面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第40回の本日は、脳は世界をどう見ているのか、知識の謎を解く1000の脳理論について語ります。
はい、知能ですね。知識じゃなくて。
知能ですね、はい。読み間違えました。知能の謎を解く1000の脳理論について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、最初にお知らせなんですけれども、前回のアフタートークで話した、ブックカタリストお便りフォームというのを作りました。
割とブックカタリストでやりたい、ちょうどいい距離感みたいなものがちょっとずつわかってきて、お便りを送っていただいて、それを読むっていうのも、自分が今思っているちょうどいい距離感にちょうどいいような気がして。
お便りを送っていただいたら、本編の最後に時間とか余裕があればっていうイメージなんですけれども、読ませていただいて、幸いなことにブックカタリストオリジナルグッズ、しおりというものがですね、我が家にちょっと余っているので、読ませていただいた方には手動でそのしおりを3枚セットぐらいでお送りしようかなと考えています。
イメージとしてはラジオに送られてくるハガキのイメージですよね、たぶん。
最近、コミュニティを盛り上げる目安として、ガイドラインというものが重要だということをすごい思い知って、お便りを読むというのもすごくいいガイドラインになるなと。
お便りを送ろうと思っても、どうやって書いたらいいかってわかんないじゃないですか。
俺が仮にブックカタリストにお便りを送ろうと思っても、何をどう送ったらいいのかがやっぱりわかんない。
ならば、送ってもらってそれを読んだら、それがガイドラインになるよねって思って。
最初に送る方はガイドラインがないので、相当どうしたらいいかというのは考えていただいてっていう感じになるんですけれども。
でも、もし普段ラジオとかポッドキャストを聞かれている方であれば、そこで読み上げられる番組感想のイメージがテンプレート的になるというか、モデルになるというか、そんな感じですよね、きっと。
おそらくそうですね。
ちょっとブックカタリスト独特で面白いかなと思っているのが、この本面白いから読めというものを厚い文章に書いて送っていただければ、それを紹介するというのもいいのかなというのを思っていて。
そうですね。あと紹介した本を自分はどう読んだとか、あなたたちはこう言ってたけど、私はこう思いますよみたいな、そういうのでもありですね。
これはこっちの方、こういうところが面白かったと思うという意見は一番参考になるという意味では良いですね。
はい。
あと素直に褒めてくれる、面白かったですみたいなのも嬉しいので送っていただければもちろん嬉しいですし。
そうですね、いろいろ。自由にっていうとまたやりにくいんで、だから紹介したい本とか、番組内の本の感想とか関連本とかを応援メッセージを添えて送っていただけると嬉しいなという感じですね。
しおりも送りますので、ぜひ。いらない方は住所欄を空欄にしておいていただければ、いらないんだなという意思表示になるので。
住所は一応一定期間経ったら消すし、送ったら消すという形でアナログな処理になるんですが、そういう感じで手元には残らないようにしようと思います。
はい。
ということでお便りをお待ちしておりますという話から本編です。
はい。
今回は。
2人読んでる本なのでどう進めるかですが、簡単に初詞情報からいきますか。そしたら。
ですね。発売が4月の20日になってるかな。見る限りで。
はい。今年出た本で、しかも結構最近で早川書房さんからハードカバーで出てます。
ジェフ・ホーキンスという方が著者で、僕この人全然知らなかったんですけど、早川書房さんの編集者さんを1人僕ツイッターでフォローしてて、その方が紹介されてたんで。
いかにも面白そうな。面白そうな本っていうのはオーラが出てるんですよ。
どこからオーラ?物質から?
いやわかんない。表紙かな。表紙とかタイトルとか帯メッセージから。これは俺にとって面白いよっていう雰囲気が出てたんで中身もろくに知られずに買ったんですけど、まあ予想通り面白かったという感じの本で。
著者がジェフ・ホーキンスという方で、もともとはインテルのソフトウェアエンジニアとして働いておられて、一回カリフォルニア大学バークレイ校に神経科学で学士課程に進んだけども、結局シリコンバレーに戻ってきて、パームコンピューティングというのを設立され、
パームパイロットっていう。パームパイロットってあれ要するにパームの元々のやつってことですよね、これ名前からすると。
そうですね。
神経科学を開発して大ヒットしたんでしょうね、キッズね。大儲けされたんやと思いますけど、2002年にレッドウッド神経科学研究所を自分で作ったと。
で、それを研究所がさっき言ったバークレイ校に移されて、で、この人はまたNUMENTAという会社を別に設立されたと。だから、研究者でありつつ実業家でもあると。利息のわらじを共に最大限発揮されている方っていうのが結構特徴的ですね、この方は。
本人も書いてあったんだけれども、本人がやりたかったことは研究者っぽいんですよね、どうやら。ただ、やりたいことをやろうとしたらそんなことに金は出せんって言われたから、じゃあ金稼いでやるわいって言って、金を稼いでやりたいことをやるためのお金を手に入れて、今やりたいことをやれているという、なんか資本主義の一番マッチョな生き方というか。
アメリカっぽいよね。
アメリカっぽい、そう。
でも、この人の研究がお金を取れなかったっていうのは、この人の研究が先を行き過ぎてたから感は多分あるんでしょうね。
おそらく本の内容とも絡むんですけど、良くも悪くもすっげえ夢みたいなことをたくさん語ってますよね。
そういうので、結構アメリカンドリームの本でもあるという面白い。その意味でも物語的面白さがありますよね、この本自体。
そうですね、あとそんなに詳しくは書かれていないんで、その辺りのメタメッセージ的なこの人がそういう由来があってやっているというのも、ある程度理解しとくと面白さが増えるかもしれないですね。
確かにね。その本の内容なんですけども、タイトル、ノーは世界をどう見ているのかっていうタイトルで、洗脳理論、英語のタイトルと逆で、洗脳理論がThe Thousand Brainsがメインタイトルなんですけど、
ノーに関する新しいセオリー、理論ということで、結構この本自体はノーの話なんですけど、ビッグピクチャーの話をしてますよね。
正直タイトルがThe Thousand Brainsなんですけど、そこは3分の1ですよね。
3分の1は全体としては3分の1だね。一応、コッシーにはなっているんやけど、正盾でいうと第3部構成になっておりまして、一部がいわゆる著者らが提示している洗脳、ノー理論っていうもの。
あるいは、知能の成り立ちっていう、ノーにおける知能の成り立ちっていうのはこうじゃないかっていう、かなり大胆で新しい仮説というか、本人らは理論と言ってますけど、のところの紹介。
第2部が機械の知能ということで、人間の知能が仮に洗脳、ノー理論で作れるとしたら、機械のノーはこうなって、機械における知能もこうなっているべきだろうみたいな、
機械におけるノーと今のいわゆる機械知能、人工知能と呼ばれているものと、本来あるべき機械知能との違いっていうのを論じられた上で、あなたたちが今考えている知能ってちょっと違うよねっていうことをまず言うのが第2部。
ここまでは、一応、ノーと科学知能の話なんですけど、3部が人間の知能という性立てで、ここはもう大胆にSFなんですけど、人類の使命とは何かを考え直そうということですね、大きく言うと。
最初の2つぐらいはちょっと社会的な話でしたかね、3部の。で、その後がもうSFでしたね。
完全にSFで、私たちが人類というものが遺伝子によって生物的に進化してきたと。それ一方で、それとは別に知能というものを構築したと。
人類が滅亡した後に残すものは果たしてどちらなのか。遺伝子なのか知識なのか。あなたはどう考えますか。私は遺伝子じゃないと思います。知識だと思いますということを言っておられるという本で。
農法科学の内容をはるかに飛び越えて、むしろ知能っていうのが人類にとってどれぐらい重たいものなのかっていうことを提唱している内容になってますね。
そうですね。ざっと大きく振り返って、一部のところはすごい読みやすい、めっちゃわかりやすい、面白いなって思っていたけれども、後半のインパクトがさらにでかいせいで、そっちの印象が圧倒的に強い。
それでもやっぱり一部と第二部の半分ぐらいが非常に面白いですね。これは農科学の本の中でも、農心計画の中の本の中でも非常にドラスティックというか、大胆な話でかつ、ああそういうことかっていうふうに落ちる感覚もたくさんあって、そういう意味では非常に役立つ本でもありましたね。
そうですね。自分の場合で言うと、10冊以上はこういうジャンルの本を最近読んでいると思うんですけれども、おそらくまず一番楽しく読めたというか、いい意味であんまり難しくなくて、スムーズに読めて、言っていることもすごい納得しやすくて、その一冊目として最強なんじゃないかという感じはしますね。
農心計画の話ですけど、あんまり細かいことをやいや言っているわけじゃなくて、フレームというかモデルというか、こういう理論を紹介しているという感じの本なので、そういう意味では多分、科学読み物としてはライトな部類に入るでしょうね、きっと。
そうですね。たぶん、基本的に参考文献みたいなものもきっちり書いているわけでもないし、ちょっと農用語っていうんですか、神秘室みたいなのも出てくるけれども、10個もないんで、このレベルならわからなくても覚えられる。
だから初級の科学系文書という位置づけでいいと思いますね、これは。
そう、この手のやつで難しいやつは、本当に最近読んでいるやつとか、教科書みたいな本とか結構あったりして。
その分野の大学生が読むような本っていう感じがするよね。
そうそう、そういうのが結構多くて、あと、やっぱり著名人だからわかりやすいというわけでもなくて。
その分野の巨匠の名前も何人か知ったんですけれども、巨匠であるほど何か書いてわかりづらいとか、そういうこともある中、おそらくこの人はやっぱりビジネスの人なので、伝えるのがうまいんですよね、たぶん。
だからプレゼンテーションの感じがするよね、そういう意味では。
そう、だから脳の勉強ではあるんだけど、ある意味テッドなライトさっていうか。
あるあるある。
みたいな読みやすさがあって、やっぱ一番すごいな。おそらくね、翻訳の方がうまいんですよね、太田直子さん。
ぱっと見で、いつも時間がないあなたにだとか、人類とイノベーションだとか。
あと他にもたぶんちょっと手元で見つかったのがそれだけなんですけど。
あとね、僕のスクラップボックスではリンクになってて、いつも時間がないあなたにも出てきますし。
あとデジタルで読む脳と紙の本で読む脳っていう、インターシフトさんの本とか、あなたの脳の話っていう、これはデイビッドイーグルマンだったかな、脳系の話も。
まあ本語書のやつですね、それも。
だから結構、その分野にも長けてあるんでしょうね。
おそらく。面白いのがやっぱこの分野だと3人ぐらい、しょっちゅう出てくる翻訳者の方みたいなのもいて、その中の1人で、やっぱ数をこなしているだけあってっていうわかりやすさもあるイメージですね。
その3分の内容なんですが、どこ全部をまともにやると長いんで、やっぱ一部ですかね、主要に扱いたいのは。
そうですね、一部の中でも全部が全部っていうか、それぞれ一番印象に残ったというか、面白いと思ったところは何があったっていうのが良いですかね。
じゃあゴリゴさんからどうぞ。
これね一番面白かったのは、脳は座標で物事を理解するというやつ。
そこがおそらく他の本では見たことがなかった話で、そして言われるとすっげえ納得が深いというか、座標っていう概念をこれ以上詳しく説明しようがないんですけど、
どうやら人間の脳というものは物事を座標形で理解しているらしいというのがこの人たちの理論なんですよね。
座標っていうと一般的な地図とか空間みたいな2次元3次元だけを想像するかもしれないんだけれども、
必ずしももっと多くの4次元5次元的な概念を使って、人間はどうやら脳は物事を理解している可能性があるっていう話がすごいね。
今時の脳の仕組みのこと、脳はなぜ忘れるのかとか、物事を例えば記憶術として、場所とひも付けて覚えるといいぞってあるじゃないですか。
記憶の宮殿とかいますね。
目をつぶって部屋をイメージして、ドアを開けるとここに何があって、右手には何があって、左手には何があってとかっていう記憶術ってまんま座標やんと思って。
こんなに言われたらもう納得できてしまうし、あとその丸暗記というものが覚えられないということも座標に関連しないから覚えられないということでもあるっていうのが、
この座標という一言で全部説明できてしまったというのが結構衝撃で。
もう一個すごいなと思ったのが、例えば座標で覚えるって地図なら余裕だよねって言われるんだけど、
例えば哲学の概念みたいなのってどうやって座標で覚えるのって言われた場合に、イメージするの難しいんですよね。
確かに哲学の分野だとかって、それ座標ですごい覚えづらいよねって思っていて。
実際にこの本にも概念の知識というものが覚えるのが難しい理由も座標に配置することが難しいからだって言ってて。
哲学って座標に配置するのは難しいからすごい覚えづらいけど、地図とか図解が分かりやすいって図解ってまんま座標だし、
地図を覚えるとかもすごい図解的に簡単だし、漢字の書き方を覚えるは回数を重ねれば分かるんだけれども、掛け算という概念は座標で理解するのは結構難しいと思うんですよね。
なるほど。
因数分解をどうやって覚えようとかって座標で覚えるのはやっぱり難しいから、学習として結構難しい。
歴史なんかは例えば座標的に人物だったり時系列だったり地図だったりっていうものを紐付けて覚えれば覚えるほど覚えやすくなる。
特に社会なんて丸暗記をいかに脱却するかがテストで良い点を取る秘訣だと思うんですけど。
それも全部座標の話にすると納得できてしまうというか成立できてしまう。
これはすごいな。このワンセンテンスというか1テーマだけでお得感があったぐらい面白かったですね。
そうそう。だからこれは実用で役立つって言ったのはまさにこのところで。
その座標っていう言葉の概義がかなり広いんですけども、ある物事の配置とかですよね。で覚えるということで。
年表とかもそうですね。年表も配置で覚えますし。
例えば僕の中で言うと例えばエバーノートとかを使ってるとするじゃないですか。
で一番上にインボックスがあったんですけど、例えばある操作を変えてインボックスを真ん中ぐらいにやったとするじゃないですか。
で次の日インボックスを探そうとしてどこを行くかっていうとiを探すんじゃなくてもう左上に手が行ってるんですよね。
あれもう座標ですよね。並び順って座標だよね。
座標。だからあらゆる記憶が座標を通して行われているのではないか。
だから場所を使ったら覚えやすいよっていうのはこれまで言われてましたけど。
そもそもその知識のモデル全てが座標ではないかっていうのはかなり大胆な敷衍で。
でも確かにそれはそうやなと。その配置だけじゃなくてこれだから関係性を含む。
だから座標ってのはAの要素とBの要素がどのような位置付けにあるかっていうことを含むんで。
だから哲学の知識の座標っていうとだからAさんの考えとBさんの考えがどのように関係しているのかを理解することが座標に置くっていうことですよね要するに。
だからやっぱね直感的には難しいんですよね。
だからおそらく哲学者、現役の哲学研究者は頭の中にそういう図というか図ですね。図を持ってるわけですね。その知識の図っていうのを。だから簡単に使える。
で、僕らはそれを持ってないから話を聞かされても分からない。
これが要するに全体像を知っている人間と断片を知っている人間という言い方で対比されるんですけど。
その全体像ってなんやねんっていうのが今ここで座標であると。概念の座標であるとはっきり言えるようになったっていうのは
かなり大きな前進ですね。
ですよね。何勉強するにも役に立つやんと思って。さっき言った哲学にしても、だからいかにマップにするかなんですよね。
いかにマップにするか。適切なマップに落とし込めるかかな。
人によって覚え方が違うとかっていうのも座標の組み方が違うんだよねっていう。
組み方が違うと見え方も処理系も違ってくるから、例えば同じものでも違うように見えてくるっていうのはあるし、
だから逆に専門家は似たような地図を持ってて、それで話ができるっていうことでもあるでしょうね。
でしょうね。おそらく知っている人はやっぱりより他との関連の度合いがもっと深いので、
その一つの新しい物事が入ってきたときに、より適切な位置に置ける。
だから今まで僕はそれを知識のネットワークという言い方をしましたけど、ネットワークよりもさらに抽象化できますよね。
だから座標って言うと、より広いというか。だからその方が包括的やし実際的な感じがしますね。
そこにね、やっぱね、次元が2,3に限らない4次元5次元もあり得るっていうところもまた面白くて、
でも確かに、例えばそれもまた歴史なんですけど、歴史って時間軸プラス場所があって、
もう平面だとしても3次元なんですよね。
最低限3次元から始まっちゃうっていうね。
そこに人を含めたら、確かにイメージはできないけれども、4次元以上の次元で考えているなってことも納得はできて。
何かをしゃべるときはその複雑な次元の断面を取り出してきて、はいどうぞって言ってるけど、
頭の中にあるのはもっと大きな座標軸の全体像が頭の中にはモデルであると。
だから知識として切り出せるのは必ず断片でしかない。だってそんなもの、4次元のものをしゃべれませんからね、基本的には。
だからそこに、頭の中にモデルを構築する難しさと、その知識を口頭で伝えることの難しさっていう、
この次元の変換が行われないといけないっていうのが多分難しいところですね、これは。
そうそう、同時にね、やっぱり面白かったんですね。だから4次元を2次元というか、もう言語の場合1次元でいいのかな。
だから上手にしゃべれない人というのはその次元変換ができないってことなんですよね。
多分ね、だから2次元を2次元のまましゃべろうとしてあたふたするみたいな。
2つのことを同時に言おうとしても、でもそこはダメなのでっていう、
その本を書く難しさ、文章を書く難しさ、しゃべるのってある意味ね、結構2次元でしゃべっているというか、
前にしゃべったことと脈絡なく何も関係ないこととかを平気でしゃべっていて、その1次元になってなくても成立してしまっているんですよね。
そこがその文章を書くとなると、途端に突然1次元にしないといけない、1次元でしか認識できなくなってしまって、
書けないとかできないっていうのがわかるんだなっていうのも座標で解決できる。解決じゃないな、納得はできる。
あとその1次元の情報であるにもかかわらず、目次という構成を立てることによって本の内容に座標を与えることができるんですね。
だから、内容が汲み取りやすい本は、リニアにもかかわらず座標が与えられていると。
だから適切な座標を作れば、読みやすい本ができるっていうことも言えますね。
そうですね、あとさらにどういう順番で読んでいけば座標が作りやすい1次元のテキストになるのか。
だからスクラップボックスと本はやっぱり違う媒体なんですね。スクラップボックスは座標がないので、あれは。
ないっていうかあれなんじゃないですかね。やっぱり多次元宇宙なんじゃないですかね、スクラップボックスは。
で、その読む人がその任意にリニアを作っていける。だから書き手がおそらくこれが読みやすいであろうという配列か座標を読者に対して与えることがしにくいっていう違いがある。
なので、やっぱりそもそも読書という体験は人によって違うんだけれども、もっと違うものになってしまうというか、意図したものを伝えられる可能性が限りなくないですよね。
だから読者の読みたいように読まれてしまうというとちょっとネガティブに聞こえますけど、ある知識をある座標の下で伝えようと思ったら本の形をとらざるを得ないかな。
スクラップボックスを使う場合でも、例えばそれはちゃんとリンクによって順番と階層を指定してあげないと、読み手は座標を持ってないわけですから。
そこをそのギャップをどう埋めるかっていうことをコンテンツの書き手はやっぱり考えないといけないってことですよね。
で、面白いのは我々は時間軸に沿って一次元にしか物事を理解できないはずなのに、
だから図解がわかりやすいはもちろん理解できるんですけど、でもスクラップボックスでとびとびに読むよりやっぱりリニアに本一冊を読んだ方が全体は理解できますよね。
書き手が頭の中に座標を持ってるからでしょ。
座標を持って上手に展開図にしてくれているから。
だからそれがない人が書いた本はやっぱりわかりにくいと思いますよ。
文章がわかりにくいんじゃなくて構成がわかりにくいってやつですよね。
うん、っていうことが起こりうると思いますね。
そこの変換の能力、それをどうやって学べるかとか技術を身につけるかっていうのはまた、この本の話のレベルが超えてしまうから難しいのか。
でもやっぱりそれは本の書き方っていうものも座標に置かれるんでしょ、きっと。
じゃあ例えば俺の中にぼんやりと座標としてイメージはあるかもしれないけれども、やっぱり1次元に切り出せるほどしっかりとしたマッピングがされていないから、人に語ることができない。
だからある程度こういうのも概念化して、体系化っていうとだから今まで大げさに聞かれましたけど、座標化することができたらちゃんとしたコンテンツとして言えるようになると思いますけどね。
あとちょっと今思ったのが座標論に基づいて、人に話すと物事が整理されて、より理解できるみたいな話って座標とどう結びつくのかなと思って。
多分だから、おそらくまずそこに座標があったことを確認する?
フワフワしてるやつをもうちょっと固定する?
で、それを1個ずつ部品にしていくから、座標のパーツがわかりやすくなって、そこにそういう次元があったのかと再発見できる感じじゃないですかね、きっと。
じゃあ、やっぱり語ることは座標を作ることだという言い方ができるのかな、それで言うと。
これはでもあれですね、今の問題提起はちょっと僕の中で新しい課題としては見えましたので、書くことでわかりやすくなるのは座標系とどう関係するのかっていうのはちょっと大きい宿題として引き受けておきます。今のは面白い問題ですね。
いいヒントというか、そこが理解できるともうちょっと面白くなりそうですよね。
少なくとも書こうとして書けないときに座標がないことがわかるってことは言えますね、まず。
ここにこれが足りないということは書こうとしないと結構気づけない。
そこまではわかりますね。頭の中にある配置みたいなのが書くことを通してどう自分で再自覚されるのかはちょっともう一回検討してみます。これはでも考えてもみませんでしたね、その話は。
展開図かな、なんか展開図っていう気がするな。展開図を作ると固まるみたいななんか。
たくさんの切り口を作ることでより理解しやすい次元になるのかな。
もしかしたらこの3Dモデルとしたときに人に表そうとしたときにやっぱりこういろんな角度から見るからかな。
そのより次元を、次元を下げるとは限らないのか。でもそうか、いろんな次元を1次元に1回ずつ変換することによってその曖昧な4次元5次元みたいなやつのポジションがはっきりするみたいな感じなのかな。
頭の中に4次元があるとしても、分かっている感覚があるとしても、分かってない?いや違うな。説明できない?いや違うな。やめとこう。ちょっと長投げでやめときましょう。
おだしょー もし意見がある方がいればお便りなどで教えてください。
非常に面白い問題ですね。僕もその話、座標記が一番ヒットしたんですけど、もう一個、学習のために動く必要があるという話。これが面白かったですね。動くというか、動きを見て変化をする。
世界の方が動いているときはいいんですけど、例えば部屋の中に入ってその部屋のことを理解しようと思ったら、自分でその部屋の中を動き回る必要があるっていう話。
例えばホッチキスの仕組みを理解したかったら、ホッチキスを押してどんな風になるかを確かめるっていうことをするわけじゃないですか。
それによって頭の中にホッチキスのモデルが出来上がるっていう話をされてて、これは結局、例えばプログラミングだったら実際に書けっていうのとか、数学だったら自分で計算式を書けっていうのとほとんど同じ話ですよね。
知識を使ってみるとか概念を用いて、哲学だったら自分が知った概念をちょっと使ってみる、ある場面で。再構築とか言っちゃうみたいなことを実際にやっていく。
だからさっきはモノのモデルだったけど、概念のモデルでも多分動かすことが重要で、変形とか応用とかをすることによってその概念の理解がより深まっていく。
それをしないのは要するに丸暗記で終わってしまうっていうこの動かすことの重要性っていう話も僕は学習において非常に重要だなっていう風に感じましたね。
なんかあれですよね、変化しているものからしか学べないみたいな言い方をしていたんだったかな。
このあたりね、ちゃんと自由エネルギー原理とかで言っているようなことを結構ちゃんと取り込めているというか、優秀な脳の理論はやっぱ他の脳の理論ともちゃんと違和感なくというか矛盾なくちゃんとつながる感じがしますよね。
そうですね、この本の中でも知識の一つの役割は何かっていうと、予測やと言っていると。この辺も面白かったですよね。予測と脳の神経のメカニズムが解説されているところが非常にミステリーを呼んでいるような面白さだったんですけど。
予測に沿った行動、予測通りのことが起こったら物事はスムーズに行くし、反応は他よりも早く進むからバッチリうまくいくと。そうじゃないことが起こったら、あれと僕たちは違和感に気づくと。おそらく脳内のモデルが修正されるのはそのタイミングなんですよね。
これは結局、どこかで言いましたけど、知っているつもりかなって言ってみるけど、間違っていることに気づく。つまり僕らは自分がこのことについて知っているっていう予測モデルを持っているわけですね。基本的には。
基本的には思い込んでいるんですよね。知っていると何かについて。
その予測のモデルを常に外していくことで、新しい学習が進むし、そのモデルが予定調和のあるときは、僕たちは何も新しいことを学ばないと。だから、脳が予測機関であるっていうことと、その予測を裏切るものが学習を進めるっていう話。これも動きの学習に近いですけど、この話も面白かったですね。
脳の予測みたいな話は、今どきこのジャンルのことを読むと必ずと言っていいぐらい書いてあって、ある意味当たり前なんだけれども、やっぱりこの本で書いてある説明とかが分かりやすいというか、譜に落ちやすい。
落ちやすいですね。
よく当時、思い出に残っている予測の話で、サーモスタンブラーって外が飲み物が冷えないやつ。あれでホットコーヒーを飲んでいるときがあって、当時よく熱いってなったんですよね。
サーモスタンブラーって持ち手が熱くないし、飲み口も熱くないし、湯気も。基本的に熱いという予測を脳内、手に持った感じ、熱いと感じないコップの飲み物は熱いものだという予測が当たり前だけどできないので、
ぬるいものだという予測を無意識でしていて、飲んでしまうんですよね。
あれでも、手に持っているものが熱くないものは、飲み物そのものも熱くないっていう予測ができないっていうのは、よくよく考えると不思議なことですよね。この本で書いてありますけど。
それだから、手に持っているものと液体を統合する概念が背後にないと、無理じゃないですか。そういうのがちゃんと、僕たち頭の中にそういうモデルを作ってるよと。
それがあるはずやっていうところから、座標系の話にこの本が流れていくのが面白いんですけど。
【佐藤】何十年生きてくると、こんなにたくさんのことを学んでいるんだなっていうことを思い知らされる感じがして。
【岡田】だから、先入観ができているとも言えますけどね。
【佐藤】先入観の塊なんですよね。これはこうすればいいということを、言語化できていない知識とか、とてつもなく多くのことを学習していると思い知らされる。
【岡田】言語化できていない知識っていうか、言語ができている知識が特殊なんですよね、きっと。
おそらく言語化できていることの方が少ないんですよね。その辺も何か書いてあったかな。
【佐藤】人間の知能の処理において、特定の4次元とかの構造を言語化する意義ってあんまりないじゃないですか。何かあるんかな。
普通だから、わざわざ言葉にしないというか。
【岡田】概念の理解は、言葉がめちゃくちゃ重要みたいですよ。
それはこの本だったかな。あらゆることに書いてあって、言語の偉大さというものはとてつもなくて。
違う本に書いてあった。チンパンジーと人間にゲームを教えようとすると、子供が10分で理解できることも、知能として同程度だと思われるチンパンジーは1週間かからないと覚えられないらしいんですよね。
【佐藤】そこは理解できません。つまり、脳の本能的に僕らは言語化せずにいられないのかという疑問。
【岡田】多分ないと思いますけどね。だって言語をできたのすげえ後だもん。
【佐藤】そうですよね。だから、意識的に名付けることで脳の効率が上がるってことですね。
【岡田】そう、だから、ほっといたら言語にはしないんじゃないですかね。
だから僕たちは意識しない限り、世界のモデルは頭の中でどんどん学習するけど、それは言語化されないまま終わって死んでいくっていうことですよね、きっと。
【佐藤】きっと。だって、熱そうなコップを手にぼんやり持っているときに、熱いと感じるということを、たぶんこれは言語のモデルにはなっていない。
触っただけで、その手からの情報が台の皮質を通さずに直の方で行って、たぶん飲もうという行為も無意識なんですよね。
言語化していない。俺は今からコーヒーを飲むぞと思って、たぶんコーヒーを手に取らなくって。
で、口に持ってきて、そこでもまだ熱くないから、ぬるいものだという予測がなされていて。
で、口元に持ってきてもまだわからんくって、いっぱい飲もうとして熱いってなって初めて気づく。
【佐藤】それがたぶん3回か4回繰り返されると、脊髄反射の方で修正が起こるはずですけど。
それを例えば、コップ勘違い現象みたいな名前をつけておくと、おそらくコップを手に取って飲むときに注意が先に持って働いて、そういうのを避けやすくなるみたいな。
言語化に、ラブエル付けによる知識の発動みたいなことがたぶん起こりやすくなるんでしょうね、きっと。
【佐藤】たぶんね、より早く発動できるんだと思います。で、俺の脳内モデルとしては、おそらくあのコップを持ったときのあの感触をモデルとして持っていると思う。
【佐藤】だから、敷衍化はされてなくて、そのコップの手触りと紐づけられてるわけですね、まだ。
【佐藤】で、おそらく例えばコーヒー屋さんに行って、まあないと思うんですけど、違うサーモンスタンブラーを出されたら熱ってなると思います。
【佐藤】なるほどね。
【佐藤】たぶん、あ、そっか。サーモンスタンブラーという、あ、でもそうかも。サーモンスタンブラーっていう名前で認識できたら、熱ってならないかも。
【佐藤】確かに確かに。やっぱりその名前が知識の抽象化を助けるってことですね、要するに。
【佐藤】うん。より言語を返した方が、でも処理が早くなるってこと?
【佐藤】道具的になるってことですね、きっと。別のところでも使えるようになる。
【佐藤】ですよね。早く、あ、でも言語でショートカットができるのかな、その概念の。
【佐藤】いや、だから本来トリガーになってない神経パルスを動かすんでしょ、きっと。
【佐藤】あー、その熱い、サーモンスタンブラーという言語が熱いとか冷たいと紐づいているので、おそらく。
【佐藤】だからゴリゴさんのその手触りと結びつくその熱いの、傷つけようトリガーが、そのサーモンスタグラスという名前と紐づくことによって、
【佐藤】今度は別のサーモンスタフグラフを持った時の特定の感触とリンクするようになるっていう。
【佐藤】あー、そことリンク。だからサーモンスタンブラーという用語が、1個のシナプスのハブになるみたいなイメージなんだ、多分。
【佐藤】そういう、そんな感じを僕は今描きましたけども。
【佐藤】そうか、だから触った瞬間にこれはサーモンスタンブラーだな神経が反応すると、これは熱いかもしれないぞモードが反応もしてくれるようになる。
【佐藤】だからこれはストロッククラブポックスのツーホップリンクと多分似た感じになるんじゃないですか、きっと。
【佐藤】あー、そうですよね。まんまそうだな、ツーホップリンクですね、それでいうと。
【佐藤】そうか、じゃあやっぱそこに言語がない場合は、やっぱコップというだけでは強く反応、熱いかもしれないから気をつけるわ。
【佐藤】触って熱くないから多分警戒モードがオンにならないんですよね。
【佐藤】コップという概念をアップデートしないといけないんですよ、その場合は。コップという頭の中のモデルがたまに熱いものが入ってるけどそうでない時もあるモードにアップデートするよりは、きっとその新しい名称を持ってきた方が効率は良さそうですけどね。
【佐藤】あー、そうか、より多くのことを効率よく学ぶことができるか、言語化によって。
【佐藤】しますね。あと、一応取り上げたいというか、この本のタイトルなんですけど、線の脳理論。すっかり忘れましたが、線の脳理論っていうのがいくつか、さっきの座標形論と関わってるんですけど、脳の中には、心室の中にはコラムっていうかな、ある塊みたいなのがたくさんあると。
15万個ぐらいあると書かれてまして、そのコラムの中にまたミニコラムが行算あって、そのミニコラムの中にニューロンがあるっていう構造をしていると。
で、脳っていうのは、そのコラム一つ一つを取ってみたときに、結構似てるよねっていう話で。この結構似てるよね話も僕、面白かったんですけど、今まで考えたことなかったんですが。
心室の中身ってどれも結構似てるっていう話は、僕は多分この本で初めて知ったのかな。
で、例えば視覚でも聴覚でも担当する機能は違うけど、中身と結構似てるよねっていう話で。で、脳の進化っていうのはだいたいその古い脳の上に新しい脳の機能が追い足されていったけど、この心室に関してはその階段を上に上がったんじゃなくて、同じもののコピーとして増えていったっていう。
で、そうであったら確かにこんな短期間で大量に脳がでかくなるのも納得的よねっていう話も理解できましたし、同じものがたくさん生まれるっていう、それが使われるっていうことが、知能の定義、つまり汎用性の高さ。
僕らの知能っていうのは特殊性じゃなくて汎用性の高さにあるっていう話と見事に交互するんですよね。特化的な機能があるんじゃなくて同じもののコピーがたくさん使われているっていうのと知能の汎用性が一緒っていうのは、ほーと思いました。
この辺も今時の脳の研究で言われていることと見事にリンクしているという感じで、脳は機能が変わるみたいな話とか、目が見えなくなった人の脳みそを調べると、普通の人が物事を見るときに使っている脳の部位っていうのが別のことで仕事をするようになっているだとか。
脳はなくなった場合は他の部分で代用する。交通事故で本来ここが必要だった場合っていうのも、できる場合できない場合はあるらしいんですけれども、なくなっちゃった場合も他のパーツを使ってやって、足りない分をそこに回してやることで全体として機能ができるようになっている。
これにも書いてあったんですけど、まあまあ特化してるけど結構汎用っていう使い道みたいですよね。
だから脳っていう一つの大きな機能があるんじゃなくて、線って書いてありますけど、脳の中にいくつかの機能を担当するものが大量にあって、それらの総合で成り立っていると。予測ってさっきから何度も言ってますけど、予測の元になるのがモデルという、この世界がどうなっているのかっていうモデル。
そのモデルがたくさんのパーツの中に分散的に保存されてて、その一つ全体として脳っていうのが動いていくっていうのが、線の脳理論。知能っていうのはそういうふうに働いているんでっていうのが著者の理論。おそらくこの仮説は完璧に正しいとは言えないかもしれないですけど、だいぶそれらしい証拠が上がってきているというのが書かれてますね。
100%全部合ってるとはわかんないけれども、すごく言ってることが基本的に全部納得できるし、わかりやすい。この本の中でも注意スキーマ理論っていうのが取り上げられていて、解説とかされていて、1個前ぐらいにその注意スキーマ理論についての本みたいなのを読んだんですけど、その本を読んでも注意スキーマが何のことか全然わからなかったんですよね。
2部に入ると機械の知能という話になってきて、現在のAIの不完全さと本来あるべきAIの話。
あと僕たちがSF映画的に抱いているAIに対する恐怖ってちょっと勘違いだよという話も入ってきますね。
面白かったのが、さっきのちょうど線の脳理論の話とコンピューターとの対比みたいなところで、情報の伝達速度で言うと脳みそってコンピューターに比べるととてつもなく遅い。
0.1秒反応にかかる。
電気だけじゃなくて化学反応が入ってきますからね。
そうそう、化学反応は電気よりも圧倒的に遅いので、信じられないぐらい情報の処理、処理じゃない、伝達速度、CPUで言ったら周波数は全く上げられないんだけれども、
1000以上のちょっとした遅いCPUがすっげえうまく組み合わさると、いまだコンピューターでもできないような処理がまだまだできる。
これは現代がすでにCPU行き詰まってるじゃないですか。もうこれ以上窒着できないし、これ以上窒着すると電子同士が干渉してしまうから、プロセス窒着できない限界が来ているとかっていうところを解決し得るヒントはちゃんとここにあるなっていう感じがして。
もう今時、CPUが何GHzとかっていうのを自慢する人はさすがにあまりいないと思うんですけど。
そうですね、確かに。
でももうGHzじゃないし、GHzじゃない答えの出し方があるかもしれなく。
あとさらに言うと、Appleファンなので言うんですけど、M1チップ、M1ウルトラ、M1マックスみたいなやつ。
あれって1004のノーとか8のノーにすることで速くしようってやっていて。
なるほどね。
ちゃんとその方向に世の中も変わってきているじゃんっていう。
これまでのコンピューターだと、CPUを2個合わせても2倍にはならなかったんですよね。
もちろんM1も2倍にはならないんだけれども、結構2倍に近いぐらい、4倍に近いぐらいいっていたりして。
そこはそういうことを研究していたわけではないんだろうけれども、
今後速くなるであろう期待値が持てるコンピューター、CPUとして、
AppleのMシリーズがあるのと全く同じだなという感じがして。
AppleのMシリーズって、例えば全てのアプリケーションが速くなるわけじゃなくて、
そのM1に合わせたアプリケーションだったら速いってことですよね、確か。
AppleのMシリーズのすごいのは、まずそもそもCPUの命令を短くして、
処理を速くさせよう、省電力にさせようというところで、
今までのシスクとリスクというやつ。
1命令をIntelは長くすることで賢くしようとして、長くしてたくさんのことをできるようにしようとしていたんだけど、複雑なこと。
より短くてシンプルなことのほうが電力効率も良くなるし、結果的に速くなる。並列処理もしやすくなる。
みたいな概念で変わってきている、ARM的な考え方。
それユニックス哲学ですよね。
さらにCPU同士を、おそらくちょっとそこまで分からないんですけど、命令長が短いこととか、
全部を統合できているおかげで、効率よく4個あれば4倍に近いぐらいの速度が出せる。
4倍まではだいぶいってなかったかな。
でも脳が密接に統合されて、複雑な組み合わせさえできるようになれば複雑な思考ができるという、
やっぱりIntelのやり方から脳みそのやり方にちょっと近づいたのかなっていう印象があって。
それはでも面白い話だな。
コンピューターのブレイクスルーにもなりそうですからね、こういうところは。
あと1個だけ予測に関連した話だけ一応しとくんですけど、脳は常に予測してるわけじゃないですか。
予測してた行動が実際にやってきたときに、一番早くアウトプットを出せる体制にしてるわけじゃないですか。
そのとき僕の技術を読んだときに思い出したんですけど、自由意志の実験ってあるじゃないですか。
よくあるやつ。
手を挙げてくださいって言われたときに、手を挙げるとかボタンを押すっていうやつなんですけど、
あれね、これから手を挙げますよって命令を言いますよって言われるわけじゃないですか。
だから予測が走ってるわけですよね。
ってことはそれは早く反応出るんじゃないかなって思ったんですよ。
だから自由意志がないということを否定できないように言えるこの話なら。
だからもう来るぞって言われてることに対して反応してるわけですから、
自由意志とは関係ないのではないかなと僕はちょっと思ったんですよね。
そうですね。さらに言うとその意志というのがもう、それは違う話になるのか脳みそのだいぶ後の方に出てくるやつですよね。
だからそのミリ秒めっちゃ早いから考えてないって言われても、
でもそれはそういう実験下でやってるからそれは早く反応を変えるだけじゃないかなってちょっと思ったんですね。
この反証がどれくらい正しいかわからないですけど。
だから予測に対して動いてるんやったら脳は常に世界に対して一歩前に出てるわけですから、絶対に。
たぶん手を挙げろって言われていたら、もう手を挙げる準備はしてますよね。
で、入った瞬間にもうこっちの意志関係なくそれを上げようとしますよね。
手っていう音が聞こえてくるところで上げれるよねっていう。
予測っていうことを考慮した上であの実験が設計されてるんだったらいいんですけど、
そうじゃないとしたらあれ何も言ってないんじゃないかなという風にちょっとなってきたというのをちょっと思いました。
時代的に言えばやっぱそこまで考慮していなかったから、ひっくり返る話なんじゃないかと根拠はないけど思いますね。
根拠というか論拠はないけど。
ちょっと弱いよなとは今結構強く思いましたね。
そしてそういう意味で言うとやっぱ自由意志はあるんだって言えた方が人生的には良いですからね。
良いというか明るいというか。
限定的やけどあるっていう。だからさっき言ったその予測と反応が違った時に行動をやめるっていう判断ができるはずで。
それもまあもちろんそれは脳の投票によって判断されているわけですけど、それを自由意志と呼んでもいいのではないかなと思いますが。
自由意志が、意志でいいんだな。自由はいらないよ別に。その意志はあるっていうことで僕はいいと思うけど。
まあある、個人的にはそのないはずがないぐらいに思うんですけどね。
実感としてはね。
逆に言えば人間の大半なんて意志なくやっていることなので。
確かにね。
心臓はやっぱ意志を持って動かしてないですからね。
確かに確かに。
そのほとんどの活動が意志がないということは前提にするけれども、だからこそ意志はあるような気がするんですけどね。
意志があるっていう座標が頭に、人間のモデルが頭にできているだけかもしれないから。
まあ大いなる錯覚はね。
そこら辺はね、注意隙間理論のわからん方なりにわかったことで言うと、我々がイメージする錯覚とは違うんだけど、意識というのは錯覚だって言ってました。
それはそう思います。それは間違いない。実存はないと思う。
そこも難しかったんだけれども、面白いですね。やっぱ錯覚という言葉で、少なくとも現実に存在しているものではなくて、そうあると感じているだけだっていう。
でもまあそういうもんでしょ。だから意識ってのは現象であって実存ではない。これはもう哲学の話ですけどね。
でもこれからやっぱね、これも絶対関わってくるというか、お互いに力を合わせないとできないことがいっぱいあると思いますけどね。
それはそうですね。
そっか。でもそれで言うと、だからこそ今ちょっと哲学をやっていく意義があるぞっていう言い方ができるんですよね。
いやもうこれは極限ね、意識とは何かとか自由意識とかは何かっていうのは、哲学の分野と脳の意識の分野が密接にかかってきますからね。
今まで考えてきた人たちが正しいかどうかはわかんないけれども、こう考えた人がいるということを知っておくのは脳を知る上でも役に立つでしょうからね。
立つし、やっぱりその自分がこれから組み立てる脳のモデルは、やっぱりいろんなモデルを参照したほうがより合理的っていうか、強固、違うな、複雑、これ適切な。
いっぱい座標があったほうがいいってことでしょ。
そうそう、いいっていうことを言いたいんだけどちょっと言えないが、そういう多様性かな、さっきの言葉を変えにすると多様性のあるをベースにしたほうがいいので、そういう意味でやっぱりそういう知識を蓄えておくのは有効でしょうね。
そうですね、最近興味がある哲学が、やっといても損はないという理由にもなるっていうのも、別に損すとか得のために学んでいるわけではないんだけれども、そもそもで言ったら。
確かにね。あと一応最後に、第3部の最後の問い。遺伝子か知識かっていう二択を突きつけられたときに、ゴリゴさんはどちらを選ぶのか。人類の未来を選ぶ人類投票があったときに、どちらに一票を入れます?
読んだからだとかもしれないけれども、迷わず知識かなっていう。
ああ、そうか。僕はでもちょっと遺伝子に入れたいかなという感じがしますね。
そうなんだ。俺ね、この話を読んでね、ちょうど3体のエンディングとほぼ同じ時期に読んでいてね。
なるほどね。
とんでもないほど同じ話だったんですよね。
確かに確かに。
あれ、こんなにSFなんだっていうか、3体もすごいなと思ったし、こっちの著者もすごいなと思ったし、行き着くところがほぼほぼ一緒だったっていうのはすごいなと思って。
知識って、特にここで言う知識っていうのは、人間の2つの脳の1つ目の方、システム1の方は一貫切り捨てて、システム2的な、理智的なものだけを残そうと。
人間って、システム1によって戦争とかしちゃうわけだから、それはない方がいいよねっていうのは全くその通りなんですけど。
でも、僕らの複雑な感情、特に文学作品が表してきたようなものって、その1と2の葛藤によって初めて起こるわけで、それを剥ぎ取ったものを残したとして、僕はそれはある意味かなり不完全なものしか残ってないんではないかなという気はします。
でも遺伝子じゃなく、この本に書いてあったか忘れたけど、ほとんどの脳の機能って肯定的なものなわけじゃないですか。
だとすると、遺伝子を残しても、もう一回生み出せないですよね。
だから、それはそれでいいんじゃないかな。不完全で残ってるくらいだったら、もう最終的にその知識っていうのは残ってなくてもいいっていう。
じゃあ、やっぱあれか、趣味の違いか、それで言うと。
たしかに、この本で言われたことの、人類が滅亡して、もう何万年後に新しく出てくる人たち、生命体にとって、こういうのが残ってたら確かにいいですけど。
でも、本当にいいのかはわからないよねとはちょっと思いますよね。
だから、例えば人類で言うと、大パーツが残ってたようなものじゃないですか、はっきりとした形で。
それは本当にいいことなのかっていう。
でも、ただ純粋にロマンとして、この星にかつて知的生命体がいて、そこに情報を残してくれていたっていう、結構ロマンにやられたけどな。
でも、そのロマンを感じるのは人間の感情で、しかも多分システム1と2の相互作用で生まれてる。
だから、いいんじゃないですか。俺たちがやりたいことをやっただから。
なるほどね。
そっちの方がいいっていうか、あとはやっぱり歴史が好きだっていう意味で、やっぱり歴史として残したいがあるんだと思うんですよね。
僕はやっぱり、自分の生物であるという位置づけを抜けない感じかな。
抜きたくないという感じかな。
だから、こういう葛藤をいらないものとして扱いたくないっていう感じ?
それがいらないとは思わないんですけど、割と歴史の一部であるという意識っていうのかな、自分はあくまでも。
あと、それでいうと最近思うのが、この手のものを読んでいると死ぬことに対する概念がだいぶ変わってきて。
なるほど。
SFも含めて、SFの話とノーの話と読んでいると、ただの思い込みかもしれないけれども、死への恐怖みたいなのがちょっと薄れたような気がして。
それはあるでしょうね。だからある種、自分を特別な個体として捉えなくなるっていうところはあるでしょうね。
なんか、所詮歴史の一部分でもあって、宇宙の話からしたら1秒なんていう次元にも満たない話だし、人類史から見てもそんなレベルだし。
あと、みんな死んできたんだなっていうことが身に染みてわかるっていうか。
確かに、それはそうだ。
あと、ノーのアップロードの話も書いてあったんですけど、この本だと。結局、ノーをアップロードしてもコピーするだけなんで、あんた死にますよって言ってるじゃないですか。
その通りだなと思って、そうするとやっぱり、そこはアップロードできても解決しないわけで。
そうですね。
そういう意味でも、逆に死への恐れが減るというか。
ああ、もうどうしようもないからみたいな。
うん。だから、そうだね。ちょっと前に不老長寿系の話を聞いて、すげえ面白いなって思っていたんし。