ファンドマンの日常 今日も始まりましたファンドマンの日常
ABF Capitalの代表の熊原です。同じく取締役の伊達です。 取締役の中野です。
その後、ナポレオンだけじゃなくて、いろんな権力者に好かれて、もともとナポレオンの元で名声を高めていったんだけども、
ナポレオンが負けた後、ロシアの皇帝がパリに入場した時に、ロシアの皇帝はどこに泊まろうか、というのでタヘランの家に泊まることになって、
そこでカーレムを見つけて、お前、いいな、みたいな形で、ロシアの皇帝がカーレムを自分のおかかりにするっていうわけですけど、
こっからコースに乗ったみたいなのを?
そうそう、それでカーレムはロシアの、ロシア流の料理の出し方とか飾り付けとかっていうのを学んで、
これ結構いいじゃん、っていうので、それをそのままフランスに持ち込む、っていうのをやって、
ちなみにこのロシアのこの皇帝はめっちゃ美食派だったらしくて、
これもナポレオンと違ってカーレムはすごい喜んでたみたいです。
ナポレオンはもう本当に食事が嫌いだったみたい。
20分以上食事に時間を使うとだんだんイライラし始めて、おばめき散らし出すっていう習性があったみたい。
それはヤバいな。ファストフードレベルが一品しか出せないのよ、さっきのコース料理の話。
確かにね。全部一気に出さないといけない。
それに引き換えこのロシアのアレクサンドル一世っていう人はめちゃめちゃ料理が好きで、
カーレムのことをちゃんと評価してくれたっていうので、カーレムはすごい嬉しかったみたいです。
イギリスの皇太子に使えたりとかするんですけども、
このイギリスの皇太子はもう美食派なんだけども、体重が127キロあって通風持ちだったらしいんですけども。
神経が多くない?
このカーレムのすごいところは、カーレムが担当していた期間中は一度もこのジョージ四世に通風のホストを出させなかったらしいんです。
どの食材が健康にいいかみたいなのを気を使って料理を作ったみたいで、
だからどんどん食べるのにどんどん健康になっていったっていう技術が残っていて、
健康にも気を使う料理を作れたっていう、本当に天才料理人って感じです。
一家に一人欲しいですね。
ただこのカーレムはイギリスではその部下にはすごい嫌われていたみたいで、
なぜかというと当時のイギリスの監修で宮廷とか貴族が出して余った料理っていうのを就任が持ち帰ってよかったらしいんだけども、
カーレムはまずそもそもコース料理で出すから余りが全然出ないっていうのと、
たまにヨーロッパ式で大量に提供して余りがどんと出るような宴会があったときも、
その余った料理をカーレムは自分で集めて出入りする商人に売ってたらしくて、
カーレムは今イギリスでも有名で、カーレムが作った料理っていうだけで食べ残しでも高く売れたみたいで、
それを使用人が、本来だったら使用人の就任になるのに、
カーレムは自分で余った料理をかき集めて商人に売って自分の就任にしてみたいなことをやってたせいで、
めちゃめちゃ部下から嫌われていたみたいです。
なるほど。
商売人というか、そういう身を立てる術を身につけていたっていうところで結構したたかな人です。
ロシア食おうって言ったら、めちゃめちゃそれだけでも儲かりそうだけど、
なんだろうね、その頃の金銭事情。
それはね、やっぱりね、そんな今ほど高い給料、旧邸の人だからと言ってもらってるわけじゃなさそうなんだよね。
まあ給料高いんだけど、たとえば、一応残ってるのがね、このジョージ4世のとこに引き抜かれたときは、
今で言うと年収3000万円ぐらいで引き抜かれてるらしい。
おお、十分じゃん。
王族の、当時の最高権力者の専属の料理人としてはそんなもんかっていう気がしちゃうよね。
もっともらってもいいかもしんないね。
でも当時それでも結構破格だったみたい。
当時のロシア皇帝の自住町、日本で言ってみれば国内町長官みたいな人。
給料が1400万円ぐらいだったらしくて、今の日本円にして。
皇帝の横でいつもいる大臣っぽい人よりもたくさん給料もらってたらしいです。
すごい。
一応高い給料もらってた。
たぶん今の最高の料理人とかでもっとすごい稼ぎ方してる気がするのに。
って思うとちょっとまだまだやっぱり貴族が頑張ってたんだなっていう気がする。
だってまたロシア行ったりビーン行ったりとか色々するんだけども、
その後が歴史を動かすみたいなことで、ビーン会議に参加することになるんですよ。
いろんな人に使われた後にナポレオンがいろいろやらかして、
フランスの領土どうするかどういうふうに活用するのか、
ビーン会議が開かれたと。
今いわゆる会議は踊る、去る、進まず、ビーン会議です。
その会議は踊る、踊って踊るの時に出されてた料理は彼の料理で。
ちなみにタレーランってシャトーオブリを所有してるんです。
個人で。この時にね。
ビーン会議の時の外交の手段、美食外交をしてたっていうんだけども、
そのうちの一つにワインがあって、シャトーオブリを所有してるから、
シャトーオブリを開けまくっても飲ませまくるっていうのをやってたらしいです。
いいなあ。
会議の場で酒飲むっていう発想がまず面白いよ。
ならでは日本じゃありえない。
この辺がやっぱりタレーランの腕の見せどころです。
お酒飲ませて、うまいもの食わせて、気を良くしてっていうのをひたすらやって、
カーレムの料理に世界中の大使の人たちが魅了されて、
あの料理食べたい、あの料理食べたいって毎晩毎晩タレーランの宿まで大使が押しかけてきて、
カーレムの料理食わせろみたいな感じで、毎晩毎晩密談ができた。
それですごい目回しをちゃんとできて、
委員会議の場で自分たちの主張を通すことができたっていうので、
そもそも敗戦国なのに会議のテーブルに座っていること自体がまず異例なんだけども、
確かに。
なのにすごい主張を通して、
そもそも我々フランスもナポレオの被害者なんだから保証なんてしなくていいよねみたいな感じで、
政党主義っていう、フランス各国が生まれる状態に戻しましょうよみたいなことを主張して、
それを他のロシアの皇帝もプロジェクトの皇帝とかも、
当然革命起きてほしくないから、
その主張を通してほとんどフランスに被害がなかった。
買収金も払わなくてよかったし、
ましてや一部の権益まで確保したという、天才的な外交をタレーランが見せて、
フランスが、もし民間で大量の買収金を請求されていたら、
第一次世界大戦終わった後もドイツみたいにボロボロの状態になっていたはずなのに、
そうならず、フランスの国力を維持したままの状態で、
19世紀を迎えることができたっていう、天才的な外交。
この功績でタレーランはすごい有名になっていますけども、
実はその裏にいたのがタレーランだったということで。
すごい偉大だな。
実は歴史の裏に偉大な料理人がいた。
料理人会議とか。
そう。
料理人会議とかでしばらくはフリーランスで働くんだけども、
どの貴族もカーレーも自分たちのもとに抱えたいと思っていたけど、
誰もカーレーを満足させることができなくて、
使える食材とか厨房とか、そもそも給料にしても使えることができなかったんだけど、
タレーランを最後捕まえることができた人というのがロスチャイルです。
パリのロスチャイルロケって当時はフランスの国王に40倍の資産を持っていたらしいんですけども、
イギリスの国王に40倍の資産を持っていたらしいんですけども、
とんでもないオファーを出してくれて、それでカーレーも行きます、みたいな感じで
ロスチャイルロケに行くんですけども、ロスチャイルロケって当時、
お金は持っていたんだけども、癒やしい銀行家みたいな。
そういうふうに見られていて、
成金みたいな感じで社交会の地位がすごく低かったらしいんですけども、
カレームの料理で宴会をして、
女流階級がロスチャイルロケに来たい、カレームの料理を食べたい、みたいな形で
週4で大規模な宴会をロスチャイルロケがやっていたらしいんですけども、
カレームの料理を作らせて、みたいな感じで、
それで一気に社交会をロスチャイルロケが駆け上がっていって、
社会的な地位、貴族並みの地位を手に入れることができたという影響力も持っていました。
ちなみにここもまたワインなんだけど、
このカレームのロスチャイルロケでボンボン使っていたワインというのが、
これは当時はわかると思うけど、シャトーラフィット、シャトーラフィットロスチャイル、
これはロスチャイルの畑なんで、持っていて、
ペッソーのパーティーとかで2660本開けたみたいな。
今の価値にしてみれば、それだけで2、3億円の。
すごいなあ、でもちょっとワインの話になっちゃうけど、
今の五大シャトーと呼ばれるものの中に、もちろんロスチャイルロケが所有しているというか、