みんなどうなんだろうと思って、そういう側面があるのか。
私はやっぱり究極的にだから、お母さんの体内に帰りたいから、体内回帰願望ってのはそういうものですよね。
そういうもんなんすか。
そういうのも安心に向かっていくというか、すべてから来ていく。
あまりに普通にね、人生生きていくのって苦しいこと、いろんな自分の思うままになる。
そのシャットダウンされた殻の中に戻りたい。
そう、用水に浸って、へその通じて栄養が供給されて、これ以上のものはないなって。
だから私は工作機械にプレスされたいっていう。
マシニングセンターとかでピューってね。
そういう非常にニッケルとか非常に硬い、チタンとかそういう、チタン合金とかそういうのはものすごいプレスされていくものが。
そういう製兵器。
製兵器ではなくて電電子。
言い換えただけか。
言い換えただけ。
そういうところに行きたいっていうのはありますよね。
あとある種のものは非常にプラズマとか使って非常に危険だから、ガラス張りとかになって閉じ込められて、中に何があってるかわかんないわけですよ。
そういう中に入ってみたいなーっていうのはありますよね。
それだけでずっと行っちゃうと本当に一線を越えちゃうから難しいし、
連絡をもっと浅く言うと連絡取りたくないとかそういうのもインターネットの発達のおかげでですね、今や仮にコロンビアに行ったところでそこでピコーンとか言ってラインが来ちゃう世の中。
この間も航空会社のエアラインに乗ってたら今日からWi-Fiが繋がるようになりましたとか言ってですね。
思わず消しとか言ってやめろとか言って、やめろやめろとか言おうと思ったけど、そういうのすると陽警戒パッセンジャーになっちゃうから、それじゃないんだけど。
だから私も飛行機長距離フライトとかね、岡田さんあんまり海外旅行はされないって言うけど、私なんかもうしょっちゅうしてるから、
海外出航の行った先よりもその途中のフライトでずっと孤独にもうこの本を読むしかないとかあるいは眠りにつくしかないとかいうのが一番ありがたかったりするんですよね。
誰もこの瞬間は仕事のメールとかでも追いかけてこないしっていうのはありますよね。
たとえば仕事が忙しいとか、つらいことがあったとかバタバタしてるからいなくなりたいわけでは、そういう場合もあるんだけど、
めちゃめちゃ幸せで、たとえば子供と遊んでて、今すごい充実してるわって思った時といなくなりたいって気持ちが両立することがあるんですけど。
それは本能みたいなもので組み込まれてるじゃないですかね。本能みたいなもので。
なんでなんですかね。
もう一個ぐらいのものを追い求めていくその気持ちがあるから本当に失踪したやつとかいて、でもそういうやつが新体力発見したりとか、
ちょっとしたキノコを食べてすごい元気になってこれが食えるぞとかあったりとか。
そういう冒険プログラムみたいなのが前向きに勝手に捉えると、そういうものがあるからしょうがないんじゃないですかね。
逆に言うと現代社会で生きていながら折り合いをつけるには、そういうのをちょこっとちょこっと代理体験しておいて、
少しガス抜きとかをさせてやるのがいいっていう意味で、旅とかそういうのがあるんじゃないかなってちょっと表層的なコメントかもしれないけど。
自分の中にそういうのあるよってのは全然自覚してないと思うし。
自分がいることでもうその場所を取っちゃってる。
レイモンド・カーヴァーって小説家、アメリカの小説家なかとかね。
僕がここに座っているだけで、そこの空気とかそこの存在を勝手に取っちゃっているんだみたいな。
なんだったかな、エッセイかポエムか小説の一説とか忘れましたけど、そういう文章の一説みたいなのがあってですね。
自分がここにいるだけで誰かが他にいる場所を取ってしまっているみたいな、そういう気持ちみたいなの。
すごく切ない言葉で書かれていてですね。
ああ、なるほどねとか。
その読んだ瞬間ピンとこなかったけど、じわじわじわじわその後になってから聞いてきた言葉みたいなのがありますよね。
だからそういうのを全てなくして、この世界に何も迷惑をかけないとか、何も影響を与えないものになるには消えるしかない。
だけどあんまりそれに行き過ぎると本当にさっきおっしゃったような、岸辺りとか危ない世界に行っちゃうから。
だけどそういうのあるのはあるんだよということなんじゃないんですかね。
そうなんだよ。たぶん実際にそれで違う世界にたとえば行ったとしたら、
だから一回不明点って結構異世界に行くみたいな感じの物語も多くて。
それって昔からその2チャンネルとかであるネットミームで異世界物みたいなのがあるんですよ。
こういう儀式をしたら、異世界に行くとか。
あと有名なのが岸辺駅っていう、突然気づいたら知らない駅に立ってましたみたいな、
そういう実話風に語られているようなものがあって、
これはいいかもしれないですね。
それは騎士伝授ではないですね。
ないないない。
なんかとりあえず1回も上がって生産をしていくみたいなね。
マージャンとかも1回こうやって、
で、25,000点にもう1回戻してくださるようになるみたいなね。
そういうことの喜びみたいなのがあるかもしれないですね。
リセット願望みたいな。
そうそうそう。
リセット願望、そうね。
それでも追いかけてくるものはまたそこの中に味わいがあるのかもしれないけれども、
結構ね、時間の使い方とかでも他にまだやりたいこといろいろあるなっていっている中で、
今あるこの、私のこの人生の生き方の時間のリソースのスタイルで、
まあちょっとまだ果たせないかなって思うようなことも、
ここら辺のここを今ご破産にすればいけるんじゃないみたいなね。
ここでこの人に対してなんかこのお茶を熱湯をふりかけたら、
私の人生ここで1回リセットになるかもなとかね。
そういうことを考えながらやりますね。
つい考えてしまうっていうのはあるかもしれないですね。
でも今のところしてないので、何とかいきます。
でもその辺の一線を越えちゃった人のニュースとかを見ると、
まあなんかひどく軽蔑する気持ちは私の中には起こらない。
全然理解できる。
ちょっと危ない話だよね。
ちょっとこれ会員向けの話かもしれない。危ない話かもしれないけど。
いや、やるのと理解できるのと全く違いますからね。
違うからね。そうそうそう。
いうものも張りつつもですね。
そういうものの発散の一つとしての旅。
一時的な逃避みたいなものもしてたし、
なんか最近やれてないからこそそういうことをこう一緒の場面で思うことが多いのかなみたいな。
今は私服の時期というか踏ん張って、確かに岡田さんの近くにいる小さい命を守らなくてはいけない時期だから。
でもその割に仕事とかもあんまり行ってないっぽいし、
なんかルックバックとか、なんか映画見て帰っちゃったりして。
それが小さな逃避行。
私から見たら結構もう小破さんを何回かしてるような感じで羨ましく映りますけどね。
私の方が多分窮屈な職業人生の中で今生きてるから。
仕事が大変とかそういうのとは全く関係なくなんで。
ついついそうか。ついなんか僕はひきんなところに今引き寄せて語っちゃうけど。
もっと根源的なそういう欲求なり何なりが潜んでいるってことですよね。
でもそれやっぱり自覚するのがいいですよ。
自覚しないままなんか変な風に言っちゃう人がやっぱり一番やばくて。
子供はやっぱり悔いになってるというか。
それがなかったらなんか。
無敵の人になって。
やばかった。無敵の人にはならないけど。
なんかフラッと本当に消えてたかもね。
でも私からしたらこういうところでそういうよしなしの話をね。
こうやってなんかラジオというかポッドキャストみたいな感じでして。
それを一応一定の人が聞いてくれてなんとなく共感してくれる人もいて。