面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。第43回の本日は、進化を超える進化、サピエンスに人類を超越させた4つの秘密について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。今回は、こういうジャンルの本って、そういえば紹介するの初めてかもしれないなぁということをちょっと思ったんですが。
どういうジャンルの本でしょう?
似てるかどうか、人によって意見が分かれるかもしれないんですけど、読んでいて、すごくサピエンス全史を思い出したんですよね。
ほうほうほう、なるほど。
どっちかというと、進化論と人類を10万年、100万年、数百万年レベルでの人類の歴史を追っかけていって、人間を人間たらしめたものは他の動物と異なるものにしたものは何だったのかっていうのをキーにして、その4つの秘密というものでいろいろ掘り下げていこうというお話です。
大きな歴史もの、進化論ものなのかな。
人類史、かなり広い意味での人類史ものと。
すげえよく言われているやつで、人間ってなんで人間になったのって一番よく聞くのが火を手に入れたこと、ファイヤー。
それによって人間は他の動物と異なるものに進化したんだっていう説はすごくいろんな人が知っている有名なところだと思うんですけども。
この本ではあと3つあると。火に加えて言葉というものと美、美しいというものと時間というものを手に入れて人類は他の生物とは違うものになったんじゃないかっていう話をまとめている本です。
なるほど。ちなみに書紙情報、エトセトラは。
文芸春秋から2022年の6月に出た本で、ガイア・ヴィンスさんという、確か女性ライターとして科学系のものでいろんな初めてみたいなものをやったタイプの人だったかな。
サイエンスライターというやつか。
そうですね。元ネイチャーの編集者で、多分そういう系の記事とか雑誌とか何だったりにいろいろと寄稿している方だと思うんですけれども、この本も2022年、英国法律協会サイエンスブック賞最終候補作と言われる。
絶対こういうのはなんか拍がついているものはあると思うんですけど、そういう感じで選ばれたりもしているらしいです。
一応だから、学者さんの研究結果の発表というよりは、彼女の視点でそれらの研究結果とかを大きなビジョンで語ってるって感じですかね。
そうですね。悪く言えば、サイエンス学術書的な根拠がどのぐらいはっきりしているかは、わからない部分は結構あると思います。
というよりも、どちらかというと読み物として楽しくて、確かに言われてみればその通りだっていう感じの話がいっぱい集まっていて、読んでて面白かった。そういう意味でもサピエンス全史と似ていたんですよね。
確かに印象は近いですね。
っていう感じの話で、あとはだいたい順番に紹介していければいいのかなという感じですかね。
ちなみに、現代ってわかります?
現代ね。確か、ちょっと待ってくださいね。トランセンデンスって書いてあるけど、これかな。
これは翻訳でそのタイトル。
たぶんね、結構煽りタイトルというか、だいぶ違うと思います。だって正直な話、別に進化を超える進化なんていう話はしてないですもん。
今、進化論が流行ってるから乗っかっていこうっていうタイトルなんかな?
日本版のタイトルは割とそうです。一応最後に、著者独自の概念としてホモ・オムニス、略してホムニという概念が超生物になりつつあるという言い方をしているので、ゼロとは言わない。
ただ正直、自分的にその章とかは1ミリも印象に残らなかったので、余計そう思うのかもしれない。
了解です。分かりました。
まず最初にちょっと話そうかなと思ったのが、最近この手の進化論系の本を読んでいて、人類の進化とか地球の変化とかみたいなのっていう時系列の巨大さというかわからなさというか、その辺りのことをちょっと簡単にまとめてきておりまして。
いろんな本から載ってた話なんですけど、地球がすごい大雑把に50億年ぐらい生まれてから経っているっていうふうに言われてますよね。
実は生物が生まれたのも割とつい最近の出来事で、確か学研の図鑑とかに載ってたんだったかな。すごい面白い話だったんですけど。
生き物が他の生き物を捕食するようになったのっていうのが、5億年前ぐらいからようやく始まったっていうレベルらしくて。
50億年あったうちの45億年はほとんどの生き物は、ほとんどじゃない、全ての生き物は漂ってただけで。
たまたまそういう流れ着いてきたやつを食べたら栄養が手に入ってっていうのから狩りが始まったのがおよそ5億年前。
まあ、それは動物への一歩を踏み出したってことですよね。
そうですね。捕食のトライアングルが出来上がったのがやっとそこから。
あともう一個、意外と自分も最近まで知らなかったのが、恐竜って1億6千万年の間ぐらいものすごく繁栄していたらしいんですよね。
人類の誕生っていうのがいろんな意見はあるんですけども、せいぜい700万年前ぐらいっていうのが人類と言われるような形になったのはそのぐらいの時期なんじゃないかと言われていて。
恐竜って遥か昔に滅びてしまったオールドタイプのうまくいってないものだというふうに思ってしまうんですけれども、少なくとも人類の20倍以上の期間を繁栄していて。
そのスパンで見ると恐竜というものも舐めたらあかんというかすごいというか、そういうようなことを最近思うようになってきていて。
で、よくありますね。1年間を40億年の歴史をだいたい1年で例えてみるとっていう話もよく聞くやつなんですけど、これはやっぱり面白くて。
1月1日から地球が始まったとして、今が12月31日1年が終わったと仮定する。
10月中旬まではバクテリアしかいなかったらしいです。
11月になってようやく脳とか骨を持つ動物が現れたり、つぼみとか枝を持つ植物が登場してきた。
ちょっと詳細は分からなかったんですけど、恐竜が絶滅したのが12月25日ぐらいの出来事。
人類が登場したのは12月31日の午後11時。
11時58分についに農業を発明します。
で、ピラミッドを作ってからロケットを作るまでっていうのは1年で例えると最後の60秒間。
やっぱりその尺度ってグラフを描いたときにすごい極端なグラフになりますよね。
どこまでも極端ですよね。まさに数学の二次関数みたいな急激な変化。
この辺りのことを知っておくと個人的にいいなと思うのが、どのぐらいのスパンが人類の遺伝子に刻み込まれたことで、
どのぐらいのものが文化として身につけたものなのかっていうことを考えるヒントにもなるんじゃないかなと思っていて。
すごい大雑把に言うと人類がここから本編に入ってくるような話なんですけど、
300万年前ぐらいまでは人間はずっと木の上で暮らしてたみたいなんですよね。
アフリカにしかいなくて、その頃いわゆる気候変動で氷河期がやってきて、
人類がいた場所っていうのは熱帯雨林だったんだけれどもサバンナになっちゃったんで木の上で暮らせなくなってしまった。
そこからが、いわゆる人類の歴史と言われる出来事というのは、
300万年前にアフリカの木の上から降りてきたのが大雑把に人類の始まりだと言われているらしいです。
いつ頃から狩りを始めたっていうのを調べてみると、だいたい200万年前ぐらい。
雑に言うんですけど、もうすでに100万年経ってるんですよね。
その100万年どうしてあったんだろうな。
人類が農業を始めたのは数万年レベルなので、100万年間そんなことをずっと繰り返していたっていうのがやっていて。
すごいよね。
火を使った最古の証拠というのが現状150万年前ぐらい。
また狩りを始めてからもやっぱり50万年かかってるんですよね。
火を使えるようになるまでに。
50万年間火なしで人類は生活していて、50万年ってことは何世代?計算できないけど。
何回親が生まれて子供が生まれて親が生まれて子供が生まれて。
すごいよね、それ考えると。
まずそこが遺伝とか遺伝子みたいなことを考えるときに、やっぱりそこに人類は最適化してきたんだろうなって思い知らされるんですよね。
300万年前に人間が要するに猿から人間になったうちの150万年は火を使ってなかったんですよ。
半分の期間しか火を使ってなかったとも言えるわけで。
確かに。
そのぐらいのスパンで、さらに言うと文字の発明というのは桁が大きく変わってだいたい5000年前ぐらい。
5000年前ってことは0.5万年前ってことだから、オーダーが3つぐらいずれてるよね。
300倍ぐらいですかね。
なるほど。
っていうぐらい。
それで考えるとやっぱり文字というものは遺伝子的にどうなんだろう。
ここまでが遺伝子が適応しているかどうかということを考えるヒントにもなるんじゃないのかなと。
なるほど。
あとは別の知識で書いてあって、面白いなと思ったやつなんですけど。
これはゲノム学の話なんですけど。
人類の色相脱出と言われる肌の色が変わる遺伝子の変化。
それは現在の研究だと2、3000年ぐらいでそういうことが起こるらしいんですよね。
だから今の地球で言うと、黄色人種とか白人とかってそういう肌の色の変化があるっていう。
その変化というのは2、3000年ぐらいで起こるということを考えると。
人類みんな兄弟というすごい変な言葉なんですけど。
人種の違いなんてものは、やっぱり遺伝子のレベルからしたら5歳以下の未満のものでしかないとも思うんですよね。
あとこれは高校の社会の時にめちゃめちゃ印象に残っていた話なんですけど。
インド人って人類学みたいなもので言うと白人に相当するらしいんですよね。
で、えーって思ったんだけれども、その時も社会の授業でめっちゃ印象に残ったんですけど。
確かにインド人というものの顔つきをイメージしてみると、彫りが深くて鼻が高くて。
アフリカの人たちって鼻ペチャンコで平らな顔ですよね。顔は全体的に丸くて。
で、でもインド人の肌の色って黒いよね。めっちゃ。
それもちょうど高校で学んだこととめっちゃ繋がったような感じがして。
だから白人たちがインドに来てから2、3000年の間にやっぱりみんな肌の色が黒くなったんですよね。
ていうぐらい、そうやって考えると意外と遺伝子の変化は早いかもしれない。
これは答えがあるとかないとかではなく、自分のあくまでも想像なんですけど、
そういうぐらいのスパンで遺伝子というものが変わるんじゃないのかってことを考える。
知っておくと、果たして現在の人間の生き方というか、そういうものはどこまでが遺伝子でどこまでが文化なのかっていうことを考えることのヒントになるんじゃないのかなと。
たとえば昔、昔ってこの世代の昔ですけど、東アフリカに住んでた人たちがヨーロッパに行くとして、
ヨーロッパに行くって簡単に言ってますけど、1日2日で行けるわけじゃないですよね、当然。
移動が世代を使うぐらいの移動になるわけですよ、きっと。
たしかね、それもどっかの本に書いてあって、なんかメモったような気もするんですけど、100年で1キロメートル進んでたとか、そういうスパンじゃなかったかな、たしか。
で、その遺伝子をちょっとずつ変えながら地域移っていったわけですよね。
でも今は1日でアメリカからインドに移住できるわけですよね。
だから、おそらくその環境によって発現しやすい遺伝子っていうのがおそらくあって、
昔は環境の移動が時間かかったからすごい時間かかったけど、今は環境が一瞬で移り変わるからより早く出やすい。
もともとあるこういうAの遺伝子はBという環境のときに出やすいよみたいなのがスイッチしやすいでしょうね、今の環境では。
というのもあるかもですね。あと、人間の脳って相当生まれてから変わるらしくて、そういうところでの、なんだっけな、これも違う本の話なんですけど、水中で生まれた頃からずっと狩りをしている。
水の中の狩りをしているような人たちって、生物的に目が水中でもゴーグルなしで見やすくなるように適応していたりもするらしくて、それは確か遺伝的な変化ではなくて、肯定的なもので変化したりすることもあるみたいで、
そのあたりは結構人間の適応力が、そもそもで言うと人間の特徴は、生まれてからの適応力が異常に高いっていうのも他の動物にはない特徴みたいなんですよね。
その、それはこの本だったかな、そういうことも確か何かの本には書かれていて、そのあたりも結構興味深いところですね。もうちょっと人間の面白いところというか、人間ってやっぱり人間が思っている以上に結構高色な生き物で、
ホモサピエンスと言われているんですけれども、結構いろんな種族と交配しまくっているという結果も残っているみたいで、どうやって調べたかとかそれもちょっと分からなかったんですけど、ヨーロッパの人たちの20%ぐらいはネアンデルタール人の血が含まれているらしくて。
【佐藤】人類の起源という本を今ちょうど読んでて、今ちょうどその記述が読んでたんやけど、ネアンデルタール人の骨とかが発掘されて、DNA検定ができるようになったらしく、DNAを調べたときにヨーロッパの人たちと一律が2割ぐらいあったっていうのがちょうど書かれてました。
確かネアンデルタール人はそれも面白かったところで、基本的にあの人たちはヨーロッパあたりにしかいなかったらしいんですよね。対してホモサピエンスというものは好奇心旺盛な生き物で、あっちこっちそこら中に移動しまくっていた。
これは著者の予想なんですけども、ネアンデルタール人が滅びてしまってサピエンスが生き残ることができたのは、こうやってあっちこっちに移動しまくってたことがめっちゃでかいんじゃないかって言ってるんですよね。
いろんな環境圧力による変化があって、例えばネアンデルタールの人たちはヨーロッパにしか住んでいなかったので、ヨーロッパになかったと思うんですけど、隕石が落ちてきたら多分ヨーロッパ全域で全部滅びてしまうんだけれども、インドの方にもアフリカの方にもアジアの方にもオセアニアの方にもいろんなところに住んでいたから、結果的にどっかの場所でほぼ絶滅してしまったとしても、
それによって他の場所で生き延びた人たちがいたので、それによって細く長く生き延びていくことができるようになったんじゃないか。
寺田 それはもうまさにDNAの戦略を最大限活用している生き方ですよね、種として。
寺田 そうそう、だからいろんな場所に、そもそもでもいろんな場所に住めている生物って基本いないんですよね。
寺田 そうですね、大体ある特定の環境の位置に対応して生存しているのが大抵の生物ですよね。
寺田 なのに後からどう考えてもクッソ寒いところに、ノーガードでは生きられないのに無理して渡っていって、
寺田 その寒いところで温かい服を開発して発明して生き延びている人たちがいたり、
寺田 真逆に同じような海を渡ってちょっと知らないところに行ってみようって、やらなくてもいいかもしれないことをやっていたりして増えている。
寺田 それによってより遺伝的に大きく変化ができたっていうふうにも言っていて、
寺田 環境圧力が高まると生き延びられなかった特質を持った人たちはみんな滅びてしまっているんですよね。
寺田 生き延びた人たちが爆発的にまたいろんな種と交わって大きく増えていって、また厳しい環境の中で生き残れない人たちは死んでいって、
寺田 っていうことを繰り返したことによって、遺伝子が早く最適化できたっていうのかな。
寺田 これもおそらく人間が人間らしくなった原因っていうのは、ここも結構大きいんじゃないかなと思って。
寺田 これは俺の予想なんですけど、同じ場所だけにいる限りは、そこの場所に最適化するだけで特徴的なことをしなくても生き延びる、
寺田 滅びてしまうか生き延びられるかだけなのに対して、いろんな場所で生き延びてきて、いろんなところから、
寺田 よりうまくいったやつらを、いろんな環境からうまくいった人たちを集めてくることができたことで、より大きく進展していったんじゃないのかなっていうような。
おだしょー その話は一人の個人の生き方としても響くものがありますね。
寺田 そういう学び方もできるかもしれない、確かに。
寺田 特定の企業にそこで一本でやっていくと、そこの企業が倒産したら終わりやけど、いろいろな場所で働ける力があると生き残りやすいみたいな話に通じそうな感じがしますが。
おだしょー 人類の歴史で考えると、その可能性はおそらく高いでしょうね。
あともう一個、人類皆兄弟の話を聞いて、めっちゃ面白いって話だったんですけど、
俺が生まれるためには、父ちゃんと母ちゃんと二人の人間がいりますよね。
寺田 そうですね。
おだしょー 俺の父ちゃんが生まれるためには、俺の父ちゃんの父ちゃんと母ちゃんが必要で、俺の母ちゃんの父ちゃんと母ちゃんが必要で、
すごく大雑把に1世代上に行くためには、2倍の人間が必要になりますよね。
寺田 だから2の何とか上になっていくってことか。
おだしょー そうそう。その計算をすると、どう考えてもおかしいんですよ。
40世代遡るだけで、お父さんお母さんもう1兆人になっちゃうんですよね。
寺田 それはまあ計算が合わへんわな。
おだしょー 40世代がだいたい1000年ぐらいで計算できるらしいんですけど、25で産んだ計算かな。
1000年前に地球に1兆人絶対いないんですよね。
寺田 いないですね。それはもちろん。
おだしょー 人類というものは、相当近親後輩というか、数学的な話なんじゃないかと思うんですけども、
全ての家系図は6世代以内で互いに繋がっている人類というものぐらいのことが言えるみたいで。
寺田 5次の繋がりの縦バージョンやな。
おだしょー そういう感じかな。
寺田 なるほど。はい。
おだしょー ヨーロッパに祖先を持つ人はみんなカール大帝の子孫だっていうふうにも言えるぐらい。
そのぐらい人類というものは、そういう観点から見ても人種なんていかにないのか。
寺田 細かい差異でしかないと。
おだしょー うん。ごくごくわずかな違いで、遺伝的には多様性が低いと言えてしまうぐらい。
寺田 なるほど。
おだしょー そのぐらい人類というものは、結構みんな遺伝子近いものなのだよ。
そのごくごくわずかな、確か1パーも全員違わないんですよね。人間の遺伝子って。
で、それだけの違いがここまでの個性にもなっているわけで、そのあたり面白いなということを、この本。
40世代で1兆人かっていうのは結構しみじみと思うというか、俺それは考えたことなかったなって思ったんですよね。
寺田 そうか。だから、例えば目の前の人のお父さんとかお母さんとか親族をバカにすると、
巡り巡ると結局自分自身をバカにしていることがほとんど変わらないという。
おだしょー ちょっとより遠いぐらいの親戚なんですよね、みんな。
寺田 なるほど。
おだしょー で、有名人になると親戚がわらわら増えてくるっていうじゃないですか。
寺田 そうですね。
おだしょー 多分おそらくそれは事実というか本当にそうなんだし、そのぐらい密接にみんなつながっているんだなっていう。
寺田 なるほど。
おだしょー っていうのが人類全体の大きな話かな。
そこは本の中では1章2章ぐらいでその辺のことが大きく書かれていて、そこから火の話ですね。
人間が自分が火を手に入れて、人間ってすごくなったっていう話を聞いたときに、
よくよく考えてみると当時何も分かっていなかったというか、火を手に入れたからだから何だったんだっていうことをあんまり考えたことがなかったなということを思ったんですよね。
寺田 確かにね。ちょっと明るいとか暖が取れるっていうのはイメージできますけど、そこまでクリティカルな感じはしないですね。
おだしょー だから何なんっていうふうに言われてみると、動物は火を怖がらなくて人間は火を怖がらなかったから、だから人間は他の動物より勝てたとか言われても、当時はそれで納得してたんですけど、ちっちゃい頃は。
寺田 なるほどね。
おだしょー だっておかしいというか、そんな程度ではないはずなんですよね。
寺田 確かに。
おだしょー で、いろんな影響があったという意見があって、まず一つは火のおかげでみんなが集まるようになったとか協力するようになった。
寺田 なるほど。
おだしょー 火を、当時一番最初の頃って多分、火って偶然できて、それを消えちゃったら、次作るの大変だったと思うんですよね。
寺田 まあ、雷で山火事が起きるのを待つっていうようなことでしょうね、きっと。
おだしょー なので、それを守ろうとするためにチーム同士で、チームを組んで、みんなでこの大事なやつ消さないように交代でバンしようぜみたいなことをしたのが、人類の社会的ネットワークが発達することに大きな影響があったんじゃないのか。
寺田 ああ、言われてみりゃそうだろうなって感じですね。確かに。
おだしょー 火と火だと思うんですけれども、火が加わったことでそうなったんじゃないのかっていうのがまず一つ大きな変化なのと、
あともう一個、ここからが一番個人的におおって思ったところなんですけど、人類は簡単に言うと料理ができるようになったことによって今の人類が、火を使って料理することによって今のように発展することができた。
これ違う本で、暮らしのための料理学っていう本とかにも結構書いてあって、そこと似ている内容は多かったんですけど、脳みそはものすごくエネルギーを消耗するアイテムなので、ほとんどの生物はなかなか大きくできないんですよね。
脳みそにエネルギーをたくさん使ってあげるためには当たり前なんだけど、いっぱいエネルギーを取らないといけなくって、いっぱいエネルギーを取ろうとすると、食べ物をどうにかして消化して自分のエネルギーに変換するということをやってやらないといけない。
火がなかった頃というのは、火がない生き物というのは結構ずっと噛んでないといけないらしいんですよね、エネルギーを摂取しようと思うと。
例えば有名なやつで、牛とかは胃が4個か5個とかあるんでしたっけ。葉っぱを噛み続けて、ずっと四六時中葉っぱ噛み続けて食いまくっていて、食ったものを胃の中で4回か5回か消化して、ようやく自分の中のエネルギーとして変換ができるようになる。
言われてみると、なんとなくのイメージなんですけど、牛とかって、起きてる間ずっと飯食ってんじゃないかっていう印象はあるんですよね。
人間はそこを、火によって料理することによって噛んでる時間をめっちゃ短くすることができた。
結果的にご飯を食べる時間をすごく短くすることができて、その分他の活動をする時間、余力ができるようになった。
さらにあんま噛まなくてよくなったんで、顎もどんどん弱くなっていったらしいんですよね。
顎が弱くなったことが、結果的に喋ることができることにもつながるようになった。
人間の顎の筋肉って耳の下までぐらいしかないらしいんですよね。
でも他の霊長類を調べてみると、顎の筋肉って頭のてっぺんまで伸びてるらしくて、要するに強いんだけど細かい動きができないんですよね。
なるほどね。ギアの一足みたいなもんか。
人類はそこが弱くなったので微調整ができることで、他の生き物とは違って出せる音の種類、声の種類というものが増えていった。
これはすごいですね。
それによって見事にちゃんと次の言葉にもつながっていくんですよね。
なるほど。火を手に入れて顎が弱くなって、言葉にネクストアイテムとして言葉への道が開かれると。
ここには書かれていなかったんですけど、火によって食べ物、料理をする後に言葉というものが発達してきたんだろうなっていう推測はできて。
あと、そういう意味で言うと、音楽とか踊りとか、あの辺りが人類が好きなのも、夜に飲み会して踊って歌って、人類同士が仲良くなるための手段としてものすごく有効な方法だったので、そこに脳内物質として快楽がもたらされるようになっているっていうのも、確かにその通りだなと思って。
おだしょー 引きつけて、前にした話に引きつけて言うと、つまり人類はもうこの時点で暇のつぶし方を覚えてたわけですよね、要するに。
大平 まあ、そうでしょうね。暇のつぶし方、当時はまだ暇ではなかったんだろうけれども、そうなんでしょうね。
おだしょー そういうものだから、生きることを目的とする以外の行為をかなり可能にしてくれたら。
大平 多分、生きることの目的、直接的な目的ではないけれども、他の仲間と協力するための下準備として仲良くなるために歌って踊っていたので、ちょっとどちらとも言えるのではないかなと。
おだしょー 確かに。
大平 俺はね、この話を聞いて思ったのが、今でも音楽のライブとか、簡単に何千人の人が集まるじゃないですか。
大平 対して100万部売れる本なんて限りなくないですよね。
おだしょー そうですね。
おだしょー 書泉というと変なんだけれども、文字を読むという行為の歴史の浅さと、やっぱり遺伝子に根付いた行為ではないんじゃないのか、ここは。
大平 根付く、深さが違うっていうことでしょうね、きっとね。
おだしょー 確かにね、音楽とか、上手く言えないけど原始の快楽みたいなものはあると思うんですよね。
大平 うん、あるし、言葉を操るのは同じ遺伝的な能的なものでもシステム2の部類やから、やっぱり感情は刺激しにくいんで、やっぱりグルービーにはならないよね、どう考えても。
おだしょー そう、というと、難しい行為だというか、遺伝本能でうんうんできるものではないということは確かだし、これが本能になるにはあと100万年ぐらい見とかないといけないってことですからね、言ってみたら。
おだしょー いや、逆にもう本能にはならないんじゃないかな、きっと。
大平 ああ、まあそうか、だからそうかもしれないな。
おだしょー うん、という気がするね。
大平 そうですね、そうですね、確かにそっちなのかもしれないな。
まあ、そういう意味でやっぱり、音楽踊りとかっていう娯楽がなぜ楽しいのかっていうと、遺伝子がそうさせているという結構簡単な結論が、やっぱそうだったんだなっていうことがわかったっていうか。
おだしょー やっぱ、絵画とかに比べると音楽とか舞踊の方がより原始的って言うと変やけど、より根源的な感じがしますね、そういう意味では。
大平 多分そうですね、絵画とかは後で出てきたり話で言うと、おそらく言葉に近いもので、物語を語る手段として絵画が使われていたんじゃないかみたいな。
おだしょー なるほど。
おだしょー なんだっけ、ナスカの地上じゃなくてフランスのラスコーの壁画とか、あれも狩りのやり方を教えてたんじゃねっていう説とかもあるって言ったりするので、
やっぱ狩猟とかよりはもう一段階、火を手に入れて言葉を手に入れた後から生まれてきたもので、歴史で言うと多分音楽なんだろうなって感じがしましたね。
こうやって火を手に入れて、顎が弱くなって言葉を手に入れるようになって、もう一段階発達していったというのかな、人間が。
人間の雑談というものは、動物がグルーミングをするのと同じような行為だっていう話をしていて、
世間話というものも、学習によって身につけているっていう言い方をしていて、
だから肯定的なものらしいんですよね、世間話の仕方というものは。
おだしょー つまり、だから、雑談が苦手な人は雑談のトレーニングを今まで積んでこなかったということですね。
おだしょー そう、というふうに読み取れるじゃないですか。これはね、ものすごく大きないろんな人のヒントになるような気がして。
おだしょー だから、雑談ができないのは遺伝子が足りないとか、そういうことじゃなくて、学習が足りないだけっていうとあれなんだけど、
そのコミュ障と言われるのは、なんて言ったらいいのかわかんないからなんですよね、要するに。
おだしょー コミュ障とまでは言わんけど、雑談、非目的的な会話っていうのは苦手なんですけど、
それはやっぱり幼少期からの練習不足で、多分今から練習したらできるようになるという希望が持てるってことですね。
おだしょー そう、それってやっぱ、だから意味がない会話をつまんないって思っているのは遺伝子的には変なんですよね、きっと。
おだしょー なるほど。
おだしょー 意味がない会話は意味がなくて良いんですよね。意味がない会話の目的は相手と仲良くなることが目的であって、意味がある何かを話すことは目的ではない。
おだしょー そうか。説明されるとそうやなと思うけど、やっぱ苦手意識があるからあんまりせえへんから、結局練習できずにやっぱり苦手意識のままっていうままに、多分40歳になってしまったな、きっと僕は。
おだしょー そうそうそう、だからパリピな人たちというものはね、やっぱりそういうことを練習してるからできるはずなんですよ。
おだしょー なるほどね。
おだしょー 言われてみると確かにちょっと頑張っていた時期とかも自分でもあったと思うし、偉そうに言えばやってやれなんかないなって確かに気はするし、雑談というものを少なくとも音をしめて下に見てしまうのはダメだと思うんですよね。
おだしょー 人は他の人と仲良くならないと生き延びられなかったので、他の人と仲良くなる手段として雑談という能力というか技術を進化論的に手に入れている。
おだしょー なるほどね。現代社会は一応お金があれば個人でも生きていけるから、その雑談の重要性そのものがちょっと認識されづらくなっている。
おだしょー うん。
おだしょー それは良くないですね、それは。
おだしょー そう、だからその、まああのね天気の話という典型的な雑談とかって、やっぱ世のおばちゃんたちは上手じゃないですか。
おだしょー 確かに。
おだしょー まあそこからやっぱり学べることはあるし、それによって地域社会がうまくいっているんだなっていうような気もするし。
おだしょー 確かにそうなんだろうな。それはそう思う。
おだしょー なんかね、あのゴミステイに行った時に近所の人が歩いててね、おはようございますとか言うとね、それで気分が良くなるんですよね。
おだしょー 確かに確かに。
おだしょー それってやっぱ結局そういうことなんだろうな、相手のことを一歩親しくなったような気がするし、
おそらく相手もそう思ってくれていて、もうそれだけで十分に価値があるというか、顔知ってる人にはやっぱ悪くしにくいですからね。
おだしょー 確かにね。
おだしょー そうだから、僕みたいな人間ってその意義がある情報を交換するときは喋るけど、そうじゃないときは全く喋らないっていうそのゼロイチーな感じで、中間体が全くないというのは、やっぱりなんか円滑流が足りてないっていう、潤滑流が足りてないっていう感じがするね。
おだしょー うん。それをね、こういう本の中から書いてあって、奥深いなと思ってね。
おだしょー いやこういう、なんかこう哲学とか学術とか読んでるとさ、情報がないと意味がないみたいな思想に偏りがっちゃうけど、それはやっぱりちょっと偏った考え方なんだなと今ちょっと反省しました。
おだしょー うん。なのでその雑談はそうですね、一言でまとめるならやっぱ意味がないことに意味があるというのか、仲良くなるために雑談をすればよくって、仲良くなるために意味がない話をしてればいいんですよね。
おだしょー うん、なるほど。
おだしょー 多分会話を交わすだけで相手のことを親しくなって、一緒に笑っているだけでその仲が良くなったような気がして、だからやっぱ飲み会というものがいかに偉大なのかというのも、現代人は仕事終わりに飲み会なんて行かないって言うんだけれども、その遺伝子の話で言えば、良いことがあるかもしれないんですよね。というかおそらく良いんですよね。
おだしょー おそらくそうだよな。会社でのコミュニケーションがやりやすくなるとか、ある種交換を持ってもらえたりとか、逆に自分が相手に交換を持つということも起こり得るわけですからね。
おだしょー うん。そこに文化的ないろんな断絶があってしまうのがちょっと悲劇なんですよね。
おだしょー うん。結局飲み会が悪いんじゃなくて、飲み会を主催している上司の態度が悪いという。
おだしょー まあ大抵はそうだと思う。
おだしょー まあっていう感じで、その言葉を得たというものと、あとこれも有名な話なんですけど、人間の変なところというか進化によって苦労しているところで、喋れるようになったおかげで他の動物からはありえないぐらい窒息しやすい生き物になってしまった。
おだしょー 窒息しやすい。
おだしょー その餅が喉に詰まって死ぬ。
おだしょー ああ。
おだしょー 空気を取り入れるための場所と発生するための場所が同じところで役割共通しているんですよね。
おだしょー ああ、なるほどね。はいはいはい。
おだしょー これは本来他の動物なら、声なんてものと空気を、酸素を手に入れる場所というものは多分別々の方が機能としては優秀なはずなんですよ。
おだしょー 確かに。
おだしょー 実際、さらに言うと立ち上がっちゃったからというのもあるのかな、窒息しやすくなったのは。
おだしょー 縦向きで下に物が落っこちてきて詰まってしまう。
おだしょー ああ、そういうことか。
おだしょー さらに、軌道と食堂の開け閉めってなんか意識持ってやれてないんですけど、あんな脆い仕組みなんですよね。やってることって。
おだしょー そうか。確かに口が下向いてると餅を喉に詰まらせないか。そんなこと考えたこともなかったわ。
おだしょー そうかそうか。はあ。
おだしょー この辺りも多分、火によって柔らかくできるようになったとかも関係があるのかもしれないですよね。
おだしょー ああ、なるほどね。
おだしょー 何にしても、軌道と食堂が一緒の場所にあってっていうのは、その生き物としてはうまくいっちゃったからいいやっていう、結構人類のバグとは言わないけれども、継ぎ足し継ぎ足しの機能がゆえの不整備のところというか、不備があるところ。
おだしょー それがいわゆるマジ進化ですよね。進化って結局機能の継ぎ足しとか、ある機能が別の役に立ったらもうそれでいっちゃおうかっていう、適当エンジニアリングやから非常によく起こる話ですよね。
おだしょー っていうので、餅が喉に詰まるというのは、人類のバグだという言い方もできるっていう話もあって、あとちなみにこの話とかは似たような本、似たような本ではないんですけど、人体大全っていう本があって、その辺の話、こういう感じの話はすげえいっぱいその本にも載っていました。
そっちで面白いなって思った話も結構多文に含まれていて、その発生、窒息の可能性が上がるリスクっていうのはこの本にも書かれてたんですけど、そういうそっちの本も人体大全っていうやつもすげえ面白かったです。
おだしょー あと言葉の成り立ちとか、いろんな言語とかっていう話とか、もうどっちかっていうとこれは人類の進化とは関係なくて、言葉の面白話っていうところだと思うんですけれども、面白話結構いっぱいあって、例えばなんですけど、やっぱり住んでる場所によって言葉が違う。
言葉が違うっていうのはどういう違い?
おだしょー 音の特徴が違うという話で、例えばで言うと、熱帯地域には死因の種類が少なくて、部員の種類が多い。なんでかっていうと、熱帯って障害物が多いですよね。障害物が多い場所では低周波の方がよく通るんですよ。
おだしょー だから細かな死因が多いような高周波な音というものは、熱帯の地域ではそういうものは少なくなっていて、それはどのぐらい統計的に正しいとかそのあたりまでは書いてなかったんですけれども、っていう変化があったり、例えば乾燥地帯に行くと成長言語、中国で言うマーとマーが違うってやつっていうものも少ないらしく。
おだしょー それも理由というのが、乾燥すると生態の動きというものが制限されやすい。
おだしょー なるほど、なるほど。
おだしょー っていうので、言葉というのはものすごく環境の影響を大きく受けている。あと日本で有名なやつで、東北弁の人たち、あっちは寒いから口開けるのが嫌で、みんな口閉じたような喋りをするとかっていう話とかもあったりすると思うんですけど、そのレベルのことはやっぱりどの地域でも当たり前に起こっているっていう話だったり。
おだしょー いろんな面白い言語というものがあって、口笛で会話できるような言語、インディアンの人たちはできるっていう話だったり、アフリカにはドラム音で成立する言語があったみたいなことも言われていて。
おだしょー 想像つかないね、もう。
おだしょー ちょっと想像つかないんですけど、電報ができるまでの最強の伝達手段、言語の。
おだしょー なるほど。
おだしょー 例えばなんですけど、モールス信号、ドラムでできなくはないですからね。
おだしょー そうですね、確かに。
おだしょー それならば、遠距離に効率よく言葉を伝えられる言語として最強だった。ただ、なんでかわからないじゃないか、今にそれは残ったりはしなかったみたいなんですけれども。
おだしょー あと、当時の人たち、昔は、今、日本人って普通日本語しかしゃべれないですよね。
おだしょー アメリカ人はもう意地でも英語しかしゃべらないし、第二外国語、外国語なんて全く学ぼうとしないですよね。
おだしょー そうですね。
おだしょー っていうのが当たり前なんですけど、過去にはおそらく複数の言語をしゃべれることのほうが当たり前だったと考えられているみたいで。
おだしょー 過去っていうのはどのぐらいの過去?
おだしょー 数千年レベルじゃないかな。部族ごとに言語が異なっていたのが結構当たり前で。
おだしょー 多分、ある程度発達した部族になってくると、もう近親婚なんて絶対やっていないので、他の部族と結婚をしたりする。
おだしょー そうすると、当たり前に自分の部族と他の部族と2つの言語が使えるというのはごくごく当たり前のことになって。
おだしょー そうか。なるほど。
おだしょー その一角語しか話せないという生物のほうが少なかったんじゃないか。
おだしょー うん。結局だから、アメリカ人は英語しかしゃべれないっていうのは、アメリカっていう国のアイデンティティの問題というか、それが多分ソースになってて。
言ったら、そういうナショナルシップっていうのが確立される前って、そこまで言葉にこだわりがなかったかもしれないですね。
おだしょー うん。例えばで言うと、高野秀之さんの本とかを読んでいると、あの人アフリカの地域とかよく行ってたりするんですけど、
今後に行くと川渡った反対側は違う言語をしゃべっているみたいなことは、今でも当たり前にあって。
小説、話から垣間見れるところなんですけど、大体の人はやっぱり両方の言語をそれなりに話すんですよね。
あとさらに言うなら、深い話なんてできなくてもよくって、これいくらだ?100円とか。
今日はお前気分調子はどうだ?っていう世間話レベルのことができていれば、多分会話というものは成立しているんだと思うんですけど。
複数の言語がしゃべれることがおそらく当たり前であったということと、あととある研究によるとマルチリンガルというのは社会的・心理的にも有利で、メンタルヘルスにも恩恵があるという研究なんかもあったりする。
おだしょー それは理論的なバックボーンとかはあるんですか?仮説。
おだしょー 一応それは論文があるみたいです。そこに関しては。
俺が思った仮説なんていうか、それを元に考えたことなんですけども、言語が変わると思考が変わるみたいな話はよく言われているので、考えが凝り固まらないというのかな。
一つの言語だけで考えるのとは違って。
複数言語が話せれば当たり前という固い考えになりづらくなる。
あとそれに関する話で、その手の実験みたいなのも結構出てきていて、複数言語を話せる人って、使う言語によって考えが本当に変わるらしいんですよね。
例えばで言うと、日本語と英語でが両方喋れるような人とかっていうので、私と家族の希望が対立するとっていう言葉に続く言葉を考えてもらうと、
日本語は大抵それは極めて不幸なことだっていうニュアンスの言葉が返ってきて、英語の場合は大体は私は自分がしたいことをするという答えが返ってくる。
さらにバイリンガルの人の場合は、英語とドイツ語との比較っていうので、言語の構造の違いによる考え方の違いみたいなやつで、
質問に対する答え方というのが、言葉によって変わってくるというのかな。
ある女性が歩いているっていうような言葉なんかにしても、英語で表現する場合は、
女性が歩いているっていう話し方になるんだけれども、ドイツ語的な言語で言うと、自動的に女性が歩いているという言い方で、ドイツにはイングという同名詞の概念がないので、
同じ質問をした場合でも、表現の仕方が自動的に変わってしまう。
その表現の仕方が変わるということは、認知の仕組みが変わるわけで、自分が考えていることというのも変わってしまうんですよね。
なるほど。
そのバイリンガルの場合は、ドイツと英語と両方喋れる人の場合、英語にいてアメリカで実験をした場合とドイツで実験をした場合に、その答えが変わってくる。同じ人だとしても。
それ結構すごい話ですよね。
地域によって言語が違って、言語が違うとやっぱり考え方が変わってくる。
考え方が変わる。人間の考えというものがあたかも固定的なものであるかのように感じられるのは、私たちが言語を1個しか使わないからというふうに捉えられますね。
それがさらに場所にひも付いているというのもちょっと興味深いなと思って。
確かにね。
自分がどこにいるかによって、その国のマインドセットみたいな、その言語のマインドセットみたいなものが入ってくるというのもあるんだろうし。
日本人が英語がうまく喋れないのは、アメリカ英語の陽気な感じというか派手でマックス立てた感じにできないとかっていうのもあるし、逆にめっちゃ穏やかな喋り方する人が英語になるとハキハキ快活になるとかっていうのも本当そうなんだろうなっていうことも思うし。
だから英語を喋るときに英語のマインドセットになるという話ですけど、これを話を逆にすると、英語を喋るためには英語のマインドセットを身につけなければいけないということですよね。
じゃないと多分うまく喋れない。
喋れないですね。
だからよく英語を頭の中で日本語に翻訳せずにそのまま読みやなさいっていう訓練はそれなんでしょうね。
だから日本語に翻訳すると結局日本語のマインドセットを動かせないっていうことになるから結局いつまで経っても喋れないっていう。
そのマインドセットを動かすという観点から英語学習も捉えられそうな気がしますね。
そうですね。だからやっぱりすんだら学ぶのが早いとか喋らないとなかなか身につかないとかっていうのもきっとそういうところがあるんだろうし。
言語、言葉の分かるとか分からないというものも、結構思っている、自分が知っている幅というのは狭いんだなっていうか。
うんうんうん、なるほど。
日本人が英語できないってひげするんだけれども、あなた1から100まで言えるでしょって。
簡単な英文やったら読めますもんね。だからしゃべれないっていうだけであって、結構英文法は身につけさせられますもんね、義務教育で。
うん、で、非英語圏の国に旅行すると思い知るというか、英語ならハウマッチ覚えといたらあとはなんとかなるぜって。
確かに。
でもタイに行ったときにハウマッチを聞いても、それだけ覚えてもせめてあと1から10まで言えないとダメなんですよね。
なるほどね。
まあっていうので、いろんな言語の1から10までぐらいはせめて知りたいなと思ったし。
おー面白いねそれ。
だってイタリアも俺UNOどうすんまでしか分かんないし、フランス語&ウトラまで分かるんだけど、それ以上分かんないし。
分からないですね、確かに。
スペイン語も多分分からんとか、そういう小ネタで言うと、アジア圏だとだいたいどこの国でもサンはサンに近いような発音をしてたりするんですよね。
タイ語でもヌンソンサムシーハーベイジェイなんとかガオシープとかだったかな。
どこの国に行ってもサンっていうのはアジアでは意外と近い音をしていたりして。
そうやな、だって中国語もイーギャンサンにもな。
そうそうそうそう。
確かベトナムとかカンボジアとかでも近い音をしていて、さらに人間がサン以上の数字ってあんまり認識していなかったみたいな歴史的なことを考えると、
結構サンが上限だったから結構みんな似ているんじゃないかとか。
そういうことじゃないよな、きっと。
いろんな知識をつなげると一人で考えて遊べるようにもなって、非ヨーロッパな中国語と英語と割と似ているけど全然違うドイツ語とかちょっと手を出してみたら、
言語の考え方がちょっと変わるんじゃないかなって気がして、もうちょっと学んでみようかなということを思っている次第です。
言葉の話で言うと大体そんなところなのかなと。
あと美と時間。
人間が大体は多分結局人を言葉の話で済んでしまうんだけれども、
あと美しいものとか時間っていう観点から見ても、それを手に入れたことって結構すげえんじゃねえのっていうことを本では書かれていて、
例えば面白い話で、人間の意見を聞いてみると平均的な個人の顔よりも複数の顔を混ぜて平均化した顔を好む傾向というのがあるというふうに言われていて、
なんでなんかって考えると、その遺伝子が多様な遺伝子を持っていることになる。
なるほどね。
そうやって考えると、ハーフかっこいいは遺伝子的に正しいんですよ。
自分と異なる遺伝子を持っているから、遺伝子生存率が上がるかもしれへんっていうことか。
よくあるお父さんは臭いっていうのも有名な話ですよね。
遺伝子が近いからそれを生物として性的に嫌うように作られているっていうのと一緒だっていうのはすごくわかるような気がして。
美しいと思ったっていう由来っていうのが、やっぱりそこなんじゃないかっていうところがまず由来というか、
人間に関していう美しいものというものは、要するに若くて健康で生殖力が高くて病気の兆候がないもの。
そういうものを美しいと考えるように人類が進化してきて、それを美しいと思うから種として繁栄するようになった。
だから美しいと考えるものも、やっぱり美しいと感じることも進化の淘汰で生き残ったというか、
それを美しいと感じるから感じた者たちが種として生き残ってきた。
だから性淘汰のより繊維化させるというか、より尖らせた性淘汰が起こるようになった。
その結局子が埋めるかどうかですか。人類は見ていないんだろうなっていう。健康な子を埋めるかどうかか。
たとえばですけど、自然、太陽とか空とかを見た時の美しさっていうのは、その性的な美しさのアレンジなのかね。それもやっぱり別の感じなんですかね。
おそらくそれはアレンジなんじゃないかというふうに言われていて、人間が美を識別する能力というものは、パターンを見つけようとする衝動とともに進化したんじゃないかっていうふうに言っていて。
何かこれは特別なものだから、その理由を探さないと、原因を探さないと。何でなのか、もっと知りたいと思わないと思ったものを美しいと感じるようになったのではないか。
だから太陽ってすごくきっと重要なものですよね。生きていくためには。なので、そのことについてもっと知りたいと思うのも、生存のためには大事なことで。
で、その生存のために興味を持つために、例えばで言うと太陽美しいと思うようになったのではないか。で、こういう美しいと感じるものっていうのは、おそらくどの人類もすべてに共通しているもので、ありとあらゆる民族が普段狩りとかに使う槍とかを凝った装飾をする。
何かあとみんな偉い人になるとやっぱ派手に着飾って、金がかかる手間がかかるかっこいい服を着ようとする。というのもやっぱその人間社会が美の重要さというものを認識しているからで、それはその団結の証でもあるし富の証でもあるとも言えるし。
富の証であるということは要するに、俺は強いやつだから生き延びられるぞっていう性的なアピールにやっぱり繋がるわけで。
だから、苦弱の羽根がだんだん派手になっているっていうのと傾向的には一緒ってことだよね。
そうですね。苦弱たちは自分の身体でそれをやったんだけれども、人間は身体だけでなく道具でもそれをやるようになったっていう感じですかね。
あとお金っていうものも美しい由来ではないか。物々交換をするときにちょっとこれお金ないからこれで代わりにしといてくんないみたいなために綺麗な貝殻を渡しておいたとか。
そうか。だから貝殻であっても美しいっていう価値があるから交換の材料として使えると。
っていうところが始まりになり得たのではないのか。
なるほどね。
後からにしてしまうと物々交換というものはやっぱりうまくいかないので、その一時的な代替品としてもこれ綺麗だね。
じゃあ後で返してくれるならとりあえずこれでいいよみたいなやり取りは言われてみるとあったかもしれないなって思うんですよね。
確かに何の変哲もないしとかよりは綺麗な貝殻の方が説得力がありますよね。
来週までに魚取って持ってくるからちょっと布を分けてくれみたいなことはあるような気がして。
なるほどね。
今布がないからこの俺の持ってる綺麗な石ちょっと預かっといてっていうシチュエーシステムですよね。
この例えば貝殻が美しいなんてどうでもいいっていう反論もありますけど、例えば日本国家がそれぞれ形バラバラやったら嫌ですよねきっと。
銀行に対する信頼感が薄れますよね。だから形が整ってるってことはそれだけで多分認知的な意味があるんでしょうねきっと。
そこからどういうふうに発展してきたとかはまだこの本ではそんなに突っ込んで書かれてはいなかったんですけれども、始まりとしてはそれだったんじゃないのかっていう話と、あと時間の話ですね。
はい、時間。
時間というものも、なんかすごい雑な話をすると時間という概念が理解できないみたいなんですよね。他の生き物には。
まあそうでしょう。
仲間が死ぬことは分かるんだけれども、自分がいつか死ぬってことを分かる生き物というのもおそらく人類だけで。
さらに言うと、セックスすると子供ができるっていうことが分かってるのもおそらく人類だけで。
他の生き物は発情期が来て勝手に子供が生まれているんだけれど、当たり前なんだけど因果関係を見出すには間が空きすぎてますよね。
確かにね。
っていうことを考えると、時間という概念が理解できないと、どうやったら子供が生まれるのかということすらも理解がなかなかできないもので。
そういうところが人間の特徴だっていう言い方と、最初に始まったのはやっぱ最初に人類が例えばストーンヘンジみたいなああいう遺跡を作ってたっていうのも、時間を知るためのものだったと言われているらしくて。
ストーンヘンジって俺どういう形で説明したらいいんだろう。石が立ってて上に石が残ってる。
あれとかもおそらく太陽とか月とか星が今どういう場所にあるのかというものを観測するものに使われたものではないかというふうに考えられていたり。
たぶん時間が重要になったのは、書いてなかったんだけど農業をするようになったからですよね。
いつごろの時期に種を植えるといいのかというものを判断するために、空を見て時間を確認して今の時期なら大丈夫だみたいなことから文明が生まれて権力が生まれてみたいな話になってきたりとか。
あと時間という概念がないと、明日一緒に遊ぼうねという話は時間という感覚がないとできない。
未来の予定を立てたりだとか、昔そういうことがあったということも言えなくなってしまう。
というかそういうことを知ることで、著者が書いてた言葉で言うと、そうやって時間という概念を知ることで生活のエントロピーを減らすことができた。
生活のエントロピーを減らすことで他のことに余力を使えるようになったというのかな。
リスがどんぐりとかをため込むのは遺伝子の力らしいんですよね。
人間がご飯を取っておくのは、時間の概念とか文化の概念として食べ物を貯蔵するようにできるようになったとかっていうのも、
未来のことを考えるからちゃんと大事に取っておくことができるとかっていうことも、
これがなんでできたのかみたいな、なんでそうやって手に入れたのかみたいな話はなかったんですけど。
いわゆる昔の人たちっていうのは、隣の村の人が別の言葉を喋ってたとしたら、日常会話じゃないですか、別言語が。
我々にとって別言語は日常会話にないからやっぱり覚えないし、それで多分脳の働きとか物事の捉え方が変わってくるとしたら、我々はあんまり良くない方向に進んでるんだろうなという気はしますね。
簡単な手段として、英語に加えて第2外国語を学んでみたらいいんじゃないのと思って、目的として別に話せるようになりたいというよりは、知的好奇心要素がでかいんですよね、自分の中で言うと。
ハイデ側の解説本を読んでいると、この言葉はドイツ語だとこう言っていて、これは日本語で言うとこういうニュアンスなんですよねっていう。それが分かりたいとか、あと多分1対1で対応する言語がないので、外国語を学ぶというのは圧倒的な語彙を増やす手段でもあるのかなと思って。
歩くは日本語では歩くしかないけれども、英語では歩くに関する言語がすごくいっぱいあるので、その辺りを言語として認識できれば、世の中の見え方に深みが出るのかなということも思ったりして。
中国語を覚えるのはまた台湾旅行に行きたくて、そこで普通にお店で買い物したいなと思ったりとか。ヨーロッパ行くならドイツ、スペイン、イタリアぐらい行きたくて、ちょうどハイデ側だったり、あとクラシック音楽とかってめっちゃドイツなんですよね。
その辺りの興味を持つにも、ドイツ語をちょっと勉強してみると面白いかなと思ったりもして、ちょっとやってみようかなと思っている次第です。
なるほどね。
あと最近そういえば、わりとコメントをいただいていたりして、コンカーティンザヘッドさん、ブックカタリストありがたや、BC04に超没入は暮らしたさんがとにかく楽しそうに話されるのですごく楽しかったです。
BC037、現代思想入門は後藤さんと同じ思想詩を1冊だけ読んでいて、これが2冊目だったので、視点がちょうどよく振り返りに最適でした。
なるほど。
そうか、超没入、そんなめっちゃ楽しそうだったのかな。
収録時隣にたまたま妻がいたんですけど、やたらテンション高かったよって言われましたね。
じゃあ相当楽しかったんでしょうね。
でしょうね。
そうか、あんま知らんかったな、言われてみると。
俺は別に普通に喋ってた気持ちだけだったから、他の人から見たらそうやったんでしょうね。
あとやっぱね、超没入はいろいろと意見を言ってくださる人が多く、黒沼健一郎さん、超没入興味深かったです。
自社のTeams運用でもみんな好き勝手使うとバラバラになる。専門家役割、プロトコル、チャンネルの設計は重要。
一方、知的活動のためのまとまった時間を作り、中断をどれだけ減らせるか、それでいて開かれていること、そこに日々、思考・作語中です。
難しいんですよね、この設計っていうのは。
難しいですね、これはね。
でもやっぱりそこを避けて、その難しさを避けて、今までのコミュニケーションを続けていくところには先がないというか、そこをどれだけブラッシュアップできるかにかかってるでしょう、きっと。
他にも、あれかな、これは、自分の組織、ちょっと待ってくださいね、PPAPさん。
自分の組織では、客先とのやりとりでは、グループアドレスをCCに入れるというルールによって、不要なメールが皆に落ち、その中から各自にとって大事なものを見つけ出すという無駄な作業が発生。
まず、ルールイコールプロトコルが間違っており、見直しすることが大事だと思いました。
やっぱり現実にあるんですよ、そういうことが。
連なっていて、隣の席の人ですら、数分前のメールを読んでいる前提で話しかけてくるので、この時間はメール見ない一つのタスクに集中という自分ルールを決めても、容赦なく侵入されてしまう。
なかなかそういう事例は、やっぱり人に聞かないと分かんないことが多いですからね。
それは確かにちょっと恐ろしいなあということを思いますね。
それで集中した作業をせーっていうこと自体がもうリゲイですからね、やっぱり。
問題提起としてすごく面白いというか、良い本なんだろうなという反応からもいろいろ見られるなという感じでした。
ご意見をご感想、ツイッターのハッシュタグでブックが当たる人をつけてつぶやいていただくか、お便りのフォームというものもメールで一緒にお届けしているので、そのあたりお便りいただければ可能な範囲でご紹介していこうと思いますのでよろしくお願いします。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。