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CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
シーズン4、2回目です。
あれ?自己紹介は?
あ、そうだ。コンクラの海です。
塩です。
岩田です。
はい。
あー、噛まない。勝ったのになぁと思ってた。
何かが抜けてますね。僕の欠点を垂れ流しながらやってるシーズン4なんですけども。
急いで撮ったメモ。シアスター・ゲイツ・アフロ民藝という展示が、たぶん8月の終わりくらいまで未確認ですけど。
そこ、ちゃんと調べよう。
9月1日までってなってますよ。
9月1日なんですよね。東京都の六本木ヒルズの森美術館っていうのがあそこ。正式名称。
そうです。
で、やってます。
一応、僕もこの話をした後に行くつもりではおります。
行こうかな。
という感じです。
民藝、リチャンスっていうタイトル。
それは俺がこの番組用のメモに書いてあります。
今初めて言った。
僕らの民芸テーマの収録が2回目なんで、僕らにとってのリチャンスです。
シアスター・ゲイツさんっていうのは僕も詳しく知らない方なんですよね。この本人、アーティスト本人自体は。
で、シカゴ出身ですよということで。
それこそ大正時代の想像するのと同じように、自分の知らないものを想像するって結構難しいっていうか。
塩さんってシカゴ行ったことあります?
自分の父がシカゴに住んでました。
なんで、高層ビルとかがバーンってあるのとか。
シカゴ大学とか。
あ、ごめんなさい。
あとシカゴといえば美大が有名だね。
リズリーシカゴだっけ?
違う。シカゴ美術大学。
多分シカゴ美術大学出身なのかな。シアスター・ゲイツさんは。
高官留学生をやってもいいんですね。
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エラスマスっていうのが、ヨーロッパとかアメリカとか。
エラスマスがあって、その候補の中にシカゴが入って行ったら、私行きたかった。
結局アムステダム行っちゃった。
で、シカゴのサウスサイドの話が出てたんですけど、
僕ら日本に住んでる人のシカゴのイメージって、
ダルビッシュがシカゴでカブスで投げてたとか、そういうことのほかは、
私それ知らんなと思って。
まあまあいいんだけど。
野球好きにはって話だよね。
もうちょっとシリアスなところで言うと、
2010年代とかは、
米軍が派兵してたイラクとかアフガニスタンで死んだ兵士の数と同じぐらいの量の死亡者をシカゴで出してるので、
だからあんまり安全な街ではなかったっていうことですね。
それは普通、何で死者が出てるって話ですか。
犯罪とかです。シャイラクって呼ばれて、シカゴとイラクをかけてシラク、シャイラクとかっていうスラングが発生してるぐらいシカゴは違うん。
2010年代では全米でも屈指の治安の悪い都市で。
岩田さん、チャンス・ザ・ラッパーとか。
チャンス・ザ・ラッパーはそこの中で、わりと理智的なというか、わりかし理性の効いたコンシャスラップみたいな感じで、
シャイラクのこととかその周辺のこととかをリプレゼントしてたシカゴ出身のラッパーがいましたよね。
僕、シカゴっていうと、古くはシカゴ・ブルースとマディ・ウォーターズとか、ブルースをエレキ化した街っていうイメージと、
2000年代とかだとシカゴ音響派みたいなムーブメントというかグループがありましたけど、
やっぱり2010年代以降だとそうですね、チャンス・ザ・ラッパーとかノーネームとか、その辺の。
音楽も結構確かに岩田さんに言う通り盛んで、ローラーパルーザーとかピッチホークミュージックフェスティバルとかもシカゴにやる。
音楽の街っていう側面もあるというようなところの出身のシャスター・ゲイツさんとかで。
アートとか音楽が盛ん、アメリカの中でもわりと、ニューヨークって今イメージあるけど、結構盛んに行われてる。
バプテスト教会とかはやっぱり自分の原風景だったので、そこで、教会って言うとパイプオルガンなんですけど、
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それが設置できないところで多用されてたのが、ハモンドB3っていうオルガンですよね。
普通に野球のチェンジする時のジングルとかオルガンとかでやったりとか、ああいう感じの音もするやつですね。
って言ってもわかんないか。
ちょっとわかんないです。
そうですよね。
野球の例えを。
野球の例えやめろって話だよね。
普通にモダンジャズとかで、オルガンのジャズとか、ジミー・スミスとかわかんないですよね。
そこで使われてるような、ジャズとかでもよく多用されてるハモンドB3っていうのが、バプテスト教会ですごく身近な存在だったってことで、
それのシカゴ音響花梨とかもつながりそうなハモンドB3の作品があったので、岩田さんお楽しみにっていう感じですよね。
それがシアスター・ゲイツさんがミンゲイっていうところに関わった、後か前後かちょっとあれでしたけど、
もともと持っておられるブラックネスみたいなところのマインドの制作物とかインスタレーションも結構ありました。
人となりを紹介する展示があって、面白かったのは、彼だけの作品ではなくて、
彼はそこから愛知県常名目市でレジデントみたいな形で策闘する、2004年か6年とかかな。
こういう言い方ですけど、ドイツのドキュメンター13あたりの彫刻の芸術のフェスティバルがあって、
わりかし伝統があるところで、そこでブレイクすると世界的に注目されるみたいなところがあって、
ブレイク前に常名目に行ったのかな。
常名目の町がやっているプロジェクトだったのか、町だけじゃないけど、
民家とか工芸士のところに居住して制作するみたいな。
そこの経験が彼の中ではものすごく大きいことだったみたいで。
そこから毎年日本に来ることになったよね。
それで策闘っていうのが、彼の元々持っている芸術表現にすごく重要な位置を占めていくっていう、
プロセスも結構丁寧に書いてあった感じですね。
常名目っていう町は僕も同じ愛知県出身でありながら、知ってるようで知らないんですけど、
実は千年近く前から粘土を焼いている文化がある町で、町というかエリアで、
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僕らが普通想像するのは赤ちゃけた、薄い釉薬がかかってないかぐらいの急須とかそういうのを想像するんですけど、
それよりも前に本当にインフラとか土管とかも陶器で作ってた時代は床舐で大量に土管とかが作られたりとか。
工業的に近いけど。
産業革命以前とか普通にそういう意味で言うと工業地帯だったと思うんだよね。
でっかい亀とかそういうのを作られたりとか。
織田信長の命令で瀬戸だけに作刀用魚は集中するぞっていうのでちょっと壊滅的な危機があったらしいんですけど、
それを乗り越えて江戸時代もずっと陶芸の、陶芸って言ったらだな。
器作ってるみたいだな。
用魚、粘土を焼くところがずっと数百年千年近い歴史であるようなエリアですよと。
町としては今も認識されているよね。
民芸展と比べたらあれですけど、そのことをやっぱり説明せんといかんもんだから、
床舐の歴史と民芸の歴史とアフロアメリカンの美術史みたいなのがすごい丁寧な年表が展示されてたんですけど、
床舐のところで言うと、古家家っていう、現代のところで言うと小家漁師さんっていう人がいるんですけど、
そういう人たちが、古家家が引っ張ってきた床舐焼きみたいなことがあって、
そういう一家とかが中心になって、別に意思送電ではないんでしょうけど、
引っ張ってきた洋々エリアのカルチャーがあるんだなっていうことをちゃんと伝えていました。
それで、なんだろうな、結構アフロ民芸っていうタイトルだけ聞くと、
それこそ民芸っていうのがある種のコモディティ化した手垢のついたワードとして、
聞こえなくもない中で。
場所的に六本木の森美術館で、民芸って言われちゃうと、一緒に聞こえる。
チャラめに聞こえるっていう、そういう意図ないと思うんですけど、
それは僕らの手垢のついた都会に住んでる人の感覚かもしれないです。
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チャラめに見える。
そもそも六本木で働いてたから。
二人ともね、森美術館で。
ああ、六本木でそういう手垢やるんかいって感じ。
アフロ民芸、なんかチャレーなみたいなタイトルだけ言うと、
思ったんだけど、中入ってみると、ちょっと軽い気持ちで行くとすごいやけどする内容だったんですよね。
全然違ったって言いたいです。
チャラくなかったっすっていう。
先週も話した、山本博紀さんの現代美術、中央古農舎のところの文章の試みなんですけど、
西洋とか欧米が引っ張ってきた現代美術を中央として、
それに影響を受けてきたものを周辺とする在り方を、
現代は見直さんと説明ができないっていう前提の、
仮説というか提案というか、そうせんともダメだよっていう提言があるんですよね。
全世界的に見ると、
黒人が作ってきたアートワークとか、
そういうものに、中央があって周辺の派生物としてしか評価されないとか、
そういうようなアートワークの評価の構図があって、
それ自体とかをちゃんとひっくり返してゼロベースでやらなきゃいけないよねっていうのが、
近年ようやくヨーロッパでもまともに着手され始めたばっかというか、
ショウさんと僕がたまたまパリにいたときに、
パレフランスかどっかでやってたっけ、
パレード東京ではないとこだけど、
美術館の一個で黒人の美術史を取り上げた特集の展示とかがあったんですよね。
覚えてないか、まあいいや。
みたいな感じで、ヨーロッパでも文脈を見直さないといけないという気持ちが、
何回もパリっていうか、どの展覧会とかもいいです。
そういう中で、シアスター・ゲイジさんとかは、
ブラックネスみたいなスタンスとか立ち位置みたいなところでアートワークをやってる人間として、
そういう立ち位置に対してはかなり自覚的な、控えめに言って自覚的な作家の方だと思うんですけど、
その方がミンゲイとどういう補助線を引いたのかっていうのを、
我々が想像しながら見ていくことが重要なんじゃないかなという。
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そもそもそのブラックネスっていうのは、
だから黒っていうのはないっていう意味に取られる。
白黒をつける黒とか。
だけどシアスターさんは、自分の作品とか、
全部ブラックネスっていう発行というか空間、
そこにはブラックネスっていう存在はあるんだっていうことを主張してブラックネスって言ってる。
何もそこにないとか、不ではないっていうことだよね。
だから作品も結構黒い作品はもちろん多いんだけど、
その中でさっき言った光が当たっていない場所とか物とかに対して、
収集したりとかシェアを共有したりとか空間づくりをして、
そういうものを例えば教会とかが壊されますよってシカゴで、
そしたらその教会はやっぱりみんなが集まる場所だったんだけど、
その象徴的な場所が壊されるのは、
そうやって都市開発を進むと、
そういう黒人たちが寄り添って支え合って生きていた場所が消されてしまう歴史だって言って、
そういうところでパフォーマンスをしたりとか、
あとは町から1ドルだっけ、元銀行を買い取って、
自分たちで改装して、潰れる本屋さんとかいろんな人から亡くなった人とか、
いろんな本とかいろんなものをかき集めて、みんなに公開している。
図書館でありミュージカルコンサートホールであり映画館であったりとか、
そういうのを普通やると、確かにアーティストがそういうスペースを再構築して、
アートセンターにするという話は別に珍しくはないんだけど、
彼の個人的にすごいなと思ったのは、
ちゃんと自分で映像化するためにシステムを作っていることなんだよね。
マイブームで思いつきでやるかもしれないけど、
基本的に軸は変わっていないので、
思いつきでやったとしても映像化するようなエネルギーを出し続けている。
例えば、普通だと1個を何とか続ける。
そこには建物を直すだけじゃなくて、人も必要だし、お金が絶対発生するわけですよ。
お金をどこかからもらったりとかしていると、そこの援助が切られたら終わりじゃないですか。
自立性というものが必要だからと言って、
18:00
次にもう一個、最初は1ドルだから安い。
もう一個、1回目でうまくいったからと言って、
2個目を買って、そこの建物はもうボロボロだったんだけど、
代理席で作られている部屋があったから、
それをカットして、代理席を。
ブロック状にして、そこに掘ったんだよね。
サインというか、その場所の名前か、ちょっとすみません、記憶がうろぼえて。
で、それをアートフェアで1個、いくらか忘れたけど、
10万か400万かわからんけど何万円かで売って、
それを資金として立て直しにしたりとかしてて、
だからアートを、建物から作ったアート作品をさらに売って、
またそれを資金にしてということをくるくる回転させて、
エリアのいろんな、結構9か所か11か所くらい今運営してるよね。
なんかね、もう勘のいいリスナーはお気づきかもしれないんですけど、
結構そういうところでは柳宗之の行動と結構類似性があるんですよね。
民芸館を作るとか、そこでエコシステムを作る。
シャスター・ゲイツさんの言葉がちょっと引用されてたんですけど、
収集自体が表現であるっていう感覚ですね。
集めることが表現っていう。
多分、民芸運動もそういう側面多分あったんじゃないかなと思いますよね。
あるし、あとは収集って言っても、
結局みんなのアクセシビリティがないところに収集して保管じゃなくて、
人が見えるところに保管するっていうところも同じ特徴だよね。
シャスターさんは、だから場所をオープンにするというよりは、
もちろん場所はオープンだし、むしろそこにあった、
もともと個人の家にあったものが、
そういう公共の場にとんでもない数の本だったり、
とんでもない数の陶器だったりとかを集める。
民芸って雑誌じゃないんだけど、
当時あったエボニーっていう黒人向けの雑誌、カルチャー誌みたいなのがあって、
そのバックナンバーを大量に保管してるんですよね。
それが一応読めるようになってて、結構面白かったけど。
だからフォーブスでいうところの、
我々に影響を与える何十人みたいな記事あるじゃないですか。
アンダー30みたいな。
そういう感じで、例えばエボニーという記事には、
我々黒人のコミュニティに影響を与えた黒人の30人みたいな特集があったりとか、
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その間にはキャデラックとかの広告なんだけど、
モデルが黒人だったりとか、
その下はアース・インド・アンド・ファイアの神父の広告とか、
そういう感じのカルチャー誌なんですよね、エボニーっていうのは。
もともとそういうメディアが全くなくて、
でも突如としてそれを作ったパブリッシャーがあって、
それがかなりうまくみんなを勇気づけた知人気メディアになったよっていうところも、
でも結局そこの会社も潰れちゃったんだっけ。
結構急ぎなしで見たからわかんないですけど。
とにかく保管することに対する熱量がすごいのと、
彼自身の作品とかも、
めちゃめちゃ理性的というか、
感情すらない、表情で言ったら無表情みたいな感じなんだけど、
その無表情の内側にはものすごい爆発しそうな怒りが溜まってるっていうような感じで、
そんなお急れと軽い気持ちで言ったら大火傷するような作品がね。
2時間以上必要だよね。
そもそもですけど、このアフロミンゲイっていう展示のコンセプトは、
シアター・ゲイツさんが。
自分で最初の入り口に書いてあった。
アフロミンゲイとは。
以前からそのコンセプトで今のお話になったような活動をやってたっていう感じですか。
今回の森ビルのために、森美術館のためにじゃないです。
森美術館がミンゲイって言葉流行ってるんで、
シアターさんにアフロミンゲイっていう企画でお願いしますよっていう感じはない。
一応ね。
やめてくれっていう。
俺の言い方って悪いあるから。
某広告会社から言われてるみたいに聞こえるからやめてほしい。
チャラい企画書が想像されますよね。
それで言っちゃうとね。
そういうのではなくて、でも行けば分かるんですけど、
常名での制作活動が彼に精神的にも与えた影響がすごい強かったので、
自然にそのミンゲイっていうことのコンセプトに、
シアター・ゲイツさんが没頭していくじゃないけど、
入れ込んでいく過程が展示からも伝わる内容になっていて。
面白かったのが、シアター・ゲイツさんがフィクションで作ったキャラクターがいるんですよ。
24:00
山口翔二さんだったかな。
山口インスティテュートっていうのがあって、
山口翔二さんっていうミンゲイ活動の活動家の作党の架空のストーリーがあって、
それを作品にしているっていうのが結構、
メタフィクションってこういうふうにも使えるなって結構衝撃を受けた。
しかもその山口インスティテュートの年表とブラックカルチャーと、
ミンゲイの歴史と世界の歴史が年表に並行して展示してある。
だから何代目山口何度かとか言ってたんですよ。
それ自体適当なんでしょうけど。
全部存在しない人とかのことが横に書いてある。
だからふっかりすると信じちゃうよね。
ちゃんと説明を読むとあれってなるんだけど、
ふっかり山口って人すごいなって。
ああいうメタフィクションって、
黒人がやってるジャネルモネイとか、
ジャネルモネイっていう架空のキャラを演じるアーティストもおられるんだけど、
山口肖像さんはその後ある出会いがあって、
恋愛してアメリカに行くっていうストーリーなんですけど。
黒人の方と結婚して、そこでアフロミンゲイみたいな話もある。
実際ないんです。
架空の鎌本なんですけどね。
山口って結構おもろい。
ちゃんと毎年床舐に行って、
山口さんの作品をそういう手で作ってるから、
ある意味しやすささんが床舐に行く、
作品を作るってことは自分に何かを取り込んでる。
結婚じゃないけど、取っついてるわけでもないけど、
自分の作風とか思考とかにかなり
自分の入れ物として入れてるわけじゃん。
板子みたいに。
それが出てきたのが山口インシチュートっていう。
鎌本?
鎌本っていうか、架空の。
結構、架空の門ってJ文の名前、ゲイツだから。
塩田ゲイツさんのゲイトを日本語の門っていう風に置き換えて、
酒蔵とコラボしたりとか、そういう作品もあったっていう。
実際お酒を門っていう、
銘柄を作る。
銘柄を作ってたりとかするんですけど、
そこにしがらきの貧乏とっくりっていうのがあるんですけど、
それは自分でお酒を買ったときに、
とっくりも自分たちの名前付きで買うんだけど、
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ちょびっとしか買えないときとか、
はかり売りで本当にちょっとしか買えないときは、
持ち込んだやつでやるから貧乏とっくりなんだっけなっていう。
言ったらちょっと安くなるんじゃない?
だからスタバのタンブラーみたいな感じなんでしょうね。
そこにそれを大量にコレクションしてた人がいたんだけど、
亡くなってたぶんもう23000…
1000個のコレクションを展示してたかな。
これすげえじゃんみたいな感じで、
スケール感と行動力がすごいから、
その1000個をまとめて展示するぜみたいな感じで、
持ってきちゃうんですよね。
持ってきた上にそこにモンっていう、
また自分のロゴも混ざってたりとか、
あとはどこだっけな。
とこなめの鎌本さんですね。
これは結構真面目な話なんですけど、
別に貧乏とっくりが真面目じゃないかって言ったらそうではないんだけど、
もう跡継ぎがなくなって潰れなきゃいけないような、
保管に困っているある、
とこなめ焼きの鎌本さんの大量の器のコレクションというか、
在庫というか、倉庫に溜まっているものを、
もうこれ全部買い上げて、
アメリカにこの展示場あったら持って帰るぜみたいな。
どえらい量なんですよ。
持って帰ってみんなでちゃんと参照して、
とこなめの作り物をアメリカの方でも学んでほしいというか、
話として共有して、
みんなの気づきの機会にしようぜってことだと思うんですけど、
そういう熱量とかを目の当たりにすると、
アフロミンゲって名前ちゃれーと思ってたら自分が恥ずかしくなってくるっていう。
企業コラボも結構してるんだよね。
例えば京都の舗装さん、西陣多いの舗装さんとやってたりとか、
お酒もとこなめで、
一回ちょっとこう、何かが原因でつぶれちゃったけど、
みんなでもう一回酒蔵同士で助け合って、
存続している場所と、
そこと作ったお酒とか、
とにかく、やっぱり柳さんからの影響とかではなくて、
がっしらないけど、うまいなと思って見てた。
うまいなというよりは、活動を存続させるための方法がありとあらゆることを検証して試してるって感じがした。
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嫌な感じでは全くないんです。
むしろポジティブなアウトプットになってる。
嫌な感じの企業コラボとかではないという。
一方で自分の作品ってハードボイルドっていうか、
ハードボイルドっていうのは、いわゆる無感情っていう意味での、
バイオレンスに対して無感情っていう意味でのハードボイルドなんですけど、
シカゴで黒人の運動のデモをやったときに、
それを実際やるとパクられる人たちが職を失っちゃうから、
子供をデモに参加するっていう活動をやってたときに、
子供だったら奪う職業がないというのと、
手加減するだろうっていう見込みがあったんだけど、
それを容赦なく高圧の放水とかで怪我人を大量に出して、
吹き飛ばして。
その放水自体をものすごく整然とキャンバスに並べて、
その負の記憶っていうのを持ち続けるっていうような、
そういう作品であったりとか。
後は公園で遊んでた子供がおもちゃの銃を持ってたら、
警察に間違えられて射殺されちゃった事件があったんだけど、
その遊んでた場所にあった、日本で言うとあずま屋なんだけど、
雨降ってきた時とかに、そこを買い取って、
作品という形で残してたりとか。
だから負の記憶とか痛みの記憶とかを無表情で黙って、
記憶として留めてるような作品も結構あるというか。
後はお父さんがタオルを塗って屋根を修復する職人なんだよね。
その行為自体にすごく民芸っぽさがすごかったんだけど、
キャンバスに対してタオルを塗るっていう平面作品とか。
タオルってないやつもあったよ。
だから父親はタオルを使ってたけど、
自分はタオルに近い現代の素材を使って、
一緒に屋根を修復したっていう記憶が1回しかないんだけど、
結局その作品、そのマテリアルを自分の絵の作品に変えてたりとか。
たぶん屋根の修復とかって表現とかというよりはなりわいだしね。
それによってこう。
なんかやっぱり全体的に言うと、
祈りとかそういうなくなっていくものに対する、
33:04
良くない言い方すると執着とか、
良い言い方すると思いとかの重みをすごく感じるし、
最初入ると、2つ目の部屋にとこなめのタイルがビシーって敷き詰められてて、
まるで本当にそこは教会みたいな雰囲気になってる。
ただね、そこにね、1個ちょっとね、私たちミハ的な目でやっぱり見に行ったのは、
お香の作品が。
えーと、京都の省なんとか道さん。
省営道だったかな。
はいはい。
で、太いお香を作って、
カウントなんだっけ、1本何時間か何年。
すんごい太いお香なんですよね。
はいはい。
で、それを何十本も壁にバーって並べててて、
で、そこに芸術さんと作った彫刻が見ているっていう。
で、その香りはとこなめの薪窯なのか、
とこなめの陶器の匂いみたいなのが書いてあったんだけど、
で、その匂いをまず開発してもらいましたってコラボの話ね。
で、そこまではやっぱり祈るとか時間とかいうのにすごくリンクしてるし、
まあ、だって私たちも何かこう死んだ人に何かお祈りするとお香を絶えたりとかもするし、
そうかといったら座禅の時のお香で時間を測ったりとか、
だから時間と祈りっていうのがやっぱりそういうお香には込められてるなっていう意味ですごい使うの納得したんだけど、
ちょっと同じ場所でね、森びれで違うアーティストが全く。
松江堂さんの企画で結構かなり近い展示の方法でやったっていうことが一部アートメディアとかで話題にはなって。
ああ、そうなんですね。
まあ、なんでしょうね。
でもさ、結局なんかそれってある意味不幸な話じゃなしで、お互いにアーティストとして。
だってやっぱりもともと会った方なんだよね。
松江堂さんが作ってた太い、でかい。
でもそれで匂いは多分一緒に考えてるっていうぐらいの話なんだと思うんだけど、
最初にやったアーティストは私が開発したって言ってる。
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それをパクられたっていうか、同じようにしかも同じ場所で、
同じような壁にたくさん並べるっていう手法で展示して、
キュレーターも一緒だしなんでってなって、
まあちょっとプチ炎上っていうか、なんて言うんですかね。
アート界だけでないで炎上。
でも割と著名なメディアのアートビートさんがそれを報じてて、
メディアとして森美術館に質問したんだよね。
これコンセプト全く違うものですよということは釈明をしてて、
まあでもそうだし、その通りだし、別に。
とはいえそこはね、さっき僕がチャラい代理店みたいな手で、
ミンゲーとアフロでやっちゃいましょう、森美でっていうような、
ちょっと悪ふざけで言ったんですけど、そこは結構近いノリを感じだすけどね、森美術館の。
ただ私と行く前に話し合った話は、
だってこれなんで問題にするのっていうところなんだ逆に言うと。
むしろその表現方法として確立してる展示方法なのであれば、
先週も言ったミンゲーのクックパッド的な側面に着目した時に、
それを違うことに、レシピを違うことに転用して違う料理を作ったぐらいのので、
むしろミンゲーなんじゃねえかっていう。
だからスリップウェアを作って、
河合勘次郎がレシピ化して。
パクり上がってって言われてる。
しかもスリップウェアを作って、しかもそれを飾るっていう手法も、
棚に飾るとかね、そういうのをみんなやってるわけじゃないですか。
それミンゲー。ミンゲーって言ってるんだから、
パクってるとか言ってること自体がなぜっていうのを私たちは、
アートじゃねえんだしみたいな。
っていう風に思いながら展示を見ました。
実際見比べて、見た目パッと見一緒ですっていうのはあるけど、
色とか匂いとかは違うし、コンテキストも全然違うよっていう話。
ここら辺はね、ややこしいのは、
そもそもアート美術館でミンゲーのコンテキストで展示をすると、
そういう問題が勃発しやすくなるんじゃないかっていう学びはあった。
なるほど。複雑な学びですね、石岡さん。
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危機管理しないといけないなと思った。
うっかり普通に大体的な大きな美術館で、古典で、
ミンゲーコンテキストでやると、
これだって私も、例えば器、こういう風に作ってこうやって見せたじゃんみたいな
ツッコミは入るけど、え、でもミンゲーなのにみたいな。
炎上リスクを検証しろよみたいなことをせめてやれることとして、石岡さんが言っている。
言いたいのは、キュレーターが最初からそのリスクをちゃんと予知してましたみたいなことを言っているんだったら、
ちゃんとそこは前のアーティストにコンタクト取っておけって思ったね。
なるほどね。こんなのも今度やりますのでの一言があれば。
そうそう、全然違う。
違うよねって。
また同じショレイドさんとコラボレーション。
言い方、物は言い方で、
しらすたさんもやるんだけど、あなたが最初に門を開けたのよとか言う一言があったら、
多分なんか全然気持ち的には違う。
逆に、あ、しらすたさんもやってくれたんだ、嬉しいなと思うかもしれないじゃん。
そういうところのケアがね、やっぱり美術館のキュレーションの肝だと思います。
じゃあちょっと話戻して、最後くらいに僕も触れときたいかなと思ったのが、
中央と周辺で、周辺化されてた黒人のアートっていう、そんな簡単な単純な話ではないんですけど、
そういう位置づけから作品、スタンスの意識から発信されてるところと、
民芸の類似点でもあり相違点でもあるっていうところで、
柳宗吉が批判もされてるんで、そこの文脈はちょっと確認しておきたいなと思ったんですけど、
それはオリエンタリズムっていう風な、西洋の美術の批判的な考え方があって、
要は、中央に西洋、ヨーロッパ、アメリカがあって、そのオリエントが周辺っていう考え方だよね。
その日本のものとかをエスニックだねっていう風に言うこと自体が、
ジャポニズムっていうかね。
周辺化してそれを遠ざけているという、その見方自体に対する批判ですよね。
これエキゾチックでいいわねが、ある意味、
上から目線。
上から目線で、中央から発している上から目線のイーブンな言い方ではないという批判。
柳宗吉は先週も言ったように、朝鮮半島とかそういうのが、
42:05
わりかし日本の帝国主義的な前世紀の時に朝鮮に行って、
これ朝鮮半島の雑気ですごく、
素朴でいいみたいな。
っていうのも言いたくなる気持ちはわかるんですよ。
何でかというと、国民国家化した国が強いっていう風に第一次世界大戦以降、
世界的なトレンドがなっていく中で、
まず侵略したところに対してやる政策って同化主義なんですよ。
同化主義の中で、
消え失せようとしている文化に対して、
ある種の憐れみを持つっていうのは、
わりかしシンプルな感情だったかもしれないんだけど、
それに対して憐れみの感覚で持ちながら言うっていうのは、
ある種オリエントで起こっているオリエンタリズムっていう批判を
柳宗義は受けているわけなんだけど、
そういうものとシアスター・ゲイツさんのアフロミンゲーっていうのは、
似てるところもあるし違うところもあるし、
その工作が結構複雑な感情を呼び起こして、
僕はある意味めちゃめちゃグッとくるという独語感です。
言及してるんだよね。
朝鮮での日本がやってきたことについても触れてるんだよ。
年表とかにも。
黒人が抱えている問題っていうのは、
ブラック・ライブズ・マターとかそういうことでも、
日本に住んでいる我々が完全にはピンと来れてない部分とか、
そういうことがありながら引き続いている問題としてありながら、
さらにそれが民芸の概念とコラボすることで、
より僕みたいにめんどくさい性格をしている人は複雑な想像をしてしまうということを。
でもやっぱりシアスターさんだから言えるっていうのはあると思う。
それが日本人だったり韓国の人だったりとかが言ったりすると、
やっぱり当事者同士で。
真を食った議論に行くまでに至らないと思う。
炎上して終わりみたいな非正散的なことになってしまう。
しかもアイトレのとこなめの展示。
アイトレのとこなめもあるんだよね、展示会場が。
そうなんです。
あれも皮肉だよな。
そこが多分彼も明言していないけど意識しているんじゃないかなと勝手に想像して見ていた。
深読みね。
深読みして見ていた。
そういうアイトレの表現の不自由点。
数年前のね。
慰安婦像とかを展示する市内とかで、
45:01
後期が殺到して展示が取りやめになるというニュースがありましたけど。
我々も言ったけどね、アイトレ。
やっぱりその外の人に言ってもらうとかってちょっとなんか。
良くも悪くも逆輸入で虐待化される民芸のコンセプトっていうのが面白い。
構造が近いなって。
構造が面白いですよね。
海外から見た日本とかってなんかこう。
しかもなんか悪い感情がなかったら結構嬉しくなるもんじゃないですか。
なんか日本の感情とかで。
そこにつけ込んでるのか素なのかわかんないけどそういう意味で。
いやでもそれこそあれですよね。
前回、前週の回で、
大正時代って時代の中で民芸運動っていうものを相対化するっていう話があった後に、
シアター芸術さんから見た民芸みたいなのを考えると、
よりそこがじわりますよね。
めちゃめちゃ複雑な構造が見えてきて。
大日本帝国やったわけですからね。
そうなんですよ。民芸が勃興してた時は、
そうです、帝国主義の前世紀ですね。日本日帝時代の。
じわりましたねという、こんな回ですかね。
そういう、いやもう全く、
いやまあ行きますけど、実際に。
やっぱり結局アフロミン芸っていうタイトルだけを見て、
具体的に何がそこで展示されているのか全く知らない状態で。
逆にネタバレすいません、岩田さん。
いやいや、でもこれはいい回なんじゃないですか。
9月1日までやってるわけだし、
それこそ海さんの航空代理研修がするみたいな誤解をちゃんと解いた上で、
言ってもらう人を増やすっていう意味では。
あんまり小声で言うけど、
きっかぼうさんと一緒にやってたパンチョッパリとかもそれに近い感覚はあるんですけどね。
原来的な周辺下に対する抵抗みたいな、
やんわりとした抗議じゃないか。
そういうのもあったりなかったりはしたりして。
やっぱりミン芸もそうですけど、
シャスター・ゲイツさんに強く感じるのは、
本当にあったことをなかったことにする動きに対する強い抵抗みたいなのがあるんで、
周辺のね。
48:00
それは現外に、展示全体から強く香ってくる。
ユーモアもあるんだよね。
しかもね、そこにこう…
山口インストっていうとユーモアのそれ以外の何者でもないよね。
あとは結構最後の方なんてさ、
祝福されたような気持ちで出ていけるような構成になってるし、
やっぱりすごい、ここまで言うとネタバレするかも言わないですけど、
重いスタートだよね。やっぱり最初は教会風な。
同時開催してるのが、花と夢展っていう、
少女漫画の花と夢。
原画展的なやつが並行してやってるんですけど、結構シュールですよ。
その見え方も。別に花と夢僕も好きですけどね。
今日行けなかったんだけど時間が。
アフロミンゲルの中身が濃すぎて、すごい時間かかっちゃったんですけど、
もう一回ちょっと見たいなっていうのは、その後の台湾のビデオアート…
ビデオアートじゃない、ビデオ作品のやつのインスタレーションもあるんで、
それも含めて時間をちゃんと作ったほうがいいんじゃないかなと。
か別々で行くかって。2回。
なんで、どっかのタイミングで岩田さんの感想を数分くらいちょっと入れたいですよね。
楽しみです、ちょっと見に行くの。
そうなんですよ。みたいな感じでシーズン4も始まってまいりますと。
そんな予備知識なくて見ても逆にいいかもしれないしね。
それもそうだし、なんかね、なんかのおりでちょっと私も見たよとかっていう人と、
また倉田瀬ラジオをきっかけにして、ちょっと会話をできても楽しいなぁとは思いますし。
はい、そんな感じです。
ここまで話すとは思わなかったな、今日見に行くまでは。
ちなみになんかね、割とすごいものがあったりするんで。
作品が?
作品なんだけど、彼コレクターだから、人気作家さんのやつをポンって置いてあったりとかして、
結構なんか、
うっかり蹴りそうになっちゃう。
うっかり蹴るんじゃない。
そんな置き方?
いや、まあ、なんて言ったらいいの。
作もないんだよね。
そうそう、とかあとケースに入ってるやつとかもあるんだけど、
これおいくらだったんだろうかっていうのとかもいろいろなんか混ざってて、
すごい、ある意味キュレーションもすごい。
51:01
感情があちこち行きそうですね。
そうなの。
いや、そうですね。
なんでもない作品と、あとは収集、ただ亡くなった人からもらったやつと、
そこにすごい名作の1個がパーンとか置いてあって、
だからフラットな目で見ると、あんまり変わらない。
自然に馴染んでる。どれもどれもが。
だけど1個1個こうやって見て、名前と見ると、
あれ?なんでこの人の作品こんな風にポーンって置いてるの?みたいな、ちょっとびっくりするかなっていう感じ。
なんやかんや喋ってますけど、頑張って言語化してるんで、まだまだ僕らがちょっといろいろと喰らったものを、
言葉にはできてないんですけど。
カタログ楽しみだな、届くの。
また、なんかね、見た人となんか喋りたいなって、岩田さんを始めて。
いやいや、でもいいですね。
今回の2回にわたる民芸会と、シーズンあれは1ですよね?
1だと思いますね。
最初に民芸の話したのね。
アップデートした感じしません?
民芸Returns!
引退だけど。
俺らもちょっと成長したかなっていう感じの。
いやいや、ありがとうございました。
いえいえいえ。
じゃあちょっとまた、カタログ民芸は僕も見に行って、チラッと後にお話できればと思ってますけど。
また来週も3人会で。
3人会で。
当然、倉田氏ラジオはゲストを呼んで、今後もお話していきますが、来週はひとまず3人会ですね。
来週は僕がプレゼンター的なポジションで話をしたいなと思っております。
そのとこですかね。
じゃあ来週も火曜日に配信いたしますので、ぜひお楽しみください。
感想は、CON、CRLというハッシュタグで、Xないし、ダイレクトメールでくれたら嬉しいな。
フォームもあります。
私もアフロ民芸見たよって人の感想を聞きたい。
聞きたいですね。
本週はこんな感じで。ありがとうございました。