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クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な工芸技術で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、分かりたいけど勉強しにくい工芸について、見たり、調べたり、作り手のお話を聞いて、時に脱線しながら、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラのしほです。
岩田です。
うみです。
はい、もうノリノリです。わくわくドキドキが止まらない。
なぜこんなにしほさんがテンションが高いかということで、今週も佐々木の衣装の織師・筒井さんと一緒にお送りしていきます。よろしくお願いします。
先週ちょっと西人からメディア論みたいな感じで面白かったんですけど、おさらいじゃないですけど。
織師すぎたよ。反省だよ。
岩田さんから先週あった問いかけの中で、ジャカードという織機が今も使われていて、一方で産業革命の象徴的な機械であったりするところで、
一方産業革命と工芸って対照的に夜中的に扱われるような文脈の中で、結構織の取り分けの西人の世界では素人からすると結構頭が散らかりそうな感じがしてるんで。
手仕事と大量生産みたいな二交対立で言うとどちらみたいなことですよね。
そうですね。
先週、相当特殊な手作業が残っている農医省の作る現場の話は聞いてたので、その辺りも深掘ったお話をしていきつつ、おそらく津杖さんのライブストーリーみたいなのは今回踏み込んでいけるかなと思ってますが。
そういうことなら、もう一回津杖さんのプロフィールをご紹介してもいいですか。復習かねて。
1982年の西陣生まれの大石でいらっしゃって、アパレル建築業を経て2004年に佐々木農医省に入門されます。
2017年に経済産業大臣して伝統的工芸品、西陣織の伝統工芸師に認定されるというプロフィールなんですけど、西陣生まれなんですね。
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一応そうです。生まれは西陣ですけど、育ったのは北区の方。ちょっと西陣が外れたところで育ったんですけど、西陣の方におばあちゃんの家があったりとかしたんで、それでよく西陣の方で遊んでましたよ。
お家が西陣織をやられてたんですか。
全然違う。僕の父と母は音楽関係の仕事をしてたんですよ。ピアノの先生したり、指揮者したりとかしてたって。
お父さんは飲食業をしてたんで、日曜日とか常におばあちゃんのところに預けられてたんですね。
西陣に住んでたおばあちゃんが洋裁店をやったんですよ。自分で仕立てした服を売ったりとか、着製品も売ってたんですけど。
そこでおばあちゃんにミシンを教えてもらったりとかしてて、小学校の5年生くらいの時には自分でズボン作ったりとか、シャツ作ったりとかしてて。
おじいちゃんは定年退職してたんですけど、すごい他趣味な人で俳句もするし、転穀もするし、絵も描くし、書道もするし。
60歳で定年してから書道を始めて、70歳後半くらいに先生の資格を取ったりするくらい、結構いろんな他趣味なおじいちゃんやってて。
僕は結構おばあちゃんのところで、洋裁店のお店のところで遊んだりとかしたり、それからおじいちゃんの所在に行って、
おじいちゃんのところにある作品集を読んだりとか、工芸に触れ合ったりとかしてて、っていう幼少期を経て。
中学入ってからは部活してたんで、おばあちゃんのところとかあんまり理解がなかったんですけど、中学卒業してから漠然とおばあちゃんにすごい憧れがあったんで、
アパレル関係の仕事に就きたかったんですよ。中学卒業してから高校一回行ったんですけど、将来高校卒業してサーリーマンになる気がなかったんで、
もうすぐ新京国のアパレルのお店に先輩が働いてて、そこで働かせてもらえるようになったんで、16からずっとアパレルで服の販売員してました。
ずっと販売員してて、そこの店でも働きつつ転々としたりとかしてて、とりあえず服が好きで、お客さんもすごく、顧客も多かったんで、
普通に携帯2台持ちとかで仕事したくらい、結構カリスマ店員的な感じでやってて、自分で言うやつちゃうけど。
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将来的に販売員よりももう1個枠超えたところで、デザイナーだったりとか、そうかまだスタイリストかっていうのをやりたいなっていうので、専門学校行ったんですよ。大阪のモード学院ってところなんですけど。
すごい、洋服デザインの学校といえば大阪モード学院。
それが18かな、1体行って、2年間行ったんですけど、その時もずっと服屋も兼業で、服屋もしながら学校通ってて、でもなんかね、ちょっと挫折したんですよそこで、20歳の時に。
アパレル業界っていうのにちょっと嫌気がさすというか、あんまり未来、そこの専門学校で出会った友達とか、いろんな才能に触れ合ったりとか、
あとちょうどその時にヤフーとかオークションとか、あとECサイトとかすごく出だした頃やったんで、服を人と触れ合って売ったりとか、そういう風な流れにならへんのちゃうかなって思ったんですよ。
今はそんな感じになってきてて、ザラやったりとか、ハイブランドが出したものをすぐ作ってコピーして売るとか、っていうのが完全に消費社会じゃないですか、アパレル業界って。
消費していくっていうことがすごく見えてきてて、すごくユニクロとかも値段競争でアパレル自体が安くなってきたりとかもしてたんで、あんまりずっと一生その仕事をしていく自信がなくなって。
で、一回ちょっとやめたんですよ、それをね。で、ちゃんとした手に職をつけたいというので、ちょうどその時にね、うちの家のリフォームしてくれた人が、壁紙の職人さんがいて、その人の仕事をずっと見てたんですよ。
で、これって食いっぱくれないんちゃうかなって思って。これ多分機械に変わるのは相当先だと思うし。
なるほど。機械を家の中に入れる方が大変だね。
だから実際今もそんな機械でできる技術がまだ生まれてないんで、その時にその親方に仕事もし一人できるようにやってもらえませんかっていうのでやってもらえたんですよ。
何のバックグラウンドもないですよね、昔会社でやったとかそういうのも全く。
建築関係もまあまあ好きだったんですよ、やっぱり。
おじいちゃんの部屋にあったのが結構古い建物とか、世界遺産の本とかも業者さん見てたんで。
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で、結構おじいちゃんと一緒に小学校の時に世界中いろんなところに連れて行ってもらってて。
おじいちゃんと二人で中国行ったりとか、イタリア、ヨーロッパ行ったりとか。
あとアメリカも横断まで行かないけど連れて行ってもらったりとかしてて。
おじいちゃんすごいかっこいいよ。
本網小越みたいなおじいちゃん。
初孫やったからね、孫パワーがすごかった。
孫パワーでいろんな経験させてもらって。
そういう経験もあって、でもいろんな世界を見て、小さい時ですけど、
でもその一周回って日本で仕事したいっていうのがあって。
日本の便利さとかね、気づいて。
だからその時宮大工とかも憧れてたんですよ。
でも宮大工も先があんまり見えなかったんで。
一般的じゃないし。
福谷ちゃんは壁紙貼る職人に就いて。
結構その親方が結構優秀な方で、
それこそ五所とかの階層とかにも入ったりとかもしてあったんですよ。
五所の内装の壁紙貼ったりとかもする職人さんやって。
あれは結構ね、壁紙貼る職人さんの中でも資格があって。
国家資格があって、それがある程度ないと入れへんかったりとか。
国家資格?
があるんですって。技能試験っていうのがあって。
それもあって、結構厳しくも優しく指導してもらってて。
いい方やったんですね。
今のところまだ佐々木の以上は遠いような気がするんですけど。
ちょっと端折りました。
いやいや、端折らないです。
職人との仕事に触れてるってことですよね。
佐々木が貼りって言っても無地のものをペッて貼るんじゃないですか。
そうじゃないです。無地のものを貼らせたりとか。
結構いろいろ。
職人です、ほんまに。座職人っていうのに。
だから今まではアパレルのチャラい仕事をしてたんですけど。
そこが一転して、ほんまに僕が理想としてた職人。
ほんまに座職人の親方の下で職人っていうものを学びました。
その時に親方に言われたのが、
たぶん入り始めて1ヶ月ぐらいした時に、
最初の壁紙を貼る職人は、リビングとか大きいところじゃなくて、
まずクローゼットとかから貼らされるんですよ。
縦売りとかのクローゼットとかから貼るんですけど、
クローゼットを任される時に、
天井の上のドアを貼って、
クローゼットを開けたところの裏側、
誰も貼っても一生誰も見えないところを失敗したんですよ。
反応を。
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でもほったらかにしてたんですよ、僕それを。
どうせ見えへんしええわって思って。
でもやっぱり親方は後で見張って、
ハケでフェルムとかぶってる頭パーンと叩かれて、
お前これどういうことやって言われてめっちゃ怒られたんですけど、
その時に、
お前にとっては今日一日の仕事やけど、
お客さんにとっては一生の買い物なんやぞって言われたんですよ。
その時にやっぱり妥協したらあかんと。
見えへん部分でもやっぱり妥協したらあかんというのを
すごい思い回してもらって。
細部に神は宿って。
そうそう、ほんまにまさに。
それを教えてもらって、
それが今でも職人としての心情になってるっていうのはあります。
なるほどね。
最初にめちゃめちゃいい師匠に就いたんですよね。
そう、ほんまに。
すごい人には恵まれてましたね。
すごい。
この仕事面白いなって気づいたのもやっぱり
いろんなものをおじいちゃんに連れ回されて。
でもそう、それもあったと思います。
アンテナはもうあったんですよね。
そうですね。
ちょっと思ったのがやっぱり
テクノロジーと人間の関係性に対して
すごく敏感な感覚を持ちだったんだなって思いましたね。
確かに。
ていうか、すごくいい方に言ってもらってて
自信がなかったっていうのもありますね。
そっち側に行く。
高校も行ってなかったんで
そういうECというか
コンピューター系の仕事に就くっていう考えが全然なくて。
そういう側だったかな。
とりあえず物を作る仕事はしたいっていうのが
根底にあったんで。
そこから1年ぐらい経って
結構手先も器用だったっていうのもあって
自分で1人で仕事任せられたりするようになって
1つのマンションとかも
道具積んで行ってこいと言われて行ったりとかしてて
やっぱりゆくゆくは独立もして
自分で仕事も取ってきて
独り立ちしなあかんっていうのも見据えてたんで
ちょうどその時に
西陣の町屋
それこそ
大谷屋さんが辞め張ったところとか
町屋をリノベーションしてカフェにしたりとか
民泊にしたりとかっていうのがすごく流行ってきてる時期だったんですね
今から18年前ぐらいのとき
その時に僕もともと西陣にも住んでたし
その友達とか親戚のつてで
町屋をいろいろ紹介してくれ紹介してくれということを言うてて
仕事終わってから
一人親戚のおばちゃんが
町屋ちょっとやってるところあるし見に行かへんかって言われて
行ったのが佐々木農場だったんですよ
でその佐々木農場を行った時に
佐々木農場自体も今その時は違ったんですけど
今は京都市の文化財になってるぐらい古い建物で
ザウナギの寝床っていう
奥に長い建物のような
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古い建物なんですけど
築何年ぐらいになるんですか
いやでも創業と一緒だし140年ぐらいですかね
でずっと中を見てて
職人さんは帰ったんですけど仕事終わってからだし
奥に工場があるんですけど織工場が
でバーって入ってて
織工場に入った瞬間にバーって鳥肌立って
でそのね
肌見た時にね
おばあちゃんが使ってたね
足踏みミシン
僕はちっちゃい時に
おばあちゃんが足踏みミシンで
服を作ってたっていう
すごい何て言うんですか
古い思い出があって
それとその肌がすごくマッチしたんですよ
何て言うんですかね
でこの肌動かしたいと思ったんですよ
その時に
その時全然僕おのおの知識もないし
着物のことも全然知らないし
伝統工芸とか工芸のことなんか
一切何も知らなかったんですけど
音は聞いてたからね
どういう織物を作ってるっていう知識しかなかった
でその肌を見た時やりたいと思って
鳥肌バーって立って
でもうちょっとね
そのおばあちゃんって
僕にとったらすごい
生まれて初めて出会った
最初に尊敬した職人やったんですね
だから言うたら
これもしこの
肌織りができたら
自分で織った糸から作ったもので
自分の好きなものが作れるって
すごいおばあちゃんを超えれる職人じゃないですか
でもうそれをやりたいと思って
で次の日に親方に
やりたい仕事が
やりたい仕事が
やりたい仕事ができたんですって言って
でも親方すごくすごくいい関係やったし
その日はもうお互いに
男泣きして帰ったっていう
男泣き
親方もちゃんとすごい悔しいって言うたって
僕もやっぱりずっとすごいね
お世話になってたから
好きな親方やったし
でもその抱えてる現場だけはちゃんと
やり終えなあかんしっていうので
約束して
親方にはとりあえず許可もらったんで
その足で佐々木に行ってやらせてくださいって
言ってたんですよ
そっか
そっか
順序は逆だとおかしいからやっぱり
ちゃんと親方に言ってから
佐々木の後ろに言ったら
ちょうど僕が入る1ヶ月前に
一つ旗が空いたんですよ
若い職人が辞めたのかなんかで
人は一応探してたらしくて
今度やるかっていうので
そこで入社が決まったっていう
引きが強いですね
そうですね
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後々それが決まって仕事が
一応母親に報告でね
そういう苦労したら辞めて
旗織りの仕事をすることにしちゃうんやって言ったら
ほらあんたそれは運命やでって言われて
僕のそのままおばあちゃんの方の
田舎が田んごにあるんですよ
田んごにも親戚がいて
田んごちりめん作った
モメヤロクエモンっていうのがいて
それが僕の先祖やったらしいんですよ
ヤバい
伊都編の地はあったらしいんですよもともと
ヤバい
そういうのも後押しされて
今の仕事をずっと続けてるっていう
もういいね
それ聞かされたことなかったですか?
なかった
向こうにお墓もあったし
お墓参りもしてたけど
そんなん何も興味ないから
小学校の時に
さらに中学入ってから
ほぼほぼ行ってないじゃないですか
向こうには
中学卒業してから仕事してたから
だから全然見てなかったけど
向こうの
改めてお墓参り行った時に
ちゃんとお墓に
田んごちりめんの子祖っていうのが
お墓に掘ってあった
その時に初めて改めて
ちりめんの子祖
アパレル好きで
カリスマ店員の時に
フラグが立ってたんですけど
本人は自覚が
なかったですね
カリスマ店員は
切っといて
後々考えると
運命の引き
そうですね
今考えるとね
その時の感覚というか
ファーストインプレッションが
すごく強烈だったのが
今でも自分では
すごく残ってますね
それは
自分の感覚に
すごく正直に動いていて
行動力も
あるし
やっぱり最近の
皆さん悩みどころが
今のことをやり続けていて
良いのかなと
悩む人が
いっぱいいるんですけど
そういう人たちって
誰かに認められるかどうか
他人が
物差しになっちゃうと
やっぱり悩むじゃないですか
なかなか行動を出せないし
あとはあれですね
自分が感じた感覚を
信用していいかどうかという
勇気みたいなの
この感覚は
信用していいんだろうか
僕もそうですけど
思いがちですよね
僕の中の条件があったと思うんですよ
たぶんその工場に入った時に
それが機械折りだったら
たぶんやってなかったと思うんですよ
足踏みを
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機械を使った仕事だったら
もしかしたらやってなかったし
たぶん全て1から10まで
全て自分の力だけでできるっていうのが
すごく魅力というか
下手もやっぱり
ネミシンを使わないと手で縫いますし
染めとかでは
細かいことを言うと
染めなんかは化学洗浄を使ってるから
どうやらっていうのもあるんやけど
でも植木先染めする部分もあるんで
そこは結構一つ
僕にとっては重要なところだったかもしれないです
その隣立ちっていうものが
自分でちゃんと見届けて
やっていくっていう感じですよね
あと本当に帰ってからね
その日取り当たって帰ってから
納衣装ということもちゃんと調べた時に
納衣装っていうのがすごく残るっていう
やっぱり構成にも残るし
もともとあったものも残ってるし
それも結構やっぱり
やりがいにつながってる部分にも
あるかな
博物館とか
やっぱり
やっぱりその辺の
作り手もあるかな
博物館に置かれるか
納で着られるかの
いずれかといって
古工的なものとか
それを作ったら
100年1000年2000年って
残っていく
自分が作ったものが残っていくって
考えると
やっぱりそれはすごい仕事だなって
やっぱ魅力がね
やっぱりそこですごく多くて
ただ単に着物の帯だけ
作ってるところだったら
またそれもちょっと考えようと
かもしれないです
これからやっぱり社用産業
社用産業っていうんですかね
なっていくっていうのが
目に見えているので
そこで納衣装っていうのを
勉強したっていうのも
結構大きかったかな
やっぱり着物を着る人が
今減ってきちゃっているから
っていうのがあって
社用産業って言われている中で
逆の動きもあるじゃないですか
着物じゃないものを
じゃあ作っていけば
残るかも
でもやっぱりそれもできるところも
やっぱりそれなりの経済力とか
そうですね
地面を続けられる
やっぱりその経済的な
経済的なものを
地面を続けられる要素がないと
やっていけないから
やっぱりだんだん減ってきちゃってるし
職人さんも減ってきてるし
だから
伝統工芸があるあるなと思うんですけど
それを結局
脳だっていう
脳っていう
日本の伝統の
芸能としての
本当に最初の一つ
っていうところで
やっぱり
最初の一つっていうところで
残していけるっていうのと
まだ驚くのが
まだ新しくまた
そういった置物を作ってるっていう衣装を
私それ知らなかったですよ
ずっとあるものとかを
着て
24:00
もうだってたくさんあるんだろうか
保管してくれるのかなって思ってたんですけど
そうやってなんか
新しく作っていってるっていうのに
すごい驚きました
でもね農学士さんと喋ってると
脳衣装っていうのはやっぱり消耗品なんですよ
ああ
そんなに言うても持たないんで
そうなんや
美術館にあるようなレベルのものって
使えなくなったものが多いと思います
技術的なものとかとして
置いてるだけっていうのがあって
文様とかもそうですけど
だから結構美術館にあるようなものを
元に復元するとかっていうのが多いですね
新しく作る場合は
復元する作業って
サイエンティフィックじゃないですか
あるものが
だって作り方を知ってる人がもういないんですよ
言ったら
そうですよね
探偵みたいな感じですよね
目の前にものがあるけど
この折り方や糸や
どうやってこの色を出してて
どうやってこの組織
折りのこと
折りのパターンの組織って
できてるんだろうっていうのを
昔の人は
顕微鏡もないから
肉眼で見て想像して
あと知識と達したのでやってるけど
今は
電子顕微鏡レベルで
見ようと思ったら見れるけど
それを理解して
再現できるかどうか
やり方としては
サイエンティフィックだなって
その話の流れで
ちょっと話の内容変わりますけど
僕が
一つ
ライバルにしてるのがあって
僕のライバルっていないんですよ
今
どういう意味なんでしょう
現在というか
いる人間では
言うたら
今のある会社に入った時に
僕の一番年近い人でも
60代だったんですよ
職人が僕入れて
7人か
いたんですけど
僕以外は60代くらいの人で
すごい若いの入ってきたなって
そこでもね
僕たちとかほんまに
トイレ掃除するぐらいのつもりで
行ったんですけど
問い込みで行ったんで
だけどめちゃめちゃ可愛がってもらって
孫パワーある
またハッキリ
もうえぐくて
孫としての扱われ方としたら
もう天下無言だったんで
プロ孫も
本当に僕からしたら
人間高レベルの職人さんが
僕以外6人いるみたいな感じなので
すごい職人としての環境はすごく良くて
だから
前回も言った通り
佐田機能所って
いろんな織物の組織
いろんな織物があるんで
8台1台ずつが
全部違う組織の織物なんですよ
職人がそれぞれに
専門職人がついてて
27:00
っていう状況の中で
僕は全ての組織の織物を
教えてもらってるんですよ
すげー
それは勝てない
だからね
何て言うんですかね
そんだけの種類のものを織れる職人さん自体が
多分あんまりいないですね
いやーそうですよね
ロイヤルゼリーが濃いすぎもんだ
何それ
いやーこれもう
女王鉢になるわっていうくらいの
濃い
これは濃い三つの
スモースって育ったなー
これは確かにライバルどころじゃない
敵なしって思われると違うんですけど
おじいちゃん
職歴そんだけ違う人を
ライバル視するわけにもいかないし
かといって僕よりも若い職人さんっていないので
脳衣装を作ってる職人さんがね
いないので
今までは機能の自分が
ライバルみたいな感じで思ったんですけども
でも広い脳衣装っていう地点で
脳衣装っていうものを見たときに
300年前の脳衣装を復元することもあるんですよ
なるほど
300年前の脳衣装を復元するときに
300年前の脳衣装の裏地を取って
その記事の裏を見るんですよね
その時の職人さんがどんだけ手を抜いてたとか
どんだけチッキッキッチーやってたとか
分かるんですよ
これ前出ましたね
須藤さんの話で
ちなみに須藤さん僕も友達で
その話したことあるんですよ
須藤さんもなかなか変態やから
生きてますよね
昔の職人って
さっき言ったとおり
300年前の職人はジャガードもないんですよ
ジャガードもないし
音楽もないし
iPhoneもないし
クーラーもないし
そんな状況で追ってた人が
人間よりもダサいものを作れないじゃないですか
今の人間が
今の条件が良いのにね
今なんかね
音楽聴きながら
クーラー聴いた部屋で
子踊りしながら追ってるわけですよ
300年前の職人より悪いものを作れへんし
さらに300年後に
僕の追ったものを見て
笑われるわけにはいかんっていうプライドもあるから
そういう意味では
300年前の職人が僕のライバルっていう風に考えて
仕事してるかな
スペキュラティブだな
スペキュラティブ?
そうじゃないよ
過去の未来からの見たじゅるっていう
確かに
そこは
もうなんか必死なんですよねみんなね
子だって
託して
託さないと
もう無くなっちゃうじゃないですか
それが6人とかまだいたら
一つ一つに
30:00
じゃあお前には俺のなんかこれだけ
お前だけに教えてやるとか
一人しかいない
もう取り合いとさせてる場合じゃないし
みんなで
彼を大切にして
全部覚えてもらって
何とかしなければ
結構僕の前でね
こう教えるんやっていう喧嘩をよく見ましたよ
教え方の流儀みたいな
僕がそれをね
一応両方試すんですけど
でも自分のやり方にあった方でやるから
楽天した方のおじいさんには
ちゃんとケアして
モテすぎてこない
そうですね
大谷上平どころの話じゃない感じがしてきましたね
いやいやいや
南東流かっていう
南東流かっていう話になってきましたね
それは
それとあと
仕立てもいろいろさせてもらったりとかもしますし
そっかそっかそっか
ソルも全部やってるとこだから
もともとソルもおばあちゃんからね
移動の扱いを教えてもらってたんで
だから手が空いてる時とか
家帰ってからは自分自宅で仕立てしたりとかもしてます
じゃあ前回の話で
佐々木納一生さんの社長さんが
ある種プロデューサー的なポジションで
栽培をされるっておっしゃってましたけど
そのあたりの
やっぱりプロデューサー的なポジションっていうのも
同時に学ばれてるとか
身につけられてるって感じですか
いやでも僕は後取りになろうと思ってないので
でも社長が持ってる技術っていうのは
自分が持ってる技術が
でも社長が持ってる技術っていうのは
全部学びたいとは思ってます
だから最悪
最悪ほんまに
納一生を作れる職人が僕一人になったとしても
作れるっていうところまでは
技術的には持っていきたいですけども
でもなかなか一朝一夕には行かないし
でもそれが楽しい
この仕事の楽しいところでもあって
めちゃめちゃ聞いてるだけでワクワクしますね
さっさと人間の欲求で
自己実現欲求っていうのがあるじゃないですか
それをすごく満たせるというか
もともとものづくりが好きなので
一個ずつレベルというか
一個ずつこれができるようになった
集大成が納一生だと思っているので
永久にありそうですもんね
今学生に本当にこれ聞いてほしいわと思って
就職どうしようとか
どう生まれることゴールとかじゃなくて
そこから自分で何をしていくかっていうのを
自分で見つけていくっていう
まあそうですよね
だからさっきの自分の好きなことが
わからない感じになってしまっているってこととか
あと多分それと理由のコインの裏表だと思うんですけど
よく日本人が言われがちなのは
社会人になった途端に
33:00
学ぶっていうことをやめる
そうですね
それはないですね
そうですよね
あそこでもすごい共感する
本当に結構おじいちゃんがずっと言ってたのが
一生勉強やっていうのを言ったし
同じこと言われて育ってます私も
父が研究者で今94歳なんですけど
本を書き終えたって
すげー
学校の先生もやってるし
94歳でしょ
僕のおじいちゃんも98まで来たんですよ
目標を常に持ってる人って
すごい長生きするんやなっていうのを
そうなんですよめちゃめちゃ
めっちゃ元気
本当に好きなことをやってて目標を持ってて
悪なき探究心
それ持ってたらボケないですよ全然
それはねおじいちゃんみたいに僕も思いますやっぱり
佐々木の遺書さんに入社したのが2004年ということで
もう20年弱経とうとしてるわけですよね
そうです
結構そこからまたさらにお話が楽しそうだなと思ってる
そうですね
ちょっとその辺が
もうほんまにアッチューマンですよ
ゲスト回の時間の早さ何なんですかね
時間が
4エピソード目欲しいわっていう
もうすでにそういうモードになっちゃってますけど
ちょっと距離もあるんで
そうですね
というわけでまた次回に続いて
今後の辻さんの話を聞いていきたいと思います
まだまだ
というわけで倉田志ラジオは毎週火曜日に配信しておりますので
ぜひフォローして毎週聞いてください
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コンクラコレクティブもよろしくお願いします
はい
というわけで来週もよろしくお願いします
お願いします
ありがとうございました