1. そろそろ美術の話を...
  2. #032 越境する意義。竹工芸と..
2021-07-03 58:44

#032 越境する意義。竹工芸との比較で見えた陶芸の魅力(菊池寛実記念 智美術館 学芸員 島崎慶子)

菊池寛実記念 智美術館 学芸員 島崎慶子さんをお迎えして、陶芸の魅力についてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/032 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 菊池寛実記念 智美術館 学芸員 島崎慶子
    • 2008年に菊池寛実記念 智美術館入館。現代陶芸専門。2019年4月から同館主任学芸員。近年の企画・担当展:2018年「線の造形、線の空間 飯塚琅玕齋と田辺竹雲斎でめぐる竹工芸」、2019年「野蛮と洗練 加守田章二の陶芸」、2020年「菊池コレクション―継ぐ 今泉今右衛門、酒井田柿右衛門、三輪休雪、樂吉左衞門」、2021年「三輪龍氣生の陶 命蠢く」

Show Notes

00:02
はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、福知館実質記念とも美術館島崎恵子さんをお迎えして、ご自身のお話や作品の話をしていきたいと思います。
ということで、改めてまたよろしくお願いいたします。どうですか、前半やってみて。
ちょっと緊張しました。うまくしゃべれたのか、何なのか。言いたいことが言い切れてなかったような気がして。誤解を招いたらいけないなとか、いろいろ思いながら、ごにょごにょしちゃいます。
言ってないなってことがあったら、後半で言っていただいてもいいですので、ぜひぜひよろしくお願いいたします。
ということで、今回は島崎さん自身の話を伺っていきたいなと思いまして。
これは難しいですよね。あまり自分の話をすることってないというか、そんなことに誰が興味があるんだというか。
いやいや、興味ありますよ。学芸術さんの会には必ず聞いてるんですけど、皆さんいつから美術に興味を持ってましたかっていうのを聞いてまして。
美術に興味があったというよりも、絵を描くのは好きでした。
本当ですか。自分で上手い方だったんですか。
小学生の時は、県の美術展みたいなので、家作とかもらっていました。
今描いたりしてないですか。
今は描かないですね。
途中で飽きちゃったんですか。
美大受験をするかしないか考えた時に、何にするのみたいな。どうやってするのっていうか。
私、それで一体何するつもりなのみたいなことを冷静に考えたら、そういうことじゃないんだなと思いました。
自分は作る方じゃないんだなと。
でも考えてはいかず、選択肢の一つになったんですねってことは。
万年美術部員でしたから。
それも中学校、高校と。
小学校の選べるクラブみたいなものからずっとそうでしたね。
じゃあ、描くのも大好きだったってことですけど、美術館にも行ってたんですか、小中高校と。
行かないわけじゃないけれど、いわゆる美術館好きではないんです。
美術館が好きで、美術を何でも見たいとかっていうんじゃなくて、絵を描くのは好きだったみたいな感じですね。
じゃあ、焼き物にはいつ興味あったんですか。小学校だから好きだったんですか。
好きだと意識するなんてないですよね。
ろくろについては漠然といろんな映像で知っているので、
ゴーストの映像とか。
そうですよね。ああいうの回してみたいみたいな。
03:01
そのぐらいのことはあったかもしれませんけれど、
夏休みに家族旅行で行った観光地の焼き物体験とかあるじゃないですか、絵付け体験とか、ああいうのはやりたがるタイプ。
やってたんですか、実際。
やってました。
ちょきん箱、変な形のちょきん箱に絵を描いて、色を塗って描いてくるとか、
あとで焼いたのが送られてくるとか、そんなことはやってました。
じゃあ全く接点がなかったわけじゃないんですね。
僕やったことないですよ。いまだに一回もやってないです。
この仕事やってるけど、焼き物体験一回もやってない。
そうです。
何でも作ってみたかったんだと思います。
絵を描きたいみたいなのと同じで、やらせてもらえることは基本的にやりたいみたいな。
吹きガラスやりたいとか、そういうのと一緒です。
焼き物に限らず工芸とか何でも興味ある。
観光地でやってるああいう教室には何でも行きたいみたいな。
ご両親は別に美術関係とかでもないんですね。
ないんですね。一緒に興味はないんじゃないかと思います。
今でもですか。
私がこの仕事しているので、見に来てくれたりはしますけれども。
好んでいろいろと見に行くタイプではない。
ないですね。
焼き物系の学芸員さんって、僕が個人的な、僕の知ってる範囲なんですけど。
茶道を習っていて、それで焼き物に興味を持ったって人が結構多い感じがあるんですけど。
妻田ちゃんはどうですか。
花道はやってましたけれど。
花道、花のほう。
やってましたけれど、それでその器の重要性っていうのは知っていたというか。
自分が花をいける上で、その器と火材の関係性とか。
自分が今日は何をいけようと思っているからこの器を選ぶとか。
器の質が高いと、私の腕がどうであろうとある程度のところまで持っていけるというか。
器に刺激を受けながらいけられることもあるとか。
いつからですか、花道は。
それは大学のときですね。
そういうのはやってましたけれど。
ただ、自分の焼き物の作品として鑑賞したときに感動したという現体験を思い返してみると。
高校生のときで。
早いですね。
M6美術館だったと思うんですけれど、現代陶芸展覧会がやってたんじゃないかと思うんですけど。
焼き物の展覧会を開催してたんだと思うんですよね。
いろんな作品があって、茶碗もあればオブジェみたいなものもあって、いろいろあったんですけれど。
その中で、荒木孝子さんの「砂の聖書」という作品があって。
聖書を開いた壁の一枚が土でできてるんですよね。
そういう器形状ではない造形を土で作れるなんて知らなかった。
06:09
そんなことができるんだ、という驚き。
カルチャーショック的な感じなんです。
一番最初にあって。
美大助研をちらっと考えてたぐらいなので、いろんな学科があることは知っているけれども、
自分が作ると考えたときに、だからって工芸ってそんなにつながっていかないんですよね。
そういう環境では育っていなくて。
自然と油絵を持って、その先には自分が生きる道はないなと思っていたけれど、
そんな焼き物で邪魔を作るものだと思っていたので、
まさかそんな本を開いて紙がパラパラと広がっていくような、
そういう瞬間的な姿をとどめることができるなんて、
こういう使い方があるなんて考えてもみなかった。
それを知らなかった自分も残念だなと思った。
あの残念な気持ち、作品に感動した高揚感と、すごい残念って思った。
もっと早く知っていればみたいな。
知っていればって思ったけれども、
だからってそれを自分がやる人とはまた思わないんですけど、
そういういろんな残念な気持ちっていうのが瞬間的に起こったっていう。
高校生じゃ早いですよ。
だってまだ出会ってない人もいますよ。40、50でも。
ですよね。
そう思うと大丈夫だから、間に合うから一回冷静になってみたらって思いつくけど。
全然早いよ。
でもあの頃は、
多感な時期だし。
必死ですよね。自分の進路とか行き方を考えるのに。
だけど情報もあんまりないから、わからないところで考えているだけでも間違わない。
結局大学は何を?
大学は普通の学部、私は経済学部なんですけれども、
で、卒業してちょっとふらふらしていって、
ひょんなことからここにいる。
だいぶはしょられたけど。
え、だから学芸員になろうはなかったんですね、大学時代は。
ないですね。
何をやろうというのはあったんですか、大学時代は。
ありましたけど、ちょっとそれはうまくいかなかったんですけども、
じゃあ次どうするかと思って、
何をやりたいというよりは、精一杯やりたいことだけは決まっている。
何でもいいから。
なんでその対象を探していたっていうことなんですけど、
09:02
それで人生をさまよっていたら、ここにたどり着いた。
どうしてたどり着けるんですか、ここに。
え、トモビジュース館知ってたんですか、それは。
2003年にできてますけど、トモビジュース館。
それ何年から?
私がここに勤めたのは2008年からなんですけども、
その1年くらい前から知っていますが、
開館当時から知っていたわけではなくて。
でもそのフラフラ期もあると思うんですけど、
でも焼き物にもう完全に興味持ってないとここ知らないですよね。
焼き物がもう完全に私すごい好きだなってなったのはいつ?
もうよく通うようになったのはいつぐらいなんですか。
ある出版社に勤めていた時期があって、
そこで工芸を担当していたんですよね。
それは自分で選んだんですか、工芸をやりたいって。
たまたまです。
ただ、お花をやっていて、器を見るとか使うみたいなことは、
言っても大学生ですけど、ないこともないから、
ちょっといろいろ自分なりに考えて見てみようかなみたいなことだったと思うんですよね、最初は。
ただ仕事でいろんなサッカーの方たちと話す機会もあったり、
その当時の館長だった林谷製造士の原稿をもらいに来る係になって、
それをやってこぼした。
そういう感じなんですね。
じゃあ自分でも学芸員で生きていこうとか、
学芸員として芽生えた瞬間って覚えてます?
もうここで働くことになったわけじゃないですか。
これが私の学芸員だってなった時があるわけですよね。
物事を分析するのは最初から好きなタイプではあるんですよね。
だから何が行われているのかを知りたいっていうのは、
何もここに来る前からそれは変わらなくて、
子供の時美術館に行ってキャプションを読んでも、
自分の知りたいことは書いてないなって思っているような子供です。
特殊な生い立ちだからこの絵がすごいわけじゃないだろうとか、
エキセントリックな性格だからこの作品がすごいわけじゃないはずで、
一体何がすごくて展示してあるのかがちょっと分からないなって、
子供の頃は美術館で展示を見ることがあって、
どうすると美術館に展示されるものになり、
でも私が今これを真似して書いたって意味がないわけで、
そうすると一体何が重要なんだろうみたいなことを漠然と思っている。
それ変わらないですね。
そのスタンスは変わらないです。
12:01
前半の時にも思ったけど、そういう考えを分析するのは本当に好きなんですね。
そういうタイプですよね。いくつっぽいですよね。
でも僕もそうなんですよ。アートペラーの仕事って感性がないんですよ。
だから言語化するので人に伝えられると思っているんですよ。
何が良いんだろう、何でこれが評価されているんだろうっていうのは。
学芸員さんってあんまりそこでやってない人もいるなって僕は思うんですよ、たまに。
でも島崎さんは確かにいつも解説してもらうと必ず理屈で説明してくれるんで、
ストンと落ちるんですよね、僕。
自分が分からないことは紹介できないと、
この作品が意味がある理由は何だろうとか、
この作家がこの作品を作る理由は何だろうとかっていうことになって。
だからこういう魅力がこの作品にはあるんですっていうところに持っていけると、
私は自分で納得できるんですよね。
現代陶芸だからっていうところがあるんだと思うんですけれども、
陶芸自体のその制作工程があるので、
作っている本人が考えていることが全部その工程に落とし込まれていくっていう。
なので三羽さんのように自分自身がっていう話からストーリーが始まる作品もあるけれども、
でもやっぱり最終的にそれを具体的に落とし込んでいった先は、
手の動きの話にもなっていったりするので、
それを裏返すとその人は何をしているかっていうところから、
その人の思想とか考えていることっていうのを組み取っていくこともできるっていう、
行ったり来たりができるっていうことを持っていて、
なので思想と技術っていうのが常にリンクして動いているのが、
焼き物の制作だなというふうに自分が考えているので、
そうすると掘り下げていった結果、全部理屈で作品を説明したいっていう、
もちろん説明しきれない部分が理屈ではちょっと難しいっていうところが必ずあって、
そこが本当の最後の魅力の部分なんだろうなっていう意味のあるところなんだろうなという、
言葉では説明しきれないそれぞれの作家の持つ柔らかい部分っていうか、
そこが大切なんじゃないかなっていうふうに思うんですけれども、
まずは納得したいっていうのが一番最初にあるんですよね。
歴史的な価値が決まっていないので、歴史を語りながらその価値を語ることっていうのがしにくいんじゃないかと、
私はそれだとちょっとその価値を納得できないというか、魅力がそれほど分かりにくいなというか、
その一端しか伝わらないかなっていうふうに思ってしまうので自分が、
ぐるりの情報に思えるんですよね。
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その人を取り巻く情報。
ウィキペディア情報みたいな。
みたいなことをちょっと言い過ぎたような気がしますけれども、
そうじゃない本人の話っていうのは本人が生きてるからができる部分でもあるんですよね。
その作家が生きてるからこそ、作品を理解するための最大の資料が存在するということなので、
母作家相手だとそれはできないことだと考えると、
本人の思考を探っていくその結果の産物としてこの作品の魅力があるっていう話が、
私にとってはすごくすっきりするっていうものなんです。
でもその性格が昔から変わってないのに、経済学部選んだら不思議な感じですね。
全然違う。
本当にザ研究者みたいな感じじゃないですか、話聞いていると。
経済か美学か。
二択だった。
二択だったんです。
どっちでもよかったです。
人間にまつわる何事かを、
別に経済でも法律でも政治でも美学でも何でもいいんですよ、
美学の哲学じゃなくて何でもいいんですけれど、
人間にまつわることの何かをどこからの切り口で見ればよかったんですよね。
でも美術は好きなわけで、元からの性質として。
自分でもやるっていうか、ちょっと乱暴な言い方ですけれど、
見続けるんじゃないかなと。
学費になろうと思っていませんからね、その時点で。
そういう職業の存在すら意識していませんから。
だから美術は自分で好きに見ればいいんじゃないかと。
大学にはそんなに通いたくないから、
出席が厳しくなったらそんな学部でもいいんじゃないかとか、
いろいろ考えたり、
放っておいても自分がやっていけることと、
ある程度場を置かないと見始めないことって思ったのが、
政治経済とか法律とかちょっと違ったなと思って、
その中で経済にしたっていう。
そういうことだったんですね。
でも学位になってもう十何年経ちますよね。
もう自覚はさすがに芽生えたんですか?
そうですね。
いつぐらいにもうこれ、今のところ一生やってきた仕事ですか?
はい。
どこで芽生えたんですか?学芸員の自覚的なもの。
どうでしょうね。
2013年に、だと思うんですけれど、
2013年に隠れ崎隆一さん、
18:02
以前役の作家の古典展覧会を担当したときに、
かなり作家と一緒に展覧会を作ったという経験を増して、
作家と組み合ってというか、
そんな時間だったと思うんですけれども、
その経験が大きかったんじゃないかなと思います。
私自身が作家をやると言って企画した展覧会ではなくて、
美術館のスケジュール上、そこを私が担当することになったというタイプの、
企画したわけではなく担当したというものだったんですけれども、
作家から問われることが多かった。
私自身が何を考えているか、問われることがすごく多くて、
それに答えていくために、ぶつかっていく自分みたいなものがその時間にはあって、
そこで鍛えられたとか、目が開いたところっていうのはあったんじゃないかなと思います。
島崎さんが初めて、自分で企画した展覧会って何ですか?
正真正銘、ゼロからというのは、2018年の線の造形、線の空間、
インスカルー関西と田辺ちくん祭で巡る竹工芸。
現代陶芸の美術館ではなかったのかという話なんですけれども。
そうなんですよね。ある時期から島崎さんが竹竹言い始めた時期があって、
急に竹に開眼した時がありました。
多分前段階はあれですよね、二人展ですよね。
いろんな展覧会がここに行き着くまで担当してきた展覧会というのがあって、
現代陶芸を専門にという言い方をしていたんですけれども、
現代陶芸を主に紹介するという言い方が正しくて、
現代の工芸全般の作品を紹介していくということは、
割と早い段階からやってきている美術館なんですけれども、
とはいえ、ある素材だけの展覧会、焼き物以外でというのはそんなになくて、
グループ展とか茶の湯の道具をテーマにした広報展の中で、
いろんな素材、ガラスがあったり金鉱があったりという展覧会はここで何度かやっていて、
そういう展覧会に限って担当していたりしたんですね。
21:04
焼き物と他の素材との比較が自然とそこで生まれて、
陶芸のことだけ考えて陶芸を紹介していると、
かなり視野が狭くなっていくなということを感じるようになったんですよね。
今陶芸だけを考えば当たり前だと思っていたことが相対的に見ると、
焼き物でやる必要が本当にあるのかなということがあったりとか、
それをやるためにもっといい素材が工芸にはまた別にあるのか、
他の素材で製作している作家と知り合っていってみると、
焼き物の特殊性に気がつくとか、
逆に離れることに俯瞰して、
気がついていくとか、
作家の人数とかマーケットとか、
いろんな違いが工芸と一言で含まれている中にも存在することに気づいたりとか、
そういう視野が広がっていくと、
焼き物のことをもっと知るためにも別の素材を考えてみるというのは、
一つの方法かなということを思った。
それと、自分がお花をやっていたこともあって、
植物素材って勝手にシンパシーがあるんですよね。
というのもあって、竹工芸とか、
竹に限らず植物の皮とか、
そういうものを使った繊維で造形していく製作にも自然と興味が湧いて、
土で立ち上げていくのとはまた違う理屈で、
違う制約を受けながら形が立ち上がっていくものに目を向けるようになった。
竹籠とかですよね。
やっていましたもんね。
ここで展示を終わったということですよね。
この担当された線の造形、線の空間、相当人が入ったんですよね。
相当という言い方は、世の中の相当と、この美術館の相当と、
いろいろあるような気がするんですけど、
ただ、この美術館の自主規格としては一番入っている。
現代陶芸の美術館とか言っておきながらあれです。
7人でしたっけ、作家さん。
よく覚えていらっしゃる。
結構取材しました。
私しつこかったです。
僕も知らない世界だったんで、この竹の世界では相当すごい方なんですよね、この方が。
24:00
飯塚老漢祭という、
これは飯塚老漢祭と田辺知君祭という言い方をしていますが、
飯塚家の作家3人と、
田辺知君祭という名前を継ぐ初代から東大が4代目なんですけれど、
そこまでの7人という展覧会で、
竹工芸を紹介するにあたって、
創造性というのがどこにあるのかっていうのを、
端的に紹介するためにはどうしたらいいかということで選定した作家になります。
この時までしか僕も知らなかったですけど、海外では評価高いんですよね。
日本では意外とこの辺知られてないのにっていう。
日本で竹工芸作品を手にされる方、
そんなに多くないようなんですね。
そのマーケットは海外の方が大きいと。
それはアメリカとかヨーロッパということなんですけれど、
そちらに開かれてしまったということのようなんですね。
この展覧会がバーンと来たからかもしれないですけど、
メトロポリタン美術館が持っているアビー夫妻でした。
コレクション展がこの後に開催されますもんね。
そうですね。
島田さんもちょっと関わった?
展覧会自体には関わってないんですけれど、
それが巡回展で日本国内を回ったっていう、
そのタイミングで竹工芸を紹介する別の企画があると、
同時多発的にいろいろあると盛り上がっていいんじゃないかっていうことを言い出した関係者がいて、
それに協力をしましょうということで、
現役作家のグループ展を、
日本橋高島屋さんと大阪で開催することになったという、
そこをお手伝いをしました。
いつの間にか竹の話ばっかりし始めてて、
島田さん急に竹の人になったわっていう時期がありました。
今も多分興味持ったまま続いているということですよね。
それは竹に興味持っただけでなくて、
それをやることによって焼き物の良さも再確認とか。
そうですね。
焼き物の個性を知るっていうことがあったり、
工芸っていうことをもうちょっと考えるようになったり。
具体的に、たくさんあると思うんですけど、
例えば一例挙げると焼き物と竹の決定的な違いというか、
ここが違うからここが面白いよっていうのはありますか?
焼き物はやっぱり焼くんですよね。
竹はそんなことないじゃないですか。
27:01
鉄道鉄に素材が見え続けるものだし、
焼き物は焼くと素材が変化する。
元の土ではないんですよね。
全く違う物質に変化をする。
もう戻れないってことですよね。
竹は最初からずっと竹であると。
あと、土の造形ってどういうふうに作ったかって、
外からなんてそんなにわからないと思うんです。
土を積んだとか、ろくろかとかそういうことはわかったとしても、
その中で行われている細かいこと。
造形上見えにくいんじゃないかと思うんですよね。
その調整する前と後の変化がどういうふうになっているか、
全然想像できないと思うんです。
焼く前の何色の土で焼いたら何色になったとか、
極端なのにそういう違いがあるわけで、
完成した作品から焼く前の元の姿ってわからないと思うんですけれど、
竹の場合は編んでいくとか組んでいくって造形するので、
構造が見えるんですよ。
なので、作家の手の動きって追っていけるんですよね。
やれるかどうかは別にしても、
どうやってこの形が組み立てられていってるのかっていうのが見えるっていう、
そこがまず圧倒的に違うなと思いました。
前半でも焼き物が建築に似てるみたいな話をしたんですけど、
竹工芸を見た時に建築模型を見てるみたいな感じだったんですよ。
建物ってやっぱりコンクリートで作られてるから、
確かに元の形がわからないけど、建築模型だと柱と梁がこうなってて、
こことここ繋がってるからこうなのねって、
こうやって立ち上がってるんだねって見れるじゃないですか。
それにすごい近いなっていうのは竹工芸を見た時に思って、
そういうことなのかなって今聞いてて。
そういう素材が違うと、より視覚して見えてくるっていう部分もあるかなと。
でも今でも自分ではやらないけどって言ったけど、
かごは自分で作ってましたよね。
かご作ってましたっけ?
僕が覚えてるのは何かの時に会話してた時に、
街中でいい感じのツタみたいなの拾ったから、
結構家に持ち帰って、そういうのがいっぱい家にあるみたいな。
いつかかご作るかもしれないからみたいなこと言ってませんでした?
そんなこと言いましたっけ?
言ってましたけど。
そういう時期だったんでしょうか。
いい感じのツタを見つけたら拾ったのは当たり前のように言われたから、
いやいや異常ですよっていうのは伝えたこと。
世の中そのようないい感じのツタが落ちてるのはないからみたいな。
そんな面白いことをしました。
関島さん、関島久里さんですよね。
30:00
かごの作家さん。
ここで牛乳パックか何かをかごで作るみたいなワークショップですよね?
関島久里さんのワークショップ。
関島久里さんというバスケ隊の作家がいて、
かごを作る作家さん。
バスケット。
口のあるいわゆるバスケット型を作っているというわけではなくて、
かごを編むということは、編んだり組んだり結んだり、
繊維に何かしらの働きかけをして形が出来上がっていくという。
その法則っていうのを独自にまとめて、
方法っていうのを自分なりに確立をして整理をして、
いろんな方法にふさわしいそれぞれの素材の特徴っていうのを
全て自分なりにまとめられて、
そこで出来上がってくるものっていうのは、
ある程度ルールがあるので見えてくると思う。
そのルールを飛び越える自分の視点を挟み込んで作品にしていく。
ちょっと今分かりにくい話をしましたけど、
概念を形にするということをしている人で、
この美術館でも川崎剛さんという当面科と2人で開催させていただいたんですけれども、
その時も担当していまして、竹の前に展覧会をしているんですけれども、
素材の繊維であると考えて、その繊維で立体を編んだり組んだりしながら、
よじったりとかいろんな方法で形にしていくということに興味を持ったんです。
本当に何言ってるか分からなかったんですけど、
島崎さんはそれで私はと言って、牛乳パックを線状にしてそれを組み合わせて、
1リットルと1リットルの2つの牛乳パックを組み合わせたら、
2リットルの形が出来上がるから、いよいよこの人どうしたんだと。
結局うまくいかなかった。
やろうとしましたね。
やろうとしましたけど、やったんだ、やったけれども非常の苦労でしたね。
島崎さんとは不定期的にたまに飲みに行くことがあって、
飲みの席でそれを言われて、何言ってるんだろうこの人って思って、
なんと熱く語って、印象的でした。
思い出しました。
その時にいろんな植物をいい感じに拾って作っていたみたいな話を。
あの時思いましたね。
33:02
思考は結局技術力とか経験に基づいて展開していくものだから、
いくら何かいいことを思いついたからって当たり前の話なんですけれども、
突然私がそれを編んで一体化していくようなことができるわけがない。
もっと最初の基本的な動作をもうちょっと体に叩き込んで理解しないと、
止めないなっていう。
思考と技術は地続きだって言ってたわりに自分でやってみて。
あれ以来言わなくなりましたね。やらなくなっちゃったんですね。
頓挫しました。やっぱり私は見るせいもないでした。
そこから多分AMUっていう話から竹工芸にも興味持っていって。
なんとなく島崎さんが今何がブームなのかなって、
なんとなくわかるんですよ。不定期になってるから。
でもちょっと話変わるんですけど、
これ個人的にちょっと聞いてみたかったことなんですけど、
焼き物をやってる学芸員さんだと、
例えば街中でご飯食べたりとかするときに焼き物気になったりするんですか?
これ使ってるなとか。
気になります。
そうですか。
お客様を連れしたお店の器が微妙だとすごくソワソワします。
こんなとか言っちゃいけないんだけど、
あ、しまったなみたいな。
じゃあ逆に島崎さんの中では、
例えば接待じゃないけどお連れするときに、
あそこだったらいいお皿だからあそこ連れてこうっていうお店いくつかあるんですか?
そこまでじゃないんですけど、
ダメだったときに、
わーっていう仕事柄、
こんな器を使うお店に連れてきてしまったみたいな、
そういうことはありますね。
それまたはあれはどうなんですか?
自分で自分使い用というか、
それもこだわったりするんですか?
適当ですけれども、
自分用に買ったりはします。
いくつくらい持っているんですか?作品は。
作品ですか?
作家物でいうと。
でも高いものは買えませんから、
本当に必要な湯飲みじゃなく、
鳥皿がいくつかとか、
そうやってちょっとずつ増えていくっていう感じですけど。
でも実際使ってはいるんですね。
使ってはいます。
あとグイ飲みなんかは、
結果的に作家物になっていったりします。
僕もだってグイ飲みはコレクションしてますもん。
ここで多分2つくらい購入させていただきましたもんね。
ミュージアムショップでも購入くださったんですよね。
作家物を。
そうでした。
そうそうそう。
で、結構思い切って買ったら、
いや、そうじゃ最近儲かってるのかみたいな感じで聞かれるから。
いや、そうじゃなくて単純に欲しいから買っただけなのになって思ったけど。
たまにそういうのですよね。
展覧会によりけりですけど、
関連作品というか作家さんのものがミュージアムショップに並ぶんですよね。
36:03
菊池ビエンナーレの時は、
入選作家の小さいものを販売するようにしていて、
グイ飲み、小皿、マグカップとかビアマグとか、
そういう使えるものが割と多く出てきたりします。
それも楽しみにしていただけたらですよね。
展示作品を触りたくなる方って結構いらっしゃるんですよね。
展示ケースも被ってないですし、
そういう欲求を刺激してしまう空間だと思うんですけれども、
展示作品を手に取っていただくことはできないので、
ミュージアムショップでその小さいものを手にしていただいて、
やっぱり持って、重さとか質感とか手で感じる食感が大事だったりするんじゃないかなと。
これはやっぱり学院さんならでは特権だと思うんですけど、
触れるじゃないですか。触ってやっぱりめちゃくちゃいいなってのがあるんですか、作品によって。
僕らは見るだけだから魅力が伝わらないじゃないですか、食感。
いい作家の作品ってのはやっぱり触り心地いいなとかってのがあるんですよ。
用途のある形で機能性を重視しているものとか、
用途はあるけれど、機能というよりはその形状の中で何ができるかっていう可能性を追求しているものもあれば、
土で何ができるかっていう考え方をしているので、もはや使う形でもないものもある。
焼き物もいろいろあって、一人の作家がそれをすべてやっている場合もありますし、
ほとんど部分だけっていう制作の方もいらっしゃいますし、いろいろなので、
手に取るためのものじゃないものっていうのもあると思うんですよね、たくさん。
ですので、茶碗なんかではすごく手の中にしっくりがきて、
つい口をつけてみたくなるというか、これでお茶をいただいてみたくなるような器だなって思うものもあれば、
感傷としてはすごく見応えがあるんだけれども、実際持ってみると私の手には大きいし重いし、
だけど精神的な刺激はあるとか、物によって個性が違うというか、
制作者の意図が違うので、違うんですよね。
つい触ってみたくなるものっていう、触り心地の良さそうだなっていう雰囲気で触ってみたくなるものもあれば、
39:08
ちょっとこの質感ってどうなっているんだろうみたいな、
研究者として気になるんですか?
ホワイトの飲みたさみとか、そういうものもあったり、いろいろかなと。
あと、重さを確認したい気持ちっていうのがあります。
見た目と実際の重さの違うものっていうのも結構あるので、
持ってみて軽すぎてびっくりしたとか、重すぎてびっくりするものもあったり、
そうするとどういうことになっているんだろうみたいな、そういうことがあります。
あとよくお茶碗、特に現代陶芸じゃないのかもしれないですけど、
よく裏を見ている人がいるじゃないですか。あれ何を見ているんですか?
よくひっくり返して。
高台を見たいとか、下の少し高くなっている足元、そこの裏を確認したいっていう、
そのつくりを確認したいっていう。
つくりを見ているんですか?
そういうことだったりすると思うんですけれども。
それで何がわかるんですか?
やっぱり全体を通してどういうふうに出来上がっているかっていう器の見どころの一つなんですよね。
立ち上がりがどういう雰囲気かとか、口作りがどういうふうに作られているか、処理されているかとか、
内側を見込んでみるとどういうふうになっているかっていうのを確認して、
そこの裏側を見て、いろんな高さになっていたりとか、削られていたりとかするので、
それがどういうふうに行われているのかっていう、全体の雰囲気を見ていく中の一つの見どころ。
当然前半でも言っていたけど、適当に作っているわけではないから、必ず糸を持って高台どうするかとかやっているってことなんですね。
っていうことになるので、その作りを鑑賞する場所の一つということだと思うんですけど、それを見たいっていうことだったり、
それ別に器じゃなくても、この底の作りはどうなっているんだろうといって、この大きなものをひっくり返して見てみたくなるとか、
やっぱり工芸のものっていうのは、手に取ったこの全体の自分の体でそのものを確認していきたいっていうような気持ちにさせるんじゃないかなと思うんですけど。
じゃあもう一個バカみたいな質問しますけど、あれやるんですか、皿とかトントンって、某鑑定士の方やるじゃないですか、あれやるんですか、プロ。
42:00
私はあんまりやりたくない方です。
やる人もいるんですか。
硬さとか、それが糖度なのか、磁度なのか、その素材がどういうものかとか、いろいろ確認する行為だと思うんですけど、
スカッとかなんかやったりするので、きれいにその動きが決まらない可能性を。
デポピン的な動きっていうんですか。
まず一つ心配してるって、自分のその動きの見るさを一つ心配してるって言うと、当て所を間違えて爪が痛かったらどうしようみたいな、そういうことを心配していたりとか、
あとなんか、とはいえ負担かけるわけじゃない。
はいはい、どっちにしろ。
だから自分のものじゃないものも、いきなりピンピンやれないっていうときに、なんかそういう、いろんなこう意味で、どうぞとか言われて、
でもやる人はいるんですか?パフォーマンスじゃなくて、意味はあるんですね、あれは。
確認作業の一つとしてあるんだと思うんですけど、誰かで構わずみんながやっているとは思わないんですけど、
まあそういう動きはありますよ。
へー。
私はなんかちょっと苦手ですね。
そう、ちなみにあれですもんね、だってこの前そういう話になったけど、運動神経がないっていうのを。
なんでこの爪で弾くぐらい運動神経の話になるんだっていうところはありますけれど、
なんかその自分の動作全般を信頼していないので、そのやり慣れないことを人前でやりたくない。
外しちゃったら恥ずかしいし、みたいな。
外しちゃったら恥ずかしいし、なんかその、何て言うんですか、当て具合、力加減があるわけじゃないですか、
そんな把握してないようなことをやりすぎているとか、やらなすぎているとか。
練習すりゃいいだけだ。
その新しい陶芸家というか発掘とかは、やっぱりいろんなものを見て回るんですか、
この学芸員の仕事として展覧会の準備ももちろんあると思うんですけど、
要するに現代陶芸である以上、どんどん新しい人を発掘しなきゃいけない。
毎日ギャラリーで、どこかで展覧会が行われているっていうことになるので、
東京で開催されている展覧会に関しては、できる範囲で行くようにはしています。
その時にこれはすごい伸びるっていう人結構いるもんですか?
いや、そんな先見の目が私にあるかっていうことですよね、どっちかっていうと。
なんかこう、そういうことを感じる場合もあるし、
逆に若い人が何を考えているのかなっていうのを、そういうところで探るっていう部分はあります。
かつて自分は若かったけれど、時間が経ってみると、
次の世代というか年下の人たちが考えていることはもはやわからないっていうか、
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そういう感じが格になることがあるので、
かつてはなんとなく理解できて、自分もそれは同じ世代だったからっていう、
それで自分が年をとってみて、20代の人が今何を考えているかっていうのは、
感覚的に理解できなければ、理解できるように努力しないと、
これはもうわからないことになってしまうっていう、当たり前の話に気がついて、
感覚的に共有する時代観みたいなものを持っていない若い人たちが、
何を考えて、何に興味を持って、
焼き物のどういう部分を自分の仕事としていこうとしているのかっていうのは、
意識的に見ないとわからなくなってしまうんだなっていうことは感じています。
ただそれは見に行くのはギャラリーだけではなくて、
陶芸を教える場所、学ぶ場所っていうのが大学だったり、
養虚地にある技術訓練所だったり、いろんな学校がありますけれども、
大学の卒業政策とかそういうものを見たり、
当館で主催している菊池美園内っていうのは、
そういう意味では情報をここにいながらにして得ることもできるシステムであるので、
そういうことをところで情報を得ていくっていう感じですね。
焼き物陶芸家になる道の一番はどういうのがプレーンなというか、一番オーソドックスな道筋って。
いろいろあるので、どれが今どういうルートでなる方が多いのかってちょっとわからないですけれども、
お家が焼き物をやっているので、それを継ぐっていうパターンもあるじゃないですか。
あとは美術大学の陶芸家に進んで、そこで焼き物をやっていくことにした人もいれば、
学校は普通の学科で出ているけれども、一度社会に出てから焼き物をやろうと思って、
その地域の学校に技術を教える場所。
笠間にあるやつとかですか。
そうです。陶芸大学とか田島の衣装研究所とか、そういうところで学んで作家活動をしていく人もいれば、
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作品を発表して陶芸家ですって言ってしまえばそれで陶芸家なので、そう考えるといろいろあるんですよね。
退職されてから作品を発表し始めて、公募店でいろんな書を取っているような方も中にはいらっしゃいますし、
陶芸家をどういうふうに定義づけるかにいくんだろうと思うんですけれども、
ループがいろいろあると思います。
そういう多様性も面白いのかもしれないですね、その焼き物を見るときに。
知ってみると楽しそうだなっていうのがわかってくる。
伝統のあるお家で製作される焼き物というか、
そういうお家を継いでいくタイプの製作と、
継いでいるので次に渡さなければいけないという継承前提とした製作と、
一台限りの自分の感性と知性と技術だけで出来上がるもの。
また性質が全然違うので、作家の考えていることもまた違うはずなんですよね。
目指しているところが違うっていう。
そういう背景を知ってみるとまた見方も違うのかなと思います。
最後にこれだけ聞いてみようかなと思うんですけど、
美術以外って好きなものありますか?っていう。
美術以外何が、趣味とかってどうですか?島之さんって。
趣味、何でしょう、私最近仕事しかしてないような気がして、
大丈夫かなって思ってますけど、それかぼーっとしているかどっちかのような気がします。
テレビ見るとか漫画読むとかあんまないんですか?映画見に行くと。
映画は見に行きますが、テレビはあまり見なくなりましたし、
漫画は読まなくなりましたし、好きですけど。
趣味はって聞かれたらどう答えるんですか?
本質の中ではとても難しいなと思って、趣味はって。
でも昔から趣味はって聞かれた。
趣味と特に聞かれると答えるの難しいなと思い続けてきたんですけど。
一個もないパターン。
一個もないなんてことありますか?
トニーさんは趣味何ですか?
詩って言えば僕は読書です。
だから本は好きなんで、必ず今日とかも荷物最低限に本入ってます。
僕は本読んでる時間が考え事する時間でも、仕事の時間でもあるんですけど、
読書悲しいって言えば。
でも確かに僕もどっちかっていうと仕事ばっかですから、
基本ずっとアトテラやってるんで。
確かに今言われて特技なんだろうなって思いましたね。
僕。
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特に人の顔を覚えるのは特技ですね。
あ、そうですか。
めちゃくちゃ特技。アートツアーとかやってた時なんてだって、
月に延べ何百人とは合うわけですけど、一回会ったら覚えられるんですよ。
なので逆に気持ち悪いのは、一回しか会ったことない人と全然違うところで会った時に、
どっかで会ったなってなって、めちゃくちゃ考えて、
あ、どっかのコンビニの店員さんだったわみたいなこととかもある。
それぐらい一回見たら覚えちゃうんで。
だから解決するまで気持ち悪いんですよね。
どこで会った人なんだろうっていうのをすっごい、
それだけで1時間経ったりとかしますね。
で、どうでもよかったかみたいな。仕事の人でもなんでもなかったわみたいな。
あそこのレストランでウェイターだったな、あそこで会話した人だったわとか、
それぐらい本当に一回会ったら覚えちゃうっていうのはあるけど、
そういうのはないですか、特技的なの。
うーん、特技ね。
なきゃないでいいです。
趣味も特技もありません。
なんか寂しくないですか。
いや本当ですよね。料理とかしますとかでいいんじゃないですか。
あ、なんかあの時々バカみたいにお菓子だけ作ってる時とかあります。
簡単なものを。
でも家に帰ると何かを焼いて寝るみたいな。
趣味っていうよりは完全にデトックスですね。
なるほど、なるほど、そうですね。
まあないわけじゃないですね、そういう意味で言うと。
そうですね。
じゃあ最後、将来というか今仕込んでる展覧会とか、
これ今後やってみたいなっていくつかあるんですか、島崎さんの中で。
あります。
ありますけれど、私行ってしまうと満足するタイプでして、
力を家に貯めておかないといけないという、実現する、
ちゃんとダンドリンに乗った時まで黙ってないと、
そこで満足しちゃうんですね。
ドリームプランであればあるほど満足しちゃうので、
ダメなんですね、力は逃がしちゃいけないので、
ちょっとまだ見えないです。
もうちょっと何か具体的に可能性が見える、そこまでいかないと。
でもだから食べてるものはあるということですね。
だからどのタイミングで発表かわかんないけど、
それはこの展覧会はその美術館で見れるということですね、
この美術館、いつか。
まあ私がいれば。
それは楽しみに皆さんしていただければなというふうに思います。
じゃあ最後に何かこれだけ言っておきたいとかありますか?
何でしょう、この先、
いやこれ年齢的なこともあると思うんですけど、
中年というこの時間は何だろうと最近思っていて、
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どういうこと?
暗い話しようと。
世代ですから全然僕も中年ですから。
こうしているわけではないんですけども、
もう若くはないので精一杯やるだけでは全然足りないわけで、
だからといって何かこう、
いるだけで価値のあるようなものでもないわけで、
ですので何とも言えない中途半端なところに差し掛かったんだなと思って、
自分に見える課題を専門目的に一休一休大事に返し続けながら、
専門終わった時には何かこの中年のこの時間が終わって、
もう少しこう、具体的に開けたものになるはずだということを今思い始めている。
今専門ノックじゃあ何本ぐらい受けた状態なんですか?
ちょっとわかんないですけど。
100本ぐらいは行ったんですか?
1本ぐらい行ったのかちょっとよくわからないですけど。
これから始まるんですか?
始まるのか、何かこう目の前に見える、
課題はあるし、自分の足りなさを感じるし、やりたいことはあるけれども、
いろんなものが追いつかなかったりするし、トラブルはあるし、
何か降りかかってくるものを一つ一つ処理しながら、
でも確実に最善の方法をとって前に行くっていう、
これをしていけば、何か今ちょっとトンネルに入った気持ちでいるんですけれど、
これは抜ける日が来るんじゃないかっていうのが、今仕事をしながら考えていることで。
で、多分トンネルの先は明るい未来。
はずだ。
明るい未来にするためには、その一つ一つに最善の策で望むっていうことをしないと、
適当に逃げたら偉いことになるなっていうのを今すごい感じているんです。
この時間を大事にしないといけないなっていう。
中年ってつらいんじゃないかって。
そんなまとめない。
島崎さんでも中年と思うんですかね、自分のことを。
思いますよ。
おばさんには自分はならずに、素敵なマダムになっていくんだみたいなそんな話ではなくて、
体は衰えるし、体を衰えるのに焼き物の重さは変わらないわけですね。
そりゃそうですね。
私の体はどうなるんだろうみたいなことですよね。
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焼き物のお友達みなさんには、島崎さんのためにちょっとずつ軽くしてもらうように伝えるしかないですよね。
どっちに合わせるんだろう。
この重さに耐える体を維持しないといけないとか、ちょっと思いますね。
それが目標なんですね。
筋トレしなきゃいけないとか、腰と膝と首とか大事にしなきゃいけないとか。
島崎さんと出会っても、そういう悩み聞くようになるとは思わなかった。
お互いそうですもんね。
お元気で頑張り続けて頂けたらという風に思います。
島崎さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ということで、意外なラストでしたということでございました。
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