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2024-08-23 28:11

第157夜 『岐阜・長良川、青春と川べりの家。』

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放送回:「岐阜・長良川 流れを見つめながら」(2024年7月12日)

サマリー

このエピソードでは、岐阜の長良川を舞台に、川と人々の生活の豊かさが語られています。長良川の美しさや清流としての魅力、周辺の歴史や文化にも触れながら、観光資源としての重要性が考察されています。また、岐阜の長良川における人間と自然との共生、特に地元民の川に対する愛着が強調され、コロナ禍におけるバーベキュー禁止の影響についても言及されています。川と学生時代の思い出との結びつき、ボランティア活動を通じた環境保護の重要性も示されています。岐阜・長良川の魅力や川との距離感、車社会による変化を通じて、地域の青春や人々の集まり方を探ります。

長良川の美しさ
真夜中、コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、1つの場所を72時間にわたって定点観測する、某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、岐阜・長良川、流れを見つめながら、という回について話していきます。
舞台は、岐阜市の街中を流れる長良川、ですね。
有名なところで言うと、迂回だったりということがあって、それに密着したシリーズのものではあるんですけれども、川と人々という、これまで72時間がいくつか描いてきたシリーズの1つかなと思っている回になっております。
ということで、本田さんいかがだったでしょうか。
天変を通して、川がある生活ってなんでこんなに眩しいんだろうって思う。毎回ね、72時間で川を密着したときってちょっとそういうとこあるんですけど、よりなんかやっぱりこの普段の生活みたいなところの豊かさみたいなのを、本当に出してくれている回だなと思っていて。
というのも、これね、実は自分、岐阜に住んでいたことがあるので、今回のね、この長良川っていうところもよく知ってるんですけど、そういう意味では自分もこの場所自体はね、あんまり毎日行くような場所ではなかったんですけど、結構何回も行ったりとか、本当にああいう風に川べりで佇んでみたいなこともやってたので、なんか懐かしいなとかって思いながら見てたんですけど。
ただ、自分は別に岐阜で育った人間ではないので、あれがいかに豊かなことかっていうのも逆に感じたんですよね。それこそもう大学の先輩後輩で、多分カップルかなんかだと思うんですけど、先輩を連れてきましたみたいな人もいたりして、岐阜に最初から住んでる人はそこで本当に生き物観察とかしたりしてるんでしょうけど。
なかなかあんな綺麗な川が街中を流れてることってないので、普通川って言ってもあんな近づかないし、水バチャバチャ遊ばないし、そんなにまずあんな魚が泳いでるのが透き通って見えるっていうことが街中でありえないなと思っていて、そういう意味でも本当に素晴らしいんだよっていうことを改めてね、多分岐阜の人ってそんなに感じてないと思うんで、これを知らしめるいい回だなと思って。
だって清流ですからね、清い流れと自分で言い切るというね、これはなんかやっぱすごいなっていうのがあって、多分ね、なんでこんなところ撮影してるんだろうとか密着してるんだろうって思う人もいっぱいいたと思うんですけど、いやいや素晴らしいんですよっていうことが、よくわかる回だったなと思いますけどね。
なんかそのね、清流だからなのかあれですけど、川の水と距離が近いですよね。
そうそうそうそう。
なんか僕も本田さん岐阜って話で、僕は別で神奈川だったんですけど、同じ川の近くに住んでたんですよ。
で、それは川沿いの桜並木がすごい有名なところに住んでたんですよね。
はいはい。
だから川は僕にとっては桜がメインであって、川は付属品というか遠くから眺めるものなんですよ。
で、神奈川とかだと、神奈川の川も今回の長原川でも出てた暴れ川じゃないけど、結構雨がすごい降ると洪水になったりしちゃうような川だったんで、やっぱこう堤防工事みたいなのがすごいわけですよ。
すごい高さが上がっちゃってて、そもそも水に触れるためには、降りられはするので一応降りられるんですけど、そうしてまで別に降りようとも思わない、眺めるだけの対象というか、っていう認識なんですよね、川自体が。
だからこういう岐阜が危ない後半出てくるじゃないですか、大雨だと閉じる水門の話とか、そういう一方ありつつも今も近い距離感みたいなところが、なんていうんでしょうね、綺麗になりすぎてないというか整わりすぎてない感じが、そういう文化を調整してるっていうとあれですけど、近い距離を生み出してああいう空気感を作ってるのかなっていうのは思いますよね。
そういう意味ではね、たぶん山岸さんが言う通り五眼工事とかっていう話で言えば、あれ多分相当デザインされてあの状態になってるんですよね、本当に結構岐阜の川って雨の時の暴れ川っぷりがすごいので、岐阜県にいろんな川流れてるんですけど、上流の方とかでね、いわゆる日田高山あたりぐらいから急激な流れを持ってやってくるわけなんですよ。
で、その五眼工事もあれ、あそこの今回撮影した場所以外のところで結構ゴリゴリにやっていて、その結果ああいう形でも成り立っているっていうのが長浦橋近辺だと思うんですよね。で、長浦橋近辺ってあそこって、だからもう岐阜の中ではもう岐阜ど真ん中なわけですよ。
めっちゃなんかね、街中ですよね、あれ。
みんなが川遊びできて立ち寄れる場所みたいなのは、多分現代だとデザインされないとありえない。
で、それはそれで本当にもう上流の方でしっかり五眼工事をして、まあそれでも本当にね雨の日とかは結構水が寄ってきたりとかするんですけどっていうのがあるので、相当これを守ろうとして意識してできた文化なんだろうなっていうところを踏まえて、そういう意味でもなんか豊かだなと思うんですよね。
それはなんでなんですかね。
川好きだからじゃないですか。
好きだからですかね、シンプルに。
だってなんていうの、日本のありがちな感じで言うと、危ないものにはやたら高い、それこそ津波とかそうですけど、信じられないぐらい高い防壁作るみたいなのあるじゃないですか。
そういうのじゃなく、ちゃんとデザインすることってゆとりがあることっていうか、絶対必要なんですよ、それの方がいいんですけど、ただなんか通常の決定フローでは起こり得ないというか、割とそこに意思がないと難しい話かなと思ってて。
やっぱりそこで行くと、自分も住んでみて思うんですけど、東海圏に思ったこととして、居合もない歴史の強大さみたいなのもあるんですよね。
観光資源としての岐阜
で、分かりやすく言うとやっぱ岐阜城ですよ。岐阜城というものが建っていることによって、あれの岐阜城って本当に何がすごいかって言うと、本当に崖というか川べりに沿った山が建ってて、その上に山城として城が備えていて、やっぱりこういうので難航不落の岐阜城っていうのを信長が作ったんだよなみたいなことが一目で分かるわけですよね。
それぐらい戦国時代の歴史みたいなのが積み重なっているので、あの長浦橋近辺あたりにめちゃめちゃコンクリート全部打ちっぱなしの護岸工事をしてしまうと、はっきり言うと景観が損なわれるわけですよね。
本当に岐阜城としての歴史みたいなものが全てないことになってしまう。そこは一定の力というか作用が働くんじゃないかなっていうのは思いましたけどね。
そういう歴史保護みたいな文脈も含めて、ある意味観光資源にしたいみたいな思惑もあるっていうことなんですかね。
そうですよね。もろもろに観光地で、今回もライブのために来ましたとか、温泉に寄ってきたんですとか、県外とかから来てる人結構いたじゃないですか。
岐阜県としては人を一番読み込む場所はあそこの川なわけですよ。それこそうかいをみんな見に来るとかも含めてね。だからそれぐらい観光資源としてデザインされているのは経済的要素としてはまず絶対あるっていう。
だからこそあのレベルのものが作られているので、地域住民とか高校生とかそういうのも川遊びとかで楽しめ、ちっちゃい頃からそれと共に育つっていう、川を大切に思うっていう文化が育っていくっていう、ある意味好循環だと思うんですよね。それで観光も回っていくみたいな。
なるほどね。たぶん今の話でいうと、川は危ないというか氾濫するかもしれないけど、もちろんできる限りの対策をしながら、今デザインされてうまいこと人と川の距離が近い状況が保たれているわけじゃないですか。
ただこれから例えば数年先、例えば何年か経っていくと、今回の回でも最後の方に出てきましたけど、川のすぐ近くに住んでるんだよみたいな人いたじゃないですか。川のすぐ近くに住んでるんだよみたいな人も危ないからどんどん減っていくというか、
どんどん内陸、内陸って言わないけど川から離れていく川に入っていくというか、なのかなっていうのもそんな気もしてて、そうすると川に近いところに今住んでる人がいて、家を出たらすぐ川っていうのが今の状況なわけじゃないですか。
それはどう捉えるかなんですけど、なんとなく今のそういう風景みたいなものが今存在するのは割と貴重なことなのかなっていうのも思うんですよね。それが10年後20年後とかにはだんだんなくなってきちゃう。あの辺ももし家がなくなるんだったら例えば公園として整備されましょうみたいな話になりかねないというか。
今生活と密着してるのは割と今そういういい意味で中途半端な状況になってるからなのかなっていうのは思いますかね。
あの場所について言えば、ただあの辺の家になってるところって本当にごく少数で、ほとんどがさっき山口さんが言ってたように公園とかになってるんですよね。
そうなんですね。
だからそういう意味ではあの場所そのものに関して言えば、あそこのちっちゃい家がどんどん駐車場とかになっていくみたいな話にはなるかなと思うんですけど、自分も逆に川を見てきて思うのは、やっぱ人類って川の歴史だなと思ったんですよ。逆に言うとね。
よくあの埼玉県とか馬鹿にされるじゃないですか。海なし県だみたいな。海なし県ってやたらなんか海がないことを揶揄されるじゃないですか。海なし県って大抵川があるんですよね。素晴らしい川が。岐阜とかも同じなんですけど。
自分ももともと海が近いところの出身だったりもするので、やっぱ海っていいよなみたいな脳天気の方で言ってたんですけど、やっぱ海の方が自然としてのレベル感が強すぎて、それこそ津波とかもそうですしね。
川との共生
あとは潮水というかね、海水の本当に潮風の縁外みたいなものとかね。そういうのも含めて結構人間で立ち打ちできないレベルの自然と隣り合わせにいる感じっていうのがあるんですけど、やっぱり人類の人工爆発の原因って川周辺で住むことによって水を引いて生きていくっていうところからスタートしてるわけじゃないですか。
いわゆる三大文明が感じですからね、みたいな。そういうところからスタートしているので、本当に川のね、川っぺりの減りの方に住むかどうかって話は別としても、やっぱ結構川と共に生きてきて、川とどう過ごしていくかみたいなところは人類の命題にもなってるので、そこはそういう意味では5年とか10年のスパンにはならないかもなっていうのは思うんですよね。
当然そのいろんな他でも同じようにある町がどんどんどんどん廃れていくっていうことはあると思うんですけど、岐阜本当にあそこの場所に限らず川への愛情結構半端ないんで、海がない分川への愛着っていうのがすごいんですよね。
本当にさっき山口さんが言った通り、どれだけ川との別離を悲しんだかっていうエピソードでいくと、やっぱコロナ禍ですよね。コロナ禍で一番最大で岐阜で話題になったのは、この長良川に侵入するところにバリケードが張られたんですよ。
これ何でだったんですかバリケード。
それは本当に川に入る道みたいなところにバリケードが張られて入れなくなった。
行政の対応で入れなくなっちゃったんです。
それは何でかっていうと、川あそこの長良川の今回の取材地ではそんなに起こらないんですけど、もっともっと他の本当に市民の憩いの場の川のところでは年がら年中バーベキューが行われている。
なるほどね。
川でバーベキューをするっていうのが大好きな県民生でして、そうなってくると、要はバーベキューが一番集団感染するじゃないですか、当たり前ですけど。
飲食だしね。
だからそもそも県民を川に立ち入らせないようにするっていう、イコールバーベキューができないようになるっていう。
バーベキュー禁止みたいなのが書いてあるんですけど、そこの下にね。
っていうことがあった時に、やっぱりものすごい市民の声でしたね。やっぱりそれに対してっていうことが。
それぐらいやっぱり川への愛着とか川への愛婚。川が綺麗だっていうのももちろん市とか県とかの努力あってのことだと思うんですけど、基本的にはゴミ捨てないようにしようねみたいなところって文化として醸成されていくじゃないですか。
だからやっぱりそこも含めて、あんな一応県としてはかなりど真ん中の場所にあるところなのに清流でいられるっていうところは、そういう市民たちの感情みたいなものもすごいあると思うんですよね。
当たり前だからこそ本当になくてはならないものになっているっていうところは、一つ力として作用してるなっていうのも見てましたけどね。
バーベキューとコロナ
なるほどね。そのバーベキューってあれなんですか。いわゆるバーベキュー場みたいに場所代がかかるみたいなこともなく、河原だから普通にゴミは持って帰ってくださいねみたいなルールの下で自由にできるって感じなんですか?
もうね、バーベキュー場がある思想自体がもう関東民の思想ですよ、そんなの。あるわけないじゃないですか。
それでいいですよね。
暴動が起こりますよ、そんな。
そうですよね。それがいいんですけど、それだけ無料の場所があるみたいなだけだと別に川じゃなくてもいいというか、でっかい広場があればいいみたいな感じですか。でっかい広場があれば別にバーベキュー自体はできるはできるじゃないですか。
これね、山口さん川行ってみてくださいよ。
川がある理由ですよ。
川行ってみてくださいよ。涼しいって。
それはね、基本バーベキューって夏ぐらいですからね。
5月あたりでも気持ちいい風も吹くし、海みたいにゲジゲジの虫も別に出ないし、海バーベキューはゲジゲジの虫が嫌なんですよね。
バーベキューって言いましたけど、キャンプしてる人もかなり多いんですよ。
キャンプ場みたいになってるところも結構あって。
キャンプってそれは泊まるんですか?それともデイキャンプ的な感じなんですか?
もちろん泊まる人もたくさんいます。
それもコロナ禍に結構禁止されて、それもすごい話題になってましたけど、
やっぱりとにかく川べりであると涼しい風が通るとか、
あとやっぱりみんなね、本当にちっちゃい頃から今回のね、あれでもあったように、
ちっちゃい子が川遊びして、小学校でも川遊びして、高校生になったら友達とみたいな、
ああいうすごく好ましい記憶と結びついてるんで、やっぱ川自体がみんな好きなんですよね。
その意味はすごい自分も分かって、やっぱり行くとすごく、いわゆる川なんで車道から離れてるわけじゃないですか。
やっぱり都会の喧騒みたいな、そういうものとも離されているので、
そういう公園をドカンと作るとかっていうところとは、また別の異空間、橋の下とか結構異空間なんですよね。
で、やってるっていうところがバーベキューであったりキャンプであったりっていうときに人を呼び寄せる力はあるなと思います。
一方で今回の2日目みたいな、3日目とかも出てきますけど、早朝からゴミ拾いをするボランティアみたいなのが出てくるじゃないですか。
ゴミ拾いっていうか泥でしたよね。
泥の本当にあの作業終わるんだろうかみたいな、不毛なぐらいの作業をとはいえやらないとダメだからなみたいなんで、毎朝やってる人とか出てくるじゃないですか。
その人も言ってたのが、川の向こう岸は予算が出てちゃんとやってるんだけどみたいに言ってるじゃないですか。
川の向こう岸がバーベキュースポットとか、別にそれは関係なくなんですかね。
あれもだから、半分それこそあそこの家が建ってたところが、半分私有地、厳密には私有地じゃないんですけど、市街地として区画されてるエリアと、いわゆる観光とか自然保護エリアみたいなのが区画されてるところで、
多分その行政の扱いが違うっていうのもあるし、かつさっき言ったように完璧な護岸工事をしてないと何が起こるかっていうと、大雨の時の増水すごいんですよ。
だから本当に普段バーベキューしたりしてるとか、あのお父さんが泥作ってた場所とかも、普段の平地ではそんなに水も来てないから、別にそんなに本当は泥が溜まるような感じではないんですよ。
ただひとたび時期になって雨でドッと水が増水すると、本当にそれこそ途中通路を止めてまで水をせき止めるんだっていうようなところもありまして、あんなところまで水が入り込んでくるので、
そうすると流されに流されてきた泥とか、あと倒木とかがどっかから流れてきて、本当にがれきとかを作り始めるんですよ。それがせき止めてまたそれがダムみたいになったりして、それによって相当被害はあそこは受けると思うんですよね。
そうなった時に多分先に予算が降りるのが観光地のあたりで、あそこの市街地っていうのはいつまでたっても泥除去の工事が入らない。そうかとしてたらまたさらに雨が降るっていうところなんで、本当にあそこに住んでる人たちは多分いじで住んでますよね。
若者の活動と思い出
まあね、雪かきみたいな感じじゃないけど、やんないとダメだからしょうがなくやるみたいな感じにも近いんでしょうね。
うん、確かに。今回の回でいうと、そういうボランティアとかもそうですけど、若者がやっぱり多いなみたいな印象はあって、新刊で水切りしに来ましたみたいな人とか、
大学生ね。
円華を聞きに来ましたって言って、いつきっていう人のやつなんですけどみたいな。
いつきって誰ですか?みたいな感じでした。
みたいなやつとか、中高生とかもいて、
めちゃめちゃいましたね。
なんかそれで言うと、真ん中の世代があんまり今回の回だといなかったような気もしてて、若い人というか社会人、高い人っていうと何だろうな、3,40代みたいな感じ。
あんまり、おばあちゃんとか出てくるじゃないですか、おじいちゃんとか。
そういう大人になると、今回で描かれていたような川との距離っていうよりもバーベキューに移行するみたいな感じなんですかね。
本当に解像度が高すぎることを言えば、自分も結構あの辺行ってたんでよくわかるんですけど、
あの辺はやっぱり市街地でバスとか通ってて、それこそ友達と待ち合わせで自転車でやってきたりしてたじゃないですか。
自転車距離なんですよ。
大人になると車を手に入れる。
車距離で行ける川っていうのがまた存在するんですよ。
それはその街と街の間のなんてことないところの川の方が誰もいないみたいな。
本当に僕がある平日行った時見てて面白かったのが、自分のキャンプチェアをカーペリーまで持ってって、座りながらうとうとするサラリーマンっていうのがいたんですよ。
サラリーマンって言っても多分20代か30代同世代ですよね。
キャンプチェアでゆらゆらしながらずっと仕事の電話でもしてるんですよ。
あのこれがとか言って、多分営業さんみたいな。
だからそういう人もちょっとしたスポットとして休むっていうので、絶対営業者の中にキャンプチェア入れてるわけですよ。
で、ちょっと半分サボり、半分ゆったりみたいな感じ。
喫茶店夜のイメージで川に寄って、カーペリーでなんかチャプチャプはしてないですけど、キャンプチェアをゆらしながら楽しそうにしてたのを見て、
こうやってゆっくりする場所があるのを羨ましいなって思ったんですよ、その時に。
だから今のでいくと多分今回のところでは結構若者がっていう話があるんですけど、実際はみんな車とかでパッと止めて入ったりとか、本当に大人の遊びにバーベキューとか肉をもしてるだろうけど、
川と地域の関係
それぐらいっていうところがあるので、めちゃめちゃ解像度高いことを言えば、あの場所は若者とかが集まりやすい場所でしょうね。
面白いですよね。
もともとの川で言うと、お城の近くとか町の近くみたいなことで多分栄えてきたみたいなのが、川との関係で言うとね、
使われてきた川のエリアって多分そういう町に近い、城に近いとかっていうことだったと思うんですけど、
それがいざ車社会というか、特に岐阜とか東京とかそういうところに比べると車社会だと思うんですけど、
より車社会になってくるとそれが変わってくるというか、
空洞化するんですよね。
空洞化するって川の空洞化が起きるっていうことがすごい面白いというか、
それって川の普段、さっき本田さん人がいないって言ってましたけど、あんまり使われてない部分も使われ始めるっていう話だから、
空洞化とは逆の現象というか、分散するというか、密な感じが分散するというか、
だから自然というか、今回のあれで言うと長良川自体をうまく使えるようになってきてるというか、
使う面積が広くなってるから、より変な言い方ですけど、
車によって川との距離がよりそういう仕事のシーンとかも含めて近くなってるっていうのはあるのかもしれないですね。
本当にそうですよね。
だから今回の取材をしたあの場所っていうのは、本当に川の一等地じゃないけど、
その豊かさみたいなところをすごく見せてくれていて、
それ以外では本当に個々のペースで楽しむ場所みたいなのが点在してるので、
本当に川は一定ではないというか、この場所が全てじゃないっていうところでいくと、
たまにドキュメント72時間でも川沿いを歩く72時間みたいなのがあったりしましたけど、
そういうのをしても多分面白いというか、場所によって見える世界とかが違ってくるっていうところがあるので、
それがというとね、今回本当にまずはこれが最初の一品ですみたいな感じの場所だったなっていうのもあるし、
でもあれを見ても岐阜県民とかは通常の世界観すぎて、
これ何の取材なんだろうみたいになってるところの反応結構あったじゃないですか。
この人とって普通の場所ですよとか、岐阜の良さちゃんと伝えてくださいねみたいに言ってるおじいちゃんとかいたじゃないですか。
川の使い方
ああいう反応になっていて、でも他県民からすると、一丁目一番地みたいなものを指してる回だったなとは思うんですよね。
なるほどね。確かに川、いろいろ72時間で墨田川、本田さんで言うと墨田川の話とか、墨田川コロナですよね。
そうですね、コロナ禍で。
あとは鴨川か。
鴨川よかったですよね。
あれも青春でしたね。
でもそういうやっぱり、川ごとの場所に集まる人っていうのは何となく求めるものは一緒なんだけれども、
使い方とか微妙な距離感みたいな話、墨田川とかだってズンズン入っていかないじゃないですか、川にあんまり。
そういう微妙な距離感みたいなのがグラデーションとしてはあるなと思いましたね。
それだけライフスタイルに近いところにあるもの、近くにあるから来た、みたいなレベル感なのが川の良さというか、だからこそ描ける72時間みたいになるなっていうのを結構感じましたよね。
今回はそんなところですかね。
そんなところでしょうか。
気深いとなりました。以上です。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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