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はい、Chikaraです。今日もスタイフォーを撮っていきたいと思います。よろしくお願いします。
この間、音声配信を毎日続ける秘訣的な話で、
事前に収録をするタイミングと場所をちゃんと確保するといいですよ、という話しましたけど、
実は僕のこの放送会、冬休み会は、できるだけちょっと、
年末に今、取りためをしようとしているんですけど、
理由は、僕もやっぱりね、家族がいると、なかなか音声配信をちょっと収録って、かなり難しくて、
で、今取りためをしようとしている中で、ちょっともしかしたら、1月の頭、第1週目分、
7、8、9日まで、一応ね、僕はちょっとお休みしようと思ってるんですけど、9日分までの放送がちょっと足りないかもしれないので、
もしかしたら、この9日まで、9日明けて10日までかな、
ちょっと、数回分、放送会が空いてしまうかもしれないですけど、
お正月お休みを力も取ってるんだな、というふうに思っていただいて、
ちょっと次の年始明けの放送を、またお楽しみにお待ちいただければなというふうに思います。
今日は何の話しようかな、そうですね、
宮剣さんが最初の頃やってたような、僕の少し、少しだけ、歴史的なところを話してみようかな、
僕のルーツってどんなとこかな、とか、自分の振り返りも含めて、まあね、2023年の頭なんで、
ちょっとそんな話もしてみようかなと思うんですけど、
僕は大学を出て、すぐに就職をしたんですけど、ある会社にね、
実は僕、大学の時は理系だったんですよ、理系のほう。
で、なんで理系っていうのも、なんとなくで理系を選んだっていうね、理由はなくて、理系の大学行ったんだけど、
そう、だからその当時、理由はなくてというか、数学とかは得意なほうだなと自分で思ってたんで、
まあそれで点数が取りやすい大学っていうことでね、理系の大学を選んだっていう感じだったんですけど、
その大学に入ってからやっぱりね、思い知らされるんですよね、なんだこれは、
で、当時の、だから今でもそうだけど、ソリディティとかね、僕全然ダメだよ、
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クリプトゾンビとかやろうとしても、チャレンジしようとしてもやっぱり毎回ダメなんだけど、
そのプログラミングみたいなものとか、本当にもうね、本当にできない、もう全くわからないっていう感じで、
もう大学はだからもう本当に勉強ほぼしない、4年間過ごしてしまったんですよね。
で、まあでも、まあね、しょうがないですよね。
うん、で、自分には理系というものは合わないなと思いながらも、でも就職ね、その後すぐ、
あの大学出てした時に、えっとこれそうか、ゴミラジオで、あのチムニタウンのゴミラジオの時一回出た時、
あのツイーダさんとお話ししたけど、そう、2000年問題を、だからその大学出て会社入って2年目の時かな、
2000年問題っていうのを対応するっていうので、一応理系の大学出たから、
その会社の情報システム部というとこ入って、えっと2000年問題を対応したんですよね。
ただね、僕は2000年問題対応した時に、なんかもう、あ、これで僕のやることは終わったなって思ったんですよ。
まあ終わったなっていうか、一区切りがついたなと思ったんですよね。
で、その頃に実は興味を持っていたのが、あの海外に行って、海外に住んでみたいなと思ってたんですよね。
なんかそう思ったんですよ。
で、その会社で、えっと僕たちのいた情報システム部っていう部門からも、
えっと1年に1人、えっと誰かそう、あの選んで海外に行かせてあげるっていう制度があったんですよね。
当時ね、その会社はいい会社だったんで、まあそういう制度があったんだけど。
で、僕もそれをあの行きたいと思ってたんで、目指そうと思ったら、
あのその頃、僕の同期のメンバーから、えっと僕以外の人をね、
あの、そう海外に行かせたいっていう偉い方の声があって、
で、その人を単独でもうね、あの先行するってことなくなく、
その人を、まあ名指しでお前を行かせるって、僕以外の人をね、あの、
名指しをされてしまったんで、参加権がもらえなかったんですよね、僕ね。
うん、だからもうショックで。
いや、会社として参加する、ね、チャンスももらえない会社だったら、もう僕は自分で行こうと思って。
で、そう、会社を辞めたんですよね。
それが、あのね、入社3年目の時かな。
だから2000年問題が2年目で、1月になる時で終わったでしょ。
で、3年目の時に、海外に行きたいってチャンスに手を挙げようと思ったら、もうチャンス潰れちゃったんで、
じゃあ自分で行きますっていうので、あの会社を辞めることになりました。
で、それから、そう、あの、当時ね、ワーキングホリデーっていうね、制度があって、
まあ今もありますけど、当時は25歳までだったんですよ。
今は30歳まで伸びたんかな、ワーキングホリデーね。
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で、25歳ちょうど、もう人生に一度しかね、使えない権利だったら、もう使いたいっていうことで会社を辞めて、
で、あの、ワーキングホリデーでオーストラリアにね、1年間行くことになります。
で、その時ね、オーストラリアでも、そう、あの、仕事のあてなんかないし、英語もね、喋れなかったから、
僕、向こうの空港に着いて、3、4時間ぐらいかな、ずーっと空港からの、出ても行く先も決めてなかったから、
空港にね、3、4時間ぐらい行ったっていう記憶ありますね。
うん。で、行ったら何とかなると思ってたから、無計画で、宿も取ってなかったんですよ。
で、とにかく、そう、空港に着いて3時間、4時間ぐらい、
コークとしか言えなかったから、あの、コークって頼んで、ね、そう、あの、コーラ飲みながら、ね、3、4時間ずーっと、どうしようかなって思いながら、
まあ、空港にいたっていうのを記憶ありますね。
で、そこから、まあ、空港から出ないといけないよな、とにかくと思って、まあ、どっかに行きたいなと思ったんで、
まあ、シティに行きたいと。
で、シティって言えば、なんか、あの、町に着くだろうっていうので、シティに行きたいって言ったら、あのバスに乗ればいいって言われたんで、乗ったんですよね。
でも、その時に、みんなどんどん降りていくんですよ、どっかで。
でも、僕、行き場所決めてないでしょ。
だから、そう、みんな降りていくんだけど、お前はどこにで降りたいんだって、多分ね、聞かれたんですよね。
でも、英語喋れないし。
で、一番最後に僕だけが残った時に、あの、ね、そう、みんな実は、宿を、あの、事前に予約していた宿に、みんな降りて行ってたみたいなんだけど。
うん、僕はもう、宿も決めてなかったんで、あの、知ってた単語で、あの、ステーションっていう、ね、駅に行けば何とかなりそうと思ったんで、もう、その、運転手さんにステーションって伝えて、そう。
で、じゃあ、あのね、その、パースっていう場所のね、パースっていう、西オーストラリアの首都、首都かな、の、パースっていう場所の、まあ、あの、駅に降らせてもらったっていうのが、まあ、当時のね、初日でしたね、うん。
で、そっから宿を探さないとって言ったんだけど、地図もないし、当時スマホなんかもないから、何にもないの、ガイドブックだけ。
まあ、地球の歩き方っていうね、昔、当時はね、それをまあ、一冊持っていれば何とかなるだろうって言われてた、あの、ガイドブックみたいなのがあったんで、それで、まあ、そう、その、パースっていう、ね、オーストラリア、西オーストラリアの町の駅前から、まあ、宿を探すっていう形になったのが、まあ、その時のね、初日でしたね、うん。
という感じで、あ、もう8分、9分になっちゃいましたね、うん。
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まあ、そんな感じの人ですね。
もう、何の話してるんだろう、全然WEB3とかDAOとか関係ないですけどね、まあ、とにかく僕は当時からやっぱ無鉄砲だったのかもしれないですね、そう考えると、何とかなるよ、やってみたら何とかなるんじゃないっていう、うーん、感じだったのかな、うん。
で、一応それも、僕の中ではもうリスクはないと、なんで思ってたかっていうと、当時の大学の僕の先輩が、あの、僕より先にオーストラリアの、あの、ワーキングホリデーを何人も行ってたんですよ、あの、何人もって言ったら2人か3人ぐらいかな、行ってて、全員無事に帰ってきてたんで、まあ、行きゃ何とかなるって言ってもくれてたし、まあ、それで、まあ、行ったら何とかなるやっていうのは本当にだからノープランで行ったっていうね、
うん、今考えるとバカじゃないのって思うけど、まあね、うん、そんな、えーと、そう、そんな大学終わってからの、まあ、25歳ぐらいまでのね、話でした、ということで、はい、もう10分経ちましたんで、はい、まあ、こんな感じですかね、冬休み会ということで、はい、そんな経験を、あの、していたのも、まあ、懐かしい話ですね、という回になりました、はい、じゃあ今日はこんなところにしようかな、
と思います、また、えーと、収録ね、明日から撮れないかもしれないけど、ちょっと、はい、とりあえずできるところまで撮りためをしていきたいなと思います、一回これで、あの、今日はこんなところにしたいと思います、それではまた、皆さん良い一日を!