ラジオ番組の枠組みでのエセ知識に対する思い悩み
カタラジオショート
ショートだったっけ?
ショーツ
間違えました
間違えました
間違えることもあるんですね
工房にも山上にもショーツの
工房でしたっけ?
工房だね、工房じゃねえな
はいはい、ショーツになってまいりました
今日はねあれですね、異伝のフリートークの後の収録でございます
そうですね
山上さん
何章?
最近ちょっと悩ましいなと思ってきまして
何がでございますか?
異伝の回の冒頭でも
お互いの姿勢感のよりどころになるような本があるよねみたいな話をしてたじゃないですか
話しましたね
あの話を、あの場ではさらっと流したけれども
そこで出てきた本を改めて読んでいたんですよ
僕の場合は中島義満さんの哲学の教科書っていう本がそれにあたるよみたいな話をしてたんですけど
改めて読んでいると
今このラジオ番組という枠組みの中で
この解禁しているこのエセ知識は何なんだろうかっていう思いにね
駆られてきましてですね
何なんだろうっていうのは
棚取り会と我々の主観を背景にした考察
こんなエセ知識を改禁したところで俺たちがどうせ死ぬぜみたいなそういうこと?
いやいやそういうことじゃなくて
このさ
なんていうの
ある種エセインテリジェンスな会話を楽しもうという趣旨でやってるわけじゃないですか
まさにそうだね
僕らはあえてね毎度わざとエセという言葉を使ってますけど
何がしかの学問領域に対して
ぐいっと踏み込んだ知識を持ってるわけじゃないじゃないですか
全てに関して広く浅いのが今のところ我々の語らずのような方針です
そのどこかから切ったハッとして持ってきた知識をね
調べるということに対する非常に抵抗感が出てきたわけですよ
なるほど同調と説に異議を唱えたいということね
そういうわけでもないんですけど
その一個カウンターパートとなるのが僕はやっぱり棚取り会だと思ってまして
そうだね
あそこの真髄は何かっていうとあくまで我々の主観が
詩をどう捉えるかっていうそこに終始してるじゃないですか
確かに
だから僕らの経験の内側以上に語れることってないじゃないですか
ラジオ番組を通しての生き様を語ることへの思い
棚取り会に関してはだって我々がファーストオーサーというかさ
そうそうファーストオーサーだし一時情報に基づくね
我々の人生経験という一時情報に基づく
考察や考えの展開というのを胸を張ってね
まさにむしろそれを切り張りするのは勝手にどうぞって
皆さんに発信する側だもんねあれに関しては
それねひるがえってこの前の回だったりとか前々回ですね
主の起源を読むときに最後の情報が誤ってるから
主の起源の外側の知見をどうしても言わなければいけないという条件に置かれたじゃないですか
確かに確かに
あれって一時情報に当たりきれない中で
何かしらのナレッジを伝えないといけないっていうことなんで
それをですねどう咀嚼するのがいいのかと
いう問題に非常に思い悩んでるわけですよ
穴埋め的に論文を引用し続けるというか
足りないところを補うために正確かどうか分からない情報を
とりあえず正確かどうか分からない分だけで
持ってこなきゃいけなくなってるってことね
そうそうそう
それは思うわねそれに関して
俺は意外と持ってきてるけど
あんまりその持ってきてることにこだわりすぎないというか
俺らが楽しむためにとりあえず持ってきて
場合はやってる分には楽しくはあるけど
結局俺たちの知識がそれで深まるかとか
周りのSインテリジェントなリスナーたちが
それを利いてインテリジェントに昇格するかといったら
たぶんしないんだよね
SインテリジェントはSインテリジェントのままと
そこは進化しないと
それを良しとするかどうかという問題にぶち当たるわけですが
そうそうそう
どうでしょう
だからさそうなんだよね
そこのさ何というか力点の置き方をやっぱり僕らは
襟を正して考えなければいけないんじゃないかと思ったんだよね
なるほど
つまり僕らがある情報をもとに
考察を深める分にはそれは僕らの主観だし
ある種実感を持った発言なわけじゃないですか
そうだね
だからやっぱそっちに秘書を置かないといけないなって
すごく思ったわけ
かなり哲学的なことになる
我々の人生をベースにした
俺ほら前語るラジオは
生き様を語るラジオってなんかふざけてきたけど
本当に生き様を語るラジオになってしまうということでございますか
確かにそういう可能性がなくもないよね
あっても全然いいなと思ったし
例えばその前回の遺伝子の話を取って考えたとすると
例えばさ僕が最後に遺伝子情報
自分が持ってる遺伝子情報の意味を知るってどういう意味があるの?
みたいな問い寄せを投げかけたじゃない
投げたね
あそことかはすごい実感を持って語れるじゃん
確かに確かに
そういうところに対して我々がどうリアクトするのか
っていうところに重きを置いた方が
お互い気持ちいいんじゃないかなって思い始めているっていう
間違いない
そういうことですね
あれってなかなか難しいよね
前回その遺伝の話の中で最後に遺伝子情報を聞きなりするってことは
我々にとってどうなのかって問いが出たけど
それって狙って出せるかっていうのは結構会話の流れでポッと出てくる
そうね
それをポッパポッパ出せるようになるっていうのが
語らず世のMCとして成長するということなんですよね
確かにね
その問いの精度というか
はいはい
そこにやっぱり戻ってくる感じがすごいあるなって思うね
サイロソフィーの探求
だから一言で言うと全てのことを主観に落とし込んで話すってことか
そうだね
主観我々の
そうなのか
そうじゃない
なるほどね
そうだよ
だから結構それでいくと結構おもろいとこにいるなと思ったのは
我々の扱ってるテーマって結構お互い理系出身だってこともあって
サイエンス領域から出てくることって多いじゃないですか
多いっていうかほぼそうだよ
で一方で僕らのやってる対話とかアプローチって
すごく文系的なアプローチと言うとちょっと語弊があるかもしれないけど
まつりはない
それこそ前から名前が当てるコテンラジオとか
ゆるなんとかラジオとかって比較的文系領域の人たちのあれが多いけど
やっぱり言説を積み重ねていった上にみたいな話だったりとか
過去の文明が起こった時ホグストみたいな話だったりとか
そういうところに理屈してるみたいなある種解釈みたいなことをやるのだとすると
本当はサイエンスって解釈の余地があってはいけない学問なはずじゃない?
そこに対してこの解釈だったりとかこういう理解があるんじゃないかとか
こういう展開があるんじゃないかって言うっていう
その半ば無責任ではあるかもしれないけど
なんか結構面白いいつなみだなってすごい感じる
だからサイロソフィーだよね
サイエンスプラスフィロソフィー俺たちやってることは
なるほどね
サイロソフィーの探求ってタイトルにしよう
やりながら名前考える
でもそれ確かにおもろいなと思うけど
フィロソフィーもさもともとさ
知を愛する
そうそう語源で言うと知を愛するみたいな話じゃないですか
ソフィアをフィロソフィー
その中でだんだん分かる分野がサイエンスになっていったりとか
ソシオロジーになったりとかエティックスになったりとか
切り出されていったわけだよね
それでも残ってる問題がフィロソフィーとして取り扱われてるわけだし
結構そこに残ってる問題って主観的なないしは実存的な問題っていうのが
意外と最後取り残されてるんじゃないかしらっていうのは
やっぱりサイエンスで扱えなかった領域が残ってるわけじゃん
でもフィロソフィーっていうのはある意味望遠鏡というか
フィロソフィーのメガネでサイエンスを見てるっていうのは
結局何で見るかって
俺たちはフィロソフィーっていう目を持ってサイエンスを扱う
サイエンス扱うって言ったらおかしいけど
我々がやってることは極めてフィロソフィックである
なのかな
多分
分からんけど
エセフィロソフィー
エセフィロソフィー
エセフィロソフィーはマジでやばいじゃん
ウサンクソすぎるよね
エセフィロソフィーでもいいけど
そうね
シュードフィロソフィーラジオ
いいですね
そうですね
まあなんかそんなことを思ってましたっていう
まあだからそれはある意味だから
今結論みたいなものが出たんじゃないか
フィロソフィーとサイエンスを統合させた
新たな学問領域を取り扱ってるラジオがカタラジオでございます
サイロソフィーの名前探し
なるほどね
いいかもしれないね
サイロソフィー
サイロソフィー
そのサイがなんなんだ
サイエンス
サイエンスフィロソフィー
サイコロジーみたいな感じもするじゃない
サイロソフィー
確かに
ってかサイロソフィーってもうフィロソフィーを読み間違えたみたいになってるじゃん
普通に中学英語分からないってなってるじゃん
サイロソフィーって
間にhを言わせてたみたいな
そうそう
誤読してますね
誤読してます
誤読を楽しめればいいです
楽しくできましょう
ではでは