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はい、チカラです。今日もスタイフォーを撮っていきたいと思います。よろしくお願いします。
そうですね、今日はまた昨日の続きの話をちょっとしてみようかな。
昨日は、僕が大学出て、順調にそれまで大学も出ていって、そのまま会社に入ったんですけどね。
やめまして、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きました、という話をしましたけど。
うん、そうですね。だからその、まあね、続きというと、オーストラリアでその後どうなっていったの?という話ですけど、実はね、やっぱり本当に行けば何とかなるんですよ。
ワーキングホリデーの人たちの、バックパッカーという言い方しますけど、後ろに背中に荷物を背負っている人たちっていうのはそこら中に歩いてて、
日本人向けのも含めて、旅行者向けの情報が貼ってあるお店ってたくさんあるんですよ。
で、そこの情報が貼ってあるお店に、飲食店とかにもね、いろいろこう求人だったり、宿を提供しているよとか、いろんな情報があるので、そこに行って情報交換したりとかしていくと、普通に安い宿を見つけられたりとか、
あとはシェアハウスって言って、オーストラリアの方とかが、部屋が空いていれば貸してくれてたりするんで、そこに連絡を取って、明日から住ませてください、いいよっていう顔合わせをして住んでいくっていうシェアハウスっていうのもあったりするので、
すぐに行ってから、1週間くらいは、ちょっと僕もよくわかんなかったから、高い宿に泊まっちゃってたんだけど、すぐにシェアハウスを僕も見つけて、そこからは、ジャスティンっていう名前だったかな、そのおじさんの家に住まわせてもらうようになっていったって感じですね。
最初はもう目的も何も決めてなかったから、そのままずーっとジャスティンの家でテレビずーっと見てたんですよ。もう何しに行ったのって感じですけど。ずーっと見てたら、いい加減英会話学校行ったらってジャスティンから言われて、ジャスティンもだからうざかったんでしょうね、僕がね。
ずーっと、何かしんないけどこの日本人は家でテレビしか見てねーぞって。まあそれはね、目的なくとにかく行きたいって思ってきたわけだから。まあね、そう無計画に来たんで、そんな風に思われたんだろうけど、それで英会話学校にね、1ヶ月ぐらいした後かな、英会話学校に行って、語学学校か。
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そこからやっぱりいろんな知り合いが増えていって、仲間が増えていって、オーストラリアをぐるーっと一周するっていうのもいいよとかいろいろ教えてもらって、それで僕もね、オーストラリアをほぼ一周する旅に出ることになりますね。
で、そのパースから僕が初めて、西オーストラリアから始めて、下回りで行ったんですけど、メルボルンに最初は行って、なぜか僕はその当時、東海岸はもう行かないって何か決めてたんですよね。
なぜかって、なんか日本人がいっぱい行く場所だっていうイメージがあったから、シドニーも行かなかったし、ブリスベンとかも行かなかったんですよね。
で、一度、日本に帰ってきて、一旦、何かのイベントがあって、日本に帰ることがあって、またすぐに戻ってきたんですけど、戻ってきた先にケアンズに戻ってきて、ケアンズから、今度は中央オーストラリアっていうんですかね、エアーズロックがあったりするあたりから北上して、暑い熱帯雨林みたいなダービンっていうところ行って、
で、ずーっと西の周り、海岸沿いを降りてきて、パースに帰ってきて、1年経って、日本に帰ってきたって感じですよね。
あれ、何の話してんだろう。これオーストラリアを知らない人に言っても、何の話してんのっていう回になっちゃったけど。
まあ、だからそういう感じになりましたね。
で、当時だからね、お金稼がないといけなかったから、あのね、パースでは、えっとね、ナイトクラブって、だから日本でいうクラブです。
踊る場所。お酒出して踊ってる場所で、あのね、バラを売ってる、あの、バイトをしたんですよ。
で、多分ね、今思うとあれ危ないんだと思うんだけど、なんかその、マフィアとまでは言わないけど、あの、変なね、バッジをもらって、
そのバッジを持っている奴は、あの、その、ガードマンっていうの。
えっと、ナイトクラブの前に、ドアに立っているガードマンに、列に並ばなくてもガードマンにこのバッジを見せると、もうお前入っていいよって言われて、すぐに中に入れて。
で、顔パスみたいな、だからバッジパスっていうのかな。で、それでそのバラを、そのナイトクラブの中で一周して、まあ、売っていってっていう。
それでナイトクラブを転々として、こう、服、何個か、何個かのナイトクラブがね、街の中にあったんで、それをこう、顔パス、バッジパスで、こう、ガードマン、あの、見せながら、あの、入っていいよって言われて、まあ、売り歩くっていう、バイトもしたりしてましたね。
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だから一回にね、40本ぐらいのバラを、だから本当にバラの花束みたいな、でっかいバラの花束みたいなぐらいを、あの、夜、抱えて。で、それを1本、あの時で何、オーストラリアドルがね、あの時、1ドル5、5、60円だったんかな、僕。今もうね、1ドル100円ぐらいになっちゃったでしょ、オーストラリアドルもね。
うん。でもそれを、だから1ドル50円ぐらいだった時って、えっとね、3ドルとか4ドルで売ってたんかな。だからまあ1本結構いいお値段だったけど、もうみんなね、酔ってくると、もうバラ、バラ、バラのやつ来いって言って呼ぶわけでしょ。
で、はいはいって言くと、あの、女の子に対してね、どれが好きな、選んでいいよみたいにやりながら、そうカッコつけながらね、って思いながらだけど、お客さんだから、はい、ありがとうございますって言ってね、こうバラを売っていくっていうのをやってましたね。
うん、そう、そんな、はい、そんなこともやったりして、お金を稼ぎながら、まあオーストラリア一周して。
で、オーストラリアはね、もう貧乏旅行だったから、最後の方はもうね、釣りをしながら、あの魚を釣って、まあ魚を釣れなかったらね、その日のご飯は大米だけとか、まあそんなことをやったりね、釣りの餌買えない時は、まあ1匹釣った魚をこう捌いて、で、その捌いた魚自体が餌になるから、それでまた次の魚を釣ったりとかね、そんなことをしながら、うん、そう、生活したり、まあしてた。
こともありました、っていう、この面白いかな、こんな話、まあいいか、はい、こんな話が今日の話でしたね、まあこれがだから僕が25歳ぐらいの時ですね、25から6歳ぐらいにかけてかな、うん、はい、ということで、今日は、まあはい、僕の歴史その2、オーストラリアの、で過ごしたこと、みたいなね、書きました。
あの話してみました、はい、ということで、こんな感じです、すいません、こんな感じです、って終わりにします、はい、じゃあ今日はまた皆さん良い1日を。