふうなのが年々増えることになってきてたりしておりますね
でこの輸入されたお米っていうふうなのはどんなお米だったのかというと当然のことながら粘り気がないバサバサのインディカ米が輸入されていたそうなんですね
この1910年代の米騒動の時に輸入されていた時もそうですし1939年に輸入されてきたそうなんですけども当時も今もそうなんですけども
日本国民はですね米がまずいというふうな文句をたらたら言い続けるというふうなのをですね
1910年も1939年も行っておりますしなんならこの間ではないな私が子供の頃に1995年に米不足が起こっておりまして
その時にも大量に海外のお米を輸入して食べるってそして食べてまずいまずい言ってたんですけどもそんなような言われるぐらい
日本以外のお米はですね品種が違ってそもそも炊き方が違うのに日本の米と同じような炊き方をするからまずくなるんだよっていうふうなね
そんなようなことをやられてたりしておりましたこういうふうに形でですね当時のお米っていうふうなのは外米が輸入されるようになってきておりまして
日本産のお米がナイチ米というふうに言われて一番グレードが高いお米ですよっていうふうに言われていたのと
あとは台湾とか朝鮮とかで作られてたお米は植民地米と言われておりましてこっちはまあまあだったそうですね
なんかの北王子ロサンジンがですね朝鮮のお米で美味しいのがあったよっていうふうに書かれているぐらいには朝鮮のお米は美味しいのがあったらしいんですけどね
でも台湾と中国に関しては日本人が当時植民地になっていたのをまあわざわざ日本米を作らせるように
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用意をしていって作っていったっていうふうなものとなっておりますのでそれなりにあのまあ美味しかったらしいんですけどそれでもちょっとねグレードは一番朝鮮米が美味しかったよなんていうのは言われてたそうですね
でそれ以外のお米がまあさっきも話した外米というふうな形となっておりました
でこの受給料に関してなんですけどもこの外地米と植民地米というふうなのは基本的には半々ってぐらいのイメージだと思ってもらえるとありがたいですよ
で受給料の過半数を占めてたのはその当時戦時中の終戦末期であっても日本国産のお米が一番多かったっていうふうな統計のやつを見ておりますね
なんかこれねあの統計情報によってあのばらつきがあるんですよねだから受給されていた日本国全体で言えば日本国産のお米が一番多かったんですけれども地域地域によっては入ってるくるお米の量のばらつきがあったりもみたいなのがあってそれで経験談とかその辺も合わさってごっちゃになってたみたいなのでね
この辺の部分は諸説ありますというふうなところでちょっとあたりにも押さえておいてくださいでこれがこういうふうな感じでお米っていうふうなのは輸入されていたようなものになってはいるんですけれどもこの当時のお米というふうなのはですね1939年頃から強制的にブレンドされていたというふうに私が持っている資料の中では書かれておりますねでこのブレンドされていたというふうなのはどんな割合だったのかというとまず国産のお米がある程度6割ぐらいを占めていて
その後2割職人1枚が1枚2割というふうな形でそういうふうな形でブレンドされてかさ増しされたお米というふうなのが日本国内で主に流通されていたお米だったそうです
外地米が当時インディカ米なので日本国産のお米と比べて白かったことから霜降り米というふうな異名がついていたそうなんですね
何か調べたんですけど霜降り米というような用語が出てきたのが持っている資料大間美宇田実さんというふうな方が書かれている
戦時中の外米輸入というふうなレポートの中だけしかなかったりはしてたんですけどね当時はこんなふうな呼ばれ方をしていたよというふうなのが描かれておりました
この霜降り米がおいしかったかどうかというふうな話なんですけどね
などもこの1939年とか1940年代とかは最初の頃は外地米のブレンド割合というのが2割だったそうなんですね
だからその当時の新聞に載っていた感想というふうなもので言えば慣れれば普通のお米と変わらないですとか
かえっておいしいというふうな人もいたというふうなことを書かれてたりはしてたんですよね
なんですけれどもこれが終戦末期に近づいてくる例えば昭和19年1944年とか1945年ぐらいになってくると
外地米のブレンド割合というふうなのが6割を超えてきたとそうなんですね
その時には新聞の方にいよいよ戦時体制の味覚というふうに書かれるぐらいには
検閲ギリギリのディスられぐらいになるぐらいそして検閲が通してしまうぐらいには
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そんなにおいしくないようなブレンドぐらいになっちゃってたよというふうには言われてたそうですね
そんな感じで外米輸入というふうなのが始まっておりまして
こういうふうなものをやって日本国内で流通するお米の量をコントロールしつつ
かさまちをしつつというふうなのでいろいろと頑張っておりましたけれども
こっちは政府がやっていた部分であと日本国内の国民に対して政府が広報を打って
お願いをして頑張っていたキャンペーンというふうなことがありましてこっちのほうもちょっと紹介をしていくと
1940年代こちらのほうから
節米運動というふうなキャンペーンを日本国政府が行ってきております
このこちらのキャンペーンは大間罰を受けて
とりあえずお米を少なく食べるようにしましょうねとかそういうふうなので
いろいろとレシピやら何やらを工夫していきましょうというふうな広報を
国として挙げていたようなものとなっております
皆さんも何となく聞いたことあると思うんですけども
贅沢は敵だというふうな標語なんか歴史の教科書とか授業とかで覚えてみたことありませんかね
あれがやられておりましたのは国民精神総動員運動というふうなものとなっておりまして
その一環として節米運動というふうなのがどうも行われていたやつなんですね
国民みんなで頑張りましょうというふうな広報とかそういうふうなキャンペーンを打っておりまして
それで当時流通していた女性子ですとかそういうふうなものとかに
節米レシピというか節米料理というふうなそういうふうなものがいっぱい載るようになってきちゃったそうなんですよ
その当時に開発されたものの中でいろいろと言われているのが例えば
ご飯の真ん中に梅干し1個を置くだけの日の丸弁当とかありますよね
土下弁の山田太郎が食べていることでおなじみのイメージがあるやつあれなんですけれども
あれとかはこの当時に考案されているようなものとなっておりました
節米って言ってるのに節米になってないのではというふうな気もするんですけどね
でも当時はそういうふうなレシピの一つとして挙げられておりましたね
このほか節米レシピとして挙げられておりましたのが芋とか麺とか
そういうふうな米以外の主食を代用食として
米の中に混ぜ込んでかさ増しをして炊いていきましょうというふうなものとなっております
これはこの世界の片隅にある作中の方でも
ちょこちょこ芋を混ぜて炊いたご飯ですとかお粥ですとか
あとは麺を混ぜて炊いたご飯ですとかね
うどんを足して炊いたご飯あまりおいしくなさそうだなとは思うんですけどね
そういうふうなものを食べ物として出てきてたりしておりましたね
そんな感じでいろいろと料理も出しておりましたし
あと当時はですね
国策炊きというふうに呼ばれていた表面を固く焼いて
水をたくさん吸わせて炊くというふうなやり方があるんですけども
これはですね一部では難航飯というふうに言われておりまして
これ作中でも鈴さんが作っておりまして
出した結果皆さんにすごく微妙なカラーをされたことで
42:00
おなじみの食品が出てご飯が出てきておりましたけども
そういうふうなメニューもですねこの節米レシピの中には載っていたそうなんですね
こんな結果作中に特にこの世界の片隅の中に出てくる
お母さんが作るご飯とかそういうふうなものはですね
この節米運動の結果を生み出された全国のお母さんの栄一の結晶として
そういうふうなのが頑張って作られた節米レシピとなって
作中の中にも出てきたのかなというふうな形になってきております
こんな感じで
苦人を挙げて
がいまいを移入したり食べる量を減らしましょうねというふうなところでお願いをしたりとかね
そんな感じでいろいろと頑張っていった結果
なんとか食糧自給とかを安定的に回そうというふうな努力も買いなくですね
昭和19年から急激に配給状況というふうなのは悪化してくることになります
これが何でなのかというふうなのをちょっとここから話をしていきますけれども
これ理由が二つあります
一つは戦争で予想よりも多くの船舶を失ってしまったこと
で、ただでさえ輸入に使える船がないのに軍部がただでさえ少ない船を徴用していったことというふうなのがあります
当時飛行機は飛んではいたんですけどね
輸送とかそういうふうなのに使われることもなく
主な輸送とかその辺の部分に関しては船が使われていたんですよね
で、お米をはじめとしたこういうふうなのって船腹といって
船の輸送とかそういうふうなのに使う部分はかなり圧迫してしまうんですね
ただでさえ昭和19年は南方戦線とかそういうふうなところで
いろいろと大変なことになってきちゃったというふうなのがありまして
それで船がばかつか沈められたりとかというふうなことがありまして
輸入に使われる船が少なくなったおかげで
どんどんどんどん輸入前とかその辺の部分が
少なくなっていって最終的には途絶することになりますね
で最初の方でちょろっと話しましたけれども
輸入の当時の日本で輸入の方で主に依存しておりましたのが
麦豆あと砂糖でございますけども
この辺の部分がどんどんどんどん
輸入がどんどん少なくなっていってしまうんですね
だから作中の中でも鈴さんがですね
ついにお砂糖が来なくなったとかね
あとは醤油が手に入らなくなったとかというふうなことを言われておりますのが
この辺の船とかそういうふうなのがバカスカ沈められて
輸入出入がうまくできなくなっていったというふうなのが一つとありますと
それともう一つアメリカ軍が攻勢に出てきておりまして
昭和19年の段階ではですねかなり海上封鎖をされてしまってたんですね
だからそもそも輸出入をする船もないし
あとは輸出入を頑張ってしようと思っても海上封鎖されているという
あちこちに航路とかその辺のところに嫌いやらないんやらをたくさん巻かれておりまして
それで本当に輸出入が大変になってしまったので
食べ物が入らなくなっちゃったおかげで
配給状況というのがどんどんどんどん悪化していくような形になってきております
この時期からこうやって滞るようになってきて食べ物がどんどん少なくなってきて
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特にメインの食料であるところのお米がまず最初にダメになっていって
この代用食として配られるようになっていって増えていったのが
芋ですとか雑穀ですとか大豆ですとか大豆かすとですとか
そういうふうなものが代用食として増えていくような形になってきております
こんなような状況下でとりあえず食べ物が足りなくなっていって
あとすずさんがやらかしたおかげで
砂糖をなくしちゃって闇で買ってきんさいというふうに言われて
義理のお母さんからお金をもらって
闇市にすずさんが買いに行くなんていうふうなシーンがありましたけれども
そこでは本当にものの値段がインフレを続けていて
すずさんがこんな国で生きていけるのかねというふうなことで不安になるようなシーンがあったの
皆さんも覚えていらっしゃると思うんですけれども
こんな感じでものの値段がインフレやら何やらしていくのはとにかくものがなくて食料品の値段やら
何やらが高上がりになっていくというふうな状況になっていたりしてたんですね
こういうふうな状況になってこういうふうな闇市が発生するとかというふうなのは
日本国内だけではなくて世界各地で同じような状況があれば同じように発生するものだというふうに言われております
なんかこうやって食料とか補給料とかを建ったりするとですね
食べ物の値段がバカ上がりするようになってきてしまって
それで農民がこの時に一部蓄財をするなんていうふうなことは言われてたりするんですね
こんな感じで補給を止められたり封鎖されたりすることで意図的に危惧を発生させて
それで戦争に使うなんていうふうなことは
いろんな世界各地で行われてきて古来から行われているような
兵狼攻めとかいろいろと言われてますからねそんなような作戦だったりするんですね
実際に当時のアメリカが作戦として行っておりましたのが
飢餓作戦というふうなのを当時行っていたそうなんですね
これはさっきも話した会場封鎖とかそういうふうなところで輸送炉とかそういうふうなのを止めてしまうっていうふうなのもあるんですけども
それ以外に食料の備蓄を焼くために空襲を繰り返すですとか
あとは輸送炉を潰すために空襲を行うですとか
そういうような形でいろいろと空爆やら何やらというふうなのは行われておりました
だから東京大空襲とか日本各地で行われた空襲なんですけども
あれは軍事工場とかそういうふうなところに対する攻撃でもあったし
あとは食料の備蓄を破壊するとかそういうような目的でも行われてたりしてたんですね
なんですけどもこのアメリカによる飢餓作戦というふうなのはちょっと失敗しちゃうんですね
っていうふうなのも鉄道網の破壊とか流通炉の破壊の方に失敗してしまったんですよね
もしもこの流通炉の破壊がうまくいってたとしたらですね
原爆10日前に日本が終戦を迎えていた可能性があるぐらい
日本各地で飢餓が発生していたんじゃないかっていうふうな話もね
なんか一応調べたら出てきておりましたね
なんですけどね原爆10日の死亡した人数と飢餓が発生した人数とというふうなのが
どっちが良かったのかっていうのが全然わからなかったりするしこの辺の部分について
話をするのもダメだよなというふうに今現在は思ってたりしながら言っておりますけれども
48:04
でも
そんな感じのことが行われておりましたと
でどこまで入ったかな
こんな感じで会場封鎖が行われて
食料やら何やらというふうなのが本当に不足して大変だったよというふうな形になっておりまして
でまあ人々というふうなのはこうやって闇市で買い物に行くか
あとは農家に直接買いに行くかなんていうふうなことが行われてたそうですね
であの作中では別段農家に買い付けに行くとかというふうなところはなかったりしてたんですけどね
まあでもあの当時の状況とかその辺の部分で話せることはといえばですね
今現在もなぜかポッドキャストでやっております
ドクマムシさんだよと大沢有利の gd 砲弾というふうなポッドキャスト番組がありましてね
まあ今現在多分最高齢の部類に入るポッドキャスターお二人が話されている
えっと有利とマムシが伝えたい食べ物の話っていうふうなのがエピソード11というふうなのに挙げられておりました
でこの中ではですね終戦末期の食べ物がない時代で
当時少年だったマムシさんが農家のうちに米を買い付けに行ってそしてこの米がですね
赤羽目で取り上げられそうになった話とかっていうふうなのを紹介されてたりするんですね
そんな感じであのこうやってお米を買い付けに行って
でそれを食べたりなんだりして頑張っていかないといけなかったんだけれども
けれども
えっと憲兵さんに取られるとかそういうふうなところでいろいろと大変だったよというふうな話がね
ちょっとこのエピソードの中でも語られてたりしておりました
意外とあのこの複読本というかあのこの世界の片隅にの複読本的に
gd 砲弾聞いとくと結構面白いことがありますのでねまあよかったらちょっと聞いてもらえ
れるとありがたいですねでそんな感じで
えっとちょっと余談をね無理苦に挟んでしまったんですけども
えっといろいろとこうやってお米やら何やらって風なのが流通はどんどんしなくなっていって
闇市やら何やらでは流通はしてるけどものすごく値段が高くなっていってっていうふうな状況になって
いたりはしておりましたでえっと外米の移入に関してとかお米のことに関してなんですけども
外米移入はですね1944年の
えっとそれこそ夏ぐらいにはほぼ途絶することになってるんですよね
というふうなのもそれこそ南方戦線の悪化によってですね
えっと使える船がなくなって輸出入がそもそもできなくなっちゃったというふうなので
えっとまあ外米移入というふうなのが
その直前までは依存度が本当に高くなってたんですけども完璧にゼロになってしまいます
で一応この年1944年45年に関しては
植民地米としてお米というふうなお米は何とか
最後までは輸入ができていたような状況となっておりません
でどんなのが入ってたのかというと例えば台湾からは
台湾米が入っておりましたし
朝鮮からは朝鮮米が入っておりましたで中国からはおからが入っておりましたね
で中国はですね当時満州大豆と言って
大豆カス大豆の油を絞ったりなんだりするというふうなのをやってたそうなんですね
でその絞ったカスを本当はえっとまあ農業に使う肥料とかそういうふうなのに使われてたそう
なんですけどもそれを食べるように回していたなんていうふうなのが出てきておりましたで
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この頃にはこうやってお米とかは何とか入ってきてたりはしてたんですけども
流通される際にはですね
そもそもブレンドするにもない一枚もないしなっていうふうな状況になってきたので
そのまま流通することが多くなってきてたそうですね
でそしてあとはそもそもあのまあ
ついたりなんだりするのももったいないよねっていうふうなモードになってきておりましたので
配られてた時も渋月とかそういうふうなものではなくて玄米で配られるようになっていたっていう
ふうな状況になってたそうです
そんな感じで本当にあの食糧状況とかっていうふうなのが逼迫しておりましてですね
昭和20年1945年にはですね
冗談かよっていうふうに思うような法令とかも出てきておりましたね
まあ何が出てきたかというと
どんぐりの食糧化っていうふうなのをですね閣議で話されてたりするんですよね
あのどんぐりってあれですよ木の枝になっているどんぐりなんですけども
こちらの方をですね集めて脂分を抜いて
食料にして食べるようにするというふうな閣議決定が行っておりまして
それを子供たちに集めさせるなんていうふうなことも行われてたそうなんですね
で実際にですねこれあの私の
義理の実家のおばあさん今年あの90歳になるおばあさんがいるんですけども
このおばあさんがですね子供の頃なんか知らないけれどもどんぐりをたくさん集めさせられて
そしてそれを学校で
集めていたよっていうふうな思い出として話をしてくださってたんですね
まあだから
閣議決定されて実際に実施されたのかどうかは怪しいですっていうふうな話にはなってたんですけども
けれども集めた記憶がある人がいるっていうふうなことはですね
どんぐりを集めて食べていた人なんていうふうなの当然いたんだろうなというふうな感じになってたそうなんですね
本当にあのこの時期こうやって食べ物がなくてですね
そもそも食料がなくて
戦争を続けられなくねっていうふうなところが当時の内閣でもハザードに使用されてたそうです
実際に
1944年元朝鮮総督府の
小磯さんというふうな方が首相を務めておりました小磯内閣というふうなのができるんですけども
この小磯内閣の方では
余りの食料の無さにゼックしたとか何とかっていうふうなのが伝えられております
そんな感じでですね1944年の段階では本当に食料状況というふうなこんな感じで悪化しておりまして
で基本的にあの配給制度やら何やら頑張って始めてはいたんですけども
戦況の悪化に伴ってまあとにかく食べ物がこうやってなくなっていったんだよというふうなところで
前編の方は一旦締めさせていただこうと思います
で後編の方ではですね
うちの体は外国のお米と大豆でできているというふうな部分のセリフのシーンについて
まあいろいろと深掘りして話をしていこうと思いますのでもうちょっとだけお付き合いのほどよろしくお願い致します
後編
うちの体は外国のお米と大豆でできる
邪気暴力にも屈選といけんのかねというセリフについて
後編では作中後半に出てくるセリフが改変された理由ですとかあとその背景についていろいろと
考えていこうと思います
こちらのセリフはですね昭和20年8月15日
54:00
玉王放送を聞いた後のすずさんのね
道国から始まっているセリフとなっております
基本的な流れはですね原作のコミックとほぼ同じではあるんですけども
すずさんが畑に行ってそして泣いているシーンで出てくるセリフっていうふうなのが
原作コミックと映画では改変されてたりするんですよね
この改変理由に関してはですね
映画評論家の町山智博さんが片渕須直監督にインタビューをしております
でこのインタビューの記事をちょっとそのまま引用されております
でこちらはですね雑誌名が
web遊輪というふうな雑誌となっておりましてそこからちょっと引用されたものを読み出させていただきます
ここですずさんの目に遠くの民家にはためく朝鮮の国旗が見えます
当時植民地朝鮮の人々は呉でも働いており
日本を敗戦によって解放されました
その旗を見たすずさんは海の向こうから来たお米大豆
そんなんでできとるんじゃろうなぁうちはと言います
このセリフの意味もいきなり聞かされたらわからない観客がほとんどでしょう
当時日本は食料の4割ほどを植民地だった台湾や朝鮮から輸入していました
特に朝鮮では強策で不作していた米を強制的に徴用していました
つまりここですずさんは日本が戦争の一方的な被害者ではなく
加害者でもあった事実に気づくのです
原作ではすずさんが朝鮮を暴力で従い取ったということか
というふうなことを直接的に言いますが片渕監督は
それはすずさんらしくないもっと台所を預かるものとしての実感を言わせたいと言って
セリフを変更したそうですというふうな形で
町浜智博さんがインタビュー記事を上げられておりました
変更した理由とかその辺の部分に関しては正解はこれだと思います
私も実際これ以上正解はないなというふうに思いますので
ちょっと町山さんの文章の部分で気になる部分がありますのでこの辺の部分を補足していくというか
まあいろいろと上げていこうと思います
町山智博さんはこの記事の中では
食料の4割ほどを輸入していたというふうな形で書かれているんですけども
これはちょっとソースがわからないです
先ほどもちょっと名前を出しました歴史学者
大波宇田実さんの先時期の外米輸入とかというふうな記録によりますと
当時の国内生産はそれなりにあったというふうに言われております
なので輸入していたお米の割合は多くても
2割を下回っていたんじゃないかなというふうな記録が残っているんですよね
なのでこの4割は台湾と朝鮮から輸入しておりましたというふうなのは
ちょっと違うんじゃないかなというふうな感じがするんですね
もしかしたらクレに入っていたお米が
輸入していたお米はこうなっていたよというふうな形でもなるかもしれないんですけども
日本国全体としてはそんなような状況だったそうです
特に朝鮮に至っては1943年とか1943年は
昭和18年かとかは輸入がゼロの年もあるぐらい
輸入が途絶する年とかというのがちょこちょこあったそうなんですね
57:01
なんですけれども昭和19年と昭和20年に関しては
ちょっと輸入が回復してきていた時期となっておりますので
それもあって少なくとも朝鮮のお米は入ってきていたとは思うんですけれども
けれども4割は言い過ぎじゃないというふうな部分になっております
ただ合ってるなというふうな部分でソースが取れた部分というふうなのがありまして
特に朝鮮からお米を徴用していた部分というふうなのは
当時もあったらしいというふうに言われております
これは別のところからまた引用させていただきます
こちらがですね
多分元々は新聞の記事でそれをホームページ上に載せているというふうなサイトからの引用なんですけれども
戦争中の新聞などから見える戦争と暮らし
愛知県立大学名誉教授倉橋正直さんとお呼びするのかな
この方の記事によりますと
このことは朝鮮人農民に困苦と悲嘆をもたらした
彼らは米を生産するがしかしできた米は強制的に供出させられていたため
自分たちはほとんど食べられなかった
1942年2月
下北に住む中国人の食料対策として満州国からいわゆる満州雑穀
具体的には高粱、阿波、とうもろこし25,000トンが贈られている
日本内地でも食料事情が極度に逼迫した戦争末期には
高粱、阿波、とうもろこしが配給され国民はそれを食べて上をしのいだ
しかしそれはごく短期間に過ぎなかった
朝鮮ではずっと早くからこのような状況が出現した
朝鮮人はおいしいお米を作ったがそれをほとんど食べられず
中国東北地方から送られてきた二級の雑穀である
高粱、阿波、とうもろこしなどを主食として長く食べられさせていられたのであったというふうなところで
書かれておりました
当時こういうふうな感じでですね食料に関して
嫌な思いをしたりとかそういうふうな割を主に食ってたのは朝鮮だったというふうに言われてるんですね
特に
台湾と中国が影響なかったのは何でかというと
台湾と中国でもともと食べられていたのは小麦とか雑穀なんですよね
だから
メインの食料が被ってなかったというふうに言われております
ただ朝鮮ではもともとお米を作っていたぐらいにお米を食べられていた国となっておりましたので
その結果ですね
自分たちで一生懸命お米を作ってお米を食べたいんだけれども
けれどもそのお米を供出させられていたというふうな形になっております
代わりに食べさせられていたのは
この香料ですとかアワですとかトウモロコシだとかというふうな雑穀となっておりました
でこの輸入とかその辺の部分を決めたのはですね
日本の総督府がそうやって決めていたそうなんですね
当然のことながらね食べ物がないのに食べ物をぶんどったら暴動とかそういうふうなのが
起きて叱るべきだというふうなことになりますので
供出する条件として中国から雑穀を仕入れるようにするというふうなところが当時の記録としても
一応農林
省の記録紙みたいなのに載ってたりはしてたそうなので
1:00:00
それを考えたらまあそれなりにね食べ物とかその辺は与えられていたんですけれども
けれどもせっかく作ったお米は自分たちは食べられる全部
供出されることになるというふうなものとなってたそうですね
こうやってあの他の食料
植民地とかその辺の部分では食べ物に関してはそんなに影響はなかったんじゃないかなとは言われておりますけれども
けれども朝鮮はこんな感じであの一生懸命作ったお米はあったとしても
全部日本に取られてしまって食べられなかったというふうなのが
歴史としてあったりしてたそうですね
そのほか割り送って大変だったよというふうな部分にですね
朝鮮の方で送られました3枚を増やす計画というふうなのが行われてたりしてたそうなんですね
こっちの方は今要は
地水の事業をどうも日本の総督と当時の
朝鮮の有力者がお金を出し合ってというか協力し合ってやってたんですけれども
こちらのかかった費用とかその辺の部分はですね
結構な部分を受益の農業者が追うことになっていって
農民は農民でたくさん借金を抱えて米は作るんだけど余計に米は食べられなくてというふうな形で
この辺の部分で当朝鮮の農民に対して
恨みをかわれてたのはこの辺の部分だったんだろうなというふうな感じが
すごくするようなものとなっております
ちなみにこの香料とか阿波とかトウモロコシとか
どんな感じの食べ物なのかというふうとですね
あんまりおいしくなかったよというふうなものとなったそうですね
特にこれはですね
ジージンホーダンの中であのドクマジムシサンダユさんもユウリさんもですね
香料がまずかったというふうな話をすんごいされてるんですよね
なのでさっきちょっと話題を出したあのシャープ11
11回目はちょっと聞いてもらえるとその辺の話題出てきておりますのでね
なかったらちょっとそちらも併せて聞いてもらえるといいかなと思います
でちょっとここで作中の方のセリフの方に戻っていこうと思うんですけども
あのすずさんの道国というふうなのはですね
要は朝鮮の国旗が働いているのを見て外国の
あのお米でうちの体は外国のお米や大豆でできているなというふうな話をしておりました
でお米に関してはさっきも話を
されておりました植民地のお米とかというふうな形も出てきておりますけれども
こと植民地のお米というふうに言いましたがですね
当時のお米はどうなっていたんでしょうかね
確かに外米の方は途絶されていた形となっておりますのでもしかしたら
すずさんが手に入れているお米というふうなのは植民地から来ているお米
だったのかもしれないなというふうな部分もあるかと思います
あと大豆に関しては植民地である中国から来ていた
満州大豆だったことが考えられるかなと思います
なんですけれどもすずさんはこういったふうに形で手に入れられたお米を果たして
なんていうかな農民から取り上げたものだというふうなことで
イメージできたかなというふうに言われると私はちょっと
怪しいんじゃないかなというふうには思っておりますね
というふうなのも一応当時こういうふうな形で
満州とかその辺の食料対策として
こんな形で輸出入が行われていたよというふうなのが大阪の
1:03:01
大阪朝日中止版というふうに呼ぶのかな
要はそこの関西圏で流通していた
新聞とかその辺の部分には載っていたそうなんですよね
載っていたというふうなことを考えるともしかしたら
すずさんも読んでいたのかもしれないなとは思うんですけどね
でもこれを見てそういうふうに悟るのは結構無理があったんじゃないかなとは思ってたりしております
でもこういうふうなシーンの対応をとれば
自分もこの戦争の歯車の一部だったというふうなことに気づいていくシーンでもあるかなというふうに思ってたり
思うシーンでもあると思うんです
実際に戦争の歯車だから我慢できていたこと
諦めていたことというふうなことですね
戦争が終わった途端にすごく悲しくなっちゃったというふうなシーンでもあったりしてて
それが知らず知らずのうちに
戦争として自分の体も飲み込んでいたというふうにもとれるシーンかなというふうに思います
この辺の部分は
本当に見ていたらなんとなく
言われなくてもわかるようなというふうなシーンではありますけれども
けれどもこの辺の部分で本当に残酷なシーンだなって
見ながら私も思ってた部分だったりはするんですよね
特にこの辺のシーン 河野文夫さんの方では
暴力と従えとったいうことかねというふうに
本当に直接的に書かれてたりはするんですけれども
けれども
こういうふうな残酷な部分と言いましょう
アニメーションにするにあたってやり直したのはこの辺の部分はええなんだったかどうかというふうなのは
私も悩みどころだったかなというふうに思いますね
でも鈴さんがというかノンさんの声で
暴力で従えとったいうことかねというふうなのはちょっと聞きたくないなというふうなことを考えると
やり方で良かったんじゃないかなとはちょっと見ながら思ってた部分ですね
そんな感じでうちの体は外国のお米と大豆でできているというふうな部分で
おそらく
鈴さんが考えていたことというふうなのはこんなことだろうなというふうなのは思います
ただどこまで鈴さんが知り得たかというふうなのはちょっとわからなかったかなとは
見ながら思える部分だったように知っておりますね
でそんな感じでですねちょっとあのふわっと作中の解説みたいなものを最後に付け加えた後でですね
えーとそうだちょっと感想的な部分で本当は話し方があった部分はこういうふうなことなんですけれども
この映画基本的には反戦を歌っていない映画ではあります
けれども強烈に反戦というか戦争ってこういうふうなことなんだねっていうふうなことを
思い知らされてくるような部分でもあるのがこういうこの辺の部分かなとは思うんですね
えーとどういうふうなことなんだよというふうな説明が下手で恐縮なんですけれども
あの本当にあの当時こういうふうな形で
普通に生きていただけで戦争の片棒を担がされていた人々だったりはするわけなんですね
でまあ鈴さんはとりあえず言われるがまま配給やら何やらお手伝いをして
言われるがまま滝ありの訓練とかそういうふうなのをやってたりしておりました
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でも当時こうやってあの鈴さんが一人反抗したところで何かなったかよっていうふうな部分でもあったりはするんですよね
でまあ今現在のフィクションとかまあそれこそあの
現代の視線を入れ込んだキャラクターを当時の中に置き込んでいくなんていうふうなことがやられてたりすることが
時々いろんな作画家作品とかに送ってヘキヘキしちゃうんですけれどもけれども
こういうふうな形でそれをやらなかったっていうふうなところに凄みがあるんだろうなというふうに思います
実際にこうやって自分たちがその仕組みの中で生きていて
そうやってその仕組みの中であの
負けていったっていうふうなことに絶望するっていうふうなシーン
そしてそうやってそんなことを知ってしまった後でも
食べていかないといけないし生きていかなきゃいけないっていうふうなのが
結構辛いことだとは思うんですよね
で本当にあのこの映画全部通してみるとまあ概要パートの方でも話しておりました
あの本当に色恋沙汰のねバカだなとかっていうふうな部分ですとか
あとは嫉妬とかその辺の部分の情念の部分ですとかね
実際あの
鈴原さんと鈴さんを悩み止めた判断をした修作さんの話とか
今現在ツイッターで帰ったら絶対に炎上するよっていうふうな内容だったりしておりますしね
あとは
鈴さんが凛さんと修作さんの関係を知っちゃった部分に関してはですね
多分炎上案件だなとは思いますね
けれどもそういうふうな形で見てもあの人間とやそういうふうな状況でもそんなような色恋沙汰って
してしまうよねっていうふうな部分でもあったりはするんですよね
で河野文夫さんの作品他の作品とかもそうだったりはするんですけどもね
なんか全編通して感じられるのは
人間ってバカだよねっていうふうなそういうふうなのを愛おしむような目線だったりはするんです
で実際にそれもですね
こういうふうな悲惨な話でもあったりはするんですけれども
でも悲惨なような状況下においても人はバカな真似をするしバカな振る舞いをするし
そして結果的に大真面目にバカな振る舞いをしてしまうっていうふうな部分が
悲しい部分でもあって面白い部分でもあるよねっていうふうな作品でもあるかと思うんです
その辺の部分が如実に出てくるようなセリフがちょっとこういうふうな形のセリフとして
現れてくるような部分があって
でそれがちょっと分かりづらいっていうふうなところが残念だったかなっていうふうな部分もありましてね
私今回こういうふうな形で解説をさせていただきました
でこの辺の部分が踏まえてもう皆さんもよかったら見直してみてもらえると
それなりに楽しく見れるんじゃないかなとは思いますね
であとはね見直す度に私はやっぱりあの子供が亡くなるシーンとあとはあの
子供が辛い目にあるシーンをですね思い出すだけで未だ現在もナミナミになってきちゃったりするぐらい
まあちょっといろいろと思うことがあるようなそんなような映画ともなっておりますので
まあよかったらこれを機会にまた見直していただけるといいんじゃないかなというところで
今回のお話というふうなのは一旦締めさせていただこうと思います
で最後エンディングパートではですね
結びとして現代の日本が抱えております食料安全保障ですね
1:09:03
これらを踏まえた上で話をしていこうと思いますので
もうちょっとだけお付き合いのほどよろしくお願いいたします
はい今回も長々とお付き合いいただきまして誠にありがとうございます
当番組への感想コメントはツイッターのハッシュタグ
a-aにサブかるんのサブaサブとつけてお寄せくださいますようお願いします
あとジョンさんこの辺の部分間違ってたよというようなご指摘ですとか
あとは今回面白かったですよというふうな感想ですとかございましたら
えーまあぜひお寄せいただけるとありがたいです
あとはあのツイッターのハッシュタグ以外にも長文書きたいよというふうな方がいらっしゃいましたらですね
まあグーグルフォームの方で長文やら何やら受け付けておりますので
そちらの方からコメントいただきますようお願いします
であと重ねてお願いをしたいのがですね
まあ番組の継続の励みになりますよというふうな形になりますけれども
まああの基本的にあの続けていくためのモチベーションというふうなのが切れつつあったりしますのでね
まあ皆さんもこれを聞いて面白かったらで構いませんので
えーと当番組のえーと公式ツイッターの方で挙げられております配信のツイート
引用ツイートですとかリツイートですとかで拡散なりでご協力いただけるとありがたいです
であとはスポティファイの方でレーティングとかも行っておりますのでね
スポティファイの方でチャンネル登録といいねボタンのグッドボタンの評価の方をね
お願いいたしますというふうなところで
提携文を適当に暗証したところで最後の結びの部分を話していこうと思います
で一番最後にですね現代日本が抱えている食料安全保障の話をちょっとしていこうと思うんですけどね
もうこれを話すのがですねなかなか難しかったりするんですよね
あのまあとりあえずこれについて話をしているところがですね
非常に信用しづらいところが書いているというふうなところがあるんですね
まあちょっと今回引用はちょっとしようかどうかは
まあ一応紹介はしておきましょうか
キャノングローバル戦略研究所というふうなところでですね
山下さんというふうな研究員の方がおられまして
この方があの現代日本が抱えている食料安全保障についてまあいろいろと書かれてたりするんですね
で主に何を書かれているかというと
まあ今現在ロシアによるウクライナの侵攻
まあ今現在もあの侵攻というふうなのが続いておりましてまだ
終結する見込みが経ってないというふうな状況となっておりますね
本当にあの状況が日々刻々と変わっておりまして
大変だなというふうなのをねまあニュースやら何やらで今現在も見てたりするわけなんですけれども
まあこういうふうなことが起こっちゃった後でですね
まあ今現在日本国内でもちょっとにわかに心配になってきているよねというふうな部分がありますのが
それこそ中国と台湾がえーとまあ今現在は揉めておりまして
中国が台湾併合のためにですね
まあいろいろことを起こすんじゃないかという
まあ今現在は台湾友人というふうに呼ばれているふうなものがですね
起こるんじゃねえのっていうふうなのがまあいろいろと言われております
まあ実際ねアメリカの方でもあの報道の方で
例えば台湾友人とかが起こるようになりましたら米軍が上に来ますからねとかっていうふうな話をしてたり
1:12:01
ですとかあとはえーとアメリカ軍の軍司令の方がですね
えーと2027年あたりえー今後5年後くらいに
台湾友人とかっていうのが起こるんじゃねえのなんていうふうなのは言われておりますね
まあけれどもあの中国もですねロシアのウクライナ侵攻を見て
台湾友人やろうかなというふうに思ってたと思うんですけども
こんだけ状況が悪化してたりするとですねまあなかなか手を出すのも
えーと難しいんじゃねえかなとは思うんですけどねまあけれども
一応こういうふうな心配事があるというふうなところでまあ日本国内でも例えば自衛隊があの血液製剤の工場を
造産なんか作るですとかあとはあの銃弾薬の補給炉とかがどういうどうしたりするとですとか
あとは沖縄とかそっちの方でですねなんか避難シェルターを新たに作るですとか
なんかにわかに気な臭くなって嫌ななというふうな感じがしているような昨今となっております
そんなような状況下でまあ
もし日本が影響を受けるようなことになりそうなことになりますのが
まあシーレーンになるかなとは思いますね
特に問題になるかなというふうに思っておりますのが
石油でございますねで日本国内に運び込まれている石油はですね
大部分が中東から運ばれております
でこの中東のシーレーンというふうなのは基本的にはこの
日本海側を通るというふうな形になりますので
要は台湾有事とかそういうふうなところでですね
シーレーンが封鎖されると石油が入ってこないというふうな形になります
で現代の日本国の農業を支えておりますのは石油と化学肥料でございます
なのでもしこういうふうなものが入ってこなくなったとしたらですね
日本国内の農業生産に大打撃を与えることになるであろうなというふうになっております
いざとなったらアメリカさんお願いしますでね
太平洋側から石油を持ってくるとかそういうふうなこともあるかもしれないんですけれども
けれどもまあシーレーンを抑えられると結構大変なような状況になるんじゃないかなって
話が出てきてておりますねで
日本国内の食料の備蓄状況とかまあその辺の部分とかも
まあ前編の方でもちょろっとお話はしましたけれども
日本国内基本的にあの自国内で賄えることができる人数というふうなのは
江戸期末期の最盛期の
3000万人ぐらいが限界じゃねえのというふうに言われております
でもしあの日本全体の方を今現在も備蓄やら何やらでどうこうしようかなというふうに思うとするとですね
現代日本の人口が1億2000万人というふうに言われております
でもしも日本国内で例えばお米だけでも
なんとか全員に行き渡るように作るためにはどのぐらいのお米の量が必要なのかというふうに
言われているかというと
1200万トンぐらいが必要になるよというふうに言われております
なんですけれども
日本国内の備蓄している量ですとかあとは流通しているお米の量とかを勘案するとですね
全部で合わせて675万トンぐらいになるそうなんですね
ちなみにこの675万トンは
今年のお米の生産量が生産調整やら何やらをしていた結果
1:15:00
675万トンというふうになっております
であとはあの日本国内で現在流通している備蓄米
流通しているお米ですとかあとは実際に備蓄しているお米ですとか
その辺の部分も合わせましても
この1200万トンには届かないというふうには言われてたりはするんですよね
なので
もし台湾有事なんていうふうなものが起こってシーレーンが封鎖されて
1年間農業できませんよとかっていうふうになるとですね
日本国内での食糧自給とかその辺の部分というふうなのが
まあちょっと大変なことにならあなというふうな状況が考えられるかなと思います
いざとなったらいくらでも金を出しゃええねんというふうなのがですね
通じりゃいいなとは思うんですけどもまあけれどもちょっと
国内の自給とかそういうふうなところとかでは影響が受けることになるかもしれないねという
ふうな部分になるんですね
実際にあの輸入が閉ざされたらどうなるのっていうふうなね
食事のメニューとかっていうふうのが一時期ツイッターで
あのまあ農水省が例として挙げている食事とかが例とか出されておりましたけどね
なんかあの芋の混ざったご飯が出てきて
焼肉とか肉が食べられているのは10日に1回とかになるよとかっていうふうに
出てきておりまして切ないレシピも書くやというふうな状況になるかなとは思っております
この辺の状況を考えると日本国内で全部自給してどうこうするというふうなのはですね
今現在においても結構大変なような状況となっております
そして食料自給の要になるかもなっていうふうなお米に関してはですね
今現在米の値段が安すぎるぞとかねそういうふうなのがいろいろございまして
あとは米の価減らさないといけないとかね
政策上でいろいろと都合がございまして
日本国内で米を作る量というふうなのはどんどん減らす方向に動いていってるんですよね
だから国内の流通量というふうなのは
日本国内全体を賄える量の半分以下というふうな形になっておりますし
あとは備蓄の量というふうなのもとっちゃいるけれども
けれども少ないよというふうな状況になってたりするんですね
そんな感じで
もし何か有事やら何やらが起こった際には
食べ物とかその辺の部分はどうすんじゃいというふうなところで
ここから先ちょこちょこ話とか出てきてたりするんですけどね
けれども本当にここから先の農業が本当にどうなっていくのかわからなかったりはするんですけども
けれども何か本当にこうやって戦争やら何やらが一個ぽしゃり始めるとですね
途端にひもじくなったりするようなことが考えられるような状況ではあるよというふうなところが
今現在抱えているような問題だったりするのかなと私自身は思っております
本当はこういうふうなところで突っ込んで話ができればいいんですけれども
ちょっとソース元が信頼できないところなので
あまりこの辺の部分は話をしないでおこうと思っております
ちなみに今回ちょっと話をしようと思っていた元のところで
何で私が信用できないかというとこのキャノングローバル戦略研究所というふうなのは
バックに大企業とか経団連がついている企業となっておりまして
一例を挙げると自分たちの都合のいいような風設をルフするために
地球温暖化がないとかというふうなことを言い張っていたり
あとこの記事を書いている山下さん自身も
日本国内の米の自給量がこういうふうな形で足りないんだから
1:18:04
米はバカすか作るようにしたらいいじゃないというふうなところを
イシューとして思っていらっしゃるんですね
バカすか作るようにしていいじゃないというふうな形にして減端政策をやめて
今の米の倍を作るようにして半分を国内で回すようにして
もう半分を輸出するようにしたらいいというふうな話を書かれていたりするんですけれども
ただでさえ日本国産の米というふうなのは高くて輸出が回っていかないというふうなのがありますし
あとはそんなことをして回るわけねえじゃんというふうな感じがすごくするんですよね
特に国内でいくら生産費を下げようとしたって
アメリカとかその辺の部分の飛行機で橋をしているようなところに
叶うわけねえじゃんというふうに私自身はどうしても考えちゃったりはしておりますのでね
だからちょっとそういうふうなのはできにもしねえなというふうな部分がありますし
あとここのメッセージっていうふうなところをひもといていくとですね
要は今現在この山下さんの論で言えばですね要は農家が多すぎると
農家が多すぎるからたくさんいる農家を減らして1個のメガ農家みたいなものにどんどん集約することによって
生産効率を高めていたりどうこうすることによって生産費を下げてそういうふうにしようねという
ふうな形で動いていきましょうねというふうな形なんですけどね
それが私たち農家にとってプラスに寄与することなのかというとちょっと怪しいかなというふうな部分も
ありましてねまああんまり信用できないところだなというふうなところになっております
でそのイシューの一つに使われちゃってるのがこの食料安全保障の話かなというふうなのがありまして
ちょっとね紹介するのがはばかれている部分だなというふうな部分がこの辺だったりするんですけども
でも現状今現在の日本の農業を支えておりますのは
石油と化学肥料だというふうなところに依存がない部分だったりしておりますのでね
まあなんかそういうふうな何かがシーレンガ封鎖とか
そういうふうなことが起きて大変なことになって
そして将来子供たちとかその辺の部分がですね
生きているうちに節米レシピ子に戻るような状況にならなければいいなって
私自身は考えておりますね
まあそんなような状況にならないように祈りつつ日々生活をしていくほかないんですけどね
けれども家中にいる世代の私たちができることが果たして何があるんだろうかというふうなのが
今回悩ましいところでもあるかなと思います
実際にねこの映画の方でも語られてた通り
実際に普通に生きている人々に果たして何ができたよっていうふうな映画でもあったりすると思うんですね
まあ反対運動とか投票とかその部分はできたりはするんですけども
でも今現在の政治状況とかその辺の部分を考えると
本当にそういうふうなことって影響ってするのとかね
まあ昔と違ってツイッターとかそういうふうなのでセロンとか雰囲気の上昇とかできたりはするんですけども
まあけれどもね
そういうふうなところでできることが果たしてどれだけあるのかわからないですけども
まあけれどもあの戦争が起きないことを祈りつつ
今回の配信の方は締めさせていただきたいと思います
というわけでえーと今回は不慣れな歴史の話と
不慣れな政治経済の話にお付き合いいただきましてありがとうございました
1:21:04
感想コメントなどございましたらツイッターのハッシュタグAサブまでお寄せいただきますようお願いします
まああとはご意見とかございましたらですね
えーとツイッターのハッシュタグAサブまでお寄せいただくかあとはね
人に見られずに句言を呈したいというふうな場合に限ってでもいい
DMとかグーグルフォームとかも開いておりますので
そちらの方からもご連絡いただきますようお願いします
というわけで長々とお付き合いいただきましてありがとうございましたでは次回もお楽しみに
01:21:38

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