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CS Harmony Radio のモデリング編を始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、ちょっとまた思考系の話のモデリングをしてるんですけど、
お題がですね、なぜ人は見たいものしか見てないのか。
もしくは、自分の見たいものって、実は他人によって決定されているのではないか、みたいな話をしたいなと思ってます。
イベント運営と視点の変化
これ、どういう話かっていうと、まずきっかけから言うと、最近僕、イベント企画なんかを手伝うことがちょっと多くてですね。
そうすると、イベントを運営するとか、開催する側になると、今までの参加側とは違う視点でいろんなことを見たりするわけで。
従来のイベント参加だと、あまり気づかなかったこととか、気にならなかったことが、主催側に回った途端に、いろいろ情報を落として見えてきたりとか、気になりだして。
そういったことに対して、すごくアンテナが立つ状態になっていたんですよね。
これ、当たり前といえば当たり前だと思うんで、たぶんヤギさんとかも同じような経験あるとは思うんですけど。
言われたらそうだよねって感じじゃないですか。
でも、ふと思ったんですよね。
参加する側の時って全く気にならなかったけど、いわゆる同じようなイベント、似たようなイベントをやってるのに、
なんでこの運営側のオペレーションの情報とか全く意識してないんだろうかみたいなことを、逆に変に気になりだしてですね。
ということは、これって条件によって見るものって変わってる、見ているつもりになってても、結構多くのことは見えてないんじゃないのかみたいなこともその時に感じたんですよ。
もうちょっと行ってくと、結局自分の見たいものしか自分って見てないんだなっていうことを思ったわけですよね。
ヤギさんとか僕も、何か確認してくださいとか、資料をチェックしてくださいみたいなことって言われるじゃないですか。
だけど、そういうチェックって、やっぱり僕やヤギさんの観点からすると、言い方はちょっと悪いですけど、見たいものしか見てないのかと思ったわけですね。
だから、一人のレビューだけだと良くなくて、いくつかの人に見てもらうと、あらとか自分じゃ気づかなかった視点をもらえるっていうメリットって、目線が増えれば増えるほど増えてくると思うんですけど。
見たいものしか見ない人
結局この辺の、見たいものしか見てないよなみたいな話って、モデリングするといいかなってちょっとその時に思ったんですよね。こういうふうにモデリング編やってるからっていうのもあるんですけど。
つまり何かというと、自分が見たいと思わせてる、そういうふうに思う構成要素があるんじゃないのみたいなことが。
これちょっと極論かもしれないですけど、つまりこの構成要素さえわかっていれば、自分が理解したい内容とか、アンテナを張りたいっていうところの部分って、コントロールできるかもしれないなっていう。
そんなことを思ったっていうところが今回のモデリングのきっかけです。
なるほど。
この辺の経験って、結構僕多くの人にあるんじゃないかなと思ってるんですけど、一旦ここまでで。
ヤギさん的にはどうですかね?この辺りで思い当たる節ある?
よくあるんじゃないですか?なんかよく節、自分も思い返すと例を挙げれますよ。こういう意味合いでいうと。
いっぱいありますよね。
いっぱいあります。いっぱいあります。
僕もそうなんですよね。
例えば音楽一つとっても、多分単純に楽しんで聴いてる時と、どっかの楽器の音に注目して調べようとするのでもだいぶ違うじゃないですか。
そうですね。
例えばベース気にして聴こうと思ったら、不思議とベース音しっかり聴けるようになるみたいな話って。
ありますね、あります。
人間って意識向けたところに、やっぱり注力するようになってんだなみたいなことなのかなと。
実は昔からそういうことってあるんで、いろんな研究なされてたりとかするみたいなんですけど。
僕が調べた限りに言うと、カラーバス効果っていう現象なんかが一つそういうふうに言われてるみたいですね。
これ僕はあんまり知らなかったんですけど、端的に言うとカラーバスっていうのって、なんか色を浴びるみたいな。直訳するとそんな意味なんですけど。
別に色に限定してるわけじゃなくて、特定のものを意識すると自然にそれに関する情報に目が入りやすくなる状態を言うらしいんですよ。
なんでいわゆる自分の見たいものしか見てない、見たいと思った情報が入ってくるようになるっていうことって、そういう現象という名がついてますっていうところだと思うんですよね。
これはそうかなと思ったのと、あとこの情報を見て僕が、そういえばこんな実験あったなと思い出したのが、ハーバード大の認知というか錯覚の実験って言われてるもので、
多分知ってる人は知ってると思うんですけど、錯覚する実験って学生の人たちがパスを回してるんですよね。
で、そのパス回し何回やったか数えてよみたいな感じでお題が振られるわけですよ。だからパス回しにフォーカスするようになってて、その映像を見るわけですよね。
で、その時には最終的にパス回し何回やったのっていう質問が出るのと加えて、その文脈たちが質問が出るんですよ。
そうするとあれ、それどうだったっけってなる感じなんですけど、ただその問いを受けてからもう一回その映像を見ると、もうめちゃくちゃ思いっきり答え出てるんですよね。
なんでこれ気づかなかったんだろうぐらいの勢いで出てるんですよね。これ知ってる方も多いと思うんですけど、ちょっとタイトルとか言うと、
ネタバレしちゃうところもあるんで、ハーバード内の実験とかで調べてもらうか、もしくはモデリング編だと毎回ノート書いてるんで、ノートの説教を見てもらうと、お題画の内容もリンクを貼っております。
っていうので、もう実験でもそういうことで実証されてるんで、やっぱ人間って見たいものしか見ないんだなみたいなこと。これは決定的なんじゃないかなっていうところなんですね。
ってことでやっぱり何が見たいようにさせてるんだっていうところは必ずあるはずだというところまでわかってきたんで、この辺りの話っていうのがモデリングすると少しその心理状態っていうかそういう状態になるところの深掘りができるんで、コントロールできるところがちょっとあるかもしれないなっていう、こんな感じなんですよね。
今回のモデリングだと例のごとくノートに書いてあるんで見てもらうとわかるんですけど、割とシンプルな図ができたんですよね。この何か話とは裏腹に。
何か見たいものを見るってことは対象やお題に対して自分の理解があるところに誘導されるというか、アンテナが張ってるんでそういう理解になるようになってるってことなんですけど。
役割と立場による意識の影響
それって何になるのっていうところの話で言うと結局見たいもの見てるんで視点ですよね。結局何かどこを見るかみたいなことが結構重要で。
例えば何だろうな、さっきの音みたいな話で言っちゃいましたけど、見たいものを見るっていう話で言ったときに何のお題がいいかな。
例えば有名な画家のモナリザがあったとするじゃないですか。モナリザの絵があったときにモナリザの絵の大きさを見る人もいれば、余談ですけどモナリザって結構絵ちっちゃいんですよね、実物。
写真とかで見ると大きいイメージありますけど、実物って結構ちっちゃい絵なんで、大きさ見てちっちゃいなみたいなことを感じたりするっていうの。
結構これわかりやすい印象なんですけど、一方ですごい絵画研究されてる対象じゃないですか。だからその塗料がどういったものだとか、この筆使いがどうだとか、構図がどうだとか、
全然そこで見てる情報って違ってて、別に大きさの話ってあんまり気にならないというか、そこに対してのアンテナ立たないっていう状態になる。
一方で大きさしか見てない人とかすると、そのなんか構図がこうだからこう美しいんだみたいなところっていうよりは単純に絵を見て、あの有名なものかって思う人もいれば、
美しいなって思う人もいるっていうところって、結局何見てるかっていう視点に結構依存してるなっていうところかなと思いますと。
そんな時に、じゃあさらにその視点ってどう作られてんのみたいな話に遡っていくと、視座と意識っていうふうに僕はちょっと整理したんですけど、視座っていうのはある種その見る意味でのリテラシーみたいなところも含まれてるんで、
構図をわかってるとか塗料とか、このタッチみたいなこととかっていう部分に対して読み解くには、ある種知識とか、そういった見てる部分の目線がちゃんと高くないと理解できない部分もあるので、
そういったところが関係するかなっていうところがあるかなと思いますと。アート意識っていうのは、そういうのを見ようって思うってことですよね。
だから、例えば全然視座が低い人が、通りを見て、この色は緑だなみたいなこと言うかもしれないですけど、ただその緑も静岡隆さんとよもぎ色だとかなんかいろいろあるじゃないですか。
その色を表現する言葉とかも、なんかそれってより違う表現とか見方してるっていうところかなと思うんですよね。だからまあ、意識と視座っていうところが視点を作ってるんだなというふうに思いますと。
今言った話って、モデリング編何回か聞いてくださってる方はわかるかもしれないですけど、基本全部無実態のものなんですよね、要素が。つまり俗人的なんですよ。
誰も検証できない。つまりどう理解したかも、どういう視点を持ってるかも、どういう視座かも、どういう意識かも、その人の頭の中にしかないんで、全然わかんないな、ブラックボックス化してるなーみたいな話なんで、コントロールできるのがないなっていうところがちょっとあったんで。
コントロールできる要素なんかなーみたいなことで、もうちょっと掘ってきた時に出てきたのが、役割や立場っていうものかなと思いました。つまり、与えられてる役割とか立場、置かれてる立場によって意識が影響を受けてんじゃないのかなっていうところなんですよね。
さっきの構図とか、絵の対象を見るときに意識って、先生みたいな立場で、教える役割っていう話だったら、学生向けに説明するときに、こういう内容を伝えようとか、こういうことを絵の実例をもとに説明してあげようみたいな話とかっていうトーンになってるじゃないですか。
そうすると、それを教えるために、実際の絵を見に行ったときとかも、多分、その説明するのにちゃんと整合性を取れるような形の内容の情報を取りに行くっていうのが意識して芽生えるはずなんですよね。
一方で、例えば役割としては教えるという立場でも、予備校の先生とか、美術の専門学校の先生とかだったら、そういう基礎的な話じゃなくて、いかにそういう絵に対して評価されるようにするにはどういうことを足せばいいかとか、多分見方が違うじゃないですか。
だから、役割と立場によって、ここの意識が変わってくるんじゃないかなっていうふうに思いましたと。
でなると、話の結論としては結構シンプルなんですけど、つまり、役割や立場によって、自分の意識ってだいぶコントロールされてんじゃないのかなって思ったんですよ。
だから、例えば社長になりたいみたいな人がいたとしたら、社長ですっていう立場になって、社長という仕事の役割を背負わされる話にならないと、やっぱりそういうところに意識って安定は立たないから、
例えばキラ社員で何の責任権限もないのに社長ですって言っても、社長としてのインプットして理解するような行動とか感覚っていうのは全く得られないんじゃないかなっていうふうに。
なんかモデリングして思ったっていうところなんで、社長がやりたいんだったら社長にならなければいけないのではないかみたいなことが、ちょっと僕の今回のモデリングの結果からなんか見えてきたっていう感じでございますと。
自分の意識と他人の影響
おもしろいなと思ったのは、自分の意識とか自分のすごい俗人的な内容なのに、結構周囲に影響を与え受けまくって作られてるんだなっていうのが、なんか面白いところかなっていうところですね。
堀さんの理解として書かれてるものとして、とても面白いなと思う。プレップの基本の話で言うと、実態ってあんまり管理されてない状態なんで良くないんですけど、
インプットが実態になるようなところまでブレイクできてるところはとても良いなと思っている。
多分そういう考察になるところが、なんでインプットの役割とか立場っていうものをある意味変えると意識も変わるから、理解も変わるよねっていう多分連鎖になっていくので、確かにそうだなと思ってちょっと見てました。
結構無実態だと再現性の話で担保できないんで、僕らが普通にやってるようなやつだと、基本的には実態性化物を出してちゃんと管理できる状態に持っていかないと、人によって全然結果違いますみたいな話になったら、全然業務マネジメントできてないやみたいな話を出してちゃうんで。
よろしくないんですけど、今回のモデリングってちょっとそういうところからはみ出した対象もお題にしてるんで、今回良かったなと思うのは今八木さんが言ってくれたように、なんか実態性化物の部分に結構要素がちゃんと根本原因としてあるっていうところが面白いなと思ったんで、
結局これってその意味だとよく言うじゃないですか、上司の立場になって考えるとか、二つ上の立場になって考えるとかって、そういう話って穴がち間違ってないんだなと思った一方で、多分そういうことに対して結構しっかりそう思わないと限界もあるんじゃないかなと思ったんですよね。
何を言ってるかというと、そう思いましょうだけだと結構内在的な話なんで俗人性高いなと思うから、やっぱりなんかラベルとかそういうふうな人ですよっていうふうに言われたりする方がよっぽど影響としては強いかなって感じ。
もちろん二つ上の立場で考えましょうっていうのはアナロジーなんで、実際そうなるわけじゃないですけど、例えば半年後に君は二つ上のポジションとしてこういう仕事してもらうよとかっていうところが約束されてたりとかすると、もうちょっとそれって対外的にも明らかなるんで、実態性化物的な部分としてもうラベル付けされちゃうと、多分やらざるを得ないみたいなところがあるんだろうなと。
だから全然話は飛ぶんですけど、仕事としてのスキルないのにできますってとりあえず言って道開けたみたいな話、著名人の方が語ってる時にも結構出てくるエピソードだと思うんですけど、そういうのは結構正しいやり方っていうかある種理にかなってるんじゃないかなっていうふうにモデリングして僕は思いました。
やれないことできます、ちゃんとしますみたいなこと言っちゃった方が。
立場を固定させることで。
立場ある種、自分からロックする。今回のモデリングの結果で言うと、ロックすることによってそのための正しい行動が進めていくようになるので、そういうアクションを取るっていうのはある種上手い使い方なんじゃないかなと思ったんですよね。
僕最初こういう話、今回のモデリング説を読んでる時、むちゃむちゃ勇気あるなと思ってたんですけど、もちろんやってる人もそれ理解してやってるかどうかっていうのは別ですけど、ただこういうふうにモデリングしてやると、結局なんかそういうふうに言っちゃった方がうまくいくんじゃねえのみたいな気もちょっと。
何もそういうふうに明確に言わずにコミットもせずに曖昧なままでいくよりは決めちゃった方がいいんじゃないかなみたいなことをちょっと思ったよっていう感じでございます。
立場の固定とチームの結果
ちょっと分野的には固定されちゃうんで、一部の人しかわからないかもしれないですけど、システム開発で使うペルソナ法とかがそういうやり方かなと思いますね。
ペルソナ法とかでググってもらうと出てくると思うんですけど、このシステムを使う人は30代の女性で小学1年生の子供がいてみたいなすごい細かなプロファイルを書いて、その人になりきってシステムがどう見えるのかみたいなのを検討したりするやり方でやるんですけど、
それって多分そういう立場を固定化させるためのマテリアルになってて、そういうのが近いのかなと思って話を聞いてましたけどね。
確かに。
ペルソナってある種その人を見立てて開発するじゃないですか。
うん。
なんですけど、多分もうペルソナが自分ぐらいの感じの位置づけでやれる方がよりいいんだろうなって。
そうそう、それはそうだと思います。完全に。
そうするとその人が顧客、自分が顧客みたいな立場で気になったりとか改善したいことを言ってくと、それが良くなれば多分そのプロダクト自体を喜んでもらえるお客さんが多いってことですね。
ペルソナが正しく設定できていればって話だと思うんですけど。
こういう意味で言うと、僕個人的に言うんですけど、ペルソナ法あんまり使わないんですよ。
昔言ってたと思います。ペルソナそんなに推進派というか活用してないですって。
それは今回堀さんが書いてくれた上で言うと、役割と立場の方をあんまりなくても、資産の方から視点は引き出せるかもしれないなと思って。
自分自身も含めて。
そうですね。
だからできるのかなと。
結構できちゃうんですけど、根本原因のところは実はそっちにあるとしたら、多分根本原因にアプローチした方がより良い結果になるっていう話だとすると、
ペルソナになっている本当の実際の人をチームに入れてしまうという方が良いのかもしれないなってちょっと今回の結果を見ると思ったりしました。
そうですね。そこを補完すると品質を担保しやすくなるというのはその通りかなと思いますね。
そうですね。
というような感じで今回のモデリング自体、僕は結構シンプルな図の割には面白い結果が出てきたなっていうので、なかなかやってよかったなっていうのと、
こういうことがわかるとしたら、冒頭では他人によって決定されてるよねみたいな言い方したんですけど、
もうちょっと踏み込むと、じゃあ他人をうまく使えば自分自身がうまくコントロールできるかもしれないよねっていう話になるかなと。
いわゆる言っちゃうとか宣言しちゃうみたいな話。で、案外大事なんじゃないかなみたいなことも思うんで、こういうことがモデリングで分かったから、
どう活用していったからいいんだろうねみたいな話っていうのを次回続けて話したいなと思います。
ということでじゃあ本日以上としたいと思います。ありがとうございます。
ありがとうございます。