椿奈緒子さんのキャリア
スピーカー 2
Dialogue cafe 筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今回はですね、またゲストをお呼びしているんですが、非常にバイタリティあふれる楽しいゲストの方をお呼びしております椿奈緒子さんです。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
椿さんはですね、もうなんかめっちゃキャリアの変遷というか、いろんなこと経験されてるんで一口にどういう方っていうのが結構難しいんですけど、今は新規事業の立ち上げ系のコンサル?
スピーカー 1
そうですね。新規事業の外部支援コンサルの会社をやっています。
スピーカー 2
もう独立されて?
もう3年ですね。
スピーカー 1
3年ですか。
3年ですね。
スピーカー 2
それ以前はスタートアップのCOOみたいなのをされて、その前がサイバーエージェントと
スピーカー 1
そうですね、サイバーエージェントグループみたいな感じ。その後MBOしてグループではなくなったんですけども、ボヤージュグループという会社で新規事業を立ち上げていって、
その前がサイバーエージェントとサイボーズの合弁会社の代表として役をしていて、その前がサイバーエージェントの新規事業プランコンテストでグランプリ取って、そこの事業責任者をしていて、
一番最初が総合省舎の創実で新規事業をやってたって感じです。
スピーカー 2
すごい、なんか新規事業でずっと。
そうそうそうそう。
新規事業軸。
スピーカー 1
そうなんですよ。新規事業がやりたくてっていうのが強くて、もうずっと新規事業やってますね。
スピーカー 2
もうじゃあキャリアを始める頃から新規事業をやりたいんだっていうのはそうだったんですか?
スピーカー 1
そうなんですよ。就活とか、まあ就活時点ではそこまで絞ってなかったんですけども、就活後半ぐらいから新規事業みたいな。
新規事業開発みたいな。当時は新規事業開発みたいな、新規開発みたいなキーワードだったんですけども。
スピーカー 2
でもなんか学生の時って新規事業開発って何やるかって、私はあんまり多分分かってなかったと思う。具体的なイメージはなかったと思うんですけど。
確かに、それとあとかつその勝者を選ぶっていうところが繋がってなかった気がする、学生の時は。
今はねもちろん勝者ってそういうビジネスプロデュースみたいにいっぱいやってるってわかるけど、
なんとなくイメージ的に貿易してるのかなみたいな勝者ってイメージだったんだけど、
それはもう何がきっかけで新規事業っていうキーワードを持つようになったかってことを、学生時代にもそういうことに勉強したりとか関わることがあったんですか?
スピーカー 1
そうですね、もともと私は外国、ブラジルと日本の架け橋になりたいみたいないう思いが実は大学に入る時点であって、
そこで学生時代に模擬国連委員会っていう国連ごっこみたいなことをすることをしてたんですよね。
そのUNDPでブラジル担当したりだとかUNHCRでブラジル担当したりだとかみたいなことをしている中で、
国連の道に行くこともちょっと考えたんですけれども、委員に行かなければいけなかったりだとか、
意外に公務員だなっていうことがいろいろやっていくうちにわかって、
じゃあちょっとビジネス系にしようってなった際に出てきたのが勝者だったっていう感じだった。
先にブラジルがあるんですね。
ちなみにそれはなぜブラジルが学生時代には服になっていたんですか?
なぜかというと受験の時に逆戻るんですけど、今後のキャリアをみたいなところで、
その前に私高校の頃子ギャルだったんですよ、渋谷の。
スピーカー 2
すごいギャル雑誌のドクモみたいなやつですね。
スピーカー 1
エッグでこういう感じのやつ。
すごいの。90年代のアムロジャーの世代ですね。
黒い時代ね。
ちょっと黒い時代。ガングロの手前みたいな。
で、ちょっとこのままじゃまずいなと思って、じゃあどうしようってなった時に、
もともとグローバルで活躍したいみたいなのがあったんですよ。
でもグローバルって言っても広すぎだよねっていうので、
じゃあどこの国みたいなところで言語や国を調べに行って、
で、中国、私よりも多分中国人の方の方がすごそうだなとか、
新規事業への情熱
スピーカー 1
スペイン語、スペイン語ってすごい色々なところに販布というか多いんですよね。
これができてもちょっとこれっていうことはなさそうだな、
アラビア、ロシアちょっと違うなみたいなところで、
5番目がポルトガル語だったんですよ。
で、ブラジル、ポルトガル語、これだっていう風に決めて、
で、上智の外国語のポルゴっていうところで入って、
ギャルから新規って。
スピーカー 2
すごいね、ギャルやってて何年生くらいのときに?
スピーカー 1
2年のときです。
スピーカー 2
高2?
それ聞きたいよね。
それから上智に入るの?
スピーカー 1
本当に158人中150位とかだったんですよ。
スピーカー 2
高校の学校の成績が?
スピーカー 1
そうそう高校の成績、高校もそこそこ新学校ではあったんですが、
公立ですか?
公立です。
スピーカー 2
高校受験してる?
スピーカー 1
高校受験してます。
スピーカー 2
一応それなりにいい高校入ったってことは、
高校受験は頑張って勉強した?
スピーカー 1
頑張りました。
スピーカー 2
それを頑張って、高校入ってからギャルになったんですか?
スピーカー 1
そうです。
そもそも、もっと前の話が高まると、
父親に大学は遊ぶところではない、勉強するところだっていう風に
すごい言われていて、
立派なお父さん。
なぜなら自分が遊びほうけだからって話で、
俺は本当にもっと勉強すればよかったっていう風に言っていて、
オッケーと。
大学はめっちゃ勉強するからって考えると、
社会人になったら仕事だから、
遊べるときって高校しかないじゃんっていう話で、
高校はとにかく遊ぼうって決めてたんですね。
遊べるような自由な高校に行かなければってことで、
私千葉県出身なんですけど、千葉県の中でも
遊べる自由な高校に行こうっていうので、
一律千葉高校っていうところなんですけども、
そこに焦点を当てて入り、
思いっきり自由だったので、
思いっきり遊びまくって、成績は悪かったけれども、
なんとかなったみたいな。
スピーカー 2
でも学校自体は自由だけど、
割と勉強はみんな雰囲気はあったんですか?
スピーカー 1
みんな頭良かったです。
スピーカー 2
なんとなく自然と、
大学受験はちゃんとやらなきゃな、
みたいなのは思ってた?
スピーカー 1
はい。高2までは遊ぶって思ってた。
すごい。
でもなんか、決めてる感じですね。
めっちゃ決めてました。
すごいメリハリ。
スピーカー 2
メリハリすごく。
スピーカー 1
めっちゃある。
メリハリ。
スピーカー 2
あのね、雑誌の写真ね、
ほんとね、すごいかっこいいギャルなんだけど。
スピーカー 1
後で送ってください。
スピーカー 2
あれを見たら、そんな真面目な子だとは思わないよね。
スピーカー 1
そうそう。
109でお洋服買って、
ミジェーンにブランドバッグ持って、
で、なんかこう大きなリングの、
今もしてますけど、ピアスして、
アムロちゃんメイクして、
こういう感じ。
スピーカー 2
ね。
すごい。
それで、まではポルトガルだと。
スピーカー 1
ブラジル。
ブラジルポルトガルだと。
スピーカー 2
決めて、
で、外国学部っていうか、外大とかそういうとこ含めて、
そっち系ってもう、すぐに決めたんですか?
スピーカー 1
決めて、他にも8校ぐらい受けましたけれども、
基本上地目線で、
上地に入るために上地の対策をして、
ブラジルとの縁
スピーカー 1
入ったって感じです。
スピーカー 2
ちなみに椿さんって、ご主人が、
スピーカー 1
ブラジル人。
ブラジル人。
それは、大学…
それはたまたまです。
大学4年生の頃に出会った感じなんですけど、
大学で出会ったの?
大学の外ですね。
ブラジリアンレストランみたいなところで、
たまたま友達になって、
でも別に外国人好きとか、そういうわけではなくて、
たまたまって感じです。
へー。
スピーカー 2
なんか、ご主人が先に会ってブラジルなのかなと、
勝手に思ってた。
そういうわけではないですね。
スピーカー 1
じゃないんですよ。
肯定的。
肯定的。
肯定的先にね。
スピーカー 2
ブラジルに縁がある。
スピーカー 1
そうそうそう。
それで、結局ブラジル関係は、
大学の成績はあんまり良くなかったんですけど、
ちゃんと勉強してたんですけど、
みんなが頭良すぎて、
ちょっと成績は悪かったんですけど、
色々授業は取っていて、
開発経済学、
ブラジルの経済をやりたかったから、
開発経済学を副専攻みたいな感じでやったんですよ。
模擬国連やってみたいな感じだったんですけど、
まず、ファベラって聞いたことありますか?
スピーカー 2
スラム街。
スピーカー 1
リオデジャネイロのスラム街にホームステイをするっていうのが、
私のファーストステップだったんですよね。
2ヶ月くらい。
それ言うとめちゃくちゃ驚かれるんですよ。
ブラジル人には。
で、いわゆる貧民街がどんなもんなのかっていうのを学び、
次にブラジルに行ったのは、
またちょっと大学に調校しに行ったりとか、ブラジルの。
もう3回目に行ったときに、
ISEC経由で、
ブラジルのリオデジャネイロのNGOで
インターンしに行ったんですよ。
2ヶ月くらい。
そこを2ヶ月で、
テレビに出て、新聞に出て、
ラジオに出て。
スピーカー 2
何だって言って出たの?
スピーカー 1
ブラジルの反対側から来た20歳の女性が、
貧困の青少年を助けるために頑張っているっていうことを、
売りに出すみたいな感じで、
その長がPRを手伝ってくれて、
メディアに売り込みに行って、
目的はファンディングだったんですよ。
なので、お金くださいっていう。
いろいろメディアに出て、
個人からのお金を集めるみたいな、
いう活動をしていた。
大学生?
大学生。
ISEC経由で、
マーケティングみたいなポジションでやったんですけど、
デジタルマーケティングとかそういう話ではなくて、
自分でメディア入れて、
ドキュメンタリーとか作ってもらって、
こんな活動をしていますみたいな。
NGOをやって、
って感じですかね。
それで商社に入っていった。
なるほどね。
開発経済をやって、
あとブラジルでの経験とかも踏まえて、
スピーカー 2
新広告でのビジネスとか、
スピーカー 1
ブラジルのビジネスみたいなところから、
スピーカー 2
商社になったってことですか?
スピーカー 1
そうですそうですそうです。
貧困を打破するためには雇用が必要だ。
だからそのために何をするみたいな。
要はそういう話で、
教育から職業体験をしていくっていう話です。
そういうNGOだったんですよ。
でもそれをやるにも、
やっぱり雇用を作らなきゃいけないよね。
雇用を一番作りやすいところは商社かもね、
みたいなところで、
現地にブラジルに支社がある商社みたいなところで、
そういうところを受けて、
結局そこに行ったみたいな。
スピーカー 2
でも千葉紀さんが入社した頃の商社って、
女性の総合職って本当に少ない。
少なかったですね。
結構苦労されたって聞いたんですけど。
スピーカー 1
苦労しましたよ。
でも1年目はそういうことはあまり感じずに、
がむしゃらに新規事業の部署に入れてもらったので、
そういうことにあんまり遭遇せずに、
いろいろ言われてたかもしれないですけども、
気にせずにがむしゃらにアポデンしまくっていたみたいな。
2年目で新規事業の部署から、
私と事業責任者の課長が外れることになって、
ちくさんっていう牛肉を輸入する部署になったら、
一気に事務職っぽくなって、
そうなったらもう女性みたいな感じで。
一般職的な。
でもみんなそういう仕事をするんですよ。
商社って輸入事務から入るので。
でも私はたまたま1年目でしなかっただけで、
2年目で輸入事務をすることになって、
あまりにもつまらなくて。
っていうのと、
女性的な扱いを受けることが多々あり、
ちょっともう無理だなと思いながら、
私はいつブラジルに行けるんですか?
みたいなことを面談のときに聞いていたら、
あと10年後かなっていうふうに言われて、
あ、ごめんなさい、私もう待ってません。
っていうことで、
今年2年目の秋に就活を始めて、
就活じゃない、転職活動か。
サイバーエージェントに行ったっていう感じですね。
スピーカー 2
ちなみに女性的な扱いっていうのはどういうようになったんですか?
スピーカー 1
具体的に言うと、
元コギャルの入社と初めての仕事
スピーカー 1
例えば何か打ち合わせとかあると、
まず来客とかで、
椿さんお茶とか言われたりとか、
え?みたいなすごい私めちゃくちゃ生意気だったんで、
え?なんですか?みたいな。
すごい言っちゃったりしてて、
本当ごめんなさいって感じなんですけれども。
とか、あとそのいわゆる、
なんて言うんですかね、
全体会議のときに、
ここからは女性の方は席に戻ってください、
みたいな話で、
親って感じだったんですけど、
要は私以外、
そこの大きな部下では、
私以外、女性は一般職や派遣さんだったんですよね。
ここからは派遣さんは聞かなくていいよ、みたいな。
いう感じとか、
親って感じじゃないですか。
っていう、
一般職女性には慣れてるけれども、
総合職女性の扱いに慣れていない現状が
多々あったりだとか、
いう感じだったんですね。
っていうのが、
それもあるし、
それはそれで仕方ないかなとは思ってたんですけれども、
やっぱりフロントに出れないみたいな、
10年待つんかい、みたいな。
長いですね。
長すぎって思って、
もうちょっと早く活躍できるかなって思ってたんですよね。
やっぱり大学までは無双みたいな感じで、
自分が計画してた通りにことが運べて、
だいたい自分で手を挙げればうまくいってたのが、
社会人になって一気に、
例えば事業プランとかを考えて提案とかして、
出してたんですよ。
何をひょうひょうと、
みたいな感じのことをされたりとか、
スピーカー 2
1年目例とかそういう感じ?
スピーカー 1
そうそうそう、そういう感じ。
っていうことが多々あって、
なんかちょっと違うなと思ってたのと違うみたいな、
そうそうそうそう、
男尊女卑、年功序列みたいな、
そこを目の当たりにして、
多分そういうのがない方が私はいいかも、
だいぶに思って早めに入れたなと思って。
じゃあそうすると、
スピーカー 2
2回目の大二新卒的な感じでの就職活動は、
スピーカー 1
もうスタートアップとか若い会社とか、
スピーカー 2
そんな感じで選んでたんですか?
スピーカー 1
そういう存在あまり知らなかったので、
いわゆる転職相談みたいなところで、
女性でも若くても活躍できるところ、
かつ新規事業ができるチャンスがあるところ、
もうこれしか聞いてなくて、
そうしたら出てくるところが、
だいたい今でいうメガベンチャーだったんですよ。
新規事業の立ち上げ
スピーカー 2
当時の栽培人にとって、
どのぐらいの規模だったんですか?
スピーカー 1
多分300人とか?
それぐらい前後ぐらい。
今でも上場していたので、
私が入ったのが2004年の1月だったので、
新卒採用し始めて2,3年目とか?
そんな感じのペースですね。
結局、いろいろ受けて選んだのが
サイバーエージェントだったんですけども、
入ったら、私がすぐに言ったのが、
面接の時も男尊女貴とかないですか?とか、
運行上レスとかないですか?とか、
あとは新規事業、
チャンスはありますか?みたいなことを、
すごいホリホリ聞きまくって、
普段、面接って、
マックスでも1時間とかじゃないですか。
でも、質問が多すぎて、
1時間半とか結構時間オーバーして、
やってもらったりとかして、
面接していただいた方に今でも、
たくさん時間オーバーして、
まだ覚えてるよって言われたりします。
これ、今の人事担当役員の
マックスなんですけど。
サイバーエンジニアと入ってからは、
スピーカー 2
もうすぐに新規事業系の?
スピーカー 1
入ってすぐに、
まずはインターネット広告のことを知らないとね、
ということで、
インターネット広告事業本部で、
いわゆる営業の仕事を始めたんですけども、
これがめちゃくちゃ面白くて、
まだまだ2004年とかだったので、
頑張って勉強はするものの、
代理店営業とクライアントで言うと、
代理店営業の方がすごくリテラシーが高くて、
すぐに受注が取れやすい時代だったんですよね。
商社とかだと、
新規営業ってすごい難しかったんですよ。
1年目の時のアポデンに比べたら、
なんて簡単なんだろうみたいな。
もうバシバシ受注取れるし、
なんかすごい喜ばれるし、
なんじゃこりゃみたいな感じで、
すっごくやりがいがあったんですよね。
っていう営業の仕事もとても楽しかったし、
あとなんか、
自分から提案して、
その組織に対して、
例えばこういうのやりませんかとかって、
いいねやってよみたいな、
そこのノリがいい。
商社の時は、
まずは何をひょうひょうとか始まってたのに、
いいねいいねみたいな感じの雰囲気が、
何これみたいな感じで、
一個一個感動的で、
最高でしたね。
っていうのが半年くらい続いて、
半年後に授業プランコンテスト始まります、
みたいな。
っていうので、
もう絶対やると思って準備して、
で、グランプリをいただいた。
スピーカー 2
半年でもうグランプリを取れたってこと?
スピーカー 1
半年。
そこからスタートして。
入社して半年後くらいに、
告知があって、
第1次審査みたいなのがあると思うんですけど、
そのリードタイム多分、
2ヶ月弱とかだと思うんですけど、
で、それでグランプリをいただいて、
一応私のキャリアプラン的には、
1年目に営業で結果出して、
2年目にリーダーで、
3年目にマネージャー、
4年目に授業責任者補佐、
5年目に授業責任者。
計画的。
計画はしっかり立てる方だもんね。
っていう計画でやってたのが、
まさか半年で授業責任者になれるとは思ってなかったので、
それは嬉しい誤算だったんですけど。
どんなプランだったんですか?
プランは、女性向けのコスメのサンプルボックスを
オンラインで販売して、
試してから買うみたいな。
サンプルを試してから本購入をするみたいな、
要はサンプリング事業を提案したんですよね。
当時リクルートさんが、
VIVACOっていうコスメの雑誌に、
百貨店のサンプルをつけてっていう雑誌が、
馬鹿売れしてて、
期間中だったんですけども、
2万何千部みたいなのが、
すぐに無くなっちゃうみたいな。
っていうのを見ていて、
それのオンラインコスメ版で、
オンラインコスメのお客さんとかも見ていたんですけども、
トライアルセットを買うのに、
その倍もしくは3倍くらいの広告単価を出して、
そのキャンペーンを回してたんですよね。
これもうちょっとコストを抑えられるよねっていうのと、
そういうのを求めてる忙しい女性のユーザーもいるよねっていうので、
それのオンライン版みたいな感じで提案しました。
すごい。
スピーカー 2
実際にその事業を立ち上げることになって、
チームを組んで社内で立ち上がったんですね。
スピーカー 1
そうなんです。
チームを組むときとかって、
スピーカー 2
アサインも自分でできるんですか?
スピーカー 1
そこは人事の方にやっていただきました。
まだ入って半年だし、
分かんないですよね。
分かんないし、みたいな。
一番初めにやったのは、いわゆる事業計画をつくるみたいなところ。
もちろんそれも初めてだったので、
教えてもらえる方々がいらっしゃったので、
聞きに行って、これでいいですか?みたいな感じで教えてもらいつつ、
人事のところは内定者アルバイトとか、
あとは1年目とかの方々をアサインしてもらって、
開発周り、システムとかは開発局みたいなところがあったので、
そこにの方々をアサインいただいてみたいな感じで、
その人事体制周りはかなりオンブに抱っこでやってもらいました、最初は。
スピーカー 2
新規事業やりたいとは思ってたけど、
でも本当にやるのって初めてじゃないですか。
サービスインまでの大変さと成功
スピーカー 2
実際の数字の、自分で数字上げていくわけだから。
どうでした?
スピーカー 1
最初はガムシャラでしかないみたいな感じで、
まずは思い描いていたサービスをサービスインするまでが大変だったんですよね。
ウェブサイトだけだったら簡単だったかもしれないんですけども、
まずはサンプルボックスを作るというところで、
サンプルを複数者から集めて、かつお金をいただくというモデルを
まず事前に準備しなきゃいけなくて、
それを今度はユーザーに向けて販売するということが必要で、
それに対してウェブサイトを作る、
ECサイトを作るというのが当時めちゃくちゃ大変で、
今は30秒で作れるみたいな感じですけども、
ゼロからスクラッチで作っていたので、超大変だったんですよね。
なのでギリ半年、サービスインまで半年以内に立ち上げなければいけないみたいな、
スピーカー 2
そういうルールがあったような気がしていて、
スピーカー 1
営業と受注とサイト制作まで半年くらいで準備して、
やっと販売開始みたいな。
ところから今度は販売開始も大変で、
そこからデジタルマーケティングをやっていかなきゃいけないので、
もうガムシャラですね。
スピーカー 2
初めてやることばかりですもんね。
スピーカー 1
超ガムシャラでした。
スピーカー 2
リクルートさんのやつとか、コスメのやつとかで、
なんとなくメーカー側もイメージできなくはないかなって気はするんですけど、
スピーカー 1
とはいえでも初めてじゃないですか。
スピーカー 2
前例がないっていうか、
例えばこれぐらい入れたら、
スピーカー 1
メーカー側にもこれぐらいのお客さんが本購入に行きますみたいな、
数値も出せない中で、
スピーカー 2
最初にそのメーカーさんたちをパートナーとして引き入れるっていうか、
スピーカー 1
載せるのって、
スピーカー 2
どういうプロセスで届くのかっていうか、何をさせるのか。
スピーカー 1
今思うと、
95%ぐらい、
思いとパッションでしかなくて、
ほんとごめんなさいって感じなんですけど、
思いに負けて、
じゃあ出しますよみたいな。
ほんとそれでしたね。
ほんと申し訳ないって感じなんですけど、
でもお金もいただいて、サンプルもいただいて、
いろいろご協力いただいて、
スピーカー 2
会社側は基本的にはもう半年間は好きにやっていいよって、
必要なことは言ってくれたらサポートするよ、
ぐらいのそんな感じのスタンスなんですか?
スピーカー 1
そうでもなくて、
いい意味でちゃんと担当役員はつけていただいて、
定期的なワンオンみたいなのもありながら、
あとグループ経営者会議みたいな、
事業責任者会議みたいなのもあって、
そこで進捗報告したりだとか、
全然放牧じゃないですよ。
レポートラインはしっかりあって。
さっき半年でサービスインするみたいな、
マイルストーンが会社でもあったときに、
例えばどれぐらいで黒字化しないといけないとか、
そういう目標みたいなのもあったんですか?
ありますよ。
これは公開されているので、
資料もググれば出てくるんですけれども、
事業プレーンコンテストがスタートした際に、
同じように新規事業制度みたいなのもできたんですね。
要は新規事業の格付け、
J1、J2、J3という当時はですけれども、
J3は単月あらりいくら以上上がったらJ2に上がって、
J2は単月あらりいくら以上、
J1の場合は単月黒字とか、
ちょっと忘れちゃいましたけど、
みたいな感じののがあったんですよ。
単月のプラスその期間みたいなのがあったんですよね。
っていうのがあったので、
いつまでに立ち上げなければいけないってのはなかったですけども、
一寸みたいなところで考えもあったりとかしたので、
そういうのを鑑みつつ、
ざっくりとした事業のルールはありました。
なので立ち上げてから半年以内に、
当時ですけどね、
黒字のあらり500万円以上出さなければいけないっていうのが、
J2に上がる条件だったんですけれども、
今思えば結構難しいなって思いますね。
一部広告事業もありましたけれども、
今新規事業で立ち上げた半年以内で、
スピーカー 2
月額のあらり500万って結構難しい。
新規事業立ち上げの大変さと社内の一揆
スピーカー 1
一応それクリアしたんですけども、
スピーカー 2
よく頑張ったなって思います。
その事業をどれくらい?
スピーカー 1
それをトータル1年ぐらいですかね。
でもその昇格とか降格とか、
そういうタイミングもあるんですけど、
それとは別で見直す時期があって、
そこでちょっと継続は難しいだろう、
みたいなところで、
うちの事業とあともう一つ二つぐらい、
一緒にクローズになって、
要は今回はコスメのサンプルですっていうのを、
振り切るじゃないですか。
そしたらまたゼロから始まるんですよね。
全てゼロから始まってめちゃくちゃ大変だったんですよ。
自転車創業とはこういうものかみたいな。
また一番最初のうちは思い出がいいよみたいな感じで、
サンプル1000個とか提供するの結構大変じゃないですか。
かつお金もいただくみたいな。
リピートの概念もあまりなかったですし、
すっごい大変だったんですよね。
それに合わせた箱も作って、
車両の準備してとかめちゃくちゃ大変だったんですね。
その中で成長の中で、
社内の一揆みたいなこともあったりして、
松崎さんについてきませんみたいな。
スピーカー 2
社内のチームのところ?
スピーカー 1
そう。
呼び出されて。
スピーカー 2
その社員の人?
スピーカー 1
そうです。人事に呼び出されたんですよ。
そしたらそこに社員がいて、
何?みたいな感じだったんですけど、
そしたらもう何か、
松崎さんと一緒に仕事ができませんみたいな。
スピーカー 2
それは何ですか?
松崎さんは思いが結構強いから、
割と頑張るぞみたいなテンションだったかなってこと?
スピーカー 1
私も最初はハッて感じだったんですけど、
よく聞いていると、
授業をやる上で大変なのは分かるけれども、
松崎さんだけが頑張っていて、
もっと私たちチームなんだから、
一緒にやってほしいみたいな。
まあ要は、要はそれ。
一人で抱え込みすぎて、
自分だけやってるけどとか、
そのやり方とか、
私もいっぱいいっぱいすぎて、
組織とか考えられてなかったんですよ。
スピーカー 2
社会人まだ3年目ぐらいでしょ?
そうそう。
3年目ぐらいで、第2新卒で入って、
半年で新規事業責任者だから、
マネジメントの経験なんてないじゃんね。
スピーカー 1
そりゃ大変だよね。
言い方はあれですけど、
本当にあの時の松崎さん北朝鮮だったよねって、
言われるくらいヤバかったですよね。
授業しか見てなかったんですね。
これをやるためにこれをしなければいけない。
目標を達成するためにこれをしなければいけない。
でもこんなにギャップがあって、みたいな。
本当にがむしゃらすぎて、
そっちの方が崩壊していることに
気づかないくらいヤバくて、
気づかせてくれたみたいな。
チームマネジメントと組織の問題
スピーカー 1
そこから結構変わってきて、
考え方があ、そっかとか思って、
単に気づかなかったんですよね。
一生懸命すぎて。
そうやってもっと頼ればいいんだとか、
こういうことはお願いしちゃえばいいんだとか、
そういうレベルで、
じゃあもうちょっとこれから相談するし、
もっとやってもらうし、
困らないようにするし、
授業もみんなで楽しめるっていうか、
みんなでやれるようにしよう。
その授業のコンセプトや
あつばきさんの思いに共感してやっているのに、
全然巻き込んでくれないみたいな。
いうのが、そっかそっかみたいな。
みんなすごい泣いて。
私も多分泣いて。
女性が多いチームだったんで。
男性もいましたけどね。
っていうのを経て、
ちょっとまたひとかを抜けて。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
それで一つ目の授業で学んだのが、
組織崩壊をしないように、
いかにみんなの力を合わせてみたいな話と、
あと自転車創業すぎたので、
なんていうんですかね、
狩猟民族の授業だったんですよね。
なのでなるべく狩猟民族じゃなく、
できれば果樹園系。
一回種を植えたら、
ちょっと時間かかるけれども、
勝手に実がなって、
それをただ摘むだけで、
安定的に成長し続けるみたいな。
いうような授業に次はするぞ、
っていうことが学び。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
狩猟民族授業ではなく、果樹園。
果樹園授業。
濃厚になっていかないということですね。
そうそう。
すごく痛い思いをしながら学んだ、
1個目の授業です。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
さっきのビジネス、
スピーカー 2
新規授業を推進していくのと、
スピーカー 1
あとチームマネジメントの。
スピーカー 2
ゆう子ちゃんも前話してたよね。
スピーカー 1
ゆう子ちゃんもそこ分けた方がいいと思う。
スピーカー 2
ゆう子ちゃんもチームマネジメントがそんなね。
そうそう。
私もそんなに好きではないね。
で、
なんか、
やっぱり一人の人がさ、
授業も全部見て、
人のケア、
ざっくりみんなのビジョンを引っ張っていくとかいいかもしれないけど、
一人一人本当にケアしなきゃいけない、
ワンワンやって、
その人のキャリアに寄り添ってとか、
っていうことを一人の人が全部やろうとすると、
スピーカー 1
無理じゃない?
スピーカー 2
そうそう。
能力とかキャラクターみたいな問題もあるし、
あとキャパの問題でも、
今多くの日本企業の、
やっぱりドルマネジメントの人って、
その両方の責任を負わされてて、
でもみんな無理じゃん?みたいな。
向き不向きもあるし。
みたいなのって、
うまく役割を果たすとか、
なんかないのかね?っていうね。
一人でやる必要はないよね。
そうそう。
それもね、だからそういう意味では、
そんな大きな組織じゃなかったっていうのはあると思うんだけど、
もう椿さんだけがそれを全部やらなきゃいけない状態で、
成長と経験の進化
スピーカー 2
例えば対等とか、
一緒に補佐してくれる相棒みたいな人がいて、
役割分担したり、相談したり、
今みんなの意見を聞いてて、
こうだよって教えてくれるとか、
そんな人がいたら、またちょっと違ったかもしれないですよね。
スピーカー 1
多分そういうことを作るのも自分の役割であって、
そこまでは頭回らない?
気づかない?
そういう入社さんが。
社会人3年目ですね。
そうそう。
新規事業立ち上げって言っても、
事業側のことだけやってたのが、
大崩壊したのが1回目だったんですけど、
そこからはもう半々になりました。
自分の役割は。
事業戦略、事業立ち上げ、
ビズデブ的な話ですよね。
スピーカー 2
っていうところと、もう半分は組織の。
スピーカー 1
がもう2個目以降。
スピーカー 2
なるほどね。
でもまあね、やりたかった新規事業を、
実際に経験してみるってことが、
わずか3年目で、
社会人3年目で実現して、
そこからさらに、
子会社社長とかジョイントベンチャーの
スピーカー 1
社長になっていくっていう感じになるわけですけど、
スピーカー 2
ちょっとまあ、ここで30分くらい経ったから、
それは次回2本目で聞きましょうかね。
わかりました。
めっちゃ1本目から濃い感じ。
スピーカー 1
濃い濃い。
スピーカー 2
濃い話ですね。
そうだね。
じゃあまた。
また引き続きお願いします。
スピーカー 1
ありがとうございます。