収録している人以外にも働いている人が後ろにいて、話聞けるっていうライブ感。
すごいエネルギーがあって、
それを幸運にも先に収録の前にツアーさせてもらって、
お話できるとかって、すごく今どの仕事と思ってないかがやりがい。
どの活動よりも。
活動よりもやりがいを感じていて、生き生きしている。
ルーシオです。長い。
はい、この3人でやってます。
もうフライングしましたけど、グッドショップセンターの振り返り会。
ということで。
本当に広くて深い会でしたね。聞ききれなかったけど。
すごかったね。場所がすごいし、場所だけじゃなくてやっている人たちの時間軸もすごいし、
いろんな意味で奥深いと一言で言うと軽く言っちゃうけど、
いろんな繋がらなかったものを繋げる。それでもちゃんと交通整理をしているというか、
ぶつかっていろいろぐちゃぐちゃになるところを、
ちゃんと整理じゃないけれど、ある一定の自由度を持ってやるっていうことの現場を見たっていう感覚だった。
みんなで岩さんの車で乗って向かっているときに、本編でも話した気がするけど、
言うても障害者っていう方でくくっていいのかどうかっていうのが何となく僕らの中でも疑問でありつつ、
その一方で仮説として、普通にそこに僕の居場所があるんじゃないかみたいな、
何となくそういう思いで言ってて、結論から言うとありそうだなと思ったんですけど、
あらゆる意味で衝撃を受けて、
一口では言えないんですけど、ルール作りみたいなものっていうか、
師匠さんと岩田さんは会社員で、僕は会社員の経験があるわけですけど、
組織で集まったときにその人たちがうまく回るルールって、それぞれの会社でルールってあると思うんですよね。
僕も会社員だった頃に、そのルールってどうやったらうまくいくんだろうとか、
どうやっていうことにしたらみんなが気持ちよくやれるんだろうとか、
僕は結構そういうので社会生活というか集団活動の中でラディカルに考える方だったので、
いろいろな思いつきながら、普通の社会人というか会社員というかそれをやりながら、
こうしたらうまくいくのにっていうことを思いながら、それを実行しなかったり、言うだけで終わったりとか、
そういうのをどっちかというと辞めてきたタイプの人なんですよ。
なんで言ったら諦めてきた人。真逆の人もいるだろうし。
しょうさんの言うゲスト会見でありがちなのは、勝手に三田さんのことを見て私のことだと思ったみたいな話と同じ感じで、
今回ばっかりはそれを俺のことかと思ったみたいな。
でも本当に立て付けとしてというか、実態として森下さんの最初のグッドジョブセンターの説明にもあったけど、福祉施設という立て付けですけど、
いい会社の会社見学に行ったみたいな感じですよね。
本当に名前が手を出しているとグッドジョブだと思う。
ある意味二つの意味がある。グッドジョブって人に言われる言葉なんですよ。よくやったって意味。
祝福される言葉。
だけど大体周りから言われるんですよ。グッドジョブって。自分で言わないんだけど。
だけど心の中でいい仕事をしたなって思ってもいいじゃんっていう、両面のセレブレーション、祝福感があって、
それがポジティブな感じをかもし出している。
場所も名前も、建物自体もそうだし、壁がないとか、周りが様子見えてて自分が自分のペースでやれるとか、
一人一人が人と、一人一人みんな違ってみんないいじゃないけど、みんな自分のペースで仕事をしながら、
ちょっと私すごい嬉しかったのが見て、お休み時間がみんなで休むっていうのが普通の会社だとない。
はい一斉に休もうっていうのは。
昼休みとかありますけどね。
昼ぐらいで。
ヤマパンとかあるでしょ。
ずれてるんですよ。
ローテーション。
ローテーションなんで。みんな休んだら機械止めなきゃいけないから。
そっかそっかヤマパンバイトは。
ちゃんとずらして、ちょいずらして。会社もある意味、自由な時間に休んでいいよって言いながら、ちょいずらしてると思うんだよね。
まあ確かにね。
昼飯はね、食えるときに。
ある意味、みんながはい休むよって言って休んでるときに、やっぱりそういう空気が急にひわってくる。休んでるっていうか。
あのときにたまたま見てすいませんと思っただけですけど、
すごいなと思って。そういう働く場って最近見たことないなって。みんなでしょっちゅうじゃなくて10分15分の話だよね。
バイトとかでもさ、一服休憩みたいなのあったんだけど、僕タバコ吸わないから一服のちょっと感覚もつかめないけど、
だから休みねって言って15分言われて、15分何もしないだけみたいな、休み方すらわからんって感じだったけど、みんなめっちゃ休んでるのね。
ソファーに寝そべったりとかさ。
休めって言われたら同僚と休んで会話をしなきゃいけないってなんか変な、私工場で働いてプレッシャー、しゃべってる。
つぶせでなんかドーンとか言って大の字になって寝てる人もいれば、なんか小部屋に入ったりとか、
みんな思い思いやってるんだけど、それがそういう空気をちゃんとやってるとかが、そこまで行くのにちょっとね、そんな到底簡単に休めって言われて休めるって実はないんじゃないかな。
休むことの難しさを逆説的に感じさせられたの。
俺らは休めって言われて休んでるんだろうかみたいな。
ソファーで誰の目も気にせずに寝そべられるだろうかみたいな、思ったもんね。
人によるからだから別の部屋あったり建物がね、北館と南館建て選べるとか、作業する場所も決められるとか、
グッドジョブセンターの設計がそうなされてるっていうのは、選択肢が自分の中で選べるっていうのが、やっぱり本当にリラックスするために、誰かのために休むんじゃなくて、
休もうって言った時に、どこに行こうかな、じゃあここで一旦休んでリフレッシュしてまたやるっていうのは本当の意味のグッドジョブができる土台なんだと思って、
すごいそれがシステムとかルールとか言った象徴なのかなって思った。
有給取れようとか休めようっていうのは、そうしないと会社が怒られるからっていうわけで、会社が怒られるからそうやって言ってるんだ、働いてる俺らも分かってて、
っていうようなのに、そういう仕組みにアジャストしてる自分っていうのが意識的にも無意識的にもあるんだろうけど、
めっちゃ有給取ってなるもんかって私思ってるとこあるからね、怒られメールくるけど。
言ったら、いわゆる会社員で集まった集団がありますよっていうところの人の個性の触れ幅よりは、
結構断然その触れ幅の幅がグッドジョブセンターって広いと思うんだよね。
そういう広い人たちが一緒に楽しく働けるルール作りをするっていうのは、そのルール作りは絶対簡単にはいかないだろうし、
でもそれでも本当に圧倒されるぐらいの充満してるポジティブなパワーとかっていうのは、
多分そういうタンポポの家とか、ありとあらゆるそれを支援する人たちの知見とかそういうものの成り立った今がここにあるんだろうなっていう、
同時にその歴史感みたいなのも感じて、そういうので僕は発言が少なかったです。圧倒されてて。
やっぱりそれを聞くとさ、自由とは何かみたいな話をちょっと考えがちなんだけど、
ちょっとその聞いてて思ったのは、やっぱりそのフレームを作るとその砂場、
例えばサンドボックスって私たち研究開発の人はよく使う言葉で、
サンドボックスというのは砂場っていう意味で、その中は砂が十分入ってて、
いきなり砂がなくなるってこともなく、なくなったらそれでまたあれだけど。
ちょっとプログラムの開発の現場が分かりにくい人に言うと、
プログラムを使って遊べる部品が提供されてて、それで何か好きにやってみてみたいなのをサンドボックスとかサンドバックとか。
あとはリスクをちょっと取ってもいいわけ。だからそれを砂場って言ってサンドボックスって言って、
それを外に見せることもある。たまに。なんだけど、それを守らない。フレームがちゃんとできてる。
外にこう、砂も出ないし、なんか怖いんですよ、開発者って。
なんかやらかしたらどうしようとか、表現者としてもなんかやらかしたらどうだろう。
自分で何かしらの見えないストッパーを作っちゃうんだけど、サンドボックスはそれは私たちがやるんだ。
ストッパーじゃないけど、守る。砂がぐちゃぐちゃにならないように。
ウィニーの回でも話しましたからね。
っていうのはサンドボックスなんだけど、今もう一個違う視点の話をして、
それはサンドボックスを作る側の人たちにも同じことが言える。
ルールを作るとか、安全な柵を作るとか、壁を作るってことだけにとらわれちゃうと、ただのコントロールする人たちなんだけど、
私、グッドジョブセンターでちょっと思ったことは、
誰が職員なのか、グッドジョブセンターに来ている人かがちょっと分からなかった。
分かんないですよね。
どの人がどういう仕切りで働いているかって言っても分からなかった。
分かんないし、だから僕がここに俺の居場所あるかもって思ったのが、それと同じかなって思った。
なんでそう思ったかって言うと、手作業だから得意なことができる人とかじゃなくて、
ジムにも流通とか在庫管理するのが得意な人もいてっていう話を聞いて、
そこにデスクワークが好きな人もいると。
通っていらっしゃる利用者さんって言ってたから、そういうのが得意だし、好きだし、生き甲斐感じる人もいますよ。
だからもう分からなくて、利用者なのか利用者じゃないのかっていうのを。
職員なのか。
例えば物を作っている福祉施設ですよみたいなことだったときに、
それこそグッドジョブセンターで言えばハリコを触っています。
この人が利用者さんなんだな。
こっちの方でパソコンを触っている人がいる。
パソコンを触っているってことはこの人が職員さんだなみたいな。
普通に思いがちだけど、あそこでは普通にパソコンを触っている人も利用者さんだし、
池田さんとかね、あれやばかったですけど、3Dでモデリングするやつとか。
あの後ビデオ撮らせてもらって、2回してたけど、全然私たちより普通に、
なんていうのかな、プロフェッショナルに。
プロフェッショナルって言葉すらよく分からないけど。
補足すると池田さんの話、ちらちらっとは本編でも出てきたけど、
利用者さんの一人で収録の前に全部案内してくれて、
ハリコのモデリングとかをやってるんですよね。
3Dプリンターとか3Dペンでめちゃくちゃ巨大な作品とかも作ったりしてるっていう。
パチンコの端材とかね。
あれはやばかった。
元々池田さんご自身がね、ガンプラとかをかなりお好きで、
ガンプラとゾイドをプライベートで作ってらっしゃって、
その一部をみんなの同意を得て飾ってるっていう状況があって。
あと使わなかった端材とかもくっつけたりとか、
3Dペンとかレジンで固まるペンでつなげてみたりしたりとか、
他の人にもそういうのを教えたりとか、
そういう意味ではプラスチックモデルって趣味で自分でこもって、
誰ともあんまりコミュニケーションせずに集中してやるってイメージがある。
確かにね。
彼は全然そういうんじゃなくて、それがコミュニケーションツールであるんで、
置かせてもらってるんじゃなくて、彼はそれがコミュニケーションタッチポイントなんだよ。
そこを突っ込んでもらう。
これ何ですかっていうとブワーって喋って、絶対自分から言わないじゃん。
パチンコの時はこれはパーツでって言ってきたけど、
キラキラのパーツを再構成して立体にしてる。
他のやつはどのモデルで何とかっていうのは絶対に聞いて、自分からは言わないの。
コミュニケーションのポイントとして彼が置いてて、しかも役に立つように置いてるんですよ。
他の人の作品の説明をする板を持っているガンダムだったりとか、
あと色合いとか質感とかも他の人の作品の合わせてキュレーションして置いてあったりして、
あれはね、なかなかこう…
めちゃめちゃ繊細な感覚を持ってるな。
そう思った。本当にそう思った。
これ我々が逆にそうしろって言われてるっていうか、
展覧会とかやる時に自分自分とか言ってなっちゃうアーティストが多い中でね。
グループ展とか。
でも一体感だからグループ展って。
グッドジョブセンターって面白いグループもあるけど、
なんか不思議な一体感はどう作られてるのかなっていうのがちょっとまだわからない。
なんかもう一回、二回ぐらい行ったら見えてくるんだろうけど、
自分がそういうのが持ってないからさ。
わかんないけど、一体感っていうよりは違和感がないのが正しいのかなと。
あとは一回でもの作りのことをやられてて、
それは池田さんにご案内してて、
二回の流通と在庫管理の案内していただいたタムちゃんだよね。
なんで僕タムちゃんって慣れ慣れしく言ってるかっていうと、
タムちゃんさんって言ったら、
僕はタムちゃんさんではなくてタムちゃんなんだよねって言ってたから継承かぶりをやめてる。
タムちゃんって呼んでるんですけど。
タムちゃん通信?
タムロイド。
タムロイドっていうね。
細かくストーリーを書いてある。
お笑い側を好きで結構レトロな、
まだ多分20代の前半ぐらいのジェネレーションのお話だったんだけど、
ドリフとかちょっとレトロなお笑い。
レトロっていうか下手すると、
多分二人はあんまりそんなに世代じゃないんじゃない?
ドリフはずっとやってましたよ。
特番的に。
ライブで見てとか。
全集合のね。
全集合はライブで見てた。
世代じゃない。
それを言ってきたときに一瞬、え?って思って。
タムちゃんはギャグが好きだからかましてくるんだよね。
かましてくるね。
結構それなりに面白いなと思ってやってるけど、
タムちゃんはたぶんすごい求めるレベルが高いから、
滑ったなーみたいな感じなんだよね。
衝撃を受けたんだよね。
すごい笑いに対する執着が。
最初は滑ったなーっていうときに、
ちょっと調子悪そうにしてたから、
どうしたと思ったら、
笑いに対して自分が納得いかなかったのが、
次のかましに来たときに、
この人本当にコミュニケーションに対してね、
お笑いっていうので、
私たちに説明してくださいとか言う人じゃない。
仕事をしてるわけじゃない。
やれって言われてやってるんじゃないんだっていうのが。
漫談に近いのかな。
漫談ってのは、漫才って二人でやるんだけど、
一人でやるのも漫談。
スタンドアップでもいいし、講談とかそういう。
だから案内してるっていうよりは、
自分のショーケースみたいに捉えてる。
それがちょっとしてわかったの。
最初は緊張されてたのかわからなかったから、
説明してもらってありがとうございますって、
ここなんかで思ってたんだけど、
楽しんでるっていうのがわかってきた。
彼はスタンドアップで、ステージにいる。
グルーヴができてきてから、
それで最後の3回目を聞いてもらう。
2回目の最後に登場します。
タムちゃんが最後の方なんですけど、
聞き逃した人はもう一回聞いてもらってからなんですけど、
すごい最高のタイミングで、
タムちゃんが場外乱入してくるわけですよ。
しかも切れ味がいいね。
最高によかったですよ。
それがよかったっていう。
そうですね。
タムちゃんの話も面白いんですけど、
あとは、いろいろ衝撃を受けすぎて、
いろいろと思うところがあって。
衝撃を受けたのが言葉にすぐならなかったのは、
結構緻密なマネージの積み重ねと、
ルールが洗練されてるから、
まだどんどん変わり続けるんでしょうけど、
僕みたいな日が浅い人にとっては、
それがある種の歓声系のように思えたので、
何もそうですかしかないですわみたいなところの補完を、
特に岡部さんがタンポポの家の取り組みから数十年に渡ることを聞いて、
ちょっとその理解を補完するような感じで、
完全に聞き手に回ってるっていう状態なんですよね。
それも言葉をすごく選びながら、
僕の庭科の知識の、
根室学園とかそういうのを引用したりとかしつつ、
そこを踏まえた上で、
なんとなく探りながらというよりは、
明確な方針を持っていることが、
他に言葉が思いつかないから言うんですけど、
いわゆる障害者アートって言われているものに対して、
岡部さんたちが明確な考え方を持っていて、
まずそれが衝撃だったんですけど、
要はコミュニケーションアートみたいなこと、
いわゆる障害を持っているとされる方が、
いろんな方とコミュニケーションを取って、
だからそれがね、日常で、
外に出なくても、
外から家に入ってきて、
自分も家から出て、
あそこのグッドジョブセンターに行って、
いろんな人が来るわけじゃん。
環境としては怖いよね。
外から人が来る。
いつ、どのタイミングで。
カフェっていう機能があるしね、あそこ。
私もあんなとこで、
その状況で働く人はちょっとドキドキしちゃう。
確かにね。
僕らはね、
言ったら部外者として、
あそこに行って、
いい姿を見てる部分もあるはずで、
日々あそこにいる中で、
実際僕らもね、見学してる時に、
利用者の方にちょっと
鬱陶しがれたりみたいな場面もあったじゃないですか。
やっぱりコンフォートゾーンに入ってくるなっていうのを、
あんな仕切りがないところでは、
100%壁に守られて、
プライベートな交換を作るっていうのができないことに、
ストレスを感じるっていうことだってあるかもしれない。
まさに私、会社で今、
何て言うんだろう、個室じゃないと、
実は仕事ができない人だっていうのが、
もうここを分かってて、
でも会社で働くと、
この前やっと、
いいか悪いか大部屋に入れられたんですよ。
やっぱりきつい。
後ろ人が通るのとかでしょ?
もうそうだし、ノイズキャンセリングヘッドフォンが手放せなくなる。
音がもう気になってしょうがない。
仕事ができなくなる。
集中できなくて。
でも面白いのが、ノイキャンをして、
ゾーンに入ったら、
個室よりも良いってことが分かって、
見えない壁ができたってことで、
自信がついて、
オフィスで仕事をすると効率がいいって、
その代わりにノイキャンがないとできない。
その代わりに絶対話しかけないでほしいって、
オーラを出してると思う。
だって無視するんだもん、完璧に話しかけられても。
聞こえてないっていうか、
視界も狭いし、
多分画面の視界しかないし。
空気はかき割りなんだよね、多分。
昔から気づいたのは、学生の時そうだったなって思い出して、
25年前の話なんだけど。
そこから運良く個室ばっかり回った生活をしてて、
それで会社員っていう滑稽な状態でした。
運が良かったのか悪かったのか分かんないけど、
あのグッジョブセンター見た時、
ゾッとしたの最初。
ここで自分が集中して作業しろって言ったら、
ノイズキャンセリングヘッドホンがないとできないと思ったのね。
受け入れられそうだけど、
私はノイキャンの人なんでって。
その代わりに何も聞こえないよ。
チャイムも聞こえないし、
多分肩を叩かれるとか、
なんかこう視覚でおーいとかされない限りは、
マムシだから。
それはすごい衝撃で、
自分で自分のコンフォートをとるみんなが、
ある工夫を利用者もしてるし、
そのグッジョブセンターの人たちも考えて、
部屋を作ってたりとか、
まだ工夫は必要なところもあるのかもしれないけど、
あれで決まりっていう感じじゃなかった。
これから変わって、これからもちょっと変えていくよっていう空気があるのが、
いいなと思って、
私は利用者としてあそこにいることがイメージできた。
だからうみくんも多分それが完全利用者として。
だから工芸ってゆっくり衰退していくのを、
いかに食い止めるかっていろんな分野の方が、
いろんな仕組みづくりをもう一回考え直したりしてる中で、
そういう前提があるから、
仕組みづくりみたいなところがすごい強い興味として、
多分取材当日望んだ節はあるんですけど、
仕組みっていうのは作る人のプロセスっていう意味?
どうやって作る人の特性を生かしながら、
サステナブルにその人たちが作り続けられる状況をつけるのかっていうことは、
めちゃめちゃヒントが詰まってたなっていう。
ありまくりだと思う。
それはさっきたまたま話してたけど、
日本にはなんとか道とか道にする風習があるというか。
それの一種に工芸もカテゴリーされないって、
ちょうどさっき収録する前に話してたことなんだけど、
なんとか道にすることでいいこともあるんだけど、
同時に起こってくるのは厳しい掟がついてくるとか、
そういうことで応援者あると思うんだよね。
上下関係があると。
ある種の厳しさが文化を引き継ぐ意味ではワークするところはあるんだけど、
それをその感覚を得るのに厳しさを乗り越えないと得られないって、
楽しくてそれが得られるルールを作ってもいいんだよっていう。
伝わりますかね。
分かりました。
そういうヒントがすごい。
大工会計でやれて残れた人だけがそれを引き継ぐっていうんじゃなくてってことだよね。
本編で紙のもらってる資料を見ながら、
志穂さんが話してたやつが、
志穂さんここに書いてあるやつ言い間違えてると思いながら、
でもそれはそれで話し通じてるしそのままにしようと思って。
感想会ならではの話。
どれだったかな。
ニュートラディショナルのこの冊子で、
この楽しい実験と実践っていうのを、志穂さん新しい実験と実践って呼んでて、
そのまま話し進んでたんですけど。
私が難読症なのが聞かれるんだけど。
でも別にいいやと思って、
むしろその時に話題に上がったのは、
トラディショナルっていう言葉と実験っていうところの、
本来であればつながりにくい言葉の組み合わせが、
自然にこのニュートラディショナルの中で使われてるよねって話だったんですけど。
僕は結構楽しいっていうのがついてたのが、
たぶん今うみさんおっしゃったような、
トラディショナルが楽しい実験であってもいいじゃんっていう。
それ重要だよ。
新しさって何?っていつも思ってて。
アートだったりとか工芸もそうだし、
ビジネスもそうだけどさ、
未来なの?新しいなの?とか追われてるじゃないですか。
新しいものなんかないし、未来なんて今しかないのにとか、
みんなここなんかで思ってると思う。
そういう時に何を持って新しさとするのかなんて、
ちゃんと考えたら、はっきり言ってつまんないことなんですよ。
新しいなんて真面目に考えることじゃないんだよね。
でもそれって楽しいのかっていうのって近い。
新しいというよりは何が、
自分とリレーションできるか、
自分と関係性を持てるかっていうものに、
目を向けてなかったことに目を向けた、
それが新しくその人には感じられてる。
他の人にとっては別に新しくはない。
そういうことだけが話だと思う。
自分が点と点をオリジナルで見つけたことにワーってワクワクする。
ということが新しさであって、
結果的にみんなにとって新しいなんてことはもはやないんだと思う。
ただその話をすると、
すごい真面目な話になっちゃうからつまんないよって思うんだけど。
高芸もずっとそれをぐるぐるやってるんじゃないかなって、
雑に言うとそう思うんだよね。
全ては否定はしないですけどね。
どっちかというと僕厳しい仕切りを起きて、
側の人だった気はするので自分の中でも。
体感としてそういうことによって、
得られている感覚とかもあるから、
そういうのを全然否定はしないんですけど、
人って自分が経験してきたことじゃないことでやってきたことに対して、
工芸の世界でも温庫地震的なことって言われがちだから、
ニュートラリシュナル的なことで言われがちなんだけど、
それってやっぱり今言ったようにすごくモロ派の続きだから、
新しい伝統とか言っていて、すごく悪意を持って批判するポイントはいくらでもあるわけなんだけど、
勇気のある言葉ではあるってのは確かに思うわ思います。
結局は実践でしかないなって思った。やってみろと。
こういう問題ってさ、ちょっと頭でかちになって。
シーズン3の通廷しているテーマはやってみろじゃないですか。
やってみな晴れ。
松下コウムスケとか。
言ってみたら聞いたことあんのかと思って。
全然パナソニックじゃないからね。
やってみるっていうことで言うと、今回聞けなかった話、
タンポポの家の取り組みの中でまだ全然聞けてなかったこととして、
例えば生成AIを使って、当事者の方が実際にそれで、
どっちかというとアートセンター派なのか、
あっちの方の活動によるのかなと思うんですけど、
絵を描くとか、いわゆる従来の価値観でアートと呼ばれるようなことが、
できる人とできない人と当然いる中で、
テキストだけで絵を生成できるみたいなことによって、
どういうものができるかみたいなステーブルディフュージョンとか使って、
みたいなことも最近の活動の中で聞いてるし、
チラッと言ってましたけど、NFTアートの活動も、
これ配信12月なんで、このタイミングで何か動き出してるのかな、
っていう感じですけど、
告知があるというと、
とにかくそこは新しい技術も使いながら実践をされてるところなので、
NFTに関しては無駄なノイズが減った、ようやくそういうの抜きにして、
やりやすいフィールドになった感じがしますよね。
あとはプロンプトだと第三者的な視点で今設計されてる、
例えば何か答えてっていう時にオリジナリティを出そうとすると、
バックグラウンドを小説を書く時の1キャラクターを書いてる、
みたいな言い方をしなきゃいけないとか、
あれとか結構面倒くさい作業じゃん。
だから外堀りを固めていかないと、
自分がイメージしてるものにはたどり着かない。
あれやってる暇あるんだったら、
もう自分で書けよって思うんだけど、
それが思いつくようになったら書けよって思うんだけど、
それじゃない使い方。
今設計がそうなっちゃってるからAIが。
それほんとやめろということを小枝垣にして言いたい。
そうじゃない使い方。
AI前にもあったのに、
今はプロンプト職人とか、
人間が頑張らないとオリジナリティ出せないAIなんていらないわけですよ。
求めてないから。
それをある意味、アウトサイダーアートだとか、
アートブルートだとか、
障害っていう人たちが外の人だって言って、
それを新しい、違うプロンプトだとか言い出すっていうのは、
すごい起きてほしくないことだし、
それ言い出したら私マジで殴り込みに行きますわって思うぐらい、
障害っていう言葉が嫌いなのと近い。
そういうふうに発想を消費されたくないっていうのがすごい大事だから、
それを使うためにテクノロジーを言い訳にもしてほしくないって思う。
やってる人いたら私殴り込みに行くんで、
殴り込みっていうかマジでツッコミしに行きますわっていうところです。
そんな元気盛んなお年頃ですか。
なんですよ。私もすごいAIに振り回されてるから最近。
だからコモディティ化の進み方が急速すぎるよね。
だからルール作りが置いてきぼりになって、
置いてきぼりって言うかおざなりになってて、
それが例えば同じことが福祉で起きると本当に危険だよって言いたいだけなの。
だから今のNASDAQのいろんなハイテク経営柄とかの寝動きとか見てても、
結局は生成系AIの要は金を作る力とかにものすごく大きな影響を受けているとか
左右されている部分であるわけじゃないですか。
人と物とかそういうのが資本の原理からリソースが選ばれて集中とかしだすと
そういうのを抜きにした仕組み作りが無事でいられるんだろうかっていうのが
詳細の懸念っていうことであったんですか。
私に今後未来って名前をつけて仕事依頼する人全員に言いたいのは
そんなでかい話あります?
でかい話かつ個人的な話になりますもんね。
20年後に自分たちがどんな罪を犯したかってことを想像すればいいだけの話じゃん。
それに尽きるんだよ。
未来って言われたら私はもう20年後のやっちゃったってことを考えるんですよ。
めっちゃわかるけどそれはもうグッドジョブセンターの感想会の息を出てるわけじゃないですかね。
20年後のグッドジョブセンターはやっちゃったじゃなくてポジティブを作ってくれてるっていう風に私は思う。
僕も思うのは思わずこいつを批判したいなって思う気持ちが湧いた時に
いつ僕がそっち側に回るかもわかんないなとは思ってはいる。
だから20年後はグッドジョブセンターは障害って人だけじゃなくて
他の人たち、今で言う障害じゃない。
皆さんわかんないですよ。岩田さんは下手すると死を、そこにいるかもしれないじゃないですか。
それがベストな状態だと思うの。
境目がないってこと。だから関係性。関係性ってうるさいなって自分は思うけどリレーショナルね。
そこをちゃんと大事にするってことが本来の目的なんだと思う。
仕事をするってことは他人と関わっていかなきゃいけないから。
岩田さんはよくご自身の紹介で普通のサラリーマンやってますっていう
ある種の漫才のような決まり文句があるわけですけど。
もう言ってないよ。
一緒にお屋さんの交流関係でご飯食べた時に僕は漫然とサラリーマンやってました。
漫然とサラリーマンやっててデザインの引き出しに乗ったりしてたら
その漫然としたサラリーマンも悪くないなと勝手に思ったりしてるわけですけど。
漫然とは漫然とっていうのは
わからないけど漫然となんでしょうけど
それを言う岩田さんの
すごい勝手に言うんですけど
岩田さんっていう子があって
今の話でいうと
いわゆるスペクトラムの中のいろんな偏りの中のことを
岩田さん自身が自覚されてる可能性もあって
そうはいっても社会生活の中で
みんなと共通してる部分だったり
公約数的なところを意識しながら
みんなとやりとりできるプロトコルを探しながらっていう
岩田さんの意思を僕は勝手に感じながら
それがある種ギュッとまとめて凝縮されたとこに
僕は普通のサラリーマンなんで凝縮してるのかなって勝手に思ってるところがあるんですよね。
どうなんだろうわからない。
この辺りは別にします。
スペクトラムっていう言葉は発明だったかもしれないね。
今ちょっと色の勉強してるんだけど
色って結局光の反射ですよ。
一つの光を分子という光を分けることで色が見えますよ。
それがスペクトラムっていうんだって。
レインボーだよね。
虹色自体がスペクトラムっていう現象。
だから色んな人がいるってことを
出来ればそれがカタガナじゃない日本語があればいいなって願ってやまない。
海外からのスペクトラムって言葉じゃなくて
日本でもそういう言葉が自発的に出来ればいいのに
海外輸入じゃなくてってちょっと思った。
強く思った。
ピンクフロイドの狂気ってアルバムありますけど
ピンクフロイドの狂気のジャケットを思い浮かべながら
フリズムで分かれてるわけなんですけど
これがスペクトラムなのに
すごい偏った部分の狂気って名前が付いてるのが皮肉でいいなと思ったんですよ。
それはたぶん虹色じゃない側が狂気なんだと思う。
こっち側?左側の?
一つの光しか見えない状況になっていることが狂気なんだ。
でも現代はダークサイド・オブ・ザ・モンスでしょ?
月の絶対光が当たることのない裏側のことです。
それは三角が月だと思えばそう見えるんだけど
逆も光なんだよ。
いやちょっと深すぎるかな。
これはヤバい。
最後の方にラスト話しちゃったり。
最後の方のピンクフロイドは禁止にしようこれから。
話のラストの方。
十分かなというところです。
でももう一回行きたいです。
行きましょうそれは。
一回じゃ無理。
一回ではちょっと納得。
自分の消化不良を起こすような情報量だったし
やっぱり自分も色々思うことがあって
そういうところが近所にあったら本当に良かったのにって思いました。
居場所ができたなとか海外とか出なくても
お金いっぱい使って親の借金とかさせてまで行かなくても
こんな楽しい場所があるんだったらって思ってます。
思いました。
それはすごい素直な感想。
羨ましいなって思った。
羨ましいってのが本当にシンプルな感想です。
なんとなくまとまりました。
そんなところで。
盛りだくさんでした。
倉田施ラジオは来週も続きますので
それからスポーティファイ、アップルポッドキャスト
アマゾンミュージック、グーグルポッドキャストなどの
プラットフォームで配信してるんですけど
これ配信が実は収録日から1ヶ月後なんですよ。
今11月の頭に収録してて
12月の頭に配信されるので
リッスンという別のプラットフォームで
昨日から11月の2日から聞けるようにしたんですけど