ちょっと僕から1回読み上げさせてもらっていいですか。
ぜひ。
ニュートラディショナルのコンセプトですよね、ここ書いてある。
書いてましたか。
福祉×伝統工芸の可能性に着目し、
2019年に奈良の一般財団法人タンポコの家がプロジェクトをスタート。
福祉施設とデザイナーの共同によるものづくりや展覧会、産地や素材をめぐるリサーチツアー、
職人と障害のある人の技術交流など地域福祉工芸をつなぐ活動を展開しています。
2020年にはものづくりについて学び合うニュートラの学校を立ち上げました。
ということですね。
完璧ですね。
言うことはないですけど。
やっているかどうかは別の話ですけど。
みたいなところから。
この写真もらってすぐに1ページ目でパラパラと見ていたんですけど、
大と思ったのが新しい実験と実践と書いてあって、
やっぱりトラディショナルというのは伝統ですけれど、
新しい伝統とは何かというところに、
その実験というものを言葉として入れてくれたのは緊急者なので、
いつもラボとか呼んでいるんですよ。
自分のアトリエのことを。
工房とかとラボが一緒になっているっていうのを見て嬉しかった。
トラディショナルという言葉と実験という言葉はそんなにすぐに結びつかないですよね。
そこはすごい実感がこもった言葉って感じですかね。
そうですね。やってきてこういうことをやることが工程として、
例えば2000個のオーダーが大変だったとか、
次はこういうふうにやってみようとか、
50人の方々がみんな違う得意とか嫌いとか好きとかもあって、
全てやっぱり実践をやりながら繰り返し繰り返しやったことが実験ということで、
それでも新しさというチャレンジ調整ですよね。
それがすごいこの一言の新しい実験と実践に込められているなって思いました。
いろいろ聞いていきたいなと思うんですけど、
特に前2エピソードでは聞いていなかったところとして、
割と深掘りしたいなと思っていたのが、
リサーチツアーというのがさっきの説明の中にありましたけど、
前回まではわりとタンポコの家のここまでの活動であったり、
このグッドジョブセンターの中で行われていることが中心でしたけど、
結構このニュートラの取り組みの中でいろんな産地とかに行きましたね。
行ってますね。
今も行ってますよ。
コロナ禍で大変だった記憶もあるんですが、行ってますよね。
コロナ禍でも行ってて、
2019年スタートして、いきなりコロナ入ったけど、どんどん外出ていった。
小規模でね。
数人でね、各地の産地とその地域の福祉のものづくりも含めて見に行って、
YouTubeとかでね、ご報告会議したりっていうのはずっと続けてやってきてます。
ノートでね、レポート書いたりとか。
伝統のものづくりっていうのが今実際どうなのかっていうのを自分たちで知りたいし見たいっていうのがあって、
最初からずっと続けていることです。
本当にすごくストレートな感じじゃないかもしれないけど、
その地方ごとで新しい伝え方をしているとか、若い人が来て何か始まりつつあるとか、
そういうところでされていることを知ると、福祉の現場でも役に立つところがあるんじゃないかっていうところで、
何か新しい発信をしているとか、いろんな人が関わって何かやっているとかっていうところを見に行かせてもらっているようなことは多かったし。
具体的に挙げていくとどちらに行かれてるんですか?
行きましたね。有松、山形、徳島も行きましたね。
福井行きました。
山形行きました。
どんどん出ていますね。
うらやましいな。
何か知り合いの人に聞いて、そこで回るツアーを組み立てて、一緒に来たい人がいれば募っていくっていうようなこともしてますね。
その中でさっき見せていただいた叩いて作る木のプレートの中で藍染めのものとかもあったりして、
それはツアーとかでどこで藍が、藍染めできるところって今なかなかないんです。
実は人工の藍だったらあるんですけど、天然藍って本当に限られているので、
そういうのはツアーとかで見つけられたりして。
でもあれは多分、徳島に行ったときにやっぱり木のトレイとかで、そのままの木肌のものと漆のものと藍で染めたものがあって、すごい美しくて、
それをまたあれをやり始めたときにやれたらいいなっていうことをちらっと思っていて、
そしたらたまたま出会いがあってというか、長でそういう藍染めをしている人が知り合いにいてっていうことを紹介していただいて、
一人でやっているから手伝いに行ってもらえたらって言われて、ちょっと種を植えに行くとか。
藍の栽培から染色までを一貫してされている。
すごいんですよ。ほんとやってらっしゃる方はね。
われわれもちょっと噂がきましたね、徳島で。
徳島にはいるけど。
もう一回ちょっと、藍染めのあれを戻すために、どなたかが来て。
開墾からね、畑の開墾からやってるんですけど、みんな元々徳島の人じゃなかったっていう話を聞いて。
東京か関東かどこからか来て、一年発起して開墾して畑作って、今やっとそこで形になってきたっていう話なんですけど。
カルチャーが。
一人でやるもんじゃないか。
奈良のインディゴ・クラシックさんっていう方なんですけれども、小田さんという。
その方も2年間地域おこし協力隊で徳島に行って藍のことをしていて、
それで地元奈良に戻ってきて、市から。
最初から商品にする、最後までをやりたいということで、今お一人でスタートをされて、
でも今すごくいろんな人から、なかなか染めてもらえるところがないということで、
インディゴ・クラシックさんにご依頼とか、お洋服作ってる方からご相談が来たりとかしてるようですね。
さっきの板っていうのはまた温泉ベニヤで難しいので概要欄のnewtraditional.jpで
っていうウェブサイトで見ていただければと思うんですけど、
最初の木地が面白くて、やってるもので説明してるんじゃなくて、
プロセス。
叩く、触れる、ほぐす、探す、気づく、書く、塗る、磨く、足す、重ねる、最後育てるって書いてあって、
さっきの育てるは藍のやつだったり、あとは岡井子さんを育ててたりとかされてるとか、
こういった工程でまとめていこう。
刺しのことよりはnewtraditional.jpの姿勢というか、目指しているものというのは、
工芸を伝統的にガッチリ、例えば漆塗りとか、ミシン織りとか、
なんとかかんとかっていう名目ではない、作る工程を軸にされているのがすごい伝わってくるんですけど、
ここに来た感じは何?
これもいろいろ議論はしてね。
その行為が楽しかったっていうのがシンプルにあって、
それはタムちゃんとかもそうなんですけど、最初にやれば叩くとかもね、タムちゃんとかもやってくれたり、
石を探す行為も楽しいし、叩く行為も楽しいし、
その行為と反復の中でやってる充実感とかがあったり、
商品だけではないものがすごい大事なんじゃないかなっていうことを、
素材と出会ってそれにどう関わっていくのかっていうのを紹介したいっていうのもあったよね。
さっきおっしゃったように伝統的な工法の中でそれを鍛錬したりとか、繰り返しトレーニングしていくっていうことが全くないわけではないけれども、
やっぱりそれが難しかったりとか、そういったものづくりの方法だとやっぱり関われる人がすごく限定的になったり、
うちの商品、張り子でもやっぱりある部分でしか関わり代が作れないみたいなことがあったりして、
商品を作るときの最初から終わりのところまで大部分の関わり代が作れるような仕事も生み出せたらなっていうところがあったりします。
ものづくりの原理をどんどんたどっていくっていうことをずっとニュートラルではしてきたので、
たどっていくとどんどんシンプルになっていったりとか、その行為が際立ってくるっていうのは、それが自分たちの実感としてはあるんですね。
これまで2019年からいろんな人たちと実験してきたんですけども、
例えばね、土に関して言うと、おこなめで2020年におこなめの人たちと一緒にやりましたけど、
もともと洋魚とか陶作の地として有名で、結局焼く土っていう前提。
その土は焼くという前提だったんですけど、
されたときに土で何ができるかっていうところを考える。
そこに障害のある人がいることで、誰でもできる土のものづくりを探るっていうことになって、
染めるとか紙をすくみたいな、地元の人たちはあまり思いつかなかったものづくりに
逆に気づいていくっていう。
なるほど。
それが多分木工で言えば、叩いてみぐって作るだったと思うんですね。
なるほどね。
さっきのシンプルに行為が際立っていくって言葉って、
その眼差しも際立っていくっていう形になっていくと思うんですけど、
そういうのが身についていくと。
シンプルがいいっていうのではなくて、
実はシンプルだと思っていながらすごく複雑なものを見られているんじゃないかなと思うんですよ。
探すっていう行為でどの石にするか楽しみ。
それもこの石だったらこれできるかもとか、持ちやすいかもか、
ただこの石の形と色が気に入ったのかとか、
理由って全然みんな違うと思うんですけど、
実際それを持ってきて使ってみたら意外と使いづらかったとか、
でも気に入ってるけれどなとか、
すごい一言では言えない素材との向き合いっていうのを、
2回目はまた違う探し方するかもしれないし、
1回目がうまくいったから2回目はもうちょっとこういう風にしようとか。
すごくその話聞いてて、
人間と非人間の行為、コミュニケーションっていう次元、
だから次元の違うものが交錯していくっていうのはすごく聞いてて感動してて、
最近ちょっと自前の言葉であれなんですが、
ソシオ・トランス・マテリアルっていうものっていうのを研究したいなと思ってて、
このくらだしラジオやってて思ったんです。
え、ソシオ?
最初はソシオ。
異名称だもん、造語出てきました。
造語好きで。
ソシオ・マテリアルって呼んでたんです。
社会的な素材。
社会的物質っていう。
でもトランスを入れたくなったんですね。
何かトランスフォーメーションするっていう。
ニュートラディショナルのトランスのトラって入って、
トラっていうのは伝達する、変わるっていうからできている原理なので、
最近の私の興味っていうのはソシオ・トランス・マテリアル。
それは物質からくる想像力とか、
あとはさっきのコミュニケーション取るって言ってましたよね。
自分でヒアリングしたりコミュニケーションして著作権とかこれ大丈夫?
実はこれもマテリアルだと思うんですよ。
素材、物質的ではないけれど、
社会的な作品っていうのが素材だとしたら、
アート作品が素材だとしたら、
それが軸になってコミュニケーションが生まれていって、
それが軸になって社会的な背景だったり意味性だったり、
いろんなものが変わっていくっていうのをそこまで込めて、
ソシオ・トランス・マテリアルということを考えたときに、
この冊子を見て、うわーってなって、
自分でうわーってなってたっていう。
ソシオ・トランスっていう考え方って、
田んぼ子の家がもともと持ってた環境によって、
それが障害なのかそうじゃないのかみたいなのが変わるみたいな話ですよね。
最初に聞いた質問の個人的な作品で一から全部じゃなくて、
環境が変わる、スタッフが関わる、何かが関わるっていうインタラクションがあって、
初めてそのものとして出来上がっていって、
しかもそれがその場でギャラリーとかで飾られて、
誰かの家で終わるだけじゃなくて、
どっかに使われていくもの、日常に落とし込まれたり、
もしかしたらギャラリーに飾られたり、
それもすごい広がりがあって、
面白い、それをわざと意識しないでここまで来たっていうのは、
もちろん50年の歴史の中でいろんなことがあったからっていうのもあるんですけど、
私が目指したいところってこっち側だわなっていうのをあえて思ったところに、
これを悩んでたんですよ。
どうやったらその素材っていうところだけで終わらないようにするかっていうのが大事で、
素材だけにしちゃうと和紙とか柿渋染め終わりみたいになっちゃうんですけど、
探す、磨くとか重ねるとか育てるっていう人間の行為っていうところに
フレームをしたっていうのがすごい。
っていうようなところで、そろそろおかげさんのお時間が。
お時間が。
すごくいいお話聞けたんで。
いいお話聞けたんで。
何か言い残したことは?
あんまり言い残したことはないんで。
改めて自分たちのやってることを考える機会になったなっていうのはあって、
前回ね、小田さんがおっしゃったニュートラルが交差点だっていうイメージがすごいしっくりきたんで、
これからプレゼンするときに使わせていただきたいと思います。
ニュートラルが交差点で。
自在フリー。
自在フリー。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
5人になりましたが、引き続き続けてですね。
はい。
ここのニュートラルの取り組みをもうちょっと伺っていきたいなと思うんですけど。
ちょっと今日の北間ですよね。
見てて面白いコミュニケーションが起きてたんですけど、
木を切ってらっしゃる方がいて、
その持ち方は危ないかもしれないねっていうことを利用者同士でゆったりアドバイスしているっていうのが、
そうだねって、ちょっとでもやってみるよって言ったら、
みんながダメだよとかじゃなくて、
いい距離感を今持ってるっていうのはすごいなと思ってて、
工場でやったらまず怒られるだけじゃないですか。
先輩に下の人が、そんなんじゃ絶対怪我するからやめろって言われてシューンってなっちゃう。
みんな不思議ともちろん喧嘩することもあると思うんですけど、
信用信頼されている感じがあって、
もう多分なんですけど、
作業をしているっていう自信、
叩いたりとかいつもやっているとか、
僕は切ったりしてよくやっているとか、
行為と身体勢、頭の中での理解と身体勢がちゃんとつながっていると、
どうしたら危ないかなとか、
どうしたら道具とか、特に海君は工芸でよくこういう持ち方をすると、
切りやすい、危ないような。
例えば電動工具とかの時に軍手とかやると繊維が巻き込まれやすいからダメだよとか、
回転物とか。
そういうのを自然と、さすがにここに回転物もないし、
騒動自動の切る系、バンドソーみたいなコンタマシンとか、
そういうのをやらかすと手が太いみたいなのはないんですよ。
ない中でやれることを身近な素材を見つけてやっているっていうのが、
発明だなと思って。
それだって家でもできるかもしれないじゃないですか。
もしかして引っ越しちゃって、この奈々っていうところに通えなくなって、
人だってもちろんいるだろうし、
でもどっか行った時に河原で行って、やっていたことを思い出してやれることもできるし、
限定しないっていうところが素晴らしい。
そのノコギリのことで言うと、角材を縦に切る、不安定な状態で試されていたんですけど、
多少加工方法を知っていると、バイスで固定すればいいのになって一瞬思ったんですけど、
そういうことでもないというか、
いわゆる電動じゃないから、怪我したとしても知れとるし、
一回周りの人がこういうふうにコミュニケーションをやって、こういうふうにやってみようかっていうところがあれなのかなって。
バイスは声掛けしたんですけど、うまくやってみるってことになった。
この道具の範囲であれば、怪我したとしてもその範囲の中ですとか、
ちょっとドキッとしたけどね。
規制を承知した上で、まずやってみますっていう感じもあったりしたので、
この範囲であればもう委ねますっていうことを判断したり、
さっきの機械で加工するときもあるんだけど、その場合にはこれは絶対やっては危険だよみたいなことは示したりとか、
まず先に手順を示してからやってみてもらうみたいな、いろんなやり方があったり。
そもそも今日はお三方、こんな長い時間収録にお付き合いいただいて、
その間ここに、この部屋というか一角にずっといるわけじゃないですか。
それがこの施設のグッドジョブセンターの自由さを物語ってるので、
何か起きるかもしれないと思ってめくばせしたりする必要があんまりないわけですよね。
利用者同士で結構見てる感じがしたんですよね。
あと今日はパート3も含めているところに来てくださったということもありますね。
その辺が見学してて、あんまりこの人がパート3でこの人が利用者だなっていう風な見え方をしなかったんですよね。
でもこの規模感もあると思いますね。
ここ本当に上にいても下にいてもなんとなく気配でわかるような規模感ぐらいなんですよね。
壁はなくて、壁は一応あるんですけど、絶対に閉じてるっていう部屋はちょっとしかないですよね。
ちょっと疲れてお休みしたいとか、作業的に静かで音がなくていいとかいうためのお部屋はあったりしても、
基本はすごい開放的なスペースだし、やっぱり見えますよね、この人が。
結構みんな気にしてるみたいで、この人らは何だろうって今日見に来てた時にスラッとみんな気になってましたよね。
ここも収録してる部屋にマイクでやってるのも通ってる。
なんかすごい今日静かだったんですよ。みんな多分気にして。
それ言いますね。
すごくいつも気にかけて、帰る時もっと賑やかなんですね。
気を遣わせました。
大丈夫だと思います。
見てるっていうより見守り合ってるっていう感覚があるっていうのがすごい
さっきの最初に言った愛とか温かさの工作がしてるって感じが眼差しの皆さんの
やっぱりこうチラッと見て、私はあんまりじっと見られるのが苦手なんだよっていう人もいるんだろうけど、私は苦手なんです。
実は作業中に後ろにいられると、すごい何ですか?何ですか?
ただそこにぼーっとしてコーヒー飲んでた人に対しても後ろに立たれるのが嫌いになってますね。
ライブペインティングできない人もいる。
できないね。
今日もそれ言ってたもんな。朝何?みたいな用事がないのに。
人によってやっぱり空間性?
自分の体から半径何メートルの空間性ってやっぱり人それぞれ違うなって。
パーソナルスペース。
感覚が。
日本帰ってきた時にびっくりしたのが近いと思ったの。
日本人のすごい。
例えば満員電車あんなに体が触れ合ってても大丈夫とか
お風呂とかでも裸でかつ線路で距離が1メートル以内とか
お風呂とかもすごいなって思いながら
その中で自分のパーソナルスペースをちゃんとキープできるっていうのが
なんかちょっと不思議だった。
私日本12年ぐらい離れてたんで
帰ってきた時に逆にちょっと気づいちゃったんですけど
ここなんかすごいみんな自分のお気に入り作業スペースとか
コーナーとかあるっぽいなと思って
それもなんかこう大事にしてあげてる感じが
好きな絵をいっぱい貼ってあるコーナーがあったりとか
作品の陳列も
プラモデルのリメイクだったり
いろんなところに謎々のように置かれていて
よく見ると色とか形とか
ちゃんと機能も考えて置かれてたりとかしてて
すごい繊細さを感じるんですよね
なんかゲームっぽかったよね
探す、ここにもいたみたいな
謎解きみたいな
あともうちょっとグッドジョブセンターの外のことも聞いていきたいんですけど
ニュートラルの学校っていうのは
さっき読み上げた説明の中にあったんですけど
2022年から始めた
これはどういう活動なんですか?
売っていけるようなブランディングをしていくようなものが福祉の現場からもっと出たらいいなと思っていて
すでにやってるところもあるんですけど
じゃあどこの人たちとやるといいのかなと思ったときに
実は産地とかと近いところにある福祉施設の人たちとかが取り入れられるといいんじゃないかなということとかもあったり
今年ちょっと佐賀でやってみようかなということとかもあったり
何とかドコナメのようなところもそうだったんですけれども
理解と福祉施設も産地の近くにあってもそこのものを使うってことが実はなかったりもするので
そことつながるだけでも作ってるものの価値はだいぶ上がるというか
全然違うところから土を取り寄せて作るのか
そこの地元にある産地の土を使うのかで価値が変わってくるという
当たり前のことだと思うんですけど
意外とそれをネットで買ってたりするとか
その辺があって出会うとまた変わるのかなというところもあって
そうですよね
めちゃくちゃ偏見かもしれないですけど
福祉の現場で働いている方って忙しすぎて
地元で横にいてもそこと出会う機会がなかったみたいな
ありそうだなというイメージは
そうですね
ニュートラルソーナーをやった時に話として出てきたのが
使う側から作る側に障害のある人も一緒に回ると
一気につながりが増えるという話があって
作る側に回ろうとすると
それこそ作り方を聞きに行くとか
作ってる素材を探しに行くとか
そういう風にすると一気にまたコミュニティが広がったりするので
それもすごくいいなとは思っていて
その辺もちょっと意識はしてるというか
まさにニュートラディショナルウィービングだなと思っていて
さっき交差点って言ったんですけど
伝統工芸ってよく言われるのが
伝統っていうのは縦糸であると
縦糸ってもともとセッティングしてずっと続いてるんですよ
横糸が入れて模様を作っていくので
どっちかっていうと先に縦糸を用意して横糸を交差させていくっていうので
それを象徴的に伝統が縦糸で新しいものが横糸だと言われるんですけど
ニュートラディショナルウィービングだと
人とか横が使うから作るっていうのがあったりとかして
そういう新しいソーシャルファブリックができていくっていうのが
まさに学校がやってることだなと思った
また新しい言葉を思いついた
ソーシャルウィービングはよく言うんですけど
ニュートラディショナルウィービングは
あんまり気分は差すると思った
確定と横が重なり合って織り上げられているソーシャルファブリックっていうイメージですよね
私たちも新しいとかつい言っちゃうところがあって
グッジョブセンターを作るときも新しい仕事を提案するとか
新しいって何かなっていうのを考えたりとか
めっちゃ聞きたいです
すみませんそんな大したことないです
グッジョブセンターが5年6年経ったときに
仕事が中川雅司商店みたいに向こうが共同玩具が必要なので
そっちの社会とか地域の側から来るニーズっていうのがあって
もう一つは障害のある人が
この人は機械は使えないかもしれないけど
叩くこととかが得意かもしれないとか
電話を取ることが好きかもしれない
その人の特性を福祉施設だから
ゆっくり見ていけるような人とか環境があるっていうのがあって
その二つの方からの要請みたいなものが
要請ではないんですけど
グッジョブセンターの仕事には
一見仕事だと思われていることと
もう一方では仕事ではないと思われている
対価になりにくいと思われているもう一つの軸があって
対価になる方はカフェをやるとか流通するとか
製品を作るってあるんですけど
最初なんか思ってなかったような
電話を取るとか
ここのグリーンのお世話をするとか
仕事だと思われてなかったけど
センターで運営するために
センターとしてあるために
必要な仕事っていうのがあるんですけど
そういうのも最初から実は想定しているわけではなくて
その得意な人がいた時に
そこが生まれてくるようなところがあったり
中野正商店から言われたから
ハリコの仕事が生まれてくるみたいなところが
あったりするんですけど
新しいって私が思ったのは
今はまだないんだけれども
本当にそれこそ出会いとか掛け合わせみたいなものとか
ニーズとかによって
今はないんだけど
それができたら
最初からそれがあって当然かのような
仕事として思えるようなことっていうのが
やっぱりあるなと思っていて
常にだから何というか
今はないかもしれないけど
あるかもしれない仕事っていうのを
探していて
なんでニュートラルでも多分そうなんだろうなとは
思っているというか
今はまだないって言ったら減るんですけど
でもそれは出会いとか何かによって
できるかもしれない仕事
名前はまだない仕事
名前はまだない仕事
いいかなとはちょっと思って
そうですね
すごくソフトを作ってらっしゃるんだよなと思って
ハードウェアの会社で
会社ハードウェアじゃないですけど
部署がね
部署がね
ハードウェアで物を作っているんですけど
携帯とかいっぱい作ると
携帯は常に新しさを
外側カメラが良くなりました
レンズが良くなりました
そうしているとだんだん
古くなって壊れていって
買い替えなきゃいけない
でもそれもったいないじゃないですか
環境に良くない
中が変わっていけば
どんどん新しい携帯になっていくわけですよ
だからどんどん賢くなって
スマート化していくっていうのも
新しい環境保護というか
建物が外であるけど
中のソフトとか仕事とか
やることのユーザーアビリティが変わっていけば
どんどん常に新しい状態で
あることができるという
ソフトウェアの特徴を
すごいやられていて
団体とかでソフトにやるのって
結構難しいんじゃないかって
私も偏見があったんですよ
やっぱりトップダウンで
ソフトにしていくみたいな
こういう風に
みんなのためにっていう風に
誰か偉いセンターの人が
ちゃんと指導して
柔らかく作って設計するっていう
勝手なイメージなんですけど
今日お話してて思ったんですけど
みんなフラット
ちゃんと自分の立ち位置仕事とか
作業もそうだけど
あんまり上下関係的な
なんかを感じないというのも
雰囲気で思って
公平さというか
なんかを感じたというのは
なかなかこれ作ろうと思っても
すぐできないぞって思うんですよね
秀さんの今のソフトウェアの
例えであったりとか
ニュートラディショナルウィービングの
イメージとかって
すごい派生的というか
このグッドジョブセンターという場所とか
タンポポの家という団体みたいなところに
留まっていない感じがする
それをすぐに
遠く離れた場所でも
応用ができるような
そういう風に動かれてるし
やっぱりニュートラルの学校
別になんかこれ
今もうそこまで
2022年までの時点で
されているので
されている実践の話として
僕ら聞いてますけど
順番にやっていったら
誰でも思いつく
やり方じゃないと思うんですよね
特にやっぱり
学校みたいな形にして
他の福祉施設とか
産地にも派生させていく
っていうこととかは
やっぱり最初の話に戻ります
タンポポの家という団体の
元々持っている
コンセプトじゃないけど
寛容さみたいなものが感じますよね
だから理解をしようという
他を受け入れようとか
違いを受け入れようという寛容さと
自分たちで頑張ってるだけじゃなくて
失敗もして学ぶという寛容さもそうだし
自分たちでやってるだけじゃなくて
他のセンターにもお願いをしようという
自分への寛容さと
センターとしての壁のない感じ
本当ここ建物壁のないから
象徴的だなって思ったのもあるんですけど
そういうなんか
最近本当にインターネットのせいで
寛容さが人間になくなってきてるんですよ
私思ってて
やっぱり人の顔が見えないと
すごくきつい言葉を
ネットで書いたりいじめたりとか
あるじゃないですか
ここってやっぱり人の顔が見えるし
ニュートラディショナルスクールの学校として
いろんなツアーをして
人に会いに行っているって話
人の顔が見えていて
そこでまた新しくできることが
エイブリングができてくるっていうところ
これやっぱり基本的に
人間としての寛容さを