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バンジー中毒、一度は空を飛んでみたいあなたへ。
この番組では、一度は空を飛んでみたいとひっそりと思っているあなたへ、
なかなか知らないバンジージャンプの世界について語っていきながら、
怖いけどそれでも楽しいバンジージャンプのありのままの姿をリスナーの皆さんにご紹介していきます。
こんにちは。パーソナリティを務めます株式会社ロジリシティ代表の野村哲也と申します。
どこでもバンジーVRというアトラクションを作っていたり、
松子の知らない世界でバンジージャンプをプレゼンテーションさせていただいたりしています。よろしくお願いします。
同じくパーソナリティを務めます野村さんと20年来の友人の松村です。
本日は第6回目の放送になります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、始まりました。バンジー中毒。
いつもこの入り方やしね。
雑談。
軽い雑談。
そうね。
LMM、チャットGPDとかね。
大規模言語モデルね。
そう、それを自分で勉強していて、ずっと。
それが結構わかってきた。
自分でこういうふうなことをアウトプットで出したいみたいなのがかなり正確に指示できるようになっていて。
いじる時間が長ければ長いほどどんどんうまくなっていって、
もっと若手の新入社員に丁寧に指示するように一つ一つ細かく細かく書いて出したやつを見て、
ちょっとこの指示悪かったな、もうちょっと良くしなあかんなとかってやり続けたら、
良くなっていく感覚がつかめてきて。
それはすごい嬉しい。
唯一俺の相手してくれるチャットGPD。
会社も家族も相手してくれるから。
そうそう。唯一俺の質問に答えてくれる。
反応してくれる。
それは嬉しいね。
じゃあ僕はチャットGPDに負けないようにバンジーについて語らせてもらおうと思いました。
はい。
ありがとうございます。
では本日のトークテーマに移りたいと思います。
トークテーマは歴史を変えたレジェンドバンジーについてです。
歴史を変えたレジェンドバンジー。
でもね、それで言うとやっぱり先週の配信でも喋ったけど、
歴史をまさに変えたというか作った人がA.J.ハケットさんかなと。
バンジージャンプを作ったのがA.J.ハケットさんというニュージーランド人なんだけども、
その人がやっぱりレジェンドかなっていうのはまずあります。
歴史を変えたレジェンドバンジーっていうテーマで頭を思い浮かんだのは、
そのA.J.ハケットさんが世界にバンジージャンプというものを知らしめたバンジーがレジェンドバンジーなんじゃないかなって思ったのがあるんですよ。
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まずA.J.ハケットさんをもうちょっと説明した方がいいと思うんだけど、
なんと今日野村さんA.J.ハケットさんの本を持ってきて。
A.J.ハケットさんの辞典まさにジャンプスタート。
この表紙のこのいい笑顔ね。
野村 だからニュージーランド人っぽい明るい感じの人で、
少し白髪じれですごいグッドスマイルでジャンプスタートって表示があって、
それの辞典を今日持ってきてもらってます。
日本ってさ、日本男児っていう言葉あるやん。
粋で男らしくて勇気があって、粋に稲瀬になんでもやりますってみたいな。
ニュージーランドにはキウイガイっていう言葉があって、
キウイってニュージーランドの果物やんか、
確か鳥でキウイっていう鳥がいて、冒険心があって、
なんでも果敢にやっていく人のことをニュージーランドではキウイガイっていうらしいのよ。
非常にA.J.ハケットさんは自分のことをキウイガイだと自称してる。
俺は日本男児だと言ってるのと同じような感じでニュージーランドに行ってると。
オックスフォードのエクストリームスポーツクラブが近代でいうバンジージャンプを始めたのが1979年やねんけど、
1986年ぐらいだったかな、84年だったかな、86年だったかなぐらいに
A.J.ハケットさんがそれに触発されて、遊びのノリでニュージーランドのオークランドでバンジージャンプ的なことをやったのね。
それで何度も実験して、安全性とかを高めて、仲間とかもどんどん広がっていって、
これをたくさん人を集めて、みんなでバンジーしようっていうパーティーをやったときに、
これは誰でも体験できるようなお商売にするべきなんじゃないかなっていうふうに、使命感を感じて。
それが1986年だか87年だかぐらいなんですよ。
それで実際に商業バンジージャンプっていうものができたのが1988年。
もうほんとあっという間やね。
1年ぐらいでパーティーみたいなやつでプロトタイプみたいなのを披露して、
1980年代中旬ぐらいにはプロトタイプをいろいろと作っていって、何度も試行錯誤してて、
1987年にやったパーティーで、たくさんの人が次々に俺も飛ばしてくれ、私も飛ばしてくれって盛り上がるのを見て、
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これはちゃんとしたお商売にしなきゃいけないなというふうに感じたんだと。
結果的に1988年からニュージーランドでバンジージャンプのお商売を始めるんだが、
それに先立つ形の1987年に、世界にバンジージャンプを知らしめたレジェンドバンジーがあるんです。
彼は何をしたかというと、フランスに行ってね。
エッフェル塔があるじゃないですか。
エッフェル塔に無断で登ってバンジージャンプをするっていうのをやったのよ。
それは何か営業中に行ったのかな。
これね、朝一。
朝一。
何度もエッフェル塔に足を運んで、警備員がどういうふうな動き方をして、いつ不審者をチェックしてるか。
どこに通りがあるのか、通路があるのかとかも見たりとか。
あるいはエッフェル塔に登って、釣り糸を垂らしてね。
これも不審者と思われないように。
その釣り糸が地面に届いた時の長さを持って、ここは160メートルなんだなみたいな感じで高さを測ったりとか。
いざ本番だっていう時の早朝に、違う、前日から忍び込んで泊まり込んだんだっけな。
これが映画会社と提携してて、自分がそうやって方を犯して飛ぶっていうことを撮影する権利っていうのを。
プロダクションに権利を買ってもらってて。
それで自分がいざ万事するっていうのを撮らせて、それを世界に配信して。
かつね、自分は法を犯したわけだから捕まっちゃうんですよ、警察が。
でも捕まった時のことが新聞の一面のニュースになるんですね。
世の中にはこういうふうなバンジージャンプっていうものが作られてて、それを世界に知らせたい奴がエッフェル塔からなんと飛んだのかと。
しかもそれは死なずにちゃんと生きてるのかみたいな、そういうところも含めて世界に知らしめた。
ゲリラ的に計画的な犯罪者という視点で見ると計画的犯行よね。
ただプロモーターとミッチしてみたら大成功したみたいな。
その時、A.J.ハケットさんはバンジージャンプっていうものをこんなふうに企業のプロモーションのイベントだと。
そういう形で世の中に広げようとしてたんだって。
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企業のプロモーションってバンジージャンプで?
例えば日本で言うと、レッドブルのブランディングのために東京タワーさんに話をして、そこから飛ぶっていうイベントを立ててくださいと。
広告費払うんでみたいな感じで、安全なノウハウを持ってるA.J.ハケットさんみたいなイベント会社がそれを受託するみたいな。
そういうプロモーションの商品として世の中に広げようとしてたんだけども。
時を同じくして、さっき言ったパーティーで若者がたくさん飛びたいっていうのを見て、もしかしてこれは体験イベント?
有料でいくら払ってくれれば飛べますよっていうことの方が商用的可能性は開けるんじゃないかなと思って、そっちの道を進んでたっていう話があったりします。
じゃあ初めはそういう企業の広告として、A.J.ハケットさんだけが飛ぶみたいなショーみたいな感じで広めようとしてたけど、
このパーティーとかを通じてやると、普通の人も飛びたい飛びたいって言うから、
じゃあその体験装置として遊園地のアトラクションみたいな感じで展開した方がいいんじゃないかっていう話。
なるほど。それは大成功ですね。レジェンドバンジーとして。
商業バンジーは1個目はニュージーランドにできたって言ってたけど、
そのエッフェル塔事件から他の人も真似しようみたいな感じでどんどん増えていった?
これはもう、そのお商売してるのはその時はもうA.J.ハケットさんだけで、
ニュージーランドのカワラウブリーチっていうところに作ってお商売して、
どんどんニュージーランドでも場所を増やしていって、世界にも進出していったっていう感じ。
なるほど。誰が次続いていったかとか知らん。
これね、バンジージャンプ事業をしてる人っていうのは世界にいろいろといて、
有名な人で言うとアメリカにいるチケッツさんって人がいて、
アラン・ジョン・チケッツじゃなくてスタンチケッツさんだって人がいて、
いわゆる遊園地のアトラクションを作る会社、家族でやってて。
フリーフォールっていうものを世の中に生み出した人ってその人なんだけども。
フリーフォールってどういうの?
椅子に座って高いところで上がっていって急降下する。
ああ、なるほど。
フリーフォールっていうのを作ったのがスタンチケッツさん。
スタンチケッツさんは遊園地バンジー、タワーバンジーって言うんだけど、
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遊園地バンジーとかも作ったというか特許を持ってるね。
近年ちょっと亡くなってしまった人なんだけどね。
エイジ・ハケットさんはまだ?
ご存命で、今フランスに住んでる。
その判件というか特許みたいなのを持っている?
これね、その時エイジ・ハケットさんがその時やったバンジージャンプっていうこと自体は特許は取ってない。
ただ彼は本当にいわゆるバンジージャンプ業界っていうことだったりとか、
あとニュージーランドからアドベンチャーツーリズムに非常に貢献した人だというふうに認められていて、
ニュージーランドで言うと国民栄養賞みたいなものも受賞してるし、
あと安全マニュアルの基準っていうものをちゃんと作り上げて、
ニュージーランドだけじゃなくてオーストラリアにも政府公認とされるマニュアルっていうものを作り上げている。
なるほど。そこで開発した後どんどん事業が拡大していって、最終的には名誉国民みたいなぐらいまで行かれたすごい人ってことだね。
なるほど。海外ではパリのエッフェル塔からのバンジーで逮捕されたニュースが大きいですけど、国内でレジェンドバンジーってありますか?
国内ね、もちろん今でも有名な芸能人が飛んだりするとニュースにもなったりするから、そういうのもレジェンドバンジーの一つだと言えると思うし、
くまモンが飛びましたとかあの人が飛びましたとかもあるけど、たけしさんの元気が出るテレビっていうバラエティ番組が昔あったと思うんやけど、
そこの中で芸能人が初めてバンジージャンプ飛んだっていうのがあって、お笑い芸人で島崎敏郎さんっていう方がいらっしゃってね。
昨年12月にちょっと不法があった方ではあるんだけども、その方がたけしさんの元気が出るテレビ、人気バラエティ番組をね、そこで初めてニュージーランドのブリッジバンジーで
飛ぶっていうのが放送されて、お茶の間全国にバンジージャンプってものがあるんだっていうことを知らせたっていう。
日本のバラエティ番組が行って実際現地で飛んだって。
まだバンジージャンプなんていうものがあるっていうことを国民誰も知らない、ほぼ知らないっていう状態の時に。
それが一発目だったと。
ユーチューブ見たらその時の動画残ってるんですけども、本当に係員がね、カウントダウンするのよ。5,4,3,2,1、バンジーって。
飛べない。
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何度かそれやっても飛べなくて、最後もう意を消して、飛び込んでいくの。
お母ちゃん。
名シーンやね。
名シーンよ。
テレビ紙に残る名シーン。
日本のバンジージャンプ紙に残るんじゃないかな。
その時はまだ遊園地バンジーもブリッジバンジーも日本にはなくて、
それから数年後に愛知県の下グリーンバレーっていうところに遊園地バンジーができるっていうところから、
日本でもバンジージャンプが実際体験できるようになっていくって感じ。
今ではテレビではたくさんバンジージャンプやってるけど、一番初めに放送されたっていうのはお茶の間にインパクトがあった。
島崎敏郎さんはもうちょっと昨年不法があったけど、ご自身のホームページがあって、そことかにはブログ書いてるんだよ。
それでその中の一つにお手紙風のやつがあって、背景バンジージャンプ様みたいな。
そういうようなブログ記事もある。
あなたは何なんですか?どうしてそんなに怖いんですか?みたいな感じだった気がする。
それを調べたらすぐ出てくる。
愛を感じるというか、それに関わったことで私はすごく有名になったっていうか、知名度も上がったのかな、わからんけど。
そういう感謝の気持ちも込めて書いてるのかな。
いや、戸惑いの文章だった。
戸惑ってた。そのバンジージャンプという大将に対してまだつかめきれてない感じでね。
なるほどね。ありがとうございます。
本日は歴史を変えたレジェンドバンジーということでお話を伺いました。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
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質問や要望も大歓迎です。
それでは次回もよろしくお願いします。